2000年12月の猫時間通信


●2000.12.30〜31 -- 横浜、年明け準備

30日、横浜は元町の金明堂へ、眼鏡をとりに行く。いや、できていてよかった。ちなみに、同居人が買った、かの革命的な眼鏡も来てました。これは来年、レンズを入れてもらうということで、さらにお預かりに。あと、金明堂の催しに、ぜひかけてきてほしい、というリクエストが。とにかく、注目度大なのだ。

暮れゆく元町を後に、桜木町へ移って、Queensの茶の葉でお茶。さらに、買い物。疲れたので、ホテルでお茶。初めてパン・パシフィック・ホテルでお茶をしたが、ここはまぁまとも。ロビーは小さいけど、店の空間はゆったりとってある。そして、多分フォーシーズンズホテルを目指している。志はかいましょう、がんばってほしいもんだ。MM21はハードはあれこれあるけど、ソフトウェアはまだまだなので。


31日、年末の買い出し。その後で、ちょっと池袋へ。食器にひびが入ったので買おうと思ったが、店が模様替えしてしまってもうわからない。仕方なく、お茶をしてから、CDなどを見る。結局、「Millenium on the music」の国内盤を買うことに。

いやー、このCD、懐かしすぎるわ。70年代から80年代の名曲がずらずら。最後がS&Gの「明日に架ける橋」。FM東京が79年から80年への節目を、この曲で飾ったのを私ははっきり記憶しているぞ!やっぱり時代の変わり目はこの曲なのか?!


というわけで、2000年の猫時間通信はこれでお終いだ。今年の9月後半くらいから、急速にテンションが下がったけど、来年はちょっと心を入れ替えます。というか、まさにその準備中。すぐには立ち上がらないだろうけど、鋭意進めてます!


●2000.12.28〜29 -- 年末の買い物!

年末までに一つ予定があったのだが、あまりに忙しくて諦める。というか、身体がついていかん。

で、それを諦めた時間を使って、少し買い物。最大の買い物は、新しいザウルス MI-E1(通称e-Zaurus)。迷ったけど、やっぱり最近の通信事情などについていくために、買い換えにした。割合あっさりデータを移行できて、よかった。買った翌日にはシャープのスペースタウンというサイトから「レポート&自由帳」という、古いデータとの互換性をとるためのソフトを購入して、ほとんどのデータを移行し、現役として使いはじめる。

よくできているけど、ペンとキーボードの両方のオペレーションが、場合によってはちょっと煩わしいことも。これからどう練ってゆくかで、Palmとの対抗馬になれるかどうかが決まるんだろうな。でも、よく売れてますよ、このマシン。

私はとりあえずはこれでいきます。速いし、いろいろな面で機能が上がっているし。


他に、Adobe Acrobatを購入。これでPDFを作成できるようになった。


●2000.12.27 -- 仕事納め

一応、仕事納め。とはいっても、私の会社は納会なるものも、大掃除もなく、いきなり通常業務から冬休みに移行する。 やれやれ。やっと少し静かになるか。


●2000.12.25〜26 -- オフ会の難しさ

会社はそろそろ休みに向けて、収束してゆくはずだが・・・仕入れ先業者のトラブルに、上司としてあたったり、なんだかいろいろと用事が・・・くぅ、なんでこう押し詰まった時期に。

25日は、会社の飲み会だったのだが、用事があって欠席。
ちなみに、その間に買い物のために新宿に立ち寄るが、丸井、伊勢丹、三越と連続してライトアップしているため、すごく明るい。この明るさを見て「おぉ、やっぱり年末だ、遅れていたのは俺だ!」と妙に納得する。

いいなぁ・・・


26日、再びパーティに。これは23日に会った人に呼ばれた。ちょっとあやしい(?)集まりだが、やはり通信系。まったりとした地下のお店で、楽しかった。
遅ればせながら、やっと楽しい気分に。


●2000.12.23〜24 -- オフ会の難しさ、イヴの野暮用

23日。午前中に少しのんびりして、近所のそばやで遅めの昼食をとってから、銀座へ移動。パーティである。雑誌などでたいそう有名な某氏も含めた、とっても不思議なオフ会。まぁ、1次会はそこそこいい感じだったが、幹事が2次会の場所を押さえていなくて、移動にしばらくかかることになる。カラオケ組と飲み組の二手に別れよう、ケータイでいくらでも連絡がとれるんだから、という意見を幹事が却下し、結果的にさらに寒空の下をうろつくことに・・・というほどには寒い日ではなかったのが幸い。

しかし、2次会会場が北の家族になったことに、一部が不満を表明。しかも、入って30分でカラオケ組はカラオケ会場に移動。鍋を食べ残して、えらく不満。

反動でカラオケはやや血管切れ気味(暴力じゃないよ、単にテンションが高いだけ)の、盛り上がり。うーむ・・・しかも、そこへ飲み組が合流してきて、拡散状態。結局、最後は不完全燃焼で散会。
というか、会自体はまぁ楽しかったんですけどね。

こういう、職場とかサークルが同じでない状態でオフ会をやる時は、結構幹事が気を配る必要があるのだが、難しい。メンツによって、気を配る場所が全部変わるからだ。私はあまりしくじったことがないが、ここまで人数が増えるといい感じで会を開くのはたいへんだと思う。


24日。クリスマス・イヴらしい。野暮用で、会社の人と食事。内容は、今は書かんでおく。


「新潮」1月号、さらに続きを。町田康「工夫の減さん」、読了。最後はやっぱりこうなのか。でも、まぁ、こういうのは面白い。なんというか、結局説話的な印象を与えるんですね、こういう傾向の作品は。

他に、玄侑宗久「宴」。現役の臨済宗(つまり禅宗だ)僧侶だそうで、前に一度中編が掲載されている。今回も面白い。説得力は前の作品の方が強かったが、これはこれでいい。ちょっとラストが気負い気味だけど、こういう作品だから似合うのかな。

最近、どうもこういうのを読むのが愉しみになってきているな。


●2000.12.22 -- 実質上の仕事納め

私にとっては、会社での正規の来客は最後の日。要するに、大きな案件としては、事実上の最終対応日。少しほっとする。一応、これで後は通常業務をこなすだけになる。


「新潮」1月号、さらに続きを読んでいる。星野智幸「われら猫の子」。うーん・・・なんか、いまさらこういうことを作品にされても。

むしろ、今読んでいる町田康「工夫の減さん」が、ちょっと面白い。おとぼけが確信犯的にいつの間にかすごみに変わる、という作品ではなく、むしろとぼけたままの味わいで読みすすめるもんだが、これはちょっといい。ラストを楽しみにとっとく。

今日は、なじみの喫茶店に寄る。来週の火曜日は大掃除のために早めの上がりで、今年はそれで終わりだそうだ。この日が今年最後かもしれない。
明日は通信関係の知人と、パーティ(気楽なものだが)。徐々に年の暮れが迫ってくるようなのだが、本人に今一つ自覚がない。

その最大の原因は・・・やはり、通勤経路にまったく「クリスマス色 or 年末色」の装飾がなく、空気も変わらないことから来ているのではないだらふか?(苦笑)


●2000.12.20〜21 -- 踊る子猫、踊る人、「海馬」

21日の深夜、帰りに猫を見る。駅の近くのパチンコ屋の周囲に時々いて、人懐っこい。
停めてあるバイクの影から、何やらじーっと見ている視線の先には、手袋か靴下か。暗がりでよく見えない。
と、突然身を踊らせて、そいつをぶん回す。と、落ちた先へジャーンプ、アンド、キャッチ。もう興奮しちゃって無我夢中。まだ大人になりきっていないのか、全体に幼さが漂う。遅くなった日の帰りに、こういう楽しい光景に会えるなんて。

しかし、真っ暗な中でこうして身を踊らせる子猫を見ていると、なぜか思い出すのは村上春樹の今年始めの新刊「神の子はみな踊る」だ。ふと、もうこの世にはいない父の姿を追ってスタジアムまでつけていき、誰もいないそこで一人で踊る。その暗がりでの、孤独だがそれを意識さえもしない不思議な明るさ。人は遊ぶこと、泣くこと、笑うことでしか、ついたものを落とすことができない。そして、そこでは無心に踊っている。

無心、あるいは、一心不乱。企みよりも大切なもの。


ちなみに、最近話題にしない「きずねこくん」だが、冬になると見かけなくなる。どこか暖かい縄張りがあるのだろうか。毎年冬に姿を見せず、夏によく出てくるけど。 今年も大事に過ごしてくれるといいな。


「新潮」1月号、川上弘美の「海馬」。面白い、面白いんだけど・・・この世への疎外感、さりとて帰る場所もない不安、そして、それぞれの帰る場所を当たり前のように受け止める周囲の人達、自分のさらなる孤独、でも、決してさみしいとかそういうのではなく、もっと諦めに近いもの。そこから泳ぎ出して幸せになれるわけでも、保証も、意志もない。たゆたう。
それが、今の世のおおかたの人々の気分だろう。それがすごくきれいに切り取られているが、しかし、私には「文學界」に掲載された「ユモレスク」のほうが、今のみんなに必要な気分を代表しているように感じる。これが2001年1月号特集だから、よけいにそう感じちゃうのだろうか。

ちなみに、「新潮」は今月、他にもヒットがありそうだ。通勤電車がちょっと楽しみ。

保坂の「草の上の朝食」(中公文庫)を買おうか迷う。迷うような金額じゃないが、問題は読む時間・・・でも、まだ読んでないんだよな。


●2000.12.18〜19 -- 今年のマック

忙しい最中、オフィスの移転。とはいっても、徒歩三分程度の場所だが、引っ越しは引っ越しである。窓が大きく明るくなったけど、まだ落ち着かなくて、ちょっとざわついた雰囲気。

なんだかまだ2000年があるように思えるが、もう10日もすれば2001年になる。


18日、MacPower発売。そういえば、今年は日経MACの休刊した年でもあった。うーん、MacLifeのように、もう終わっている雑誌もあるけど、終わっていない雑誌が先に辞めてしまうとは。

PowerMac G4のCPUクロックが上がらない、Cube G4が思った程売れない、iMacの先細りが始まったなど、今までのJobsマジックに一区切りがやってきた年だった。Mac OS Xの評判も、ある意味では散々である。私はまだ使っていない。この分だと、正規版まで使うことはないだろう。

それにしても、PowerBook 2400cが壊れて、PowerBook G3/400 (FireWire)を購入して、まるで空気のような存在になってきた。楽な操作を、快適なスピードで行える。普段、存在さえもほとんど意識しない。しかし、ないと本当に困ってしまう。

そんな製品を所有したのは、私は初めてだ。それくらい、PowerBook G3を気に入った。来年、ハードウェアとソフトウェアの両面で、何らかの変化があるだろう。幸福な変化であってほしい。


●2000.12.16〜17 -- 文芸誌新年号

16日、洋書学習会。一応、一区切り。この日、どうも私は疲れ気味というか、どんどん眠くなってくるというか。要するに睡眠不足なんだが。


今月出た文芸誌、つまり新年号は創作特集が多くて・・・でもこれはお買得というより、きっと作家へのボーナスとかお祝儀の意味合いもあるんだろうなぁ。面白いのと、そうでないと、当たり前だけどないまぜ。「群像」に掲載されていた川上弘美の短編「ユモレスク」。今回もいいなぁ。登場人物の手付き、周囲の空気感、色や光がまざまざと現出する。「新潮」にもある。読まねば。

「文學界」は、久々に花村萬月の不定期連載「王国記」。しかし、最近ちょっと飽きてきたかも。こういうのって、むしろテンションあげて、書き下ろしたほうが一直線でおもしろいのでは、などと生意気なことを考えてしまう。
痛い表現って、昨年から今年にかけて、とても、と〜っても多かった。私は飽きつつあるが、それはもともと私がそういう表現を好かないからか、単に飽きたのか。


●2000.12.12〜15 -- e-zaurus発売

なんか、年末ですねぇ。電車から大学生の数が減ってきた。


この週のイベントっつーと、やっぱりあれですか?新しいザウルスの発売?

ちょっと触ってみたけど、キーボードが自分としてはいまひとつ。もともとザウルスを使ってきたのでかなり気になるが、まだ迷っている。


●2000.12.11 -- 柄谷の月か?

そういえば、全然書いていなかった。7日に、今月の文芸誌を買ってみた。

「群像」に、柄谷行人と村上龍の対談が出ている。読みやすくわかりやすく、わかった気持ちになれすぎて、ちょっとヤだ。時事放談?こちらの創作特集も面白そうなのだが、同居人が今読んでいる。藤沢周がおもしろいそうな。
ちなみに、「文學界」にも柄谷の対談。うーん、まぁこっちは蛇足のような。いずれにせよ、NAMの「原理」が出て評判なのと、記事の作成のタイミングから、柄谷の月になるんでしょうね。

何を読むにしても、通勤中のちょっとした時間にしか読めない。会社で昼食を一人でとる時には、できるだけ本を持って出る。でも、ゆっくりできる昼食どころ自体が少ない。帰宅時の電車は朝よりラッシュだ。ケータイを広げる人さえ少ない。12月だな。

本はまだ迷って買っていない。ケータイより先に買うもんじゃないの?>自分(しかも無駄遣いになってるし。)


朝、会社に行く時の日ざしが本当に冬。日が斜になると、猫の居場所が変わってくる。車のボンネットの上で、目を細めてあったまっている。ちょっとなでてやりたくなるが、猫は眺めるものだ。

夜、満月の明るさに驚く。星が、くっきり。


私が手放したJ-SH05を、ほしがっていた人がいたことを、同居人から知らされた。もちろん、そんなことは知らん。まぁ、そこそこお金は取り戻せるかもしれないが、自分のしたことだし、きちんと手放したかった。

ところで、コンビニのam.pm.で、ケータイを売っている。無料で充電もできる。ほんとに何でも売ってますね、コンビニは。ノートパソコンやザウルスの充電もやるのか?(やるわけないって>自分)

そういえば、DoCoMoの端末は、10ヶ月は機種変更もしない前提で契約をする。こういうのもなんだかなぁ、と思う。結局は電話番号が不足してしまうのも、このせいじゃないの?みんな解約して新規契約にするし。


日記に大事なことを書き忘れているように思う。大事なことは、なぜかメモがない時やとる余裕のない時に思い付き、覚えていようとすると決まって、何か重大な用事に巻き込まれて記憶が薄れる。その程度のことはたいしたことではないのだ、とは言えるのだが、そういう問題じゃない。


●2000.12.10 -- J-SH05解約、リフレクソロジー

リフレクソロジーの予約をしてあったのだが、その前にJ-PHONEショップ(直営店)に行って、解約をする。もったいないが、自業自得。
一応、解約の理由などを聞かれるのですね。「こちらの期待の使い勝手と違うから」と答えたんですが、細かいこと言い出すと長くなるしなぁ。
「では、もうケータイは使わないですね」うーん、100%そういうわけでもなんだが、めんどうだな。「はい」
まぁ当たり前だけど、あっさり終わりました。

解約をしてから、広告にいかに自分が揺れていたかがはっきりわかった。私に必要な道具はもう手元にあるので、もう迷わなくて済みそう。


リフレクソロジーではかなり足が緊張している。というか、足と脚の緊張を緩めて、と言われても、緊張を解いた状態をうまく思い出せなかったりする。しかし、施術されるうちに緊張が解けたらしく、グースカ寝てしまう。いや、ほんとに記憶がないくらいの熟睡を、10分ばかりしたのではないか。

肩凝りがひどいこと、首の筋がひどくなっていることを、肩や首には触れてもいないのに指摘された。その対策の方法を軽く教わる。自分が一番凝りやすい場所は、指で押すと痛いのでわかるはず。そこをくーっと押しながら、「凝ってるよ、緊張を解いて」と自分に対して言うことを繰り返すというもの。マッサージを受けるのもいいが、そこまでごりごり揉まなくても回復できる方法を持っていたほうがいい、という話だ。
こういうこと、まぁ普通に考えるとバカみたいなことなのだが、効用はありそうに思えるので、しばらく続けることにしてみる。あわなければやめればいいだけだし、特に損もしないし。


ある深い決意を、実現のために密かに進行中。ふっふっふ。


●2000.12.09 -- J Skyとの相性問題

ちょっと変わった催し物を見に、午後に原宿・表参道方面へ行く(何を見たかは秘密)。特に告げずにいったため、そこで出会った知人が「あ、来てたんだ」と驚きつつも歓迎される。
夕方、催し物が終わってから、帰りに知人と竹下通りを見て、ゆっくりお茶をして、さらにとてもゆっくり食事。今後のことなどをお互いに話をし、意見を交換し、とても有意義な1日となる。

ちなみにこの日は12月とは思えない暖かさで、日ざしが強く、木々から生命の息吹が溢れてとても爽やかな日となった。明治神宮の森はダテじゃない。


目前にDoCoMo端末とJ-PHONE端末を並べる。頻繁に触り、テストをする。今後、どっちを使うかを真剣に決めなければいけない。

結局、数時間にわたってさんざん使った挙げ句、DoCoMoを手元に残して、J-PHONEを解約する決心をする。うーん、いー加減、DoCoMoとは(PHSの期間が圧倒的に長いわけだが)手を切ろうと思っていたのにぃ・・・

衝動買い自体をちょっと反省はしているが、2種類のキャリアの端末を持って比較することなど、電話自体をあまり好まない私にしては珍しいことだ。得難い体験であったということで、一応納得。(出費はでかいが。)


●2000.12.04〜08 -- J-SH05の衝動買い

4日の月曜日、急激に忙しい状態で週明けが立ち上がる。帰りにややフラフラ。

5日の火曜日、ちょっと心身を取り戻すため、早めに帰宅する。

6日の水曜日、その反動のせいか再びやること多発し、帰宅はまた遅く。

7日の木曜日、気持ち悪いので早く出て医者に行く。少し前から気持ち悪くなるとゲップが止まらなくなるので、胃を保護する薬を少し出してもらう。

8日の金曜日、部下が仕事がぎりぎりになってパニックを起こす。処置をしながら付き合うが、早く上げようとしてもやはり夜の10時は軽くまわる。


7日、医者の帰り道にあるビックカメラに寄り、ふらふらとJ-PHONEのケータイを1つ契約してしまう。いわゆる衝動買いというやつ。会社の公式ケータイを見せてもらい、なかなかいいなと思っていたJ-SH05。
これをきっかけに、独走独善のDoCoMoから離れられるといいな、という気持ちもちょっと持ちつつ。

しかし・・・確かに、メールなどはレスポンスも速いしいいのだが、全体的になーんか私の好みではない(ド派手なメール送受信の画面も、個人の好みとはちょいと違う)。あと、J Skyが私の想像より遅く感じられる上に、大好きな「駅前探検倶楽部」のメニューがi-modeよりも貧弱・・・わたしゃ、これしか使ってないのだが。

うぅむ、もっとリサーチすればよかったな。確かに画面はえらくきれいだが、電池をばかばか食うのもちょいと気になる・・・


●2000.12.03 -- 物欲の変化

ほんとうに静かに心身を休めた1日。


今月の買い物でやや悩んでいる。島田雅彦の書き下ろし新作を買うか。川上弘美の単行本を買うか。CDもほしいのがあるしな。

最近の一番の変化は、以前よりもPCやモバイル機器への物欲が減少して、とても淡白になっていることだ。 もちろん、興味がなくなったわけではない。ただ、以前のように最新のものにかぶりつかず、ゆったり見極めて、一番必要なものをきちんと入手しよう、という冷静な気持ちが強くなってきた。
時間とお金の使い方が変化してきているのかもしれない。


●2000.12.02 -- 横浜で至福の1日

土曜日で快晴だ。これは、出かけなさいと言われたも同然だろう。

というわけで、昼前に起きて、ミルクティーなど飲みつつダラダラしてから、おもむろに横浜まで行ってみる。というか、元町の金明堂(眼鏡専門店だが、どちらかというとかなりファッション性の高いものを置いている)から、2001年コレクションの招待状をもらっていたのだ。


JRは石川町の駅から元町商店街に入る。3ヶ月くらい横浜に来なかったように思う。久々に来ると、だいぶ店の入れ替えがあったようだ。いつの間にかMIKOMITOとか入っているし、他にも新規開店が多い。

で、金明堂に直行する。いくつかいい眼鏡を見ていたが、THEOと同じデザイナーの別ブランドeye witnessから、信じられないくらい妙なデザインの眼鏡。チタンのフレームで、レンズ上部の支えから、頭上に伸びる棒で支えて、後頭部に至る。下図のような感じ。

ちょっと線が細くてわかりにくかもしれないけど(絵が下手ですまん)、要するに耳で支えず、頭で支えるのだ。しかも、軽くて目に対する負担が驚く程少ない。かけ心地、見た目、実用度の3点で、革命的と言える仕上がりかもしれない。こういうのを、デザインの仕事というのだろう。
メガネという形の革命であるが、奇抜なだけではないのだ。ちなみにデザイナーはショーの発表の場で自分でもかけて、自慢して廻っていたそうだ。基本案を思い付いてから17年を経過しているという。21世紀に向けての提案だろうか。すごい現場に立ち会っている気さえする(注意:金明堂では初めての展示だが、たぶんTHEO直営店ではすでに展示されていたのではないだろうか。いずれにせよ、見るよりも、かけてみたほうが衝撃が大きいです)。

これは同行した同居人が買った。ちなみに正式な発注はこれからで、また連絡が来るそうだ。どうも、御注文第1号らしい。
私は、l.a.eyeworksのBUISCUITSという、色付きのレンズを使用するモデル。ちょっと妖しい感じになるかな。出来上がりが楽しみ。

総じて、今年のデザイナーの形へのこだわりは尋常ではないようで、各ブランドとも、驚くべき質と量を展開している。豊作。いろいろ感動的でした。


ちなみに、元町にもGAPが入っていた。以前は複合商店街ビルだったところが、GAP1個になってしまった。もう国際標準はいらん。

ちょっと用事を済ませてから、中華街へ。食事は混雑しているので、とりあえず中国茶を飲むことにする。入ってしばらくすると、いつも行くので覚えていてくれた社長がやってきて、お茶を出し直してくれる(サービスじゃないよ、もちろん。きちんとお金を払ってます)。それがまた・・・こういうのを飲んでしまうと、普通ならおいしいはずのお茶の香りが褪せてしまうんだよなぁ、と思いつつ、至福のひととき。

食事はここんとこ贔屓の金福楼。ここは化学調味料の量が少ないようで、とても安心して食べることができる。ちょっと注文し過ぎかな、と思いつつも、結局ペロリと食べてしまう。食べ終えてもグルタミン酸ショックを起こさないし、とてもおいしいし、消化もすこぶる良好。

そうは言いつつも、やや食べすぎなので、ゆるゆる歩いて関内の駅へ。遅めの帰りの客がたくさんいる。横浜は空が広いね、と同居人と語りつつ歩く。道幅が広いからか。内陸部よりも空気が乾いている。久しぶりに、ほんとうに安らかな気分で家路につく。


●2000.12.01 -- セミナーの最中

セミナー後の通常業務に戻るが、一番面倒な仕事が山積している。ちょっとうんざり気味。それはそれとして、淡々とこなすしかない、今は。


夜9時過ぎに仕事を終えて、自宅近くのいつもの喫茶店へ。軽い食事(重い食事をとると、やはり胃も重いので)をとって、コーヒーで寛ぐ。久々に常連に会うので、話すことが多くてマンガを読めず。従って、今週のモーニングを読み終えていない。

しかし、「ぶっせん」はもうこの夏くらいからはつまんないな。「蒼天航路」が再開したが、 以前とやや雰囲気が変わってきたか。
この中で、まぁ面白く読めるはずのマンガはまだある。だけど、今はこっちの心身がついていってないのかもしれない。味覚が少し落ちて麻痺気味のようなので、 五感が不調になっている可能性がある。

自宅で就寝前に、少し丁寧に呼吸法を施して、リラックスをはかる。


ちなみに、アフタヌーンを読んでいて思うが、いまは「茄子」が面白いかもな。もちろん「ヨコハマ買い出し紀行」も好きだし(今月の波飛沫も好き)、決して新しい傾向ではない「神戸在住」も一応読んではいるけど、「茄子」はけっこう今の空気を切り取っている作品に感じる。

で、逆に村上春樹の回文カルタ。あれは(目にしたのは実はだいぶ前だが)、ちょっとひどいかもしれない。はっきり言って、全然面白くありませ〜ん。挿し絵が泣くよ。前に私は「村上春樹は神話のような伝承物語のような世界に入りつつあるのだろうか」と書いたが、どうもそうではないように読める。前言撤回。
言葉遊びって、極度にくだらないほうがいいのではないか。マンガだが、上野顕太郎「ひまあり」1にある、単語の発音イメージから来る強さ・弱さの測定とか、そういうバカげた話を、おお真面目に言葉で展開するほうがまだ・・・とここまで書いて、気付いた。そういうことはとっくに筒井康隆が実践していたように思う。いま、筒井康隆をがりがり読みたいかと聞かれると、私はちょっとそういう気にはなれないかな。(面白いには面白いんだけど。)

ところで、「なるたる」でシイナのお父さんはどうなっているんだろうか?・・・


 


猫時間ホームへ戻る