洛西:嵯峨野

 

一見、女性的に見えるけれど

おそらく修学旅行やグループ旅行などで人気コースの一つでしょう。特に女性には、大原と並ぶ人気コースかもしれません。嵐山と隣接して美しい竹林とすてきなお店に彩られたコース、湯豆腐の名店あり、さらには藤原定家隠棲の小倉山を含み、貴族文化や平家物語の空気を残している、云々・・・

私が初めて一人で訪れたのは、1981〜82年頃。その頃すでに各種観光ガイドや女性誌による特集で情報が溢れ、にぎわっていました。1970年代の女性誌と観光のブームにより、観光開発が進んだ後です。とはいえまだ、嵯峨野は地味なお寺と神社を散策するコースでした。優しい光の広がる里は、自転車や徒歩での散策に最適、しかも歩きやすい間隔でお寺や神社が並び、一日を遊ぶにはちょうどいい距離、嵐山もセットで楽しめます。

その後、1985年以降に嵐山の変化から始まって、お寺や神社にそれほど関心がない人々にも喜ばれそうなミュージアムやギャラリーが増えていきました。もっとも多くの人の需要があったからこその変化でもありましょう。一方で、瀬戸内寂聴氏が直指庵に入られて、ここを訪れる人々が増えたという地味な変化もありました。

様々な変化があったとしても、嵯峨野の空気と光のやわらかさ、その雰囲気がもたらす鄙びた伸びやかさ、一方で小倉山の意外な山深さがもたらす陰影の豊かさまでが変わってしまうわけではありません。もともと女性に人気があったのも、この空気感ゆえでしょう。それを女性的と言うのは間違った印象ではないと思いますが、山の深さ、特に背後にある小倉山や愛宕山などの持つ濃く、場合によっては怖さも含む空気が流れて来ることも忘れられません。これがあるからこそ、単調にならない魅力があるのでしょう。

北から下ってみましょう

嵯峨野巡りは嵐山を起点に北上するケースも多いかもしれません、そのような案内やガイド本も多いです。私としては、北の大覚寺にまず赴き、南下していって嵐山を終点とするのが好きです。優美かつ大きな大覚寺で嵯峨野の空気感をつかみ、田園や住宅の合間にあるお寺やお店を見つつ歩む。やがて開けた空気が流れ込む頃には、嵐山の絶景に至る。最後に開けた場所に来るため、帰りが楽になるのもポイントだと思います(一日歩くと、疲れますから)。

大覚寺は貴族的な雰囲気を境内自体に色濃く残していて、美術工芸でも見所多数。池に舟を浮かべて遊んだ様を想像しつつ、洛中より伸びやかな空気も味わえます。そこから少し下れば、清涼寺(嵯峨野釈迦堂)。規模の大きさでは劣りますが、静かな佇まいと、中国伝来の釈迦如来像は見応え十分。近くには有名な豆腐屋、森嘉もあります。また、地味ながら知る人ぞ知る枯山水を持つ宝筐院も近いです。

なお、直指庵は大覚寺よりだいぶ北にあり、レンタサイクルか車を使うほうが楽でしょう。

ここからしばらく歩きます。たとえば、大覚寺→清涼寺とまわるなら、化野念仏寺を省略すると、歩く距離を幾分短く出来ます。逆に、化野念仏寺を含めて効率よく回るなら、むしろ清涼寺→清涼寺周辺→大覚寺と周り、大覚寺から西へ歩いて愛宕山への入り口を登っていくコースがいいかもしれません。そして、山の麓を歩くことになります。

その化野念仏寺は、嵯峨野の平地から愛宕山へ入っていく途中になります。このあたりがだいぶ昔に風葬の地であったのを、弘法大師がお寺を建立して無縁仏の成仏を祈念したことから始まっています。正直に言えば陰の気が極まった空気、光は決して暗いわけではないのに、時々不思議にひやっと感じることがあります。それも風情と奥へ歩めば、鮎料理の平野屋の趣ある佇まいを見て、さらに愛宕念仏寺に至ります。愛宕山が火伏せの神を祀るのは、この空気のせいかと納得するあたりで、嵯峨野の野原へ引き返しましょうか。私個人は正直に言えば、化野念仏寺はあまり好きな場所とは言い兼ねます。観光で訪れるに適した場所ではないと感じるからです。ただ、愛宕山を踏むと、京都の西北の鎮護がどんな空気かを肌で感じることが出来るので、たまにこのコースを通ります。

愛宕山や化野念仏寺から平地に出ると歴史ある茶屋、寿楽庵を経て南下します。さがの人形の家は有名な人形博物館、さらにしばらく進んでから山寄りに上がると、祇王寺滝口寺。平家物語ゆかりで有名な両寺は、どちらもいったん明治維新で廃寺となって、しばらく後に復興したものです。小さな境内ながらも紅葉と苔が美しい風情は、一時期若い女性に絶大な人気だったようです。最近はどうなのでしょうか。

山寄りから野に戻って南下を続けると、思い出博物館はおもちゃの博物館として有名、その先には二尊院があります。立派な石段を上り、山の起伏を利用した素晴らしい境内、二体あるご本尊と、見どころあり。紅葉も有名なら、墓地に著名人が数多く眠り、参拝者が多いことでも有名。さらに下ると、常寂光寺に至ります。ここは紅葉だけでなく、年中何かしら花が咲き、また藤原定家の山荘である時雨亭の地とも伝わっています。

田園風景にひかれてちょっと東にそれてみれば、江戸期の俳人、向井去来の庵だった落柿舎が見えます。周囲の風景とマッチして、いかにも嵯峨野らしい風情。道に戻ってさらに南下すると、小倉池に続いて、御髪神社。そして見えてくる竹林。淡い緑を全身に浴びて進みつつ、嵐山へと至ります。

平地の穏やかな道、化野念仏寺や二尊院、常寂光寺などに見える山深さと幽玄さ、この二つの間を揺れ動くように歩きながら、竹林を経て嵐山へ進むあたりは、大覚寺や清涼寺の乾いて落ち着いた空気とだいぶ異なります。よく言えば陰影豊かですが、天候と人手によっては不気味ささえ漂う小倉山周辺は、平安の人々が信じていた物の怪を連想させるに十分であり、ここに隠棲した藤原定家、都を去った白拍子の晩年(平家物語)、また幼年期をここで過ごした一休禅師らの心境に思いを馳せることもまた、楽しい旅行を約束するこの地の、もう一つの側面です。