■冨田恵未ちゃんの場合   album.gif (3626 バイト)

冨田さんは函館在住のご家族です。冨田さんのご主人は乳業会社の勤務で、我が家の近所のスーパー三徳でもヨーグルトが買えます。家のベランダから写した写真を見るとまるで大きな公園のようなすばらしい環境で、排気ガスと騒音の中で暮らしている我が家から見るとうらやましいです。津軽海峡を隔てて青森も見えるそうです。


→患者
→患者の家族
→発症前の様子
→発症の経緯
→医療機関との協力
→現在の状況
→アドバイス
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【患者】

冨田恵未(とみた えみ) 1985/9/1生まれ 女子
身長120.2cm 体重22kg (97/10計測)

【患者の家族】

父、母、姉、祖母、本人。それにネコのクレオとパトラ、犬のシーザー。年の離れたお姉さんが、インターネットやパソコンのコーチです。

【発症前の様子】

赤ちゃん時代

 1985年9月1日、函館市内藤松産婦人科医院にて出産。3510g普通分娩、正常児でした。
 定期検診ではいつも順調に育っているといわれました。4ヶ月で離乳食の開始、7ヶ月頃よりつかまりだちができ、1歳の誕生日にはヨチヨチ歩きができました。2歳の誕生日には完全にオムツがとれ、アヒルさんの便器がいつのまにか使用済みになっているものだから「お尻を拭かないとだめでしょ!」と、よく叫んで追いかけました。

【発症の経緯】

幼稚園での悩みと戸惑い

 近くに小さいお友達がいないので2才半で季節保育園に入園。けっこう積極的に通園しておりました。が、3歳近くになると多動的行動が目立ち、目が離せなくなりました。また、これと並行して、奇怪な行動も始めます。目につくもの、手に触れるものを口にし、あげくは飲み込むという行動です。10円玉、5円玉、ナット、鋲など……。そのつど青くなって救急センターに駆け込み、レントゲン写真を撮ったり、何日もかけて便を調べなければなりません。チック症のように、常に下顎をなめ続けるため、赤くただれてしまうということもありました。
 3歳のときに、西旭ヶ岡貴愛幼稚園入園。ここでも多動行動のため、先生や周りのみなさんに迷惑をかけ通しでした。たとえば、一人で園を抜け出して、児童公園の滑り台で遊んでいる、といったことです。そこで7ヶ月で退園させ、南北海道教育センターの指導を週1回受けることになりました。当時は、こういった問題行動は家族に原因があるのではないかと思い、悩んでいました。恵未は、姉とも15歳も年が離れ、大人の中のただ一人のおチビちゃんなので、みんなにとてもかわいがられていました。それがかまい過ぎになっているのではないか、などと考えていたのです。教育センターの指導の結果、「自閉症ではないが自閉的」ということで統合保育園を進められました。この頃既に歩行に変化があり、ツン、ツンと前にのめっていくような感じがありましたが、あわてているせいだろうと、それほど気に留めませんでした。また、寝付きが悪く、午前2時ごろまで寝ないことが頻繁にあって、親を苦しめ始めます。

最初の発作と確定診断

 4歳の4月より海の星統合保育園へ入園しました。1週間の午前保育の期間を終え、今日から一日保育が始まるという朝、恵未が初めての発作を起こしました。顔面の痙攣と、エビ反りです。1分以内でおさまり、救急車で市内の五稜郭病院へ運ばれましたが、院内で再び発作を起こしました。これも1分程度の長さだったのですが、全身がチアノーゼになり、熱を計ると39度もありました。
 このときの熱の直接の原因は扁桃腺炎だったのですが、脳波、CTなどの一連の検査を受けた結果、将来てんかん症状がでてくる可能性があるので、抗痙攣剤を服用することを奨められました。テグレトール200mgを1日2回(朝・夕)服用することにして1週間で退院しました。
 ところが、退院後、朝目覚めて立ち上がろうとすると尻餅をつき、歩き出すと後ろに下がるといった状態になり、市内にある脳神経専門医を受診することにしました。脳波、MRI、CTの結果、脳の酸欠状態と診断され、このまま様子を見るより仕方ないと言われて写真だけもらって帰宅しました。そこで今度は直接北大の脳外科に受診予約を入れることにしました。8月から1ヶ月検査入院した結果、異染性白質ジストロフィー(MLD)と診断され、現代医学では治療法がないことを告げられます。診療科も脳外科から脳神経内科へ移りました。このとき、本人、両親のDNAも調べましたが、解明できない遺伝子はあるが、MLDとはっきり証明できる遺伝子は見つからない、ということでした。ASA活性値は、父90、母100、恵未5でした。

【医療機関との協力】

頻発する発作の恐怖

 5歳の誕生日は北大で迎えました。先端治療として骨髄移植も検討しました。しかし、家族のHLA型を調べたところ残念ながら適合がなく、当時失敗例が多かったことから北大も骨髄移植には乗り気ではありませんでした。そのため、年1度くらいは検査のために通院するということにして、退院しました。
 11月に2度目の発作が起きました。やはり1分くらいと長く、エビ反りがありました。原因は風邪でした。私立函館病院へ救急車で入院、2週間で退院しましたが、歩行が明らかに悪くなり、歩くときに右足が外側に向く足運びになってしまいました。また、37.2〜6度の微熱が常にありました。
 12月に急性肺炎になり、3度目の発作を起こしました。尿に細菌がみつかり、本人も何度も尿意を訴えました。このころから、脳波にてんかん特有の波形が出るようになりました。12月末に退院しましたが、翌年1月には4度目の発作で2週間入院。このときは微熱はあるものの細菌検査に異常はなく、原因は不明でした。3月には5、6、7度目の発作を起こします。最初のころは38度前後の熱がきっかけになっていた重積発作ですが、この頃になると37.6度で起きるようになってきました。テグレトールの服用は続けていましたが、発作を防ぐことはできず、一方で、その副作用のせいか常に眠気のある生あくびをし、ぼんやりとした無気力状態であるように感じました。

進行する症状と障害

 この頃、言葉の面では、聞いた言葉を繰り返す、オウム返しになってきました。歩行は、介助してようやくという状態で、車椅子が必需品になりつつありました。
 5月に北大にあらためて検査入院することになりました。前回に加えて膀胱と腎臓の検査を行いました。尿意を訴えるのでトイレに行くのですが、行くと出ない、ということを繰り返すようになったからです。検査結果は、少量の尿が入るだけで膀胱からおしっこがしたいという指令が出て、無理にりきんでしまうため膀胱がハート型に変形している、ということでした。そこで、その後はカテーテルを使って母親があらかじめ決めた間隔で導尿することにしました。前回入院したときより、言葉もグーンと少なくなりました。
 北大に入院中に風邪をきっかけに発作を起こしてしまいました。38度の熱が出ました。テグレトールの効き目が見られないので、アレビアチン100mlも加えることにしました。1週間後の検査では血中濃度がアレビアチン10.5、テグレトール3.1となり、この時点でテグレトールの服用をやめました。
 一ヶ月後に退院しましたが、立ち上がろうとすると尻餅をつき、左側に崩れる感じで、バランスがとれなくなりました。

発作との闘いの日々

 6歳になったばかりの10月に、市立函館病院小児科を受診した際、アレビアチンの副作用が強く、元気がないということで、抗痙攣剤を一時ストップすることにしました。しかし11月、37.6度の熱で9回目の発作。原因不明のまま1ヶ月入院した後いったん退院しますが、1週間後に再度発作のため入院。このときも前回同様原因不明の炎症反応、微熱があり、それを抗生物質で抑えていました。年末であることもあって今度は2週間で退院。しかし、新年早々、顔面痙攣、からだ全体が飛び跳ねるような感じの痙攣、全身チアノーゼといった激しい発作を起こし、それが45分間も続き、その間生きた気がしませんでした。1月2日早朝、おでこに水膨れが出て、いままでの原因不明の微熱は、水痘だったことがわかりました。抗生物質を使って症状を押さえていたために、潜伏期間が長くなっていたのではないかと思います。このときからデパケンを300mg(1日2回)服用することにしました。3週間後に退院。

退行していく娘と向き合って

 6歳の4月に北海道函館養護学校小学部に入学しました。両親が一緒に出席して支えてやると、少しは立っていることができました。言葉のほうは、「オウム返し」だけでなく、親の言葉を先取りするという現象が出てきました。たとえば、(私)「これ…」(恵未)「なあに」、(私)「口に…」(恵未)「いれちゃだめ」といった具合です。それまで自分でかけていたボタンも、指が思うように動かなくなって本人もいらだち、当時着ていたパジャマのボタンは全て噛み砕かれてしまいました。また、物音に非常に敏感になり、少しの音にも飛び跳ねるほど驚き、家族は常に気を使わなくてはなりませんでした。からだの緊張もはじまりました。

骨髄移植への挑戦

 この年の7月に、国立八雲療養所の石川先生よりMLDの症状と違うような気がするので、検査を受けてみてはどうか、という電話をいただき、再検査を受けることにしました。1週間の検査入院の結果、やはりMLDという診断となり、骨髄移植の決意を固めて手続きをしました。8ヶ月の間に6人のドナー候補が見つかりましたが、実際に採血をしてチェックしてみると不適合ということになり、最終的には恵未の血液そのものになにかしら特殊な問題があるのでは、という結論で骨髄移植は断念しました。
 7歳になった恵未は凝視行動が目立ち、たとえばアニメを見ている内に視点が止まってしまうので、注意しなくてはなりませんでした。

抗痙攣薬の効果

 7歳ぐらいからは痙攣発作もほとんどなくなり、年に一度検査入院をした上で抗痙攣の服用を続けることで安定しています。脳白質の萎縮も、最初の頃は進んでいましたが、ここ数年は毎年、前年とほとんど変わらずと診断されています。6歳のときに1日300mgにしたデパケンは、7歳のときに350mg、9歳のときに400mg、10歳のときに450mgというように、血中濃度を調べながら、段階的に増やしています。脳波の中のてんかん特有の波形は年を追うごとに少なくなってきているのですが、やはり万一が心配なので一応服用を続けているという状態です。

【現在の状況】

症状の進行と安定

 発症後5年を経過した8歳になるころには、もう言葉の方はほとんど無く、問いかけ、話しかけには笑顔とからだ全体で感情を表すような感じでした。それでも親の目から見て、理解力の方はまだあると手応えを感じておりました。異常な動作としては新しく、首の横振りが加わり、よほど何かに集中しているとき以外は止まることがまずありませんでした。
 発作が続いていたころはすっかりダウンしてやつれた様子だったのに、9歳を過ぎて発作を起こさないようになると、少しずつ食欲も出始めました。のどにつまらせる心配から、ほとんどあきらめかけていた固形の食べ物も、おそるおそる歯の上に乗せるようにして食べさせるところからはじめて、けっこう普通に食べられるようになりました。新しい症状としては左腕をひっきりなしにバタバタさせる動作が加わりました。
 これ以降、病気は安定期に入ったらしく、目立った変化は見られなくなりました。12歳になった現在では、食欲もあり、顔色もよくなっています。

訪問教育

 6歳で入学した養護学校の訪問学習の1時間の間、集中を保つのはかなりきついらしく、先生が見えた日は夜になって熱を出すことも多く、しだいに休みがちになりました。しかし、発症後5年ほどで発作がでなくなってくると、体力も回復し、それまで数えるほどしか受けられなかった訪問教育の回数を増やし、1週間に2度、1時間くらいできるようになりました。基礎体力がついて、風邪の発熱程度では発作が起きなくなってきたのです。10歳のときには1泊2日の日程で宿泊研修に参加し、発病後はじめてプール遊びをしました。内心ドキドキしながらの参加でしたが、体調を崩すことはなく、親子共々はしゃぎまくってしまいました。11歳のときには修学旅行に参加。訪問教育は週3日になりました。先生とのふれあいは刺激になるらしく、出にくい声も頑張って出そうとしています。1998年3月には北海道函館養護学校小学部卒業。中学部に進んで、訪問学級で週3回、ほんとうは2時間のところを1時間だけ勉強してます。

最近の恵未の生活

 恵未の一番好きなことは,車椅子にのって家の中をぐるぐる回ること。次はディズニーのビデオを見ること。ディズニー物はほとんど見ています。それと、最近はアルプスの少女ハイジです。あとは、記憶に残っている歌を歌うと「うーうー」と声を出して自分も歌っているようです。
手遊びなどはほとんどできませんが、左右の人差し指を同じように出して動かしてはいます。食事のときはバギーで1〜1.5時間位かかります。あとは長椅子に横になってテレビを見たり、私と恵未なりの会話を楽しんでいます。

 以上、12才までの経過を、当時の記録と記憶をたどりながら書いてみました。元気とはいえ、進行性の病気には変わりなく、少しの目離しも許されない緊張感たっぷりの生活。もうでてしまった症状を取り除くことは絶対無理なので、上手につき合っていくことに神経を使い、試行錯誤を繰り返しながら新しい症状の出てくるときが少しでも遅くなってくれたらいいなぁと思いながら頑張ってます。

【アドバイス】

・春先に調子が悪いのは気圧のせいだと思ってます。寝つきの悪いときは、まずCold Hot Pach(袋の中にゼリー状のものが入っています)または冷たくしたタオルをナイロンの袋などに入れ、首の下にあててあげます。冷たくしすぎないように注意します。そして、100cc位の水分を寝る前に取らせるようにします。眠れないときはエスクレ(座薬)。けっこうきいて翌日もどろどろ。

・便秘は絶対禁物。突っ張りがひどくなります。

・風邪対策 (注:風邪をひいて熱を出すと発作につながり症状が進む)

(1) 家族の者は必ず外から帰ったらうがいと手洗いをして、それから恵未に接する。
(2) 部屋の湿度を50%から60%に保つ。洗濯物はほとんど恵未の部屋に干しました。
(3) 湿気のためのカビまたは雑菌対策としてデオメイトを蒸発皿に入れて、寝室のストーブの上に載せる。(一度沸騰させて置いておくだけでよい)
※ 洗濯物が黄色くなってしまうので、置き場所を考えるか子供のためと思って黄色下着を覚悟する!
(4) 夏場は日光浴のため、車椅子でお散歩。(けっこうしましてよ)

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