妖精の棲む高原



未明、僕はモノトーンの蒼い世界が広がる高原台地を黙々と歩いていた。
半月の架かる薄明の空は星の光を残したまま冷たく涼んでいる。山嶺から広がるカールには残雪がうっすら浮かび、その麓には冷気が雲となって滴り落ちている。台地の地表はびっしりと地衣類に覆われ、さまざまな色の入り混じった緻密なパッチワークを形作っている。

僕はクマの姿を求めてここまでやって来た。
この高原が一気に落ち込むドロップの崖にクマの親子が暮らしている。
昼間、クマは美しい池塘の散在する森の木陰で休んでいるためその姿をみるのは難しい。早朝と夕暮れ時、草を食べるためにこの崖の下へやってくる時がクマの姿を見るチャンスになる。
崖の上の僕が歩く高原台地にも、時折クマは現れるという。それだけで僕の意識は張りつめ、ピーンと冷たい空気のなかにクマの気配を感じ取ろうとしている。
崖下の草原を見下ろすポイントに辿り着いた頃、一方の谷で生まれた霧がゆっくり高原へ忍び寄り、青白い霧が台地を舐めるように進み、そのまま一気にクマの棲む崖へ流れ込んでいった。それとともに高原も真っ白になり、何も見えなくなってしまった。
僕はその場で霧が晴れるのを待ったが、霧は濃くなる一方だった。霧に包まれて崖の下のクマを見る見込みはなくなり、僕はその辺りをゆっくりと歩きはじめた。
人影のない高原は霧に音を吸い込まれ、静寂そのものだった。広大な風景は姿を隠し、視線は足下のわずかな領域へと移っていく。細い一本道から外れて可憐な草花の咲く高原に散らばる小石の上を注意して歩く。できるだけ高原を彩るこれらの者を踏みつけたり傷つけたりはしたくない。腰をかがめて繊細な草花や地衣類を見ていると心のなかのさざ波が静かに引いていき、その美しい造形に引き込まれてゆく。厳しい環境のなかでも耐え忍びながら生命がすこしずつその領域を押し広げている様は、長大な叙事詩の一場面を見ているような気さえした。
これだけの地衣類が地を覆うには、どれほどの時間が必要なのだろう。
僕の心は氷河期まで飛んでゆく。この高原台地が厚い氷河の下で深い眠りについていた頃、我々の祖先が英知とともに自然をみつめ、この星と調和して生きていただろう時代・・・。
自然と神はひとつのものとしてあり、その懐のなかでやさしい恵みを受け、ときに怒りにも似た厳しい試練を受けて生きていた時代。しかし、そんななかで人々は無力ではなかったという気がする。自然の声に耳を傾け、敏感にその声を聴き取ることのできた人々は、自然を愛し、自然の許しを得て必要なものを必要なだけそこから持って帰ることができただろう。人は自然を愛し、自然も彼らを愛していた。
草や木や野生動物、高く聳える山々とそこから流れる美しい水・・・。
自然はあらゆるものを受け止めて、心を豊かにし、生きる力を与えてくれた。
そして何より、彼らはこの星が彼らを愛していることを知っていた。
現在でも、大地を耕す人はこの星がいかに私たちを助けているか、知っていることだろう。
高原台地の冷たい風が肌を刺す。それは僕の意識を静かで明晰な状態へと導いてゆく。足元の地衣類を見つめていると、何かがクスクス笑いながらダンスをしているような気配を感じる。そこにも、ここにも・・・、気配はあちこちに広がってゆく。僕の目には何も見えない。でも、感じるのだ。ほら、そこにも、あそこにも、軽やかに飛び跳ねている小さな精霊、妖精たち。
地衣類の上を跳んだかと思うと素早くその下にもぐり込んで、霞のような精気をあたりに振りまき、この高原台地にいのちを振りまいている者たち。
僕に見えるのは足元の地衣類だけだ。けれどその小さな身体に力強い生命を宿した足元の地衣類がなんともいえず愛おしくなる。その愛おしさは小さな地衣類から高原の大地へ、時間を越えて繋がるこの星の生命の営みへと繋がってゆくもののように感じた。
僕たちはいつもこの星に触れているのに、なかなかそのことに気づかない。コンクリートの街で仕事に追われる日常を生きる私たちは、本当に基本的なことを忘れている。わざわざこんな遠い高原まできて、僕はやっとこの星に触れていることに気がついた。
それはこの高原に棲む妖精がクスクス笑いと一緒に知らせてくれたことかも知れない。