韓国旅行記 2日目その1
−天安 独立記念館−


12月3日

 朝7時に起床。今日の行き先は、天安(チュナン)の独立記念館。日韓の過去にこだわるわけではないけど、事実は事実としてちゃんと認識する必要がある。なあんて、まじめに書いたけれど、半分は観光気分である。地方に脚を伸ばすと旅してるなあという気分にもなるし。
 天安はソウルより南に80キロほど行った都市で、高速バスで1時間ほどの距離である。高速バスのターミナルへは地下鉄で向かう。
 ホテルより一番近い地下鉄の駅は、歩いて5分ほどの弘大入口駅。天気はまずまずだがやはり寒い。地下鉄では、市内の大部分が450ウォンで行ける。日本円にして45円なのだからとても安い。
 自動券売機もあるが、多くの人は窓口で切符を買う。手間がかかるだろうか?券売機では札が使えないため、窓口で買う。手で2人分ということを示し、1000ウォンを出すと、2枚の切符と100ウォン硬貨が返ってくる。
 改札は自動改札。遊園地などの入り口によくあるタイプのもので、ぐるぐる回る金属棒がゲートになっている。日本のように無理矢理に突破は出来ない(やったことはないけど)。でもくぐることは出来る(実際に、後で間違えてくぐる羽目にあうのだが)。がっちゃん、がっちゃん音を立てて皆入場していく。
 ソウルの地下鉄は路線が色分けされている上に、各駅に番号が振られているため、目的地が何色の線の何番の駅と知っておけば、それほどの難はなく行けるようになっている。例えば、ここの駅は緑の線の39番の駅。ただ、ハングルに対して、ローマ字表記が全てにわたってなされているわけではないので、入場してホームに降りたとき、どっち方向の電車に乗るかは、一瞬迷うところである。

 乗り換えを一回挟んで、高速バスターミナルの駅には、およそ30分ほどで到着する。地上に出て、どこがバスターミナルかちょっと迷ったのだが、何のことはない。すぐそばの巨大な建物がバスターミナルなのであった。韓国ではソウルを中心とした高速道路網が良く整備されているために、高速バスは庶民の手軽な足なのである。
 様々な方面に行くバスがずらりと並んでいる。「天安」と書かれてある標識に探しては進み、かなり歩いてチケット売り場を見つけた。バスには、普通と高級の2種類がある(乗っていないのでどういう違いがあるかわからないが)。普通も高級も言葉が分からないので、「チュナン」と言って、2枚と示すと、普通バスの方の料金が徴収された。ちなみに、料金は一人3300ウォン(330円)とこれまた安い。日本なら、桁が一つくらい上がってもおかしくない距離である。交通機関がこれぐらい安ければ、あちこち手軽に行けるというものだ。
 9時すぎのバスに乗る。座席は全席指定である。平日のこの時間にしては乗車率は良い。少し走って高速道路に乗っかる。バスターミナルが郊外にあり、すぐに高速に乗れるという合理的なことになっているらしい。そのため日本のようなひどい渋滞はなさそうだ。
独立記念館

 高速を快調に飛ばして、ほぼ1時間で天安のバスターミナルへ。天安も大きな都市である。バスターミナルを出ると人通りが多い。独立記念館行きのバスは本数があまりないとの情報を得ていたので、タクシーに乗ることにする。
 韓国では、普通のタクシーの他に模範タクシーという黒いタクシーが走っている。普通のタクシーよりはやや割高だが、ぼられたりする心配がないとのことなのでそちらの方を拾うことにする。
 タクシーを拾い、「ドンリップキニョムカン」と言うと、「イエー」(はい)の返事。助手席側(韓国は車は右側通行なので日本とは反対側)に表示してある、運転手の名前と写真を示すプレートの横にプリクラが張ってある。運転手の奥さんと娘さんだろうか?

 独立記念館は、天安の中心部から10キロほどはなれたところにある。この記念館の創立は、80年代初めの日本の教科書問題に端を発しているのである。その時の猛烈な反日感情を押さえる為に作られたというのが実際らしい。
 タクシーで20分ほど走ると独立記念館のモニュメントが見えてくる。タクシー代は13000ウォンほど。値段が高いタクシーにしても、日本よりはずっと安い。
 記念館の敷地はとにかく広い。幅にして数十メートル、奥行きは数百メートルくらいある。タクシーを下車したところから、ゲートまで歩き、さらに歩いて、数々の展示館がある。この途中に巨大なモニュメント (写真) がある。とにかく、初めの感想は広いの一言である。
 この記念館自体が韓国人のみを対象にしているという感じで、説明文はほとんどハングルである。展示物に英語が併記されていたりするが、全てに英語の説明がついているというわけではない。もちろん、日本語での説明は全く無い。
 平日の午前中とあって、来館者は少ない。他に中学生かなんかの団体と個人がちらほらいるくらいで、がらんとしている。日本人には全く会わなかった。歴史順に第1の展示館を見てる途中で、記念館にあるもの全部見回るには丸1日かかると思えたので、日本の侵略時代の展示物をまず初めに見ることにする。それが一番の目的であったからである。
 第3の展示館が「日帝侵略館」である。中に入ると、奥の方からうめき声らしきものが聞こえてくる。話に聞いていた、拷問シーンの再現と思ったらまさしくそうであった。そこには、子供には覗けない程度の高さに横一杯のスリット状の覗き窓がある。覗くと中には横一列に並んだ部屋があり、さまざまな拷問を蝋人形で再現している。事前にこういう情報は得ていたので、それほど大きなショックは受けなかった。
 これ以外にも、侵略時に日本がしたことが事細かに展示説明されているようだ。韓国語なので、細かい内容がよく分からなく残念である。日本人に対してもっと見せるための配慮があれば。少なくとも、説明への英語での完全な併記はしてほしいものだ。この記念館が、韓国人のガス抜き(といったら言葉が悪いが)だけのためにあるとしたら全くもったいない。
 記念館には、歴史順に全部で7つの展示館がある。日本に関わりの深いのは「日帝侵略館」以外にも、「近代民族運動館」、「三・一運動館」、「独立戦争館」あたりである。一番新しい歴史を展示した「大韓民国館」では、日本の教科書問題の事が取り上げられており、日本と無関係のところの方が少ないと言った方が正しいようである。
独立記念館2  なんとか、日本に関係の深い4つの記念館を見学して、その他は、ざっと流す感じで見学すると、2時を過ぎる。昼飯は食べていない。食堂が記念館の中にあるのだが、今日は休みのようであったからだ。売店等も開いているところはわずか。
 昼間とはいえ、かなり寒い。天気はとても良いのだけれど。
 とりあえず、天安の中心部に戻ることにする。記念館は辺鄙な場所にあるので、ちゃんと帰れるか心配であった。少なくとも、タクシーの姿は見かけない。土産物屋でバスがあるかを聞くと、近くをわりと頻繁に通るらしい。そこの社長とやらが、「ソウルまで行くので乗せていこうか」と日本語で聞いてくるが、ソウルでの行き先が折り合わず、結局バスで戻ることにした。その人の感じがあんまり良くなかったせいもあるが、昼飯も食べていなかったということもある。そして、何よりもバスでのんびりと帰りたい気分でもあったのだ。

 バス停まで行くと、タイミング良くすぐにバスがやってくる。バスの行き先表示もみなハングルだったが、ガイドブックのハングル文字と照らし合わせてみて、それが天安行きであることがわかる。念の為「チュナン?」と聞いてみると、運転手はうなづく。身振り手振りで料金を2人分払う。言葉はわからなくてもなんとかなるものだ。バス代は1人600ウォンである。
 座席はいっぱいだったので、立っていたのだが、後ろに立っていた相棒が席の老婆に日本語で話しかけられる。私は老婆とは直接にはほとんど話さず、主に、相棒と老婆の会話の聞き役であった。最も、韓国の戦争体験世代とどういうスタンスで会話したら良いかがわからないと言った方が正しい。
 うちの相棒はその辺のところが私と大きく違い、積極的にそういう世代と会話していきたいという感じである。老婆にどこに行って来たかと聞かれ、「独立記念館」と相棒が答えると、
 「どうでしたか?」
と、老婆が尋ねる。私なら言葉に詰まってしまうところであるが、相棒はいろいろと感想を述べる。臆することもなく、全く頼もしい限りである。老婆は、植民地時代の辛い話なども話してくれる。履き物もなく困ったというような日常的な話である。
 今回の旅行で驚いたのは、日本語を話せる人が多いということ。これが一体何を意味するのか?このバスの中の件以降、ソウルで道に迷ったり、困ったりしたとき親切に声をかけてもらうことが多かった。今日のように老婆だったり、普通のサラリーマンだったり。もちろん、客引きで日本語を話す人間も多いのだが。ただし、若い世代からという場面はなかった。戦時中に強制的に日本語を覚えさせられたのは、今日のような老婆の世代であろうが、戦後の中年世代でも話せる人が多い。日本に追いつき追い越すために、日本語を覚えたという人も多いのだろうか?この年の始めには経済危機などあった韓国であるが、活気はあるように思える。
 そうこうするうちに、天安のバスターミナルに到着する。

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