本文は主として岩波日本古典文学大系による。
桐壺 空蟬 夕顔 若紫 末摘花 花宴 葵 賢木 花散里 須磨 明石 蓬生 関屋 朝顔 玉鬘 野分 藤袴 藤裏葉 夕霧 幻 橋姫 椎本 総角 早蕨 宿木 東屋 浮舟
野分たちて、にはかに膚寒き夕暮の程、つねよりも、おぼし出づること多くて、靫負の命婦といふをつかはす。夕月夜のをかしき程に、いだしたてさせたまひて、やがてながめおはします。かやうの折は、御遊びなどせさせ給ひしに、心ことなる、物の音をかき鳴らし、はかなく聞え出づる言の葉も、人よりは殊なりしけはひ・かたちの、面影につとそひて思さるるにも、「闇のうつつ」には、猶劣りけり。
命婦、かしこにまかで着きて、門ひき入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、目やすき程にて過ぐし給ひつるを、闇にくれて、臥し沈み給へる程に、草もたかくなり、野分に、いとど荒れたる心地して、月かげばかりぞ、八重葎にもさはらず、さし入りたる。
【付記】桐壺更衣の死後、帝は靫負命婦を亡き更衣の里に遣わし、折から野分に荒れた里の家の哀れ深い有様が描写される。
【関連歌】上0036
月は入りがたの、空清う澄みわたれるに、風いと涼しく吹きて、草むらの虫の声々、もよほし顔なるも、いと、たち離れにくき草のもとなり。
かごとも聞えつべくなむ」
【通釈】〔命婦〕「鈴虫のように声の限りを尽くして泣いても、この長い夜を飽きることなく涙は降ることよ」
〔母君〕「それでなくても虫の音が繁く、私も泣いてばかりいるこの浅茅生の住居に、もったいない御使を頂いてさらに涙を添えました」
【付記】桐壺更衣の死後、帝は靫負命婦を遣って亡き更衣の母君を見舞わせ、若君を引き取りたい旨の手紙をことづけた。夜も更けて帰ろうとする時、命婦は立ち去り難い思いを歌に詠み、母君は自身を鳴き続ける虫に擬えて返答した。
【関連歌】上1042
しばしうち休み給へど、寝られ給はず。御硯、急ぎ召して、さしはへたる御文にはあらで、畳紙に手習のやうに書きすさび給ふ。
小君、かしこに行きたれば、あね君待ちつけて、いみじくのたまふ。
〔空蟬〕「あさましかりしに。とかうまぎらはしても、人の思ひけむこと、さり所なきに、いとなむわりなき。いと、かう心幼き心ばへを、かつは、いかにおもほすらん」
とて、はづかしめ給ふ。ひだり右に苦しく思へど、かの御手習取り出でたり。さすがに、取りて見給ふ。かのもぬけを、「いかに伊勢をの海士のしほなれてや」など、思ふも、ただならず、いとよろづに思ひ乱れたり。にしの君も、物恥づかしき心地して、渡り給ひにけり。また、知る人もなき事なれば、人知れず、うちながめて居たり。小君の渡りありくにつけても、胸のみふたがれど、御消息もなし。「あさまし」と思ひ得る方もなくて、ざれたる心に、物あはれなるべし。つれなき人も、さこそしづむれど、いと浅はかにもあらぬ御気色を、「ありしながらの我が身ならば」と、取りかへす物ならねど、忍びがたければ、この御畳紙の片つ方に、
〔空蟬〕「蟬の羽におく露が木の間に隠れて人に見えないように、自分も人に隠れて忍び忍びに涙に袖を濡らすことよ」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】光源氏十七歳の夏、人妻である空蟬への思いはつのり、空蟬の弟の小君のはからいで彼女の寝室に忍び込むが、空蟬は衣を脱ぎ捨てて逃げ去ってしまう。源氏はそれと知らず空蟬と思い込んで継娘の軒端荻と情を交わす。源氏は空蟬の脱ぎ捨てた薄衣を取ってむなしく帰宅したが、寝つけず、空蟬に消息を送る。空蟬の返歌のもと歌は『伊勢集』に見える伊勢の歌である。
【関連歌】上0521、上0933
切懸だつものに、いと青やかなるかづらの、心地よげにはひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり、ゑみの眉開けたる。
〔源氏〕「をちかた人に物申す」
と、ひとりごち給ふを、御随身つい居て、
〔随身〕「かの、白く咲けるをなん、夕顔と、申し侍る。花の名は人めきて、かう、あやしき垣根になん、咲き侍りける」
と申す。げに、いと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、怪しくうちよろぼひて、むねむねしからぬ、軒のつまごとに、這ひまつはれたるを、
〔源氏〕「くちをしの、花の契りや。一房折りて参れ」
と、の給へば、この、押しあげたる門に入りて折る。
【参考】「うちわたすをちかた人に物申す我 そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」(古今集、読人不知 移動)
【付記】夕顔巻冒頭近く。十七歳の夏、源氏は見舞で尋ねた尼の家の隣家の垣根に白い花を見かけ、随身の者に一房折らせた。やがて源氏が深く心を寄せることになる女「夕顔」の住む家であった。
【関連歌】上1229、員外2818
とて、手をとらへ給へれば、いと馴れて、疾く、
【通釈】〔源氏〕「咲く花に心が移るということは、御息所に対して慎むべきであるけれども、今朝のこの美しい朝顔を見れば、ついそれに心が移って、一枝折らずには通り過ぎにくい」
〔中将〕「朝霧の晴れ間もお待ちにならないでお帰りになる御様子なのは、花(御息所)に心をお留めにならないのだと見えました」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】六条御息所の許から帰る後朝、源氏と中将の君(六条御息所の女房)が歌を贈答する場面。前栽の朝顔に寄せて中将の君を誉め讃えた源氏に対し、中将の君は源氏が主人に心を留めないと言ってやり返したのである。
【関連歌】上0289
日たくる程に、起き給ひて、格子手づから上げ給ふ。いと、いたく荒れて、人目もなく、はるばると見渡されて、木立、いと、うとましく、もの古りたり。け近き草木などは、殊に見所なく、みな秋の野らにて、池も、水草に埋もれたれば、いと、けうとげになりにける所かな。別納のかたにぞ、曹司などして人住むべかめれど、こなたは、はなれたり。
〔源氏〕「けうとくもなりにける所かな。さりとも、鬼なども、我をば見許してん」
と、のたまふ。顔は、なほ隠し給へれど、女の、「いと、つらし」と思へれば、「げに、かばかりにて、へだてあらむも、事のさまに違ひたり」と思して、
露の光やいかに」
【通釈】〔源氏〕「この夕方に、私が覆面を取ってお目にかかるまでになったのは、道の通りすがりに姿を見られた縁からです」
〔女〕「露を帯びて光るように美しく見えたお顔は、たそがれ時の見そこないで、今お目にかかってみれば大したことはありません」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】夕顔に深く思いを寄せるようになった源氏は、八月十五夜の翌朝、夕顔を「なにがしの院」に連れ去り、ここに匿う。その日源氏は初めて覆いを取り、夕顔に身分を明かしたのだった。
【関連歌】上0632
夕暮のしづかなるに、空の気色いとあはれに、御前の前栽かれがれに、虫の音も鳴きかれて、紅葉の、やうやう色づくほど、絵に書きたるやうに、おもしろきを、見わたして、「心より外に、をかしきまじらひかな」と、かの夕顔のやどりを、思ひ出づるも、はづかし。竹の中に、家鳩といふ鳥の、ふつつかに鳴くを、きき給ひて、かの、ありし院に、この鳥の鳴きしを、「いと恐ろし」と思ひたりしさまの、面影に、らうたくおもほし出でらるれば、
〔源氏〕「年は、いくつにか、ものし給ひし。怪しく、世の人に似ず、あえかに見え給ひしも、かく長かるまじくてなりけり」
と、の給ふ。
〔右近〕「十九にや、なり給ひけん。右近は、なくなりにける御乳母の、捨て置きて侍りければ、三位の君の、らうたがり給ひて、かの御あたり去らず、生ほし立て給ひしを、思ひ給へ出づれば、いかでか、世に侍らんとすらむ。「いとしも、人に」と、悔しくなん。物はかなげに物し給ひし、人の御心を、たのもし人にて、年頃ならひ侍りけること」
と聞ゆ。
〔源氏〕「はかなびたるこそ、女はらうたけれ。かしこく、人に靡かぬ、いと、心づきなきわざなり。みづから、はかばかしく、すくよかならぬ心ならひに、女は、ただ、やはらかに、取りはづして、人にあざむかれぬべきが、さすがに、ものづつみし、見ん人の心には、従はむなん、あはれにて、我が心のままに、とり直して見むに、なつかしくおぼゆべき」
など、の給へば、
〔右近〕「「この方の御好みには、もてはなれ給はざりけり」と思ひ給ふるにも、口惜しく侍るわざかな」
とて、泣く。空の、うち曇りて、風ひややかなるに、いと、いたく、うちながめ給ひて、
【通釈】〔源氏〕「夕顔のなきがらを焼いた煙が雲になったと思って眺めれば、夕暮の空もなつかしいことよ」
【語釈】◇いとしも、人に 『拾遺抄』に見える読人不知の歌「思ふとていとしも人にむつれけむしかならひてぞ見ねば恋しき」に拠る。◇まさに長き夜 白氏文集の「八月九月正長夜」(移動)に拠る。
【付記】某院で頓死した夕顔の遺骸をひそかに処理したのち、源氏は病臥した。快復後、夕顔の侍女であった右近に話を聞き、夕顔の素姓を初めて知る。晩秋の夕暮、源氏と右近は亡き人を偲んで語らう。源氏は夕空の雲に夕顔を慕うのだった。
【関連歌】中1644
昼のおもかげ、心にかかりて恋しければ、
〔源氏〕「ここにものし給ふは、誰にか。たづね聞えまほしき夢を見給へしかな。今日なむ、おもひあはせつる」
と聞え給へば、僧都、うち笑ひて、
〔僧都〕「うちつけなる御夢語にぞ侍るなる。たづねさせ給ひても、御心劣りせさせ給ひぬべし。故按察大納言は、世になくて久しくなり侍りぬれば、えしろしめさじかし。その北の方なむ、なにがしが、いもうとに侍る。かの按察かくれて後、世を背きて侍るが、此のごろ、患ふ事侍るにより、かく、京にもまかでねば、たのもし所に、こもりてものし侍るなり」
と聞こえ給ふ。
【付記】「わらわ病」を患った源氏は北山の寺で加持したが、とある僧房で藤壺に似た美しい少女を見かけた。その夜、源氏のもとを訪ねて来た僧都に、少女の素姓を探り、藤壺の姪にあたることを知る。その少女が若紫、のちの紫の上である。
【関連歌】上0067
あかつきがたになりにければ、法花三味行ふ堂の、懺法の声、山おろしにつきて聞えくる、いと、尊く、滝の音に響きあひたり。
【通釈】〔源氏〕「吹き迷う深山颪の風に懺法の声が聞え、迷いの夢がさめて、滝の音までが涙を催させることよ」
【付記】若紫の素姓を知った源氏は北山の僧房で一夜を過ごし、尼に若紫の世話を申し出るが、打ち解けた返事は得られない。その晩は山颪が激しく、懺法の声が滝の音と響き合って、尊さもひとしおに感じられた。
【関連歌】中1600
御迎への人々まゐりて、おこたり給へるよろこび聞え、内裏よりも、御使ひあり。僧都、見えぬさまの御くだ物、何くれと、谷の底まで掘り出で、いとなみ聞え給ふ。
〔僧都〕「今年ばかりの誓ひ、深う侍りて、御送りにも、え参り侍るまじきこと、なかなかにも、おもひ給へらるべきかな」
と、聞え給ひて、大御酒まゐり給ふ。
〔源氏〕「山水に、心とまり侍りぬれど、内裏より、おぼつかながらせ給へるも、かしこければなむ。今、この花のをり過ぐさず、参り来む。
〔源氏〕「時ありて、一度ひらくなるは、難かむなるものを」
と、の給ふ。聖、御かはらけたまはりて、
【通釈】〔源氏〕「都へ帰って大宮人に話しましょう、此の山桜を吹き散らす風が来ないうちに、来て見るようにと」
〔僧都〕「あなた様のお美しいお姿を拝みましては、待ちに待った優曇華の花を見ることができたような心地がしまして、深山桜などに眼も移りません」
〔聖〕「奥山の松の下庵の中に籠っている身がめったに開けない戸を今日珍しくも開けて、まだ見たこともない花のようなお姿を拝みました」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】「わらわ病」が全快した源氏は都へ帰ることとなり、迎えの使者が北山に到着した。僧都はご馳走を用意してもてなし、源氏は桜の季節に立ち去ることを惜しむ。大徳は源氏の容貌を「まだ見ぬ花の顔」と誉め讃え、その美しさに涙を流すのだった。
【関連歌】中1916
藤壺の宮、悩み給ふ事ありて、まかで給へり。うへの、おぼつかながり、嘆き聞え給ふ御気色も、いと、いとほしう見奉りながら、「かかる折だに」と、心もあくがれ惑ひて、いづくにもいづくにも、まうで給はず。内裏にても里にても、昼は、つくづくとながめ暮らして、暮るれば、王命婦をせめありき給ふ。いかが、たばかりけん、いとわりなくてみたてまつる程さへ、うつつとは思えぬぞ、わびしきや。宮も「あさましかりし」を、思し出づるだに、世と共の御物思ひなるを、「さてだに、やみなん」と、深うおぼしたるに、いと心憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとて、うちとけず、心ふかう恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ、人に似させ給はぬを、「などか、なのめなることだに、うち交り給はざりけん」と、つらうさへぞ、おぼさるる。何事をかは、きこえつくし給はん。くらぶの山に、やどりも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましう、中々なり。
【通釈】〔源氏〕「たまたまお目にかかりましても、再びお逢いする夜はなさそうでございますゆえ、今夜の夢の中にこのまま私は消えてしまいとうございます」
〔藤壺〕「あなたは夢と言われましたが、またとないほど辛い私の身を、たとい永久にさめない夢にするにしましても、後の世の語り草に人が伝えはしないでしょうか」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】藤壺が里に下っていた間、源氏は無理を押して再び密会するのだった。
【関連歌】下2442、員外3627
【付記】源氏は手引きを得て末摘花の琴の演奏を盗み聞いたが、その帰途、源氏のあとを尾けていた頭中将に見つかってしまい、「十六夜の月のように行方をくらました」と歌でからかわれる。それに対する源氏の返歌である。
【関連歌】員外3483
ゑひ心地や例ならざりけむ、ゆるさむことは、口惜しきに、女も、若うたをやぎて、つよき心も、え知らぬなるべし。「らうたし」と見給ふに、程なく明け行けば、心あわただし。女は、まして、さまざまに、思ひ乱れたる気色なり。
〔源氏〕「猶、名のりし給へ。いかで、きこゆべき。「かうて止みなむ」とは、さりとも、おぼされじ」
と、のたまへば、
〔源氏〕「ことわりや。聞え違へたる文字かな」
とて、
とも、え言ひあへず、人々、起きさわぎ、上の御局に、まゐりちがふ気色ども、繁く迷へば、いとわりなくて、扇ばかりを、しるしに取り替へて、出で給ひぬ。
【通釈】〔女〕「(あなたに名を告げず)そのまま不幸な我が身が死んでしまっても、草原を探し求めて私の墓を訪うては下さらないおつもりでしょうか」
〔源氏〕「あなたの身元を探っているうちに、世間に噂が立って逢えなくなってしまうでしょう」
【付記】源氏二十歳の春二月、紫宸殿の桜花の宴の後、酔心地のままに弘徽殿の細殿で朧月夜の君に出遭い、歌をやり取りする。源氏は相手の素姓を知り得ぬまま、扇を交換して別れた。
【関連歌】中1766、中1875、員外3406
かの、しるしの扇は、桜の三重がさねにて、濃きかたに、霞める月を書きて、水にうつしたる心ばへ、目馴れたれど、ゆゑ、なつかしう、もてならしたり。「草の原をば」といひしさまのみ、心にかかり給へば、
【通釈】今までに覚えのない心地がする。有明の月の行方を、明るくなる空に見失って。
【語釈】◇有明の月のゆくへ 朧月夜内侍の行方を思い遣っての謂。
【付記】花宴の翌日、源氏は朧月夜の君が忘れられず、交換した扇に歌を書き付けた。
【関連歌】中1766、中1875、員外3406
今日も、所もなく、たちにけり。馬場のおとどの程に、たてわづらひて、
〔源氏〕「上達部の車ども多くて、物騒がしげなるわたりかな」
と、やすらひ給ふに、よろしき女車の、いたう乗りこぼれたるより、扇をさし出でて、人をまねき寄せて、
〔女〕「ここにやは、立たせ給はぬ。所さり聞えむ」
と聞えたり。「いかなるすきものならん」と思されて、所も、げに、よきわたりなれば、ひきよせさせ給ひて、
〔源氏〕「「いかで、得給へる所ぞ」と、ねたさになん」
と、の給へば、よしある扇のつまを折りて、
とある手を、思し出づれば、かの内侍のすけなりけり。「あさましう、ふりがたくも、今めくかな」と、にくさに、はしたなう、
【通釈】〔源典侍〕「はかないことですよ。葵祭の今日は神のお許しもあってお逢いできるかと待っていましたのに、あなたは他の人を挿頭して(お連れになって)しまわれた」
〔源氏〕「差し出されたあなたの心こそ徒に思えます。今日は大勢の人々と出逢う葵祭なのですから、他の人にも声を掛けられるのでしょう」
【付記】賀茂祭の日、源氏は紫の上と見物に出掛けた。とある女車が場所を譲ってくれると言うので車を近づけると、その女車から源典侍が歌を詠みかけてきた。「紅葉賀」の巻で源氏と逢引に至った老女である。
【関連歌】員外3640
いかがありけむ、人の、けぢめ見奉り分くべき御仲にもあらぬに、をとこ君は、とく起き給ひて、女君は、更に起き給はぬ朝あり。人々、「いかなれば、かくおはしますらん。御心地の、例ならず思さるるにや」と、見奉り嘆くに、君は、わたり給ふとて、御硯の箱を、御帳の内にさし入れて、おはしにけり。人まに、からうじて頭もたげ給へるに、ひき結びたる文、御枕のもとにあり。何心なく、引きあけて見給へば、
【通釈】〔源氏〕「幾度となく一つ臥所に寝て、馴れ親しんで来ながら、不思議にも今までは衣一重を中に隔てた水臭い間柄であったことよ」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】葵の上の喪が明けてのち、源氏がかねて引き取っていた紫の上と新枕を交わした翌朝のことが、婉曲に語られる。
【関連歌】上0572
暗う出で給ひて、二条より、洞院の大路を折れ給ふほど、二条の院の前なれば、大将の君いとあはれに思されて、榊にさして、
【語釈】◇振りすてて 「振り」は「鈴鹿川」の「鈴」の縁語であり、また「袖」の縁語。
【付記】斎宮に任ぜられた娘とともに伊勢へ下向する六条御息所に源氏が贈った歌。
【関連歌】上0272
かの本意の所は、思しやりつるもしるく、人目なく静かにて、おはする有様を見給ふにも、いとあはれなり。まづ、女御の御方にて、昔の物語など聞え給ふに、夜更けにけり。廿日の月、さし出づる程に、いとど木高き陰ども、木暗う見えわたりて、近き橘の薫り、懐かしう匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてに、らうたげなり。「勝れてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましう懐かしき方に、おぼしたりし物を」など、思ひ出で聞え給ふにつけても、むかしの事、かきつらね思されて、うち泣き給ふ。
【付記】五月雨の晴れ間、源氏は花橘が香り時鳥が鳴く麗景殿女御(故桐壺帝の女御)の家を訪ね、まず女御と昔語りに耽った。
【関連歌】上0929
郭公、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。「したひ来にけるよ」とおぼさるる程も、艶なりかし。
〔源氏〕「いかに知りてか」
など、忍びやかに、うち誦し給ふ。
と聞こえ給ふ。みな、いと、殊更なる世なれば、物を、いとあはれに、おぼし続けたる御気色の浅からぬも、人の御さまからにや、多くあはれぞ添ひける。
【通釈】〔源氏〕「ほととぎすも橘の香をなつかしく思って、その花の散るこの里を尋ねて来て啼く」
〔女御〕「訪う人もなく荒れ果てた私の宿にお立ち寄り下さいましたのは、軒端に咲いている橘の花が手引きとなったのですね」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】五月雨の晴れ間、源氏は花橘が香り時鳥が鳴く麗景殿女御の家を訪ね、その妹である花散里と昔語りに耽る。
【関連歌】上0326、上0429
例の、月の入りはつる程、よそへられてあはれなり。女君の濃き御衣にうつりて、げに、「ぬるるがほ」なれば、
などの給ひて、あけぐれのほどに、いで給ひぬ。
【通釈】〔花散里〕「月影の宿っているこの袖は狭うございましょうが、いつまで見ても見あかぬ光を、永くここに映し留めておきとうございます(お美しいあなたをいつまでも私の側へお引き留めしておきたい)」
〔源氏〕「結局は戻って来て澄み渡る月の影であるから、しばらく曇っている間だけ空を見ないでいらっしゃい(しまいには潔白な身となり、ここへ戻って来て住みつく私なのですから、当座の間の不仕合せをお歎きになるな)」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】須磨へ発つことを告げに、源氏は花散里の邸を訪れた。夜が明けるまで語り合ったのち、名残を惜しみつつ二人は別れるのだった。
【関連歌】上0289
「明日」とての暮には、院の御墓、拝み奉り給ふとて、北山へまうで給ふ。あか月かけて月出づる頃なれば、まづ入道の宮に参うで給ふ。ちかき御簾の前に、おまし参りて、御みづからきこえ給ふ。東宮の御ことを、いと、後めたきものにおもひ聞え給ふ。かたみに、心ふかきどちの御物語、はた、万あはれまさりけむかし。
【付記】須磨へ旅立つ前日の夕、源氏は桐壺帝御陵参拝の途次、藤壺のもとを訪れ、暇乞いをした。三月下旬、月は暁の頃に出る、夕闇の時分であった。
【関連歌】上1115
その日は、女君に御物語のどかにきこえくらし給ひて、例の、夜深く出で給ふ。狩の御衣など、旅の御よそひ、いたくやつし給ひて、
〔源氏〕「月、出でにけりな。猶、少し出でて、みだに送り給へかし。いかに、「聞ゆべき事おほく積りにけり」とのみ思えんとすらむ、一日・二日、たまさかに隔つる折だに、あやしう、いぶせき心地するものを」
とて、御簾まき上げて、端の方に、いざなひ聞え給へば、女君、なき沈み給へる、ためらひてゐざり出で給へる、月影に、いみじうをかしげにてゐ給へり。「我が身、かくて、はかなき世を別れなば、いかなる様にさすらへ給はむ」と、うしろめたく悲しけれど、おぼしいりたるが、いとどしかるべければ、
など、あさはかに聞えなし給へば、
道すがら、おも影につとそひて、胸も塞がりながら、御舟に乗り給ひぬ。日長きころなれば、追風さへそひて、まだ申の時ばかりに、かの浦に着き給ひぬ。かりそめの道にても、かかる旅をならひ給はぬ心地に、心ぼそさも、をかしさも、めづらかなり。大江殿といひける所は、いたく荒れて、松ばかりぞ、しるしなりける。
【通釈】「生ける世の…」生きている間にも別離というものがあることを知らないで、行末変らぬ口固めをして、命のある限り別れないという約束を人にしたことよ。
「惜しからぬ…」惜しくもない私の命は縮めても構いませんから、その代りに、今の眼の前の別れをたとい少しでも延ばしてほしゅうございます。
「唐国に…」昔、楚の屈原は讒言のために懐王に放逐され、ついに汨羅江に投身して死んだというが、自分はそれにもまして行くえも知らぬ流浪の生活をすることであろう。
「ふる里を…」わが故郷をば峰の霞が隔てて見せないけれども、ここから自分が眺めている空は、故郷の人が見る空と同じ空であろうか。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】須磨へ出発する日を、源氏は紫の上と過ごし、夜、舟で出発した。
【関連歌】上0195、中1613
尚侍の君の御返りには、
とばかり、いささかにて、中納言の君の中にあり。おぼし嘆くさまなど、いみじう言ひたり。「あはれ」とおもひ聞え給ふふしぶしもあれば、うち嘆かれ給ひぬ。
【通釈】〔尚侍〕「私の恋は多くの人の目を忍んでいる恋でございますから、胸の中の思いの煙の晴らしようがございません」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【語釈】◇浦にたく 「海人」から「あまた」を導く序。
【付記】須磨に謫居した源氏は都の女性たちに手紙を贈り、朧月夜尚侍には「こりずまの浦のみるめもゆかしきを塩焼くあまやいかが思はん」と逢いたい思いを伝えた。それに対する朧月夜の返事を源氏が詠む条である。
【関連歌】上0062、上0851
まことや。騒がしかりし程の紛れにかき漏らしてけり。かのいせの宮へも御使ありけり。彼よりも、ふりはへたづね参れり。あさからぬことども、書き給へり。言の葉、筆づかひなどは、人より殊になまめかしう、いたり深う見えたり。
〔御息所〕「猶、現とは思ひ給へられぬ御住ひをうけたまはるも、「あけぬ夜の心惑ひか」となむ。「さりとも、年月は隔て給はじ」と思ひやり聞えさするにも、罪深き身のみこそ、また、聞えさせん事も、はるかなるべけれ。
とのみ、おほかり。
【通釈】「うきめかる…」伊勢の海で浮布を刈っている海人(憂き目を見ている私)を思いやって下さい。行平朝臣のように藻塩たれつつ(涙に濡れつつ)暮していらっしゃるという須磨の浦から。
「伊勢島や…」伊勢の海の潮干潟に出て貝を漁ってみるけれども、いくら漁っても貝がないように、自分は生きがいのない、哀れな身の上です。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)」
【付記】須磨に流謫された源氏は六条御息所の許へも使者を立てていたが、その返事が届く。伊勢斎宮であった自身を伊勢の海人になぞらえて、哀れな身の上を訴えているのだった。源氏は賀茂祭の車争いに端を発する生霊の件以来、六条御息所から心が離れていたが、歌や筆づかいには心惹かれるものがあり、かつては慕っていたその人を気の毒に思うのだった。
【関連歌】上1082
花散里も、「かなし」と思しけるままに、かきあつめ給ひける御心々、み給ふは、をかしきも、めなれぬ心地して、いづれも、うち見給ひつつ、なぐさめ、かつは、物思ひのもよほしぐさなり。
【通釈】〔花散里〕「お別れしましてからいよいよ荒れて行く我が家の軒端の忍草を眺めながら、あなたのことをお偲び申し上げていますと、涙が露のようにしげく袖にかかることでございます」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】須磨に流謫された源氏の許へは花散里からも消息が届いた。折しも長雨の季節、その邸の荒れて行くさまを思い遣り、源氏は救けの手を差し伸べる。
【関連歌】上0528、下2317
須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこしとほけれど、行平の中納言の、「関ふき越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々は、げに、いと近う聞えて、またなく、あはれなるものは、かかる所の秋なりけり。御まへに、いと人ずくなにて、うちやすみわたれるに、ひとり目をさまして、枕をそばだてて、四方の嵐を聞き給ふに、波、ただここもとに立ちくる心地して、涙おつともおぼえぬに、枕うくばかりになりにけり。琴を、すこし掻き鳴らし給へるが、われながら、いと、すごう聞ゆれば、ひきさし給ひて、
【付記】須磨に秋が訪れると哀れもひとしおで、源氏は枕に迫るような浦波の声をしみじみと聞く。
【関連歌】中1832、下2132、下2425、下2548、下2552、員外2834
月、いと花やかにさし出でたるに、「今夜は十五夜なりけり」とおぼし出でて、殿上の御遊び恋しう、「所々、ながめ給ふらんかし」と思ひやりたまふにつけても、月のかほのみ、まぼられ給ふ。
〔源氏〕「二千里外故人心」
と誦じ給へる、例の、なみだもとどめられず。入道の宮の、「きりや隔つる」との給はせし程、いはむ方なく恋しう、をりをりのこと思ひ出で給ふに、「よよ」と泣かれ給ふ。
〔人々〕「夜更け侍りぬ」
ときこゆれど、なほいり給はず。
【語釈】◇二千里外故人心 白氏文集の詩句(移動)。◇きりや隔つる 「賢木」巻で入道の宮(藤壺)が源氏と別れる時に詠んだ歌の一句。
【付記】須磨で迎えた十五夜、源氏は月を見て都を偲ぶ。「配所の月」の名場面である。
【関連歌】上1246
その夜、うへの、いとなつかしう、昔物語などし給ひし御さま、院に似奉り給ひしも、恋しく思ひ出で聞え給ひて、
〔源氏〕「恩賜の御衣は今ここにあり」
と誦じつつ、いり給ひぬ。御衣は、まことに身放たず、かたはらに置い給へり。
【語釈】◇恩賜の御衣… 菅原道真の詩『九月十日』の「恩賜御衣今在此」。昌泰四年(九〇一)、大宰府に流された道真が、前年天皇より賜わった衣を思って詠んだ句。◇ひとへに ひたすら。「ひとへ」には衣の縁から「単衣」の意が掛かる。
【付記】須磨で迎えた八月十五夜、源氏が朱雀帝を偲び、歌を詠む場面。
【関連歌】上0063
かの御住ひには、久しうなるままに、え念じ過ぐすまじくおぼえ給へど、我が身だに、「あさましき宿世」とおぼゆる住ひに、いかでかは。うち具しては、つきなからむさまを、思ひかへし給ふ。所につけては、よろづの事、さまかはり、み給へ知らぬ下人のうへをも、見給ひならはぬ御心ちに、めざましう、かたじけなく、身づからおぼさる。煙のいと近く、時々たちくるを、「これや、海人の塩焼くならむ」と、思しわたるは、おはしますうしろの山に、柴といふ物、ふすぶるなりけり。めづらかにて、
【付記】須磨での暮らしも程を経、都からの消息も絶えて、源氏はひとしお紫の上を恋しく思うが、辺鄙な地に呼び寄せるわけにもゆかない。そんな折、謫居の背後の山から柴を焚く煙が漂って来たのを見、その煙に寄せて都の人を恋うる歌を独り吟じた。
【関連歌】上0962、上1065、上1233、中1537、下2124
月、いとあかうさし入りて、はかなき、旅のおまし所は、奥まで隈なし。ゆかの上に、夜深き空も見ゆ。入方の月かげ、すごく見ゆるに、〔源氏〕「ただこれ西に行くなり」と、ひとりごち給ひて、
【通釈】「いづかたの」…月は迷わずに西の空をさして進むのに、私はいったいどこの空にうろうろすることであろう、月に見られても恥かしく感じる。
「とも千鳥…」明け方、友千鳥が友を呼びかわして鳴いているのを聞く時は、ひとりぼっちの床に眼をさまして泣いている自分も、友を得た心地がして頼もしく感じる。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【語釈】◇ただこれ西に行くなり 『菅家後草』に見える、左遷の際の道真の詩句。
【付記】須磨の冬、光源氏の孤独な暮らしぶりが描かれた場面。百人一首の源兼昌の歌「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」(移動)も源氏物語のこの場面に想を得たかと言われている。
【関連歌】上0243、上0562、上1066
須磨には、年かへりて、日長く、つれづれなるに、植ゑし若木の桜、ほのかに咲きそめて、空の気色うららかなるに、よろづのこと思しいでられて、うち泣き給ふ折々おほかり。二月廿日あまり、いにし年、京を別れし時、心ぐるしかりし人々の御有様など、いと、こひしく、南殿の桜は、盛りになりぬらむ、一年の花の宴に、院の御けしき、うちのうへの、いと清らになまめきて、我がつくれる句を誦じ給ひしも、おもひ出できこえ給ふ。
【付記】須磨に再び春が巡って来た。源氏は七年前の紫宸殿での花の宴を思い出し、都を恋しがるのだった。
【関連歌】中1917
すまひたまへるさま、いはむ方なく唐めきたり。所のさま、絵に書きたらむやうなるに、竹編める垣しわたして、石の階、松の柱、おろそかなるものから、珍らかにをかし。山がつめきて、ゆるし色の黄がちなるに、青鈍の、狩衣・指貫、うちやつれて、殊更に、ゐ中びもてなし給へるしも、いみじう、見るにゑまれて清らなり。(中略)飛鳥井すこしうたひて、月頃の御物語、泣きみわらひみ、
〔中将〕「わか君の、何とも世を思さで物し給ふかなしさを、大臣の、あけくれにつけて、思し嘆く」
など語り給ふに、たへがたく思したり。尽きすべくもあらねば、中々片端も、えまねばず。夜もすがらまどろまず、ふみつくり明かし給ふ。さ、いひながらも、ものの聞えをつつみて、急ぎかへり給ふ。いと、中々なり。御土盃まゐりて、
〔源氏・中将〕「酔の悲しび、涙そそく春の盃のうち」と、諸声に誦じ給ふ。御供の人どもみな、涙をながす。おのがじし、はつかなる別れ、惜しむべかんめり。
【付記】須磨に移って翌年の春、桜が咲く頃、三位中将が訪れた時の源氏の謫居の描写。『白氏文集』の詩句「石階桂柱竹編墻」(移動)や「酔悲灑涙春盃裏」(移動)を踏まえる。
【関連歌】上0623、中1626
と、きこゆるけはひ、うちわななきたれど、さすがに故なからず。
〔源氏〕「されど浦なれたまへらむ人は」
とて、
【通釈】〔入道〕「私の娘はこの明石の浦でつくづくと物思いにふけりながら夜を明かしているのでございますが、そのうらさびしい独り寝の味は君も今度でお分りになったでしょうか」
〔源氏〕「私は馴れない旅の空のうら悲しさに夜ごとに寝もやらず、仮寝の枕には夢をむすぶこともありません」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】夢の告げによって須磨を去る決心をした源氏は、明石入道に迎えられ、明石に移って心の平穏を得る。ある夜入道が娘の明石上を源氏に嫁がせたい希望を伝えると、かねて明石上の噂を仄聞していた源氏は喜んでこれを受け入れ、入道と源氏の間で歌が贈答された。
【関連歌】上0562、上0727、員外3655
おもふ事、かつがつかなひぬる心地して、涼しう思ひ居たるに、又の日の昼つかた、岡辺に御文つかはす。心はづかしきさまなめるを、「中々、かかる、ものの隈にぞ、思ひのほかなる事も、こもるべかめる」と、心づかひし給ひて、高麗の胡桃色の紙に、えならず引きつくろひて、
とばかりや、有りけむ。入道も、「人知れず、まちきこゆ」とて、かの家に来ゐたりけるも著ければ、御使、いとまばゆきまで酔はす。御返り、いとひさし。うちに入りて、そそのかせど、むすめは、さらに聞かず。いと恥づかしげなる御文のさまに、さし出でん手つきも、恥づかしう、つつましう、人の御ほど、身のほど思ふに、こよなくて、
〔娘〕「心地あし」
とて、寄りふしぬ。いひわびて、入道ぞ書く。
〔入道〕「いともかしこきは、ゐ中びて侍る袂に、つつみあまりぬるにや。さらに、見給へも及び侍らぬかしこさになむ。さるは、
と、きこえたり。みちのくに紙に、いたう古めきたれど、書きざま、よしばみたり。「げにも、すきたるかな」と、めざましう見給ふ。御使に、なべてならぬ玉裳など、かづけたり。
【通釈】〔源氏〕「東も西も分からないこの明石の空を眺めながら、物思いに屈していましたが、父上がほのめかして下さった宿の梢をお訪ね申します」
〔入道〕「あなた様がお眺めの空と同じ空を娘も眺めて思いに沈んでおります。娘の思いも、あなた様と同じ思いなのでしょう」
【語釈】◇思ふには 古今集の「思ふには忍ぶる事ぞまけにける色には出でじと思ひしものを」より。
【付記】源氏は明石入道の申し入れを受けて明石上に手紙を贈る。しかし明石上は身分の差を憚って消極的で、なかなか返事を書こうとしない。明石入道は使を酔わせている間に、仕方なく自分が返歌をしたためるのだった。
【関連歌】中1833、員外3622
又の日、
〔源氏〕「宣旨書は、見知らずなん」
とて、
言ひがたみ」
【通釈】私を思って下さるというお心のほどは、さあ一体どんなものでしょう。まだお会いもしていない方が、噂だけお聞きになって悩むということがあるでしょうか。
【付記】須磨を後にして明石入道の邸宅に迎えられた源氏は、入道の娘明石上との文通を始めるが、相手は消極的であった。
【関連歌】上1119、中1923
〔源氏〕「琴は、また、かき合はするまでの形見に」
とのたまふ。をんな、
と、たのめ給ふめり。されど、ただ別れんほどのわりなさを思ひ、むせたるも、いと、ことわりなり。
【通釈】〔明石〕かりそめに期待させるようなことをおっしゃる一言を当てにして、私は尽きせず声をあげて泣きながら、あなたのことをお偲びしておりましょう。
〔源氏〕また逢うまでの形見にと約束して、残して置く琴の中の緒の調子も、あなたの愛情とともに変らないであってほしい。
【付記】朱雀院は源氏召還の宣旨を下し、源氏は京へ戻ることとなった。明石の上との別れを惜しみ、琴を形見に残しておくのだった。
【関連歌】中1777
かかるままに、浅茅は、庭の面も見えず、しげき蓬は、軒を、あらそひて生ひのぼる。葎は、西・東の御門を閉ぢこめたるぞ、たのもしけれど、崩れがちなる垣を、馬・牛などの踏みならしたる、道にて、春・夏になれば、放ち飼ふ総角の心さへぞ、めざましき。
【付記】源氏は退京後末摘花のことを忘失してしまい、世話をしてくれる人のない末摘花の屋敷は荒廃を極めた。
【関連歌】閑居310、十題734、下2242
卯月ばかりに、花散里を思ひ出で聞え給ひて、忍びて、対のうへに御暇きこえて、出で給ふ。日頃降りつる名残の雨、いま少しそそきて、をかしき程に、月さし出でたり。むかしの御ありき、おぼし出でられて、艶なるほどの夕月夜に、道の程、よろづのことおぼしいでておはするに、かたもなく荒れたる家の、木立繁く、森のやうなるを過ぎ給ふ。大きなる松に、藤の咲きかかりて、月かげに靡きたる、風につきてさと匂ふがなつかしく、そこはかとなき薫りなり。橘には変りて、をかしければ、さしいで給へるに、柳もいたうしだりて、築地もさはらねば、みだれふしたり。「見し心地する木立かな」と思すは、早う、この宮なりけり。いとあはれにて、おしとどめさせ給ふ。
【付記】源氏は帰京後のある月夜、花散里を訪問する途中に見覚えのある木立を見かける。すっかり荒廃した末摘花の邸であった。源氏は車を停めさせ、惟光に案内を乞うよう命じた。
【関連歌】中1576、員外3415
〔源氏〕「などか、いと久しかりつる。いかにぞ。昔の跡も見えぬ、蓬の繁さかな」
との給へば、
〔惟光〕「しかじかなむ。たどり寄りて侍りつる。侍従が伯母の、少将といひ侍りし老人なん、変らぬ声にて侍りつる」
と、ありさまきこゆ。いみじうあはれに、〔源氏〕「かかる繁きなかに、末摘花はなに心地して過ぐし給ふらむ。今まで訪はざりけるよ」と、わが御心の情なさも、思ししらる。
〔源氏〕「いかがすべき。かかる忍び歩きも、難かるべきを、かかるついでならでは、えたちよらじ。かはらぬ有様ならば。「げに、さこそはあらめ」と推し量らるる、人のさまになむ」
とは、の給ひながら、ふと、いり給はむこと、なほ、つつましうおぼさる。故ある御消息も、いと聞えまほしけれど、見給ひしほどの口おそさも、まだ変らずば、御つかひの、たちわづらはむもいとほしう、おぼしとどめつ。惟光も、
〔惟光〕「更に、えわけさせ給ふまじき、蓬の露けさになむ侍る。露すこし払はせてなむ、入らせ給ふべき」
ときこゆれば、
〔惟光〕「御傘さぶらふ。木の下露は雨にまさりて」
ときこゆ。御指貫の裾は、いたう、そぼちぬ。昔だにあるかなきかなりし、中門など、まして、形もなくなりて、いり給ふにつけても、いと、無徳なるを、たちまじり見る人なきぞ、心安かりける。
【通釈】〔源氏〕道も分らないほど深い蓬の生い茂った宿ではあるが、昔に変らぬ女主人の真心を尋ねて、自分こそ訪れて上げよう。
【付記】惟光は末摘花邸の様子を源氏に伝えた。邸の荒廃したありさまに、源氏は自らの薄情さを反省するのだった。末摘花は待ち侘びた源氏の訪問を喜び、源氏は邸の修理を援助するなど、末摘花の後ろ見をするようになる。
【関連歌】中1578、下2742
佐召し寄せて、御消息あり。「いまは、おぼし忘れぬべきことを、心長くもおはするかな」と思ひゐたり。
〔源氏消息〕「一日は、ちぎりしられしを、さは思し知りけむや。
とあり。
〔源氏〕「年頃のとだえも、うひうひしくなりにけれど、心には、いつとなく、ただ今の心地するならひになむ。すきずきしう、いとどにくまれんや」
とて、賜へれば、かたじけなくて、もていきて、
〔右衛門佐〕「猶、きこえ給へ。「むかしには、少し思しのく事あらむ」と、思ひ給ふるに、おなじやうなる御心の懐しさなむ、いとどありがたき。「すさびごとぞ、用なきこと」と思へど、えこそ、すくよかに聞えかへさね。女にては、まけきこえ給へらむに、罪許されぬべし」
などいふ。いまは、まして、いと恥づかしう、よろづのこと、うひうひしき心地すれど、めづらしきにや、え忍ばれざりけむ、
ときこえたり。「あはれもつらさも、忘れぬふし」と、思し置かれたる人なれば、をりをりは、猶、のたまひうごかしけり。
【通釈】〔源氏消息〕たまにあなたと行き遇ったのを頼もしく思いましたけれども、お目にかかることもできないとはやはりかいないことです。
〔空蟬〕逢坂の関は一体どういう関なので、こうも生い茂った木々の間を分けて行かなければならないのだろう(あなたと私との逢う瀬は、いったい何としたわけでこうも数々の歎きを重ねるのでしょう)。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】空蟬が夫の常陸介に伴って上洛する際、たまたま石山詣でに出掛ける源氏の車と逢坂の関あたりで行き遭った。源氏はかつての小君(今は右衛門佐)を召して消息し、帰京後、改めて歌を添えた手紙を右衛門佐に託した。空蟬も懐かしさに耐えず、苦しかった二人の恋を振り返るのだった。その後も源氏は折々空蟬に便りをしたが、まもなく夫が亡くなると、空蟬は人知れず出家してしまった。
【関連歌】上1160、上1382
入り給ひても、みやの御事を思ひつつ大殿籠れるに、夢ともなく、ほのかに見たてまつるを、いみじくうらみ給へる御気色にて、
〔藤壺〕「『もらさじ』とのたまひしかど、うき名のかくれなかりければ、恥づかしう、苦しき目を見るにつけても、つらくなむ」
とのたまふ。「御いらへ聞ゆ」とおぼすに、おそはるる心地して、女君の
〔紫上〕「こは、など、かくは」
との給ふに、おどろきて、いみじく口惜しく、胸の、置きどころなく騒げば、おさへて、涙も流れいでにけり。今も、いみじく濡らし添へ給ふ。女君、「いかなる事にか」とおぼす。うちも身じろがで、臥したまへり。
〔源氏〕とけて寝ぬ寝覚さびしき冬の夜に結ぼほれつる夢のみじかさ
【通釈】「とけて寝ぬ…」心うちとけて寝られず、寝ざめがちな寂しい冬の夜に、結んだ夢――その夢のはかなく短かったことよ。
【付記】前斎院朝顔への未練を断ち切れない源氏はたびたびその許を訪れるが、朝顔は冷淡な態度を貫く。源氏の執心に気づいて傷ついた紫の上を、ある日源氏はなだめようとしたが、紫の上の面差しは無き藤壺を思い出させ、その夜、源氏は死後も苦患に責められているという藤壺の夢を見た。紫の上の声に目を覚まし、身じろぎもせず臥したまま藤壺を思う歌を詠む。
【関連歌】上0839、員外3388
〔夕霧〕「かれ聞き給へ。
とのたまへば、
【通釈】〔夕霧〕「紅の涙で深く染まった私の袖の色を、身分の低い浅緑の色だと言って貶めてよいものでしょうか」
〔雲居雁〕「色々と憂い身の程が知られるのは、どのような宿縁に定まった私たちの仲なのでしょうか」
【付記】元服した夕霧は父源氏の方針で六位に留め置かれ、大学に入学した。雲居雁との恋は父の内大臣によって阻まれ、夕霧はおのれの身分の低さを恨むのだった。
【関連歌】員外3633
いと美しう、ただ今から、気高う清らなる御さまを、殊なるしつらひなき舟にて、こぎいづるほど、いとあはれになむ、おぼえける。をさなき心地に、はは君を忘れず、をりをりに、
〔玉鬘〕「母の御もとへ行くか」
と、とひ給ふにつけて、涙たゆる時なく、女どもも、おもひこがるるを、〔乳母〕「舟道、ゆゆし」と、かつは、いさめけり。おもしろき所々を見つつ、〔乳母〕「心わかうおはせし物を。かかる道を、見せたてまつるものにもがな。おはせましかば、我らは下らざらまし」と、京のかたのみ思ひやらるるに、かへる波も、うらやましく、心細きに、舟子どもの、あらあらしき声にて、
〔舟子〕「うら悲しくも、遠くも来にけるかな」
と謡ふを、聞くままに、ふたりさし向かひてなきけり。
〔乳母〕来し方も行くへも知らぬ沖に出でてあはれいづくに君をこふらむ
【通釈】〔乳母〕船頭たちも誰か恋しい人があるのであろうか、ちょうど大島の浦のあたりを漕ぎ行く今、うら悲しげに船唄をうたう声がきこえる。
どこから来たのかも、どこへ行くのかも分らない渺茫たる海上にただよい出た私どもは、いったいどちらを目あてとして夕顔の君を恋い慕っているのであろうか。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【語釈】◇大島 玄海灘の、宗像中社のある島。◇ひなの別れ 「思ひきやひなの別れにおとろへて海人の縄たきいさりせんとは」(古今集、小野篁)。
【付記】夕顔急死の翌年、四歳になっていた遺子の玉鬘が乳母と共に筑紫へと下る場面。
【関連歌】中1628
宮より、御文あり。白き薄様にて、御手は、いとよしありて、書きなし給へり。見るほどこそをかしかりけれ、まねび出づれば、殊なることなしや。
〔蛍宮〕今日さへやひく人もなきみがくれに生ふるあやめのねのみなかれむ
【通釈】(五月節句の)今日でさえ、引き立ててくれる人もない私は、水底に隠れて生える菖蒲の根のように、逼塞するまま音を上げて泣いてしまうことだろう。
【語釈】◇みがくれ 水隠れ。「水がくれておふるさ月のあやめ草香をたづねてや人の引くらん」(古今和歌六帖)。◇ねのみなかれむ 「根のみ流れむ」「音のみ泣かれむ」の掛詞。
【付記】五月節句の日、蛍兵部卿宮が菖蒲の根に付けて玉鬘に贈った恋文。
【関連歌】員外3343、員外3507
南のおとどにも、前栽つくろはせ給ひける折にしも、かく、吹き出でて、もとあらの小萩、はしたなく待ちえたる、風のけしきなり。折れかへり、露もとまるまじく、吹き散らすを、すこし端近くて、見給ふ。おとどは、ひめ君の御かたにおはしますほどに、中将の君、まゐり給ひて、ひんがしの渡殿の小障子の上より、妻戸のあきたる隙を、なに心もなく、見入れ給へるに、女房の、あまた見ゆれば、たちとまりて、音もせでみる。御屏風も、風のいたく吹きければ、おしたたみ寄せたるに、見とほしあらはなる、廂の御座にゐ給へる人、ものにまぎるべくもあらず、気高く、きよらに、さと匂ふ心ちして、春のあけぼのの霞の間より、おもしろきかば桜の咲きみだれたるを見る心地す。あぢきなく、見たてまつるわが顔にも、うつりくるやうに、愛敬は匂ひちりて、またなくめづらしき、人の御さまなり。御簾のふきあげらるるを、人々おさへて、いかにしたるにかあらん、うち笑ひたまへる、いと、いみじく見ゆる。花どもを、心ぐるしがりて、え見捨てて入り給はず。御まへなる人々も、さまざまに、もの清げなる姿どもは、見わたさるれど、目移るべくもあらず。おとどの、いとけ遠く、はるかにもてなし給へるは、かく、みる人、ただには、え思ふまじき御有様を、いたり深き御心にて、「『もし、かかることもや』と思すなりけり」、と思ふに、けはひおそろしうて、立ち去るにぞ、西の御方より、内の御障子ひきあけて、わたり給ふ。
【付記】野分の風がひどく吹いた日、六条院を見舞った夕霧がたまたま紫の上を垣間見、ひそかに思慕を抱くという名高い場面である。
【関連歌】下2415、下2755
〔源氏〕「昨日、風のまぎれに、中将、見奉りやしけん。かの戸のあきたりしによ」
と、のたまへば、おもてうち赤みて、
〔紫上〕「いかでか、さはあらむ。渡殿のかたに、人の音もせざりしものを」
と、きこえ給ふ。
〔源氏〕「なほ、あやし」
と、ひとりごちて、わたり給ひぬ。
【付記】野分の風がひどく吹いた日、六条院を見舞った夕霧はたまたま紫の上を垣間見、ひそかに思慕を抱いた。その後、源氏は夕霧の様子を見て、目ざとく疑念をおぼえ、そのことを紫の上に話すが、紫の上は否定する。
【関連歌】上0571
〔柏木〕「いでや、をこがましき事も、えぞ聞えさせぬや。いづかたにつけても、「あはれをば、御覧じ過ぐすべくやはありける」と、いよいよ、恨めしさもそひ侍るかな。まづは、今宵などの御もてなしよ。北面だつ方に、召しいれて、きむだちこそ、めざましくも思しめさめ、下仕へなどやうの人々とだに、うち語らはばや。また、かかるやうはあらじかし。さまざまにめづらしき世なりかし」
と、うち傾きつつ、恨みつづけたるも、をかしければ、「かくなむ」ときこゆ。
〔玉鬘〕「げに、人聞きを、「うちつけなるやうにや」と、はばかり侍るほどに、年頃のむもれいたさをも、あきらめ侍らぬは、いと中々なること、多くなむ」
と、ただ、すくよかに聞えなし給ふに、まばゆくて、よろづおしこめたり。
などうらむるも、人やりならず。
【通釈】〔柏木〕兄妹であるという深い事情をも調べないで、文を差し上げたりして、末遂げぬ恋の道に踏み迷っていました
ことよ」と恨みますのも、ほんとに心がらなのです。
〔玉鬘〕あなたが妹背山の道に迷って(兄妹ということに心づかずに恋に迷って)いらっしゃるとも知らないで、私は不思議に存じながらおん文を拝見しておりました。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)【語釈】◇緒絶の橋 陸奥の歌枕。この橋にまつわる何らかの伝承があったと思われるが、未詳。その名からすると、玉の緒も絶えそうな迷いやすい橋であったらしい。また恋が「絶える」ことと関わらせて歌に詠まれることが多い。
【付記】尚侍として出仕することを控えた玉鬘のもとを、内大臣の使として柏木が訪れ、玉鬘の冷淡さを恨む。
【関連歌】上0719、下2538
兵部卿の宮は、「いふかひなき世は、きこえんかたなきを、
とて、いとかじけたる下折れの、霜もおとさずもて参れる、御つかひさへぞ、うちあひたるや。
【通釈】朝日さす光を見ても、(主上のお側近く御奉公なさるようになられても、)玉笹の葉分の霜のような私のことを忘れないで下さい。
【付記】尚侍出仕が決まった玉鬘のもとへ、多くの懸想文が寄せられたが、そのうちの蛍兵部卿の宮の恋文。
【関連歌】上0052
大将のおはせぬ昼つかた、わたり給へり。女君、あやしう、悩ましげにのみもてない給ひて、すくよかなる折もなく、しをれ給へるを、かく、渡り給へれば、すこし起きあがり給ひて、几帳に、はた隠れておはす。殿も、用意ことに、すこし、けけしきさまにもてない給ひて、大方のことどもなど、きこえ給ふ。すくよかなる、世の常の人にならひては、まして、いふかたなき御けはひ・有様を、見知り給ふにも、思ひのほかなる身の、置き所なく、はづかしきにも、涙ぞこぼれける。やうやう、こまやかなる御物語になりて、ちかき御脇息によりかかりて、すこしのぞきつつ、聞え給ふ。いとをかしげに、面やせ給へるさまの、見まほしう、らうたい事の添ひ給へるにつけても、「よそに見放つも、あまりなる心のすさびぞかし」と、口惜し。
とて、鼻うちかみ給ふけはひ、なつかしう、あはれなり。をんなは、顔をかくして、
「みつせ川…」その三途の川を渡らないうちに、どうかして涙の川の水脈に浮く泡となって消えてしまいとうございます。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】玉鬘が鬚黒大将を好きになれぬまま結婚の話は進んでいた。源氏は玉鬘に未練を持ち、ある日髭黒のいない日に訪ねて、初夜の相手になれなかったことを悔やむ歌を贈る。それに対し、玉鬘もまた鬚黒大将に手を引かれて三途の川を渡るのはいやだと答えるのだった。
【関連歌】上0256、下2515、員外3037
ここらの年頃の思ひのしるしにや、かのおとども、名残なくおぼし弱りて、はかなきついでの、わざとはなく、さすがにつきづきしからんを思すに、四月朔日ごろ、お前のふぢの花、いとおもしろう咲きみだれて、世の常の色ならず、ただに見過ぐさむこと、惜しきさかりなるに、あそびなどし給ひて、暮れゆくほどの、いとど、色まされるに、頭中将して、御消息あり。
〔内大臣〕「一日の、花のかげの対面、あかずおぼえ侍りしを。御いとまあらば、たち寄り給ひなんや」
とあり。御文には、
〔夕霧〕せっかくお招きにあずかりましても、たそがれどきのおぼつかない暗がりの中では、どれが藤の花やら分からずかえってまごまごすることでしょう。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【付記】夕霧と雲居雁は相思相愛であったが、雲居雁の父内大臣が二人の仲を認めなかった。ところが大臣も老いて弱気になり、ついに夕霧に雲居雁を許すつもりで、晩春の夕、文を遣って藤の宴に招いた。夕霧は胸をときめかせて返答し、出掛けてゆく。
【関連歌】上0919
紙燭めして、御かへり見れば、御手も、猶、いとはかなげに、をかしきほどに書い給ひて、
〔女三宮〕「心ぐるしう聞きながら、いかでかは。ただ、推しはかり。「のこらん」とあるは、
とばかりあるを、「あはれにかたじけなし」と思ふ。
【通釈】〔女三宮〕「私もいろいろと心配事のために思い乱れていますので、どちらが一層苦しんでいるかを比べるうちに、あなたの煙に立ち添うて自分も消えてしまうかも知れません」(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【語釈】◇のこらん 先に柏木が贈った歌「いまはとて燃えん煙もむすぼほれたえぬ思ひのなほや残らん」を受けて言う。
【付記】女三宮との密通を源氏に知られた柏木は懊悩し病臥したが、病勢が緩んだ折、女三宮のもとへ手紙を贈った。行者の加持祈祷を抜け出て女三宮の女房小侍従と会った柏木は、彼女から女三宮の返事を見せられる。
【関連歌】下2603、員外3632
たましひをつれなき袖にとどめおきて我が心から惑はるるかな
【通釈】私の魂をつれないあなたの袖の中に残して参りまして、私は自分の心から途方に暮れております。
【参考】「あかざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなき心ちする」(古今集九九2、陸奥 移動)
【付記】夕霧は小野の山荘に落葉宮の母一条御息所の病気を見舞い、一泊した。その後、夕霧が落葉宮に贈った歌。
【関連歌】上0072
何事につけても、忍びがたき御心弱さの、つつましくて、過ぎにし事、いたうものたまひ出でぬに、待たれつる時鳥の、ほのかに鳴きたるも、〔源氏〕「いかに知りてか」と、聞く人、ただならず。
〔夕霧〕時鳥よ、お前は冥途の鳥であるというから、あの世へ行かれた紫の上に、あなたの故郷の花橘は今が盛りであると言伝てくれるがよい。
【語釈】◇いかに知りてか 「いにしへのこと語らへば時鳥いかにしりてか古声のする」(古今和歌六帖)による。
【付記】紫の上が亡くなった翌年の五月、夕霧が源氏のもとを訪れ、時鳥の声に二人は亡き人を偲ぶ。
【関連歌】中1964
さぶらふ人々も、まほには、え引き広げねど、それと、ほのぼの見ゆるに、心まどひども、おろかならず。この世ながら、とほからぬ御別れのほどを、「いみじ」と、おぼしけるままに、書い給へる言の葉、げにその折よりも、せきあへぬ悲しさ、やらん方なし。いとうたて、今ひときはの御心まどひも、めめしく、人わろくなりぬべければ、えよくも、見給はで、こまやかに書き給へるかたはらに、
【通釈】こういう文殻をたくさん掻き集めて見たところで今は何のかいもないから、かの人の遺骸が煙となって立ちのぼった同じ空の煙となるがよい。
【付記】紫の上没後、源氏は出家を決心し、身辺の整理を始めた。昔の恋文なども捨てようとしたが、須磨に流謫されていた時に紫の上から贈られて来た一纏めの手紙を見つけると、懐かしさに涙を留め難い。惜しみながらも、手紙の端に歌を書き付けて、皆女房に焼かせたのだった。
【関連歌】上1100、下2704
みかどは、御言づてにて、
〔冷泉院〕「あはれなる御すまひを、人づてに聞くこと」
など、きこえ給うて、
【通釈】この世と全く縁を切って心しずかに行い澄ましているというほどではありませんが、ただ世の中を憂きものと観じて、この宇治山に仮の住居を営んでいるのです。
【付記】『橋姫』は宇治十帖最初の巻。宇治八宮と親しくしていた阿闍梨が京へ出た折冷泉院に上り、八宮のことを申し上げると、院は興味を持たれ、阿闍梨が山へ帰る折に使者を立てて歌を言づけた。阿闍梨はこの使者と共に八宮のもとに出向き、八宮は喜んで院への返歌を詠んだ。
【関連歌】上0606、中1753
あなたに通ふべかめる透垣の戸を、すこし押しあけて、見給へば、月、をかしきほどに霧りわたれるを、ながめて、簾垂をみじかく巻きあげて、人々ゐたり。簀の子に、いと寒げに、身、細く、萎えばめるわらはひとり、おなじさまなる大人など、居たり。うちなる人、ひとりは、柱にすこしゐ隠れて、琵琶を前におきて、撥を手まさぐりにしつつ居たるに、雲隠れたりつる月の、にはかに、いと、明くさし出でたれば、
〔中君〕「扇ならで、これしても、月は招きつべかりけり」
とて、さしのぞきたる顔、いみじく、らうたげに、匂ひやかなるべし。そひ臥したる人は、琴の上に、かたぶきかかりて、
〔大君〕「入る日を返す撥こそありけれ、さま異にも、思ひおよび給ふ御心かな」
とて、うち笑ひたるけはひ、いま少しおもりかに、よしづきたり。
〔中君〕「およばずとも、これも、月に離るる物かは」
など、はかなきことを、うち解けの給ひかはしたるけはひども、さらに、よそに思ひやりしには似ず、いとあはれになつかしう、をかし。
【付記】晩秋、八宮が山寺に参籠していた間、薫は宇治を訪れ、大君と中君の琵琶と箏の琴の合奏を、そしてまた戯れの問答を仄聞した。
【関連歌】上0215
かの、おはします寺の鐘の声、かすかに聞えて、霧、いと、深くたちわたれり。峯の八重雲、おもひやる隔て多く、あはれなるに、なほ、この姫君たちの御心のうちども、心ぐるしう、「なに事をおぼし残すらむ。かく、いと、奥まり給へるも、ことわりぞかし」など、おぼす。
【通釈】はるばる姫君たちをお尋ね申しに私が越えて来た槙の尾山は、この朝ぼらけ、霧がたちこめて、京へ帰ろうと思っても行く手の家路も見えない。
【語釈】◇峯の八重雲 「思ひやる心ばかりはさはらじを何へだつらん峰の白雲」(後撰集)、「白雲の八重にかさなるをちにても思はむ人に心へだつな」(古今集)などによるか。◇槙の尾山 宇治にある山の名。
【付記】宇治を訪れた薫は弁御許と話を交わした後、外が明るくなって来たので退去しようとした。折しも八宮の参籠している山寺から鐘の音が聞こえ、あたりは深い霧が立ちこめている。哀れをおぼえた薫は姫君たちの心中を思い遣るのだった。
【関連歌】下2286
あやしき舟どもに、柴刈り積み、おのおの、何となき、世のいとなみどもに、行きかふさまどもの、はかなき水の上に浮びたる、「たれも、思へば、おなじごとなる、世の常なさなり。『われは、うかばず、玉のうてなに静けき身』と思ふべき世かは」と、思ひ続けらる。硯めして、あなたにきこえ給ふ。
とて、宿直人にもたせ給へり。寒げに、いららぎたる顔して、もてまゐる。御返り、紙の香など、おぼろげならむは、恥づかしげなるを、「疾きをこそは、かかるをりは」とて、
と、いと、をかしげに書きたまへり。
【通釈】〔薫〕宇治川を高瀬舟が棹さして行くのを眺めても、寂しく暮していらっしゃる姫君たちの心をお察しして、舟人が棹の雫に袖を濡らすように、私も涙で袖を濡らしました。
〔大君〕川に棹さして行ったり来たりする宇治の渡し守は、朝夕棹の雫に濡れて袖を朽ちさせてしまうでございましょう――私もそれと同様に涙で袖を朽ちさせてしまいます。
【語釈】◇身さへ、浮きて 「さす棹の雫にぬるる袖故に身さへ浮きても思ほゆるかな」(源氏物語奥入所引)。
【付記】宇治を訪れた薫は弁御許と話を交わした後、外が明るくなって来たので退去しようとした。宇治川を川舟が往き来するのを眺めながら、姫君たちをいとおしむ思いを歌で伝え、姉の大君から返事を得た。
【関連歌】上0192、下2072、員外3075
かへりたまひて、まづ、この袋を見給へば、唐の浮線綾を縫ひて、「上」といふ文字を、うへに書きたり。ほそき組して、口のかたをゆひたるに、かの御名の封つきたり。あくるも恐ろしう、おぼえ給ふ。いろいろの紙にて、たまさかに通ひける御文の返り事、五つ六つぞある。さては、かの御手にてや、「病は重く、かぎりになりにたるに、また、ほのかにも、聞えむこと、難くなりぬるを、ゆかしう思ふことは、そひにたり。御かたちも、変りておはしますらむが、さまざま悲しき」ことを、陸奥紙五六枚に、つぶつぶと、あやしき鳥の跡のやうに書きて、
〔柏木〕「めづらしく、聞き侍りて。二葉のほども、うしろめたう思うたまふる方はなけれど、
【通釈】〔柏木〕眼前にこの世を捨てて出家をなさるあなた様よりも、この世をよそに、あなた様にお別れ申して去って行く私の魂の方が悲しゅうございます。
〔柏木〕命があって生きてさえいられるものならば、人知れず岩根に落した種から生えた松を、よそながら自分のものとも思って、それが成長する行く末を見ましょうものを。
【付記】宇治の山荘で弁御許から柏木の遺書を手渡された薫が、帰宅して手紙に目を通す場面。女三宮にあてたその遺書によって、薫は自分の父が柏木であることを知った。
【関連歌】上0780
法師ばら、童べなどの、のぼり行くも、見えみ見えずみ、いと、雪深きを、なくなく、たち出でて、見送り給ふ。
〔中君〕「御髪などおろい給うてける、さるかたにて、おはしまさましかば、かやうに通ひ参る人も、おのづから繁からまし」
〔大君〕「いかに、あはれに、心細くとも、あひ見たてまつること、絶えてやまましやは」
など、語らひ給ふ。
【通釈】〔大君〕父君がお寺に籠っていらしった頃は、お帰りになる日を待ちながらあの山の松の雪をもなつかしく眺めたものでしたが、もうお亡くなりになって、お寺へ通う岩間の路の往復も絶えてしまった今、あなたはあの雪を何と御覧になりますか。
〔中の宮〕お亡くなりになった父君を、せめて奥山の松葉に積る雪と同じものとでも思うことができましたら、慰めようもありますけれども。【付記】八宮逝去後、歳暮を迎えた宇治の山荘には法師などが慰問に訪れ、寺に帰ってゆくその人たちを姫君たちは泣く泣く見送る。そうして父を悼む歌をやり取りするのだった。
【関連歌】上1368、上1447
おはしまししかた、あけさせ給へれば、塵いたう積りて、仏のみぞ、花の飾りおとろへず、「行ひ給ひけり」とみゆる御床など、とり遣りて、かき払ひたり。
〔薫〕「本意をも遂げば」
と、「ちぎり聞えしこと」と思ひ出でて、
【通釈】自分が出家したならば佛道の師と仰ごうと頼みに存じ上げていた宮がおかくれになって、もとのお居間にはお座席さえもなくなってしまった。
【付記】年末、宇治を訪れた薫は亡き八宮の居室を見、かつての約束を思い出して歌を詠む。
【関連歌】中1602
あまた年、耳馴れ給ひにし河風も、此の秋は、いと、はしたなく、物悲しくて、御はてのこと、いそがせ給ふ。おほかたの、あるべかしきことどもは、中納言殿、阿闍梨などぞ、仕うまつり給ひける。ここには、法服のこと、経の飾り、こまかなる御あつかひを、人の聞ゆるに従ひて、いとなみ給ふも、いと、物はかなく、あはれに、「かかる、よその御後見、なからましかば」と見えたり。みづからも、まうで給ひて、「今は」と、脱ぎ捨て給ふ程の御とぶらひ、浅からずきこえ給ふ。阿闍梨も、ここに参れり。名香の糸ひきみだりて、
〔姫達〕「かくても経ぬる」
など、うち語らひ給ふほどなりけり。結びあげたるたたりの、簾垂のつまより、几帳のほころびに、透きて見えければ、「そのこと」と、心得て、
〔薫〕「わが涙をば、玉にぬかなん」
と、うち誦し給へる、「伊勢の御も、かくこそありけめ」と、をかしく聞ゆるも、うちの人は、聞き知り顔に、さしいらへ給はんも、つつましくて、「『ものとはなしに』とか、貫之が『此の世ながらの別れをだに、心細き筋にひきかけけむを』など、げに、ふるごとぞ、人の心をのぶるたよりなりける」を、思ひ出で給ふ。御願文つくり、経・仏供養ぜらるべき心ばへなど、書き出で給へる、硯のついでに、まらうど、
〔薫〕「あはずは何を」
と、うらめしげにながめ給ふ。
【通釈】「あげまきに…」名香の糸の総角結びの中に、あなたと私との行く末長く変らぬ契をも結び込めて、糸が幾度も同じ所に出逢うように、私たちも始終逢いたいものです。
「ぬきもあへず…」悲歎に暮れている私の涙の玉は、糸に貫き留めることもできないほど脆くこぼれるのですが、命とてもその涙の玉のように脆いので、どうせ長生きはできませんのに、何として行く末かけてのお約束などいたしましょうぞ。(『潤一郎訳源氏物語(新々訳)』より)
【語釈】◇名香 「行香の机の上の敷物の四隅に結んで垂らす飾りの糸とも、また、さまざまの香を紙に包んで五色の糸を結びかけたものともいう」(潤一郎訳源氏物語注)。◇たたり 絡垜。「糸をよる時などに糸を巻いておく枠のこと」(岩波古典大系注)。◇総角 揚巻。飾り紐の結び方。左右に輪を作り房を垂らす。紐が中心に寄り集まる形なので、「おなじ所によりもあはなん」ことの喩えとなる。
【付記】八宮の一周忌の準備のため、薫は宇治を訪れ姫君たちの世話をする。姫君たちが仏に捧げる名香の糸を総角に結んでいたことに寄せて、薫は求婚の歌を詠むが、大君は結婚の意思はないと答えるのだった。
【関連歌】上0263、上1421
さまざま思ひ給ふに、御文あり。「れいよりは、嬉し」と、おぼえ給ふも、かつはあやし。秋のけしきも知らず顔に、青き枝の、かたへ、いと濃くもみぢたるを、
〔老女房〕「御返り」
といへば、「きこえ給へ」と、ゆづらんも、うたておぼえて、さすがに、書きにくく、思ひみだれ給ふ。
【通釈】〔薫〕同じ木の枝を区別して、青と紅とに染め分けた山の女神に、どちらがほんとうの深い色かと問うてみたい。(大姫君と中姫君と、どちらが深く私を思って下さるのか、お尋ねしてみたい。)
〔大君〕山の女神が木の葉を染めるのはどういう心持か分りませんけれども、紅く変った方の色が深い色なのでございましょう。(あなたがお移りになった方の人、すなわち中姫君こそ深くあなたを愛しておりましょう。)
【付記】八宮の一周忌の後、薫は再び宇治を訪れ、姫君の寝室に忍び入る。めあては姉の大君であったが、大君はけはいを察して屏風の陰の小部屋に隠れてしまい、妹の中君だけが残された。驚く中君に薫は優しく語りかけ、何ごともなく一夜を明かす。翌朝、大君への恨み言を残して薫は帰って行き、大君は独り思い悩む。そこへ薫からの手紙が届いた。
【関連歌】上1436
「わが心から、あぢきなきことを、思はせ奉りけむこと」と、とり返さまほしく、なべての世もつらきに、念誦を、いとどあはれにし給ひて、まどろむ程なく、明かし給ふに、まだ夜深きほどの雪のけはひ、いと、寒げなるに、人々、声あまたして、馬の音聞こゆ。「何人かは、かかるさ夜半に、雪をわくべき」と、大徳たちも、おどろき思へるに、宮、狩の御衣にいたうやつれ、濡れ濡れ、入り給へるなりけり。うちたたき給ふさま、「さななり」と、聞き給ひて、中納言は、隠ろへたる方に入り給ひて、忍びておはす。御忌は、日数残りたりけれど、心もとなく思しわびて、夜一夜、雪に惑はされてぞ、おはしましける。
【付記】大君は匂宮との恋に苦悩する中君を心配するあまり病臥し、そのまま亡くなってしまった。薫は宇治に留まって念誦に明け暮れていたが、ある雪の晩、不意に匂宮がお忍びでやって来た。
【関連歌】上1450
御前近き紅梅の、色も香も、なつかしきに、鶯だに、過ぐしがたげに、うち鳴きて渡るめれば、まして、〔薫〕「春や昔の」と、心を惑はし給ふどちの御物語に、折あはれなりかし。風の、さと、吹き入るるに、花の香も、まらうどの御匂も、たち花ならねど、むかし思ひ出でらるるつまなり。「つれづれの紛らはしにも、世の憂き慰めにも、心とどめて、もてあそび給ひしものを」など、心にあまり給へば、
【通釈】〔中君〕私が都へ行ったら見る人もあるまいと思い迷っている山里に、亡き姉君を思い出させるように紅梅の匂いがする。
〔薫〕私がかつてちょっと袖を触れたことのあるこの梅は、昔に変わらぬ匂いのする梅ですけれども、それが根ぐるみ移されて運ばれて行く先は、私の宿とは違うのですね。
【参考】「色よりも香こそあはれと思ほゆれたが袖ふれし宿の梅ぞも」(古今集、読人不知 移動)
【付記】匂宮の手配で京の二条院へ移ることになった中君を、ある日薫は宇治に訪ね、亡き大君の思い出を語り合った。大君が愛した紅梅が咲き匂う折柄、中君と薫は梅の香に寄せて歌をやり取りする。薫はかつて共に過ごした一夜をほのめかし、宇治を去る中君を惜しむのだった。
【関連歌】上1107
海士の刈る珍しき玉藻に、かづき埋もれたるを、「さなめり」と、人々みる。「いつの程に、急ぎ、かき給ひつらむ」とみるも、やすからずはありけむかし。宮も、あながちに、つつむべきにはあらねど、さしぐみは、猶、いとほしきを、「すこしの用意はあれかし」と、なまかたはら痛けれど、今は、かひなければ、女房して、御文とり入れさせ給ふ。「同じくは、隔てなきさまに、もてなし果てむ」と、思して、ひきあけ給へるに、「継母の宮の御手なめり」と見ゆれば、いま少し心安くて、うち置き給へり。宣旨書にても、うしろめたのわざや。
〔落葉の宮〕「賢しらはかたはら痛さに、そそのかし侍れど、いと悩ましげにてなむ。
【通釈】女君が今朝ひとしお打ち萎れておりますのは、あなた様がどういうお扱いをなすった後なのでございましょうか。
【付記】匂宮は二条院に中君を引き取ったが、その一方、夕霧に懇望されてその娘六君と婚姻を結んだ。六君のもとから帰った匂宮が、憂悶する中君を慰めていたところへ、使者が戻って来て、土産物と共に六君の継母落葉の宮の手紙を届ける。六君の後朝の文の代筆であった。
【関連歌】中1971
【関連歌】下2056
〔薫〕「佐野のわたりに、家もあらなくに」
など、口ずさびて、里びたる、簀の子の端つかたに、居給へり。
【通釈】葎が生い茂って門をとざしているせいであろうか、あまり長い間雨だれの落ちる中で待たせることよ。
【参考】「東屋の 真屋のあまりの その雨そそき 我立ち濡れぬ 殿戸開かせ」(催馬楽・東屋 移動)
【付記】浮舟の母は匂宮が娘に求婚することに困惑し、浮舟を三条の仮の宿に隠していた。薫もまた亡き大君に酷似する浮舟に心惹かれていたが、時雨の降る夜、浮舟を宇治に移そうと、彼女の宿を訪ねた。浮舟は応対に困惑し、薫は縁側の端で雨の中待たされた。
【関連歌】上0967、中1771
雨、降りやまで、日ごろ、多くなる頃、いとど、山路思し絶えて、わりなく思されければ、「親の飼ふ蚕は、所狭き物にこそ」と、おぼすも、かたじけなし。つきせぬ事ども、書き給ひて、
【通釈】あなた恋しさにそちらの方角の空にある雲を眺めていると、心ばかりか空までが、その雲も見えないくらい暗く掻き曇る今日この頃のやるせなさよ)
【語釈】◇親の飼ふ蚕 「たらちねの親の飼ふ蚕の繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて」(拾遺集、人麿)による。
【付記】浮舟は匂宮が忘れられず、薫との三角関係に悩んでいたが、雨が降り続く頃、訪問できずにいた匂宮から手紙が届いた。
【関連歌】下2510
後の御文には、
〔薫〕「思ひながら、日頃になること。時々は、それよりも、驚かい給はむこそ、思ふさまならめ。おろかなるにやは」
など。端書に、
と、白き色紙にて、立文なり。御手も、細かに、をかしげならねど、書き様、故々しく見ゆ。宮は、いと多かるを、小さく結びなし給へる、さまざまをかし。
〔女房〕「まづ、かれを、人、見ぬほどに」
と、聞ゆ。
〔浮舟〕「今日は、えきこゆまじ」
と、恥ぢらひて、手習に、
【通釈】〔薫〕「水まさる…」長雨が続き、晴れない思いで心も暗く暮らしているこの頃、川水の増した宇治にお住いのあなたはいかがお過ごしでしょうか。
〔浮舟〕「里の名を…」「うぢ」の「憂」という里の名を、つくづく我が身に知りましたので、ますますこの山城の宇治のあたりが住み辛くなりました。
【付記】意に反して匂宮と情を通じてしまった浮舟は、匂宮が忘れられず、薫との三角関係に悩む。それとも知らぬ薫は浮舟を京に迎える日を決め、無沙汰をわび、浮舟を思い遣る文を贈って来た。浮舟は懊悩を深める。
【関連歌】上0155、上0547、上1167、下2433
宮は、御馬にてすこし遠く立ち給へるに、里びたる声したる犬どもの、出で来て、ののしるも、いと、恐ろしく、「人少なに、いと、怪しき御歩きなれば、すずろならん者の、走り出で来たらむも、いかさまに」と、さぶらふ限り、心をぞ、惑はしける。
【付記】返事もくれない浮舟が気がかりで、深夜、宇治へと急ぐ匂宮とその従者たち。
【関連歌】上0765
誦経の鐘の、風につけて、きこえ来るを、つくづくと、聞き臥し給へり。
【付記】「浮舟」巻末尾、薫・匂宮との三角関係に悩んだ末に入水を覚悟した浮舟が母に宛てた歌。
【関連歌】上0050
公開日:2013年01月30日
最終更新日:2013年01月30日