谷神






谷間の草原をゆく緩やかなカーブを曲がると、そこには白くなめらかな岩壁がそびえ立っていた。青味を帯びた白い岩壁は天高く悠然と聳え、圧倒されるような、それでいて周囲と調和した存在感を放っていた。大きく開けた若草の草原は岩壁によって周囲の山から切り離された美しい渓谷を形作っている。
白く巨大な岩壁は不思議なくらい威圧感を持たない。際だった存在感で目をひくのだが、この谷を守る心優しい守人のように信頼できる印象なのだ。それはこの谷を守る谷神のようでもある。
岩壁の前に立つと、最初はその美しさと巨大さに圧倒されるのだが、次第にこの岩壁に囲まれて存在する深く広い渓谷の驚くばかりの調和に気づいてゆく。草原は優しい風にサワサワ靡き、麓に林立する巨木さえ岩壁の前では小さく可愛らしく見えてくる。渓谷の川にはきれいに澄んだ水がゆったりと流れ、林間を飛び交う鳥たちのさえずりが絶え間なく響いている。それはまるで桃源郷のようだ。
この谷のなかで、僕は次第に心が静かに穏やかになってゆくのを感じた。吐息のように安らかな風が体を撫でてゆき、母なる大地のふところそのものに抱かれている気がする。ここにいると何の不安もなく、自分が大きなものに守られているという安心感に浸っていられる。今までこんな感覚を感じたことがあっただろうか、もしあったとすればそれは遠い昔、母のお腹のなかでのことかも知れない。ただ母のお腹と異なるのは、この谷は天高く開かれているということだ。そびえ立つ岩壁によって、あるいは林立する巨木によってこの谷は常に上へ上へと上昇する何かを生み出している。それがこの谷に独特の神聖な気配をもたらしているのだ。
かつて氷河によって形成されたこの谷が、美しい岩壁に囲まれた広大な森と草原に変貌するまで、どれだけの歳月と地球環境の変化、生命の営みを必要としたことだろう。それはただ単に偶然によってもたらされたものか、それともなんらかのグランドデザインに基づいて創られたものなのか、そんなことを考えてしまう程すばらしい調和がこの谷を包んでいる。
天まで抜けるような紺碧の空に点々と浮かぶ白い雲の群、暖かい日射しが少し冷えた空気のなかで心地よい。春の谷では天候や地形、生き物たちが絶妙なバランスを保っている。
僕は草原の道を心ゆくまで歩いて行った。遠くには岩壁を流れ落ちる滝が小さく見える。この滝もあまりにも遠くてその大きさが実感できないけれど、その代わり無音の白い流れが絵のように美しい。木立のなかを歩くと、朽ちた木の陰からかわいいリスが姿を見せ、頭上ではトントントンッとリズミカルなキツツキのノックが響いている。森のなかを流れる豊かな水量をもつ川は遅くもなく早くもなく、目を閉じるとうっとりするほど優雅で透き通った水音を奏でている。やわらかなそよ風や木漏れ日の暖かさを肌に感じ、木の香りを吸い込み、小鳥のさえずりに耳を澄まし、五感に触れるあらゆるものが心をほぐしてゆく。
自然の力が人の心や体、人生に与える影響は大変なものだけれど、この谷の与えてくれるものは僕にとってかけがえのないものだ。自然がこれほど表情豊かな感情を秘めていようとは・・・、その表情を読みとってゆくと穏やかで柔らかな優しさや豊かさ、女神のような神々しさ、包み込むような愛・・・。
そう、やっと解った。この谷は大地から吹き上げる愛の場所なんだ。
この谷のなかで僕は自分が愛されているのを感じていたんだ。心地よい安らぎは大地の愛を受けている証なのかも知れない。僕は川辺の巨木に肩を寄せて、大地とともにある喜びを胸の奥深く感じていた。

これはもう10年も前の話だ。しかしこの谷で感じたものは今も僕のなかで生きている。
近くの山を歩いたとき、ふと想い出すのだ。あの谷の小さなかけらは思いがけないところに散りばめられている。森のなかの少し開けた谷で空を仰いだとき、川辺の石に腰かけて水音に耳を傾けたとき、フッと何かが重なってあの谷の風景は甦ってくる。
「私はいつも一緒にいるよ」
そう大地が話しかけているようで、その度に僕は大地との絆を取り戻してすがすがしい気持ちになるのだ。
古き中国の聖人、老子の言葉を想い出す。
「谷神は死せず、・・・、綿々として存するがごとし、これを用うれどもつきず」
老子も谷を通して大地と心を交わしていたのかも知れない。