洛西:大原

 

「大原の里」

その名を聞けば多くの人が「♪京都〜、大原、三千院、恋〜に疲れた おん〜なが、ひとり〜」と歌を思い浮かべる、大原(永六輔の作詞)。

ベタベタですが、まぁこの歌が出てきちゃうのは相当なおじさん・おばさん。実際に大原へ赴けば、歌を歌うまでもなく女性が多いことに気づきます(男の一人歩きが気恥ずかしくなるくらい、女性だらけの日もある)。特に女性向けのイベントがある地ではないのですが、ここは嵯峨野と並んで女性が惹かれる何かがあります。

洛中からバスで登ってゆけばわかりますが、比叡山に登る山道と違って、なだらかにうねる山並みをのどかに走る街道。やがて柴の畑が目に付くようになり、漬物屋などが見えてくると、大原のバス停留所。降りてみれば、山間のおだやかな場所に住宅街と田圃・畑が広がっています。大原女が街道を通って洛中へ野菜や漬物を売りに出ていたことを思い出せば、同じ山でも比叡山や鞍馬山などとは違い、人が生活する山里であり、その光や風は確かに嵯峨野と少しく似て、やさしくのどかです。

しかし、有名な三千院も寂光院も、山里から離れた山腹に建っており、名所も里の中というわけではありません。さて、歩き始めましょう。

寂光院へののどかな道

西へ進めば寂光院、東の山道を登れば三千院。まず山里を見るべく、西へ進んでみます。

道筋には住宅が並びますが、南側の日当たりいい場所は田圃や畑。商店もない道をぶらぶら進むと、突き当たり。左へ曲がり、次の突き当り(喫茶店が見える)を右へ。案内の看板が出ているので、道に迷う心配はほとんどありません。落合の滝が見えるあたりから山の気配が漂い始め、土産物屋や飲食店が並ぶようになります。そうして、寂光院へ。門を入って石段を登れば受付です。

聖徳太子創建、建礼門院の出家後の住まい。小さく簡素で、おとなしいという言葉さえ連想されてしまうお堂には、創建から伝わるという地蔵菩薩があり、解説を聞きながら拝観します。山から吹くやさしい風、お堂前の小さな池と灯篭、どれをとっても壮大さとは無縁。愛らしささえ漂うこの境内は、多くの女性から好まれる由縁でしょう。茶室は非公開ですが、外からお庭の様子を伺うことは出来ます。明るい光が注いで緑が映えています。

ただし、2000年5月の放火によりお堂は焼失。地蔵菩薩も胎内の多数の小さな地蔵菩薩を守って、焼けたそうです。2002〜2003年現在、再建中。何もあのやさしいお堂に火を放たなくとも、と思いますが、この世は無常、見えるうちに見て心に留めよ、と胸に刻んで、来た道をまたのんびり引き返しましょう。

三千院の意外な濃さ

さて、腹ごしらえはどちらかといえば三千院周辺のほうが店も多く、考えやすいでしょう。バス停を抜けて、山道を登りましょう。最初は食事処などもあってのんびりムードですが、呂川と平行して歩むうちに傾斜はきつくなり、その合間に漬物や土産を売る店から時々声をかけられます。少々きついせいか、立ち止まる方々もいるようです。運動と思って一気に登ろうと思うと、一番最後がきつくなってますので、そのつもりで。そして石段に変わってたんたんとリズムよく登り切ると、急に目前が開けます。前に料理旅館、左に進めば三千院、茶店もあります。夏ならここまでで汗まみれ、冬でも軽く汗ばんでいます。昼食でもとりましょうか。

参道はすでに三千院の壁と組石が見えています。迷うことなく石段と山門、受付を済ませて中に入りましょう。長い廊下には、門跡寺院として伝わる宝物や歴史資料だけでなく、密教法具なども展示され、天台密教の濃い側面が垣間見えます(実際、若いグループが漫画や映画に登場するものと同じ道具やお札があることに驚いていた)。金森宗和(江戸期の茶人)がデザインした庭もいいですが、さらに奥へ上がると、三千院の三千院たる景色に出会います。薄い緑のグラデーション、そこには地の草、木々の葉、木漏れ日、池と照り返し、それぞれが異なる濃度の緑を揺らしています。奥には往生極楽院。遠近感少ない独特の風景は、東福寺同様に日本の美感を今に伝えるものの一つです。庭に下りて、今度は身体ごと緑の中に入っていきましょう、細胞が開く感じとともに、なるほどこれが多くの人(特に女性)をひきつけるのかと実感します。三千院が厳しい声明や密教の修行の場でありながら、このやさしい光を見る多くの人々は呆けたような、力の抜けた表情になっていく。この落差の大きさは、一度経験しておいて損はないです。もちろん有名な往生極楽院の仏像を拝観したら、その先に広がる広大な庭園も散策を。

三千院を出ると、塔頭にも見るべきものがあります。律川を渡って進みましょう(声明由来の言葉「呂律」より、三千院を挟む二本の川の名に当てている)。最初に見える実光院は、明るく開けた庭にほっとします。突き当たりの勝林院は、法然上人が公開で天台宗僧侶と宗論をした際、阿弥陀如来像が微笑んだという「証拠の阿弥陀」が今も静かに佇んでいます。しかし今はむしろその子院で、隣の宝泉院が有名でしょう。小さな庭ながら竹林が美しく、向こう側の山を借りて景色が広がり、額縁の役割を果たす障子枠の中には、豊かな奥行きと色彩。他にも見どころが多いです。

引き返して、先程登ってきた呂川沿いの道まで来ました。さらに体力と時間があれば、ここで山を下りず、来迎院まで登ってみましょう。少し急な坂道を登るせいか、もうあまり観光客も訪れません(登りかけて引き返す例を見かけたことあり)。せっかくですから、ゆっくり歩いて楓のアーチなども楽しみましょう、やがてお堂が見えてきます。声明修行の根本道場、現在も静かな山のお寺、ここまでどうやって建材を運んだのかと思わせる、堂々とした本堂。テープですが、声明を聴くこともできます。この先をさらに進めば音無の滝もありますが、相当に山深くなります。軽装なら諦めたほうがいいでしょうし、グループのほうが安全です。このあたりまで来ると、最澄の伝えた天台宗ゆかりのお寺らしい空気も感じます。

帰りは、来た道をそのまま下れば大原バス停。また、三千院前からまっすぐ料理旅館街を通り抜け、木橋バス停(大原バス停の次)まで進む手もあります。(私はむしろ来た道を下りてすぐバスに乗り、さらにもう一つくらい廻ったりします。)

なお、大原バス停からさらに北にある古知谷の阿弥陀寺へも行けますが、バスの本数が非常に少ないです。必ず時間を確認し、むしろ最初に廻っておくくらいのほうがいいでしょう。

暖かい光の奥の、濃い空気

のどかな里の奥に、建礼門院の伝説を残す小さなお寺、そして山奥に忽然と現れる立派な門跡寺院。いずれも大原の姿ですが、ここも嵯峨野のように里の陰影を彩る山や谷に囲まれて、そこにお寺があるところが魅力。暖かい里の光を見てから、寂し気な、あるいは厳しそうなお寺に入り、出てきて再び里の光の暖かさを感じる、それが多くの女性を引き寄せているのでしょう。

しかし、三千院の美しい庭、そして声明や天台密教など、日本文化の深部(特に声明は雅楽の理論を導入しつつ、邦楽の基礎の一端を担う役割を果たした)にも触れることが出来るここは、女性に限らず多くの人にも魅力を開いてくれる場です。来迎院まで登る際はそれなりの靴を用意して安全にも注意を払い、また山への敬意をもって入りましょう。濃い緑を見、また葉擦れの音や川のせせらぎに耳を傾け、その合間に声明を想像してみれば、どうしてこういう場を選んで修業をするかを考えたりします。そして、山里に下りた際の「人の世界の光」に戻る感じが数倍強まると思うのです。