源師頼 みなもとのもろより 治暦四〜保延五(1068-1139) 号:小野宮大納言

村上源氏。堀川左大臣俊房の長男。師教・師光の父。師時・師俊の兄。右大臣顕房は叔父。具親宮内卿は孫にあたる。
左中弁・蔵人頭などを経て、承徳二年(1098)、参議に任ぜられる。康和三年(1101)、正三位。大治五年(1130)、権中納言。同六年、権大納言従二位。長承二年(1133)、正二位。保延二年(1136)、大納言。同五年十二月四日、薨。七十二歳。
太皇太后宮寛子扇歌合・郁芳門院根合・内蔵頭長実歌合などに出詠。天仁元年(1108)、源俊頼を判者に招き自邸で歌合を主催。「堀河百首」作者。金葉集初出。勅撰入集二十五首。

堀川院御時百首歌たてまつりけるに、花歌

()のしたの苔のみどりも見えぬまで八重散りしける山桜かな(新古123)

【通釈】木の下の地面を覆う苔の緑も見えないほど、幾重にも散り敷いた山桜だなあ。

【補記】覆い隠された「苔のみどり」を言うことで、散り敷いた山桜の白さが引き立つ。長治二年(1105)から同三年にかけて堀河天皇に奏覧された堀河百首。

【主な派生歌】
木のもとに八重ちりしける桜花庭までつらき風の音かな(木下長嘯子)

杜若

かきつばた浅沢沼のぬま水に影をならべて咲きわたるかな(堀河百首)

【通釈】杜若(かきつばた)は浅沢沼の水面に影を並べて咲いているなあ。向こう岸までずっと。

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【語釈】◇かきつばた 晩春または初夏、アヤメに似た紫または白の花を咲かせる。◇浅沢沼 大阪の住吉神社近くにあったという沼。浅沢は万葉集以来の歌枕で、杜若の名所。「住吉の浅沢小野のかきつはた衣に摺り付け着む日知らずも」(万葉巻七)。

【補記】杜若の咲く風情を適確に捉えた歌。「浅沢沼」は万葉集の「浅沢小野」からの造語かとも思われるが、この花の咲くべき湖沼の名として如何にも相応しい。

堀河院御時、百首歌奉りける時、霧

吉野川わたりも見せぬ夕霧にやなせの浪の音のみぞする(続後撰315)

【通釈】吉野川には夕霧がたちこめ、渡り瀬も見えなくしている――その霧の中に、ただに簗瀬に寄せる波の音が聞えるばかりだ。

【語釈】◇やなせ 簗瀬。簗(やな)を設けた浅瀬。

【補記】堀河百首。『万代集』『歌枕名寄』にも採られている。

【主な派生歌】
朝ぼらけやなせのなみの音はしてわたりやいづこやすの川霧(藤原為家)

鷹狩

み狩すと楢の真柴をふみしだき交野の里にけふも暮らしつ(堀河百首)

【通釈】鷹狩をするというので、楢の雑木を踏みしだいて一日じゅう馬を駆り、今日も交野の里で夕暮を迎えてしまった。

【語釈】◇交野(かたの) 河内国の歌枕。今の交野市・枚方市あたりの平野。皇室の狩猟地。伊勢物語八十二段、惟喬親王・在原業平らが交野で狩をしたとの話は著名。

【補記】「楢の真柴をふみしだき」は冬枯れの狩場のさまを髣髴とさせ、鷹狩の雄壮さもよく出ている。冬の風物であった「鷹狩」の題意をよく満たした一首。

【参考歌】源重之「後拾遺集」
夏刈の玉江の葦をふみしだき群れゐる鳥の立つ空ぞなき
  源俊頼「堀河百首」
日かげさす豊の明のみかりすと交野の小野にけふも暮らしつ

【主な派生歌】
御狩すととだちの原をあさりつつ交野の野辺にけふも暮らしつ(藤原忠通[新古今])


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成20年12月27日