デリー駆け足、ジャイプールへ疾走する


99/9/19 インド2日目



 エアコンのガンガン効いた部屋で寝たもんで、朝から調子がいまひとつ。みんなそろっての簡単な朝食を済ませた後、出発する。
 まず、今日はデリーの市内観光である。とはいっても、午前中だけなので、かなり駆け足で見てまわる。

 デリーは首都ということもあり、車がさすがに多い。ここに限らず、インドの道路上では、実に様々な乗り物が走っている。車、バイク、自転車、オートリクシャー、サイクルリクシャーその他。
デリーの町並み
 バイクというか、ほとんどは原チャリであるが、2人乗り、3人乗りは当たり前である。あと、原チャリの後ろにはスペアタイアがくっついている。しょっちゅうパンクするからだろうか?後ろに乗る人間にとっては良い背もたれになっている。Kさんが、
「ターバンまいた人はヘルメットどうするの?」
というなかなか面白いことを聞いていたが、宗教的理由が優先されるようだ。ターバンを巻いた人というのは、シーク教徒の人々だ。デリーでは多く見かける。
 それから、リクシャーの語源は「人力車」らしい。オートリクシャーは、動力は小型の自動3輪である。サイクルリクシャーは、自転車でほろのついた客席をひっぱるという代物。
 あと、道ばたや、道の真ん中にときどき牛を見かける。けれども、今思うと、他の町に比べれば少ないし、他に目立つ動物もあまりいなかったと思う。
ラージ・ガート

 一番最初の観光ポイントは、ラージ・ガート。ガンジーの斎場である。ここでガンジーは焼かれ、その灰は近くの河に流された。ヒンドゥー教徒は墓をもたないので、ここが、亡きガンジーを偲ぶ場所になっている。のんびりとした公園である。敷地はかなり広く、途中から靴を脱いで中に入る。祭壇があって、お祈りを捧げている人がいる。
 ディープ氏は、「ガンジー様」という呼び方をしていろいろ説明してくれた。インドでは、やはり大いに尊敬される人物なのだ。けれども、後で、
「学生など最近の若い人は、ガンジー様より、ボースさんの方が独立に果たした役割が大きいと思っている」
という具合に、チャンドラ・ボースの役割を強調していた。多かれ少なかれ、ディープ氏もそう思っているように聞こえた。
フマユーン廟
 次に、赤砂岩で作られた デリー城 を経由して、フマユーン廟へといく。ここは、あのタージマハルのモデルともなった建物だという。ムガール帝国の第2代皇帝フマユーンの妃が建てた皇帝の墓である。左右対称の均整のとれた建物は確かにタージマハルを連想させる。タージマハルとの大きな違いは、赤砂岩で作られているということと、それと、巨大なミナレット(尖塔)がないことである。また、壁面には幾何学模様が刻まれており、イスラムであることを感じさせる。
インド門
 デリーは、イギリス人が建設したニューデリーとそれまでの街(オールドデリー)が区別されている。車で通った感じでは、オールドデリーの方がずっと面白そうだ。とにかく雑然として活気がある。それに引き替え、ニューデリーは、町並みはこぎれいで殺風景な感じである。インド門はそのニューデリーの象徴のような存在。
 これは、第一次世界大戦でイギリス側に参戦したインド人の犠牲者のためにイギリスが建てたもの。とはいっても、実際に働いたのはインド人だろうけど。
 門をよく見るとインド人の犠牲者の名前が刻まれている。参戦と引き替えに独立を約束したイギリスであったが、実際、それが果たされるには、さらに30年近くを要したのであった。
 今日は日曜日のせいか、にぎやかでのんびりとした雰囲気。天気もまずまずだし。近くの川で水浴びをする子供達がいたり、クリケットをしてる人達がいたり。ほんのちょっと付近を散策したら、物売りやら、蛇使いやら、猿回しなどが寄ってきた。とにかく、しつこい。ひょうひょう組はクリケットをしている少年達に取り囲まれている。インド人にとっては、こちらの存在が珍しいようだ。お互い様である。

 昼食はやや郊外のレストランにて。
インド式の定食といったところ。チャパティやナンにいろいろつけて食べる。チャパティもナンもインド式の薄焼きパンで、チャパティの方がより薄く、ぱりぱりしている。つけあわせるものは、たいていカレー味。飲み物はラッシーを頼んだ。ヨーグルトを少し薄めて砂糖を足したものである。ただ、ここのラッシーは薄かった。

 食べ終わり、店を出たとところの道ばたに、干している 牛のうんこ をみつけて、相棒が喜んでいる。燃料にするようである。

 この後は、ひたすら、ジャイプールへと車は疾走する。デリーからジャイプールまではおよそ280kmの距離。車でおよそ、5、6時間程かかる。かなりかっとばしているのだが、インドの車はそんなにスピードが出ないようで、エンジンがうなっているわりにはスピードはそれほど出ていないようだ(最高でも80キロくらいか?)。けれども、クラクション攻撃でどんどん車をかわしていくので、かなりスピード感がある。こんな運転してみたいが、日本ではまず出来ない。


ジャイプールまであと163km



 最後に、峠を越えるといった感じでジャイプールの街に車は入る。もう夜で暗いのだが、地方色の強さをかなり感じる。ピンクシティーと呼ばれていることもあり、店から何から赤味がかったピンク色だ。人その他の入り乱れている様子がとても面白そう。わくわく、という感じ。
 結局、ホテルに到着したのは、8時過ぎとかなり遅い時間だった。今回の旅行の中ではここのホテルが一番立派で、この日の夕食が一番おいしかったと思う。まあ、お腹が元気だったのもこの頃までだったからかもしれないけど。

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