楊梅兼行 やまももかねゆき 建長六〜没年未詳(1254-1304以後)

大納言藤原道綱の裔。正四位下左中将親忠の子。母は為経女。姉妹に伏見院新宰相がいる。従二位兵部卿兼高ほかの父。
持明院統近臣。侍従・左少将・右中将・左兵衛督などを歴任し、伏見天皇の正応五年(1292)三月、従三位に叙され公卿に列する。永仁二年(1294)三月、正三位。同六年十月、民部卿。後伏見天皇の正安元年(1299)三月、従二位に至る。嘉元二年(1304)、後深草院の崩御に際し出家。この時五十一歳。
前期京極派歌人。伏見院の春宮時代、飛鳥井雅有世尊寺定成らと共に側近として歌道に仕えた。永仁元年(1293)八月十五日の伏見天皇内裏御会、永仁五年(1297)八月十五夜歌合、正安元年(1299)三月の五種歌合、乾元二年(1303)佐渡配流から赦免され帰京した京極為兼を迎えての仙洞五十番歌合など、京極派の歌会・歌合に出詠。篳篥の名手でもあった。家集『兼行集』がある。新後撰集初出。勅撰入集十八首。

  2首  2首  1首  1首  1首  5首 計12首

春曙の心をよみ侍りける

山もとの霞のそこのうす翠あけて柳の色になりぬる(玉葉91)

【通釈】山裾に立ちこめていた霞の底はうっすら緑色に染まっていたが――明るくなってみれば、柳の新芽の色になったよ。

【補記】暁から曙にかけて、次第に姿影を鮮明にしてゆく柳。光と形相の微妙な変化に対する京極派の好尚がはっきり現れている。

花の歌の中に

さかりとは昨日もみえし花の色のなほ咲きかをる木々のあけぼの(風雅194)

【通釈】昨日も盛りと見えた桜の木々だが、今日の曙に映えて、更に色美しく咲き薫ることよ。

【補記】曙光にほのぼのと映える桜は京極派の好んだ趣向。「木々のあけぼの」は兼行自慢の秀句だったか、五種歌合にも「花の跡はさびしかるべき春の色をかすみに残す木々の明ぼの」と用いている。

題しらず

夏の日の夕かげおそき道のべに雲ひとむらの下ぞすずしき(風雅431)

【通釈】遅々として夕暮れてゆく夏の日、道のほとりに、一叢の雲の影――その下に入れば、涼しいことよ。

【補記】暑さ涼しさの感覚を伝統的な趣向によらず、ごく現実的日常的な題材と設定で以て描き出している。そこが京極派らしさ。

六帖題にて人々歌つかうまつりけるに、なごしのはらへ

風わたる川せの波の夏はらへ夕ぐれかけて袖ぞすずしき(玉葉447)

【通釈】風吹き渡る川の浅瀬の波に麻の葉を流して、夏祓のみそぎをする――夕暮になって、袖が涼しいことだ。

【補記】古今和歌六帖の題を用いて詠んだ作。「なごし(夏越)のはらへ」は六月晦日に行なう大祓。麻の葉などを流して身を浄めた。「夕ぐれかけて」の「かけて」は波の縁語ゆえ、袖にかかる波しぶきのイメージなどが伴う。

【参考歌】藤原為氏「続古今集」
風わたる川瀬の水のしがらみになほ秋かけてのこる紅葉ば

三十首歌めされし時、深夜月を

庭しろくさえたる月もややふけて西のかきねぞ影になりゆく(玉葉707)

【通釈】庭に白く冴え冴えと照っていた月も、夜が更けるとともに次第に傾いて、西の垣根のあたりが陰になってゆく。

【補記】庭の西側の垣根の向うに月が隠れたのである。月の歌でことさら「西」を言う場合、西方浄土を暗示するのが和歌の通例であったが、この歌の「西のかきね」にそうした象徴性は見出せず、いわば即物的な用い方をされている。

雪をよみ侍りける

ふりおもる軒ばの松は音もせでよそなる谷に雪折れの声(風雅836)

【通釈】軒端の松には雪が降り積もり、枝が重たげにしなっているが、音は立てもしない。かと思えば、遠くの谷からは雪折れの響きがして。

題しらず

あらばもしの頼みもいつぞ憂さをのみ見きく命のはてぞかなしき(玉葉1725)

【通釈】「生きていればもしや…」との望みもいつまでのことだったか。辛いことばかりを見聞きして過ごし、このまま命の果てはどうなるかと思えば悲しい。

【補記】「あらばもし」の後に「逢ふ夜ありや」などが略されている気持。「憂さ」は、恋人の冷たい態度によって辛い思いをすることを言う。正安元年(1299)三月の五種歌合、三十番右持、第五句「はてもかなしき」。

夕旅といふことを

おくれぬとけさは見えつる旅人の宿かる野べに声ぞちかづく(玉葉1174)

【通釈】我々よりも後れたと今朝は見えた旅人たちが、夕方になった今追いついたらしい。宿を借りようと支度する野辺に、声が近づいて来る。

海辺眺望といふ心を

みぎはちかく見えつる舟の行末はうかぶ木の葉の波のをち方(玉葉2101)

【通釈】渚近くに見えていた舟の行方を追えば、最後には木の葉のように小さくなって波の彼方に浮かぶことだ。

三十首歌めされし時、暁雲を

星のかげもそなたはうすきしののめに山のは見えて雲ぞわかるる(玉葉2139)

【通釈】星明りも、白みはじめた東の空ではうっすらと消えかかっている明け方――やがて山の端が見え始めたと思えば、雲が峰を離れ立ちのぼってゆくのだ。

【補記】「しののめ」は東の空がわずかに白み始める頃。嘉元元年(1303)伏見院三十首。

雑歌に

川むかひまだ水くらき明ぼのにいづるか舟の音ぞきこゆる(風雅1728)

【通釈】川向こうはまだ水が暗く見える曙――出航してゆくのだろうか、舟の音が聞こえる。

【補記】「舟の音」とは、水面を叩く櫂の音などであろう。

おきてみれば窓の光はつれなくて夜深き雨の音ぞ過ぎぬる(兼行集)

【通釈】起きてみると、窓の外は一向に明るくなる様子もなく、ただ深夜の雨の音が通り過ぎていった。

【補記】明るく晴れた朝を待望する気持が裏切られたことを「つれなし」と言っている。「明けぬやと寝ざめてきけば秋の夜のさもまだふかき鐘の音かな」(伏見院)、「鐘の音にあくるか空とおきてみれば霜夜の月ぞ庭しづかなる」(後伏見院)など、寝覚という日常の一齣を詠じた作例は京極派に少なからず見られる。寝覚とは、いかなる妄念雑念からも解き放たれた、いわば虚心の一瞬である。


最終更新日:平成15年02月10日