藤原良房 ふじわらのよしふさ 延暦二三〜貞観一四(804-872) 諡号:忠仁公

北家冬嗣の次男。母は藤原真作女、尚侍美都子。系図
天長三年(826)蔵人に任ぜられる。嵯峨天皇の寵を得て皇女潔姫を妻に迎える。仁明天皇即位後も順調に官位を進め、承和元年、三十一歳にして参議に抜擢された。同九年、大納言に昇進。同年、承和の変に際し伴健岑らを排除し、皇太子恒貞親王を廃して、甥にあたる道康親王の立太子に成功した。同十五年、右大臣。嘉祥三年(850)、道康親王が即位(文徳天皇)。斉衡四年、太政大臣従一位。天安二年(858)、文徳天皇が崩ずると、娘の明子所生の惟仁親王が即位(清和天皇)。貞観八年、応天門の変に際しては大納言伴善男を排除して摂政となる。貞観十四年、六十九歳で薨。白川に葬られた(この時素性法師が詠んだ哀傷歌がある)。正一位と忠仁公の諡号を贈られた。白河大臣・染殿大臣の称もある。
勅撰入集は古今集の一首のみ。

染殿の后のおまへに花瓶(はながめ)に桜の花をささせたまへるを見てよめる

年ふれば(よはひ)は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし(古今52)

【通釈】年を重ねたので齢は老いた。そうではあるが、美しい花を見れば、悩みなどありはしない。

【語釈】◇染殿の后 良房の娘、明子(あきらけいこ。828-900)。文徳天皇の女御、清和天皇の母。のち皇太后、太皇太后を称される。

【補記】染殿の后、すなわち娘明子(あきらけいこ)の御前の花瓶に挿した桜を見て詠んだという歌。桜の花は、天皇の母となった娘の隠喩であり、その栄華の隠喩である。

【他出】新撰和歌、枕草子、今昔物語、柿本人麻呂勘文、大鏡、定家八代抄、秀歌大躰、詠歌一体、三五記、桐火桶

【主な派生歌】
花の色の昔にかへる春なればこれをみるにも物思ひもなし(九条道家[新拾遺])


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成20年03月26日