朝、駅に行く前にアグラ城を観光する。
赤砂岩で作られた大きな城。入口から結構歩いて入城。ここでは、シャー・ジャハーンが晩年幽閉されていた塔などを見学する。蛇行するヤムナー河の向こうにおぼろげにダージマハルが見える。タージマハルの見える場所、これがシャー・ジャハーンが幽閉されるときのたっての希望だったらしい。
壁などの装飾は相変わらず、見事なものである。
門の外に出ると、例によって、物売りに囲まれる。ここでは何でか知らないが、 ![]()
「むちかうかー、むちかうかー」
とムチを売りつけようとするのが多い。ムチといっても、人を打つようなやつではなく、馬とか牛とかを打ちつける巨大なやつである。一体、どんな観光客が買うっていうんだい?そんなムチを。日本の道路も牛であふれているとでも思っているのだろうか。
その後、ヴァラナシ行きの電車に乗るためアグラ郊外の駅へ。アグラからヴァラナシまで、800キロくらいだろうか。着くのは夜おそい時間になる予定。とはいうものの、鉄道の旅は好きなので、結構楽しみではある。
そして、ここで3日間いっしょだった運ちゃんとはお別れである。お礼に100ルピー渡す。このおにいちゃん、無愛想そうに見えるが、ディープ氏がいない時などに、茶目っ気あるところを見せるのだ。がっちり握手をしてお別れをする。
トランク2つも頭にかかえるポーター達とともに、駅のホームへ。ポーターの1人は、かなり年老いた、体のすごく細いおじいさん。重そうなトランクを2つものせて運んでいるのだが、どうみても辛そうである。見ていて気の毒になった。生活のためとはいえ、すごい。
駅のホームで、1時間近く待っていたのだが、よっぽど我々の存在が珍しいらしく、物見遊山のインド人に取り囲まれてしまった。例によって、皆の眼光は鋭いが、次第に和んでくる人もいる。あと、靴磨きの少年がしつこく、靴を磨かせろといってくる。油断してると、勝手に靴をブラシでこすり、「1ルピーおくれ」と来る。お金は結局やらなかったが、ずっとつきまとわれた。その他にも、物乞いの人、身体障害者のふりをしてるらしき人いろいろである。
インド人は、駅のホームの蛇口の水を平気で飲む。さすがにその水を飲む勇気はないし、ディープ氏にも生水を飲むことは禁止されていたので、ミネラルウォーターを買って水分を補給。インドではミネラルウォーターの瓶に生水を入れているものもある。本物のミネラルウォーターかどうかは、キャップのところが、ちゃんと封をされているかどうかで確かめる。
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30分ほど遅れて電車がやってくる。他のメンバーは荷物が多いので、乗車がかなり大変だ。とりあえず、乗り込んでしまい、電車が動き出してから、席の整理を行った。エアコン付きの寝台車。寝台と行っても、我々の場合は夜には降りてしまう。この電車の始発地から終着地まで何日も走っているから、寝台機能を有しているというわけだ。もちろん、エアコンなしの寝台もあるし、ただの2等車もある。2等車は、思いも寄らずに、後で経験することになる。
標準軌のレールのため、車両の幅は広いが、寝台も広いとまではいかない。日本の昔の3段式のB寝台に、通路をはさんで縦に上下の寝台2つが付け加わった感じといえばわかりやすいだろうか?
およそ6時間。文庫本を読んで過ごす。山岳ドキュメンタリー小説。気分はすっかり、 北アルプス 。ふと我に返るとインド。何か妙な感じであった。
電車は、30分遅れで、ヴァラナシ郊外の駅に到着する。既に夜の8時を回っている。
ホームに降り立つと、異様な雰囲気を感じる。まず、ホームがとても暗い。ナトリウムランプの淡く黄色い明かりが申し訳程度に照らしているだけだ。ホームに限らず、地べたに座ったり、寝そべっている人間は多い。相棒は寝ている人につまづきそうになってギョッとしていた。ディープ氏曰く、「電車待ちの人」とのことだが、そういう人間ばかりとはとても思えない。バクシーシを求める子供達もいる。後で皆も言っていたのだが、ここはかなりショッキングな場所だった。
駅の外で待っていたのは大型バス。たいそう冷房が効いていて寒い。暗くて町の様子はわからないが、クラクションとパッシング攻撃で車をかわしていくのは変わらない。
30分以上走り、ガンガー(ガンジス河)にかかる大きな橋を渡り、ヴァラナシへ。
ホテルにて遅い夕食を食べて、今日は日程は終了。
シャワーを浴びると、んげげ、塩水じゃ。髪を洗ったらベタベタしてしまって気持ちが悪い。ホテルのせいなのか、それとも水道水がもともとそうなのか。お湯が出ないのは覚悟してたが、まさか塩水が出るとは。