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河回村(ハフェマウル)
Hahoe Village

36 32 20.40,128 31 05.44


土壁が連続する村の南東部。下の航空写真(1)から南西を見ています。瓦の屋根と茅葺きの屋根については以下にに解説が。

 安東の一番の見所は、やはりこの河回村になるでしょう。河が大きく円弧を描く中に位置する村のほぼ全体が約300〜500年前の姿を今に伝えており、村全体が重要民族資料に指定されている、といったのがうたい文句です。部分的ではなく、村全体がほぼ昔の雰囲気を残しているというにはなかなか得難いものです。エリザベス女王が訪問して、またまた有名になったとかいうのもあるようで。結構観光地になっているのかもしれないという予感も抱きつつ、訪ねてみました。
  
 安東の駅前から840分発の陶山書院方向とは逆の方向のバスに乗り、約50分。ここが終点だと下ろされた所はチケット売り場の前。そこで入場券を購入し、再び別のバスに乗って2,3分で最終目的地の村入口に着きました。いやのどかな田舎の風景です。いきなり蓮畑が大きく拡がっており、白い花が見事に咲いている。その畑の先に集落が見えています。約2時間の訪問で、さてどこまで見ることが出来るでしょうか。
 
 村の中に入っていくと、まず土壁が長く連なっているのに目がいきます。それもきちっとしたものから、結構乱雑なものまでいろいろな種類があるのが面白い。そしてそうした土壁沿いに歩いていくことが、なかなか楽しいのです。土壁で視界が遮られていることから、次のシーンへの移行が突然起こることの面白さ。そもそもの土壁の美しさ、立派な門構えの家屋の美しさ。小径から小径に気ままに歩いていっても、さした広さも無いここでは迷う心配もありません。適度な密度、適度な空閑地の存在。快晴の天気もあり、気持ちよく歩き回ることが出来ました。
 
 これら立派な家々は、そこいらの農村の集落集落ではないなと感じますし、その一方で藁葺きともちょっと違う、草葺きの家屋も目にすることが出来ます。この対比は何なのでしょうか。

 というあたりから、解説本からのお世話になります。ここは大儒学者であった柳雲龍や、文禄・慶長の役のとき領議政(時の総理大臣)だった柳成龍を輩出した村だとか。柳成龍は屏山書院を興した人ですから、正にこの地一帯が儒教に関連する偉人たちというか、支配層というべき人々によってここの集落は形成されたようです。そして立派な家々はそうした偉人たち、そしてその一族の両班たちの家屋だった訳です。
 
 その一方の草葺きの家は、カラブ家という、下人たちが暮らす家だそうです。そうなのか、支配層、それも国全体を統治するような支配層と、それを身の回りで支える非支配層とが渾然と暮らしてきたという場所が、この集落だったという訳です。しかしこんな山の奥のちょっとした拡がりしかない所に、これだけの偉人を輩出したというのも、なかなか凄いものです。
 
 建物の見所は、柳雲龍の居宅である養真堂(ヤンジダン)、柳成竜の宗家である忠孝堂(チュンヒョダン)あたりになるとか。そういえば佐倉の歴史民族博物館で見た「日本建築は特異なのか」展の住宅編に、しっかり忠孝堂が載っていました。それだけ代表する住宅建築という訳なのですね。

 でも、そういう立派なものを訪ねるよりは、集落全体のたたずまいをゆったりと味わう方が合っているような気がしました。支配層が住む割には、集落の構成は自然発生的というか、特に計画性を感じることがない、行き当たりばったりの集落の面白さ。その無計画性は、日本の田舎と一見似たような所もあって懐かしさを感じる反面、建物のディテールは結構違っているという点を探してみるのも面白いものです。
 
 歩き始めたらきりがない位面白いのですが、正に時間に限りがあり、午前中一杯で引き上げることになります。とっても屏山書院に行く時間はありませんでした。世界建築100選へはまた今度ということで。

グーグルマップの航空写真にいろいろ注を付けてみました。配置はご覧の通りのランダムなもの。メインストリートも特にありません。道の輪郭がはっきりしているのは土壁のある所、ぼやけているのは特にない所です。また、建物が黒いのが当然瓦屋根の両班の家、薄い色のが草葺きのカラブ家になります。
(1)がこのページ一番上などの土壁が美しかった三叉路、(2)が養真堂、(3)が忠孝堂です。また(4)はリュ・シウォンという韓流スターの実家の澹然斎という建物です。建物の形状が囲みだったり、コの字形だったり、前面に建物を抱えていたり、いろいろな形があるのがよく分かります。
村の入口は上の写真右上の枠外になります。いきなり現れたのはこんな蓮畑。皇居の宮内庁の前に蓮池壕というのがありましたが、思わずそれを思い出してしまいました。見事な拡がりです。
蓮畑を過ぎ、集落の入口にあった木製の導。昔からあったのか観光用なのか。なかなか楽しそうでした。
先ずは土壁その1。村の入口から(1)に向かう所で撮りました。壁の荒々しさと上端のいい加減さがなかなかです。 空撮(1)のポイントから東南東の道を見ています。こちらは端正な土壁が続いています。ちょっと萩の町を思い出します。瓦屋根の上でアンテナがひん曲がっているのがご愛敬。
土壁もカラブ家の前に来ると、瓦から草にしっかりと変わる所が凄い。一気に縄文とはいいませんが、先史に近い印象になります。 町外れから見た集落。緑はとても美しく、その向こうに見える建物もその田園に溶け込んでいます。
上記航空写真(2)の養真堂の中庭。その土台の高さといい、屋根の張りの力強さといい、支配層に相応しい建物です。 左の写真からちょっと左にパーンしています。この屋根の造りは日本に直接影響している感じがします。
上記航空写真(3)の忠孝堂の門構え。門がこれだけの長い建物を抱える特徴を持っているという、珍しい形状。それは航空写真からもよく分かります。 その門を抜けると、風通しのいいこちらのスタイルの民家が現れました。ここは「P」の字の軸にあたります。(2)に比べると権威的ではなく、優しい感じでした。
続いては記航空写真(4)のリュ・シウォンの実家の門。ここがこの集落で一番立派に見えた気もしました。 リュ・シウォン実家を後から見ています。素朴な土壁と、重厚な瓦屋根の建物の対比が結構凄かった。角の丸みがいいですね。
土壁通りを撮ってみました。両班が左、カラブ家が右とハッキリ分かります。石を積んで見せているからといって下層ではないというのが分かりました。結構趣味の世界かもしれません。 もう一つ土壁とストリート。緑が入るとこんなにも美しくなるのが素晴らしい。その緑のボリュームに合わせた訳でも無いでしょうが、ここは街路が広かった。

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