高橋残夢 たかはしざんむ 安永四〜文政十二(1775-1851) 号:清園(すがぞの)・心月洞ほか

安永四年(1775)、京都室町に生まれる。名は正澄。通称、元右衛門。父は備中松山(今の岡山県高梁市)出身の富豪、平松正春。十四歳になる天明八年(1788)、京の大火に遭って室町の生家を焼失し、一家と共に備中に帰郷する。この年、同国笠岡の庄屋高橋家に懇望されて養子となった。やがて笠岡の丸山家の娘栄子を妻とする。
京と備中を往還し、初め鴨祐為に、のち香川景樹に和歌を学ぶ。熊谷直好木下幸文菅沼斐雄と共に桂園門下の四天王と称されるまでになるが、文政五年(1822)、讒言によって家産を没収され、備中を追われた。前年木下幸文が夭折していたため後継の指導者に請われ、大坂に出て幸文の歌塾を継ぐ。以後、山片重信・井上喜好ら富裕な門人の援助を受け、学問と歌道に専念した。文政十二年十月、剃髪して残夢を称す。晩年に失明するが和歌は詠み続け、「残夢さぐり書き」と呼ばれる短冊が残っている。嘉永四年(1851)二月二十七日没。七十七歳。墓は大阪の専念寺にある。
家集に『塵室草露』三巻、『心月詞花帖』二巻、『清園詞草』三巻、『清園後草』四巻、『残の夢』三巻(続日本歌学全書第十編所収)などがある。学問上の業績では殊に語源研究・言霊研究が名高い。著書に『国語本義』『国字定源』『言霊名義考』『和歌六体考』などがある。
以下には木村三太郎著『浪華の歌人』所収の残夢歌集(上記の家集より抄出したもの)より十首を抜萃した。

  4首  1首  1首  1首  3首 計10首

春水

山の端のかすむばかりぞ濁りける雪とけゆくか谷川の水

【通釈】山の端が霞のかかった程に不鮮明になっている。雪が融け、谷川の水となって流れてゆくのだろうか。

【補記】冬のあいだ積雪で白く鮮明に見えた山の稜線。春になり、山肌の雪が一部融け出した様を「濁りける」と言っている。その濁りから、雪解け水の清らかな奔流に想像を馳せたのである。

【参考歌】藤原範宗「道助法親王家五十首」「範宗集」
山の端のかすむばかりをみ吉野の雪間の草も春や来ぬらん

鶯告春

鶯の鳴きて告げつるあしたより春の心はさだまりにけり

【通釈】鶯が鳴いて季節の到来を告げた朝から、春の心は揺るぎなく定まったのであった。

【補記】類想歌は古来夥しいが、「春の心はさだまりにけり」と強く言い切って鮮やか。良寛の歌(下記参考歌)との類似は偶然の一致か。

【参考歌】素性「拾遺集」
あらたまの年たちかへるあしたより待たるるものは鶯のこゑ
  良寛「良寛和尚詩歌集」(相馬御風編)
鶯の声を聞きつるあしたより春の心になりにけるかも

春の夜の寝ざめに匂ふ梅が香の行方や夢の行方なるらむ

【通釈】春の夜、ふと目覚めると、閨のうちに梅の香が漂う――どこへとも知れず消えてゆくその香の行方が、いま見ていた夢の行方なのだろう。

【補記】醒めきらないまま夢のゆくえを追えば、風が運んできた梅の香がたちまち消えてゆくと共に、夢の名残もはかなく消えてしまった。春夜の梅を艶に歌い上げた、作者の代表作。

春月

我が影の道に映るもかすむまでのどかになりぬ春の夜の月

【通釈】道に映っている自分の影もかすむほど、春の夜の月はのどかになった。

【語釈】◇のどかになりぬ 月の光が霞や雲によって朧になったことを言う。

【補記】題詠歌の体裁をとるが、実際に歩きながら見た景、その印象を書き留めたかのように見える詠み方で、桂園派に特徴的な作風である。

【参考歌】小沢蘆庵「六帖詠草」
かへりみる都の山もかすむまで遠ざかりぬる淀の川舟

早苗

日の(かげ)(すげ)小笠(をがさ)のかたぶきて植ゑし早苗に夕風ぞ吹く

【通釈】昼間、日射しの強さに菅の小笠を斜めに傾けて、早乙女たちが植えた早苗――その早苗に今夕風が吹いている。

【補記】夕風に吹かれつつ、昼間に見た田植の状景を思い返している。「小笠のかたぶきて」は「小笠をかたぶけて」ということであるが、能動的な表現を避けた言い方。

〔題詞欠〕

ともすれば虫の声ふむここちして月の夜道は行きぞわづらふ

【通釈】ふとした拍子に虫の声を踏むような心地がして、月の照る夜道はかえって行き悩むのだ。

【補記】道端にまで蔓延る草の下で虫が鳴く。月夜とは言え虫の姿は草の蔭に隠れて見えないから、「虫の声踏む」は実感の籠った的確な表現であり、しかもなかなか洒落た修辞である。

しきたへの枕()ゆらにこぼれをる妹が黒髪見れど飽かぬかも

【通釈】枕のほとりにゆったりと豊かにこぼれているおまえの黒髪、それはいくら見ても見飽きないほど美しい。

【語釈】◇しきたへの 「枕」の枕詞。「しきたへ」は元来敷布のこと。

【補記】枕詞の歌い出しからして何とも艶である。「見れど飽かぬかも」は万葉集に特徴的な結句。桂園派の歌人が万葉調の句を用いた珍しい例である。

子を喪ひて

泣く宵は母が灯してなぐさめしその火のかげと見らんかなしも

【通釈】泣きやまない夜は、母が燈(あかり)をともして子の気持をまぎらせた――いま母はその同じ火影なのだと見て亡き子を思い出しているのだろう、悲しいことよ。

【語釈】◇見らんかなしも 見ているだろうことが悲しいなあ、の意。「見らん」は「見るらん」に同じ。「らん(らむ)」は現在推量の助動詞。掲出歌では「母」(作者にとっては妻)の現在の心中を推し量っていることをあらわす。

〔題詞欠〕

さえわたる月のほかにも悲しきは遠ざかり行くふるさとの山

【通釈】夜空に澄み渡る月のほかにも悲しいのは、その月明かりに照らし出され、遠ざかってゆく故郷の山である。

【補記】文政五年(1822)、それまで備中松山の庄屋として裕福な暮らしを送っていた作者は親類筋の讒訴によって領主に家産を没収され、追放処分を受けた。掲出歌は船に乗って故郷を離れる時の連作の一首。

月清み入江わかれて我が来れば山のあなたに波の音する

【通釈】月がさやかに輝く夜、入江を後にして私がやって来ると、山の彼方に波の音がしている。

【語釈】◇月清み この「み」は上代のミ語法と呼ばれ、形容詞の語幹に付いて理由・原因をあらわすのが本来の用法であるが、平安時代以後、形容詞連用形と同じ使い方がなされることが多くなる。掲出歌では「月の清きに」程の意味で用いているのだろう。

【補記】題は「月」とあるが、旅の歌であろうか。月の光を映していた入江は山の陰に隠れてしまったが、山を隔てて波の音がするという。再び見ることのない入江の美しさが幻想される、不思議な余情を湛えた歌である。


公開日:平成20年01月29日
最終更新日:平成20年01月29日