再びカサブランカへ


2001/2/17(土) 8日目

 
 今日は早めで、8時に出発。

 バスの進行方向は西なので、席は右側である。1時間以上走り、ヴォルビリスに到着する。ローマの遺跡だから、今回の訪問地の中では最古の遺跡ということになる。ここも世界遺産に指定されている。一体、何カ所の世界遺産に寄ったことになるのだろうか。マラケシュのジャマ・エル・フナ広場、アイト・ベン・ハッドゥ、フェズのメディナ、とここ、計4カ所。ちなみにモロッコの世界遺産は全部で6カ所。日本で8日間で4つの世界遺産を見るとしたら、どうなるんだろう?

ヴォルビリス ヴォルビリス

 まあ、それはともかく、ヴォルビリスであるが、広大なローマ帝国もこの地は辺境に当たっており、主に、オリーブの供給地として栄えたとのことである。時代は、紀元前40年。ローマの時代は、3世紀頃まで続くが、その後は、ベルベル人、イスラムの支配を経て、18世紀のリスボン大地震で崩壊する。その後、発掘され、現在も続いている。ちなみにモロッコでは地震はそれほど多いところではないらしいが、40年程前に南部で大きな地震があるなど、まったくない所ではないようだ。
 天気は例によって、とても良いが、ちょっと風が強く肌寒い感じがする。入り口すぐ右横の建物にコウノトリが巣を作っている。モロッコで、コウノトリはよく見る鳥である。
 現地のガイドさんに説明をうける。オリーブ油の抽出所、凱旋門モザイク、浴場、サロン、トイレ、大通り、などなど。

 ヴォルビリスからほんの目と鼻の先に、ムーレイ・イドリスがある。ここは聖地であり、メッカ巡礼を果たせないモロッコ人はここに巡礼に来るらしい。ここは、モロッコ最初のイスラム王朝のイドリス朝発祥の地である。マホメットの子孫のイドリスがメッカで反乱を起こしたが失敗し、逃げ延び、ベルベル諸部族の支援を受けて、この地で王朝を建てたのであった。それが789年のこと。その後、イドリス朝はフェズを都として栄えることになる。イドリス1世は、モロッコで一番に崇拝されている聖者でもあり、墓所もこの地にあるので、巡礼者が絶えないということなのである。

ムーレイイドリス ムーレイ・イドリス
 

 ここから、1時間もしないで、メクネスである。周辺には、オリーブ畑や果樹園が多く、メクネスワインの産地でもある。メクネスは歴史的にも重要な都市なのであるが、ここで観光するのは、マンスール門だけである。アラウィー朝のスルタンにより、18世紀に作れらた門である。北アフリカでもっとも美しいといわれている門であるが、今の時間は逆光で、その美しさはよく分からなかった。観るなら夕方の方が良いだろう。
 
 

マンスール門 マンスール門

 昼食はメクネスの展望の良いレストランにて。イカめしのタジンが変わっていて面白かった。

 その後は、高速道路に乗りラバトまで。120キロ制限なんだけど、バスの運ちゃんはとばす気配も見せなく、相変わらずマイペースである。
 

 首都ラバト。モハメッド5世の霊廟を見学する。モロッコのフランスからの独立は1956年であるが、その時の国王である。今の国王の祖父にあたる。霊廟の中を見学することが出来て写真撮影も出来る。
 また、霊廟の近くには巨大なハッサン塔がそびえ立つ。このハッサン塔は12世紀にムワッヒド朝のカリフによってたてられたものだが、未完である。高さは44mもあるが、完成すれば88mになったのだという。

国王廟 ムハンマド5世の霊廟

 
 最後に、ウダイヤのカスバで写真ストップ。18世紀に気性の荒い、ウダイヤ・アフブ族の軍隊が駐屯したのでこの名がついたとのこと。周辺で子供が遊んでいる。のんびりくつろいだ雰囲気である。

ウダイヤのカスバ ウダイヤのカスバ

 再び、高速道路に乗ってカサブランカを目指す。
 

 泊まったのは初日と同じホテル。夕食後、映画「カサブランカ」をもとに作られた、バー・カサブランカに行った人が多かったようである。あんまり、ぞろぞろ行くのも。。と思って我々は行かなかったが、それ以前に手持ちのお金がない。ドルを持ってきていないので、ディラハムとなるが、ディラハムは再両替できないので、使い切らないといけない。実際、うまいこと使い切ったので、これで買い物等はおしまいというわけだ。

 明日は、朝ものすごく早くいのだが、とりあえず寝る。
 
 

戻る進む


モロッコ旅行記目次旅ホームホーム