バハカリフォルニアにもごく稀に川が流れている。緑の樹林帯が回廊のように伸びているのを見つけたら、それは川があるという印しだ。 緑と水があればそこには美しい色彩を持った数多くの野鳥がやってくる。
河口の中洲にはペリカンやサギ、カモメ、シギ、チドリが群れを成す。彼らにとってそこは人間を警戒する必要のあまりない安全地帯なのだろう。 しかし木の実を食べる鳥たちはもっと人間に近い街に接する川沿いの低木を棲み家にしている。川沿いには自動車が通るたびに砂ぼこりが舞い上がるダートロードが作られており、ぼくは鳥の写真を撮るためにその道を何度も歩いた。
そうして毎日撮影をしていたのだが、あるとき鳥のあまり活動しない午後の時間にカメラを持たずに川辺でくつろいでいるとパサパサという羽音を立てて一羽のペリカンが目の前2メートルほどの河原に降り立ち、そのままクチバシを背中に載せた独特のポーズで居眠りを始めた。ペリカンを驚かさないようにじっと座っているとさらに一羽、もう一羽と合計五羽のペリカンが目の前で居眠りを始めたではないか。さらに近くの杭にはカワセミが止まり小魚を狙い、そのうえ手の届きそうなところで頭と胸が真っ赤な可愛らしい鳥(バーミリオン・フライキャッチャー)が公共の水道の蛇口に留まり、蛇口の先にクチバシをつけて水を飲んでいる。撮影をしているときと時間の流れ方がまったく違う。鳥たちもぼくもとてもリラックスしている。 そのまま1時間ほど川辺で鳥の姿を眺めていると、遠くから川沿いの道を歩く人の足音がかさこそ聞こえてきた。そうすると今までくつろいでいたペリカンのうちの1羽がむっくり起き上がり、辺りを窺いはじめた。そのうちもう1羽が起き上がり、ペリカンの間に緊張感が増していくのがわかる。近寄ってくる人の姿が見えたとき一羽は飛び去り、もうすべてのペリカンが起き上がっている。さらに2羽が飛び立ち、残った2羽のペリカンも目の端で近づいてくる人を追いながらいつでも飛び立てる体制をとっている。
そのときはじめてぼくは鳥たちの気持ちを自分の感覚として理解できた気がする。彼らが人間の近くで暮らしているのは人間が平気なのではなく、そうせざる負えない理由があるのだ。限られた緑の地を離れることのできない彼らは人間とのあいだになんとかギリギリの線引きをしているのだ。 ここの人たちは鳥に対してあまり興味を見せないようだ。ペリカンのような大きな鳥がいても、ちらっと目をやるくらいでそのまま通りすぎてゆく。それはここの人たちにとってペリカンは珍しくもないあたりまえの鳥だからだろう。しかしそれは鳥たちにとってはありがたいことだ。野性の生き物たちにとって無関心を装うということは互いに危害を加える気のないことを示す異種間の大切なコミュニケーション手段でもある。
私たちがその距離の感覚を自然に身につけることができたとき、自然は素晴しい神秘を私たちに見せてくれるかもしれない。 |