通し番号「26」

「海辺のお祭り」

トリコロール


「東京の人でしょ?そういう感じがする、
一目見て、日本人の東京の人だと思った、
なんでかわからないけど、見ると分かるんだー、
日本人は日本人....って....」

おしゃべり

私はMと離れてから、ずっと一人だった。
こうしてHとサンデーを食べていると楽しい気持ちになる。

「ちょっと失礼。」と席を立ちギャルソンに尋ねると、それは二階にあって2フランを入れるとドアが開く仕組みになっていた。
戻ってHに2フラン入れるんだよ、というと、「えー男は無料だよ」

ピンバッジをテーブルの上においていく人がいた。
「これは寄付金集めなんだ、ほっとくと回収していくからほっておこう」
しばらくすると回収に来た。テーブルによってはバッジを貰ってお金を渡している。
「チップチップって言うけど、いろんな奴に聞いたら払えるときに払いたいと思ったら払えばいいみたいだよ、チップは」と、いろいろ計算している。私は私の分を払って、Hは「今日はチップを払わない・・・と思ったけどやっぱりこれだけ払う」などと言って
「パルドン!」
と言った。フランス語っぽくて、ちょっといい。

Hは言葉を勉強してきた様子はないが、一週間ニースにいて、その場で最低限必要な伝達方法は習得した、みたいな感じがあった。
私もスペインに入ったらそういうふうになれるのかなぁ。

道を歩いてると横断幕があり“7月14日”などと書いてある。
なんだろうね、と言い合ううち、「お祭りだ!」と気付く。
7月14日はフランスの革命記念日だったから、いまは街中お休みだけど、
それは夜のお祭りのためのお昼寝なのかもしれない。

お祭りまでこのままいようと思ったが手ぶらになりたくなり、一度ユースに戻ることにした。
私は一万円分のフランを持ってると思うと、イタリアのお金不足の不満の反動か、気が大きくなりユースの自動販売機でコーヒーを買う。
Hは買わないでお金を節約している。

一旦部屋へ行って、眠る準備をしてから、ロビーに行き、また二人で外へ出た。

街がお祭りになっていた。

マティス美術館のそばでサルサ音楽のライブがあるので行こうか、などと昼は思っていたけれど、街が楽しくなりそうだったのでとりあえずご飯を食べることにした。
レストランはあまり開店してなくて適当なところに入ったら、食事は余りうれしいものではなかった。ワインは安いのでうれしい。Hはお酒に弱いのだがお祭りだからちょっと飲みたいと言って、飲んで赤くなって、徒然と話しつづけている。

店を出て、海までいくと、人がいっぱいいた。
「一週間もニースにいるのに、こんなことはなかった!きっと花火だ!」
と言うので砂利浜に座って海を見ていると、
真っ正面に青・白・赤の花火があがった。
それからはいいかげんなあげ方で
煙のかげに花火があるという感じで、雨の日の花火のように全然見えない。
でも皆、とくにこどもは「うゎぁ〜」と言って喜んでいる。
「日本の方がよい」などと話しているうちに、本当に見えなくなってきて皆もブーイングをはじめ、それからしばらくすると、改善されて花火が見えるようになった。
ちょっと寝転がってみると花火が降ってくるみたいだ。
「イタリアの人って皆ミケランジェロの彫刻みたいでおもしろい。」
「あ、彫刻系」
などど、きれいなこどもを見て笑ってるうちに、
終わりの時間が来たから全部打ち上げるぞ、という感じで、空が急に、とにかく勢いよい華々で埋まって、打ち上げ終わり、おもしろかった。

広場ではスパイスガールズのコピーなどのライブをやっていて、すごい数の観衆がいた。しばらく見ていたけれどドラムの感じが好きでなかったし、
門限が12時なので帰ることにした。
帰り道は店が全部開いてて、もっと遊んでいたい気がした。
でも疲れたし、安宿なんだから仕方ないよ、とパンを買って、帰った。

シャワーも12時までというので慌てて浴びて、部屋へ行くと
たくさんの荷物に、私一人しかいなかった。
どうしてなんだろうと思うと、
1時過ぎにアメリカ人が戻ってきて
“今日だけは門限2時よ”
一瞬、再び街へ、と思ったが、これから一人で出るのもな、と眠ってしまった。

ユースがくれた紙のシーツはHに聞いていたとおり寒く、朝早く目が覚めた。
Hがビーチは寒くて汚いよと言っていたが、歩いて5分だし、行ってみた。<続く>

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