延政門院新大納言 えんせいもんいんのしんだいなごん 生没年未詳 別称:延政門院高倉

大納言藤原為氏の娘。為世の姉妹。延政門院(後嵯峨院皇女)に仕える。
乾元二年(1303)閏四月、佐渡から帰京して間もない京極為兼を迎えての仙洞五十番歌合など、京極派の歌合に出詠。正和四年(1315)四月、為兼が春日社に奉納した和歌の作者となっている。以後の消息は不明。玉葉集初出。勅撰入集は計九首。

亀山院より召されける秋十首歌の中に

をぐら山秋とばかりの薄紅葉しぐれて(のち)の色ぞゆかしき(玉葉766)

【通釈】小倉山は、秋とは名ばかりのまだ薄い紅葉。もう一時雨ふた時雨した後の色が見たいものだ。

【語釈】◇をぐら山 山城国の歌枕。桂川を挾んで嵐山と対する。紅葉の名所。古歌では「小暗(をぐら)し」の意を掛けて用いることが多い。

【補記】亀山院に命じられて奉った秋十首歌の中の一首。時雨に濡れて紅葉は色を増すと考えられた。

野暮秋

咲きわけし花の名はなほ知られけり秋の末野の霜枯れの頃(三十番歌合)

【通釈】色とりどりに咲いていた花の名は今もなおそれと知ることができるよ。晩秋の野末の霜枯れする頃になっても。

【補記】「秋の末野」は「秋の末」「末野」を接合した言い方。花が咲き乱れていた秋の野の鮮明な記憶あればこそ、霜枯の野にも「花の名」を知り得る。正安二年(1300)〜嘉元元年(1303)頃の三十番歌合、十五番左負。判詞に「咲きわけし花の名はなほしられけり、と侍る如何。聞きおほせ侍らず」とある。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
みどりなるひとつ草とぞ春は見し秋はいろいろの花にぞありける

雪後雨といふことを

今朝のまの雪は跡なく消えはてて枯野(かれの)の朽葉雨しほるなり(玉葉987)

【通釈】今朝の間に降った雪は、跡形もなく消え果てて、枯野に散り敷いた朽葉を雨がしとどに濡らす音が聞こえる。

【補記】「しほる」は「びっしょり濡らす」程の意。「なり」は所謂伝聞推定の助動詞。

伏見院五十番歌合に、恋夕を

いかにせむ雲のゆくかた風のおと待ちなれし()に似たる夕べを(風雅1278)

【通釈】どうしよう。雲の流れて行く方向といい、吹きつける風の音といい、恋人を待ち慣れた夜にそっくりな今日の夕を。

【補記】乾元二年(1303)閏四月の歌合、四十八番左持。

忍恋の心を

見し夢をわが心にも忘ればや問はずがたりに言はれもぞする(玉葉1265)

【通釈】あの人と逢った夢を、自分の心の中からも忘れ去ってしまいたいものだ。聞かれもしないのに、嬉しさからついお喋りしてしまいそうだから。

題しらず

山人(やまびと)の真柴にまぜてさす尾花(をばな)風吹かねどもまねきてぞ行く(玉葉2275)

【通釈】山人の背負う雑木の束にまぜて挿してある薄――風は吹かなくても、歩くにつれて招くように靡きながら行く。

【補記】山人は、山または山里に住み、山でとれるもの(木や獣)によって生計を立てていた人々。木こり・猟師・炭焼などをひっくるめて言う。山住いの人々のさりげない風流に着目した歌は、「山人の爪木にさせる岩つつじ心ありてや手折りぐしつる」(慈円『拾玉集』)など、新古今時代から作例が多くなる。


公開日:平成14年11月02日