陶山書院(トサンソウォン)
Dosanseowon
36 43 37.85,128 50 36.62
甍の連なる境内。適度に退色している所がちょうどよくその歴史を伝えてくれます。
こちらでいう書院というのはどういうものなのでしょうか。寺院といえばそう言えなくもないし、書院だから学校、学問研究所といえばそうだし、なかなか日本の感覚で捉えようとすると、ピタッとこない所があります。ここ陶山書院は儒学者であり、16世紀に生きたここの創始者である李洸が、この地に儒学を学ぶ場を作って、後進の指導にあたったのをきっかけに、彼の死後弟子たちが彼を祀る堂を建て、それらが一体となっている所という理解をしています。だから寺院でもあり、学校でもあるという、両方を指すのが正解なのでしょう。 |
全体図をホームページから借用しました。小さな建物の集合で出来ているのがよく分かります。
下が陶山書堂、中央が書院、上部が祠堂という分類になっています。
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アプローチを曲がって見えてきた書院。右の階段を上がって書院に入って行きます。正面には右の写真にある隴雲精舍が見えています。 | 隴雲精舍という、弟子たちの寮だそうです。「工」の形をしており、開口部が多い換気のいい感じ。右下はオンドルの釜戸でしょう。 | ||||||||||
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ここから上は書院になります。東光明室といういわば図書館で、多くの本を収めていたとか。斜面を利用した高床式で、湿気を防いでいます。 | 典教堂という、寺でいう講堂にあたるもので、書院の中心となる建物です。ここも開放感たっぷり。そして観光客もたっぷり。 | ||||||||||
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書院の端にある院生の宿舎として利用されていた弘毅齋。修復の後なのか、こんな色に塗られていました。ここいらがこちらっぽい感じがします。 | |||||||||||
書堂と書院とを区切る門。中央のは進道門という結構派手な門ですが、その西側の門は枯れ方がなかなかよかった。 | |||||||||||
陶山書院
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