通し番号「22」フィレンツェ

「観光!」

サイズが大きくなってしまい、すみません


宿代は朝食込み。階上の食堂にはテーブルがいくつか並んでいた。誰もいない。私が座るとコーヒーと丸いパンを一つ、宿の人が持ってきてくれた。パンは美味しくなかったけれど頂いて、外へ出た。

荷物を駅の預かり所へ預け、切符売場へ行く。
ジェノバに泊まるつもりだったが、お金の不安があるのでフランス行き夜行電車にユーレイル・パスで乗って、一夜を過ごすことにきめた。

フィレンツェの切符売場には旅行者がうじゃうじゃいた。
大きなバックパックをしょったまま床に座り込んでいるみんなは、両腕がだらんとなり、座るというよりも鞄の重さに耐え切れず床に吸い付けられているみたい。
番号札を取って、予約を取るのに一時間ぐらい待ったのに、
フランス行きの夜行はパスだけ持っていれば乗れるという。
でも、まぁ、必要だったピサPISA行の切符を買った。

それから日本に電話した。
昨日ATMで使えなかったカードの番号と、暗証番号を入れ、電話番号を押すと繋がったので、カード自体が無効になったわけではないらしい。

フィレンツェでの最大の目的はウフィツィ美術館にあるボッティチェルリの春。
そこへ真っ直ぐ行こうと思いながら、途中のドゥオモに立ち寄ってしまう。建物の中は本当にひんやりと涼しい。そこを出て途上、ATMでカードを試したが、カードは相変わらず“読めない”。それで2個所の両替所でカードを試してもらったが駄目だった。仕方がないので5千円のT/Cをリラに替える。

ウフィツィに着いたのは12時過ぎで、そこにも長い列があった。
入れたのは1時過ぎだった。プリマヴェラは、思ったよりも鮮やかではなかった。それでも頬の色などは見事だ。
一つだけ厳重な見張りのいる部屋があった。確か八角形で壁はビロードの赤だった。そこに美しい男の子の肖像画があり、それを見て私は鳥肌が立った。
ラファエロの絵だった。
結果、ウフィツィで好きだった絵のほとんどはラファエロのものだったので、ラファエロの美術館へ行けばよかった、と思ったところで閉館時間が来た。

バスに乗ってミケランジェロ広場へ向かった。
途中よれよれのおじいさんが乗ってきたので席を譲った。おじいさんはなかなか座ろうとしなかったが坂を登り始めるとよろけてしまって、やっと席に座った。おじいさんは、“ありがとう”といって、また何か言ったが私はよく理解できなかった。

広場に着いたので、バスを降りると、直射日光はとても暑い。
街はオレンジがかった煉瓦色の丸い屋根屋根、緩やかな川と遠くの山、そして青い空があって、素朴に美しい。私はスケッチブックを出して景色を描いてみようとした。でも自分の下手さが嫌になってしまい、やめた。PISA行の電車までに時間があるので、駅まで歩いていくことにした。広場から街へ降りていく。木陰は涼しい。歩いていると、楽しい。
アルノ川にかかるヴェッキオ橋を渡り、石畳の町中を歩く。建物の背が高くて狭い道はすべて日陰。人が余りいない。人がいると“ボンジョルノ。”と言ってみる。すると相手も“ボンジョルノ”と言ってくれるが、私がイメージしていた(イタリア人の明るさ)の感じはない。やがて広場に出ると人がいっぱい。タバコ屋に郵便マークがついていたので中に入り葉書を預ける。

駅のカフェでご飯を食べる。並んでいる食べ物から、自分で好きなものをとればいいだけなので、言葉を使わなくても済む。パスタなどをとって最後に赤ワインを自分で注いでレジに行く。お金を払って、あいている席にすわる。この二日ではじめてのまともな食事だったが、作りおきのパスタはあまり美味しくなかった。

食べ終えて、ピサ行きの電車のホームを探す。
それは(離れ)といった場所にあった。 <続く>

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