絶景のトドラ渓谷


2001/2/14(水) 5日目

 
  今日も、抜けるような青空、快晴、暑くなりそう、である。さっさと朝食を済ませる。レストランの横はプールになっており、その横で咲くブーゲンビリアの花がきれい。手持ちが少なくなってきたので、ホテルで5000円をDHに両替する。

 タウリルトのカスバで写真ストップ。ワルザザードの町外れにある。映画「シェルタリング・スカイ」でも出てきたところらしいが、記憶がない。第一、出来の良い映画とは思っていないし。ここの道路を挟んで向かい側が映画の撮影所かなんかになっている。

 今日の席は左側である。カスバ街道を東進するので、右側は南側なのである。案の上、道中ほとんど、日陰になり、ブラインドをおろす必要がない。カスバ街道は、ワルザザードからエルラシディアまでのルートの呼称である。この街道沿いに大小のカスバ、つまり要塞が、点在していることによる。乾燥地帯とはいえ、オアシスもあり、褐色の砂礫とナツメヤシなどの緑のコントラストが鮮やかだ。ツアーのバスは、エルラシディアまでは行かず、手前で右折して、エルフードに向かう。今日の移動距離もかなりのものである。

オアシスへ オアシスまで歩く

 次に、50ディラハムの紙幣の図柄になっているというカスバに立ち寄る。ここへは、オアシスの中を10分ほど歩く。なにも生えそうもない乾燥地帯に、緑があるのはやはり不思議な感じがする。アーモンドの花が満開状態である。桜の木のように見える。

 途中、休憩、写真ストップを挟み、トドラ渓谷に向かう。休憩所でバラ水などをおみやげに売っているところがあったが、日本語と思われる看板が珍妙である。バラ水?バラのオイル?バラ香水?
 

途中の街 途中の町で

 
 トドラ渓谷を観光するため、いったん、カスバ街道を外れる。

 途中の川で、たくさんの女性達で洗濯をしている。皆、バスの窓から写真を撮ろうとするが、
「撮られるのを嫌がってますよ」
と、添乗員氏。やはり、写真に撮られるのを好まない女性は多い。特に地方では。

 トドラへの途中

 バスが進行するにともなって、岸壁がせまってくる。また、標高も高くなっていく。
 トドラ渓谷には、午後1時を大きく過ぎて到着。左右両岸に圧倒されるような岸壁が迫っている。

 渓谷沿いのレストランにて昼食である。ここのタジンはおいしかった。三角帽子のような変わった陶器で、肉や野菜を煮込んだ料理である。

トドラ渓谷 トドラ渓谷

 昼食の後に、周辺を散歩する。レストラン周辺は完全に日陰になっており、肌寒い。渓谷の奥の方にしばらく歩いていくと、日に照らされた岸壁群が見えてくる。行ったことはないが、まるでグランドキャニオンのような感じである。
 さすがに名所ということで観光客が多い。同時に物売りも。と、陽気に話しかけてくる現地のおにいさんがいる。英語でなんか言ってる。
「おまえは、○○に似ている」
「?」
発音が違うのですぐに分からなかったが、相棒が、
「ジャッキー・チェン」
と言っていると笑っている。どこが、ジャッキー・チェンやら。彼らにとっては、一番有名な東洋人なのか?

 出発するときに、進行方向左の岸壁でクライミングをはじめる人達がいる。傾斜はきつくなさそうだし、ホールドも良さそう。こういうところで登ってみたいものだ。

 出発して、しばらくバスが進んだところで、一旦停止する。なんだろうと見てみると、バスの運ちゃんが、ロバを連れた年配の人に、何か包みを渡している。それを感謝して受け取って去ろうとする老人に、さらに、
「これももっていけ」
という感じでオレンジも渡している。添乗員氏によると、昼食で皆が残したものを運ちゃんが集めて包んでいたのだそうである。その時に、どうするのかと聞いたときには、
「いいから、いいから」
という感じだったのだらしいが、それは人にあげるためだったというわけだ。つまりバクシーシ(喜捨)。イスラム五行のひとつ。ちょっと感動。

 カスバ街道の戻る途中、20〜30台のキャンピングカーの行列。ドイツかどこかかららしい。添乗員氏は、
「ヨーロッパの人は、バカンスを一ヶ月以上もとって、、」
といかにもうらやましそう。全く、ドイツ人に生まれたかった。
 

 あとは、またひたすらカスバ街道を東進。エルフードを目指す。

 西日がきつくなり、夕日が美しい。道の両脇に直径1m程度の穴が並んでいるところがある。灌漑用の穴だそうだ。その穴の中を覗くために、途中停車する。落っこちないように気をつけて覗く。かなり深そう。

 暗くなって、エルフードの街に入る。エルフードも軍事施設の多い街である。アルジェリア国境が近いため、特に厳戒だという。モロッコとアルジェリアの仲は良くない。ベルベル人が多いイスラム国家という共通事項以外は、政体や国の成り立ちなどこの2国は随分違う。どちらもフランスが宗主国であったが、モロッコが緩やかな統治のされ方だったのに対して、アルジェリアは直轄地であり、宗教から言語まで制限をうけ、独立に際しては、多くの血を流した独立戦争を経験している。最近では、西サハラの解放組織ポリサリオをアルジェリアが支援していたりする。

 ホテルへの途中、「レストラン大阪」というのがあって、添乗員氏が、
「行かれる方がいたら、どんな感じか教えて下さい」
と言う。そしたら、実際行った人がいて、牛丼があったので、頼んだらあまりおいしくなかったらしい。

 今日のホテルも中庭にプールがある。明日は、砂漠の日の出見学。起床は4時である。
 
 

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