2000夏京都・7/29

●清明の跡を追う

昨夜のすてきな風景の余韻のうちに鞍馬山へ・・・とも思ったが、岡野玲子『陰陽師』記念(なんだそりゃ?)ということで、一条アヤシイツアーになった。
時間があれば、清水寺も狙う贅沢コース。

まずは清明神社、安倍晴明屋敷跡のブライトン・ホテルがある、一条堀川方面に向かう。

●清明神社

三条京阪からはやや行きにくい。出発が遅めだったこともあり、面倒なのでもうタクシーをつかまえることにした。一条戻り橋まで、と運転手に告げる。このあたりは堀川通沿いのバスなどで何度も通ってきているが、そこへ行こうとするのは初めてだ。

安倍晴明のことは知っていたから、『陰陽師』以前から一条戻り橋の伝説や清明神社の存在も知ってはいた。ただ、大阪の安倍晴明神社のほうが印象が強かったこと、平安京当時の遺構はほとんどないことから、積極的に来ようとは思わなかった。
時節柄、縁が来た感じ。
タクシーは堀川通側(橋の西側)でなく、一条戻り橋の東側から入るように走ってくれた。橋の手前で止めてもらうことにする。

コンクリート製の、よくある形の橋の上に立ち、南の方を眺める。堀川が、今となっては水量の低下と護岸工事でしょぼしょぼであることを知っていたが、連れは初めてなので驚いている。伝説など出てくる余地がないくらい、あっけらかんと明るい。
一方、北側は急に木々が生い茂って川を覆い隠す。これが夕刻にもなれば、確かに何か隠れても(あるいは隠していても)わからないかもしれない。晴明が式神を隠していたという伝説は北側にあるのだろうか。
橋を境に、空気感が真っ二つに割れているところはなかなかアヤシイ。だが、昼間のコンクリートの照り返しは想像をはねのける明るさ。

晴明神社に向かう。地図を頼りに、すぐに辿り着いた。
何か特別な構えなどがあるわけではなく、堀川通から一本西の細い通りに、ごく普通の小さな神社がするりと現れる。
ちょっとピンとくるものがあって、手を浄めた。晴明神社は代々安倍晴明ゆかりとして栄えてきたほどではなく、むしろ近年復興してきたとも言える神社なのだが、それにしてはきれいな気を放っているように思える。清明の由来があってもなくても、何か建ったであろう場所かもしれない。

ところで。
社務所の受付手前、縁側のように靴を脱いで部屋に上がれる部屋がある。靴が十数足並び、ガラス戸越しに中が見える。中は若い女性でいっぱい、中年や老人もちらほら混じる。座布団に座って待っている様子。
宮司と思しきご老人が机に向かい、反対側に一人が対面している。ここの宮司は人生相談でも有名で、その会場であった。若い女性が多いのは、岡野玲子の『陰陽師』の影響だろうか、占い師よりも的確に相談に乗ってもらえるということなのだろうか。地味な神社の外観からは想像もつかない。雑誌記事の力もあるだろうが、口コミも大きいのだと思う。
拝殿に近付くと、寄進の申し込みに関する案内がある。『陰陽師』がコピーして貼ってある。そして、そこに出てくる清明紋の入った徳利などを、申し込んだ口数に応じて分けてもらえる(もちろん、非売品)。
絵馬を見ると、有名人のものが掲げてある。荒俣宏、岡野玲子、京極夏彦などなど、蒼々たるメンバー。おお、宮司様、実はミーハー?! (失礼!)

お参りを済ませて、社務所で暦を買ってから、出ることにした。
なぜ暦かって? そりゃ、清明は天文博士だったのだから、とりあえず暦をおさえてみるのが王道でしょう・・・が、普通の暦ですね。ここは六壬(阿倍清明が使ったと伝わる占術、日本では使い手はあまりいないという)で、相談にのっているのだろうか? いや、暦をパラパラとめくる限りは、その手の話はまったく出てこない。

●ブライトン・ホテル

次はブライトン・ホテル。安倍晴明邸跡地なのである。
バスに乗ろうかとも考えたが、地図を見ると近い。とりあえずホテルの裏側までは10〜15分程度で辿り着くはず。少々暑かったが、てくてく歩く。

時折商店の交じる静かな住宅街。鼻歌交じりに歩くと、確かにホテルの裏側が見えてきた。
しかし、裏側には入り口がない! 結局、ホテルを半周ほどして、ようやく入り口に辿り着く。もはや、汗、だらだら。

威圧感のない建物がやさしく佇んでいる。車寄せと入り口までが遠く、最後の一息が暑い…
入れば、吹き抜けの落ち着いたラウンジに、和らいだ日の光がやさしく包んでいる。スケルトンのエレベーター、その脇にコンシェルジェ。ワシントンホテル系のような構造だが、ずっと落ち着いている。
第一、ラウンジは結構混雑しているが、談笑がまったくうるさくない。

惹かれるように歩み寄って、ラウンジの客の一組になる。案内されて着席し、カフェインを避けてハーブティを注文する。
飲みつつしばらく座っていると、腰がどっしりと落ち着き、身体の重心が低くなってきた。明らかに身体が落ち着いていく。同時に、大地からわき出ている何かが身体を下から満たしていく心地がしてくる。
城などのモニュメントとなる建物には、玉(宝石や金)を埋めて安定と反映を願うと聞くが、こここそやっているのではないかと思わせるほど。

この落ち着き具合、居心地の良さ、一度訪れたものに「いつか泊まってみたい」と思わせるに十分。
名残惜しいくらいだが、午後の予定もある。ホテルから地下鉄今出川駅へと歩き、御池へ戻る。

ブライトンホテルで昼食をとらなかったのは、今度こそ「うえだ」でうどんを食べようと思ったから。
しかし、またもや休み。まごまごしているうちに、午後1時半を過ぎてしまい、ランチの選択肢がどんどん狭まっていく。
結局御池通を渡って、市役所脇の目新しいカフェ「アンジェリーナ」に入る。椅子がパリのカフェ風であるのは、到着直後に見つけていた。

入って、あれ? と思う。ピアノは置いてあるが、MIDIで自動演奏する(電子ピアノではなく、アップライトピアノを機械仕掛けで打鍵させている)。パリ風のカフェに見せかけつつ、かかる音楽はイージーリスニング調。
そして、出てきたパスタはやや茹で過ぎ。もう一歩踏み込んで徹底してくれればなぁ・・・とぼとぼ店を出ることになる。うーん、今回は「入れなかった揚げ句の店」に恵まれない。

●清水へ

気を取り直して、バスで五条へ。そこから坂をのぼれば、清水寺の参道。33年に一度のご開帳の年。事前にチェックしてあった。

西日が照りつけ、汗だくになって上る。ご開帳とあって、暑い盛りにも人手は上々、汗を拭く手があちこちで動いている。清水の坂はそう楽というわけでもなかろうが、こういう時でも笑顔が多いのはいつもながら不思議に思うこと。

受付を済ませて境内に入る。まずは随救堂へ向かう。床下を巡る「胎内巡り」(長野県善光寺のものが有名だろう)。別途料金を支払う。
入り口はといえば、行列である。地下へ長い数珠が張られて、それを伝って歩き、秘仏を見て地上へ戻るためか、一度にたくさんは入れないようだ。
入り口には揃いのTシャツを着た案内の方々が「お暑い中ようおこしやす、お待ちください」と笑顔で声をかけ、先頭で待つ人らに話しかけている。そんな配慮もあってか、順番待ちも笑顔ばかり。そうこうするうちに、順番である。

暗い胎内へ入る。前の人がまったく見えなくなり、少し驚く。前後の距離感もつかめない。その奥、人越しにほんのりと青い明かり。そして、ふくよかな大随求菩薩が現出する。祈願をし、梵字に触れて、また数珠伝いに外へ。最後の急な階段を上りきると、意外にも汗がひいている。
目を開けたまま、瞑想してきたようだ。意外にさっぱりした気分。

続いて本堂へ。こちらがご開帳本番である。
二十八部衆、脇侍、そしてご本尊の十一面千手観音菩薩。
東寺とはまた違った、天台密教曼荼羅。厨子に安置された千手観音を中心に、ぐるりと囲む諸仏諸天。いつもは外陣から様子を伺うことしか出来ないが、内陣が公開されているのが、今回のご開帳。
ゆっくり丁寧に見るが、少々仏像とは距離があって、目を凝らすことになる。胎内巡りとは違った、少し硬めのお顔に、緊張して取り囲む多くの仏像は力がある。東寺の自由闊達さ、三十三間堂の物量の壮大さともまた違う。親しみやすさと緊張の間で、自分と向き合う感じがいい。

33年に一度、1年弱公開されるから、一生に一度くらいは見ることができ、しかも清水テーマパークとして盛大に迎える体勢が整っている。
見て楽しい寺院はそうあるものでない。「金銀清水」と呼ばれるポピュラリティを持ち、何かからっと明るく、来た人が笑顔で帰る。俗っぽいところであろうがなかろうが、そんなことは気にすることもなく立ち続けてきた自信のようなものが、ここには感じられる。それを浴びることが出来るとわかっているから、皆が上り、笑顔で下ってくるのか。

補修中の舞台から、西日に鈍く光る街のビルを眺め、舞台から回ったお茶屋で一服。やはり相当に暑く、氷を頼んで涼をとる。立ち寄る多くの人が同様に冷たく甘いものをとる。
少々長い坂、上れば朱色の美しい伽藍、豊かな仏像曼荼羅、街を一望する絶景、それを保証する張り出しの舞台、茶屋、行き帰りの土産物。日本人が観光という言葉で連想するすべてが、ここにある。清水寺にそう大きな関心を持たない私でも、こうして時々来れば何かしら楽しみにしている。そんなことを思っていると、周囲の人々の笑顔と賑わいの奥に、青いもみじの葉をすり抜けた日が淡く砂利を照らすのが目に入る。風が腕を撫でていく。
やっぱりいいところに違いない。

下山すると、産寧坂から円山公園へと北上する。
なんと、いきなり和風洋風をとりまぜたテーマパーク、青竜苑が出現。今年になって開けたというが、以前に何があったか思い出せない。イノダコーヒーもある。絶好の立地、ここで入ってしまうのは悔しい(苦笑)が、少々歩き疲れ、また茶屋で氷をとったせいか、暖かく濃いものが飲みたくもあり、入ってしまう。
イノダはどこへ行ってもイノダ、必ず質の高いサービスで、濃く元気の出るコーヒーが飲める。本当にいい店だ。とはいえ、このテーマパークそのものはちょっとひいてしまう。

それは、二年坂を過ぎて高台寺前に至り、さらに激しくなる。以前は高台寺周辺の、地味だが品のある入り口に似合った、すてきな通りだった。いまや、雑貨・土産・占いなどの立ち並ぶ商業ビルが並ぶ。
この雰囲気は、横浜再開発に近いか。数年で以前の面影は壊滅してしまった。嵐山天龍寺周辺の1980年代は単に芸能人がやってきて店を造りまくっていたが、ここは京都の人々がやっているのだろうか、それともよその資本が入っているのだろうか。

●やっとありつけた、おいしい夕食

街中へ戻る。今夜は予定通り、先斗町の茶房「長竹」へ向かう。
一応外にメニューも出ているが、値段はない。まぁ大丈夫だろうと、引き戸を開ける。カウンターと、4人席だけの小さな店。店主の一貫性が感じられる趣味で満たされている。町屋の割烹らしき造りを利用して、少し雅な、しかし硬くならない、やんわりとした空気を保っている。

カウンターに案内される。魅力的なメニューが並ぶが、お腹が減っていることもあり、御膳を頼む。常連とおぼしき客達が話を交わす様子が耳に入り、大学の先生らしき様子。
おつくりは、鱧が出てくる。口に運ぶ。独特の香りを含む皮と白身が、すっぱい梅肉で引き立つ。そう、京都の鱧はこれ! 昨日とんでもない鱧に泣いたツレが、涙を流さんばかりに喜んでいる。続いて煮物を含む数品、椀、ご飯、香の物。お茶の葉をきかせた椀ものがすばらしい。ものも言わず一気に食べ尽くす。

いやはや、下品な客ですまなかったという気持ちで、今度はデザートと中国茶。東方美人がこれまた絶佳。
主人が時々触れる茶の蘊蓄も楽しい。功夫茶の作法も意識しているが、客が楽しく飲めるようにそれで縛ることもない。この融通無碍さ! 品のある、しかし硬くない空気を生み出しているのだろう。うれしいもてなしを受けて、店を出る。

やっと、いい夕食に出会えた。豊かな気分で店を出て散歩すれば、汗もひいてきて気持ち良い。川がある街の喜びだ。ホテルへ向かう足が軽い。


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