夢で会いましょう



イルカの子の骨を拾ったことがある。バハカリフォルニア半島の入り江でのことだ。
数キロに渡って続く白砂の砂浜は冬だというのに強い太陽の日射しを浴びて30度を越す暑さだ。僕は砂浜に寝そべってゆっくり息を吸い込んでみた。眼前には紺碧の海が広がり、空は抜けるように青い。1羽のカモメが急降下して獲物を獲る。獲物はタツノオトシゴだ。固い殻が破れずクチバシでつついていたカモメが10メートルほど舞い上がると、タツノオトシゴを上空から岩の上へ落とした。カモメは何度も繰り返していたが、ついにあきらめそのままグッとクチバシを持ち上げてタツノオトシゴを飲み込んでしまった。
砂浜にはすっかり白くなった小さな骨が散乱していた。イルカのほかにペリカンやハゲワシのものらしい中空の骨が混じっている。
イルカの骨は手に取ると見た目よりずっしり重く存在感がある。脊椎の骨は磨かれたオブジェのように美しくなめらかな曲線を描き、指でなぞるとイルカのしなやかなハートが伝わってくるようだ。
いくつかの骨を拾っているうちに、僕はこの骨を集めてイルカの骨格を再現してみようという気になった。根気強く砂浜を歩き、3時間くらいかけて相当数の骨を拾い集めた。集めた骨はおおよその見当をつけて砂浜に並べていった。小さな歯の残ったアゴの骨、ヒレの関節、長く伸びた肋骨、小さなものから大きなものへときれいにつながってゆく脊椎骨、ドルフィンキックの力を伝えるしっかりとした尾ビレの骨・・・。
そうして出来上がった骨格は、体長1メートルほどの子イルカのものだった。
波のおだやかな入江のなかでイルカは子育てをしていたのだろう。しかし何らかの理由で幼くして死んでしまった子イルカがこうして砂浜に打ち上げられ、ハゲワシなどに喰われ、さらに白骨化してゆくのだ。
僕はふと思った。この子イルカの骨をこのままここで風化させてしまうより、日本へ持ち帰って眺めることでイルカの住む海へと想いを馳せることができたらどんなに楽しいかと・・・。
そう思うと僕は美しい形をした小さな脊椎骨を選び、丁寧にハンカチに包んでキャンプ地へと持ち去った。

僕が胸になにか重たいものを感じ始めたのはそれからだ。
どういうわけか急に身体も気分も重くなり、夕食を食べる気もしない。
夕暮れから吹き始めた風はどんどん強さを増し、砂粒を巻き上げてテントに吹きつける。僕は日が暮れるとすぐテントのなかでぐったりと横になった。しっかりと張り綱を張ったテントはびくともしないが、外は一晩中激しい風のうなりが響き続けた。
その夜、僕は悪夢にうなされた。
夢の内容は想い出せない。しかし激しいうなりのような怒りがその夢を覆っていた。長く重い、寝苦しい夜だった・・・。
目覚めたとき、まだ胸に重たいものを感じながら僕は漠然とした夢の印象をふり返っていた。
子どもを失ったイルカの母の悲しみ、砂浜に眠る幼いイルカの骨、そして持ち去られた骨・・・。
ただの夢だろうか・・・。
昨夜の風はすでにやみ、外は雲ひとつない青空だ。
しかし僕の胸はまだずっしりと重く、さわやかに晴れ渡った空がまるでニセモノのように感じられる。持ち帰った骨を包みから取り出してじっと眺めてみた。この骨はなにかを語ろうとしているのだろうか・・・。
しかし僕には何も感じられない。感じるのはただ漠然とした胸の重みだけ。
そして目の前には白くて小さい脊椎の骨があるだけだ。
やはりただの夢だろうか・・・。
自分のなかでなにかがぶつかり合っている。
”この骨を海へ返そうよ”
”でも何故?”
”母イルカが怒っているよ”
”そんな馬鹿な!”
結局、僕はその骨を持って再び昨日の砂浜へ向かうことにした。

昨日並べた骨格は満ち潮の波によってバラバラに散らばっていた。
僕は持ち去った脊椎骨をハンカチの包みから取り出し、砂の上にそっと置いた。本当に美しい骨だ。
”骨は返すよ。この子が平和な眠りにつけますように・・・”
そっと手を合わせ、心のなかで祈った。
遠く海と青空がつながる水平線に目をやると、すうっと胸が軽くなった。驚くくらいあっけなく気分が晴れてきた。
潮風が頬をなで、海はまぶしいくらい青く輝いている。
この海の彼方に生きるイルカたち、そして子を失った母イルカの深い愛情を想った。