『拾遺愚草全釈』参考資料集 新勅撰和歌集・新後撰和歌集・続古今和歌集

新勅撰集 続後撰集 続古今集

新勅撰和歌集

巻一・春上 巻二・春下 巻三・夏 巻四・秋上 巻五・秋下 巻八・羈旅 巻十・釈教 巻十一・恋一 巻十二・恋二 巻十四・恋四 巻十五・恋五 巻十六・雑一 巻二十・雑五

巻第一 春歌上

●新勅撰集・春上・二三 柳をよみ侍りける 伊勢

青柳の枝にかかれる春雨は糸もてぬける玉かとぞ見る

【通釈】青柳の糸に降りかかった春雨の雫は、糸でもって抜き通した宝玉かと見る。

【関連歌】中1868

 

●新勅撰集・春上・四八 百首歌奉りける時、帰雁をよめる 権中納言師時

かへるらむ行方もしらず雁がねの霞の衣たちかさねつつ

【通釈】帰ってゆく方向も分からない。雁は霞の衣を重ねて着ていて。

【付記】もっぱら言葉の洒落に眼目がある歌。詞書の「百首歌」は『堀河百首』であるが、同書では下句「雲のかよひぢ霞こめつつ」とする。

【関連歌】員外3474

 

●新勅撰集・春上・五七 (詞書略) 皇太后宮大夫俊成

面影に花のすがたを先だてて幾重越えきぬ峰の白雲

【通釈】まだ桜は咲いていないのに、心がはやり、白雲を花と見なして、いくつの峰を越えて来たことだろう。

【付記】詞書は「崇徳院近衛殿にわたらせ給ひて、遠尋山花といふ題を講ぜられ侍りけるによみ侍りける」。崇徳上皇が近衛殿(藤原忠通邸)に御幸した時催された歌会での作。康治二年(一一四三)頃の作かという(和歌文学大系『長秋詠藻』注)。山桜を白雲に見立てるという伝統的な趣向を、優美な詞遣いによって艶のある風姿に仕立てている。鴨長明の『無名抄』によれば、衆目一致して俊成の「おもて歌」とみなしていたが、俊成自身は「夕されば野辺の秋風…」を代表作と考えていたという。華やかな作風よりも、こまやかに心を砕き、感情の深く籠った作風をおのれの本領としたのである。

【関連歌】上0855、上1112、中1635

 

●新勅撰集・春上・五八 家に花五十首歌よませ侍りける時 後京極摂政前太政大臣

昔誰かかる桜の花を植ゑて吉野を春の山となしけむ

【通釈】昔、誰がこれほどの桜の花の木を植えて、吉野を春の山となしたのだろうか。

【付記】建久元年(一一九〇)九月十三夜、良経の九条亭で披講された『花月百首』。花五十首の巻頭歌。

【関連歌】上1406

 

巻第二 春歌下

●新勅撰集・春下・七八 月あかき夜、花にそへて人につかはしける 和泉式部

いづれともわかれざりけり春の夜は月こそ花のにほひなりけれ

【通釈】どちらとも区別できないのだった。春の桜月夜は、月の光こそが花のにおいであり、花のにおいこそが月の光なのだった。

【関連歌】上0037、下2069

 

巻第三 夏歌

●新勅撰集・夏・一九〇 みな月ばらへの心をよみ侍りける 後京極摂政前太政大臣

早き瀬のかへらぬ水にみそぎしてゆく年波の半ばをぞしる

【通釈】早瀬を流れ、帰ることのない水で禊祓えをして、ゆく年も半ばを過ぎたことを知るのだ。

【語釈】◇年波 年が寄るのを波にたとえて言う。波は瀬・水の縁語。

【付記】建久五年(一一九四)から正治二年(一二〇〇)頃までの作と推定されるという『西洞隠士百首』夏歌。

【関連歌】上1335

 

巻第四 秋歌上

●新勅撰集・秋上・二一一 百首歌めしける時 崇徳院御製

天の川やそ瀬の浪もむせぶらむ年待ちわたる鵲の橋

【通釈】天の川の数多い瀬の波も咽んでいることだろう。鵲が橋を渡してくれる、一年に一度だけの宵を待ち続けて。

【付記】久安六年(一一五〇)に詠進が終了した久安百首。

【関連歌】中1927

 

●新勅撰集・秋上・二三〇 題不知 読人不知

白露の織りいだす萩の下もみぢ衣にうつる秋は来にけり

【通釈】白露の織り出す萩の下黄葉の色が、人々の衣に染み付く。そんな秋という季節はやって来たのだった。

【付記】『新撰万葉集』の「白露之 織足須芽之 下黄葉 衣丹遷 秋者来藝里」が出典か。『寛平御時后宮歌合』には「白露の染めいだす萩の下紅葉衣にうつす秋は来にけり」とある。

【関連歌】中1956

 

●新勅撰集・秋上・二四四 久安百首歌奉りける秋歌 左京大夫顕輔

わぎもこが裾野ににほふ藤ばかま露はむすべどほころびにけり

【通釈】裾野に匂う藤袴の花よ。露は結ぶけれども、蕾はほころんだのだった。

【付記】「裾」「ほころび」と「はかま」の縁語を揃えた。久安六年(一一五〇)に詠進が終了した久安百首。

【関連歌】員外3503

 

巻第五 秋歌下

●新勅撰集・秋下・二九四 後京極摂政百首歌よませ侍りけるに 小侍従

いくめぐりすぎゆく秋に逢ひぬらむ変はらぬ月の影をながめて

【通釈】過ぎ行く秋に、幾度めぐりあっただろう。月だけは昔と変わらずに輝く、その光を眺めて。

【付記】藤原良経が詠ませた百首歌にあったという歌。建久元年(一一九〇)の『花月百首』または翌年の『十題百首』であろう。幽閉された上陽人(移動)の身になっての詠か。

【関連歌】中1543

 

●新勅撰集・秋下・三一五 崇徳院、月照菊花といへる心をよませたまうけるに 按察使公通

月影にかをるばかりをしるしにて色はまがひぬ白菊の花

【通釈】白菊の花は、月影の中、たちのぼる薫りによってのみそれと知られて、色は月の光と区別がつかない。

【付記】月影と菊のまぎらわしさという古来好まれた趣向。作者は閑院按察と呼ばれた藤原公通(1117~1173)。

【関連歌】上0627

 

巻第八 羈旅歌

●新勅撰集・羈旅・四九六 飛鳥河原の御時近江にみゆき侍りけるによみ侍りける 額田王

秋の野に尾花かりふき宿れりし宇治のみやこのかりいほしぞ思ふ

【通釈】秋の野に生える薄を刈り、それで屋根を葺いてお泊りになった、宇治の仮のお宿。あの宮どころが偲ばれます。

【語釈】◇宇治のみやこ 宇治は京都府宇治市。宮処は、宮のある土地。宮とは天皇・皇后・皇子などのお住みになる建物。ここでは草などで臨時に拵えた仮小屋のことを言っている。

【付記】原歌は万葉集巻一の「金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念」で、「秋の野のみ草かりふき宿れりし宇治のみやこのかりほしおもほゆ」などと訓むのが普通。大化四年(六四八)、近江比良宮行幸の時の作。

【関連歌】上1384

 

巻第十 釈教歌

●新勅撰集・釈教・五七九 (詞書略) 大僧都深観

草木まで仏のたねと聞きつればこの道ならむこともたのもし

【通釈】草木に至るまで仏果の種は結ぶと聞いたので、私のこの修道も実を結ぶだろうと頼もしく思われる。

【付記】詞書は「大僧正明尊、山科寺供養の導師にて、草木成仏のよし説き侍りけるを聞きて、あしたにつかはしける」。明尊(971~1063)の「草木成仏」の説法を聞いた翌朝、その感慨を明尊のもとに贈ったという歌。「道ならむ」は修道が結実するだろう意。「()る」は「草木」「たね」の縁語。

【関連歌】員外3013

 

巻第十一 恋歌一

●新勅撰集・恋一・六五六・六五七 (詞書略) 権大納言公実

年ふれど言はでくちぬる埋れ木の思ふ心はふりぬ恋かな

  返し 康資王母

深からじ水無瀬の河の埋れ木はしたのこひぢに年ふりぬとも

【通釈】何年経っても告白せずに、朽ちてしまった埋れ木のような私の恋心ですが、少しも古びていません。

(返し)水が無いという水無瀬河の埋れ木は、川底の泥の中で何年も経ったところで深くもないでしょう。あなたの恋心もたかが知れています。

【付記】詞書は「堀河院、艶書の歌を人々に召して、女房のもとにつかはして返歌を召しける時、よみ侍りける」。康和四年(一一〇二)閏五月の『堀河院艶書合』の贈答。

【関連歌】中1577

 

巻第十二 恋歌二

●新勅撰集・恋二・七三二 題不知 読人不知

君に逢はむその日をいつとまつの木の苔のみだれて物をこそ思へ

【通釈】あなたに逢えるその日をいつかと待ちながら、松の木に生えた苔のように、心乱れて思い悩んでいる。

【付記】出典は『古今和歌六帖』、「逢ふことをいつかその日とまつの木の苔のみだれて恋ふるこの頃」(移動)。

【関連歌】中1984

 

●新勅撰集・恋二・七五一 百首歌めしける時 崇徳院御製

さきの世の契りありけんとばかりも身をかへてこそ人に知られめ

【通釈】前世からの因縁があったのだろうとだけでも、別人に身を変えてあの人に知られよう。

【付記】今生(こんじょう)においては結ばれなくとも、来世には別人となって、前世からの縁により恋人と結ばれようとの願い。出典は久安百首。

【関連歌】上0471、上0580

 

●新勅撰集・恋二・七五九 題不知 権中納言長方

伊勢の海をふのうらみをかさねつつ逢ふことなしの身をいかにせむ

【通釈】伊勢の海の苧生の浦に生える梨の実ではないが、恨みを重ねるばかりで、逢うことは「なし」の身をどうしよう。

【付記】「をふ」「あふ」はいずれも「おう」と発音されるので、「をふの恨みを…あふことなしの」が洒落になっている。「なし」には苧生の浦の名物である「梨」を掛ける。

【本歌】「おふの浦に片枝さしおほひなる梨のなりもならずも寝て語らはむ」(古今集、読人不知)

【関連歌】上1293

 

巻第十四 恋歌四

●新勅撰集・恋四・九三七 題不知 読人不知

わかれてののちぞかなしき涙河そこもあらはになりぬと思へば

【通釈】別れて後こそが悲しい涙川よ。底もあらわになってしまうと思うので。

【付記】恋歌。出典未詳。

【関連歌】上1442

 

巻第十五 恋歌五

●新勅撰集・恋五・九九七 百首歌奉りける時 皇太后宮大夫俊成

いかにせむ天の逆手をうちかへし恨みてもなほあかずもあるかな

【通釈】どうしよう。天の逆手を何度も拍って恨んでも、それでもなおあの人が怨めしくて満足できない。

【付記】久安百首。

【関連歌】上1471

 

●新勅撰集・恋五・一〇二〇・一〇二一 (詞書略) 法成寺入道前摂政太政大臣

夜もすがら水鶏よりけになくなくぞ槙の戸口にたたきわびつる

  返し 紫式部

ただならじとばかりたたく水鶏ゆゑあけてはいかに悔しからまし

【通釈】(道長)一晩中、水鶏よりもひどく泣きながら、槙の戸口を叩き続けて疲れ果てました。

(紫式部)只事ではあるまいとばかりに叩く水鶏のせいで戸を開けたなら、どんなに悔しい思いをしたことでしょう。

【語釈】◇とばかりたたく 「と」は「ただならじ」を承けつつ、「戸」の意を兼ねる。

【付記】詞書は「夜ふけて妻戸をたたき侍りけるに、開け侍らざりければ、あしたにつかはしける」。道長が紫式部の住み処を夜更けに訪れ、戸を叩いたが、開けてもらえないので贈った歌と、それに対して紫式部が返した歌。

【関連歌】中1900

 

巻第十六 雑歌一

●新勅撰集・雑一・一〇九〇 題不知 殷富門院大輔

今はとて見ざらむ秋の空までも思へばかなし夜はの月影

【通釈】これがもう最後と、ふたたび見ることのないだろう秋の夜空を眺める――私の死んだ後まで、こうして月は煌々と夜を照らしているのだろう。それを思えば、悲しくてならない。

【付記】巻十六、雑歌。承安二年(一一七二)頃までに成立したと見られる『歌仙落書』に載るので、作者四十代の作であろう。『時代不同歌合』などにも採られた、作者の代表作の一つ。第二句「秋の末までも」とする本も。

【関連歌】上0678

 

巻第二十 雑歌五

●新勅撰集・雑五・一三四七 家に人々まうできて旋頭歌よみ侍りけるに旅の心をよめる 藤原顕綱朝臣

草枕 ゆふ露はらふ 旅衣 袖もしほほに おきあかす夜の 数ぞかさなる

【通釈】草枕を結ぶために夕露を払う旅衣は袖もしっぽりと濡れて、眠れずに明かす夜が重なっている。

【付記】五七五七七七の旋頭歌。作者の藤原顕綱(1029~1103)は傅大納言道綱の孫。参議兼経の子。

【関連歌】上0981

 

続後撰和歌集

●続後撰集・恋一・六八二 題不知 基俊

桜麻のをふの下草したにのみ恋ふれば袖ぞ露けかりける

【通釈】麻畑の下草ではないが、恋心を忍んでばかりいるので、私の袖はいつも露っぽいのだった。

【本歌】「桜麻のをふの下草露しあらば明かしてい行け母は知るとも」(万葉集、作者未詳)

【付記】作者は藤原基俊(生年未詳~1142)。『基俊集』などには見えない歌。

【関連歌】上0738

 

続古今和歌集

●続古今集・羈旅・八六八 津の国の須磨といふ所に侍りける時、よみ侍りける 中納言行平

旅人は袂すずしくなりにけり関ふきこゆる須磨の浦風

【通釈】旅人は袂を冷ややかに感じるようになった。関を自由に吹き越えてゆく須磨の浦の風よ。

【付記】京を去り、摂津国の須磨にいた頃に詠んだという歌。籠居の身を「旅人」になぞらえ、関を吹き越えてゆく秋風に時の経過と都への慕情をおぼえている。源氏物語に「行平の中納言の関吹きこゆるといひけむ浦波」(移動)とあるので、古くから行平の作として伝承されてきた歌なのだろうが、何故か勅撰集には洩れ続け、鎌倉時代の続古今集に初めて採用された。

【関連歌】上1233、中1832、下2132、下2425、下2775

 


公開日:2010年11月27日

最終更新日:2012年10月17日

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