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陶山書院(トサンソウォン)
Dosanseowon

36 43 37.85,128 50 36.62


甍の連なる境内。適度に退色している所がちょうどよくその歴史を伝えてくれます。

 こちらでいう書院というのはどういうものなのでしょうか。寺院といえばそう言えなくもないし、書院だから学校、学問研究所といえばそうだし、なかなか日本の感覚で捉えようとすると、ピタッとこない所があります。ここ陶山書院は儒学者であり、16世紀に生きたここの創始者である李洸が、この地に儒学を学ぶ場を作って、後進の指導にあたったのをきっかけに、彼の死後弟子たちが彼を祀る堂を建て、それらが一体となっている所という理解をしています。だから寺院でもあり、学校でもあるという、両方を指すのが正解なのでしょう。
 
 日本には儒教の建物というのが余りありません。せいぜい各地の藩校や東京代表は湯島聖堂といったところでしょう。明治の廃藩、文部省設置によって機能停止に至った時に残すという強固な意志があったものしか残されなかったようです。
 一方韓国では、儒教の歴史が面々と受け継がれ、この陶山書院や、結局行けなかった河回村近くの屏山書院など、多くの儒教関係の建物が残されています。正に安東はその宝庫という所でしす。
 
 さて、具体の陶山書院です。列車を降りその足で案内所で聞くと安東発最終バスが16:10にあり、現地を17:50発のこれも最終バスで帰ってこられるというのが分かり、それではと荷物をホテルに預け、駅前に戻ってバスを待ち、幾人かの観光客と一緒にバスに乗り込み出発しました。片道1100ウォン。おい、40分乗って100円しないというのは、鉄道に続いてびっくりです。

 そして着いた所は、おやおやすっかり観光地ではないですか。駐車場に車が一杯。おみやげ屋に軽食屋が並んでいる所は、日本の観光地と変わりない風景だったのです。儒教の書院ということで、もっと鄙びたものを想像していたのが、結構外れてしまいました。それにめげず、その奥の入場券売り場で料金を払い、約5分ほど歩くと書院が見えてきます。
 
 書院は、南斜面を利用して階段を上がると門を入り、また上がると別の門があって新たな空間が拡がるという風に、緩やかな地形を活かしてそれぞれの建物が配置されています。どれも大人しく上品な仕上がりというと聞こえはいいですが、もう一つ訴えてくるものがなかった。この点では行けなかった屏山書院にある晩対楼(マンデル)のような力強さにはとても敵わないといった所か。
 
 というか、やはり観光地のワサワサが、寺院の静寂を奪っているからかもしれません。バスの時間を気にしながら人混みのなかで見るというのはやはりハンデがあります。もう少したたずむ時間があれば、更に観光客が少なければ、また印象も違ったかもしれません。

全体図をホームページから借用しました。小さな建物の集合で出来ているのがよく分かります。
下が陶山書堂、中央が書院、上部が祠堂
という分類になっています。
アプローチを曲がって見えてきた書院。右の階段を上がって書院に入って行きます。正面には右の写真にある隴雲精舍が見えています。 隴雲精舍という、弟子たちの寮だそうです。「工」の形をしており、開口部が多い換気のいい感じ。右下はオンドルの釜戸でしょう。
ここから上は書院になります。東光明室といういわば図書館で、多くの本を収めていたとか。斜面を利用した高床式で、湿気を防いでいます。 典教堂という、寺でいう講堂にあたるもので、書院の中心となる建物です。ここも開放感たっぷり。そして観光客もたっぷり。
書院の端にある院生の宿舎として利用されていた弘毅齋。修復の後なのか、こんな色に塗られていました。ここいらがこちらっぽい感じがします。
書堂と書院とを区切る門。中央のは進道門という結構派手な門ですが、その西側の門は枯れ方がなかなかよかった。

陶山書院

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