道臣命
みちのおみのみこと
- 生没年 未詳
- 系譜など 伴氏系図によれば天忍日命の曾孫。もとの名は日臣命(ひのおみのみこと)。
 |
築坂邑伝称地の碑 |
- 略伝 神武即位前戊午年6月、神武天皇東征のとき、大来目部(記では大久米命)を率いて熊野山中を踏み分け、宇陀までの道を通す。この功により道臣(みちのおみ)の名を賜わる。同年8月、天皇の命をうけ、菟田県の首長兄滑(えうかし)を責め殺す。同年9月、神武天皇みずからが高皇産霊尊の顕斎を行う際、斎主となり「厳媛(いつひめ)」と名付られる。同年10月、大来目らを率い、国見丘の八十梟師(やそたける)の残党を討伐する。辛酉年、大来目部を率い、諷歌倒語(そえうたさかしまごと)を以て妖気を払う。神武即位の翌年には、築坂邑(橿原市鳥屋町付近)に宅地を賜わる。
大伴氏の歴史へ|系図へ|やまとうた 道臣命の歌へ