世界遺産の広場であわてる


2001/2/12(月) 3日目

 
 連泊ということもあり、今日も集合時間は10時とゆっくりだ。とはいっても、朝早く目が覚めてしまう。旅行中はほんと早起きになる。

 朝食後、周辺を散歩する。昨日の夜に歩いた感じとは全然違う。今日も天気がすこぶる良い。
 歩いていると、中学生かなんかの集団に、
「ジャポン!」
と声をかけられ、握手を求められる。ちなみに日本人観光客は珍しくない。何度か同じような団体に遭遇した。

 全日マラケシュの市内観光である。今日の現地ガイドは日本語を話す。添乗員氏によると、日本語を話せるガイドは少ないらしい。この陽気なおじさん、たまに冗談を交えながら、説明をしている。

 クトゥビアのミナレット

 はじめは、クトゥビアモスク。ここの高さ65mのミナレットはマラケシュのシンボルで、市内各所から、見ることができる。12世紀にムワッヒド朝の王によって建てられた。ガイドは、
「だんご3兄弟」
とかいって、ミナレットの上にくっついている3つの玉を説明している。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を意味するのだそうだ。
 モロッコのイスラム王朝の起源は、アラビア人の到来とともに始まる。マホメットの子孫イドリス1世により、最初のイスラム王朝イドリス朝が8世紀にフェズに起こった後、11世紀にムラービト朝が起きる。ムラービト朝はベルベル人の王朝で、スペインのアンダルシア地方も支配下に置く。ムラービト朝は首都として、マラケシュを建設したのだ。その後引き続き、ムワッヒド朝が取って代わり、同じくマラケシュを首都とした。13世紀に入り、マリーン朝がムワッヒド朝を倒し、フェズを首都とする。マリーン朝の後、サアード朝、現王朝のアラウィー朝と続く。

 で、次の見学地は、サアード朝の墳墓群。モロッコのイスラム王朝は、マラケシュとフェズを行ったり来たりするが、サアード朝は、ここマラケシュを首都として、16世紀から17世紀にかけて栄えた。その歴代のスルタンが葬られている墳墓群である。これらはアラウィー朝によって、まわりを壁で囲まれて隠されてしまっていたのだが、20世紀のはじめに、再発見されたのであった。
 狭い通路を通って、中に入る。ヨーロッパからの観光客も多く、墳墓の中の装飾を鑑賞するのに渋滞している。墳墓そのものよりも、建物外部の装飾や庭の緑が目に映えて、素晴らしかった。猫がのんびりひなたぼっこをしている。

 バイヤ宮殿。豪華な部屋と庭があったような気がするが、いまひとつ印象が薄かった。鑑賞時間が短かったせいもある。あと、内部は暗いので良い写真が撮れなかったということもある。やはり、あちこち連れ回されると、1カ所の印象が薄くなるというのは否めない。

 このあと、おみやげ物屋攻撃、第一弾。香辛料屋に連れて行かれる。狭い店内に40人も入ると窮屈だ。周囲には所狭しと香辛料が並んでいて、臭いがぷんぷんする。途中で、具合が悪くなって出ていく人もいた。
 日本語が結構流暢な、店のおじさんが説明する。
 魚料理用香辛料、タジン用香辛料、サフラン、その他香辛料、バラクリーム、しわに効くアーモンドクリーム、ヘンナ(染色料)、口紅、モロッコのバイアグラ?、エトセトラ、エトセトラ。
 おまけに、
「2個買ったら1個サービス」
ということで、いろいろと買う人がいた。値段的に確かに安かったのだが、我々は買わなかった。しわに効くというアーモンドクリームがよく売れていた気がしたが。

 このあと、いったん、ホテルに戻って昼食をとる。
 

 昼食後は、メナラ庭園から。完全に連れ回されているだけなので、これはいかんということで、地図を追っかけ、自分の行く方向を確認する。庭園は町外れにある。12世紀のムワッヒド朝時代に作られたもので、まわりは、オリーブの林。遠くに明日越えるアトラス山脈が見える。広いオリーブ林はいい感じなのだが、日差しがきつく、暑い。

オリーブの林をぬけて オリーブの林をぬけて

 さて、あとはメディナ(旧市街)の散策だ。といっても、皆離れないように、ぞろぞろと列を作って。こんなにたくさん連れて、添乗員氏、現地ガイド氏も大変である。狭い路地をバイクが走ったり、荷物を積んだロバなどが歩いているので、結構気を使う。写真もゆっくりと撮りたいのだが、つかず離れず歩きながら、しかも、現地の人に写真を嫌がられることのないように気を使いながら撮ってたら、つまらない写真ばかり。
 添乗員氏は、
「写真は撮って構わないですが、人を撮る場合は、確認してから撮って下さい」
と注意をしていた。イスラム圏では、写真は一般的には嫌われることが多い。「撮って、撮って」のインドとは事情が違う。写真自体は、後で行くフェズのメディナの写真のほうが出来がよい。でも、メディナ自体の猥雑さはこちらの勝ち。においとかほこりっぽさとかも。
 

 そんなこんなで、2時間ほどメディナの中を歩き、ジャマ・エル・フナ広場に到達する。ここで、30分ほど自由行動となる。
 解散直後、財布売りのおばさんが、2人やってきて、売りつけようとするが、興味もなく、いらない、いらないやってたら、すぐにあきらめて去っていった。遠くに去っていくときに、何か意味ありげににやにやして去っていったので、はっとして、ポケットを探ると財布がない。
「やられた」
と思う以前に、体が条件反射的に駆け出している。そばにいた相棒によると、
「とてつもなく、速く走っていった」
らしいが、本人はよく覚えていない。すぐにおばさんをとっつかまえて、問いただした瞬間に思い出した。
「そうだ、財布は別の所にしまってたんだ。。」
おばさんは、えらい剣幕で怒っている。平謝りに謝る。ごめんなさい。いやあ、もう、恥ずかしい。暑さで頭が呆けてる。

 気を取り直して、広場の周辺を歩くが、なんかどっと疲れてしまい、物売りもしつこいので、広場を見渡せる屋上のカフェでのんびりすることにした。コーラを飲みながら、広場を眺める。西日がきついが、とてもいい眺めだ。世界遺産の広場。

ジャマ・エル・フナ広場 ジャマ・エル・フナ広場

 
 夕方にホテルに帰ると、洗濯物はすっかり乾いていた。

 夜はファンタジアショーを鑑賞しに、マラケシュの郊外のシェ・アリレストランに連れて行かれる。夕食もそこでとることになっている。夜の8時に出発。レストランは郊外どころか、街からかなり離れた何もない所に忽然と姿を表した。ふと、インド版「日光江戸村」を思い出す。

 門の前には、観光バスが何台も停まっている。一体いくらお金をかけたが知らないが、観光客向けとはいえ、かなり豪華な施設に見える。民族舞踊の格好をした、人々(地元の村のアルバイト?)に迎えられる。
 なんか、おざなりに歓迎してる人がいる。やる気あるの?って、こっちもあんまりやる気がないのだからしょうがないか。

 食事はモロッコ料理の代表格のクスクスをいただくが、あまりおいしくない。添乗員氏の予告どおりである(全く、正直な添乗員氏なのであった)。蒸したつぶつぶの小麦の中に煮込んだ野菜や肉が入っているという料理である。ついでに言うと、モロッコ料理のスープはハリラと呼ばれるスパイシーなものである。このハリラも場所によって、味がずいぶんと違ってて面白い。
 民族音楽の集団が何度も何度もやってきて、お前も踊れと、触られたり、頭をなでられたりするので、ゆっくりと飯も食えない。

ファンタジアショー ファンタジアショー

 さて、飯も終わり、ハイライトのファンタジアショーである。観覧席の一番手前に陣取り。とくと拝見させてもらう。が、これが期待ハズレ。
 唯一迫力があったのは、騎馬隊が直前の柵まで駆けてきて、急停止し、天に向けてライフルを発砲するところ。馬ってやつは、あんなに急に停まれるんだ。感心。
 それ以外は変にちぐはくというか、未熟というか。音楽が結構ヘンだったり。「ダースベイダー」のテーマがかかったときはのけぞった。騎馬のアクロバットもあんまりたいしたことないという感じだった。体育の体操みたいに腕立て伏せする演技には相棒とともに思わず笑いが出た。添乗員氏によると、一応、何かのストーリーに従っているらしいのだが、なんだかよく分からない。最後は、なんか、火文字のメッセージが出て出演者一同行進して終わり。いったい、なんだったのだろう。

 ホテルに戻ると、もう12時近くである。明日は早立ちなのに、こんな夜遅くなるなんて。ハードだなあ、もう。
 
 

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