インドといえば、タージマハル


99/9/21 インド4日目



 今日は、朝から移動の日。アグラまではおよそ250キロ。8時に集合して出発する。相棒は、だいぶ具合が良くなった模様。
 まず、風の宮殿に寄る。かつての宮廷の女性達が町を見下ろすために作られたと宮殿である。風通しが良さそうな作りになっている。町の真ん中にあるのだが、観光バスが結構とまっている。写真撮影のために少しの間下車する。例のよって、物売り、物乞いの類が寄ってくる。

風の宮殿
 アグラへ向かう道は、デリーからジャイプールの時より、さらに地方道という感じである。道がえらい悪くて、でっこんぼっこんと車は揺れる。人が鈴なりになった車や、天井に人がたくさん乗っているバスとか、いろいろ面白いものが走っている。道ばたに人の姿を見ないということはない。とにかく、人はたくさんいるのだ。さすがに10億人のインド。

 バスは、ラジャスタン州からUP(ウッタル・プラデーシュ)州に入る。途中、休憩を挟みながら行くが、カップルの彼女の具合が芳しくないようである。揺れる車に乗っているのはつらそうだ。
 休憩所にみやげ物屋があったので、ひやかしてみる。いろいろ見た挙げ句、ラジャスタン民謡の入ったカセットテープを90ルピーで買う。値札は95ルピーだったので、もっとまけさせることが出来たと思うのだが、面倒臭くなって、適当に折り合った。

 アグラの手前およそ40キロの、ファテープル・スィークリーに寄る。ムガールの皇帝アクバルが一時都を置いた場所である。ここに住む聖者の予言によって、ずっと跡継ぎに恵まれなかった皇帝は、息子を授かったという。このことを記念して、都をここに移したわけだ。けれども、水利が悪い土地のために、わずか14年で都をアグラに戻すことになったのである。
 皇帝の居城を見学する。今日の天気はすこぶる良く、えらい暑い。けれども、日陰に入るとわりと過ごせる。湿度はそれほどでもないようだ。アクバルという皇帝は、イスラムとヒンドゥーなど諸宗教の融和を図った皇帝ということで、 宗教の融合の柱 などがある。
 ここで、相棒はお腹の調子が悪く、トイレに行ったのだが、それがまたすごかったらしい。何でも、「お流し」役のおじさんがいて、ことがすんだ後、そのおじさんがバケツで水を流すのだそうだ。もちろん、チップを要求される。さらに、チップを渡した後も、その人の子供かなんかがずっとつきまとい、チップを要求されたというのだ。それで、しょうがないので、さらに10ルピー払ったのだという。
 ディープ氏は、この話を聞いて顔をしかめていた。彼はチップは10ルピーで充分だと言っていたのだ。

 具合が悪い人間がいるということで、ホテルに行く前に医者によることになった。カップルの彼女の他に、Kさんが行った。徐々に具合の悪い人間が出てくるようである。

 アグラのホテルに着いたのは、結局2時頃である。ホテルで遅めの昼食をすませ、いよいよ、タージマハルへ。などと書くと、すごく期待していたようであるが、そういうわけではない。日本人が「インド」と聞いて連想するものが、カレーとタージマハルらしい。カレーはともかく、「タージマハル」の名前を知らずとも、あの建物を見れば、「インド」を思い浮かべる、というような感じである。

タージマハル1
 実際のタージマハルを目の前にすると、写真でみたとおりに美しい。左右対称な形といい、きれいに整備された庭といい。けれども、イメージでは大理石がもっと純白だったのだが、実際はちょっと色づいている感じ。それから、観光客がものすごく多い。外国人はもちろんだが、インド人も多い。
 建物の中は、土足禁止で靴を預けて入る。中ではカメラ撮影禁止。中と言っても、王と王妃の廟があるだけである。大きい棺と二回りほど小さい棺がある。写真を撮ったインド人が警備員にカメラを取り上げれらていた。
 建物の周囲も歩いて見て回れるのだが、ここでも撮影禁止である。警備員が笛をピーピー吹いて写真を撮りそうな人間に注意を与えている。
 タージマハルの左右には、迎賓館とモスク(写真下)がある。全く対称に作られている。さらに、建物の裏側にまわるとヤムナー河という大きな川が流れている。このタージマハルは、ムガール皇帝シャー・ジャハーンが建てた自分の妃の墓であるが、この川の対岸に、黒大理石でタージマハルよりさらに大きな自分の墓を作ろうとしていたという。タージマハルでさえ、莫大な時間と費用と人間を使って建てたのに、さらに作るなんて。というのが第一の理由かどうかは知らないけど、シャー・ジャハーンは晩年、自分の息子に幽閉されてしまい、その夢は実現できなかった。
タージマハル2
 その後は、大理石の工芸品の店へ。何でも、タージマハルを建設するときに、相当数の職人が集められたために、今でも石の工芸品がさかんなのだという。
 おきまりのおみやげ買え攻撃なのだが、こちらもだいぶ慣れてずうずうしくなったもので、飲み物だけ飲んだら、店の中のソファーに座って、だべったり、まったりしてたりしてた。何か買うにしても、どれもいい値段がするのだ。

 皆、具合が悪かったり、疲れていたりしてたため、予定されていたアグラ城の観光は明日に回すこととなった。
 相棒はまた具合が悪くなったようで、結局医者に連れていってもらうことになった。あと、ひょうひょうさんの友達も。一口に具合が悪いと言っても、腹痛、下痢はありがちとして、熱が出たり、気持ちが悪くなったりと症状は様々である。

 昼間行った医者が終わってしまったようで、別の医者に行く。具合が悪い2人とディープ氏に、ひょうひょうさんと僕が付き添いでついていった。もちろん、彼女も僕も興味本位というのが半分以上である。
 医院といってもこじんまりした建物で、中はこぎれいである。ひょうひょうさんの友達、相棒の順番で看てもらったのだが、やたらと診療時間が長い。インドでは医者もまったりとしている。
 待合い室にいる間、受付の看護婦やら、外の様子やらを見ていた。そうしてると、2階の階段の方からほうきでゴミを掃いて降りてくる老婆。身なりからしても貧しそうだ。掃除といった仕事は、下層カーストの仕事だというのを何かで読んだ。なんとはなしに、その老婆が掃除するのを眺めていた。そして、掃いているゴミは最後にどうするのだろう?とその行方をじーっと追った。待合い室を掃いて、さらに、外に掃き出す、そして、前庭を掃いて、最後にちりとりで集めて、、道路に捨てた。。
 最後は予想どおりだったので何だかうれしくなってしまった。ということで、インドの町はゴミが多い。汚いし、不潔だし、なんでそんなのがいいんだろう。Kさんの友達が言ってたように、
「この汚さがいいって感じ」
なのである。

 と、まあ、なんやかんやで、まったり医者に2人見て貰ったら、日が暮れてしまった。この間、他のメンバーを車で待たせていた。ほんとに、お待たせしました。ちなみに診療代は、150ルピー。薬代は75ルピー也。安い!

 「インドの薬は効く」
ディープ氏の言葉通り、その効果は絶大なものだったらしい。副作用でちょっとだるくなったみたいだが。
 ちなみに、その薬たるや、ピンク色とか原色をしていて、大きいものは、座薬くらいの大きさという代物である。相棒の場合、症状に応じて薬が出されているらしく、5種類の薬を服用していた。この薬の飲み方がまた、手間のかかるもので、食後、1種類につき5分間隔で飲まなければいけないという。5種類だと20分かけて飲むというわけだ。あまりにも強い薬なので、まとめて飲むと良くないということか?
 なにはともあれ、まず一安心。

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