カサブランカは大都会


2001/2/11(日) 2日目

 
 7時前に起床。夜中に目が覚めることが数度。9時間の時差はなかなか吸収できないみたいで、このような日々が数日続く。昨日は真っ暗でよく分からなかったが、窓の外を眺めると、ホテルは街の中心街にあることがわかる。

 朝食は、いろんなパンとサラダ、卵など。簡素なバイキング形式。モロッコのホテルではずっとこういうスタイル。飲み物は、脱脂粉乳みたいな牛乳?とジュース、コーヒー、紅茶などがある。サラダ、卵があるのはわりといい方らしい。

 ツアーの朝は、出発時間が9時の場合、モーニングコール7時、荷物を部屋の外に出すのが8時までという感じになる。もちろん、荷物は運んでもらうのである。ポータへのチップは添乗員氏がまとめて払う。ちなみに、ホテルで個人の出すチップはまくらチップのみということになる。とても楽。
 今日は昨日の到着が夜遅かったということもあり、出発は10時とゆっくりになっている。

 朝食の後に、ホテル周辺を散歩。天気は良いし、あんまり寒くない。近くの公園でのんびりすごす。青年達がサッカーをしている。走っている人もいて、大都会のふつうの朝という感じ。アフリカを感じさせるのは、公園のナツメヤシ並木。イスラム圏であることを感じさせるのが、女性の服装である。トルコに比べてイスラムの戒律が守られているという感じだ。

 ホテル近くの公園にて

 モロッコの観光は、カサブランカの観光から始まる。
 モロッコのツアーは、団体20人毎に、現地ガイドが1人つかなくてはならないらしい。40人いれば、当然2人必要なわけだ。今回のツアーでは、最初から最後までついている現地ガイドが1人で、都市毎に別のガイドが1人ついた。また、バスの運転手のおじさんがいるわけだが、彼には助手がいるので、結局、4人のモロッコ人がツアーに同行していることになる。

 さて、バスの出発とともに、添乗員氏の説明が始まる。モロッコについて。カサブランカについて。その中で、
「モロッコの広さは日本の2倍」
と言っていたのが気になった。これは、「西サハラ」を加えた広さである。西サハラを加えないと、1倍強というところだ。西サハラというのは、モロッコの南西部にある地域で、かつてのスペイン領サハラである。現在、正確には、モロッコが「占有」している状態。1975年に前国王ハッサン2世の呼びかけにより、「緑の行進」で35万人もの非武装のモロッコ人がスペイン領サハラに行進するという事件が起きた。このことが原因で、スペインはこの地域を放棄する。その後、西サハラは、南に国境を接するモーリタニアとモロッコが領有を主張することとなったが、今度は、西サハラの民族主義勢力(ポリサリオ)が激しく支配に抵抗し、その結果、モーリタニアが領有を放棄した。現在は、この地域が独立するかモロッコに帰属するかの住民投票を実施するということで、それがなされないまま現在に至っている。西サハラには巨大なリン鉱床があることから、その権益を巡る争いという要素もあるようだ。ちなみに、モロッコは、世界最大のリン輸出国でもある。今回の旅行中、山の斜面などに、
「サハラはモロッコのもの!」
とアラビア語で書かれたスローガンを見かけることになる。もちろん、アラビア語は読めないので、教えてもらったのだが。

 で、カサブランカであるが、人口はおよそ250万人。これに続く首都ラバトがおよそ90万人であるから、突出して大きな都市である。モロッコではもちろんのこと、北アフリカでも経済の中心的な都市である。
「カサブランカ」といえば、
「キミのひとみに乾杯」
のセリフの、大きな顔の人の映画が有名であるが、あれは、ハリウッドのセットで撮影されたものであった。カサブランカで撮影されたわけでも何でもない。ついでいうと、あの映画のイメージを逆輸入した「カサブランカ」というバーがあるぐらいだ。バスから眺めるとほんとふつうの大都会である。スカーフを巻いた女性とアラビア文字が目を引くぐらい。

 さて、はじめは、旧市街(メディナ)をちょっとだけ歩いた。添乗員氏によれば、カサブランカのメディナはたいしたことないらしい。ぞろぞろと40人も歩くのは、すごく目立つ。通行のジャマにもなるし。

 ハッサン2世のモスク

 次はハッサン2世のモスク。モロッコは正式名称、モロッコ王国であり、国王の権限の強い立憲王政の国である。ハッサン2世は前国王。亡くなったのは昨年。現国王がムハンマド6世。ハッサン2世の息子である。
 添乗員氏によると、この現国王、
「こんな大きく立派なモスクを作るぐらいなら、病院などをたくさん作った方が良かったのでは?」
というようなことを言ったらしくて、最近、とみに人気が高まっているとのことである。現国王に限らず、モロッコでは王様の人気が高いようだ。たいていの店やホテルには国王の肖像が飾られてある。
 さて、そのハッサン2世モスクであるが、確かに立派で巨大なモスクである。巨大なミナレット(尖塔)が天をつく。モロッコのモスクのミナレットは四角柱で1本である。モスクの形からして、トルコのとはだいぶ違う。海岸沿いにあるので、大西洋を臨むことができる。潮風に当たりながらのんびりする。日差しがちょっときつくなってきた。
 
 その後、海岸沿いを歩いた。高級住宅街のようで、駐車しているのも良いクルマが多い。モロッコで走っている車は、欧州車が圧倒的に多いが、韓国車や日本車も見られる。

 カサブランカは、観光する場所があまりないということで、午前中で観光は終わり。昼食は、国連広場すぐそばのレストラン。魚のフライがおいしかった。飲み物は、モロッコビール(30DH)。イスラム圏だが、アルコールには寛容である。そうはいっても、さすがに地方に行くと、レストランにアルコールをおいていないところが多いようだ。

 午後はマラケシュまでの移動である。車窓の風景を見ているとアフリカという感じはしない。畑や草原が広がり、春の花が咲き乱れている。モロッコは、気候としては地中海性気候にあたるが、南部にアトラス山脈が控えており、山向こうは乾燥気候である。今回の旅程は、マラケシュの後、アトラス山脈を越えて、東に移動した後、再びアトラス山脈を越えて、フェズ、首都ラバト、カサブランカという具合になっている。モロッコを左回りに一周するという感じだ。だから、かなりの時間がバスの中になる。

車窓風景 車窓風景

 バスの中で、日にあたるとすこぶる暑い。で、ブラインドを降ろすことになるのだが、そうすると、車窓の風景は見えない。ブラインドは、前後2席分の窓にかかるため、どっちかが、つらいということでブラインドを降ろすと、もう一方が割を食うことになる。例えば、車窓を眺めていたい時とか。実際、それで、我々の前の席の人がブラインドを閉めてしまい、景色を途中から眺めることができなくなった。相棒は不満そうであったが、まあ、しょうがない。それが、団体旅行というものだ。そういうこともあり、「左右どちら側が日の当たらない席か」を判断して席を確保する、というのが今回の旅行のポイントであることを悟る。
 
 途中、トイレ休憩を挟んでバスは南下していく。バスの運ちゃんというのが、後で分かるが、かなりの気分屋である。添乗員氏が気になるくらいにゆっくり走る。道は悪くないので、もっととばしてもという感じなのだけど。 
 トイレでは、チップが1DH必要である。さすがに人数が人数なので、トイレ休憩も時間がかかる。外でのんびり待っているが、日差しが強い。ただし、乾燥しているので、日陰に入ればとたんに過ごしやすい。
 

休憩にて 日差しは強い(看板はコーラ)
 

 夕方頃、マラケシュの街に入る。「赤い街」と呼ばれていることもあって、建物がすべて赤みがかっている。「ピンクシティ」のジャイプール(インド)を思い出す。

 「馬車に乗って旧市街まで散策する」というオプショナルツアー(1人10ドル)があったが、2人とも疲れていたので行かなかった。そのかわり、夕食までホテルの周辺を散策した。あたりは暗くなっているので、ちょっと、面白こわい気分。

 ホテルのロビーの売店で、絵はがきを買ったら、20DHちょろまかされた。細かいのがなかったので、100DHでおつりを求めたら、細かいつりをわたされたのだが、こっちが勝手に勘違いしたのが原因みたい。返し方が、「時そば」っぽくもあったけど。いかん、疲れている。

 マラケシュは今日明日と連泊なので、洗濯をする。ベランダがあるホテルなので、次の日にひもを張って干した。

 馬車に乗った皆さんは、満足だったようである。ジャマ・エル・フナ広場の屋台でカタツムリを食べたとか、勝手に腕にヘンナ(染料で女性の手の甲や腕に模様を書く)されて、金を請求されたとか。

 夕食は、ステーキであった。モロッコ料理は?
 
 

戻る進む


モロッコ旅行記目次旅ホームホーム