2001年の新製品


(注)この記事は2001年初頭のことを、2001年3月初頭に書いています。


2001年の幕開け、MacWorldExpo in S.F. が開催された。出てきた製品は、PowerMac G4の新しいマシンと、PowerBook G4。
もはやあちこちでレビューもあるし、あえてあれこれ書くまでもない。世間の注目を浴びたのはPowerBook G4、一方個人的な興味を持ったのはDVDも焼けるPowerMac G4の最上位機種であることは、すでにこちらに書いた。

むしろ、気になるのはアップルの今年の戦略だ。
これを書いているのは、すでに東京のExpoも終わってしまっている時であるが、考え方の基本は変わっていないので、今年の1月に受けた印象も含めて、綴っていく。


Appleは最近、CD-RWを装備したマシンを積極的に押し出している。そして、自分のCDを気軽に作成できる環境を全面に出し、鑑賞するだけのDVDからの離陸をはかろうとしている。こういう環境と、それに呼応するiTunes, iDVDのようなソフトウェアから、アップルの今年の展開というものを考えてみたい。

アップルは1997年にiMacを誕生させて以来、それまであまりコンピュータに縁のなかった層も含めて新たなシェアを獲得してきた。それが昨年以来急速に落ち込んだ。PC界(これはIBM-PC互換機世界を指す)も落ち込んだが、アップルの落ち込みはあまりに急だった。
これに対して、CD-Rを備えたマシンを出さなかったのが問題だったという談話から想像されるような製品を、アップルは繰り出してきた。これで再びアップルコンピュータは落ち込みから上昇へ転じることができるだろうか。

私の個人的な経験では、最近は以前ほど若いユーザ層がiMacに興味を示さない。むしろ、ユーザの裾野が広がった結果、「どんなマシンを使ったところで、結局いろんなことを勉強しないといけないし、面倒だ。むしろ、周りにたくさんユーザのいるマシンを使ったほうが、いろんな人に聞けるし、SONYのVAIOなんかはすごくいろんなソフトが最初からついていて、とても楽しい」という評価がある。
つまり、ユーザの裾野が広がった結果、特に日本では「家電的に扱える製品のほうが目を引く」という皮肉な現象が起きている気がしてならない。
もちろん、きちんと調査をしていないし、私の周りで聞く様々な相談を総合した結果なので、偏った意見である可能性も自覚している。ただし、iMacが出てから1年以上はこのような意見は出なかった。みんな、パソコンでやりたいことが定まり始めており、それには自分で手を出すよりもプリインストール・マシンの方を好むという現象にシフトしているように見える。
そう考えると、SONY、NEC、富士通がパソコン売り上げ御三家であることも納得がいく。この3社の製品は、プリインストール・ソフトウェアが多い。

これに対するアップルの解答は、今年の1月のExpoで掲げられた「PCの時代が終わったというのはおかしい、Macはデジタル・ハブを目指す、周囲の様々な家電機器がMacにつながる、その中心にあるのはMacOSであり、将来はMacOS Xだ」という構想であることは、容易に想像がつく。
問題は、ユーザの指向や利益ときちんと合致するか、だ。

家電機器がFireWireやUSB、赤外線などを経て接続できる環境がより進んでいった場合、確かにハブ(hub:港のこと)となるマシンがあって、その上ですべてのデータを統合的に扱えることは便利だ。
この点では総合家電メーカであるSONYはむしろ先へ進んでいると言える。そして、SONYの構想はむしろ、VAIOもデータを扱う機具の中の1ピースとしてとらえているように見える。ハードディスクを内蔵したビデオレコーダなども製品群の中にあるので、あえてVAIOですべてを統合する必要もない。各自の要求に応じて、扱いやすそうな組み合わせを選べる。そして、その中心にVAIOがなくてもよく、VAIOはむしろマルチメディア通信を行う場合のユーザインターフェースでありさえすればよい、というとらえ方も可能である。
こちらのほうが、様々な家電機器を統合するには、より柔軟であることは言うまでもない。中心に大きなハブがある、という考え方は、美しい。が、多様なニーズに応えるためには弱い。何と言っても、独自企画であるMacintoshハードウェアと独自OSは、多様な機器への対応において、必ず後手に回る。

ここで、MacOS Xが登場するとどうなるか。
MacOS Xは一応次世代OSと言われているが、別にもはや最新とは言えない、むしろ21世紀に持ち込んでいいのか疑問さえ感じる古臭いUNIXをベースに、Macを融合させたものだ。カーネルははるかに堅牢だし、マルチタスクをハードに扱うことにも耐えられる。拡張性に富み、開発者も多いので、多様な機器や外部インターフェース仕様にもより早く対応できる可能性が高い。
つまり、前よりは状況は明るくなってくる可能性が高い。ただし、明るくなるのはMacOS Xがプロフェッショナルな技術者達から「よいOSだ」という評価を受けた場合に限られるので、アップルはここが本当の正念場となる。

Microsoftのほうは、Bill GatesがWhistlerの先に対して、すでに.NETや組み込み向けWindowsNT、WindowsCE(CEは元々組み込み向けである)、X-Boxなどへの体制を固めている。これはPCの外も中も、周辺機器も家電機器も、全部Windows統一を考えたものであり、とんでもない体系だが、どこかが転んでも必ずどこかは生き残るものだ。
現実主義者であるMicrosoftらしい考え方だが、MicrosoftはもはやPCそのものが拡散しても生き残ることを考えている。
一方のアップルの主張は「Personal Computerそのものがなくならないし、より有用になっていくのでこれからも使っていってほしい」というものだ。もはや“お願い”にも聞こえてくる。

私個人は以前に「パーソナルコンピューターの来し方行く末」で、パーソナルコンピュータという体系の終焉を予測した。これは見事に今のところはずれ続けているが、しかし、徐々にコンピュータ離れは起きている。実際、PCもMacも以前ほど売れなくなり、困っているのである。


私個人は今後もMacintoshを使い続けるだろう。慣れてしまったし、実際に便利だし、心地よい。
だが、その一方で、パーソナルコンピュータそのものが拡散していく様子を見届けたいとも思っている。

個人的にはAppleの製品は、PCが拡散してしまっても、生き残ると思っている。コアなユーザが多いとか、そのような理由ではない。どんなに減っても万年筆がなかなかなくならないように、生き残ると思っている。
ほんとうにPCが減り続ける時期になってこそ、Macintoshのような製品の真価が問われるだろう。そのころのMacOS Xがどうなっているか。

今年はMacOS Xが登場する年である。


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