大伴連馬来田
おおとものむらじまぐた
- 生没年 ?〜683(天武12)
- 系譜など 咋子の子。道足の父。名は望多・望陀にも作る。
- 略伝 672(天武1)年6月24日、大海人皇子の東国入りに際し、菟田の吾城(あき)において皇子の一行に追いつき、以後従駕する。公卿補任には天武朝の大納言として名が見える。683(天武12)年に薨ずると、天皇はこれを大いに驚き、壬申の功臣として称え、大紫位を贈位した。701(大宝1)年7月21日文武天皇の勅に、壬申功臣として賜った功封100戸のうち4分の1を子(道足)に相伝する旨見える。
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