『拾遺愚草全釈』参考資料 漢詩

漢詩

唐以前

●玉台新詠集 班婕妤 怨詩一首

新裂斉紈素 鮮潔如霜雪 裁為合歓扇 団団似明月 出入君懐袖 動揺微風発 常恐秋節至 涼風奪炎熱 棄捐篋笥中 恩情中道絶

【訓読】あらたに斉の紈素ぐわんそを裂けば 鮮潔せんけつ霜雪さうせつの如し さいして合歓扇がふくわんせんとなす 団団だんだん明月に似たり 君が懐袖くわいしう出入しゆつにふして 動揺微風発す 常に恐る秋節至り 涼風炎熱を奪ひ 篋笥けふしの中に棄捐きえんせられ 恩情中道にして絶えんことを

【通釈】斉産の練絹を裂くと霜雪のように鮮やかに白い。それを裁って合わせ張りの扇を作ります。まるまるとして明月のよう。あなた様の袖懐に出入りして、動かすたびにそよ風が起こります。いつも怖れますのは、秋の時節となって、涼風が炎熱を奪い、この扇が箱の中に捨て置かれるように、あなた様のお情けが中途で絶えてしまうことです。

【語釈】◇紈素 白い練絹。◇団団 丸々としたさま。

【付記】漢の成帝の寵愛された班婕妤はんしようよが趙飛燕姉妹に嫉まれて長信宮に退き、太后に仕えた頃に作ったという詩。「怨歌行」の名で知られ、文選にも見える。

【関連歌】員外3383

 

●夏日臨江 

夏潭蔭修竹 高岸坐長楓 日落滄江静 雲散遠山空 鷺飛林外白 蓮開水上紅 逍遥有余興 悵望情不終

【訓読】夏潭かたん修竹しうちくかげす 高岸かうがん長楓ちやうふうに坐す 日落ちて滄江さうかう静かに 雲散じて遠山えんざんむなし 鷺飛びて林外りんぐわいに白く 蓮開きて水上すいじやうくれなゐなり 逍遥せうえうするに余興有り 悵望ちやうばうするにじようきず

【通釈】夏のふちは長い竹が蔭を落としている。切り立った岸辺、丈高いふうの木のもとに坐す。日は落ちて青々とした大河は穏やかに、雲は散って遠くの山々は虚ろだ。鷺が林の外へ白々と飛び、蓮が水の上に紅々あかあかと咲いている。散策すれば感興は余るほどあり、眺望すれば哀情の尽きることがない。

【付記】『佩文斎詠物詩選』(古刊本)による。夏の日、長江に臨んで作ったという五言古詩。『佩文斎詠物詩選』は作者を梁武帝(464~549)とするが、『古詩三百首』などは隋煬帝(569~618)の作とする。大江千里が「蓮開水上紅」を題に「秋近く蓮ひらくる水の上は紅ふかく色ぞみえける」と詠んでおり、早くから日本に伝わって王朝人に愛誦されていたことが窺える。

【関連歌】上0755

 

唐詩

●陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舍人至游洞庭 其四 李白

洞庭湖西秋月輝 瀟湘江北早鴻飛 酔客満船歌白苧 不知霜露入秋衣

【訓読】洞庭湖どうていこの西 秋月しうげつ輝き 瀟湘江せうしやうかうの北 早くこう飛ぶ 酔客すいきやく船に満ち白苧はくちよを歌ふ 知らず 霜露さうろ秋衣しういるを

【通釈】洞庭湖の西には秋の月が輝き、瀟水・湘水の北には早くも鴻が飛んでいる。酒に酔った客が川船に満ち、白紵の歌に声を張り上げる。霜霜が秋服の中に落ち入ろうと、気づきもせずに。

【語釈】◇洞庭湖 湖南省北部の大湖。◇瀟湘江 洞庭湖の南の瀟水・湘水。八箇所の佳景は瀟湘八景と呼ばれた。◇鴻 大型の水鳥。ひしくい(大雁)や白鳥の類。◇白苧 白紵歌。古くから伝わる歌曲。

【付記】李白詩全集巻十九より。「族叔ぞくしゆく刑部けいぶ侍郎じらうえふ及び中書ちゆうしよ舍人しやじんばいして洞庭どうていあそぶ」。叔父だという李曄りようと中書舎人であった友人の詩人賈至かしと連れ立って洞庭湖に遊んだ時の詩、五編のうちの第四。

【関連歌】員外3445(漢詩句)

 

●秋日 耿湋

返照入閭巷 憂来誰共語 古道少人行 秋風動禾黍

【訓読】返照へんせう閭巷りよかうる うれきたりてたれと共にか語らむ 古道こだう人の行くことまれに 秋風しうふう禾黍くわしよを動かす

【通釈】夕日が村里に射し込むと、悲しみが湧いて来て、この思いを誰と共に語ろう。古びた道は人の往き来もなく、ただ秋風が田畑の穂を揺らしている。

【付記】唐詩選巻六より。田園の秋の夕暮の憂愁を詠む。源経信の歌「夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く」にこの詩の影響を見る説があり、また芭蕉の句「この道や行く人なしに秋の暮」はこの詩に発想の契機を得たと言われる。

【関連歌】上0734

 

●楓橋夜泊 張継

月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船

【訓読】月落ちからすいてしも天に満つ 江楓かうふう漁火ぎよくわ愁眠しうみんに対す 姑蘇こそ城外寒山寺かんざんじ 夜半やはん鐘声しようせい客船かくせんいた

【通釈】月は西に沈み、烏が啼いて、霜の気が天に満ちている。川辺のふう漁火いさりびが赤々と、愁いに眠れぬ私の眼前にある。姑蘇こその街の郊外、寒山寺――夜半にく鐘の響きが、私を乗せた旅の船に届く。

【付記】唐詩選巻七より。船旅の途中、蘇州西郊、楓江に架かる橋のほとりに夜泊した時の作。七言絶句。初句「月落烏啼霜満天」の悽愴たる冬の夜の情趣が歌人に愛され、この句を踏まえた多くの歌が作られた。

【関連歌】中1634

 

白氏文集

唐の白居易(七七二~八四六)の詩文集。本文は新釈漢文大系と白氏文集歌詩索引を参考に作成した。巻数は那波本による。

巻一 巻二 巻三 巻四 巻五 巻六 巻七 巻八 巻九 巻十 巻十一 巻十二 巻十三 巻十四 巻十五 巻十六 巻十七 巻十八 巻十九 巻二十 巻五十一 巻五十三 巻五十四 巻五十五 巻五十七 巻五十八 巻六十二 巻六十三 巻六十四 巻六十五 巻六十六 巻六十七 巻六十八 巻六十九

白氏文集巻一

●白氏文集巻一 凶宅(抄)

長安多大宅 列在街西東 往往朱門内 房廊相対空 梟鳴松桂枝 狐蔵蘭菊叢 蒼苔黄葉地 日暮多旋風

【訓読】長安大宅多く つらなりて街の西東に在り 往往朱門の内 房廊相対してくうなり ふくろふ松桂しようけいの枝に鳴き 狐は蘭菊らんぎくそうかくる 蒼苔紅葉さうたいこうえふの地 日暮れて旋風多し

【通釈】長安は大邸宅が多く、街の東西に列なっている。あちこちの朱塗りの門の内では、房をつなぐ廊が人も無くただ向かい合っている。梟は松や桂の木で鳴き、狐は蘭や菊の草叢に隠れ潜む。蒼い苔の上に紅葉が散り敷き、日が暮れてつむじ風が多い。

【付記】買い手がつかず荒れ果ててゆく長安の邸宅を詠んだ詩。冒頭から第八句までを抄した。

【関連歌】員外3259

 

●白氏文集巻一 傷唐衢 二(抄)

此人無復見 此詩猶可貴 今日開篋看 蠹魚損文字

【訓読】此の人た見る無きも 此の詩ほ貴ぶべし 今日こんにちけふひらきてれば 蠹魚とぎよ文字を損ず

【通釈】この人を再び見ることはないが、この詩はなお尊ぶべきである。今日文箱を開けて見ると、紙魚が文字を損じていた。

【付記】幼馴染みの唐衢が亡くなったことを知った白居易が、親友の死を傷んだ詩二首より。かつて白氏が「秦中吟」を作って世の非難を浴びていた時、唐衢は感激して報和の詩を送ってくれた。上に引用したのは、その詩を思い出し文箱を開けてみるという条である。

【関連歌】上0780

 

白氏文集巻二

●白氏文集巻二 続古詩十首 二

古墓何代人 不知姓与名 化作路傍土 年年春草生 感彼忽自悟 今我何營營

【訓読】古墓こぼいづれの代の人ぞ 姓と名を知らず 化して路傍の土とり 年年春草しゆんさう生ず 彼を感じて忽ち自ら悟る 今我何ぞ営営たる

【通釈】古い墓に葬られているのはいつの時代の人か。姓も名も知らない。路傍の土と化し、そこから毎年春の草が生える。それに心が動き、忽ち自ら悟った。今私は何をあくせく働いているのかと。

【付記】諷喩詩の「続古詩」十首のうちの第二首、第九句より末尾までを抄した。

【関連歌】員外3292

 

白氏文集巻三

●白氏文集巻三 上陽白髪人(抄その一)

憶昔呑悲別親族 扶入車中不教哭 皆云入内便承恩 臉似芙蓉胸似玉 未容君王得見面 已被楊妃遥側目 妬令潜配上陽宮 一生遂向空房宿

【訓読】おもふ昔、悲しみを呑みて親族に別れしとき たすけられて車中に入りかしめず な云ふ、内に入れば便すなはち恩を承けむと かほ芙蓉ふように似、胸はぎよくに似たり まだ君王くんわうめんを見るを得るをゆるさざるうちに すで楊妃やうひに遥かに目をそばめらる ねたみてひそかに上陽宮に配せしめ 一生いつしやう遂に空房に向かつて宿しゆく

【通釈】昔を思うに、悲しみをこらえて親族たちと別れた時、支えられて車中に入り、泣くことも禁じられた。皆が言った「後宮に入れば、きっと帝の寵愛を受けよう。おまえの貌は蓮の花のように美しく、乳房は玉のように麗しい」。まだ帝にまみえることを許されないうち、早くも楊貴妃に遠くから横目でにらまれ、妬んだ妃により、ひそかに上陽宮に遷された。かくて生涯、空閨で独り寝することとなったのだ。

【付記】唐の玄宗皇帝の時代、楊貴妃の嫉妬を受けて上陽宮(洛陽城の西南にあった宮殿)に閉じ込められた女性の悲劇を叙した長編詩。

【関連歌】上0199

 

●白氏文集巻三 上陽白髪人(抄その二)

秋夜長 夜長無寐天不明 耿耿残灯背壁影 蕭蕭暗雨打窓声 春日遅 日遅独坐天難暮 宮鶯百囀愁厭聞 梁燕双栖老休妬

【訓読】秋夜しうや長し 夜長くしてぬる無く天明けず 耿耿かうかうたる残灯 壁にそむく影 蕭蕭せうせうたる暗雨あんう 窓を打つ声 春日しゆんじつ遅し 日遅くして独坐どくざすれば 天 暮れ難し 宮鶯きゆうあう百囀ひやくてんするも 愁へては聞くをいとひ 梁燕りやうえん双栖さうせいするも 老いてはねたむを

【通釈】秋の夜は長い。夜は長く、眠られずに、いつまでも天は明けない。燃え残りの灯が、壁に背を向けて煌々と明るい。物寂しい闇夜の雨の、窓を打つ音が聞こえるばかり。春の日は遅い。日の進みが遅く、独り座っていると、いつまでも天は暮れない。宮中の鶯があまたたび囀るのも、悲しくて聞く気になれず、燕が梁に仲良く栖んでいるのも、老いて妬む気は失せた。

【付記】唐の玄宗皇帝の時代、楊貴妃の嫉妬を受けて上陽宮(洛陽城の西南にあった宮殿)に閉じ込められた女性の悲劇を叙した長編詩の一部、上陽人の幽閉生活を述べた部分。『和漢朗詠集』巻上秋の「秋夜」に「秋夜長 夜長無睡天不明 耿耿残灯背壁影 蕭蕭暗雨打窓声」が引かれ(移動)、ことに「蕭蕭暗雨打窓声」を踏まえた和歌は夥しい数にのぼる。

【関連歌】上0411、中1511、員外2919

 

●白氏文集巻三 上陽白髪人(抄その三)

鶯帰燕去長悄然 春往秋来不記年 唯向深宮望明月 東西四五百迴円

【訓読】鶯帰り燕去りてとこしへに悄然せうぜん 春往き秋来りて年をせず 深宮しんきゆうに向かつて明月を望む 東西 四五しご百迴ひやつくわいまどかなり

【通釈】鶯が谷に帰り、燕が南へ去れば、昭君の心はずっと悄然としたまま。いくたび春が往き、秋が来たのか、年を記さないので知れない。ただ奧深い宮殿で明月を望むばかり。東から昇り西へ沈み、月は四五百回も満ちただろうか。

【付記】上陽宮に幽閉された女性の有様。歌人にことに愛誦された句で、小侍従の「いくめぐりすぎゆく秋に逢ひぬらむ変はらぬ月の影をながめて」(新勅撰集)などもこれに深い影響を受けたものである。

【関連歌】中1543、下2601

 

●白氏文集巻三 昆明春(抄)

昆明春 昆明春 春池岸古春流新 影浸南山青滉漾 波沈西日紅奫淪

【訓読】昆明の春 昆明の春 春の池、岸りて 春の流れ新たなり 影は南山なんざんひたしてせい滉漾くわうやうたり 波は西日せいじつを沈めてこう奫淪いんりんたり

【通釈】昆明池こんめいちに春が来た。春の池の岸は年を経ているが、春の水の流れは新しい。池水は南山の影を浸し、青々と湛えて揺蕩たゆたう。波に夕日が沈んで、一面に紅のさざ波が立つ。

【語釈】◇昆明 長安西南郊の昆明池こんめいち。唐得宗の時、干上がっていた池に水を引き、周辺の住民には税を取らないとの詔が出た。

【付記】新楽府「昆明春」より冒頭の五句のみ抄出した。天子の恩沢が全国に遍く及ぶことを願った詩。『和漢朗詠集』巻下「水」部に「州杜若抽心 沙暖鴛鴦敷翅眠」が引かれている。

【関連歌】上0816

 

●白氏文集巻三 縛戎人(抄)

縛戎人 縛戎人 耳穿面破駆入秦 天子矜憐不忍殺 詔徙東南呉与越 黄衣小使録姓名 領出長安乗遞行 身被金瘡面多瘠 扶病徒行日一駅 朝餐飢渇費杯盤 夜臥腥臊汚牀席 忽逢江水憶交河 垂手斉声嗚咽歌

【訓読】縛戎人ばくじゆうじん 縛戎人ばくじゆうじん 耳は穿うがたれ面は破れ駆られて秦に入る 天子矜憐きようれんして殺すに忍びず みことのりして東南のかた呉と越とにうつす 黄衣くわういの小使姓名を録し 領して長安を出でていに乗じて行く 身は金瘡を被り面は多くせ 病をたすけて徒行とかうす日に一駅いちえき 朝餐てうさん飢渇杯盤をつひやし 夜臥やが腥臊せいさう床席しやうせきけがす 忽ち江水かうすいに逢ひて交河かうがおもひ 手を垂れ声をひとしくし嗚咽して歌ふ

【通釈】縛られた異邦人が、耳に穴をあけ、顔に傷をつけ、引き立てられて長安に入って来た。天子は憐れんで殺すに忍びず、東南方の呉と越に移すよう命じた。黄衣の小役人が彼らの姓名を帳簿に記録し、引率して長安を出発し、駅伝で目的地へ向かう。身体中に刃物で切られた傷があり、顔はげっそり痩せ、病を抱えて歩く距離は、一日一駅。飢え乾いた彼らは、朝飯の皿をきれいに平らげ、夜寝る時は、ひどい体臭が莚を汚す。ふと長江に出くわすと、故郷の交河を思い出し、手を下げたまま、声を揃え、噎び泣きつつ歌を歌う。

【付記】異邦人として捕縛された窮民の心を思い遣って作った新楽府の序章部分。この「戎人」はチベットの人を指すという。

【関連歌】中1627

 

●白氏文集巻三 五絃弾(抄)

五絃弾 五絃弾 聴者傾耳心寥寥 趙璧知君入骨愛 五絃一一為君調 第一第二絃索索 秋風払松疏韻落 第三第四絃泠泠 夜鶴憶子籠中鳴 第五絃声最掩抑 隴水凍咽流不得

【訓読】五絃弾ごげんだん 五絃弾ごげんだん 聴く者耳を傾けて心寥寥れうれうたり 趙璧てうへきは君が骨に入りて愛するを知り 五絃 一一いちいち 君が為に調ととのふ 第一第二の絃は索索さくさくたり 秋の風松を払つて疏韻そいん落つ 第三第四の絃は冷冷れいれいたり 夜の鶴子をおもうてうちに鳴く 第五の絃の声は最も掩抑えんよくせり 隴水ろうすいこほむせんで流るること得ず

【通釈】第一・第二の絃は不安な調べである。秋の風が松を払ってまばらな響きを立てるかのよう。第三・第四の絃は凄まじい調べである。夜の鶴が子を慕って籠の中で鳴くかのよう。第五の絃の声は最も鬱々としている。隴山の谷川が凍って咽び、滞るかのよう。

【語釈】◇趙璧 五絃琵琶の名手。◇泠泠 冷冷。冷え冷えとしたさま。◇掩抑 心を覆い抑えつけるさま。◇隴水 隴山(甘粛省にある山)の山水。

【付記】「五弦弾」の冒頭部分のみを抄した。「悪鄭之奪雅也(鄭の雅を奪ふをにくむなり)」と白氏が自注するように、五絃のような俗な楽器が雅楽に取って代わる風潮を悪んだ詩。白氏は心を掻き乱すような五絃琵琶の弾奏を非難する一方、上古の清廟(祖先祭の時に演奏した歌)は人を元気にし心を平和にするとして賞賛している。高内侍(高階貴子)が「夜鶴憶子籠中鳴」の句を踏まえ「夜の鶴みやこのうちに放たれて子を恋ひつつも鳴き明かすかな」(詞花集)と詠んで以後、子を恋うる心を「夜の鶴」に託すようになった。「第一第二絃索索」以下を和漢朗詠集四六三・管絃に引く(移動)。

【関連歌】上0485、上1098、中1828、中1959、員外3071、員外3459(漢詩句)

 

白氏文集巻四

●白氏文集巻四 牡丹芳(抄)

衛公宅静閉東院 西明寺深開北廊 戯蝶双舞看人久 残鶯一声春日長 共愁日照芳難住 仍張帷幕垂陰涼 花開花落二十日 一城之人皆若狂

【訓読】衛公の宅静かにして東院を閉ざし 西明寺さいみやうじ深くして北廊を開く 戯蝶ぎてふ双舞さうぶしてる人久しく 残鶯ざんあう一声いつせいして春日しゆんじつ長し 共に愁ふ 日照らしてはうとどがたきを つて帷幕ゐばくを張りて陰涼いんりやうを垂る 花開き花落つ二十日にじふにち 一城の人皆狂へるがごと

【通釈】ひっそりとした衛公の邸宅は東院を閉ざしているが、奧深い西明寺の境内では北の廊下を開放している。牡丹の上を蝶が双つ戯れて舞い、人々はいつまでも花を眺めている。里に留まっている鶯が一声鳴いて、春の日は長い。人々は共に嘆く、日が照りつけて牡丹の色香の保ち難いことを。そこで垂れ幕を張って涼しい影を落とす。花が咲いて花が落ちる、その間二十日、城中の人は皆物の怪に憑かれたかのようだ。

【語釈】◇衛公宅静 「衛公」が誰を指すかは不明。「宅静」と言うのは、家族総出で牡丹の花見に出かけているため。◇西明寺 長安にあった大寺院。牡丹の名所。◇残鶯 晩春になっても人里に留まっている鶯。

【付記】長編の新楽府より第二十五句から第三十二句までを抄出した。一首の主題はこの後にあり、「人心重華不重実(人心は華を重んじて実を重んぜず)」と当時の世相を批判し、諸士が農業の振興に取り組むべきことを諷している。「花開花落二十日」の句を踏まえたとおぼしい和歌が幾つか見られる。

【関連歌】上0120

 

●白氏文集巻四 澗底松

有松百尺大十囲 生在澗底寒且卑 澗深山險人路絶 老死不逢工度之 天子明堂欠梁木 此求彼有両不知 誰諭蒼蒼造物意 但与之材不与地 金張世禄黄憲賢 牛衣寒賤貂蟬貴 貂蟬与牛衣 高下雖有殊 高者未必賢 下者未必愚 君不見沈沈海底生珊瑚 歴歴天上種白楡

【訓読】松有り百尺大きさ十囲 生じて澗底に在り寒く且つひくし たに深く山けはしくして人路絶え 老死するもこうこれはかるに逢はず 天子の明堂梁木りやうぼくを欠く ここに求めかしこに有るもふたつながら知らず 誰れかさとらん蒼蒼さうさうたる造物の意 但だこれに材を与へて地を与へず 金張きんちやう世禄せろく黄憲くわうけんは賢なり 牛衣ぎうい寒賤かんせん貂蟬てうせんたつとし 貂蟬と牛衣と 高下かうげ殊なる有りといへども 高き者未だ必ずしも賢ならず ひくき者未だ必ずしも愚ならず 君見ずや沈沈たる海底に珊瑚を生じ 歴歴たる天上に白楡はくゆうるを

【通釈】高さ百尺、太さ十囲もある松が、寒く低い谷底に生えている。谷深く山険しく、人跡も絶え、老いて死んだとしても、大工に巡り逢うことはない。時に天子は殿堂を建てる梁材に事欠いていた。こちらは求め、あちらには在るのに、お互い知らずにいる。天の造物主の心は計り知れない。この松に素晴らしい才質を与え、適切な場所を与えなかった。漢の金氏・張氏は世禄を受ける貴族の家柄、対して黄憲はただの賢者であった。黄憲は牛に着せる衣服をまとい、金氏・張氏は貂の尾と蟬の飾りをつけた冠を被っていた。貂蟬の冠と、牛衣と、身分の高下は甚だしかったが、地位の高い者が必ずしも賢者とは限らず、地位の低い者が必ずしも愚者とは限らない。御覧にならぬか、深い深い海底に美しい珊瑚が生えていて、一方、歴然たる天上につまらぬ白楡の木が植えられていることを。

【語釈】◇但与之材不与地 松に素晴らしい才質を与え、適切な場所を与えなかった。◇金張世禄黄憲賢 漢の金氏・張氏は世禄を受ける貴族の家柄、対して黄憲はただの賢者であった。◇牛衣寒賤貂蟬貴 賢者である黄憲が貧しい衣服を着ていた一方、金氏・張氏は貂の尾と蟬の飾りをつけた冠を被っていた。

【付記】世間に知られず埋もれている賢者を谷底の松に喩え、世の不条理を諷喩した詩。

【関連歌】上1369、員外3358、員外3521

 

●白氏文集巻四 売炭翁

売炭翁 伐薪焼炭南山中 満面塵灰煙火色 両鬢蒼蒼十指黑 売炭得銭何所營 身上衣裳口中食 可憐身上衣正単 心憂炭賤願天寒 夜来城外一尺雪 暁駕炭車輾氷轍 牛困人飢日已高 市南門外泥中歇 翩翩両騎来是誰 黄衣使者白衫児 手把文書口称敕 迴車叱牛牽向北 一車炭重千餘斤 宮使駆将惜不得 半匹紅綃一丈綾 繋向牛頭充炭直

【訓読】炭を売るおきな たきぎを伐り炭を焼く南山のうち 満面の塵灰ぢんくわい煙火えんくわの色 両鬢蒼蒼りやうびんさうさう十指じつし黒し 炭を売り銭を得て何のいとなむ所ぞ 身上しんじやうの衣裳口中こうちゆうの食 憐むし身上正にひとへなり こころ炭のやすきを憂へ天の寒からんことを願ふ 夜来やらい城外一尺の雪 暁に炭車をして氷轍ひようてつきしらしむ つかれ人飢ゑて日すでに高く 市の南門がいにて泥中にやすむ 翩翩へんぺんたる両騎りやうき来たるはたれぞ 黄衣くわういの使者と白衫はくさん 手に文書をり口にちよくと称し 車をめぐらし牛をしつしていて北に向かはしむ 一車いつしやの炭重さは千余斤せんよきん 宮使きゆうし駆りりて惜しみ得ず 半匹はんびき紅綃こうせう一丈の綾 けて牛頭ぎうとうに向かつて炭のあたひ

【通釈】炭を売る翁、終南山で薪を伐り炭を焼く。顔じゅう塵芥に汚れ、肌は煤けた色。両の鬢は白髪交じり、両手の指は皆真っ黒。炭を売って銭を得、どうしようというのか。一人分の衣服と、口を満たす食事のためだ。不憫に思わずにいられようか。身に付けた衣は単衣ひとえのみ。心中、炭の値が安いことを憂え、天気が寒くなることを願う。幸い昨夜来、郊外では一尺の雪が積もった。暁、翁は牛車に炭を積み込み、氷った道を軋らせて行く。牛は疲れ、人は飢えて、日は既に高く、市の南門の外、泥まみれの道で一休みする。その時威勢よく二人の騎手が駆けてくる。いったい何者か。黄色の服を着た宮中の宦官と、白い上着を着た若者だ。手に文書を持って、口に勅命だと抄し、車を廻らし、牛を叱り立てて北の宮殿の方へと牽かせる。車いっぱいの炭は、重さ千余斤。宮使はそれを駆り立て、もはや惜しんでも仕方ない。半匹の紅い生絹きぎぬと一丈の綾絹と。二つを牛の頭に向かって懸け、炭の代価だという。

【付記】自注に「苦宮市也(宮市に苦しむなり)」とある。官吏の横暴に泣く炭売りの翁に同情し、世の不正を糾弾した諷刺詩。

【関連歌】上1365、員外2987

 

●白氏文集巻四 李夫人(抄)

夫人之魂在何許 香煙引到焚香処 既来何苦不須臾 縹緲悠揚還滅去 去何速兮来何遅 是邪非邪両不知 翠蛾髣髴平生貌 不似昭陽寝疾時 魂之不来君心苦 魂之来兮君亦悲 背灯隔帳不得語 安用暫来還見違

【訓読】夫人のこん何許いづこにかる 香煙かうえん引きて到る焚香ふんかうの処 既にきたる何を苦しみてか須臾しゆゆせざる 縹緲へうべう悠揚いうやうとしてめつし去る 去ることなんすみやかにきたること何ぞ遅き ふたつながら知らず 翠蛾すいが髣髴はうふつたり平生へいぜいばう 昭陽せうようやまひねし時に似ず こんきたらざるや君が心苦し こんきたるや君た悲しむ とうそむちやうを隔てて語るを得 いづくんぞしばらきたりてらるるを用ゐん

【通釈】夫人の魂はどこにあるのか。芳しい煙がたなびき、方士が香を焚く場所に至る。もうやって来た。ところが何を厭うてか、暫しも留まろうとせず、微かに、ふわふわと、消えるように去ってゆく。去る時はなぜこうも速く、来る時はなぜ遅いのか。本当に夫人なのかどうか、どちらとも判断はつかなかったが、みどりの蛾眉は、平生見慣れた夫人を髣髴とさせるものだった。昭陽殿(注:後宮の代名詞)で病に臥せっていた時とは全く違う。魂が来ないからとて、帝は苦悩し、魂が来たからとて、帝はまた悲しむ。灯し火に背を向け、帳を間に隔てて、語ることも出来ない。僅かの間だけ来てすぐに去られては、何の役に立とう。

【付記】作者三十八の年に成った「新楽府」五十首の一つ。忌憚のない政治批判、社会批評を盛り込んだ諷喩詩である。掲出詩は漢の武帝の故事に寄せて施政者の女色に耽ることを諌める詩という体裁を取る。上に抄出したのは、方士によって降霊がなされ、夫人の魂が出現するが、たちまち消え、かえって帝は苦悩を深めるという場面。煙となって現れる李夫人の魂を主題に少なからぬ和歌が詠まれた。

【関連歌】上0197

 

●白氏文集巻四 陵園妾(抄)

松門柏城幽閉深 聞蟬聴燕感光陰 眼看菊蕊重陽涙 手把梨花寒食心 把花掩涙無人見 緑蕪牆繞青苔院 四季徒支粧粉銭 三朝不識君王面

【訓読】松門しようもん柏城はくじやう幽閉深く 蟬を聞き燕を聴きて光陰くわういんに感ず 眼に菊蕊きくずいては重陽ちようやうの涙あり 手に梨花りかりては寒食かんしよくの心あり 花をり涙をおほふも人の見る無く 緑蕪りよくぶしやうめぐ青苔せいたいの院 四季いたづらせらる粧粉しやうふんせん 三朝さんてうらず君王のめん

【通釈】松の門と柏の城によって深く幽閉され、ただ蟬や燕の声を聞いて歳月の移り行きを感じるばかり。菊の花を見ては重陽の節句かと涙し、梨の花を取っては寒食の候かと思う。かように花を取り涙を隠したところで見る人は無く、雑草の生えた垣根が苔むした庭を取り囲んでいる。四季折々、僅かな化粧代が空しく支給される。もはや帝の顔も知らず三代経つというのに。

【付記】讒言により御陵の宮殿に幽閉された宮女の悲歎を叙した詩。「陵園妾」を主題に、あるいはこれを暗示して詠まれた和歌は多数あり、直接間接に、全て白詩の影響下にあると言って過言でない。

【関連歌】上0200

 

●白氏文集巻四 古塚狐(抄)

古塚狐 妖且老 忽然一笑千万態 見者十人八九迷 仮色迷人猶若是 真色迷人応過此

【訓読】古塚こちようの狐 妖にして且つ老ゆ(中略)忽然一笑すれば千万せんばんたい 見る者十人八九はちきうは迷ふ かりの色の人を迷はす猶ほ是くの如し しんの色の人を迷はすまさに此に過ぐべし

【通釈】古塚の狐は、異様になまめかしい古狐だ。(中略)にわかに一笑すれば千万の多彩な媚態。見る人は十中八九、心を迷わせる。かりそめの色香でさえ人をこのように迷わす。まして本当の女の色香が人を迷わすことはこれ以上である。

【付記】女色を戒めた諷刺詩。

【関連歌】上0768

 

白氏文集巻五

●白氏文集巻五 常楽里閑居…(抄)

帝都名利場 鶏鳴無安居 独有嬾慢者 日高頭未梳 工拙性不同 進退迹遂殊 幸逢太平代 天子好文儒 小才難大用 典校在秘書

【訓読】帝都は名利めいりぢやう 鶏鳴けいめい安居あんきよすること無し 独り嬾慢らんまんの者有り 日高くしてかしら未だくしけづらず 工拙こうせつせい同じからず 進退しんたいあと遂にことなり 幸ひに太平の代に逢ひ 天子は文儒ぶんじゅを好む 小才大用たいようし難く 典校てんかう秘書に在り

【通釈】帝都長安は競って名利を追い求めるところ、一番鶏が鳴けば呑気に家で過ごす者はない。ところがここに独りだけ怠け者がいて、日が高くなっても髪に櫛を入れない。世渡りの巧拙は生まれつき人によって違い、身の進退は遂には大きな差ができる。幸いにも太平の世に出逢い、天子は文人学者を好まれる。しかし私のような才能の少ない者は重用されず、書籍の校訂係として秘書省にいる。

【付記】題は「常楽里閑居 偶題十六韻 兼寄劉十五公輿・王十一起・呂二炅・呂四頴・崔十八・玄亮・元九稹・劉三十二敦質・張十五仲方時為校書郎」。貞元十九年(八〇三)、長安の常楽里での閑居のさまを述べ、同僚の訪問を誘った詩、冒頭から第十句までを抄した。

【関連歌】員外3457(漢詩句)

 

●白氏文集巻五 永崇裡観居(抄)

季夏中気侯 煩暑自此收 蕭颯風雨天 蟬声暮啾啾 永崇裡巷静 華陽観院幽

【訓読】季夏きか中気ちゆうきの侯 煩暑はんしよこれより収まる 蕭颯せうさつたる風雨の天 蟬声ぜんせい暮に啾啾しうしうたり 永崇裡えいすうりかう静かに 華陽観くわやうくわんいんかすかなり

【通釈】晩夏も中気の候となり、暑苦しさもこれから収まってゆく。物寂しい音を立てて風が吹き雨が降り、夕暮になると蟬の声が盛んだ。永崇坊の路地はひっそりとして、華陽観の中庭は奥深く静まっている。 【語釈】◇季夏中気 季夏は晩夏(陰暦六月)、中気は大暑にあたる。◇啾啾 蟬の声の多いさま。◇永崇 長安の永崇坊。◇華陽観 代宗の五女、華陽公主の旧宅。白居易は元稹と共にここに住み、制科の受験に備えていた。

【付記】永貞元年(八〇五)、作者が友人とともに長安の華陽観に住み、制科の受験準備をしていた頃に作った閑適詩の冒頭六句のみ抄した。夏の猛暑も去る時節、夕暮の永崇坊の静かな風情。

【関連歌】員外3221

 

●白氏文集巻五 贈呉丹(抄)

冬負南栄日 支体甚温柔 夏臥北窓風 枕席如涼秋 南山入舎下 酒甕在床頭 人間有閑地 何必隠林丘

【訓読】冬は南栄の日を負ひ 支体したい甚だ温柔をんじうなり 夏は北窓ほくさうの風に臥し 枕席ちんせき涼秋りやうしうの如し 南山なんざん舎下しやかり 酒甕しゆをう床頭しやうとうり 人間じんかん閑地かんち有り 何ぞ必しも林丘りんきうに隠れん

【通釈】冬は南側の軒で陽を浴びて、全身この上なく温かくほぐれる。夏は北側の窓の風に当たって臥し、枕もとは秋のような涼しさだ。終南山の姿は官舎からも視界に入り、酒の甕は寝台のほとりに置いてある。俗世間の中にも心静まる場所はあるのだ。どうして林や丘に隠れる必要があろう。

【語釈】◇南栄 南側の軒。◇南山 終南山。長安の南東にある山。

【付記】元和五年(八一〇)、友人の呉丹に贈った全三十二句の閑適古調詩より、第十七句~第二十四句のみを抄出した(全体の「転」の部に当たる)。

【関連歌】員外3222

 

●白氏文集巻五 秋山

久病曠心賞 今朝一登山 山秋雲物冷 称我清羸顔 白石臥可枕 青蘿行可攀 意中如有得 尽日不欲還 人生無幾何 如寄天地間 心有千載憂 身無一日閑 何時解塵網 此地来掩関

【訓読】久しく病みて心賞しんしやうむなし 今朝こんてうひとたび山に登る やまあきにして雲物うんぶつひややかに 我が清羸せいるいの顔にかなふ 白石はくせきして枕とすし 青蘿せいらきてし 意中ることるがごとく 尽日じんじつかへるをほつせず 人生幾何いくばくも無く 天地てんちかんに寄るが如し 心は千載せんざいうれひ有り 身は一日いちじつかん無し いづれの時にか塵網ぢんまうき 此の地にきたりてくわんおほはん

【通釈】長く病床にあって、心から景色を賞することがなかった。今朝、久しぶりに山に登ってみると、山は秋、雲気が冷やかで、私の痩せ衰えた顔に似つかわしい。白い石は横になって枕にするのに丁度よく、青いつたは攀じ登ってゆくのに都合がよい。心中に何かを得た気がして、終日、山を去り難かった。人の一生は何ほどもなく、天と地の間にひととき身を寄せるようなものだ。なのに心は千年の果てしない愁いを抱え、体は一日として休まることがない。いつになったら俗世のしがらみを断ち、このような浄地に門を閉ざして暮らせるだろうか。

【語釈】◇曠心賞 心から景色を賞することがなかった。◇雲物 雲気。◇清羸顔 痩せ衰えた顔。◇掩関 門を閉ざして暮らす。隠棲する。

【付記】五言古詩による閑適詩。病が癒えて秋の山に遊んだ心地と、隠棲の願望を述べる。元和五年(八一〇)か翌年、作者三十九歳か四十歳頃の作。

【関連歌】員外3257、員外3282

 

●白氏文集巻五 効陶潜体詩 其十一(抄)

神仙但聞説 霊薬不可求  長生無得者 挙世如蜉蝣 逝者不重廻 存者難久留

【訓読】神仙はだ説を聞くのみ 霊薬は求むべからず 長生は得る者無し 世を挙げて蜉蝣ふいうの如し く者は重ねてかへらず そんする者は久しくとどまり難し

【通釈】不死の仙人なる者は伝説に聞くばかりだ。霊薬は求めることなどできない。永久の命を得た者はない。この世はすべて蜉蝣のようだ。逝く者は再び帰ることなく、生きている者は久しく留まっていることは出来ない。

【付記】「陶潜の体にならふ詩」十六首の第十一首より第五~十句までを抄した。陶淵明のスタイルを真似て作った詩である。

【関連歌】員外3284

 

白氏文集巻六

●白氏文集巻六 遺懐(抄)

乃知器与名 得喪俱為害 頽然環堵客 蘿蕙為巾帯 自得此道来 身窮心甚泰

【訓読】すはなち知る器と名と 得喪とくさうともに害を為すを 頽然たいぜんたり環堵くわんとかく 蘿蕙らけい巾帯きんたいと為す 此の道を得しよりこのかた 身は窮すきゆうれども心甚だたひらかなり

【通釈】そこで分かった、立派な器物と名声とは、得ようと喪おうと、害をなすだけだと。のんびりと狭い家に身を寄せ、つたかずらや香草を頭巾や帯にする。こうした生き方を得てからというもの、身は困窮しても心はすこぶる安泰である。

【語釈】◇器与名 器物と名声。◇頽然 しどけなく寛いだ様。◇環堵 狭い家。◇蘿蕙為巾帯 つたかずらや香草を頭巾や帯にする。

【付記】質素な暮らしで寛ぐことを良しとする感懐を叙した詩。第十一句より末句までを抄した。

【関連歌】員外3270

 

●白氏文集巻六 夏日

東窓晚無熱 北戶凉有風 尽日坐復臥 不離一室中 中心本無繋 亦与出門同

【訓読】東窓とうさう晩に熱無く 北戸ほくこ涼しくして風有り 尽日じんじつ坐してぐわし 一室の中を離れず 中心もと繋がるる無く た門を出づると同じ

【通釈】東の窓は夕方になると暑熱が無く、北の戸口は涼しくて風がある。終日座ったり横になったりして、一室の中から離れずにいる。しかし元来心の中は束縛するものが無いので、門を出るのと同じことだ。

【付記】夏の日を室内に過ごすことを詠んだ詩。

【関連歌】員外3267

 

●白氏文集巻六 閑居(抄)

心足即為富 身閑仍当貴 富貴在此中 何必居高位

【訓読】心れば即ちたり 身かんなればに当たる 富貴は此中ここり 何ぞ必しも高位かうゐに居らん

【通釈】心が満ち足りれば、富んでいるのと同じだ。身がひまであれば、高貴な身分にあるのと同じだ。富貴はこうした心身のあり方にある。どうして高い身分にいる必要があろう。

【付記】人としての豊かさや尊さは心の持ち方にあるとして閑居を讃美する詩。全十八句の閑適詩より第九~十二句を抄した。

【関連歌】員外3271

 

●白氏文集巻六 適意二首 其一(抄)

一朝帰渭上 泛如不繋舟 置心世事外 無喜亦無憂 終日一蔬食 終年一布裘 寒来弥嬾放 数日一梳頭 朝睡足始起 夜酌酔即休 人心不過適 適外復何求

【訓読】一朝いつてう渭上ゐじやうに帰り はんたることつながざる舟の如し 心を世事せじそとに置き 喜びも無くた憂ひも無し 終日いち蔬食そし 終年一布裘いちふきう かん来たれば弥々いよいよ嬾放らんはう 数日に一たびかしらくしけづる あしたにはねむり足りて始めて起き 夜にはへば即ちむ 人心じんしんてきなるに過ぎず 適外てきぐわいた何をか求めん

【通釈】ある朝渭水のほとりの我が家に帰り、岸に繋がない舟のように気ままに過ごす。心を世事の外に置き、喜びもなければ憂いもない。終日一度の粗食、終年一着の綿入り衣。寒くなればいよいよ物臭になり、数日に一度頭を梳るばかり。朝は眠り足りるまで起きず、夜は酒に酔ってからやすむ。心のままに過ごすにまさることはない。それ以外に何を求めようか。

【付記】故郷に帰り、官吏としての生活を離れて自適の暮らしを送る素晴らしさを詠んだ詩。二首の内其の一の後半を抄した。

【関連歌】員外3273

 

●白氏文集巻六 首夏病間(抄)

況茲孟夏月 清和好時節 微風吹裌衣 不寒復不熱 移榻樹陰下 竟日何所為 或飲一甌茗 或吟両句詩

【訓読】いはんや孟夏まうかの月 清和せいわの好時節 微風裌衣かふいを吹き 寒からずた熱からず たふを樹陰のもとに移し 竟日きやうじつ何の為す所ぞ 或いは一甌いちおうめいを飲み 或いは両句の詩を吟ず

【通釈】ましてこの初夏の月、清らかで和やかな好い季節。そよ風が袷の衣服を吹き、寒くもなく、また暑くもない。長椅子を木陰の下に移し、終日、することと言えば、あるいは一碗の茶を喫し、あるいは両句の詩を吟ずるばかり。

【語釈】◇孟夏月 陰暦四月。夏の最初の月。◇裌衣 あわせの衣。初夏用の衣服。慈円・定家の「文集百首」には「袂衣」とある。◇榻 ベッド式の腰掛け。ソファ。◇一甌茗 一碗の茶。

【付記】元和六年(八一一)、四十の歳、病が癒え小康を保っていた頃、初夏の過ごしやすさを詠む。五言古詩による閑適詩全二十句の第九句から第十六句を抄した。

【関連歌】員外3213

 

●白氏文集巻六 晩春沽酒(抄)

百花落如雪 両鬢垂作糸 春去有来日 我老無少時 人生待富貴 為楽常苦遅 不如貧賤日 随分開愁眉

【訓読】百花落ちて雪の如し 両鬢りやうびん垂れて糸とる 春去れどもきたる日有り 我老ゆればわかき時無し 人生富貴を待てば 楽しみを為すこと常に遅きに苦しむ かず貧賤の日 ぶんしたがつて愁眉しうびを開かんには

【通釈】無数の花が落ちて雪のようだ。頭の両方の鬢は糸のように細く垂れている。春は去っても再びやって来る日があるが、私が老いれば若き日々は戻ってこない。人生、富貴を待てば、楽しむのが遅いことに常に苦しむ。貧賤の日にあって、おのおの分に随い愁眉を開くに如くはない。

【付記】晩春に老いを歎き、酒をって飲み楽しもうとの詩。前半八句を抄した。

【関連歌】員外3275

 

●白氏文集巻六 村雪夜坐

南窓背灯坐 風霰暗紛紛 寂寞深村夜 残雁雪中聞

【訓読】南窓なんさうともしびを背にせば 風霰ふうさんやみ紛紛ふんぷんたり 寂寞せきばくたる深村しんそんよる 残雁ざんがん 雪中せつちゆうに聞こゆ

【通釈】南側の窓に、灯火を背にして座っていると、風交じりの霰が闇の中を紛々と舞い飛ぶ。静まり返った寒村の夜、帰りそびれた雁の声が、雪の中に聞こえる。

【語釈】◇風霰 風に吹かれて舞う霰。◇残雁 渡らずに留まった雁。

【付記】五言古詩による閑適詩。元和七年(八一二)、作者四十一歳。故郷の渭村(今の陝西省渭南市北)に滞在していた時の作であろう。

【関連歌】員外3243

 

●白氏文集巻六 東園翫菊(抄)

芳歳今又闌 如何寂寞意 復此荒涼園 園中独立久 日淡風露寒 秋蔬尽蕪没 好樹亦凋残 唯有数叢菊 新開籬落間

【訓読】芳歳はうさい今又たけなはなり 如何いかん寂寞せきばく の荒涼のゑん 園中に独り立つことひさし 日淡くして風露ふうろ寒し 秋蔬しうそことごと蕪没ぶぼつし 好樹かうじゆ凋残てうざんす 数叢すうそうの菊有るのみ 新たに籬落りらくかんひら

【通釈】青春時代は遠く去り、男盛りの歳も最早過ぎようとしている。どうしたことか、寂寞の思いが、この荒れ果てた庭園に来ればよみがえる。園中にひとり長く佇んでいると、初冬の日は淡く、風や露が冷え冷えと感じられる。秋の野菜はことごとく雑草に埋もれ、立派な樹々もまた枯れ衰えた。ただ数叢の菊が、垣根の間に新しい花をつけている。

【語釈】◇芳歳 男盛りの年齢。◇蕪没 蕪は荒々しく繁った雑草。その中にまぎれてしまったさま。◇籬落 まがき。

【補記】五言古詩による閑適詩の冒頭から第十句まで。元和八年(八一三)、四十二歳の作。

【関連歌】員外3242

 

●白氏文集巻六 閑居

深閉竹間扉 静掃松下地 独嘯晩風前 何人知此意 看山尽日坐 枕帙移時睡 誰能従我遊 遣君心無事

【訓読】深く竹間ちくかんの扉 静かにはら松下しようかの地 独りうそぶ晩風ばんぷうの前 何人なにびとか此の意を知らん 山を尽日じんじつ坐し ちつを枕とし時を移してねむる たれく我に従つて遊ばん 君をして心にこと無からしめん

【通釈】竹林の中の扉を深く閉ざし、松の下の地を静かに清掃して、独り夕風に向かい詩を吟ずる。なんぴとがこの胸の内を知ろう。山を見て終日坐し、書を枕に暫しまどろむ。誰か私と共に遊ぼうという人はないか。君の心を無為の境地にしてあげように。

【語釈】◇無事 『老子』の「無事を事とし、無味を味はふ」、『荘子』の「無事の業に逍遥す」、『臨済録』の「無事是れ貴人」など、道家・釈家の書に頻出する「無事」に通じ、「寂静無為」のことと言う(新釈漢文大系)。

【付記】五言古詩による閑適詩。

【関連歌】上0366、上0394、員外3269

 

●白氏文集巻六 冬夜(抄)

家貧親愛散 身病交遊罷 眼前無一人 独掩村斎臥 冷落灯火闇 離披簾幕破 策策窓戸前 又聞新雪下

【訓読】家貧しければ親愛しんあい散じ 身病めば交遊む 眼前に一人いちにん無し 独り村斎そんさいおほひてす 冷落して灯火くらく 離披りひして簾幕れんばくやぶる 策策さくさくたり窓戸さうこの前 又新雪のるを聞く

【通釈】家が貧しくなると、親しい肉親も離散し、身体が病むと、友人たちとの交遊も止む。こうして目の前には誰一人いなくなり、独り村の家に引き籠って臥している。

落ちぶれて部屋の灯し火は暗く、簾の垂れ布はばらばらに破れている。窓の扉の前で、さくさくとさらに新雪の降る音を聞く。

【語釈】◇村斎 村荘の一室。「斎」は引き籠る室。◇冷落 零落に同じ。落ちぶれたさま。◇離披 ばらばらになる。◇策策 雪の降る音の擬音語。

【付記】五言古詩による閑適詩の前半部のみ抄した。元和九年(八一四)四十三歳、母の死後故郷渭村に退去していた時の作であろう。

【関連歌】員外3240

 

●白氏文集巻六 贈杓直(抄)

外順世間法 内脱区中縁 進不猒朝市 退不恋人寰

【訓読】そとは世間の法にしたがひ 内は区中の縁を脱す 進んで朝市てうしを厭はず 退しりぞいて人寰じんくわんを恋ひず

【通釈】外面は世間の法に従うが、心の内は俗世のしがらみを脱している。進んで朝廷に出仕することを厭いもせず、身を引いて人里を恋い慕いもしない。

【語釈】◇区中縁 俗世の縁。◇朝市 朝廷と市場。「不猒朝市」とは朝廷に出仕することを厭わない意。◇人寰 世の中。俗世間。

【付記】友人の李建(字は杓直しやくちよく)に贈った詩の第十七~二十句。白氏の人生観と処世術を率直に叙す。元和十年(八一五)、四十四歳の作。

【関連歌】員外3268

 

●白氏文集巻六 贈杓直(抄)

秋不苦長夜 春不惜流年 委形老少外 忘懐生死間

【訓読】秋は長夜ちやうやを苦しまず 春は流年りうねんを惜しまず 形を老少らうせうそとゆだね くわいを生死の間に忘る

【通釈】秋は長い夜を苦しむことなく、春は去り行く年を惜しむこともない。老いて見えようが若く見えようが気にせず、生き死にの問題で思い煩うことも忘れている。

【付記】友人の李建(字は杓直しやくちよく)に贈った詩の第二十九~三十二句。白氏の人生観と処世術を率直に叙す。元和十年(八一五)、四十四歳の作。

【関連歌】員外3280

 

白氏文集巻七

●白氏文集巻七 詠意(抄)

身心一無繋 浩浩如虚舟 富貴亦有苦 苦在心危憂 貧賤亦有楽 楽在身自由

【訓読】身心しんしん一つもつながるる無く 浩浩かうかうとして虚舟きよしうの如し 富貴亦た苦有り 苦は心の危憂きいうに在り 貧賤も亦た楽有り 楽は身の自由に在り

【通釈】身心には何一つ束縛するものがなく、広々として自由な空舟のようである。富貴の者にも苦しみがある。その苦しみは心の不安から来るものである。貧賤の者にもまた楽しみがある。その楽しみは身の自由から来るものである。

【付記】心中の思いを述べた詩。結の部分にあたる第十九~二十四句までを抄した。拘束のない身を「虚舟」すなわち物を載せない空舟に喩えた。

【関連歌】員外3279

 

白氏文集巻八

●白氏文集巻八 秋蝶

秋花紫蒙蒙 秋蝶黄茸茸 花低蝶新小 飛戯叢西東 日暮涼風来 紛紛花落叢 夜深白露冷 蝶亦死叢中 朝生夕倶化 気類各相従 不見千年鶴 多栖百丈松

【訓読】秋花しうかむらさきにして蒙蒙もうもう 秋蝶しうてふ黄にして茸茸じようじようたり 花ひくく蝶新小しんせう 飛びたはむくさむら西東にしひがし 日暮れて涼風きたり 紛紛ふんぷんとして花くさむらに落つ 夜けて白露はくろひややかに 蝶叢中そうちゆうに死す あしたしやうゆふべともくわす 気類きるいおのおの相従あひしたがふ 見ずや千年せんねんつる 多く百丈ひやくぢやうの松にむを

【通釈】秋の花が紫に咲き乱れている。秋の蝶が黄に飛び交っている。花は丈低く、蝶は生れたばかりで小さく、草叢の西を東を飛び戯れる。日が暮れると涼しい風が吹いて来て、乱れるように花が草叢に散る。夜が更けると露が冷やかに置いて、蝶もまた草叢に落ちて死ぬ。花も蝶も、朝に生れ、夕に共に死ぬ。気の通じた仲で、お互い従い合っているのだ。知らないか、千年生きる鶴は、百丈の松に棲むことが多いのを。

【語釈】◇蒙蒙 咲き満ちているさま。◇茸茸 ふつう草木の繁るさまを言うが、ここでは蝶の飛び交うさまであろう。◇気類 気を同じくするもの。気の合う同類。◇百丈松 丈高い松。

【付記】五言古詩による閑適詩。長慶二年(八二一)、長安から抗州に赴任する途上の作。

【関連歌】上0395

 

●白氏文集巻八 郡亭(抄)

山林太寂寞 朝闕苦喧煩 唯玆郡閣内 囂静得中間

【訓読】山林ははなは寂寞せきばく 朝闕てうけつはなは喧煩けんはん の郡閣の内 囂静がうせい中間ちゆうかんを得たり

【通釈】山林は大変物寂しい。宮廷はひどく煩わしい。ただこの郡の役所の内は、騷がしさと静けさと、中庸を得ている。

【付記】抗州の役所内の虚白亭を詠んだ詩。第十三句より末句までを抄した。

【関連歌】員外3264

 

●白氏文集巻八 翫新庭樹因詠所懐

靄靄四月初 新樹葉成陰 動揺風景麗 蓋覆庭院深 下有無事人 竟日此幽尋 豈唯翫時物 亦可開煩襟 時与道人語 或聴詩客吟 度春足芳茗 入夜多鳴琴 偶得幽閑境 遂忘塵俗心 始知真隠者 不必在山林

【訓読】靄靄あいあいたり四月の初め 新樹葉は陰を成す 動揺して風景うるはしく 蓋覆がいふくして庭院深し 下に事無き人有り 竟日きやうじつここ幽尋いうじんす に唯だ時物じぶつづるのみならんや 煩襟はんきんひらし 時に道人だうじんと語り 或いは詩客しかくの吟を聴く 春をわたりて芳茗はうめい足り 夜に入りて鳴琴めいきん多し たまた幽閑いうかんさかひを得て 遂に塵俗ぢんぞくの心を忘る 始めて知る真の隠者 必ずしも山林に在らざることを

【通釈】草木の気がたちこめる四月の初め、新樹の葉は涼しい陰を成している。風に揺れ動く風景はうるわしく、緑におおわれた庭園は深々としている。そのもとに無聊の人がいる。終日、ここに幽趣を求めて過ごす。何もただ季節の風物を賞美するだけではない。悩みの多い胸襟を開くこともしよう。時には僧侶と語り合い、或いは詩人の吟に耳を傾ける。春を過ぎても香ばしい茶は十分あり、夜になればしきりと琴をかき鳴らす。たまたま閑静な場所を手に入れて、ついに俗世の汚れた心を忘れてしまった。初めて知った、まことの隠者は、必ずしも山林にいるわけでないことを。

【語釈】◇無事人 「無事の人」とも訓める。特にすることがない人。詩人自身を客観視して言う。◇芳茗 「茗」は元来は茶の芽のこと。唐以後、茶を指す。

【付記】庭園の新樹をめで、感懐を詠じた、五言古詩による「閑適詩」。長慶四年(八二四)の作という。作者五十三歳。

【関連歌】員外3265

 

白氏文集巻九

●白氏文集巻九 寄江南兄弟(抄)

花落城中地 春深江上天 登楼東南望 鳥滅煙蒼然 相去復幾許 道里近三千 平地猶難見 況乃隔山川

【訓読】花は落つ城中じやうちゆうの地 春は深し江上かうじやうの天 ろうに登りて東南を望めば 鳥めつして煙蒼然たり 相去ること幾許いくばくぞ 道里だうり三千に近し 平地すら猶ほ見え難し 況んやすなは山川さんせんを隔つるをや

【通釈】都城の中で花は散り、長江の上空も春は深いだろう。高楼に登って東南を望むと、鳥の姿は消え、霞だけが蒼く立ちこめている。私たちはどれほど遠く離れていることか。三千里に近い。平地ですらなお会い難いのだ。ましてや山川を隔ててはなおさらである。

【付記】戦乱によって離散し、江南にいた兄弟に書き送った詩。「感傷詩」と称する五言古詩全十六句の後半八句のみ抄した。「城中」は長安城中、「江上」は長江の上。

【関連歌】員外3208

 

●白氏文集巻九 青竜寺早夏

塵滅経小雨 地高倚長坡 日西寺門外 景気含清和 閑有老僧立 静無凡客過 残鶯意思尽 新葉陰涼多 春去来幾日 夏雲忽嵯峨 朝朝感時節 年鬢暗蹉跎 胡為恋朝市 不去帰煙蘿 青山寸歩地 自問心如何

【訓読】塵はめつ小雨せううを経て 地は高し長坡ちやうはりて 日は西す寺門じもんの外 景気清和せいわを含む かんにして老僧の立てる有り せいにして凡客ぼんかくよぎる無し 残鶯ざんあう意思き 新葉しんえふ陰涼いんりやう多し 春去りてこのかた幾日ぞ 夏雲かうんたちまちにして嵯峨さがたり 朝朝てうてう時節を感じ 年鬢ねんびん暗に蹉跎さたたり 胡為なんすれぞ朝市てうしを恋ひて 去りて煙蘿えんらに帰らざる 青山せいざん寸歩すんぽの地 みづから問ふ心如何いかん

【語釈】◇長坡 長い坂。丘の斜面。◇嵯峨 高く険しいさま。入道雲が険しい峰のように見えることを言う。◇年鬢 年と共に白くなってゆく鬢の毛。◇蹉跎 「蹉」「跎」共につまずく意。ためらいつつ進行するさま。◇朝市 朝廷と市場。名利を追う俗世間。◇煙蘿 煙は霧・霞、蘿はツタ・カズラの類。霧に包まれた、蔦の這う山奥。隠棲に適した地。

【通釈】小雨を経て塵は洗い流された。丘陵に寄り添ってこの地は高い。日は寺の門のかなた、西へ傾いた。景色は清らかで和やかな気を含んでいる。境内はひっそりとして、老僧のたたずむ姿がある。しんとした中、参拝客の通る姿はない。里に留まっていた鶯も、啼く意思は尽き、木々の若葉は繁り、涼しげな陰が多い。春が去って以来、幾日が経ったろう。夏雲がにわかに峨々と聳え立つ。朝毎に移りゆく季節を感じ、年と共に鬢の毛はひそかに少しずつ衰えてゆく。何ゆえ私はいつまでも俗世に恋々とし、煙霧に包まれた山奥へと帰らないのか。青々とした山は目睫の地にある。自らに問う、私はどうしたいのかと。

【付記】長安にあった青竜寺の初夏の景を詠む。「感傷詩」と称した五言古詩。制作年は未詳であるが、元和五年(八一〇)か(新釈漢文大系)。

【関連歌】中1526、員外3214

 

●白氏文集巻九 重到渭上旧居(抄)

旧居清渭曲 開門当蔡渡 十年方一還 幾欲迷帰路 追思昔居日 行感故游処 插柳作高林 種桃成老樹 因驚成人者 尽是旧童孺

【訓読】旧居清渭せいゐほとり 門を開けば蔡渡さいとに当たる 十年まさひとたび還れば ほとんど帰路に迷はんとす 追思す昔居りし日 行きつつ感ずもとあそびしところ 挿柳さふりう高林かうりんり 種桃しゆたう老樹と成る りて驚く成人の者は ことごと旧童孺きうどうじゆなり

【通釈】旧居は清らかな渭水のほとり。門を開けば蔡渡の渡し場が正面に見える。十年ぶりに還って来ると、帰り道に迷いそうだ。昔過ごした日々を追想し、歩きながらかつて遊んだ所に心は動く。挿し木した柳は今や高林となり、種を植えた桃は老樹となった。それではっと気づく。ここの大人たちは皆が皆昔の童たちなのだ。

【語釈】◇蔡渡 白詩の旧宅の対岸にあった渡し場。

【付記】渭水のほとりの旧宅に戻った時の作。前半十句のみを抄した。

【関連歌】員外3260

 

●白氏文集巻九 白髪(抄)

況我今四十 本来形貌羸 書魔昏両眼 酒病沈四支 親愛日零落 在者仍別離 身心久如此 白髪生已遅 由来生老死 三病長相随 除却無生忍 人間無薬治

【訓読】いはんや我は今四十 本来形貌けいばうやつるるに 書魔両眼りやうがんくらくし 酒病しゆびやう四支を沈む 親愛なるものは日びに零落し る者もほ別離す 身心久しくくの如し 白髪はくはつ生ずることすでに遅し 由来生老死 三病つねに相したがふ 無生忍むしやうにん除却ぢよきやくすれば 人間じんかんに薬のする無し

【通釈】まして私は今年四十、元来容姿が弱々しい上に、書物に熱中した余り両眼はよく見えず、酒の飲み過ぎで四肢が重い。馴れ親しんだ者たちは日々亡くなり、生きている者ともやはり離れ離れになる。身も心も久しくこのような有様、今頃白髪が生じたのは遅すぎる位だ。生まれ、老い、死んでゆく人生に、三病は常にまといつく。生滅を超越した無生忍の境地を除けば、人の世にこの病を治す薬などありはしない。

【語釈】◇書魔 取り憑かれたように書物に熱中すること。◇零落 ここは死ぬこと。◇三病 三つの煩悩。貪欲・瞋恚・愚痴。◇無生忍 生滅を超越し、不変の真理を悟って揺るがない境地。

【付記】作者に白髪の生じたことを悲しむ家人に対し、老衰は自然の成行きであると諭し、仏教の悟りの境地を除けば人間の病悩を根治する薬は無いと説く。五言古詩全二十四句の後半のみ抄した。

【関連歌】員外3283、員外3296

 

白氏文集巻十

●白氏文集巻十 秋夕

葉声落如雨 月色白似霜 夜深方独臥 誰為払塵牀

【訓読】葉の声は落つること雨の如く 月の色は白きこと霜に似たり 夜けてまさに独り臥す たれか為に塵のとこを払はん

【通釈】枯葉は雨のように音立てて落ち、月影は霜に似て白々と床に射す。夜更け、やっと独り寝につこうとするが、誰が私のために塵の積もった床を払ってくれるだろう。

【付記】元和六年(八一一)から三年間、母の喪に服して渭村に滞在した時の作。自身の独り寝の侘しさを詠んだ詩であろうが、王朝歌人たちは「誰為払塵床」の句をもとに閨怨の情を詠んだ歌をなしている。

【関連歌】上0199、上1051、員外3236、員外3248

 

●白氏文集巻十 夢裴相公(抄)

既寤知是夢 憫然情未終 追想当時事 何殊昨夜中 自我学心法 万縁成一空 今朝為君子 流涕一霑胸

【訓読】既にめて是れ夢なるを知れども 憫然びんぜんとして情未だ終はらず 当時の事を追想すれば 何ぞ昨夜のうちことならん 我心法を学びてより 万縁ばんえん一空いちくうと成る 今朝こんてう君子の為に なみだを流していつに胸をうるほ

【通釈】既に目が覚めてこれが夢であることは知っているけれども、悲しい心情は未だ尽きない。裴相公はいしようこうが生きておられた当時のことを思い出すと、昨日の夢と少しも変わらない。仏教の心法を学んでから、あらゆる因縁は全てくうであると知るようになった。しかし今朝は裴相公のためにひたすら胸を涙で濡らしている。

【付記】亡き裴相公はいしようこうと夢で会い、覚めて追想に耽る詩。後半の八句を抄した。

【関連歌】員外3293

 

●白氏文集巻十 自覚(抄)

廻念発弘願 願此見在身 但受過去報 不結将来因 誓以智恵水 永洗煩悩塵 不将恩愛子 更種憂悲根

【訓読】おもひをめぐらして弘願ぐぐわんを発し 願はくは此の見在けんざいの身 但だ過去のほうを受け 将来の因を結ばざらんことを 誓ふ智恵の水を以て 永く煩悩の塵を洗ひ 恩愛のもつて 更に憂悲いうひの根をゑじ

【通釈】思い巡らして発願したことには、この現在の身はもっぱら過去の報いを受けても、将来の因縁を結ばないようにと。智恵の水によって永遠に煩悩の塵を洗い、恩愛という種子によって憂いや悲しみの根を植えまいと。

【語釈】◇智恵水 入道に際し、頭にそそがれる清らかな水。

【付記】四十の歳に自ら悟ったことを詠じた詩二首の第二首、末尾八句を抄した。

【関連歌】員外3294

 

●白氏文集巻十 夢与李七庾三十二同訪元九(抄)

神合俄頃間 神離欠申後 覚来疑在側 求索無所有 残灯影閃牆 斜月光穿牖 天明西北望 万里君知否 老去無見期 踟躕搔白首

【訓読】しんがつ俄頃がけいあひだ しんはな欠伸けんしんの後 きたりてかたはらに在るかと疑ひ 求索きうさくすれども有る所無し 残灯影はかきひらめき 斜月しやげつ光はまど穿うがつ 天明けて西北せいほくを望む 万里ばんり君知るや 老い去りてまみゆる無し 踟躕ちちゆうして白首はくしゆを掻く

【通釈】元稹と私の魂はごく僅かな間一つになっていたが、あくびを一つした途端に離れてしまった。目が覚めると、彼がそばにいるような気がして、探し求めるけれども、どこにもいない。燃え残った灯は塀の上にちらちらと光り、傾いた月の光は窓から射し込んで来る。空が明るくなって、西北を望むけれども、万里の彼方の君はそれを知ってくれたか。年老いると、再会する期待もない。私はぼんやり立ち止まり、白髪頭を掻くばかりだ。

【語釈】◇神合 魂が一つになる。◇俄頃 わずかな時間。◇欠伸 あくび。◇踟躕 進むのをためらって立ち止まっているさま。◇白首 白髪頭。

【付記】夢で旧友と共に元稹の家を訪ねたことを詠んだ詩の後半部分。目が覚めると友は傍らになく、残灯が閃き月光が射すばかり。

【関連歌】員外3229

 

白氏文集巻十一

●白氏文集巻十一 逍遥詠

亦莫恋此身 亦莫厭此身 此身何足恋 万劫煩悩根 此身何足厭 一聚虚空塵 不恋亦不厭 始是逍遥人

【訓読】亦た此の身を恋ふるく 亦た此の身を厭ふく 此の身何ぞ恋ふるに足らん 万劫まんごふ煩悩ぼんなうこん 此の身何ぞ厭ふに足らん 一聚いつじゆ虚空の塵 恋ひずた厭はずして 始めて是れ逍遥の人なり

【通釈】この身に恋着するのでもなく、この身を厭うのでもない。この身がどうして恋着するに足ろう。永劫の煩悩の根源なのに。この身がどうして厭うに足ろう。虚空の塵が一つに集まったものに過ぎないのに。恋着もせず、厭いもしない。それで初めて悠々自適の人なのである。

【語釈】◇一聚虚空塵 虚空の塵が一つに集まったもの。◇逍遥人 悠々自適の人。『荘子』逍遥遊篇による。

【付記】悠々自適の境地を述べた詩。長慶二年(八二二)の作。

【関連歌】員外3297

 

白氏文集巻十二

●白氏文集巻十二 浩歌行(抄)

朱顔日夜不如故 青史功名在何処 欲留年少待富貴 富貴不来年少去

【訓読】朱顔日夜にちやもとの如くならず 青史せいし功名こうめいいづれのところにかる 年少をとどめ富貴を待たんと欲すれど 富貴はきたらず年少は去る

【通釈】紅顔は日夜衰えてゆき、歴史に残すような功名は何もありはしない。若さを保ち、富貴の到来を待とうとするけれど、富貴は来ず、若さは去るばかりだ。

【語釈】◇青史 歴史。「青」は前句の「朱」と対になる。

【付記】人生の無常と功遂げることの難しさを詠んだ詩。第九句から十二句までを抄した。

【関連歌】員外3274

 

●白氏文集巻十二 山鷓鴣(抄)

山鷓鴣 朝朝夜夜啼復啼 啼時露白風凄凄 黄茅岡頭秋日晩 苦竹嶺下寒月低

【訓読】山鷓鴣さんしやこ 朝朝てうてう夜夜よよく 啼く時露白く風凄凄せいせいたり 黄茅くわうばう岡頭かうとう秋日しうじつれ 苦竹くちく嶺下れいかに寒月

【通釈】山鷓鴣よ、おまえは毎朝毎晩啼き続ける。おまえが啼く頃、露は白く凝り、風は寒々と吹く。色づいたちがやの靡く岡のほとりに秋の日は暮れ、山麓の竹林に冷え冷えとした月明かりが射す。

【語釈】◇山鷓鴣 山に住む鷓鴣。鷓鴣は中国南部に生息する雉の仲間。鶉より大きく、雉より小さい。◇黄茅 不詳。色づいたチガヤの類か。◇苦竹 真竹・呉竹。

【付記】「山鷓鴣」は朝廷で演奏された楽曲の題。

【関連歌】員外3230

 

●白氏文集巻十二 長恨歌(抄その一)

黄埃散漫風蕭索 雲棧縈廻登劍閣 峨嵋山下少行人 旌旗無光日色薄 蜀江水碧蜀山青 聖主朝朝暮暮情 行宮見月傷心色 夜雨聞猿断腸声

【訓読】黄挨くわうあい散漫さんまんとして風は薫索せうさく 雲桟うんさん縈廻えいくわいして剣閣けんかくを登る 峨嵋がび山下さんかに行く人少なく 旌旗せいきに光無く日色につしよく薄し 蜀江しよくかうは水みどりにして蜀山しよくざん青く 聖主せいしゆ朝朝てうてう暮暮ぼぼの情 行宮あんぐうに月を見れば傷心しやうしんの色 夜雨やうに猿を聞けば断腸だんちやうの声

【通釈】黄色い土埃が立ち込め、風が物凄く吹く中、雲まで続く桟道は折り曲がりつつ剣閣山(注:蜀の北門をなす難所)を登ってゆく。蛾嵋山麓の成都には道ゆく人も無く、天子の旗に射す光も弱々しい。蜀江の水は紺碧で、蜀の山々は青々としている。帝は朝夕に眺めては思いに沈む。仮宮にあって月の光を仰いでは心を傷め、夜の雨に猿の叫び声を聞いては断腸の思いがする。

【付記】「長恨歌」第四十三句より五十句まで。蜀の成都へ逃げのびた玄宗一行のさまを描く。「行宮見月…」以下の二句が和漢朗詠集七八〇「恋」に引かれている。

【関連歌】中1535、員外3250、員外3251

 

●白氏文集巻十二 長恨歌(抄その二)

天旋日転廻竜馭 到此躊躇不能去 馬嵬坡下泥土中 不見玉顔空死処 君臣相顧尽霑衣 東望都門信馬帰

【訓読】天めぐり日転じて竜馭りうぎよかへし ここに到りて躊躇ちうちよして去ることあたはず 馬嵬ばくわい坡下はか 泥土でいどうち 玉顔ぎよくがんを見ず 空しく死せる処 君臣あひかへりみてことごところもうるほし 東のかた都門ともんを望み馬にまかせて帰る

【通釈】やがて天下の情勢が一変し、帝の馬車は都へ取って返すが、この場所に至って、足踏みして立ち去ることができない。ここ馬嵬ばかいの土手の下、泥土にまみれて、楊貴妃が空しく死んだ場所に、あの美しい顔を見ることは無い。帝も臣下も、互いに振り返っては、一人残らず涙で衣を濡らす。東の方へ、都の城門をめざし、馬の歩みにまかせて帰って行った。

【付記】第五十一句より五十六句まで。叛乱の首謀者安禄山が殺害され、長安が官軍によって恢復されると、玄宗一行は都への帰路に就くが、途中、楊貴妃が死んだ場所に戻ると、立ち去り難く、君臣こぞって涙に昏れる。長恨歌前半の山場であり、この場面を本説として多くの和歌が詠まれた。

【関連歌】上0196

 

●白氏文集巻十二 長恨歌(抄その三)

帰来池苑皆依旧 太液芙蓉未央柳 対此如何不涙垂 芙蓉如面柳如眉 春風桃李花開日 秋雨梧桐葉落時

【訓読】帰り来たれば池苑ちえんは皆旧に依り 太液たいえきの芙蓉未央びあうの柳 これに対して如何いかんぞ涙垂れざらん 芙蓉はおもての如く柳は眉の如し 春風しゆんぷう桃李たうり花開く日 秋雨しうう梧桐ごとう葉落つる時

【通釈】都の宮殿に帰って来ると、林泉は皆昔のままで、太液の池には蓮の花、未央の宮には柳の枝。これらを目の前に、どうして落涙せずにおられよう。蓮の花は亡き妃のかんばせのよう、柳の葉は眉のよう。春風が吹き、桃やすももが花開く日も、秋雨が降り、梧桐の葉が落ちる時も、妃を思っては涙を流す。

【付記】第五十七句より六十二句まで。乱が収まり長安の宮城に戻った皇帝、春から秋へ哀傷の日々。和漢朗詠集巻下恋に「春風桃李花開日 秋雨梧桐叶落時」が引かれている。

【関連歌】下2224

 

●白氏文集巻十二 長恨歌(抄その四)

夕殿蛍飛思悄然 秋灯挑尽未能眠 遅遅鐘漏初長夜 耿耿星河欲曙天 鴛鴦瓦冷霜華重 旧枕故衾誰与共 悠悠生死別経年 魂魄不曾来入夢

【訓読】夕べの殿とのに蛍飛びて思ひ悄然せうぜんたり 秋のともしびかかげ尽くして未だ眠るあたはず 遅遅ちちたる鐘漏しようろう 初めて長き夜 耿耿かうかうたる星河せいか けんとする天 鴛鴦ゑんあうかはらは冷ややかにして霜華さうかしげく ふるき枕 ふるしとね誰と共にせん 悠悠いういうたる生死別れて年をたり 魂魄こんぱくかつきたりて夢にらず

【通釈】夕暮の御殿に蛍が舞い飛び、帝の思いは悄然とする。秋の燈火は尽きて、なお眠りにつくことができない。のろのろと時の鐘が鳴って、夜が長くなったと感じる。天の川が煌々と輝く夜空を眺めるうち、ようやく明け方が近づく。鴛鴦おしどりかたどった屋根瓦は冷え冷えと、霜の花を幾重も結び、旧のままの枕と敷物、共にする人はもういない。遥かに隔たる生と死。別れて幾年か経ったが、妃の魂が夢に入って来たことは一度もない。

【付記】「長恨歌」第六十七句より七十四句まで。秋の長夜を明かす皇帝の孤独。和漢朗詠集二三四「秋夜」に「遅遅鐘鼓初長夜 耿耿星河欲曙天」、恋762に「夕殿蛍飛思悄然 孤灯挑尽未成眠」が引かれ、それぞれ多くの句題和歌が作られた。

【関連歌】員外3228、員外3249、員外3252

 

●白氏文集五九六の五(巻十二) 長恨歌

臨別殷勤重寄詞 詞中有誓両心知 七月七日長生殿 夜半無人私語時 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝 天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期

【訓読】別れに臨んで殷勤いんぎんに重ねてことばを寄す 詞中しちゆうに誓ひ有り両心のみ知る 七月七日しちげつしちじつ長生殿ちやうせいでん 夜半やはん人無く私語しごの時 天に在りては願はくは比翼ひよくの鳥とり 地に在りては願はくは連理れんりの枝とらん 天長く地久しきも時有りてく 此の恨みは綿綿めんめんとして絶ゆるとき無からん

【通釈】別れに臨み、玉妃はねんごろに重ねて言葉を贈る。その中に帝と交わした誓いごとがあった。二人だけが知る秘密だ。ある年の七月七日、長生殿(注:華清宮の中の御殿)で、夜半、おつきの人も無く、ささめごとを交わした時、「天にあっては、願わくば翼をならべて飛ぶ鳥となり、地にあっては、願わくば一つに合さった枝となろう」と。天地は長久と言っても、いつか尽きる時がある。しかしこの恨みはいつまでも続き、絶える時はないだろう。 【語釈】◇比翼鳥 雌雄一体となって飛ぶ鳥。

【付記】第百十三句より百二十句まで。「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の両句はことに名高く、これを踏まえた和歌は数多い。

【関連歌】上0259、中1902、員外3034

 

●白氏文集巻十二 琵琶行(抄その一)

潯陽江頭夜送客 楓葉荻花秋索索 主人下馬客在船 挙酒欲飲無管絃

【訓読】潯陽じんやう江頭かうとうかくを送る 楓葉ふうえふ荻花てきくわ索索さくさくたり 主人は馬よりり客は船に在り 酒を挙げて飲まんと欲するも管絃無し

【通釈】潯陽の長江のほとりで、夜、客を送った。ふうの紅葉と荻の花穂が秋風に物寂しく靡いている。主人は馬を下り、客は船の中にある。酒杯を挙げて飲もうとするが、気分を盛り上げる音楽は無い。

【語釈】◇潯陽江頭 潯陽(今の江西省九江市付近)の長江のほとり。◇楓葉 楓(マンサク科の落葉高木フウ)の紅く色づいた葉。◇荻花 荻の花穂。◇索索 風に物寂しくそよぐさま。◇主人 送別の宴の主人。白居易自身を指す。

【付記】元和十年(八一五)作の長編感傷詩「琵琶行(琵琶引とも)」の冒頭四句を抄した。新撰朗詠集五九二・餞別に引かれている。

【関連歌】員外3447(漢詩句)

 

●白氏文集巻十二 琵琶行(抄その二)

曲終收撥当心画 四絃一声如裂帛 東船西舫悄無言 唯見江心秋月白

【訓読】曲終はりてばちを收めしんに当たりてくわくし 四絃一声裂帛れつぱくの如し 東船とうせん西舫せいばうせうとしてげん無く 唯だ見る江心かうしん秋月しうげつ白きを

【通釈】曲が終わって撥を収め、琵琶の真ん中で一気に撥をはらうと、四本の弦が一斉に鳴って、絹帛を引き裂くようだ。東の船も西の船もひっそりと静まり返り、ただ長江の中央に秋の月が白々と映じているのが見えるばかりだった。

【付記】長編の感傷詩「琵琶行(琵琶引とも)」より。波止場で客を見送った白氏はたまたま琵琶を弾く妓女に出逢い、他の船客とともにその演奏を聴く。

【関連歌】中1620、中1776、員外3151

 

●白氏文集巻十二 琵琶行(抄その三)

老大嫁作商人婦 商人重利軽離別 前月浮梁買茶去 去来江口守空船 遶船月明江水寒 夜深忽夢少年事 夢啼粧涙紅闌干

【訓読】老大らうだいして商人の婦とる 商人は利を重んじて離別を軽んじ 前月浮梁ふりやうに茶を買ひ去る 去りてよりこのかた江口かうこう空船くうせんを守る 船をめぐりて月は明らかに江水かうすいは寒し 夜深よふけてたちまち夢見る少年の事 夢にけば粧涙しやうるいあかくして闌干らんかんたり

【通釈】年をとった私は商人の妻となりましたが、商人は利益を重んじ、離れた妻のことなど気にかけません。先月、浮梁に茶を買いに出たきり帰りません。夫が去ってからこの方、河口で主人のいない船の留守をまもるばかり。船の周りを取り囲んで、月はさやかに照り、長江の水は寒々としています。夜が更けてふと眠りに落ち、夢見るのは若い頃のこと。夢の中で啼けば、化粧した顔を紅く染まった涙がとめどなく流れます。

【付記】長編の感傷詩「琵琶行(琵琶引とも)」より。波止場で客を見送った白氏はたまたま琵琶を弾く妓女に出逢い、他の船客とともにその演奏を聴いて感動する。妓女は昔語りに若年長安での華やかな暮らしを語り、その後商人の妻となって置き去りにされた事情を語った。

【関連歌】上1133、中1776

 

白氏文集巻十三

●白氏文集巻十三 酬哥舒大見贈

去歳歓遊何処去 曲江西岸杏園東 花下忘帰因美景 樽前勧酒是春風 各従微宦風塵裏 共度流年離別中 今日相逢愁又喜 八人分散両人同

【訓読】去歳の歓遊何処いづくにかく 曲江きよくかう西岸せいがん杏園きやうゑんの東 花のもとに帰らむことを忘るるは美景につてなり そんの前に酒を勧むるはれ春の風 おのおの微宦びくわんに従ふ風塵のうち 共に流年りうねんわたる離別のうち 今日こんにちあひ逢ひうれへてた喜ぶ 八人はちにん分散し両人りやうにんは同じ

【通釈】去年、皆で楽しく遊んだのは何処だったか。曲江の西岸、杏園の東だった。花の下で帰ることを忘れたのは、あまりの美景ゆえ。樽の前で酒を勧めたのは、うららかな春の風だった。今おのおのは微官に任じられて、俗塵のうちにある。互いに別れたまま、一年は流れるように過ぎた。今日君と出逢えて、寂しくもあり、嬉しくもある。八人は各地に分散しているが、君と僕の二人は同じここにいるのだ。

【語釈】◇曲江 長安にあった池。杜甫の詩で名高い。◇杏園 杏の花園。杏は春、白または淡紅色の花をつける。◇微宦 微官に同じ。身分の低い官吏。◇八人 前年、共に科挙に及第した八人。

【付記】友人の哥舒大から贈られた詩に応えた詩。自注に「去年与哥舒等八人、同登科第。今叙会散之意(去年哥舒等八人と、同じく科第に登る。今会散の意を叙す)」とあり、共に科挙に及第した八人の仲間と杏の花園で遊んだ日々を懐かしんだ詩と知れる。『和漢朗詠集』の巻上「春興」に頷聯が引かれて名高い。

【関連歌】員外3206

 

●白氏文集巻十三 秋雨中贈元九

不堪紅葉青苔地 又是涼風暮雨天 莫怪独吟秋思苦 比君校近二毛年

【訓読】へず紅葉こうえふ青苔せいたいの地 またこれ涼風りやうふう暮雨ぼうの天 怪しむなかれ独吟どくぎん秋思しうしの苦しきを 君に比してやや近し二毛じもうの年

【通釈】感に堪えないことよ。紅葉が散り、青い苔に覆われた地のけしきは。そして冷ややかな風が吹き、夕雨の降る空のけしきは。怪しんでくれるな。独り秋思の苦しさを吟ずることを。半白の髪になる年が君よりも少し近いのだ。

【語釈】◇二毛年 白髪混じりの毛髪になる年。潘岳の『秋興賦并序』に「晋十有四年、余春秋三十有二、始見二毛」とあり、三十二歳を指す。白居易の三十二歳は西暦803年。歌を贈った相手である元九こと元稹よりも七歳年上であった。

【付記】親友の元九こと元稹に贈った歌。和漢朗詠集に首聯が引かれている。

【関連歌】中1697、下2723、員外3235

 

●白氏文集巻十三 曲江憶元九

春来無伴閑遊少 行楽三分減二分 何況今朝杏園裏 閑人逢尽不逢君

【訓読】春来しゆんらいとも無くして閑遊かんいう少なく 行楽三分さんぶん二分にぶんを減ず なんいはんや今朝こんてう杏園きやうゑんうち 閑人かんじん逢ひ尽くせども君に逢はず

【通釈】春になっても仲間がなくて遊び歩くことも少なく、行楽は以前の三分の二に減った。まして、今朝杏園の内で、閑な人々にはすっかり出逢ったのに、君に逢うことはできなかったのでなおさら寂しい。

【付記】曲江に遊んだ時、親友の元稹を思って作った詩。

【関連歌】員外3202

 

●白氏文集巻十三 春中与廬四周諒華陽観同居

性情懶慢好相親 門巷蕭条称作鄰 背燭共憐深夜月 蹋花同惜少年春 杏壇住僻雖宜病 芸閣官微不救貧 文行如君尚憔悴 不知霄漢待何人

【訓読】性情懶慢らんまんにしてく相親しみ 門巷もんかう蕭条せうでうとしてとなりすにかなふ ともしびそむけては共に憐れむ深夜の月 花をんでは同じく惜しむ少年の春 杏壇きやうだん住僻ぢうへきにしてやまひよろしといへども 芸閣うんかく官微かんびにしてひんを救はず 文行ぶんかう君の如くにして憔悴せうすいす 知らず霄漢せうかん何人なんびとをか待つ

【通釈】性質が懶惰で君とはよく気が合い、近所の路地は物寂しげなので、隣付き合いにぴったりだ。灯火を背にして共に深夜の月を賞美し、散った花を踏んで共に青春を愛惜した。杏の花咲くこの館は僻遠の地にあり、療養には持って来いなのだが、御書所に勤める君の官位は低く、貧窮を救うことは出来ない。詩文も徳行も君のようにすぐれた人が、なお困窮しているとは。朝廷は如何なる人材を待望しているというのか。

【語釈】◇門巷 家門と近所の路地の家並。◇芸閣 御書所の唐名。朝廷所属の図書館。◇霄漢 大空。朝廷にたとえる。

【付記】友人の「盧四周諒」と華陽観に同居していた時の作。華陽観とは長安の道観(道士の住処)で、唐代宗の第五女華陽公主の旧宅。永貞元年(八〇五)、白居易は友人たちと共ここに住んだ。和漢朗詠集巻上「春夜」に第三・四句が引かれている。また『采女』『西行桜』などの数多くの謡曲に第三・四句を踏まえた文句がある。

【関連歌】中1510、下2069、員外3209

 

●白氏文集巻十三 過天門街

雪尽終南又欲春 遥憐翠色対紅塵 千車万馬九衢上 廻首看山無一人

【訓読】雪尽きて終南しうなんまた春ならんと欲す 遥かに憐れむ翠色すゐしよく紅塵こうぢんに対するを 千車せんしや万馬ばんば九衢きうくの上 かうべめぐらして山をるは一人いちにんも無し

【通釈】雪がすっかり消えて、終南山にまた春が来ようとしている。その山の緑が街の紅塵と相対しているのを眺め、私は遥かに山を憐れむ。千車・万馬が往き交う長安の大通りで、首を巡らして山を見る人など一人もいない。

【語釈】◇終南 終南山。長安南郊の山。◇九衢 長安の街路。

【付記】長安の大通りである天門街を通り過ぎる時の思いを詠む。

【関連歌】員外3246

 

●白氏文集巻十三 長安閑居

風竹松煙昼掩関 意中長似在深山 無人不怪長安住 何独朝朝暮暮閑

【訓読】風竹ふうちく松煙しようえんくわんおほへば 意中いちゆう深山しんざんちやうず 人の怪しまざる無し長安ちやうあんぢゆうし なんぞ独り朝々てうてう暮々ぼぼかんならんと

【通釈】風にそよぐ竹、松葉を焚く煙――昼間に閂をかけて家に閉じ籠れば、心の中は深山にあるのにまさる。誰も怪訝に思わぬ人はいない。長安に住んで、どうして私独り朝な夕な閑静に過ごしているのかと。

【語釈】◇掩関 門にかんぬきをかけて閉じ籠る。

【付記】七言律詩。長安の街中にあって閑居している己を誇る。文選の「大隠隠朝市」が念頭にあるか。但し白居易は自身の立場を大隠でも小隠でもない「中隠」と呼んだ(白氏文集巻五十二「中隠」)。因みに大江千里は『句題和歌』で第四句「何独朝朝暮暮閑」を題に「はかもなくならむ我が身のひとりしてあしたゆふべにしづかなるらむ」と詠んだ。

【関連歌】上0391

 

●白氏文集巻十三 旅次景空寺宿幽上人院

不与人境接 寺門開向山 暮鐘鳴鳥聚 秋雨病僧閑 月隠雲樹外 蛍飛廊宇間 幸投花界宿 暫得静心顔

【訓読】人境と接せず 寺門じもん ひらきて山に向かふ 暮鐘ぼしよう鳴鳥めいてうあつまり 秋雨しうう病僧びやうそうかんなり 月は雲樹うんじゆそとに隠れ 蛍は廊宇らううあひだに飛ぶ さいはひ花界くわかいに投じて宿し 暫く心顔しんがんを静むるを得たり

【語釈】◇雲樹 雲のように盛んに茂る樹。◇廊宇間 渡殿の廂と廂の間。◇花界 蓮花界、浄土。景空寺をこう言った。

【通釈】景空寺は人里を遠く離れ、寺の門は山に向かって開いている。晩鐘が鳴ると、鳥たちが鳴きながらねぐらに集まり、秋雨の降る中、病んだ僧が静かに坐している。月は雲のように盛んに茂る樹の向こうに隠れ、蛍は渡殿の廂と廂の間を舞い飛ぶ。幸いにも浄土に宿を取り、しばらく心と顔をなごませることができた。

【付記】旅の途次、景空寺(不詳)に立ち寄り、幽上人(不詳)の僧院に泊った時の詠。大意は「景空寺は人里を遠く離れ、寺の門は山に向かって開いている。晩鐘が鳴ると、鳥たちが鳴きながらねぐらに集まり、秋雨の降る中、病んだ僧が静かに坐している。月は雲のように盛んに茂る樹の向こうに隠れ、蛍は渡殿の廂と廂の間を舞い飛ぶ。幸いにも浄土に宿を取り、しばらく心と顔をなごませることができた」。

【関連歌】員外3231

 

●白氏文集巻十三 過高将軍墓

原上新墳委一身 城中旧宅有何人 妓堂賓閣無帰日 野草山花又欲春 門客空将感恩涙 白楊風裏一霑巾

【訓読】原上げんじやう新墳しんぷん一身をす 城中の旧宅何人なんびとか有る 妓堂ぎだう賓閣ひんかく帰日きじつ無し 野草山花さんくわ又た春ならんと欲す 門客もんかく空しく感恩の涙をちて 白楊風裏はくやうふうり一たびきんうるほ

【通釈】高将軍は原野の上の新墓に一身を委ねた。都の旧宅には誰が残っていよう。妓堂にも賓閣にも、将軍が帰って来る日はない。それでも野山の草花はまた春になって芽生えようとしている。門客は将軍の恩を思って涙を流し、白楊を吹く風の中、手巾を濡らしている。

【語釈】◇原上新墳 原野の上の新しい墓。◇妓堂賓閣 「妓堂」は妓女を住まわせる御殿。「賓閣」は客をもてなす御殿。◇白楊 ハコヤナギ。ポプラの仲間。墓の上に植えた。

【付記】高将軍(伝不詳)の墓を過ぎる時の詩。

【関連歌】員外3287

 

●白氏文集巻十三 冬夜示敏巣 時在東都宅

爐火欲銷灯欲尽 夜長相対百憂生 他時諸処重相見 莫忘今宵灯下情【訓読】爐火 ろ くわ銷えなんとし尽きなんとす 夜長くして相対あひたいして百憂ひやくいうしやうず 他時たじ諸処に重ねて相見あひ み んも 忘るるなか今宵こんせう灯下とう か じやう

【通釈】炉の火は消えようとし、灯し火も尽きようとしている。冬の夜長を君と相対し語り合っていると、次々に憂いが湧いてくる。いつかどこかで再会できるとしても、忘れないでくれ、今宵灯火の下で睦み合った心を。

【語釈】◇東都 洛陽。隋までの都。たびたび副都ともされた。◇百憂 多くの憂い。「憂」とは、敏巣といずれ別れなければならないゆえの憂いである。◇諸処 他の場所。当時の俗語という。◇重相見 再び相まみえる。

【付記】洛陽にいた時、別れを惜しんで敏巣という人(友人であろう)に示した詩。藤原基俊撰『新撰朗詠集』に初二句が採られている。

【関連歌】員外3241

 

●白氏文集巻十三 題李十一東亭

相思夕上松台立 蛩思蟬声満耳秋 惆悵東亭風月好 主人今夜在鄜州

【訓読】相思うてゆふべ松台しようだいのぼつて立てば きりぎりすの思ひ蟬の声耳に満つる秋なり 惆悵ちうちやうす東亭風月のきを 主人今夜鄜州ふしう

【通釈】私もまた君を思いつつ夕暮松林の丘に登って立てば、きりぎりすの悲しみと蟬の声が耳に満ちる。もう秋だ。寂しいのは、東亭の清風・明月はかくも素晴らしいのに、主人の君が今夜鄜州に出掛けていることだ。

【語釈】◇松台 松の生えた台地。◇蛩 コオロギ。◇主人 友人の李十一を指す。◇鄜州 陝西省の地名。長安の北。

【付記】李十一(李建)の東亭に題した詩。和漢朗詠集巻上秋「秋晩」に「相思夕上松台立、蛬思蟬声満耳秋」が引かれている(移動)。

【関連歌】員外3227

 

白氏文集巻十四

●白氏文集巻十四 送王十八帰山寄題仙遊寺

曾於太白峯前住 数到仙遊寺裏来 黒水澄時潭底出 白雲破処洞門開 林間煖酒焼紅葉 石上題詩掃緑苔 惆悵旧遊無復到 菊花時節羨君廻

【訓読】かつ太白峰前たいはくほうぜんに住まひ しばしば仙遊寺せんゆうじいたりてきたる 黒水こくすい澄める時潭底たんていで 白雲はくうん破るるところ洞門どうもんひらく 林間りんかんに酒をあたためて紅葉こうえふき 石上せきじやうに詩をしるして緑苔りよくたいはらふ 惆悵ちうちやう旧遊きういうた到る無きを 菊花きくかの時節君がかへるをうらや

【通釈】かつて太白峰の麓に住み、しばしば仙遊寺まで出掛けて行ったものだ。黒水が澄んでいる時は、ふちの底まで見え、白雲のきれ目に、洞穴の門が開いていた。林の中で、紅葉を焼いて酒を暖め、石の上に、緑の苔を掃って詩をしるした。嘆かわしいのは、あの旧遊の地を再び踏めないこと。菊の咲くこの時節、山に帰る君が羨ましい。

【語釈】◇太白峰 長安西郊の山。◇仙遊寺 長安西郊にある寺。白居易は元和元年(八〇六)地方事務官となった頃、この寺でしばしば遊んだ。◇黒水 渭水に流れ込む川。◇洞門 洞窟の入口。

【付記】山に帰棲する旧友の王十八すなわち王質夫おうしつぷを送り、かつて共に遊んだ仙遊寺に寄せて作った詩。翰林学士として長安に住んでいた頃の作という。『和漢朗詠集』の「秋興」の部に「林間煖酒」以下の二句が引かれて名高く、謡曲や俳諧など、この句を踏まえた文句はあまた見られる。

【関連歌】上1146

 

●白氏文集巻十四 禁中夜作書、与元九

心緒万端書両紙 欲封重読意遅遅 五声宮漏初鳴後 一点窓灯欲滅時

【訓読】心緒しんしよ万端ばんたん両紙りやうしに書き ふうぜんとして重ねて読みこころ遅遅ちちたり 五声ごせい宮漏きゆうろう初めて鳴るのち 一点いつてん窓灯さうとうえなんとする時

【通釈】思いのたけを紙二枚にしたため、封をしようとしては読み返し、心はためらう。五更を告げる水時計が鳴り始めたばかりの頃一点の窓のともし火が今にも消えようとする時。

【語釈】◇五声 五更(午前三時~五時頃)を告げる音。◇宮漏 宮殿の水時計。

【付記】左拾遺として宮中に仕えていた三十八、九歳頃、湖北省江陵に左遷されていた親友の元九(元稹)のもとへ贈った詩。手紙の内容は言わず、友への思いはしみじみと伝わる。第三・四句が和漢朗詠集の巻下「暁」の部に採られている。但し「初鳴後」が「初明後」となっており、普通「初めて明けて後」と訓まれる。

【関連歌】中1953

 

●白氏文集巻十四 八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九

銀台金闕夕沈沈 独宿相思在翰林 三五夜中新月色 二千里外故人心 渚宮東面煙波冷 浴殿西頭鐘漏深 猶恐清光不同見 江陵卑湿足秋陰

【訓読】銀台ぎんだい金闕きんけつ夕べに沈沈ちんちん 独り宿り相思ひて翰林かんりんり 三五夜中さんごやちゆう新月の色 二千里にせんりほか故人こじんの心 渚宮しよきゆう東面とうめん煙波えんぱひややかに 浴殿よくでん西頭せいとう鐘漏しようろうは深し ほ恐る清光せいくわうは同じく見ざるを 江陵こうりよう卑湿ひしつにして秋陰しういんおほ

【通釈】銀の楼台、金の楼門が、夜に静まり返っている。私は独り翰林院に宿直し、君を思う。十五夜に輝く、新鮮な月の光よ、二千里のかなたにある、旧友の心よ。君のいる渚の宮の東では、煙るような波が冷え冷えと光り、私のいる浴殿の西では、鐘と水時計の音が深々と響く。それでもなお、私は恐れる。この清らかな月光を、君が私と同じに見られないことを――。君のいる江陵は土地低く湿っぽく、秋の曇り空が多いのだ。

【語釈】◇銀台 銀作りの高殿を備えた建物。白居易が勤めた翰林院の南の銀台門のことかという。◇金闕 金づくりの楼門。◇翰林 皇帝の秘書の詰め所。翰林院。◇三五夜 十五夜。◇新月 東の空に輝き出した月。◇故人 旧友。◇渚宮 楚王の宮殿。水辺にあった。◇煙波 煙のように霞んで見える波。◇浴殿 浴堂殿。翰林院の東にある。◇鐘漏 鐘と水時計。いずれも時刻を知らせるもの。「鍾漏」とする本もある。◇清光 月の清らかな光。◇秋陰 秋の曇り。

【付記】元和五年(八一〇)の作。七言律詩。作者三十九歳。八月十五夜、中秋の名月の夜にあって、宮中に宿直した白居易が、親友の元九こと元稹を思って詠んだ詩。元稹は当時左遷されて湖北の江陵にあった。『和漢朗詠集』に第三・四句が引用されている。また源氏物語須磨巻には、源氏が十五夜の月を見て「二千里のほか、故人の心」と口吟む場面がある。

【関連歌】上0042

 

●白氏文集巻十四 晩秋夜

碧空溶溶月華静 月裏愁人弔孤影 花開残菊傍疏籬 葉下衰桐落寒井 塞鴻飛急覚秋尽 鄰鶏鳴遅知夜永 凝情不語空所思 風吹白露衣裳冷

【訓読】碧空へきくう溶溶ようようとして月華げつくわ静かなり 月裏げつり愁人しうじん孤影こえいとむらふ 花ひらきて残菊ざんぎく疏籬そりひ 葉ちて衰桐すいとう寒井かんゐに落つ 塞鴻さいこう飛ぶこと急にして秋のくるを覚え 鄰鶏りんけい鳴くこと遅くして夜のながきを知る 情をらして語らず だ思ふ所あれば 風白露はくろを吹いて衣裳いしやうひややかなり

【通釈】紺碧の夜空は広々として、月が静かに照っている。月明かりの中、愁いに沈む人は自らの孤影を悲しんでいる。色褪せた残菊が疎らな垣に添って咲き、衰えた桐の葉は寒々とした井戸の上に落ちる。北辺の鴻が忙しげに空を飛び、秋も末になったと気づく。隣家の鶏はなかなか鳴き出さず、夜が長くなったと知る。物言わず一心に物思いに耽っていると、風が白露を吹いて、いつか夜着は冷え冷えとしていた。

【語釈】◇溶溶 ゆるやかなさま。やすらかなさま。◇愁人 詩人自身を客観視して言う。◇塞鴻 北の辺塞の地から飛来した鴻。鴻は大型の水鳥。ひしくい(大雁)や白鳥の類。

【付記】『文集百首』では「塞鴻」を「鴻」とする。第五句は大江千里の『句題百首』にも句題とする。

【関連歌】員外3233

 

●白氏文集巻十四 嘉陵夜有懐二首 其二

不明不暗朧朧月 不暖不寒慢慢風 独臥空床好天気 平明間事到心中

【訓読】明ならず暗ならず朧朧ろうろうたる月 暖ならず寒ならず慢慢まんまんたる風 独り空床くうしやうに臥して天気し 平明間事かんじ心中しんちうに到る

【通釈】明るくもなく、暗くもない、おぼろな月。暑くもなく、寒くもない、ゆるやなか風。私は独り寝床に臥して、天気は穏やか。明け方、つまらぬ事ばかり心に浮かんで来る。

【付記】元和四年(八〇九)三月、元稹が監察御史として蜀の東川に派遣された時三十二首の詩を詠み、白居易はそのうち十二首に和して酬いた。その第八・九首。那波本『白氏文集』では初句「不明不闇朦朧月」とする。ここでは『全唐詩』などに拠り、我が国でより流通している本文を採った。『千載佳句』巻上「春夜」、『新撰朗詠集』巻上「春夜」、いずれも「其二」の首聯を「不明不暗朧朧月、非暖非寒漫漫風」として引く。

【関連歌】中1632

 

●白氏文集巻十四 暮立

黄昏独立仏堂前 満地槐花満樹蟬 大抵四時心総苦 就中腸断是秋天

【訓読】黄昏くわうこん独り立つ仏堂の前 満地の槐花くわいくわ満樹の蟬 大抵おほむね四時しいじは心すべてねんごろなり 就中このうちはらわたの断ゆることはこれ秋の天なり

【通釈】黄昏時、独り仏堂の前に立つと、地上いちめんえんじゆの花が散り敷き、樹という樹には蟬が鳴く。おおむね四季それぞれに心遣いされるものであるが、とりわけ、はらわたがちぎれるほど悲しい思いをするのは秋である。

【語釈】◇槐花 えんじゆの花。中国原産のマメ科の落葉高木で、夏に白い蝶形花をつける。立秋前後に散る。◇心総苦 訓は和漢朗詠集(岩波古典大系)に拠る。「心すべて苦しきも」などと訓む本もある。◇就中 その中でも。とりわけて。「なかんづく」とも詠まれる。◇腸断 腸が断ち切れる。耐え難い悲しみを言う。『世説新語』、子を失った悲しみのあまり死んだ母猿の腸がちぎれていたとの故事に由来するという。◇秋天 単に秋のことも言う。

【付記】元和六年(八一一)秋の作。作者四十歳。「大抵四時」以下の句は和漢朗詠集二二三「秋興」に引用されている。

【関連歌】員外3225

 

●白氏文集巻十四 王昭君

満面胡沙満鬢風 眉銷残黛臉銷紅 愁苦辛勤憔悴尽 如今却似画図中

【訓読】めんに満つる胡沙こさ びんに満つる風 眉は残黛ざんたいほほくれなゐせり 愁苦しうく辛勤しんきんして 憔悴せうすゐし尽き 如今じよこん かへつて画図がとうちに似たり

【通釈】顔じゅうに砂漠の砂がくっつき、鬢の毛には絶えず風が吹きつけて、眉墨も頬紅も、跡形なく消えてしまった。愁いと苦しみの多い辛いお勤めで、憔悴し切り、今や、絵師が偽って醜く描いた画中の姿に似てしまった。

【付記】王昭君は漢の元帝に仕えた数多の宮女の一人で、人並すぐれた美貌の持ち主であったが、画師に賄賂を送らなかったために肖像画を醜く描かれ、これを見た帝によって醜女と誤られ、匈奴の呼韓邪単于こかんやぜんうのもとに嫁として送られた。都からの迎えを待ち望みつつ、ついに異郷に骨を埋めた。『和漢朗詠集』巻下雑に「王昭君」の題があり、「愁苦辛勤顦顇尽 如今却似画図中」が引かれている。平安時代以後、「長恨歌」などと共に絵物語の題材として好まれた。和歌にも「王昭君」の題で詠まれた歌は数多いが、必ずしも『白氏文集』を踏まえているわけではない。

【関連歌】上0198

 

白氏文集巻十五

●白氏文集巻十五 燕子楼

満窓明月満簾霜 被冷灯残払臥床 燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長

【訓読】満窓まんさうの明月満簾まんれんの霜 は冷やかにとううすれて臥床ふしどを払ふ 燕子楼えんしろううち霜月さうげつ 秋きたつてただ一人いちじんの為に長し

【通釈】窓いっぱいに輝く月、簾いちめんに降りた霜。掛布は冷ややかで、燈火は寝床をうすく照らしている。燕子楼の中で過ごす、霜のように冴えた月の夜は、秋になって以来、ただ私ひとりのために長い。

【語釈】◇燕子楼 徐州の長官、張氏の邸内の小楼。張氏の愛妓眄眄めんめんが、張氏の死後十余年ここに住んで独身を守った。楼の名は二夫を持たないという燕に因む。◇只為一人長 自分にとってだけ長いのかと嘆く心。夫を失った独り身ゆえに、夜が一層長く感じられる。

【付記】「燕子楼」三首の一。燕子楼に孤閨を守る女性の身になって作った詩。楼に愛妓を囲っていた張氏は作者と旧知の間柄であり、実話に基づく詩である。『和漢朗詠集』の「秋夜」に第三・四句が採られている。

 

●白氏文集巻十五 苦熱題恒寂師禅室

人人避暑走如狂 独有禅師不出房 不是禅房無熱到 但能心静即身涼

【訓読】人人しよを避け走りてきやうするが如し 独り禅師のばうを出でざる有り れ禅房に熱の到ること無きにはあらず く心静かなれば即ち身も涼し

【通釈】世の人々は暑さを避けて狂ったように家を逃げ出す。独り禅師のみは房中に籠もったままでいる。師の禅室にも炎熱が押し寄せないわけではない。ただ心を静かに澄ませていれば、そのまま身も涼しくなるのである。

【付記】酷暑の候、恒寂師(不詳)の禅室に題した詩。和漢朗詠集の巻上夏「納涼」に第三・四句が引かれている。因みに第四句は荀鶴じゆんかくの「滅却心頭火亦涼(心頭滅却すれば火も亦た涼し)」に似るが、白詩の方が時代は先んじる。

【関連歌】員外3219

 

●白氏文集巻十五 歳晩旅望

朝来暮去星霜換 陰慘陽舒気序牽 万物秋霜能壊色 四時冬日最凋年 煙波半露新沙地 鳥雀羣飛欲雪天 向晩蒼蒼南北望 窮陰旅思両無辺

【訓読】朝来てうらい暮去 ぼ きよ星霜せいさうかはり 陰惨いんさん陽舒ようじょ気序 き じよく 万物ばんぶつは秋の霜く色をやぶる 四時しいじは冬の日最も年をしぼましむ 煙波えん ぱ 半ばあらは新沙しんさの地 鳥雀てうじやく群がり飛ぶ雪ふらんとする天 晩に向ひ蒼蒼さうさうとして南北を望めば 窮陰きゆういん旅思りよ し ふたつながら辺無し

【通釈】朝が来ては夕が去り、歳月は移り変わる。陰気と陽気が往き交い、季節は巡る。万物に対しては、秋の霜がひどくその色をそこなう。四季のうちでは、冬の日が最も一年を衰えさせる。煙るような水面に新しい砂地が半ばあらわれ、小鳥たちが雪もよいの空を群なして飛んでゆく。夕暮、蒼々と昏れた空に北方を望めば、冬の果ての陰鬱も旅の憂愁も、限りなく深い。

【語釈】◇朝来暮去 日々が繰り返すこと。◇星霜 年月。歳月。◇陰惨陽舒 陰気と陽気。曇って傷ましい気候と、晴れて穏やかな気候。◇気序 季節の順序。四季。◇煙波 煙のように霞んで見える波。◇新沙地 新しい砂地。◇鳥雀 雀など、里にいる小鳥の類。◇蒼蒼 夕空の蒼く澄み切ったさま。◇南北望 南北方向に望む。つまりは北の長安の都を望郷する。◇窮陰 冬の果ての陰気。◇旅思 旅愁。「離思」とする本もある。

【付記】元和十年(八一五)の暮、旅中にあって晩冬の景を眺め、旅の思いを述べた詩。「万物秋霜能壊色 四時冬日最凋年」の二句が和漢朗詠集の巻上冬、「霜」の部に引かれる。

【関連歌】中1894、員外3237

 

●白氏文集巻十五 放言五首 第五

泰山不要欺毫末 顔子無心羨老彭 松樹千年終是朽 槿花一日自為栄 何須恋世常憂死 亦莫嫌身漫厭生 生去死来都是幻 幻人哀楽繁何情

【訓読】泰山たいざん毫末がうまつあざむくを要せず 顔子がんし老彭らうはううらやむに心し 松樹しようじゆ千年せんねんつひに是れ朽ち 槿花きんくわ一日いちじつみづかえいと為す 何ぞもちゐむ世をしたひて常に死をうれふるを た身を嫌ひてみだりに生をいとふなかれ 生去せいきよ死来しらいすべて是れ幻 幻人げんじんの哀楽何のじやうにかけむ

【通釈】泰山は偉大だからといって小さなものを侮る必要は無いし、顔回は短命だからといって彭祖の長寿を羨む心は無かった。松の木は千年の寿命があるといっても、最後には朽ち、朝顔の花は一日の寿命であっても、それを栄華とする。されば、どうして現世に恋着し常に死を気に病む必要があろう。さりとてまた、我が身を嫌ってむやみに生を厭うこともない。生れては死ぬ、これはすべて幻にすぎぬ。幻にすぎぬ人たる我が身、哀楽などどうして心に懸けよう。

【語釈】◇泰山 五岳の一つ。太山とも書く。崇高壮大なものや大人物の譬えとされる。◇顔子 孔子の高弟、顔回。師より将来を嘱望されたが夭折した。◇老彭 彭祖。殷の時代の仙人で、八百歳の長寿を保ったという。◇槿花 木槿むくげの花。朝咲いて夕方には凋む。日本ではこれを朝顔(今のアサガオと同種)として受け取ったようである。◇生去死来 生死を繰り返すこと。

【付記】元稹が江陵に左遷されていた時に作った「放言長句詩」五首に感銘した白居易が、友の意を引き継いで五首の「放言」詩を作った。その第五首。第三・四句が『和漢朗詠集』巻上秋の「槿あさがほ」の部に採られている。

【関連歌】員外3288

 

白氏文集巻十六

●白氏文集巻十六 江楼宴別

楼中別曲催離酌 灯下紅裙間緑袍 縹緲楚風羅綺薄 錚鏦越調管弦高 寒流帯月澄如鏡 夕吹和霜利似刀 尊酒未空歓未尽 舞腰歌袖莫辞労

【訓読】楼中ろうちゆう別曲べつきよく離酌り しゃくうながす 灯下とうか紅裙こうくん緑袍りよくはうまじはる 縹緲へうべうたる楚風 そ ふう 羅綺らき薄く 錚鏦さうさうたる越調ゑつてう 管弦くわんげん高し 寒流かんりう月を帯びて澄めること鏡の如し 夕吹せきすい霜にくわしてきことかたなに似たり 尊酒そんしゆいまむなしからず くわんも未だ尽きず 舞腰 ぶ えう 歌袖 か しう らうするなか

【通釈】楼閣の中、奏でる別れの曲が、訣別の盃を人々に促す。燈火の下、妓女の紅の裳が、役人の緑衣と入り混じっている。楚地のかすかな風に、翻る美女の衣服は薄く、冴え冴えとした越の調べに、管弦の響きは高い。寒々とした長江の流れは、月光を映して、鏡のように澄み切っている。夕方の風は、霜の気と相和して、刀のように鋭い。樽酒はまだ空にならず、交情もなお尽きない。舞する腰も、歌うたう袖も、労を惜しんではならぬ。

【語釈】◇別曲 別れの曲。◇離酌 別れの盃。◇紅裙 紅の裳。妓女のスカート。◇緑袍 緑色の上着。色によって階級別に定められていた官吏の制服。◇楚風 楚の地を吹く風。楚は長江中流域を領有した国。◇羅綺 うすものあやぎぬ。美しい衣服のこと。◇錚鏦 金管楽器による冴えた音の響き。◇越調 唐楽の音調の一つ。強く、悲痛な調子。◇夕吹 夕風。◇尊酒 「尊」は樽に同じ。◇舞腰 舞う腰つき。◇歌袖 歌い舞う袖。

【付記】長江のほとりで送別の宴を催した時の作。「寒流帯月澄如鏡 夕吹和霜利似刀」の二句が和漢朗詠集巻上冬「歳暮」の部に引かれている。特に「寒流帯月…」は好んで句題とされた。

【関連歌】員外3229

 

●白氏文集巻十六 桜桃花下歎白髪

逐処花皆好 随年貌自衰 紅桜満眼日 白髪半頭時 倚樹無言久 攀条欲放遅 臨風両堪歎 如雪復如糸

【訓読】処をひて花皆し 年にしたがひてかたちおのづから衰ふ 紅桜かうあう眼に満つる日 白髪かしら半ばになる時 樹にりてげん無きこと久しく えだぢて放たんとすること遅し 風に臨みてふたつながら歎くにへたり 雪の如くた糸の如し

【通釈】処々、花はみな美しいが、年々、容貌は自然と衰える。紅い桜桃ゆすらうめが満目に咲き誇る今日、白い髪は既に頭の半ばを覆っている。樹に寄りかかっては、久しく黙り込み、枝を引き寄せては、いつまでも離さずにいる。春風に吹かれて、二つながら嘆きに堪えない。私の髪が雪のように白く、糸のように細いことに。

【語釈】◇逐処 どこへ行っても。至るところ。◇紅桜 紅いユスラウメ。中国では「桜」はユスラウメを指す。

【関連歌】員外3204、員外3459(漢詩句)

 

●白氏文集巻十六 晩春登大雲寺南楼、贈常禅師

花尽頭新白 登楼意若何 歳時春日少 世界苦人多 愁酔非因酒 悲吟不是歌 求師治此病 唯勧読楞伽

【訓読】花尽きてかしら新たに白し 楼に登るもこころ若何いかん 歳時春日しゆんじつ少なく 世界苦人くじん多し 愁酔しうすゐは酒にるにあらず 悲吟ひぎんは是れ歌ならず 師に此の病をせんことを求むれば 唯に楞伽りようがを読まんことを勧む

【通釈】花は散り果て私の頭は白髪が増えた。高楼に登っても心は如何ともし難い。一年の中で穏やかな春の日は少なく、世の中には苦しむ人ばかりが多い。憂鬱な酔いは単に酒のせいではない。悲しみにひしがれて詠ずる歌は歌にならぬ。禅師にこの病を治して頂くようお願いすると、ただ楞伽経を読めと勧めて下さる。

【付記】常禅師すなわち智常禅師に贈ったという歌。大意は「花は散り果て私の頭は白髪が増えた。高楼に登っても心は如何ともし難い。一年の中で穏やかな春の日は少なく、世の中には苦しむ人ばかりが多い。憂鬱な酔いは単に酒のせいではない。悲しみにひしがれて詠ずる歌は歌にならぬ。禅師にこの病を治して頂くようお願いすると、ただ楞伽経を読めと勧めて下さる」。楞伽経は楞伽(スリランカ)で説かれたという経典で、禅宗で重んじられた。

【関連歌】員外3210

 

●白氏文集巻十六 香鑪峯下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁

五架三間新草堂 石階桂柱竹編墻 南簷納日冬天煖 灑砌飛泉纔有点 払牕斜竹不成行 来春更葺東廂屋 紙閣蘆簾著孟光

【訓読】五架ごか三間さんげんの新草堂さうだう 石階せきかい 桂柱けいちう 竹編ちくへんしやう 南簷なんえん日をれて 冬天とうてん あたたかに北戸迎風夏月涼 北戸ほくこ風を迎へて 夏月かげつ涼し みぎりそそ飛泉ひせん わづかに点有り 窓を払ふ斜竹しやちく かうを成さず 来春らいしゆん 更に東廂とうしやうをくき 紙閣しかく蘆簾ろれん 孟光まうくわうけん

【通釈】新しい草堂は奧行五間、間口三間。石段と香木の柱、竹で編んだ垣根。南の軒から陽が射し込み、冬の日も暖かく、北の戸から風を迎えて、夏の日も涼しい。石畳にそそぐ泉のしぶきは、わずかに滴を飛ばす。窓をこする竹は斜めに生えて、不揃いのまま。来春には、更に東の廂の屋根を葺き、紙障子の部屋に蘆のすだれを垂れて、細君の部屋としよう。

【語釈】◇桂柱 桂(常緑の香木の類)で造った柱。◇点 水しぶきのしずく。◇不成行 行列を成していない。生えるままに放置されているさま。◇紙閣 紙障子の部屋。◇孟光 『蒙求』『後漢書』などに見える後漢の梁鴻の妻。貧しい隠者の賢妻の代名詞として、詩人は自身の妻をこう呼んだ。

【付記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(八一七)、四十六歳の作。香鑪峰の麓に山荘を新築し、完成した時に東側の壁にこの詩を書き記したという。同題四編あるうちの其一。

【関連歌】上0623

 

●白氏文集巻十六 重題

日高睡足猶慵起 小閣重衾不怕寒 遺愛寺鐘欹枕聴 香鑪峯雪撥簾看 匡廬便是逃名地 司馬仍為送老官 心泰身寧是帰処 故郷何独在長安

【訓読】日高くねむり足るもほ起くるにものうし 小閣せうかくしとねを重ねてかんおそれず 遺愛寺 い あい じ の鐘は枕をそばだてて聴き 香鑪峰かう ろ ほうの雪はすだれかかげてる 匡廬きよ ろ 便すなはれ名をのがるるの地 司馬しばほ老いを送る官なり 心やすく身やすきは帰処 き しよ 故郷こきやうは何ぞひと長安てうあんにのみらんや

【通釈】日は既に高く、眠りはたっぷり取ったが、それでも起きるのは億劫だ。高殿の部屋で掛布団を重ねているから、寒さは怖くない。遺愛寺の鐘は枕を斜めに持ち上げて聞き、香鑪峰の雪は簾をはねあげて眺める。蘆山とはこれ名利を忘れ去るところ、司馬とはこれ余生を過ごしやる官職。心身ともに穏やかであることこそ、安住の地。故郷はどうして長安に限られようか。

【語釈】◇香鑪峰 香爐峰とも。廬山(江西省九江県)の北の峰。峰から雲気が立ちのぼるさまが香炉に似ることからの名という。◇小閣 「閣」は高殿・二階造りの御殿。「小」は自邸ゆえの謙辞。◇遺愛寺 香鑪峰の北にあった寺。◇欹枕 枕を斜めに立てて頭を高くすることか。◇撥簾 簾をはねあげて。「撥」を「はねて」と訓む注釈書もある。また『和漢朗詠集』では「撥」を「巻」とする古写本がある。古人は「簾をまきて」と訓んでいたか。◇匡廬 蘆山。周代、匡俗先生と呼ばれた仙人がこの山に住んだことから付いた名という。◇逃名地 名誉・名声を求める心から逃れる場所。◇司馬 長官・次官より下の地位の地方官。

【付記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(八一七)、四十六歳の作。香鑪峰の麓に山荘を新築し、完成した時に東側の壁にこの詩を書き記したという。同題四編あるうちの其三。『和漢朗詠集』巻下「山家」の部に「遺愛寺鐘敧枕聴 香爐峯雪撥簾看」の二句が採られ、『枕草子』を初め多くの古典文学に言及されて名高い。和歌に多用された「簾まきあげ」「枕そばだて」といった表現も掲出詩に由来する。

【関連歌】上0849、上1139

 

●白氏文集巻十六 登西楼憶行簡

毎因楼上西南望 始覚人間道路長 礙日暮山青簇簇 浸天秋水白茫茫 風波不見三年面 書信難伝万里腸 早晩東帰来下峽 穏乗船舫過瞿唐

【訓読】楼上ろうじやうりて西南を望む毎に 始めて覚ゆ 人間じんかん道路の長きを 日をさまたぐる暮山ぼざん青くして簇簇ぞくぞくたり 天をひた秋水しうすい白くして茫茫ばうばうたり 風波ふうは見ず 三年のめん 書信しよしん伝へがたし 万里のはらわた 早晩さうばん東に帰り来りてけふくだり おだやか船舫せんばうに乗りて瞿唐くたうを過ぎん

【通釈】楼に登って西南を望むたびに、改めて二人の間の距離の遠さを思う。陽を遮る夕暮の山が青々と幾重にも連なり、天を浸す秋の川が白々と遥かに流れている。身辺の激変で、三年も顔を合せていない。手紙も伝え難く、万里を隔てて断腸の思いだ。おまえがいつか東に帰って来て、三峡を下り、穏やかに船に乗って瞿唐峡を過ぎんことを。

【語釈】◇人間 人と人の間。ここでは作者と弟の行簡の間。◇簇簇 群がり集まるさま。◇風波 激しい変動。白居易が左遷されたことを暗に指す。◇早晩 いつ。当時の俗語という。◇船舫 船、特に筏船。◇瞿唐 長江の難所、三峡の一つ。四川省奉節県の東。杜甫「瞿唐両崖」などに詠まれている。

【付記】江州(江西省と湖北省南部にまたがる地域)に左遷されていた時(作者四十代半ば)、江州府の西楼に登り、弟の行簡を思い遣って詠んだ詩。行簡は当時蜀(四川省)にいたという。和漢朗詠集「山水」に第三・四句が引かれ、両句を題に詠んだ和歌が幾つか見られる。

【関連歌】員外3322

 

白氏文集巻十七

●白氏文集巻十七 廬山草堂、夜雨独宿、寄牛二・李七・庾三十二員外

丹霄攜手三君子 白髪垂頭一病翁 蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中 終身膠漆心応在 半路雲泥迹不同 唯有無生三昧観 栄枯一照両成空

【訓読】丹霄たんせうに手をたづさ三君子さんくんし 白髪はくはつかうべ一病翁いちびやうをう 蘭省らんしやうの花の時 錦帳きんちやうもと 廬山ろざんの雨の夜 草庵のうち 終身しゆうしん膠漆かうしつまさるべし 半路はんろ雲泥うんでいあと同じからず 無生三昧むしやうざんまいくわん有り 栄枯えいこ一照いつせうにしてふたつながらくうと成る

【通釈】朝廷に手を携えて仕えている、三人の君子たちよ、こちらは白髪を垂らした病身の一老人。君たちは尚書省の花盛りの季節、美しい帳のもとで愉しく過ごし、私は廬山の雨降る夜、粗末な庵の中で侘しく過ごしている。終生変わらないと誓った友情はなお健在だろうが、人生の半ばにして、君たちと私には雲泥の差がついてしまった。私はただ生死を超脱し、悟りを開いた境地に没入するばかり。繁栄も衰滅も同じ虚像であって、いずれくうに帰するのだ。【語釈】◇膠漆 にかわとうるし。両者を混ぜると緊密に固まるので、不変の友情の喩えに用いる。◇一照 同じ仮の現象。仏教語。

【付記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(八一七)頃、すなわち「香爐峯下、新卜山居…」と同じ頃の作。廬山(江西省九江県)の草堂に宿した一夜の感懐を、長安の旧友たちに寄せた詩である。『和漢朗詠集』「山家」の部に「蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中」が引かれている(移動)。

【関連歌】員外3121、員外3255

 

●白氏文集巻十七 十年三月三十日別微之於灃上…(抄)

往事渺茫都似夢 旧遊零落半帰泉 酔悲灑涙春杯裏 吟苦支頤暁燭前

【訓読】往事は渺茫べうばうとしてすべて夢に似たり 旧遊は零落して半ばせんす ひの悲しび涙をそそく春のさかづきうち 吟の苦しびおとがひささ暁燭げうしよくの前

【通釈】昔のことは果てしなく遠くなり、すべては夢のようだ。昔の友達は落ちぶれて、半ばは黄泉よみに帰ってしまった。酒に悲しく酔っては、春の盃の中に涙をこぼし、詩を苦しく吟じては、明け方の灯の前で頬杖をついている。

【付記】元和十年(八一五)三月三十日、白居易は灃水のほとりで親友の元稹(元微之)と別れたが、四年後の三月十一日夜、長江の峡谷で偶然再会し、舟を夷陵に停めて三泊したのち再び別れた。その時語り尽くせなかったことを書き、再び逢った時の話の種にしようとの思いから作ったのがこの詩だという。七言十七韻の長詩であるが、そのうち第十三~十六句のみを抄出した。「往事渺茫都似夢 旧遊零落半帰泉」が『和漢朗詠集』巻下「懐旧」に引かれ(移動)、この二句、あるいは「往事渺(眇)茫都似夢」「往事如夢」「往事似夢」「往事渺(眇)茫」などを題として少なからぬ和歌が詠まれた。

【関連歌】上0171、中1626、員外3285

 

白氏文集巻十八

●白氏文集巻十八 春至

若為南国春還至 爭向東楼日又長 白片落梅浮澗水 黄梢新柳出城墻 閑拈蕉葉題詩詠 悶取藤枝引酒嘗 楽事漸無身漸老 従今始擬負風光

【訓読】若為いかんせん南国春た至るを 争向いかんせん東楼とうろう日又長きを 白片はくへん落梅らくばい澗水かんすいうかぶ 黄梢くわうせう新柳しんりう城墻せいしやうより出でたり しづかに蕉葉せうえふり詩を題して詠じ むすぼれて藤枝とうしを取り酒を引きてむ 楽事らくじやうやく無くして身やうやく老ゆ 今より始めて擬す風光にそむかんことを

【通釈】おのずから、南国に再び春が巡って来る。止めようもなく、官舎の東楼に射す日が永くなる。白い梅の花びらが散って、谷川の水に浮かんでいる。黄の新芽を出した柳の梢が、群衙の城壁にはみ出ている。暇にまかせ、芭蕉の葉を折り取って詩を書き付け、気がふさげば、藤の枝を折り取って酒を吸い飲む。楽しみは年とともに無くなり、我が身はだんだん老いてゆく。ようやく思い決めた。華やかな春ももはや私には無縁、風光に背を向けて生きようと。

【語釈】◇若為・爭向 いずれも当事の俗語で、文語の「如何」にあたるという。「どうしようもない」ほどの意。◇南国 忠州を指す。今の重慶市忠県。夏は炎暑の地となる。◇藤枝 鈎藤の茎。この藤は漢方薬に用いられる鈎藤で、茎が中空なので、ストローのように用いることができるという。◇負風光 季節ごとの遊興などと無縁に生活すること。

【付記】江州を離れ、忠州(重慶市忠県)に赴任して二年目の春、作者四十九歳の作。『和歌朗詠集』巻上「梅」に頷聯が採られている(移動)。また『千載佳句』の「梅柳」にも。

【関連歌】上0107、員外3200

 

●白氏文集巻十八 春江

炎涼昏暁苦推遷 不覚忠州已二年 閉閣只聴朝暮鼓 上楼空望往来船 鶯声誘引来花下 草色勾留坐水辺 唯有春江看未厭 縈砂遶石緑潺湲

【訓読】 炎涼えんりやう昏暁こんげうはなは推遷すゐせんし 覚えず忠州すでに二年なり かくを閉じてただ聴く朝暮てうぼつづみ ろうのぼつて空しく望む往来の船 鶯の声に誘引いういんせられて花のもときたる 草の色に勾留こうりうせられて水のほとりり 春江しゆんかうて未だかざる有り 砂をめぐり石をめぐりて緑潺湲せんえんたり

【通釈】暑さと寒さ、夕暮れと朝明けが容赦なく推移し、いつの間にか忠州に来て二年になる。高殿に籠っては、ただ朝夕の時の太鼓に耳を傾け、高楼に上っては、長江を往き来する船をむなしく眺めていたが、今日鶯の声に誘われて、花の下までやって来た。若草の色に引き留められて、川のほとりにすわった。ただ春の長江だけはいくら見ても見飽きない。砂洲をめぐり、岩々をめぐって流れ、緑の水はさらさらと行く。

【語釈】◇炎涼 炎暑と寒涼。◇昏暁 暮と暁。◇忠州 今の重慶市忠県。◇縈砂 砂洲を巡るように川が流れるさま。◇遶石 岩壁を巡るように川が曲がって流れるさま。◇潺湲 「潺」は「小流をいう擬声語」(『字通』)。「湲」も同意で、水のさらさら流れる音を言う。

【付記】春の長江を詠む。第五・六句「鶯声誘引来花下 草色留坐水辺」が『和漢朗詠集』巻上「鶯」に採られている。『千載佳句』の「春遊」にも。大江千里『句題和歌』には「鶯声誘引来花下」を句題とする「鶯の鳴きつる声にさそはれて花のもとにぞ我は来にける」がある。

【関連歌】上0003、員外3203

 

白氏文集巻十九

●白氏文集巻十九 七言十二句、贈駕部呉郎中七兄 時早夏朝帰、閉斎独処、偶題此什

四月天気和且清 緑槐陰合沙隄平 独騎善馬銜鐙穏 初著単衣支体軽 退朝下直少徒侶 帰舍閉門無送迎 風生竹夜窓間臥 月照松時台上行 春酒冷嘗三数盞 暁琴閑弄十餘声 幽懐静境何人別 唯有南宮老駕兄

【訓読】四月天気ぎてむ 緑槐りよくくわいかげ合ひて沙隄さてい平らかなり 独り善馬にりて銜鐙かんとう穏やかに 初めて単衣たんいて支体かろし ちよう退さがちよくを下りて徒侶とりよく いへに帰り門を閉ざして送迎無し 風の竹にる夜窓のあひだせり 月の松を照らす時うてなの上にありく 春酒しゆんしゆ冷やかにむること三数盞さんすうせん 暁琴げうきんしづかにろうすること十余声じふよせい 幽懐 静境 何人なんびとわかつ 唯だ南宮の老駕兄らうがけい有るのみ

【通釈】四月の天気はなごやかで、かつすがすがしい。えんじゅの並木の葉陰は一つに合さり、砂敷きの路は平らかに続いている。独り良馬に乗り、馬具の音も穏やかに、初めて単衣ひとえの服を着て、体は軽やかだ。朝廷を退出し宿直を終えて、従者も無く、帰宅して門を閉ざせば、送り迎えの客も無い。風が竹をそよがせる夜、窓辺に横になり、月が松を照らす間、高殿の上をそぞろ歩く。よく冷えた春酒はるざけを数杯なめるように飲み、暁には琴をひっそりと僅かばかりもてあそぶ。この奧深く物静かな心境を誰が分かってくれるだろう。ただ南宮に居られる駕部郎中の呉七兄のみである。

【語釈】◇四月 陰暦四月は初夏。◇緑槐 葉の出たエンジュの木。◇沙隄 隄は堤に同じ。長安の砂敷きの舗装道路。◇銜鐙 「銜」はくつわ(轡)。「鐙」はあぶみ。合せて馬具を言う。◇支体 肢体に同じ。◇春酒 冬に醸造し、春に飲む酒。◇南宮 尚書省。◇老駕兄 駕部郎中の呉七兄。白居易の同年の友人。

【付記】和漢朗詠集一五一・夏夜に「風生竹夜窓間臥 月照松時台上行」が引かれ(移動)、殊に前句を踏まえた和歌が多い。両句は『千載佳句』『新撰朗詠集』にも見える。

【関連歌】員外3217

 

●白氏文集巻十九 聞夜砧

誰家思婦秋擣帛 月苦風凄砧杵悲 八月九月正長夜 千声万声無了時 応到天明頭尽白 一声添得一茎糸

【訓読】いへ思婦しふぞ秋にきぬつ 月え風すさまじくして砧杵ちんしよ悲し 八月はちぐわつ九月くぐわつまさに長き夜 千声せんせい万声ばんせいむ時無し まさ天明てんめいに到らばかしらことごとく白かるべし 一声いつせい添へ得たり一茎いつけいの糸

【通釈】遠い夫を思う、どこの家の妻なのか、秋の夜に衣を擣っているのは。月光は冷え冷えと澄み、風は凄まじく吹いて、砧の音が悲しく響く。八月九月は、まことに夜が長い。千遍万遍と、その音の止む時はない。明け方に至れば、私の髪はすっかり白けているだろう。砧の一声が、私の白髪を一本増やしてしまうのだ。

【語釈】◇擣帛 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。◇砧杵 衣を擣つための板。またそれを敲く音。◇八月九月 陰暦では仲秋・晩秋。

【付記】漢詩において砧を擣つ音を悲しいものと聞くのは、遠い夫を偲ぶ妻の心を思いやってのことである。『和漢朗詠集』に第三・四句が引用されている。長慶二年(八二二)前後、白居易五十一歳頃の作。

【関連歌】上1137、下2265、下2300、員外3226

 

白氏文集巻二十

●白氏文集巻二十 宿陽城駅対月

親故尋回駕 妻孥未出関 鳳凰池上月 送我過商山

【訓読】親故しんこいでめぐらし 妻孥さいど未だくわんを出でず 鳳凰ほうわう池上ちじやうの月 我の商山しやうざんを過ぐるを送る

【通釈】親戚友人は相次いで車を返し、後れて発った妻子はまだ関の向うにいる。

いつもは宮中の鳳凰池のほとりで眺めた月――今はその月だけが、商山を過ぎてゆく私を見送っている。

【語釈】◇妻孥 妻と子供。◇鳳凰池 長安城の中書省にあったという池。◇商山 長安の東南にある山。

【付記】自注に「自此後詩赴杭州路中作(此れより後の詩、抗州に赴く路中の作)」とあり、長慶二年(八二二)刺史に任ぜられた白居易が長安から抗州に赴任する途上の作と知れる。商山のふもとの陽城駅で親戚知友と別れ、山を過ぎる時の詩である。作者五十一歳。全句が『新撰朗詠集』に引かれている。

【関連歌】上1294

 

●白氏文集巻二十 西湖晩帰回望孤山寺贈諸客

柳湖松島蓮花寺 晩動帰橈出道場 盧橘子低山雨重 栟櫚葉戦水風涼 煙波澹蕩揺空碧 楼殿参差倚夕陽 到岸請君囘首望 蓬萊宮在海中央

【訓読】柳湖りうこ松島しようたう蓮花寺れんげじ 晩に帰橈きたうを動かして道場を出づ 盧橘ろきつれて山雨さんう重く 栟櫚へいりよそよぎて水風涼し 煙波えんぱ澹蕩たんたうとして空碧くうへきうごかし 楼殿参差しんしとして夕陽せきやうる 岸に到りて請ふ君かうべめぐらして望まん 蓬莱宮ほうらいきゆうは海の中央に

【通釈】山に雨が降って橘の実は重く垂れる。湖水を渡る風が吹くと棕櫚の葉がそよいで涼しい。

【語釈】◇帰橈 帰りの舟の楫。◇道場 蓮花寺の道場。◇盧橘子 柑橘類の果実。◇栟櫚 棕櫚。◇参差 高低ふぞろいなさま。

【付記】西湖のほとりの情景を詠む。頷聯を和漢朗詠集一七一・橘花に引く(移動)。

【関連歌】員外3215

 

●白氏文集巻二十 悲歌

白頭新洗鏡新磨 老逼身来不奈何 耳裏頻聞故人死 眼前唯覚少年多 塞鴻遇暖猶回翅 江水因潮亦反波 独有衰顔留不得 酔来無計但悲歌

【訓読】白頭はくとうあらたに洗ひて鏡新たに磨く らうは身にせまきたりて奈何いかんともせず 耳裏じりしきりに故人の死を聞き 眼前がんぜんだ少年の多きを覚ゆ 塞鴻さいこう暖にへばつばさかへし 江水かうすい潮に因りて亦た波をかへす 独り衰顔の留め得ざる有り 酔ひ来りてはかりごと無く但だ悲歌す

【通釈】洗ったばかりの白髪頭を磨いたばかりの鏡に映すと、老いは我が身に迫って如何ともし難い。耳にはしきりに旧友の死の報せが入り、目の前には年若い人ばかりが多いと気づく。辺境から来た鴻も春の暖さに遇えばやはり翼を返して北へ帰り、大河の水も潮の満ち干によって波を戻すことがある。しかし私の容貌の衰えだけは留めることができない。酒に酔っては為すすべなく悲しい歌を歌うばかりだ。

【付記】老い衰えた自身を悲しんで作った詩。

【関連歌】員外3291

 

●白氏文集巻二十 早冬

十月江南天気好 可憐冬景似春華 霜軽未殺萋萋草 草日暖初乾漠漠沙 老柘葉黄如嫩樹 寒桜枝白是狂花 此時却羨間人酔 五馬無由入酒家

【訓読】十月江南天気ことむなし あはれむべし冬のかげの春に似てうるはしきことを 霜はかろいまらさず萋萋せいせいたる草 日は暖かく初めて漠漠ばくばくたるすな 老柘らうしや葉は黄にして嫩樹どんじゆの如し 寒桜かんあう枝は白くして是れ狂花きやうくわ 此の時かへつてうらや間人かんじんふを 五馬ごば酒家しゆかよしも無し

【通釈】十月の江南は天気うるわしい。愛しもうではないか、冬の光が春のように華やかなことを。霜は軽く、萋々と繁る草をまだ枯らさない。日は暖かく、漠々と広がる河原の砂を乾かし始める。老いた山桑、その葉は黄に色づいて若木のようだ。寒桜の樹、その枝が白く見えるのは狂い咲きの花だ。こんな時節には、むしろ酔いどれの閑な御仁が羨ましい。五頭立ての馬車で、居酒屋に乗り込むわけにもゆかぬ。

【語釈】◇十月 陰暦十月、初冬。◇江南 長江(揚子江)下流の南側。作者は五十代前半、江南の地方官を勤めていた。◇好 現在では「し」と訓むのが普通。ここでは和漢朗詠集の古写本の古点の訓に従った。「ことむなし」は「こともなし」(太平無事である意)から来た語。◇冬景 冬の日射し。◇似春華 「春華に似たり」とも訓める。「春華」は春のはなやかさ。◇萋萋 草木が盛んに繁るさま。◇初乾 やっと乾かし始めたばかり。◇老柘 老いた山桑の木。◇嫩樹 若木。◇間人 ひま人。官職に就いていない人。「閑人」とする本もあるが意味は「間人」と同じ。◇五馬 五頭立ての馬車。高級官僚の乗物。

【付記】我が国で言う小春日和を詠んだ歌。長慶三年(八二三)、作者五十二歳、江南杭州の刺史であった時の作。初二句が和漢朗詠集巻上冬の「初冬」の部に引かれ、和歌では句題に好まれた。

【関連歌】下2302、下2319、員外3025、員外3238

 

白氏文集巻五十一

●白氏文集巻五十一 題故元少尹集後二首

黄壤詎知我 白頭徒憶君 唯将老年涙 一灑故人文

 其二

遺文三十軸 軸軸金玉声 竜門原上土 埋骨不埋名

【訓読】黄壌くわうじやうなんぞ我を知らん 白頭はくとういたづらに君をおもふ ただ老年の涙をもつて いつに故人のぶんそそく (其の二) 遺文ゐぶん三十軸さんじふぢく 軸軸ぢくぢく金玉きんぎよくの声あり 竜門りようもん原上げんじやうつち ほねうづむれども名を埋めず

【通釈】黄泉にいる君がどうしてこの世の私を知ろう。しかし白髪頭の老人はむやみと君を懐かしんでいる。ただ年老いてもろくなった涙を、すべて亡き君の文の上にそそいでいる。(其の二)君の遺した書は三十巻。巻毎に無上の響きを伝える。君は竜門の原野の土に骨を埋めたが、名を埋めはしなかった。

【語釈】◇黄壤 冥土。黄泉。◇竜門 山西・陝西両省の境、黄河中流の難所。

【付記】元居敬(763~822)の集の末尾に記した詩二首。元居敬(宗簡)は白居易より九歳年上の旧友で、度々詩を贈答した。『和漢朗詠集』巻下「文詞 付 遺文」に「其二」全詩が引かれ、特に尾聯は軍記物や謡曲に多く引用されている。

【関連歌】上0598、中1583、中1671、員外3262、員外3557

 

●白氏文集巻五十一 落花 

留春春不住 春帰人寂寞 厭風風不定 風起花蕭索 既興風前歎 重命花下酌 勧君嘗緑醅 教人拾紅萼 桃飄火燄燄 梨墮雪漠漠 独有病眼花 春風吹不落

【訓読】春をとどむれども春とどまらず 春帰りて人寂寞せきばくたり 風をいとへども風定まらず 風ちて花蕭索せうさくたり 既に風前のたんおこし 重ねて花下くわかの酌を命ず 君に勧めて緑醅りよくはいめしめ 人をして紅萼こうがくを拾はしむ 桃ひるがへりてくわ燄燄えんえんたり 梨ちて雪漠漠ばくばくたり 独り眼花がんくわを病む有るのみ 春風しゆんぷう吹きて落ちず

【通釈】春を留めようとしても春は留まらない。春は去って行き人はしょんぼりとしている。風を嫌がっても風はおさまらない。風が吹き立ち花は寂れている。ついに風前の灯と老いの歎きを起こし、またも花の下で酒宴を開かせる。君に美酒を嘗めるよう勧め、人に紅い花びらを拾わせる。桃の花が翻って、燃え立つ火のようだ。梨の花が散って、いちめん雪のようだ。ただ、病んだ私の目を霞ませる花だけは、春風が吹いても落ちずに留まっている。

【語釈】◇風前歎 風前の灯のように老い先短いことの歎き。◇緑醅 美酒。◇紅萼 紅い花びら。以下の句によって桃と分かる。◇眼花 白内障などによる、かすみ目。

【付記】大和三年(八一九)から同六年頃の作かという(新釈漢文大系)。『和漢朗詠集』巻上「三月尽」に冒頭四句が採られている。

【関連歌】員外3211、員外3212

 

白氏文集巻五十三

●白氏文集巻五十三 閑臥

尽日前軒臥 神閑境亦空 有山当枕上 無事到心中 簾巻侵床日 屏遮入座風 望春春未到 応在海門東

【訓読】尽日じんじつ軒を前にし こころしづかにきやうくうなり 山の枕上ちんじやうに当つる有り 事の心中しんちゆうに到る無し すだれ巻かれ とこおかす日 へいさへぎる 座にる風 春を望むも春いまだ到らず まさ海門かいもんの東にあるべし

【通釈】一日中、軒に向かって寝床に臥し、心しずかに、空の境地にある。枕もとにちょうど山が望まれる。心中、雑事に煩わされることは無い。捲き上げた簾から、寝床に日が射し込み、部屋に吹き入る風は、屏風が遮ってくれる。待ち望む春はまだ到らない。今ごろ海峡の東に来ているだろう。

【語釈】◇海門 陸地に挟まれた海の通路。瀬戸。海峡。

【付記】長慶三年(八二三)、五十二歳、抗州での作。

【関連歌】員外3245

 

白氏文集巻五十四

●白氏文集巻五十四 城上夜宴

留春不住登城望 惜夜相将秉燭遊 風月万家河両岸 笙歌一曲郡西楼 詩聴越客吟何苦 酒被吳姫勧不休 従道人生都是夢 夢中歓笑亦勝愁

【訓読】春を留むれどもとどまらず城に登りて望む 夜を惜しみて相ひきゐて燭をりて遊ぶ 風月ふうげつ万家ばんか河の両岸りやうがん 笙歌しやうか一曲郡の西楼せいろう 詩は越客ゑつかくの吟を聴くに何ぞ苦しき 酒は呉姫ごきに勧められてまず 従道たとひ人生すべれ夢なりとも 夢の中に歓笑くわんせうするもた愁ひにまされり

【通釈】春を留めようとしても留まらず、私は城に登って景色を眺める。春の最後の夜を惜しんで、仲間と連れ立ち、燭を取って遊ぶ。風と月の中、河の両岸の無数の家を眼下に収める。郡の西政庁から笙歌の一曲が聞えてくる。詩は越からの客が何故か苦しげに吟ずるのを聴く。酒は江南の歌姫が勧めるので手を休めずに飲む。たとえ人生が全て夢だとしても、その夢の中で歓び笑った方が愁い悲しむのよりましだ。

【語釈】◇従道 たとえ…であろうとも。唐代の俗語という(漢文新釈大系)。「縱導」とする本もある。

【付記】白氏が蘇州刺史であった時、城の楼上で夜の宴を催した時の詩。

【関連歌】員外3277

 

●白氏文集巻五十四 宿霊巌寺上院

高高白月上青林 客去僧帰独夜深 葷血屏除唯対酒 歌鐘放散只留琴 更無俗物当人眼 但有泉声洗我心 最愛暁亭東望好 太湖烟水緑沈沈

【訓読】高高かうかうたる白月はくげつ青林せいりんのぼる 客去り僧帰り独りよるく 葷血くんけつ屏除へいぢよされ唯だ酒に対す 歌鐘かしよう放散して只だ琴を留めたり 更に俗物の人眼じんがんに当たる無く 但だ泉の声の我が心を洗ふ有り 最も愛す暁亭げうてい東のかた望むこときを 太湖たいこ烟水えんすい緑にして沈沈ちんちんたり

【通釈】白い月が青い林の上に高々と昇る。客は去り僧も帰って深夜に私独り。生臭物を去ってただ酒に向かい合う。歌や打楽器は遠ざかり琴だけが手許にある。俗人が目に触れることは全くなく、ただ泉の声がして私の心を洗う。暁亭からの東の眺めを最も愛する。太湖の煙った水は深々と緑に湛えている。

【語釈】◇太湖 江蘇省と浙江省の境をなす大湖。

【付記】霊巌寺の上院に宿した際の、塵俗を離れ心が洗われる経験を詠む。『和漢朗詠集』579「山寺」に引く(移動)。

【関連歌】員外3266

 

白氏文集巻五十五

●白氏文集巻五十五 新昌閑居、招楊郎中兄弟

紗巾角枕病眠翁 忙少閑多誰与同 但有双松当砌下 更無一事到心中 金章紫綬看如夢 皂蓋朱輪別似空 暑月貧家何所有 客来唯贈北窓風

【訓読】紗巾さきん角枕かくちん病眠びやうみんをう ばう少なくかん多く誰とともにかおなじうせん 双松さうしようみぎりの下に当るあり 更に一事いちじの心の中に到る無し 金章きんしやう紫綬しじゆるに夢の如く 皂蓋さうがい朱輪しゆりん別にくうに似たり 暑月しよげつ貧家ひんか何の有する所ぞ かくきたればだ贈る北窓ほくさうの風

【通釈】紗の頭巾をかぶり、四角い枕に病んで眠る老翁。忙しい時は少なく、閑な時は多くなって、誰と共に過ごせばよいのか。屋敷にはただ二もとの松が軒下にあるばかり、心の中にまで入り込むような事は一つとして起こらない。朝廷に頂いた金と紫の印は、目にしても夢のようで、黒い幌に朱塗りの馬車は、空しい幻影のようだ。暑いこの月に、貧しい家で何のもてなしが出来よう。客人が来ればただ北窓から風を送るばかりだ。

【付記】長安の新昌坊に閑居していた時、楊氏の義兄弟を自宅に招待する時に作ったという詩。大和元年(八二七)、五十六歳。『和漢朗詠集』巻下雑「松」に第三・四句が引かれている(移動)。

【関連歌】員外3220、員外3263

 

●白氏文集巻五十五 寄殷協律

五歳優游同過日 一朝消散似浮雲 琴詩酒伴皆抛我 雪月花時最憶君 幾度聴鶏歌白日 亦曾騎馬詠紅裙 呉娘暮雨蕭蕭曲 自別江南更不聞

【訓読】五歳の優游いういう ともに日を過ごし 一朝いつてう消散せうさんして浮雲ふうんに似たり 琴詩酒きんししゆとも皆我をなげうち 雪月花せつげつくわの時最も君をおもふ 幾度いくたびけいを聴き白日はくじつを歌ひ かつて馬に紅裙こうくんを詠ず 呉娘ごぢやう暮雨ぼう蕭蕭せうせうの曲 江南に別れてより更に聞かず

【通釈】五年の間、君と過ごした楽しい日々は、或る朝、浮雲のように消え散ってしまった。琴を弾き、詩を詠み、酒を交わした友は、皆私のもとを去り、雪・月・花の美しい折につけ、最も懐かしく思い出すのは君のことだ。幾たび「黄鶏」の歌を聴き、「白日」の曲を歌ったろう。馬にまたがり、紅衣を着た美人を詠じたこともあった。呉娘の「暮雨蕭々」の曲は江南に君と別れて以後、二度と聞いていない。

【語釈】◇五歳優游 五年間のどかに遊んだこと。◇聴鶏歌白日 「黄鶏」を聴き、「白日」を歌う。「黄鶏」「白日」は詩人が杭州にいた頃聞いたという歌の曲名。◇呉娘 「呉姫」とする本も。呉二娘とも呼ばれた、江南の歌姫。「暮雨蕭蕭、郎不帰」(夕暮の雨が蕭々と降り、夫は帰らない)の詞を歌ったという。

【付記】江南の杭州を去った白居易が、杭州時代の部下であった協律郎(儀式の音楽を担当する官職)いん氏に寄せた詩。共に江南で過ごした日々を懐かしむ。宝暦元年(八二五)、五十四歳頃の作。第三・四句を「琴詩酒皆抛我 雪月花時最憶君」として和漢朗詠集巻下「交友」の部に引かれている(移動)。この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着した。

【関連歌】員外3459

 

●白氏文集巻五十五 池窓

池晩蓮芳謝 窓秋竹意深 更無人作伴 唯対一張琴

【訓読】池れて蓮芳れんほう謝し 窓秋にして竹意ちくい深し 更に人のばんす無く 唯だ一張いつちやうの琴に対す

【通釈】日が暮れて池は暗くなり、蓮の花が見えなくなる。窓は秋めいて竹の趣が深まる。親しい連れは一人もなく、ただ一挺の琴と向き合っている。

【付記】「蓮芳」は蓮の花。「謝」は別れを告げる意で、夕暮れて花が見えなくなることを言うか。

【関連歌】員外3216

 

●白氏文集巻五十五 春風

春風先発苑中梅 桜杏桃梨次第開 薺花楡莢深村裏 亦道春風為我来

【訓読】春風しゆんぷうひら苑中ゑんちうの梅 あうきやうたう次第に開く 薺花せいくわ楡莢ゆけふ深村しんそんうち 春風しゆんぷう我が為に来れりと

【通釈】春風は真っ先に庭園の中の梅を咲かせる。そして山桜桃ゆすらうめ・杏・桃・梨の花がつぎつぎに開く。奥深い山里では、なずなの花が咲き、楡の実が生る。また口に出して言うのだ、春風が我らのために来てくれたと。

【付記】春風がまず庭園の梅を咲かせ、告いで桜(中国ではユスラウメを言う)・杏・桃・梨(定家の題詞では「李」)を次々にほころばせる。片や山里ではナズナの花が咲き、楡の実が生る。

【関連歌】員外3199

 

白氏文集巻五十七

●白氏文集巻五十七 過元家履信宅

鶏犬喪家分散後 林園失主寂寥時 落花不語空辞樹 流水無情自入池 風蕩醼船初破漏 雨淋歌閣欲傾欹 前庭後院傷心事 唯是春風秋月知

【訓読】鶏犬けいけん家をうしなふ分散の後 林園りんゑん主を失ふ寂寥の時 落花ものいはず空しく樹を辞す 流水心無くしておのづから池に入る 風醼船えんせんたうして初めて破漏はろうし 雨歌閣かかくそそいで傾欹けいきせんと欲す 前庭ぜんてい後院こうゐん心をいたましむる事 唯是ただこれ春風しゆんぷう秋月しゆうげつを知るのみ

【通釈】一家離散の後、鶏や犬は家を失った。主人を失って林園は物寂しい。落花は何も語らず枝を離れる。流水は無心におのずと池に注ぎ込む。風は宴の舟を揺らして壊そうとし、雨は注いで館を傾けようとする。前の庭と後ろの建物と、これらだけが春風や秋月を知るのだと思うと、心は傷む。

【語釈】◇醼船 酒宴を催した船。「宴船」とする本もある。

【付記】親友の元稹が亡くなった後、その旧宅を訪れた時の感慨を詠んだ詩。『和漢朗詠集』の「落花」に頷聯が引かれている。

【関連歌】員外3207、員外3258

 

●白氏文集巻五十七 想東遊五十韻(抄)

幻世春来夢 浮生水上漚 百憂中莫入 一酔外何求

【訓読】幻世げんせい春来しゆんらいの夢 浮生は水上のあわ 百憂中に入るく 一酔いつすいほかに何を求めん

【通釈】幻の世は春の夢、浮世の生は水上の泡。百の憂いを心の中に入れることなく、一時の酔いのほかに何を求めよう。

【付記】太和三年(八二九)、病により免官された後、「東遊」した時を想い出し、人生のはかなさに思いを致した詩。百句に及ぶ長編の第六十九句から七十三句まで。「幻世春来夢」「浮生水上漚」はいずれも大江千里『句題和歌』にも句題とされている。

【関連歌】員外3290

 

白氏文集巻五十八

●白氏文集巻五十八 府西池

柳無気力条先動 池有波文氷尽開 今日不知誰計会 春風春水一時来

【訓読】柳に気力なくしてえだづ動く 池に波のもんありて氷ことごとひらけたり 今日こんにち知らず 誰か計会けいくわいせし 春風しゆんぷう春水しゆんすい一時いつとききた

【通釈】柳はぐったりとして、暖かい風に真っ先に枝が動く。池の氷はすっかり解けて、水面に波紋が描かれる。今日、いったい誰が計らい合わせたのか。春の風と春の水とが、同時にやって来た。

【付記】作者の白氏が河南府に赴任していた時、府西池に春の訪れた景を詠んだ詩。「計会」は計画。誰が計らい合わせて、春の風と春の水とが同時にやって来たのかと訝る。和漢朗詠集巻上「立春」4・5に前二句・後二句が引用されている(移動)。

【関連歌】員外3198

 

●白氏文集巻五十八 夭老

早世身如風裏燭 暮年髪似鏡中糸 誰人断得人間事 少夭堪傷老又悲

【訓読】早世は身は風裏の燭の如く 暮年は髪は鏡中の糸に似たり 誰人か断じ得ん人間の事 少夭せうえうは傷むに堪へ老も又悲し

【通釈】早世にあっては身は風の中の燭の如くはなかく、晩年にあっては髪は鏡の中の糸に似ている。誰が世の人のことを断じ得ようか。夭折は傷むに堪えず、老いもまた悲しい。

【付記】「早世」「少夭」いずれも夭折のこと。作者五十九歳の作。

【関連歌】員外3289

 

白氏文集巻六十二

●白氏文集巻六十二 詠興五首 池上有小舟(抄)

我若未忘世 雖間心亦忙 世若未忘我 雖退身難蔵 我今異於是 身世交相忘

【訓読】我し未だ世を忘れずんば かんなりといへども心亦た忙しからん 世若し未だ我を忘れずんば 身を退くと雖もかくれ難し 我今是れに異なり 身世こもごも相忘れたり

【通釈】私がもしまだ世間を忘れていないのであれば、ひまな身であっても心はせわしないだろう。世間がもしまだ私を忘れていないのであれば、身を退いていてもひっそり暮らすのは難しいだろう。今の私はそうではない。我が身と世間と、互いに忘れ合っているのだ。

【付記】詠興五首の第三首、第十七句より結句までを抄した。酒を飲みつつのんびり小舟で川を下ってゆくうちに湧いた感興を記す。

【関連歌】員外3281

 

●白氏文集巻六十二 思旧(抄)

閑日一思旧 旧遊如目前 再思今何在 零落帰下泉 退之服硫黄 一病訖不痊

【訓読】閑日にひとたびふるきを思ふに 旧遊目の前の如し 再び思ふ今いづくに在りや 零落して下泉かせんに帰す 之を退けて硫黄を服す 一病をはりてえず

【通釈】暇な日にふと昔を思うと、旧友たちがありありと目に浮かぶ。改めて思う、今どこにいるのかと。皆泉下の人となってしまった。忘れることにして硫黄の薬を服する。一つの病は止んだが、まだ癒えることはない。

【付記】暇な日に旧友を思って詠んだ詩。冒頭から第六句までを抄した。

【関連歌】員外3261

 

白氏文集巻六十三

●白氏文集巻六十三 閑居自題

門前有流水 牆上多高樹 竹徑遶荷池 縈迴百餘歩 波閑戯魚鼈 風静下鷗鷺 寂無城市喧 渺有江湖趣 吾廬在其上 偃臥朝復暮 洛下安一居 山中亦慵去 時逢過客愛 問是誰家住 此是白家翁 閉門終老処

【訓読】門前には流水あり 牆上しやうじやうには高樹かうじゆ多し 竹のこみちはすの池をめぐり めぐること百余歩 波しづかなるに魚鼈ぎよべつ戯れ 風静かなるに鷗鷺おうろ下る じやくとして城市のかまびすしさ無く べうとして江湖かうこの趣有り 吾がいほりは其の上にり 偃臥えんがす朝た暮 洛下らくか一居いつきよけば 山中もくにものうし 時に過客くわかくづるに逢ふ 問ふ誰家たれの住まひぞと 此れは是れ白家はくかおきなの 門を閉ぢて老いを終はるところなり

【通釈】門の前には水が流れ、垣根の辺りには高い樹が多い。竹を植えた小道が蓮池の周囲を巡り、折れ曲がりながら百余歩ばかり続く。池の波は穏やかで、魚やすっぽんが戯れ、風は静かで、かもめや鷺が下りて来る。しいんとして、街中の喧噪はここに無く、広々として、大河や湖水の趣がある。私の庵はそのほとりにあって、朝も夕も寝そべって過ごす。洛陽城下、一居に落ち着いてからは、わざわざ山中に出掛けるのも億劫だ。時として通りすがりの人のお褒めに遭う。問うことに、「こちらは誰の住まいか」と。これはすなわち白家の翁が、門を閉ざして死ぬまで隠居する所ですよ。

【語釈】◇偃臥 寝そべる。

【付記】作者六十五、六歳、太子賓客ひんかくという閑職の大臣として洛陽に隠棲していた頃の作。市中の履道坊りどうぼうに閑居しているさまを詠んだ。

【関連歌】上0391

 

●白氏文集巻六十三 間吟

貧窮汲汲求衣食 富貴營營役心力 人生不富即貧窮 光陰易過閑難得 我今幸在窮富間 雖在朝廷不入山 看雪尋花玩風月 洛陽城裏七年閑

【訓読】貧窮なれば汲々として衣食を求む 富貴なれば営々として心力しんりきえきす 人生富まずは即ち貧窮なり 光陰過ぎ易くかん得難し 我今幸ひに窮富きゆうふの間に在り 朝廷に在り山に入らずといへども 雪を花を尋ね風月をもてあそぶ 洛陽城七年かんなり

【通釈】貧窮すれば衣食を求めるのに汲々とする。富貴であればあくせくと心を酷使する。人生は富まなければ即ち貧窮である。歳月は瞬く間に過ぎ、長閑な日々は得難い。私は今幸いなことに貧しくもなく金持ちでもない。朝廷にあって、山に入らずと言えども、雪を眺め花を尋ね風月を賞翫している。洛陽の都のうちで、七年長閑に暮らしている。

【付記】洛陽にあって窮ならず富ならず閑たる身を誇る詩。題「閑吟」とする本もある。

【関連歌】員外3272

 

白氏文集巻六十四

●白氏文集巻六十四 微之敦詩晦叔相次長逝巋然自傷因成二絶 其二

長夜君先去 残年我幾何 秋風満衫涙 泉下故人多

【訓読】長夜に君先づ去りぬ 残年我幾何いくばくぞや 秋風にころもに満つる涙 泉下に故人多し

【通釈】長夜に先ず君が去ってしまった。私も余生は幾年か。秋風が吹いて、涙が衣に満ちる。旧友の多くが泉下の人となってしまった。

【付記】親友の元稹(元微之)らが相次いで亡くなった時に「自傷」して詠んだ五言絶句二首の第二首。

【関連歌】員外3286

 

白氏文集巻六十五

●白氏文集巻六十五 感興二首(抄)

樽前誘得猩猩血 幕上偸安燕燕窠 我有一言君記取 世間自取苦人多

【訓読】樽前そんぜん誘ひて得る猩猩の血 幕上ばくじやう偸安とうあんす燕燕の 我に一言いちごん有り君記取きしゆせよ 世間みづかを取る人多し

【通釈】猩々の血は樽の前に誘って得る。燕の巣は幕の上でやすやすと盗み取る。私に言いたいことが一つある、君よ覚えておきなさい。世間には自ら苦しみを招く人が多い。

【語釈】◇猩猩血 猩猩は伝説上の獣で、その血を染色に用いるとされた。◇偸安 やすやすと盗む。

【付記】「感興」二首の第二首の後半四句のみ抄した。

【関連歌】員外3276

 

●白氏文集巻六十五 白羽扇

素是自然色 円因裁製功 颯如松起籟 飄似鶴飜空 盛夏不銷雪 雪終年無尽風 引秋生手裏 蔵月入懐中 麈尾斑非疋 蒲葵陋不同 何人称相対 清瘦白鬚翁

【訓読】しろきはこれ自然の色 まろきは裁製さいせいの功にる さつとして松のらいつるが如く へうとして鶴の空にひるがへるに似る 盛夏にもえざる雪 終年しゆうねん尽くること無き風 秋を引きて手裏しゆりしやうじ 月をざうして懐中くわいちゆうる 麈尾しゆびまだらにしてたぐあらず 蒲葵ほきいやしくて同じからず 何人なんぴと相対さうたいとなへむ 清瘦せいしうなる白鬚はくしゆをう

【通釈】白いのは自然の色。円いのは人工のしわざ。吹き立つ松籟のように爽やかな音をたて、空に翻る鶴のようにひらりと閃く。盛夏にも消えない雪だ。一年中、尽きることのない風だ。秋を先取りして手の内に生ぜしむ。月をひっそりと懐の内に入れる。麈尾扇しゆびせんは色が不純で劣る。蒲葵扇びろうせんは品が下って匹敵しない。白羽扇に釣り合うものは何があるだろう。そう、清らかに痩せた白鬚の翁だ。

【語釈】◇裁製 素材から物を作り上げること。◇颯 風がさっと吹く音。◇飄 風にひるがえるさま。◇引秋 秋を引き寄せて。秋を先取りして。◇蔵月 円形の白い扇を月になぞらえる。◇麈尾 麈尾扇。麈(大型の鹿)の尾の毛で作った扇。◇蒲葵 蒲葵扇。蒲葵はビロウ。ヤシ科の樹木でシュロに似る。その葉を扇の材とする。◇相対 対等。◇白鬚 白い顎ひげの老人。白居易自身を指すのであろう。

【付記】鳥の白い羽毛で作った団扇を詠んだ詩。『和漢朗詠集』巻上夏「扇」に「盛夏不銷雪」以下の四句が引かれている。

【関連歌】上0822

 

白氏文集巻六十六

●白氏文集巻六十六 尋春題諸家園林 又題一絶

貌随年老欲何如 興遇春牽尚有餘 遥見人家花便入 不論貴賤与親疏

【訓読】かほは年に随ひて老ゆるも何如いかんせん 興は春にひてかれてほ余り有り 遥かに人家じんかを見て花あれば便すなはる 貴賤きせん親疏しんそを論ぜず

【通釈】容貌は齢につれ老いるのも致し方ない。楽しむ心は春に出遭い、誘い出されてなお余りある。遥かに人家を眺めて、花が咲いているとただちに歩み入る。身分の貴賤や間柄の親疎など、どうでもよい。

【付記】馬元調本などでは巻三十三にある。同題の第二首。『和漢朗詠集』春「花」に第三・四句が引かれている(移動)。

【関連歌】上1013、下2038、員外3205

 

●白氏文集巻六十六 老来生計

老来生計君看取 白日遊行夜酔吟 陶令有田唯種黍 鄧家無子不留金 人間栄耀因縁浅 林下幽閑気味深 煩慮漸銷虚白長 一年心勝一年心

【訓読】老来の生計、君看取せよ。白日遊行して夜酔吟す。陶令に田有りて唯きびゑ、鄧家に子無くして金を留めず。人間の栄耀は因縁浅く、林下の幽閑は気味深し。煩慮やうやえて虚白長じ、一年の心は一年の心よりもまされり。

【通釈】老いての暮らしぶりを、君も見て会得せよ。昼間は遊び歩き、夜は酔って吟詠する。陶淵明には田畑があっても黍を植えるだけで、鄧攸とうゆうの家には子がなくて金を貯めない。俗世間での栄華は私にとって縁が浅く、森の木の下での静かな暮らしは趣が深い。思い煩うことも次第になくなり、今年の心は去年の心よりもまさっている。

【語釈】◇陶令 陶淵明の異称。◇鄧家 晋の鄧攸とうゆうの家。『世説新語』などに自らの子を死なしめて甥の命を救った話がある。

【付記】「人間…」以下の二句が和漢朗詠集六一七「閑居」に引かれている(移動)。

【関連歌】員外3256

 

●白氏文集巻六十六 初入香山院対月

老住香山初到夜 秋逢白月正円時 従今便是家山月 試問清光知不知

【訓読】老いて香山に住むに 初めて到る夜 秋 白月はくげつまさまどかなる時に逢ふ 今便すなはち家山かさんの月 試みに問ふ清光せいくわうは知るや知らずや

【通釈】老いて香山に隠居しようと初めて訪れた夜、秋で白い月があたかも真円の時に逢う。これからはこれが我が家郷の山の月なのだ。試みに尋ねよう、清らかな月の光よ、そのことを御存知かどうか。

【語釈】◇香山院 洛陽の竜門の東にあった香山寺。◇老住 隠居し、終の住処とすること。

【付記】太和六年(八三二)秋、白居易が初めて香山寺に入り、月に対して詠じた詩。作者六十一歳。以後、白氏は香山寺の僧と親しく交際し、香山居士を名乗った。初二句が『新撰朗詠集』巻上秋「月」の部に採られている(移動)。

【関連歌】中1605、員外3253

 

●白氏文集巻六十六 答夢得秋庭独座見贈

林梢隠映夕陽残 庭際蕭疏夜気寒 霜草欲枯虫思急 風枝未定鳥棲難 容衰見鏡同惆悵 身健逢杯且喜歓 応是天教相煖熱 一時垂老与間官

【訓読】林梢りんせう夕陽せきやうの残れるを隠映いんえいし 庭際ていさい粛疏しゆくそとして夜気やき寒し 霜草さうさう枯れんとして虫のうらむること急に 風枝ふうし未だ定まらずして鳥のむことかたし かたち衰へては鏡を見て同じく惆悵ちうちやうし 身は健なれば杯に逢ひてしばら喜歓きくわんす まされ天煖熱だんねつせしむるなるべし 一時いちじに垂老と間官と

【通釈】林の梢に夕日の残光がちらちらと映え、庭の片隅は木の葉もまばらで夜風が寒い。霜の置いた草は枯れかかり、虫の恨む声がせわしなく、風に揺れる枝はおさまらず、鳥は止まろうとして難儀する。私の容貌は日毎に衰え、鏡を見ては何度も歎くが、体は丈夫なので、酒を飲めばひとまず喜ぶ。まさに天が我が身を暖めてくれたに違いない。初老と閑職が一時に訪れた。

【語釈】◇隠映 陰り、また映える。◇蕭疏 まばら。◇垂老 老年に近づくこと。◇間官 間は閑に同じ。忙しくない官職。

【付記】夢得すなわち劉禹錫りゆううせき(772~842)から贈られた「秋庭独坐」に答えた詩。『和漢朗詠集』巻上の「虫」の部に「霜草欲枯虫思、風枝未定鳥栖難」と引かれ、「霜草さうさう枯れなんと欲して虫の思ひねんごろなり 風枝ふうし未だ定まらず鳥のむことかたし」などと訓まれる。

【関連歌】上0147

 

●白氏文集巻六十六 池上逐涼二首

青苔地上消残暑 緑樹陰前逐晩涼 軽屐単衫薄紗帽 浅池平岸庳藤床 簪纓怪我情何薄 泉石諳君味甚長 遍問交親為老計 多言宜静不宜忙

【訓読】青苔せいたいの地の上に残暑ざんしよし 緑樹りよくじゆの陰の前に晩涼ばんりやうふ 軽屐けいげき 単衫たんさん 薄紗はくさの帽 浅池せんち平岸へいがん庳藤の床 簪纓しんえい我をあやしむ情何ぞ薄からん 泉石せんせき君をそらんじて味甚だ長し あまねく交親に問ふ老計を為すことを 多くは言ふ宜しく静かなるべくばうなるべからず

【通釈】青い苔の生えた地上に残暑も消えた。緑の木陰のほとりで夕涼みをする。軽い木靴とひとえの短衣、薄絹の帽子。浅い池の平らな岸には、低い藤棚の下に長椅子がある。宮仕えに対する情熱は薄く、泉石に親しむ心はいつまでも冷めない。交わりのある親戚の皆に老後の生計を尋ねると、多くは静かに多忙でなく過ごすのが良いと言う。

【語釈】◇軽屐 軽い木靴。サンダルのようなものか。◇単衫 ひとえの短い衣。◇薄紗 薄絹。◇庳藤 低い藤棚。◇簪纓怪我 宮仕えを疎んずること。◇泉石諳君 泉石に親しむこと。

【付記】同題二首の第一首。首聯が和漢朗詠集巻上夏「納涼」に採られ(但し「消残暑」は「銷残雨」)、これを句題とする和歌がいくつか見られる。

【関連歌】員外3218

 

白氏文集巻六十七

●白氏文集巻六十七 春日題乾元寺上方最高峰亭

危亭絕頂四無鄰 見尽三千世界春 但覚虚空無障礙 不知高下幾由旬 廻看官路三条線 却望都城一片塵 賓客暫遊無半日 王侯不到便終身 始知天造空閑境 不為忙人富貴人

【訓読】危亭絶頂よもりん無く 見尽す三千世界の春 だ覚ゆ虚空に障礙しやうげ無きを 知らず高下かうげ由旬ゆじゆん めぐらして官路をれば三条の線 かへりて都城を臨めば一片の塵 賓客ひんかくしばらく遊ぶも半日無く 王侯は到らずして便すなはち身を終ゆ 始めて知りぬ天造てんざう空閑くうかんの境 忙人ばうじん富貴人ふうきじんの為にせざることを

【通釈】危亭の絶頂では四方に相接するものがなく、三千世界の春を見晴るかす。ただ上空に遮るもののないことを知り、その高さは計り知れない。首を廻らせて都大路を眺めれば三本の線に過ぎず、振り返って城市を望めば一片の塵に過ぎない。客はここでしばらく遊んでも半日と滞在せず、王侯は一生やって来ることもない。初めて知った、天の造ったこの閑静な境地は、多忙の人や富貴の人のために造られたのでないことを。

【付記】乾元寺(香山寺に同じか)の絶頂の「上方最高峰亭」で見た景と、その感慨を詠んだ詩。

【関連歌】員外3254

 

●白氏文集巻六十七 雨後秋涼

夜来秋雨後 秋気颯然新 団扇先辞手 生衣不著身 更添砧引思 難与簟相親 此境誰偏覚 貧閑老瘦人

【訓読】夜来やらい秋雨しううのち 秋気しうき颯然さつぜんとしてあらたなり 団扇だんせんづ手をし 生衣せいい身にけず 更に砧を添へて思ひを引く たかむしろと相親しむこと難し 此のきやうたれひとへに覚えん 貧閑ひんかんたる老痩らうそうの人

【通釈】昨夜来の秋雨がやんだ後、吹く風に秋の気配はさっと改まった。まず団扇を手にしなくなり、夏の単衣ひとえの衣は身に付けなくなった。更に砧の音が添わって秋の愁いを長引かせ、冷たいたかむしろには馴染み難い。こうした秋の心境を誰がことさら感じるだろうか。貧しくひまな、痩せ衰えた老人である私なのだ。

【語釈】◇辞手 手から離す。◇生衣 生絹で仕立てたひとえの衣服。夏用の衣服。◇引思 思いを長く続ける。◇簟 竹製の莚。

【関連歌】員外3223、員外3324

 

●白氏文集巻六十七 杪秋独夜

無限少年非我伴 可憐清夜与誰同 歓娯牢落中心少 親故凋零四面空 紅葉樹飄風起後 白髪人立月明中 前頭更有蕭条物 老菊衰蘭三両叢

【訓読】限り無き少年せうねんは我がともあらず 憐れむ清夜せいやたれともにかせん 歓娯くわんご牢落らうらくして中心く 親故しんこ凋零てうれいして四面しめんむなし 紅葉くわうえふじゆひるがへる 風起こるのち 白髪はくはつの人は立つ 月あきらかなるうち 前頭ぜんとうには更に蕭条せうでうたる物あり 老菊らうぎく衰蘭すいらん三両さんりやうそう

【通釈】あまたの若者は、我が友ではない。いつくしむべき清らかな夜を誰と過ごそう。娯楽は虚しくなり、我が心中はからっぽだ。親戚旧友は世を去って、我が周囲はうつろだ。紅葉した木をひるがえして、風が起こった後、白髪の人は立ち上がる、月明かりの中に。目の前には更に蕭条たるものがある。老いた菊、衰えた藤袴、それら二三の叢。

【語釈】◇杪秋 晩秋。陰暦九月。◇無限 数多い。数知れぬ。◇歓娯 楽しみ。◇牢落 空漠となる。虚しくなる。◇中心 心の中。◇親故 親戚や旧友。◇凋零 花や葉がしぼみ落ちることから、人の死ぬことを言う。◇白髪 白鬚(白いあごひげ)とする本もある。◇衰蘭 衰えた藤袴。

【付記】我が身を老いた菊と衰えた藤袴になぞらえた詩。最後の二句が和漢朗詠集二八六「蘭」の部に引かれている。

【関連歌】員外3234

 

白氏文集巻六十八

●白氏文集巻六十八 戯礼経老僧

香火一爐灯一盞 白頭夜礼仏名経 何年飲著声聞酒 直到如今酔未醒

【訓読】香火かうくわ一爐いつろともしび一盞いつさん 白頭はくとうにしてよる仏名経ぶつみやうぎやうらいす 何れの年よりか声聞しやうもんの酒を飲著いんちやくし ただちに如今じよこんに到るまでひ未だ醒めざる

【通釈】香炉に火を入れ、灯明を点して、白髪頭の僧侶が夜、仏名経を唱える儀式をする。老僧はいつの年から声聞という酒を飲み続けて、今に至るまでずっと酔いが醒めずにいるのか。

【付記】「経をらいする老僧にはたむる」。声聞和漢朗詠集三九三「仏名」に起承の句が引かれている。

【関連歌】員外3247

 

白氏文集巻六十九

●白氏文集巻六十九 逸老(抄)

筋骸本非実 一束芭蕉草 眷属偶相依 一夕同棲鳥 去何有顧恋 住亦無憂悩 生死尚復然 其餘安足道 是故臨老心 冥然合玄造

【訓読】筋骸きんがいもとじつあらず 一束いつそく芭蕉草ばせうさう 眷属けんぞくたまたま相依り 一夕いつせき棲鳥せいてうに同じ 去るも何の顧恋これんすること有らん とどまるも亦た憂悩いうなうする無し 生死すらしかり 其のいづくんぞふに足らん 是のゆゑに老に臨む心 冥然として玄造げんざうに合ふ

【通釈】身体は元来実体のあるものでなく、一束の芭蕉のように破れやすいものだ。親族はたまたま一緒になって、一晩ねぐらを共にする鳥のようなものだ。私がこの世を去ったところで何も恋着することなどないし、この世に留まったところで何の悩むこともありはしない。生死でさえなおそうなのだ、まして他のことは言うに足ろうか。そのようなわけで、老いに臨む私の心は、知らず知らずのうちに天意に適っているのだ。

【付記】題注に「荘子云、労我以生 逸我以老 息我以死也」とある。老後、人生に安んじる心を詠む。

【関連歌】員外3278

 


公開日:2013年01月30日

最終更新日:2013年01月30日