ありがとうあなた。「ラディゲの死」を書架に返してくれたのね。あの図書館司書なにか言っていなかった。・・・そう、大丈夫だったのね。それにしても、今日は日が落ちても少しだけ暑いわね。でも月はとても青くてきれい。ほらこのガジュマルの木の木陰に座っているとまるで違う空間に居るようにひんやりしているでしょ。そう。高い梢が屋根のように覆い被さって。しかも低い枝が横に太く張りだしているからまるでベンチのように、二人が二羽の鳥になったかのように並んで座ることができるわね。

 ここから見ると明るいあなたの家のリビングはいっそう明るく見えるわね。そうよわたしは、ずっとここから毎日あなたのこと眺めていたのよ。あなたはパソコンをいじっているか女の人に電話をしているか、本を読んでいるか寝ているかそのどれかだったわ。それにしても夜更かしぐせは良くないわ。人間として生きていくのなら体にはけして良くないわ。知らず知らずのうちに夜に生きる者たちと同じ性癖を身につけてしまうことを知っていた? そう、今ここでガジュマルの精の私と話をしていることだってもう、あなたがすっかり夜の世界の住人になってしまったことの証明よ。私を実在の女詩人だと思っていたなんてあなたもとんだうっかりものね。そりゃあそうよね。私が本当はどこに住んでいるかどんな風に眠るかなんて見たことなかったのだものね。

 え?そう、もう一つのお願いって何かって?その前にあなたに聞きたいことがあるの。私、きれい?私のこと好き?ええ知っているわ。あなたがついこの間まで他の女の人と一緒に暮らしていたことも。でもそのこととこのことは別よ。そうよキスしてもいいわよ。抱きしめても構わない。あ、あなたのお母さんがこっちを向いたわ。でも見えないのよ。ええ。あなたの家からはこちらは見えないわ。ただ1本のガジュマルの木が立っているように見えるだけよ。
 ああ、そんなに強く抱きしめないで息ができない。そう。私も好きよ。ずっと最初に出会ったときから。ねえ、もう一度そっと抱きしめて。あなたの髪思ったより柔らかくてオリーブの香りがするのね。キスをすると魂を交換することができるのよ。こんな月夜の晩にはね。ああ。素敵なキス。水の中で燃えている夏の太陽みたい。
 ええ、話すわ。話すわ。待って、ああそんなに強く抱きしめたままでは話せないわ。もう一つのお願いについて、説明するわ。

 おねがい、あなた。私の瞳を見て。まっすぐ。
 このガジュマルの木は最初から双子の精霊を宿す特別な木としてこの世に命を受けたの。にもかかわらず、精霊のかたわれである弟は死んでしまったわ。でも、私たちの宿命を思えば弟にとっては幸福な選択だったのかも知れない。なぜなら双子のガジュマルの木の男と女の精霊は満月の晩と新月の晩、はげしく睦みあい交合を繰り返して、その神通力によって人間たちが望んだ願いを叶え成就させるという神のつかわした聖樹としての使命を持っているの。でも、私たちは一度も交合を持つことはできなかった。実の弟だから交合することができなかったのではないわ。姉弟や母子で愛し合うのはガジュマルの精霊の世界ではごくあたりまえのことなの。私たちが交接の機会をもてなかった理由は弟があの図書館司書に恋していたように、私も人間の男を愛してしまっていたからよ。
 何度かそれでも、弟と交合しようと試してみたわ。おぼつかない青い性の萌芽をそっといたわるように慈しんであげたのよ。弟も私のふくらみをおずおずと愛撫した。でもだめだった。どうしても、それ以上先に進むことはできなかった。抱き合って泣いたわ。泣いて泣いて、情けなさに身を震わしてさめざめと幾夜も泣いたわ。私たちが泣いているのをあなた達家族から見えたかしら、それとも夜の木が強い風にあおられてうなり声を上げているようにしか見えなかったかしら。

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