藤原朝臣三岡
ふじわらのあそみみおか
- 生没年 ?〜764(天平宝字8)
- 系譜など 『尊卑分脉』によれば久須麻呂と山縵女王の間の子。藤原仲麻呂の嫡孫、三島王の外孫。
- 略伝 758(天平宝字2)年、父久須麻呂は恵美朝臣を賜姓される。天平宝字8年9月、久須麻呂は押勝の乱に加わって宮中で射殺される。『尊卑分脉』によれば子の三岡もこの乱で誅されたという。同書に従五位下とするが、父は死去の際30代だったと思われ、三岡が官位を有するほどの年齢に達していたかどうか疑問(ただし仲麻呂の嫡孫として特に優遇された可能性はあろう)。
天平宝字4年から同6年頃、久須麻呂は大伴家持と歌を贈答(04/0786〜0792)し、家持の娘を息子に娶らせたい意向を伝えたことが窺える。この息子はあるいは三岡だったか。(→大伴家持全集本文編の末尾を参照下さい)。
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