98年6月の猫時間通信


●98.06.22 -- 久々の秋葉原

闘病通信の方は少しずつ書いていたけど、 こちらのほうは間があいてしまった。

6/20の土曜日は、珍しく晴れて暑くなった。夕方から、 散歩と運動を兼ねて、秋葉原へ赴く。石神井公園ばかりでは 飽きてくるので(私は、つくづく東京生まれなのだな。 山の手からちょっと下った空気のほうが水にあう)。 ただ、ゆっくりゆっくりと歩くのが、いままで行く時と 違うところだが。
秋葉原は、SONYがVAIOの大キャンペーンの最中だった。 風船と、カタログを入れた袋を配っていて、みんなが 持って歩いている。町中が薄紫色。そのせいか、大量 入荷したVAIO 505をぶらさげて帰る人もたくさんいる。 なんだか、SONYの勝利宣言みたいだ。

昔と変わったなー、と思うのは、こうやってパソコンの 箱をぶら下げて帰る人の外見が「ごくフツーの若者」みたいな 人が増えたことだ。カップルで来ているのがすごく 多い。そして、女性は今風のサンダルはいて、ミニ スカートで足がきれいで、渋谷にいてもおかしくない 子たち。で、男のほうが本体とプリンターと、 女の子をぶらさげて帰る。なかなか笑える。

私は、特に何を買うでもなく、なんとなくT-ZONEのモバイル 売場などを見て、最近のパソコンの値段やらソフトの 値段やらを確認して、帰ってきた。
ちなみに、VAIO 505が売れたことに刺激されてか、 薄いノートマシンがたくさん出るようだ。シャープの Mebius PJなんか、モロに真似。あそこまでいくと、 いさぎよいざーんす。でも、VAIOのほうがかっこいい。 Panasonicが真似しないのは、ちょっと立派かな。


ところで、有名な野良猫がいたのだが、ホームページが あったことがわかった。
☆ここです
この子、まだ小さかった頃に見かけて以来、私も 何かと気にしていた。小さかった頃は、近付くと 身構えて「こないでー」と叫ぶ子だった。その 頃は小汚くて、毛並も悪かったが、定住場所を見つけて、 餌ももらえて、最近は家もあって、待遇良くなっている。 しかも子猫まで生んだらしい。
ご覧になりたい方は、まぁ、秋葉原を探してみて下さい。 (有名だから、知ってる人のほうが多いのかな?)


●98.06.05 -- お茶と紅茶
紅茶というと、イギリス文化。
でも、これ、私はなんか違うと思うんだな。なにも、 「マリアージュのようなフランス系のおいしい 紅茶の店があるから」などといいたいわけでも ないんだ(それに、マリアージュは悪くないけど コストパフォーマンスがいまいちだと思う)。
私がいいたいのは「イギリスの紅茶文化って、 そんなにすごいの?」ということ。

なんでわざわざこんなことを思うのかというと、

といった一連の流れがある。ちなみに、今年(98年)は、 中国茶ブームは間違いなさそうですね。


紅茶をいれるときに、まずお湯のことからいいます。

「お湯は、水から新たに沸騰させる。水は空気をいっぱい 含むようにジャーッと入れて、しかも、空気のあまり抜けて いない状態で茶葉を入れなければ、おいしくはならない」
けっこううるさいよね。というのも、大事なのは茶葉の ジャンピング(沸騰したお湯の中で、茶葉がグルグルと 踊ること)で、空気をたっぷり含んでいないと、これが できないといいます。
でも、上質の中国茶(そんじょそこらのウーロン茶とは 違います。飲んだことある人は、すでに違いを実感して いるはずですが、缶のものではないのはもちろんのこと、 高い中華料理屋で出てくるのもレベル低いことが多いので、 まずは横浜中華街の三希堂とか、銀座の英記茶荘あたりで どうぞ)をおいしく飲む時に、こんなこといいません。 軟水を沸騰させて、中国茶の急須 に入れた茶葉にさっと注ぎ、抽出したら飲むだけ。 それだけで、じゅうぶんにおいしい。
この違いはなんなんでしょうね?

それだけじゃない。イギリスでは

「茶を本国に持ち返ろうと舟で輸送している最中に、 船室でハッコウが進んで、紅茶が発見された」
とまことしやかにいわれている。
これ、大嘘。だいたい、ハッコウさせて飲むお茶自体、 中国では紀元前からあるし、完全ハッコウの紅茶も 古くからあります。この点は、イギリス人が嘘を ついたのか、日本人が勘違いしたのか知りませんが、 間違っています。
ヨーロッパの人にとっては、きっと半分しかハッコウ していないお茶より、完全ハッコウの紅茶のほうが よかったのでしょう。それをイギリスが東インド会社 経由で独占輸入権を獲得した(中国はお茶を国際的な 輸出品としていて許可がないと持ち出せなかったから、 インドの山奥で茶畑を作って独占した)ため、好き勝手な 伝説ができてしまったのかもしれません。

(以上は、紅茶の輸入業をやっておられる専門家からの 教えも、混じっています。)

そんなこんながあって、私は「イギリスの紅茶文化」 だの「本格的な紅茶のいれ方」だのは、なんだか信用 できない。論理的に納得できないものが多い。
上質の新茶なら、お湯のわかし方なんぞ、うるさく いわなくても、じゅうぶんおいしい。これは新茶の 紅茶(インド産のでも、中国産のでも)で確認しました。 逆に、もしもジャンピングをしないとおいしく ならないなら、これは「短時間で効果的な抽出を しないと渋くて飲めなくなる」ことを意味しており、 劣化したお茶の場合にこそ、意味があるいれかた なのではないか。 私は、自分なりにある考えを思いつきました。
昔の船での輸送は、かなり劣悪な条件だった。今みたいに 温度管理もできない。その中で、おいしい新茶は 輸送中に劣化して、決しておいしいとはいえない 状態になっていた。また、イギリスは水の事情が よくなく、日本や中国のようにお茶にあった軟水が あまりない。そこで、短時間抽出法を編み出して、 さらにこれを「紅茶文化」として、高価な茶器などと ともに、イギリスの経営するインド物産として売り 出したのではないか。さすが大英帝国。

これは定説ではないでしょう。
でも、私は紅茶に関しては、イギリスの流儀と いうやつが、ぜーんぜん納得いかないのだ。いまなら、 インドの新茶の紅茶が、きちんと温度管理されて輸送され、 それを中国茶同様にぞんざいにいれても、おいしく 飲めるのだから、こういうことを考えたわけ。
逆にいえば、今ならば、自分で茶畑から取り寄せた 上質の新茶なら、何も「紅茶のいれかた」にこだわる 必要はないわけだす。
イギリス紅茶文化のいうことをきかなくても、 そもそもお茶は中国や日本の方がずっと古い歴史を 持っているのだから、自信を持って言い返して やりましょう。


●98.06.01 -- ピアソラのライブ・ビデオ
バンドネオン奏者であり、作曲家でもあるアストール・ ピアソラについては、以前から注目していたし(私の 音楽観賞ページ にも書いたし、私は80年代から知っていて、今の ブームのはるか以前に触れていた)、その凄さはわかって いるつもりでは、いた。
でも、違っていた。ぜんぜん、わかっていなかった。 ピアソラのライブがビデオに収録され、それを見て、 つくづく思い知らされてしまった。

彼は数々のライブ録音を残しているし、CD化もされてきた が、ビデオが発売された初めてである(調べた。本当に、 どこにもなかった)。
それ以前に、知人から来日公演のNHK放送分を見せて いただく機会があり、実に淡々とした演奏ぶりから、 あの熱気に満ちた音楽が出てくるところは、すでに 見ていた。

でも、全然違うのだ。この、1984年のモトリオール・ ジャズ・フェスティバルに呼ばれて出た時の、演奏は。
聴衆が、まず、待ちわびていた演奏を聴けた、という 喜びに満ち満ちているのが、ビデオからでさえ伝わって くる。それに応えて1曲目から、豪快にトバしていく ピアソラ5重奏団。演奏自体は確かに来日公演の ように、淡々と奏でていくだけなのだが、気合いが ぜんぜん違う。会場の雰囲気が音楽を作っていく、 いい例だろう。
3曲を一気に演奏して、満場の喝采を浴びる彼ら。 そして、メンバー紹介。そこで、喝采を浴びまくると、 会場の空気が一変する。そう、なんというか、それまで ちょっとあった、会場の熱気と、演奏者の熱気との ズレが、ここで完全にシンクロしたのだ。

続く「哀しみのAA印」(私の記憶違いでなければ、 AA印はバンドネオンを作っている会社のはず。そして、 いかにもそれらしく、バンドネオンの性能を極限まで 引き出したような音楽)。
バンドネオンのたっぷりしたソロから、ピアノが からみ、他の楽器も入ってきてから、引いては寄せ、 寄せては引くように音楽がうねる。平凡なジャズ演奏のような お決まりのコーラスを繰り返すのではなく、 それぞれの奏者が自分の持ち分を、ギリギリの ところまで力を出しながら、どんどんと音楽が 大きくなってゆくその様は、まったくの圧巻。 アンサンブルが崩れるのではないかと思うような ところさえあるのに、実は微動だにしていない。 この1曲で、私はピアソラという男の大きさを 感じて、胸がふるえた。

そして、それが終ってから、名曲「アディオス・ノニーノ」。
たっぷりとした美しいピアノ・ソロ(しかも、アドリブ が随所に)。いつものあの曲が、これほど甘くロマンティック になるのか。そして、それがテンポをゆるめて半終止する、 というところで、さっそうとピアソラのバンドネオン。 いつものテンポ、いつものテーマ、そして満場の「待って ました!」の拍手。それは、沈黙を破った野武士が、 ギラリと刀を抜いて登場するような緊張感、まるで 黒澤映画のような1シーン。なんてかっこいいんだ!!


私が今回のビデオを見て、強く思ったのは、ピアソラは ベートーヴェン以来の音楽を紡いだ人なのかもしれない、 ということ。
ベートーヴェンは、交響曲の第3番<英雄>の第2楽章、 葬送行進曲で、哀しみから高揚、そして、絶望と男泣き、 自虐、現実との向かい合いという具合に、古今東西珍しいくらいの 感情の振幅の激しい音楽を描いた。特にこの、男泣きという のは、あまり他の音楽に表れてないように思える。
ともすれば、ただのド演歌になり、自分を憐れんでただ 世を怨むだけの音楽になりやすいからだ。でも、生きていて、 哀しみや絶望を感じずにいる人間は、世にはいない。これほど 音楽にするのに難しいものはなく、しかし、本当に 感情を結晶にして紡ぎ出せれば、これほど心を打つもの もない。

ピアソラの音楽は、時々この、男泣きが聴こえる。そして、 絶望や哀しみの中で、生きていく人々の声が聴こえる。 だから、こんなにも多くの人々に愛される。 ジャズからも、クラシックからも、タンゴからも、 ロックからも、尊敬の眼差しを勝ちとれる音楽家を 他に誰が想像できるだろうか。彼以外にあり得ない。その 秘密の一端が、このビデオには隠されている。

きっと、これを見ずして彼を語ることなど、許されないだろう。



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