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 白っぽく乾いた砂と瓦レキの半砂漠にぽつりぽつりと茶色の枝だけが伸びる低木が生えている。どの木も鋭い刺を持ち、昼間の気温は30度を越すというのに木は冬枯れカサカサに乾いている。それは生命の息吹の希薄な不毛の荒野を感じさせる光景だ。
荒野の夕陽 バハカリフォルニアの大部分はこんな光景が延々と続く。雲ひとつない青空には太陽が強烈に照りつけ、巨大な岩山が昼夜の気温差で砕かれ徐々に瓦レキに、そして砂になってゆく。半島を縦断するとその変化を目のあたりにすることができる。

 この不毛の荒野ももう少しよく見るとまた違った姿を見せてくれる。
 どこでもいいから一度立ち止まって荒野をゆっくり歩いてみると、地面にはあちこちに直径5センチくらいの穴があいており、その周辺には1センチほどの丸い糞がたくさん転がっている。糞は繊維質の固まりだ。おそらく草食性の小動物のものだろう。時たま「チュッチュッ」というリスの声が聞こえる。
 ひょろりと伸びた刺々しい枝の先に赤く深いツボ型の花を咲かせているのはイドリアだ。すこし離れてその花を見ているとやがてハチドリがやってくる。光沢のある小さな緑色の羽を巧みに使ってバランスを取り空中に停止したまま蜜を吸う。
 深い花の底の蜜を吸ったハチドリはその長いクチバシにたっぷり花粉をつけて次の花へ飛んでゆく。
デザートフラワー さらに足元に注意してみると処どころに白っぽい荷造りロープのような細い茎を頼りなげに伸ばす植物がある。その先端にはとても小さな、しかしこの砂漠に接する海のように深い碧色をたたえた花が風に揺られて微かに揺れている。その姿はこの乾燥した荒野で生命にとってかけがえのない水への深い祈りが込められているようだ。

 ここでは生命は非常に細い糸で結ばれているように感じる。熱帯雨林のジャングルが多くの生命の共生関係でムンムンするような濃密さを持っているのに対し、ここバハカリフォルニアでは水のほとんどない乾いた大地に生命はいかに進出し、自らの内に水を蓄え生き延びてゆくかということに懸命だ。サボテンは水を含んだ身体を守るために刺を持ち、その他の多くの植物も刺でその身体を守っている。植物は常に一定の間隔を保って生え、決して大地を埋め尽くすことはない。
 非常に限られた水で生きるここの生命にとっては生物間の共生よりこの乾燥した大地とどのように共存するかという問題が重くのしかかってくる。海に生まれた生命にとって砂漠はもっとも遠い場所なのだ。
 無機質の花こう岩が風化してできた大地にわずかの水だけで根を張るのは容易なことではない。何千年、何万年という歳月のなかでここには表土と呼べるものがまだほとんどない。しかしわずかずつでも植物の屍体はこの大地に土をもたらしている。適度の水分を含んだ表土ができることではじめて生命にとって快適な土地が生まれる。

 ここの生命は何万年にも渡って乾燥した大地に生命が根づくための足がかりをゆっくりと築き続けてきたのだ。
昆虫 しかしバハカリフォルニアも近年降水量が増えつつある。地球規模の気候変動やエルニーニョの影響と言われるが、この変化は砂漠に生きてきた生命に大きな影響をもたらす。多量の雨は緑を増やし水を含んだ表土が生まれ、荒れた大地は生命の気配を増すだろうか。それとも突然の豪雨がわずかばかりの表土を流し去ってしまうのだろうか。いずれにしろそれと引き替えに長い歳月のなかで独特の進化を遂げていった砂漠の生物は急激に姿を消し、希薄だが安定した独特の生態系は消え去ることになるだろう。
 そうして生まれる新たな生態系がどのようなものになるのか、それには我々人類がこの地球上でどのような生き方を選んでいくのかということが大きなポイントになるだろう。
 温暖化やオゾン層破壊など地球環境への人類の影響が問題にされて久しいが、我々は一度コンクリートの街を抜け出して木に触れ、裸足で土を感じ、静かに彼らの声に耳を傾けてみる必要があるのかもしれない。

 はたして私たちはまだ彼らの声を聴きとることができるのだろうか。

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