上東門院中将 じょうとうもんいんのちゅうじょう 生没年未詳

父は左京大夫藤原道雅、母は山城守藤原宣孝の娘という。紫式部の孫にあたるか。
上東門院藤原彰子の女房。『栄花物語』に見える「少将の尼君」と同一人物とみる説があり、同書巻三十一によれば長元四年(1031)九月、上東門院の石清水・住吉詣に随行している。また永承六年(1051)頃の『六条斎院歌合』に見える道雅三位女と同一人物とする説がある。中古三十六歌仙の一人。勅撰集では、後拾遺集にのみ五首入集。そのうち四首までが長楽寺で詠まれた歌で、別名「長楽寺中将」ともいう。

長楽寺にすみ侍りけるころ、二月ばかりに人のもとに言ひつかはしける

思ひやれ霞こめたる山里の花待つほどの春のつれづれ(後拾遺66)

【通釈】思いやってください。霞のたちこめた山里にいる私が、花を待つ間どれほど退屈に過ごしているかと。都はもう花が咲いたでしょうが、ここはまだです。淋しいから訪ねてください。

長楽寺

【語釈】◇人 都にいる人。◇霞こめたる山里 単なる景でなく、霞がかかったような作者の心、物憂いような、鬱陶しいような気分を読み取るべきだろう。◇花まつほどの 桜の開花を待っている間の。一般に山里は平地より開花が遅いので、「つれづれ(手持ち無沙汰)」を「思ひやれ」と言う。

【補記】この歌は『経衡集』に見え、いずれが真の作者か不詳。

【ゆかりの地】長楽寺 京都市東山区円山町。桓武天皇の勅願により、最澄創建と伝わる。宗派は天台宗・浄土宗・時宗と変遷した。建礼門院徳子出家の地として名高い。

長楽寺に侍りけるころ、斎院より山里の桜はいかがとありければ、よみ侍りける

にほふらむ花の都の恋しくてをるに物憂き山桜かな(後拾遺92)

【通釈】桜が盛りに咲き匂っているだろう都が恋しくて、居ても心が晴れない山里の、手折っても心は晴れない山桜でございますことよ。

【語釈】◇をる 「折る」「居る」の掛詞。

【主な派生歌】
世をすつる我がすみぞめの袖ふれてをるもやさしき女郎花かな(慈円)


最終更新日:平成16年03月30日