2001年1月の猫時間通信


●2001.01.31 -- 続!下山手ドレス!!

1月末、という仕事が、介在している会社の都合で延びる。幸せなんだか、そうでないんだか。いずれにせよ、こちらも厳しくやっているだけに、少々立腹することには違いない。


2月、そしてすぐにやってくる節分。早いなぁ。


ちなみに、西村しのぶの「下山手ドレス」、時代を感じちゃうなぁ。私個人は、「美紅・舞子」の頃の絵が好き。線がいい感じ、一番好み。たぶん、その後のラフなりにきれいな絵も本当はいいんだろうけどね(というか、漫画家としての成長はむしろこちらなんだろうな)、これは好みの問題。私は西村しのぶに関しては、ていねいに描いていた感じの線が好き、と。

最初の頃は「サード・ガール」単行本の巻末に出ている「しのぶのプロダクション・ノート」の雰囲気にえれぇ近かったんだなぁ。ちなみに、劇画村塾の頃は、毎月サードガールを読めたんだ・・・今はいつ読めるかわからん・・・

いずれにせよ、13年に渡る歳月と、一月に1ページという連載だったために、わざわざちみちみと読んでいる。こういうのを1日で読むのは、なんだかイヤ。
こうしてちみちみと、何日にも渡って小さな幸せを味わっておこう、せいぜい。(なんかちいせぇなぁ)


●2001.01.30 -- 祝!下山手ドレス!!

種々の都合で少し仕事の修羅場の間が延びる。決してプラスにうれしいのでもないけど、一応ほっとする人々もいる。


ここ最近、遅い帰りが当たり前だったので、午後9時に会社を出ても新鮮。

書店に寄ったら、出てた、出てた。

「西村しのぶの”下山手ドレス”」

うぉーい。13年待った単行本!長生きはするもんだ。

味わって読んでます。幸福。
いや、自分が簡単に幸福になれるのにびっくり!今日はもう、そんだけだ。

じゃっ!!


●2001.01.29 -- 猫や〜い

夜、帰りに猫を2匹見かける。久しぶりだ。

1匹目はゴミを漁りたくて、でも、人が怖くて、すご〜く名残惜しそうに何度も何度もゴミを振り返っては見てた。

2匹目は、家の近所に時々出没するチビ。どうも私を「いっつも餌をくれる人」と勘違いしたらしく、一目散に飛んできて、勝手が違うのがわかって再び車の影に隠れると様子をうかがっている。

まだそこここに雪の残る寒い日、あの子達はどこでどうして寝ているんだろう。


●2001.01.27〜28 -- 真っ白にならないんだよ

27日、土曜日、朝。というよりももうお昼だったのだが、実家からの電話で叩き起こされる。寝ぼけてまともな会話にならん。なんだかむにょむにょ天候のことを話していた気がするので、外を見てみると真っ白だった。
とゆーか、10センチくらいは積もっているんじゃないだろーか、これは。
しかも、まだ降り続いているんじゃないだろーか、これは。

食料の備蓄がないし、買い物に行くしかない。どんどん降るので、みんな雪掻きを諦めている。子供は喜んで雪だるまを作っている。ちょっと歩いただけで、二組発見。
さらさらした雪で、歩くとギュッギュッと踏み締める音が美しい。コートからはらはらと粉が落ちる。
しかーし!車の通る道に出ると、茶色くごにょごにょのでべでべになっているのだ。

東京の雪は真っ白にならない・・・

いったん、いつもの喫茶店で食事をとる。同居人は某掲示板のオフ会に出席する約束があるので、この寒空に行くという。私は喫茶店でモーニングを読み、常連達とだらだらしてから、いい加減どーにかせねばと、買い物へ。備蓄食料の買い出しなので重いし、鼻水は出るし、雪がみぞれになって道はびちゃびちゃになってくるしで、散々。家の前で鍵を使おうとすると、手が真っ赤にかじかんでいて難儀する。
マフラーだけでなく、手袋もあったほうがいいらしい・・・

久々に、ポトフ風西洋煮込みを作る。じゃがいもを大きく切る。玉葱をみじん切りにして炒める。じゃがいもと玉葱を、水をはった鍋に入れて、セロリの葉と茎を一緒に突っ込み、塩を少しふって火を入れる。フライパンにオリーヴオイルをひきなおして、にんにくで香りをつけてから、一度にんにくを引き上げる。そして、下ごしらえをしてあるとり肉とマッシュルームを炒める。やはり鍋へ。キャベツを大きく刻んで、少し煮込んだところでいれる。少し煮込んで、しばらくしたらにんにくフライを入れて、火を落とす。味がしみるのを待つわけ・・・ほんとはにんじんか大根がほしいところだが、重くて断念してきたので、まぁよしとする。

これで明日も安心。
数日ぶりに風呂に湯舟をはって入る。身体がかなり落ち着く。


28日、日曜日、少し暖かい。家事労働の日。労働の後の食事はうまい。掃除をして部屋がきれいになったから、なおうまい。

しかし、一日中家にいて、身体を動かさなかったせいか、なんかお腹の感じがいまいち。足腰を使って、お腹を落ち着かせないといけないな。


●2001.01.25〜26 -- アフタヌーン14周年

バタバタしている。部下がパニックを起こさないような水際作戦の指揮。

それにしても、無理なスケジュールやな・・・


アフタヌーンを購入。そう言えば、先月号について、触れるのを忘れていたな。先月から「なるたる」が再開。そうか、お父さんはこうなってたか・・・万孕学園に入るとはね、やっぱそうきましたか、という感じ。でも、ちょっとずつパターンをひねった展開で、やっぱり面白い。
一方の「ミルククローゼット」、なんか相当やばい方向に話が進んでいますね。うーむ。
「ヨコハマ買い出し紀行」、やっと戻ってきました。戻ってから座り込んですぐに手紙を読む絵、シャワーの絵、それからベッドに潜り込む絵。いいねぇ。でも、今の世の中、こんなペースで生きてる奴は存在価値ないように言われちゃいますが。(で、川上弘美の「うごろもち」の世界へ・・・)
「茄子」は・・・これから読みます。

アフタヌーンがこの14年の歴史を一挙に掲載している。そうそう、そういえば私は「あぁ女神様!」の連載第1回もしっかり読んでいるんだよな。いや、なつかしー。
最大の衝撃は、モーニング・パーティ増刊で2〜3回連載されていた「寄生獣」が引っ越してきた時。この話がどんどん膨らんでゆく現場をリアルタイムで読んでいたのが、もうそんなに昔なのか。この頃、アフタヌーンを読んでいた人達はみんな、買うととにかく一人になれる場所へ赴いて、真剣にひっそりと読んでいた、という。心して読む、というインパクトがあったんだよ、あれは。見る見る間に、アフタヌーンの支柱となった。評論家で哲学者の鶴見俊輔氏が徹夜で読んだのは、全巻完結後だったそうだが。
その一方で、「酒場ミモザ」という読みごたえのあるマンガも連載されていた。建都1200年が来る前から、京都を舞台に京都に特化した、しかし、それゆえに全国に通用するマンガ。地味ながら確実に読者を得た連載。これも好きだったなぁ。こういうマンガは最近全然連載されなくなったね。どっちかというと小学館的な世界だが、小学館のビックコミック系はネタが新しいものを採用して既存のパターンに注ぎ込むのが中心で、面白くないし。
「地雷震」、「無限の住人」も面白いけど、「寄生獣」ほどではない。個人的にはむしろ「ヨコハマ買い出し紀行」のほうがずっと強い印象だ。

そう考えると、「なるたる」といい、 かなり「寄生獣」の衝撃はあったんだろうな。岩明氏は、この一作で名前が残る。
アフタヌーンの全盛期、やはりモーニングも「沈黙の艦隊」「夏子の酒」その他の強力ラインナップを揃えて、毎週が楽しみだった。そのモーニングにも、もはや往時の勢いはない。

評論や読書案内が出てくるようではお終いだとは思っていたけれど・・・つくづく、マンガは過ぎ去ったメディアになってしまったのだと思う。
でも、過ぎ去ったものが終わりになるのではない。ここは重要。


●2001.01.24 -- 冬眠、暁も遅し

マフラーをすると、意外にも非常に暖かいことに気付く。


どうも今週は早起きが難しいな。寒いというのもあるけど、もっと眠りたい。


●2001.01.23 -- 入江紀子の新刊、マフラー

体調が完全に戻らない。夕方の採用面接後に、マッサージに行くために会社を出る。食事はさぬきうどんであっさりと。


入江紀子の新刊コミック「星に願いを」第2巻。
最近、いつものペースに戻っているようで、まぁ相変わらずだけど、そこそこ面白いです。そういえば、「ポジとネガ」はすでに第3巻までいっているようだが、フォローしてないな。一応、買おうか・・・と思うのだが、近所には置いていない。専門店に行かないと。

帰りに、あまりに寒風がひどくて、深夜まで開いている紳士服のお店(そういう個人商店があるのだ)マフラー購入。


●2001.01.22 -- なんだかなぁ

月曜って、なんで午後3時に昼食ってことがザラにあったりするのかしら?(それはこの日に会議が連続集中するからさ。)

ちなみに、午後3時なんて時間の昼食ってあまりない。マクドナルドは却下!しかたないからサイゼリアというイタリア料理系のファミリーレストランに入ったのだが、失敗・・・最近、このお店、急激に料理の質が落ちている。私がたまたま入った店だけがそうで、チェーン店の他は大丈夫なのだろうか?ハンバーグの鉄板が熱くない状態でやってきて、絶句したことがある。文句を言っても謝るだけで交換しようとはせず、交換を拒絶する始末(ソースが焼けた鉄板で飛び散るという客の要望で、最近はこうしていると言い張る)。今日のパニーニもひどい・・・
二度と行かん。


食事がよくなかったせいか、夕方から徐々に体調が悪くなってきた。


●2001.01.21 -- 住宅事情?

事前に予約しておいた、Cooperative Houseの説明会へ、同居人と同行する。
いろいろ話を聞くが、要するに「マンションの価格で、注文住宅を建てるように設計できます」ということ。間取りはだいたい決まっているが、玄関の位置などは変更も可能だし、部屋は水廻りも含めてすべて自由設計。もちろん、予算との兼ね合いになるわけだが。

で、これは予算面でお金を稼いでいる人のものだ。少なくとも年収1,800万円くらい、家賃に20万以上は払ってます、という人のものだろう。そうでなければめちゃくちゃ節制してお金をためているか。

というのも、説明会を開いて入居対象者を募集すると、建築組合(後のマンション管理組合に相当)を結成。ここから土地の取得、建設へと移行する。その間に土地代、建築費といった現金をきちんと払わなければならず、当然すぐに払えない人のためにつなぎ融資をする。このつなぎ融資を受けられるか、受けてもすぐに返済できるメドがあるか、が重要なポイントになる。その間、現在賃貸ならば、そちらの家賃も払い続ける必要がある。お金を稼いでいないとできないことだ。
さらに、入居前に管理組合などでコミュニティが結成されるということは、逆にそのような村を「悪くない」と受け止められないと、入る意義も半減することになる。

こういう形態の住宅に入りたいかどうかは、とても微妙な心境だ。


ところで、池袋の珈琲職人という喫茶店でお茶をしたのだが、以前にいたマスターがいない。どうしたんだろう?
このお店、隣がいわゆる「ぬきビル」、性風俗ばかりの入ったビルである。近くには中国人も多く、お店にもビシッと決めた中国人のおねえさんがいたりする。いずれにしても、静かにバロック音楽を聞きながらコーヒーを飲んでいる。ここではどんな客も等しく、一杯のコーヒーを飲む。不思議な店だ。
マスターがいなく、おばさんがお店を構えているが、空気はまったく変わらない。

帰りに中古マンションを見たりして、比較してみた。やはりCooperative Houseに住むのが非常におトクかは、微妙なところだと思う・・・


●2001.01.20-- 雪の横浜

起きたら曇天。予定よりだいぶ遅い時刻に出発。


今年初めての横浜。同居人が前に触れた革命的な眼鏡(2000.12.02)の受け取りに。これはなかなか楽しかった。こういう形の眼鏡自体が初めてなので、売る方も調整の方法が手探りになる。どうも欧米人と骨格が違うし、しかも同居人は頭も小さいので調整にかなり苦慮したようで、小1時間も続けてやっと落ち着いた。
この間、眼鏡をかけては店内を歩いて状態をチェックする。注目度はかなり高い。というか、人によっては奇異な目で見る。そんな目で見るこたぁないと思うけど。
この眼鏡は全然ずれないんだそうだ。一度決まるとすごく安定するという。それも不思議だ。一見、形が尋常でないのだが、実はかけると生活の中できちんと扱えるように設計されている。やはり、デザインの革命だ。透明プラスチックのスタンドがついており、セットした時の色の感じは「PowerMacintosh G4 Cube」。かっこいい。
問題は、パッケージ。持ち帰りは帽子ケースのような紙のケースに入れるのだが、でかくて日常に持ち歩く道具の大きさじゃない。ここはやはり日本の生活仕様にあわないのかな・・・

ちなみに、この日は出発時に曇り空だったのが、横浜駅に到着すると、雪。根岸線への乗り換えでどんどん降ってくる。電車を降りて歩くといつもに増して寒く、歩くと鼻水だらだらになる。


寒い中、ガラガラの中華街を通る。いつものお店に行くと、宴会の最中だった。どうも普通のメンツじゃないというか、サラリーマンではないであろうおじさん大勢に混じって、実に派手なおばさんが一人だけ。そして、奥の座敷にはその関係者と思しき家族連れ。夜6時から全開に飲んでいて、すごく騒がしい・・・料理はおいしく、相変わらずでしたが。

デザートなどを追加して待っていると、この寒空に女性三人組。一人はえらくピシーッと男に好まれる派手な化粧と、パンツスーツにダウンのコートでキメている、OLおねぇちゃん系。もう一人は気さくさを前面に出している、アメカジ系。アメカジ系も、さらりと可愛く見せようという化粧はしてる。最後の一人はあまり男にかまけず、自分の趣味に驀進しそうな、食い道楽系(コミケに参加してそう)。食い道楽系がこの店に案内しているようで、他の二人は初めての様子。食い物のことを仕切っているが、他の二人は買い物袋を一杯提げていて、食い気よりは今日の調達品が大切で、そこそこうまけりゃいいという空気が漂う。
この3人、多分男の趣味や買い物の趣味でのバッティングがない。だから、一緒にいても害がない、という関係だろう。他の二人は食い物の話は聞き流していて、できればカレシと来たい、という空気がありあり。寒いしね。雪は見ようによってはロマンチックだしね。

でも、こういう「いかにも」の3人組って最近あまり見かけないと思っていたが、やはりいるんですね。

食べ終えて、中国茶の店へ。今日が週末と思えないガラガラ。もはや商売にならんと、近所のお店も半分諦め顔である。お茶に酔いつつ、今年初めてののんびりを堪能した。

帰りの大雪と寒さも堪えたけど。


●2001.01.18〜19 -- i-appli

淡々と仕事、というか、納品前の修羅場に徐々に入りつつある。


i-mode端末の新シリーズ「503i」は、i-appliという新サービスのスタート。1月26日から。いよいよケータイ向けJavaか。これはCLDC/KVMに対して、さらにDoCoMo専用Profileを実装したもので、パソコンのWebブラウザに出てくるJavaとは別もの。ちなみに、こういうことに詳しくない方々にお伝えしておくと、JavaとJavaScriptは別物ですよ。
Javaとは何かつーと、これはブラウザとも関係なくて、単にプログラムを組むための言語です。ただ、他の言語と比べると実行形態に違いがあり、様々なCPUやOSの上で動くように作成することも可能であること。この「可能であること」が曲者で、確かに可能なんだけど、可能にするためにはそれなりの仕組みと準備がいる。

本当にコンピュータを全面に押し出し始めたケータイ。でも、実体は、端末がインテリジェントになればその分、通信時のデータ量を少なく出来て、より通信サービスの普及に役立つというか、要するに今の料金体系を抜本的に見直す気がないだろーな、つーか。
ゲームをやる人にはちょっと朗報かも。他には・・・そうね、占いサービスとか、競馬の予想とかにもいいのかな?他にはあんまり思い当たらん。

ほんとに普及するかどうかは、コンピュータにかかわる仕事をする者としては、ユーザがどういう反応を示すか見てみたい。もうしばらくすれば、J-PHONEなど他のキャリアもJava端末を投入するけど、みんなそういうものをほしがっているのかどうか。

これほどの経済規模を持つのに、これほどインターネットが広がらない国は珍しく、しかもi-modeのような世界になってしまうのを、私は快く思えない。インターネット本来の持つ広がりを、あえて捨てているような側面があるんだ、i-modeには。


●2001.01.16〜17 -- 川上弘美新作

メモからの清書が遅れて、アップロードまで間があいてしまったな。


16日、火曜日。川上弘美、文學界二月号新作「うごろもち」。
(「うごろ」をかな漢字変換できないんですが。「うごろ」は鼠をしんにょうにして、晏を囲んでいる文字。実は初めて見た文字です。調べると、もぐらのことだという。「もち」は鼠。)。

哀しい話だ。 傑作とか名作ではないかもしれんが、なんというか、今の空気を切り取ってるな。これを読むと、自分が鉤爪で引っ掛けられていく者のような気もしてくるし、会社の人のような気もしてくる。会社の人の声はやさしくないけど、鉤爪で引っ掛けられてうごろもちに連れられて行く者の声はやさしいだなんて、まったくその通りじゃないか。
哀しいな。

ところで、こういう文字を使うということはもしかして、作者は超漢字を使っている、とかいうことはあるのかしら?


17日、水曜日。朝刊に芥川賞と直木賞の受賞者の報道。

芥川賞に堀江敏幸氏とともに、青来有一氏の名が。しかも、青来有一氏の受賞作は文學界2000年12月号掲載の「聖水」。これは2000年11月の猫時間通信(11.15〜17)でも触れているな。私はそこそこ面白く読んだんだけど、正直いうとあんまり感心しなかったのだ。

前にも書いたけど、宗教にまつわる話って、どうしても最終的に救いに行く傾向がある。でも、そうじゃないのでは?という気持ちをぬぐい去ることはできない。
いや、きっと芥川賞は、小説そのものの構成や出来に対して送られたと考えれば、まぁそういうものかとも思うんだが・・・「でもなぁ」と口の端にのぼりそうになる・・・

文藝春秋に、目を通すことになるんだろうな。


●2001.01.15 -- 街の推移、イチ

朝、庭に霜柱と氷。ほんとーに氷点下だったんだ。

ところで、日本の食い物屋の不思議。餃子とパスタは、専門店に限ってうまくない。なぜ?


住んでいる街から、まんが喫茶が1軒なくなる。気がついたら撤収工事をしていたようで、もうなくなっていた。さみしーな。一時期は隔週で入って、週刊誌や単行本を読んでいたのだがなぁ。過去形である理由は、今の会社に移ってからそういう余裕がなくなってきて、平日は寄れないし、休日は別の用事で埋まるばかりだから。そういう人が増えたの?それとも、24時間営業しないともたないんで、閉店するの?
もう1軒残ったほうは開店したばかり。リクライニングの椅子などがあるのはいいが、肝心の雑誌やマンガの数が少ない。って、なんでそれでまんが喫茶なのよ?ちなみに、こちらは24時間営業で、インターネットもあり。

そこからちょっと歩いたとこにある、長い間夜逃げ同然で放置されていたプレハブを建て直すようだ。てんやがオープンするらしい。それなら悪くない。安くて早くて、けっこう。味気はないけど、リーズナブルだしね。
でも、成功するお店がことごとく「リーズナブルなチェーン店」というのが、ひっかかる。昨日の個人経営のおいしいビストロを、再び思う。


同居人が買ってきたコミック「殺し屋1(イチ)」の第8巻。ヤングサンデーに連載。最近連載をフォローしてないので、この巻からは初めて読む部分に突入する。

しっかり話が終結部に向かって進んでいく。こういう凝縮してゆく話は、書き手も消耗するだろうなぁ。ジジィの正体は明かされるのかな。きちんと終わってほしいな。


●2001.01.13〜14 -- 寒い週末、暖かい料理

あまりの寒さにふるえ上がってますが・・・昔はこのくらいの寒さも珍しくなかったように思う。

寒さもまっただ中にいて、20代の頃と一番違うこと。
それは、寒さの厳しさに向かって前のめりに傾斜させる姿勢がないことかな。前のめりにカッカと歩くと、腹の中から熱が発散されてきて体中に周り、やがてその熱が自分を駆り立てるエナジーになる。
そういう瞬間が減ってきたこと。

それはそれで、まぁ仕方ないとしても、年なりの厳しさは持ち合わせていないと。


13日の土曜日、予約してあった床屋で、カットと染め。今回は、前よりもっと明るい。青紫というか、茶が入っているというか、光の加減で色合いが変化して楽しい。
不良中年にならねば。(なんや、それ)

買い損ねていた今月のYOUNG YOUを買う。村山由佳の小説がコミック化されていた。そういえば、別冊のほうでも篠田節子の原作とかなかったっけ?ストーリー・テラーが待望されているのだろうか。
「明日の王様」、これはちょっと都合がよすぎるような。いや、それまでもめちゃくちゃ都合がよかったわけだが、それは仕事だけにとどめておかないと。今月は鴨居まさねが「雲の上のキスケさん」でなく「Sweetデリバリー」なんで、いまいちかな。

近所に出来たばかりの新しい中華料理屋に入る。なんつーか・・・妙にきたなくきれいというか、コジャレたというか。ワイングラスかなんか並べて、夕方から深夜まで開いている、中国料理居酒屋というところか。
ところが、店の換気が悪くて寒い席はあるわ、妙にかっこつけてるけど従業員の教育は行き届いていないわ、こっちが何に不満を感じているか察しがつかないわ。うーん、これは初めて店を持ち、かっこのつけかたや食べ歩きなんかはしてきたけど、本当に心地よいサービスとはどういうことかについて真剣に考えたことがないのでは?そのせいか、文句をつける客が二組もいた。開店早々でこれは珍しい。
で、味はいいのか?・・・うーん、これがなんとも、料理がアツアツから温くなる状態へと変化している最中に持ってくる。チャーハンもパリパリではない。何かが違う。厨房はそう不真面目そうには見えないのだがな。
お金をかけた店には違いない。でも、お金のかけかたのピントがややずれている。ちゃんと勉強し直したほうがいいけど、店がそれまでもつかな。もたないと、それはそれでとても気の毒なんだが・・・でも、もう一度行くかと聞かれると・・・うーん・・・


14日は通信の知人と銀座でランチ。銀座って高いんだよねー、といいつつ、居酒屋のランチが目についた。これで安くあげることにした。さらに、スターバックスのコーヒーと、夕方まで1,000円くらい。まるで「銀座で安さに挑戦」しているみたい。移動するとあまりに寒いので、最後にまともな値段の喫茶店に入った。ここが一番高いものになったくらい。でも、それで考えると、もっといい店に入ればよかった。味がいまいち。寒くて早くお店に入りたかっただけなんだが。
銀座の空気って、明らかに海寄りだ。内陸部の空気と違う。東京でも北西部は完全に内陸性になる。横浜から帰ってくる時にも実感する。そして、銀座や神田の空気を吸うと、私は山の手育ちでも、買い物やいいことがあるたびに下町の空気を吸っていたんだと実感する。武蔵野と山の手はまったく空気が違う。

6時半に友人とわかれて(一緒に食事をしてもよかったのだが、この日は戻ることにした)、家の近所のビストロで同居人と待ち合わせて食事。すっかりなじみになっているんで、あけましておめでとうございますから始まった。
鴨のしっかりしたテリーヌ、茄子とトマトとモッツァレラチーズの香ばしいオーブン焼き、牡蠣のチャウダー(うまい!)。十分あったまったところへ、さらにシーフードサラダ。とどめに薩摩シャモのオーヴン焼き。焼いた時に出る肉汁を活用したソース、それを吸ったつけあわせの野菜。満足のいく食事でした。

昨日のお店とはうって違って、本当に顧客の望みをみながら供されるサービスと料理。お金を払う食事って、こういうもんだよな。


さて、再び希望に向かって頑張るぞ。


●2001.01.12 -- 疲労困憊

どっか美しいホテルに泊まって、一泊二日でいいからのんびりしたい・・・


あまりに疲れたんで、早く出て、マッサージをしてもらう。

今日はそんだけ。


●2001.01.10〜11 -- PowerBook G4, New PowerMac, Mac OS X

なんか、毎日寝るのが遅くなって、眠いぞ。でも、仕事中の居眠りはせんけど(というか、できんような仕事の密度だ)。


朝、起きてから朝食をとり、洗顔とヒゲ剃りをして(もちろん歯磨きもするよ)、着替えながらザウルス君にメール取りをお願いしている。

で、1/10の朝、起きたら、世の中はPowerBook G4 Titaniumだった。というくらいに、しつこい記事がMacWire Onlineのメールニュースで届いていた。会社で業務の空き時間に、また少し読んだりする。

ついにポータブルマシンにもPowerPC G4。チタニウムによるボディ、G4 Cubeを連想させるデザインセンス、清潔なライン。実物を見ないとわからないが、VAIOより薄いというのはなかなか。でも、独自のスタイルやセクションを生み出したわけではなく、VAIOと競争することになるのね。そういうので、ほんとにいいんか?
いずれにせよ、2.4kg、スロットイン・ローディングのDVD、5時間持続するというバッテリなどの特徴と相まって、まぁそこそこは売れるんでしょうな。
でも、私にとってのインパクトはやや弱い。NoteBook PCは大きさと重さとスタイルが結局似通ってくるものだ。どうやって独自性を出すか。それっと、やっぱりソリューションなんだけど、ここにはその華がない。
逆に、PDAとNoteBook PCの間隙を縫うような、MacOSを小型にしてHDDを搭載しない、電子ノートと呼べるようなマシンを出さないかな。それと、PowerBook G4と、PowerMac G4とが透過的にネットワークで繋がって、相互のストレージを相互に参照できるの。そういうのがいいなぁ。

私がニュースを読んで気になったのは、DVD-RW/CD-RWを搭載して、初めてDVD作成マシンとしての名乗りを挙げたPowerMac G4だった。音楽データ、映像データ(静止画、動画ともに)を一括して取り扱って、統合的な環境たらしめる"Digital Hab"という発想も、悪くない。ここにははっきりとソリューションがある。テレビを標準で搭載しないのが、ちょっと詰めが甘い感じだけど。
PCIスロットを1つ追加して4つにしたし、システムバスも133MHzになった。というか、やっとIBM-PCの最新環境に追い付いた点は、むしろ遅きに失した感じ。でも、こういう総合的で地道なスループット向上は絶えず続けなくちゃいけないから、よしでしょう。
これでやっとPowerMac G4は完成形に近付いたのでは?

いずれにせよ、実物を見てからですね。PowerMac G3の時にも、G4 Cubeの時にも、やはり展示機を見て初めて納得したことがありましたからね。


Mac OS Xの発売日は3/24で、日本でも同時発売だそうだ。ただし、マシンへのプリインストールは7月以降。つまり、それまでまだバグ出しの可能性があるのね・・・
でも、これは事実上のVersion 1.0だ。1.0を出すのは、かなり苦しいもんだ。真剣に頑張って、豊かで柔軟性ある土台をまずは構築し、早急に今の洗練された操作環境を取り込んでいってほしいな。どうせ最初のバージョンですぐに今の作業を移行できるわけではないはずだし。

最近思うんだけど、ほんとうに今の私には、水や空気のように存在感がないけど重要なものなのだ、マックは。これがコケることは、できる限り避けてもらえると助かる。

え、私のPowerBook G3?うん、すごく安定しているし、満足度が高いです。


●2001.01.09 -- 本格スタート、ゴーリー

再び会社の始まり、今度は取り引きもみんな動いており、本当のスタート。


昼休みに、会社の近くの本屋で文芸誌をいくつか買う。まだほとんど読んでいないが、「新潮」は水村美苗の「本格小説」が順調に続いているようで、安心。

眼精疲労で早めに会社を出て(とはいっても、夜の8時は優にまわっているんですが)、家で寛いでいたら、残業してた同居人が絵本を買ってきた。

『ギャシュリークラムちびっ子たち』エドワード・ゴーリー(柴田元幸・訳)
河出書房新社

私の友人がWonderful World of Edward Goreyというホームページで紹介しているゴーリーだ。
なかなか強烈にブラックで、あたかもイギリス人のように見えてしまう(実はChicago生まれだそうな)。しかも、原文と対照されている翻訳がまたいい感じのこなれた日本語のリズムになっている。ちょっと谷川俊太郎の翻訳を思い出すが、もちろん持ち味は全然違う。

巻末の略年賦に、友人のページも引用されていますし、有名なファンとしても触れられてします。えらいなぁ、きちんと一つのことをやる人は。

・・・友がみな我より偉く見ゆる日よ・・・でも、本を買ってきたのは妻で、残業の果てに、深夜に飯食ってますが。(苦笑)


●2001.01.07〜08 -- 雪、オフ会

7日は、前日の夜更かしから起床も遅く・・・なじみの喫茶店へ赴き、遅めの昼食(つーか、おやつの時間だよ、ふつー)。32〜33歳くらいまでは、ああいう徹夜の翌日、軽い仮眠の後で神保町に本を発掘にいったりしていたんだよなぁ・・・体力あった、というか、以前はだいぶストレスが少なかったのだ。

喫茶店でいつもの辛いカレーを食べ、飲み物をおかわりしていたら、外は雪。買い物が出来なくなると困るので、買い物へ。その途中、あまりに寒いので、別の静かに喫茶店に寄る・・・って、なんておバカな1日。夕食は自宅でおいしくいただく。

明日、オフ会(とはいっても、学習会がメイン、その後に懇親会)があるので、それに備えて2時間程集中して学習。気付くと、外は真っ白だった。


8日、起きるとまだ霙が降っている。寒い!なんとか起きて、軽い朝食の後で出かける。意外に雪に足をとられて、駅にたどりつくのに倍の時間がかかる。

オフ会自体はまぁ楽しかったです。しかし、寒い日だった。内容は秘密。


●2001.01.06 -- レニングラード国立バレエ団、旧友

再び3連休。同居人と友人との待ち合わせに急ぐ。


バレエを見るなんて、何年ぶりだ?今回は有楽町の東京国際フォーラム、ホール。入り口にて待ち合わせる。ちょっと遅れて友人登場。いつものことなので、驚かない。

レニングラード国立バレエ団の公演、本日は「白鳥の湖」なり。話を聞いた時に「くるみ割り人形はないの?」と思わず質問してしまった。こちらはすでに終わっている、とのこと。大人しく「白鳥」を観ることにする。こっちは話が単純な悲劇である上に、音楽の豊かさに乏しい。光る旋律は多いんだが、全体として「くるみ割り人形」より圧倒的に劣るからだ。

で、肝心の公演。うぅん、あれれ?こんなだっけ?こう、もっと酔わせてくれぇ!と少し欲求不満。第3幕に入ってから急激によくなり、群舞の動きに乱れがなくなったが、それまでは踊りにばらつきが大きすぎて楽しめない。よかったのは有名な「四羽の白鳥の踊り」。プリマはしっかりした上手な踊り手だったが、どうにも「仏作って魂入れず」というか。
第2幕、くるくる速く廻る踊りでも、手の先の処理がやや雑で、今一つ動きの統制が弱くてきれいにいかない。残念賞。
もしかしたら、2日連続の公演なので、2日目に行くとよかったのかも。

一番腹が立ったのは、オーケストラの音をP.A.を通していたことだ。マイクを通したオケの音など、CDみたいなのっぺらした音になってしまい、意味ない。生のゾリッとした音こそ、オケの快感なのに。
それだけではない。マイクが音をどんどん拾うため、最前列の観客の拍手もマイクに入るし、バレリーナの足音もマイクに入る。群舞が多いこの舞台では、オケのピアニッシモに「ドカドカドカ」とバレリーナの足音!これはさすがに参った。ここまで音がするバレエの舞台は初めてだ。


同居人が思い出したので、プランタンで食器を一つ調達。この間、友人は熱心にワイングラスを見ていた。(ソムリエの資格を持っている。)
友人の師匠が勉強会の会場に使うトラットリアで夕食。早めに着いた(午後6時前に夕食なんてめったにない)ので、いい席でラクに食べることが出来た。値段に見合った味で、リーズナブル。

気分がいいので、さらに飲みへ(つーか、私はバーボンをなめるだけ)。どこへ行こうか迷うが、昔よくいった店の話などをしながら歩いていて、懐かしい銀座3丁目のバーへ。空いているので、ゆったりとあれこれ話をしていたら、なんと午前2時の閉店時刻になってしまった。
その話題とは、最後のほうは懐かしい高校時代の話題が中心だったけど、やはりオタクっぽい話題が多いのは変わりない。昔みたいに硬い話をバリバリしなくなったが、その分、出てくる話は「どうやって趣味的人生に埋没できるか」。
しかし、彼はまだいいのだ。学生時代が長くてたいへんだったけど、関西の大学で助教授職を見つけて生きている。民間に出た私は、常に食うためだけにやらなければいけないことを、特に30を過ぎてから大量に抱えるようになった。彼も一度は出版社で働いたことがあり、現在の境遇を「確かにいろいろ問題や腹立つこともあるけど、勤めていた頃を思えば天国」と断言していた。私がいま目指すべきも、こういうことだろうか。

もう1軒行こうか迷ったが(飲んだほうが、タクシーで帰宅するより安い)、私は連休は用事があるので、次回にした。次こそは、横浜に、中国茶を飲みに行こう。そんで、最後はニューグランドのSea Gardian IIで飲むか。(苦笑)

帰りの道はひどく空いていて、とても東京とは思えない。空に傾く月が、ぱりぱりに貼付いている。星の鋭さに寒さを実感しつつ、銀座から練馬までほんとにすぐに着いてしまった。


●2001.01.04〜05 -- 始業

会社の始まり。初日からフルタイムの勤務だ。やれやれ。相手先がほとんど営業していないので、まだマシだが。


街を歩いていて思うが、この週はほとんどが年始の挨拶周りに使っているようで、ほんとに仕事をしているところは少ないように見える。車もまだ少ないし、大手メーカなどは休むところも多い。

私は東京の生まれだ。そして、毎年こういう時期に、本来の東京人口の少なさを思う。人口がこれだけ少ないと過密がなくなって楽だが、過密都市だからこその楽しさを実は、享受している。だから、離れられない。


●2001.01.03 -- 実家、「海の上のピアニスト」

実家に行く約束のあった日。前日の夜更かしで寝坊気味になる。デパートで甥っ子のためのおもちゃ(積み木)を買っていった。

実家では食い物漬けになる。そして、それ以上に私のリズムと実家のリズムとのずれが、特に家を出て数年を経てから大きくなっていることに気付く。しかも、親とはどうあがいても一生親子関係がある。
難しくないことは、一度意識するとものすごく難しい。


前日は、「ガンダム III」に続いて「海の上のピアニスト」を観た。例の「ニュー・シネマ・パラダイス」を撮った監督トルナトーレに、同じ音楽担当のエンニオ・モリコーネ。となれば、これは泣く映画なんであろう。

と思って観ても、今回はちょっとなぁ・・・
これは現代のおとぎ話だ。もちろん、そんなことはわかりきっているのだから、つまらん難癖つけずに、素直に見ようと最初から思ってはいる。でも、ちょっと饒舌だ。「ニュー・シネマ・パラダイス」は適度な省略が効果を生んでいたけど、これは台詞がしっかりし過ぎ。

「ニュー・シネマ・パラダイス」の、あのラストシーン、わかっていても何度でも観たくなる、ちょっとくらい構成が甘くても許せてしまう魅力。そういうもんが、ほとんど感じられない。


おとぎ話を作るなら、徹底的に酔わせてくれなきゃ。それが芸ってもんではない?映画のプロの、芸が観たいよ。


旧友より電話。6日に、バレエを観に行こうと誘われた。快諾。


●2001.01.02 -- 竹内まりやのライヴCD

起きたら暖かく、同居人が洗濯物を干そうとしていた。私は少し床掃除を。年末にバタバタしていてさぼったもので・・・


「ガンダム II」は借りられなくて、「ガンダム III」を借りてきた。昨日に続いて観た。ララァとシャアにアムロが絡むこの巻は、今観ても独特の重量感があるなぁ。

やっぱり、このIII巻を見ないと、見た気がしない。


昨年の日記に書き損ねたこと、第2弾。

昨年のクリスマス頃にCDを数枚買ったのだが、SADEの新譜(8年ぶりだそうだ)と、竹内まりやが今年の夏に18年振りに開いたライヴの収録がある。購入の動機・コンセプトは「懐かしいけど、今聴きたいもの」。

しかし・・・竹内まりやの写真を見て、絶句・・・この人、もう30代後半の私より年上なんだぜぇ!録音を聴くと、久々のライヴで緊張していて喉のコントロールがきいてない部分があったり、やっぱり少しおばさん声になってきたかなぁと思ったり。でも、それ以上にこの人の持ち味である、一見平凡に聴こえるけど、とても良質の楽曲が次々に流れると、素直に「いいなぁ」とつぶやきが出る。達郎らの声が入ると「上がってるのかなぁ、それとも、やっぱりまりやはパートタイム・シンガーなのかな」などと思ったりもするけどね。曲がいいから許せてしまう。
ちなみに、アンコールに入ってから「不思議なピーチパイ」〜「セプテンバー」と流れると、タイムスリップである。この曲が流行った頃、私は高校生だったはずだ。まだ歌謡曲の残骸がいっぱい残っていた時代であり、J-POPSなどという言葉もなかったし、J-WAVEも存在しなかった。小林克也の「ベストヒットUSA」で洋楽(という言葉も死語のはずだ!)の動向を知る時代でもあった。私はアマチュア・オーケストラに所属しながら、日本で西洋音楽を奏でること、そして、西洋の古楽を奏でることに対してグチャグチャと青い悩みを吐露していた。音そのものの快楽に、衒いなく身を委ねることが可能になったのは、私は30歳を過ぎてからである。その頃、日本はバブル経済が破裂して、やっと豊かさとは何かを皆が考えようとし始めていた。今聴くと懐かしいこういったきらびやかな音は、実は日本という国自体にまだいくらかの若さが残っていた時代なのかもしれない。
そして、このライヴ録音はバックのリズム隊が山下達郎バンドになっており、極上の音をたたき出すもんで、オリジナルの録音よりもいい音、いいリズムが出てくる。今という時代に、当時の光がより強く降り注ぐ、その逆説的な響き!


●2001.01.01 -- 「本格小説」、ニューイヤーコンサート

21世紀だ。正月だ。

正月と言えばおせち料理だが、子供の頃に「お煮染め」が「鬼絞め」に聞こえていたのは、私だけだろうか。


大晦日から元旦への節目を、今年は喫茶店で祝った。というか、祝うつもりがなかったのだが、同居人がコーヒーを飲みたいと言い出して、近所で唯一初詣客が入れるお店へ。23時45分くらいに入店すると、たまにお会いするアート系のパフォーマー/ダンサーがいらしていた。毎年いらしているそうで、今年は台湾の方を御案内しているそうだ。
コロンビアをおいしく飲んでいると、常連客らしき方がクラッカーをテーブルに置いていった。そして、カウントダウンとともに、クラッカーを鳴らす。今の場所に住んで何年にもなるが、こういうことをやっているとは知らなかった。ついでに、果実酒やワインまで御馳走になってしまった。

改めて自分の生活がパターンにはまっていることを自覚する。


昨年の日記に書き損ねたことで、一番大きなことから。

「新潮」1月号に掲載された「本格小説」水村美苗。短期集中連載の第1回。
自伝的な叙述を進めながら、自分と多少の縁のある、一人の男の生涯に触れる話。

実は、この月の各種文芸誌の連載の中で、一番わくわくしながら読み進めたのが、この小説。水村美苗は「続・明暗」で話題をさらった方であり、その一見古風な文章はすでに定評がある。しかし、それ以上に私が今回改めて感じ入ったのは、日本の近現代の叙述文(それこそ漱石や鴎外らがその生涯をかけて開拓し、ほぼ完成の域に達したもの)そのものが、明治から日本円365円 = アメリカドル$1 だった頃までの記述にひどくマッチしている点だ。
逆に言えば、日本の近現代の小説の開拓した言文一致体が、実は欧米に追い越せ追い付けとひた走ってきた時代の空気(むしろ近代を獲得したからこそ生じた個人のための文体と呼ぶ方が正確だろうが、そんなことはたくさんの評論書に出ているはずだ)を切り取るものなのであり、それが拡散してからは言文一致という前提が崩れていること。さらに、1970〜1985年くらいまではまだリアルな感覚を持って描けたものが、もはやそうではなくなってきているという、至極当たり前の事実である。というか、今さら気付く自分の間抜けさに、少々呆れもしたのだが。

小説とはロマンスだ。日本人にとってのロマンとはある意味、それこそ欧米を追い越すことだったのかもしれない。そして、一見それに成功したかに見えて、実はひどく脆い繁栄だったことに今さらながらに気付き、自信を失っているらしい。続くロマンを見出せないこと、それ自体がこの10年ばかりの混沌を招いている、というのは私個人は短絡的な捉え方だと思うが、まったく的が外れいているとも思えない。(高橋源一郎の明治文学へのこだわりは・・・これはまた別の機会に。)
しかし、いつの世の中でも、最初に何かに気付く人は、実は一番その時代の文学らしさ、音楽らしさ、芸術らしさから一見離れているように見えて、順当に考えるとそこに行き着くしかない何ものかを表現しようとするものだ。
「本格小説」は、あえて古臭い文章と時代性を出しつつ、それを描く困難さに直面することを素直に吐露する。そして、本当の話はここから始まるんだけど、と前置きするかのように、次回へつないでいる。

楽しみになるかそうでないかは、次号を待つより他はないが・・・


ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを鑑賞。今年はかねてから楽しみにしていた、ニコラウス・アーノンクール指揮である。このために、私はあえてベルリン・フィルとやったウィンナ・ワルツ集を聴かないでいた。

で、実際に聴き終えてみて。アーノンクールらしく、19世紀後半のウィーン社会で鳴り響いていた音と情緒を、まさに的確に表現しようとする演奏だった。速い曲をあえて避けて、ワルツを中心に配した選曲。フレーズの入り口でたっぷりとため、弦楽器に悠々と歌わせるフレージング。その頂点は、やはり「青き美しきドナウ」でも出ていた。極め付けは、まさにマーチのリズムをとるラデツキー行進曲。最近の主流よりもだいぶゆったりしたテンポで演奏されるその音楽は、現代の好みとは違うかもしれないが、実にウィーンらしき好みだと思う。
私がこれで連想したのは、1950年代まで活躍していた、オーストリアの古き巨匠達の音楽である。ウィーン・フィルが21世紀の始まりにあたって、一見過激な音楽をやると聴こえるアーノンクールに託したものは、実は「ウィーン・フィルはウィーン子のもの」ということだったのかもしれない。考えるまでもなく、アーノンクールは生っ粋のウィーン子なのだから。

しかし、21世紀に入った当日に、小説と音楽の2分野で、近代の入り口について復習をしているとは!


他に、借りてきたビデオ鑑賞など。「ガンダム I」を同居人と一緒に観る。うーん・・・古臭いところはあるけど、やはりこの作品は一時代を画するもんだな。


 


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