後花園院 ごはなぞののいん 応永二十六〜文明二(1419-1470) 諱:彦仁

伏見宮貞成親王(後崇光院)の第一皇子。母は敷政門院幸子(庭田経有女)。観心・成仁親王(後土御門天皇)の父。貞常親王の同母兄。
正長元年(1428)、称光天皇が嗣子を儲けぬまま崩ずると、皇位が南朝系に移るのを恐れた幕府に推され、立太子を経ず後小松院の猶子となり践祚した。この時十歳。翌永享元年(1429)十二月二十七日、即位。はじめ後小松院の院政下にあったが、永享五年(1433)後小松の崩後、親政を執った。在位三十六年。寛正五年(1464)七月十九日、皇子成仁親王(後土御門天皇)に譲位し、院政を開始した。応仁元年(1467)に勃発した応仁の乱に際しては、細川勝元からの再三の西軍追討綸旨の要求を拒絶して中立を保つ。同年末には出家を遂げ、乱の責任を一身に背負ったと世人に称賛された。文明二年(1470)十二月二十七日、崩御。宝算五十二。陵墓は後山国陵(京都府北桑田郡京北町大字井戸字丸山)。諡号ははじめ後文徳院、のち後花園院に改めた。
「永享百首」下命者にして作者。永享五年(1433)八月二十五日、十五歳の時、飛鳥井雅世に第二十一代勅撰集新続古今集の撰進を下命。足利義政の執奏により第二十二代の勅撰集撰進も企画したが、応仁の乱が勃発して成らなかった。著に『後花園院御集』『後花園院御文庫類』などがある。勅撰入集は新続古今集の十二首。『東野州聞書』(堯孝歌話)にも多くの御製を載せている。飛鳥井雅親雅康らを和歌の師とした。漢詩・管弦・蹴鞠・絵画にも堪能で、学問にも秀でた。

  3首  2首  1首  3首  2首 計11首

梅風

このごろの風のにほひになしはてて花にはうすき四方の梅が香(御集)

【通釈】そこら中に満ち満ちた梅の芳香よ――この頃吹く風の匂いになりきってしまって、花自体には香が薄く感じられる。

【参考歌】正徹「草根集」
うつりきて軒端の花に成りにけり嵐にふかきよもの梅が香

帰雁

恨みじなおのが心の(あま)つ雁よそに都の春のわかれも(御集)

【通釈】不平は漏らすまいよ。自分の心から春を捨てて、遠目に花の都を眺めながら去ってゆく雁との別れには。

【補記】「よそに都…」に「よそに見」を掛けている。

【参考歌】津守棟国「新後拾遺集」
なきて行く声ぞきこゆる春の雁わかれはおのが心なれども

八重桜

はなに花なびきかさねて八重桜しづえをわきてにほふ比かな(御集)

【通釈】花に花が靡き重なって、八重桜は下枝がとりわけ色美しい頃であるなあ。

【補記】満開の八重桜。花の重みで枝が撓い重なり、下枝の方が色濃く見えるのである。文明二年(1470)十一月の五十首。崩御前月の御製。

八重桜 鎌倉妙本寺にて
八重桜

百首歌めされし次に、更衣の心を

けさよりは袂もうすく立ちかへて花の香とほき夏ごろもかな(新続古今221)

【通釈】今朝からは、袂も薄いものに替えて、桜の花の香はすっかり遠くなった夏衣であるなあ。

【補記】桜色に染めた春衣を脱ぎ替える時、花の追憶も遠ざかるのである。初出は新続古今集の応製百首「永享百首」(続群書類従三百八十三に「後花園院御百首」として収録)、作者十五歳。

【先蹤歌】足利尊氏「等持院百首」
きのふこそ春はくれしにぬぎかへて花の香とほき夏ごろもかな

百首歌めされしついでに、聞郭公と云ふことをよませ給うける

月も今み山出づらしほととぎすふけゆく空に声のきこゆる(新続古今256)

【通釈】月も今深山を出て天に昇るらしい。時鳥の声が更け行く空に聞こえる。

【補記】「永享百首」。

【本歌】平兼盛「拾遺集」
み山いでて夜はにやきつる郭公暁かけてこゑのきこゆる

波月

くだけちる千々のこがねの波なれや岩根にかかる磯の月かげ(御集)

【通釈】千々に砕け散った黄金の波なのだろうか――海辺の岩に寄せかかる月の光よ。

【補記】文明元年(1469)十二月の御独吟百首。最晩年の御製。

白地恋

袖ぬらすほどだにもなし朝顔の花をかごとのあけぼのの露(御集)

【通釈】袖を濡らすにも足りない程だ。朝顔の花に儚い別れを恨む、曙の露よ。

【語釈】◇白地恋 「白地」は「あからさま」と訓読する。すなわち題意は「かりそめの恋」「ほんの一時の恋」といったところ。◇かごと 下記源氏物語の歌を踏まえた表現で、「恨み言」程の意。

【補記】かりそめの逢瀬に、流す涙も朝顔の露ほどの儚さだと嘆いた。文明元年(1469)の御独吟百首。

【参考歌】「源氏物語・夕顔」
ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかごとを何にかけまし

暁恋

おちそひてあはれのこさぬ涙かな寝覚や恋のかぎりなるらん(御集)

【通釈】次から次に落ち続けて、悲しみも尽き果てる涙であるよ。寝覚が恋の苦しみの極限なのだろうか。

【補記】最晩年、文明二年の五十首歌。

【参考歌】和泉式部「新勅撰集」
夢にだに見で明かしつる暁の恋こそ恋のかぎりなりけれ

寄木恋

たのまめやことのははそのうす紅葉あだに散り来るなげのなさけは(御集)

【通釈】あてにするものか、あの人の言葉など。柞(ははそ)の薄紅葉がはかなく散り来るような、かりそめの情けなどは。

【補記】第二句、「ことのは」「ははそ」を言い掛けている。「ははそ」はコナラ・クヌギなどの雑木の称。晩秋、黄色から褐色に紅葉する。長禄二年(1458)の御百首。

霞 寛正四年閏六月

松ばらの嵐やよわるほの見てし尾上の緑またかすむなり(御集)

【通釈】松林を吹き渡る嵐が弱まったのだろうか。さっきまでほのかに見えていた尾根の緑が、再び霞んでいる。

【補記】春の嵐の景。「尾上(をのへ)」は山の峰つづきのなだらかな高所を指して言う語。寛正四年(1463)、四十五歳の御製。

独述懐

思へただ空にひとつの日のもとに又たぐひなく(むま)れこし身を(御集)

【通釈】ひたすらに思え、空に太陽がたった一つだけあるように、天下に一つだけの日の本――その国で、さらにまた類無い立場に生まれて来た我が身を。

【補記】制作年未詳の御独吟百首の雑。「たぐひなく生れこし身」は天皇という至尊の立場に生まれついた我が身を言う。


最終更新日:平成16年09月13日