ゲストブック(やまとうた・はるのゆき芳名帳)

足跡を残して行って下されば幸いです。

掲載に不適当と判断した投稿は予告なく削除することがあります。

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 はじめまして。    ..ペンギン    
      2007/11/03(土) 19:38  No.1371
 
 
 平安文学系のページをあちこち見ていたらこのページを見つけました。ネット上でこんなにも古典研究の意見交換が活発だとは知りませんでした!!
 私は源氏物語を勉強しています。よく和歌でつまずくので、そんなときにこのページを覗いてみたいと思います。今も「松が浦島」・「浦島」で悩んでいます。源氏物語以前の用例が少ないので用例分析もうまくいかなくて…。


 訪問御礼    ..水垣    
        2007/11/05(月) 17:22  No.1372
 
 
はじめまして。管理人の水垣です。ご訪問ならびにご投稿ありがとうございます。
当サイトは「古典研究の意見交換が活発」なサイトとは言えないと思います。いわゆる古典愛好家の方々とは割と活発に交流している方だと思いますが、研究者の方々との交流はほとんどありません。
ともあれ、何らかの形でお役に立てましたら幸いです。和歌の用例の件につきましては、御存知かと思いますが、下記サイトや、CD-ROM版の新編国歌大観が便利だと思います。

http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_kigo_search.html

例えば「松が浦島」の語を含む歌を調べたい場合、「まつかうらしま」(濁点つけない)で検索しますと、何件かの歌がヒットすると思います。



 地名考古学を研究しています。    ..今井欣一 [URL]    
      2007/10/11(木) 12:06  No.1368
 
 
 和歌や俳句で、もっとも重視されるのが韻をふむ音律です。この『倭語の音律』が形成されたのは、縄文時代前期以前と推定できます。『日本語の源流をたどる』と題した本サイトは、地名、とくに縄文〜弥生時代に名づけた可能性が高い自然地名(峠、岬、島など)を中心にすえて、地名と言葉の解釈法をはじめ、倭語の基本法則を探求しております。宜しかったら、ご来訪ください。(リンクを希望いたします)

 Re:地名考古学を研究しています。    ..水垣    
        2007/10/14(日) 23:42  No.1370
 
 
ご訪問ありがとうございます。少し前に同内容のメールを頂きましたので、その時御サイトは拝見しました。興味をおぼえるところがありましたが、今はじっくり拝読する時間がありません。
リンクの件ですが、当サイトのリンク集は厖大になり過ぎ、管理上の問題から、相互リンクは受け付けておりません。ご希望に添えず、お詫び申し上げます。



 感激です    ..大志    
      2007/10/10(水) 20:21  No.1365
 
 
 はじめまして。古語辞典を開くのが面倒で、ネットで検索をしていたら、こんな素晴らしいサイトにめぐり合いました。

 膨大な資料と分かりやすい説明。これから大いに利用させていただきます。

 私は短歌を始めて十五年余りになりますが、文法や仮名遣いには苦労しています。これからも何かと宜しくご指導ください。


 訪問御礼    ..水垣    
        2007/10/14(日) 23:41  No.1369
 
 
はじめまして。ようこそおいで下さいました。ご投稿、励みとさせて頂きました。
リンクのご報告もありがとうございます。活用して頂ければ幸いです。
短歌を長くやっておられるのですね。「和歌のための文語文法」のコーナーは、私も歌を作るものですから、自分のための便覧として作ったようなものです。まだ不十分なものですが、ご意見を頂いて少しでも良いものにしてゆきたいと思っております。今後ともご愛顧頂けますと幸いです。



 失礼しました    ..大志 [URL]    
      2007/10/11(木) 10:51  No.1367
 
 
 私のHPのURLを書き忘れました。


 リンク    ..大志    
      2007/10/11(木) 10:43  No.1366
 
 
 勝手ながら「助詞の種類と機能」を私のホームページにリンクさせていただきました。


 無題    ..業平もどき    
      2007/10/09(火) 05:21  No.1363
 
 
ありがとうございました。とても勉強になりました


 枕詞    ..業平もどき    
      2007/10/06(土) 16:04  No.1359
 
 
お久しぶりです。
しばらく和歌は書いていなかったのですが最近枕詞を使った歌を試しに作ってみたのですが、
たとえば石走るの次に滝などの決められた言葉がすぐに来なければいけないのでしょうか?
石走る 落ちたる滝 ではだめでしょうか?

それともう一つ月の枕詞を使って歌を作ったのですが
久方の月は などとまとめて入れてしまっても良いのでしょうか?
答えを教えていただければ幸いです。


 Re:枕詞    ..水垣    
        2007/10/07(日) 23:40  No.1362
 
 
お久しぶりです。

>たとえば石走るの次に滝などの決められた言葉がすぐに来なければいけないのでしょうか?

原則的には「来なければいけない」(それでないと「枕詞」にならない)と言えると思いますが、実際のところ、例外的な用例はあります。「若草の その妻の子は」「うばたまの その夜の月夜」など、枕詞と被枕(枕詞を冠せられる語)との間に「その」などの指示代名詞が入るのはさほど珍しくありません。「ぬばたまの ながき夜も…」のように形容詞が挿まれた例もあります。今思い浮かぶのはこの程度ですが、枕詞と被枕の間に何語も入るような例は多分なかったと思います。

>それともう一つ月の枕詞を使って歌を作ったのですが
>久方の月は などとまとめて入れてしまっても良いのでしょうか?

七音の句の中に枕詞と被枕をまとめて入れてもよいのか、ということですね。これも数は少ないですが、あることはあります。

 秋の夜のひかりさやけき尋ぬれば雲間にみゆる久方の月

平安時代の「大斎院前の御集」という歌集に入っている歌です。ほかにも幾つか例はあり、人によっては結構柔軟な使い方をしていたようです。



 秀真/HO-TSU-MAと申します    ..七海 叶 [URL]    
      2007/10/03(水) 01:37  No.1358
 
 
はじめまして。
すてきなHPを拝見し、御礼にかえて足跡を記してゆきます。
鎌倉在住で大和魂音楽ユニット「秀真/HO-TSU-MA」として活動
しております。
貴サイトに深く感銘を覚えて、新たな創作意欲の沸き立つ思い
です♪
これからも、時季をみて好い刺激を受けに、訪れさせて頂きた
く存じます。<(_ _)>

秀真/HO-TSU-MA 産女 七海叶  拝。


 訪問御礼    ..水垣    
        2007/10/07(日) 23:00  No.1361
 
 
はじめまして。管理人の水垣です。
足跡ありがとうございます。コメントを励みとさせて頂きました。
いつか「秀真/HO-TSU-MA」さんの演奏をお聴きする機会があることを願っております。
ぜひまたどうぞおいで下さい。



 お久しぶりです    ..ぱぐ [URL]    
      2007/09/27(木) 21:28  No.1357
 
 
昨年10月に千葉県我孫子市から東京都東村山市に
引っ越しました。

今、エクセル・ワードの基礎を習いに府中に通って
いるのですが、教室に行く途中で大國魂神社を通り
ます。今日明日は「栗まつり」という秋のお祭りな
のだそうで、絵が描かれた行灯が並んでいました。

お祭りの説明はこちら↓。写真もあります。
http://www.ookunitamajinja.or.jp/matsuri/kuri.php


 Re:お久しぶりです    ..水垣    
        2007/10/07(日) 22:51  No.1360
 
 
ぱぐさん、お久しぶりです。花筵の方へもご投稿ありがとうございました。
引越しされたとのこと。一年経って、そろそろ新しい土地にもお慣れのことでしょう。
東村山と言えば、子供の頃遊びに行った多摩湖を懐かしく思い出します。今も自然が豊かな土地なのでしょうか。

大國魂神社の栗祭り、随分長い歴史のあるお祭なのですね。リンク先の写真を見ますと、夜などは趣がありそうです。
栗の美味しい季節になりましたね。



 どこからか    ..アゲハ    
      2007/09/16(日) 23:46  No.1355
 
 
手打ちがねや、笛、太鼓の音が風に乗って幽かながら響いてくるようになりました。
秋祭りのお稽古かもしれません。
鉦とか太鼓などは強弱はつけられても高低がない打楽器ですから、メロディーの要は横笛なんですけれど、聞き惚れるくらい雅です。
女の舞いではありませんけど、秋風楽を連想しまして....。


 秋祭り    ..水垣    
        2007/09/21(金) 00:37  No.1356
 
 
秋祭りの季節ですね。
鎌倉の鶴岡八幡宮でも先日が例大祭でした。ずいぶん前から、前景気をあおるようにお神楽が山の向うから響いていました。
16日は流鏑馬でした。私は人出のピークを避けて夕方頃家族と出かけて、巫女さんの神楽舞を見物しました。夜道を帰って来る間も、お神楽は秋風に運ばれて鳴りつづけ、我が家に着くまで送ってくれるようでした。
秋の花も盛りを迎えましたね。写真は(ピンボケですが)庭の萩(江戸絞り)です。



 動詞    ..Ohtsu K. [URL]    
      2007/09/08(土) 22:40  No.1353
 
 
私は家庭教師でもあるので、古典文法を教える機会も結構あるのですけど、文語文法のご解説は大変勉強になります。上二段と四段の両方で活用するとか、自動詞と他動詞の形が同じとか、和歌を作る為でなくとも、入試で屡々出題される処です。

亦、丁寧な紹介文と共にリンクもして戴き、ありがとうございました。先日、気多神社を参拝して来ました。どちらかと云うと、大伴家持神社の方が目当てでしたが。もう少し撮ってから、公開しようと思っております。


 Re:動詞    ..水垣    
        2007/09/09(日) 22:42  No.1354
 
 
リンクの件はこちらからご報告に伺おうと思っておりました矢先、ご投稿ありがとうございました。
気多神社と大伴家持神社、懐かしく思い出します。私が参りました時は大雪のあとで、ひときわ印象深く記憶に刻まれております。

古典文法、拙サイトのは和歌を読み・詠むために作り始めたもので、「文語文法入門」と言いましてもやや特殊なものと思いますが、受験勉強などにもお役に立てるのでしたら幸いです。



 式子内親王 拝読いたしました。    ..招き猫    
      2007/08/20(月) 14:43  No.1347
 
 
水垣様

今年の暑さは大変なものですが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、千人万首の式子内親王、大変嬉しく拝見いたしました。
通釈、語釈が付けられたのを今しがた拝見して、感激のあまりご連絡いたしました。
100首への解釈書き込みに感謝し、労をねぎらうとともに、心から御礼申し上げます。

暑さの折、ご体調など崩されませぬようお元気でお過ごしくださいませ。

かしこ

写真 蝉時雨ふる御社にて




 残暑御見舞    ..水垣    
        2007/08/24(金) 10:36  No.1350
 
 
関東地方は昨日今日少し楽ですが、呆れるばかり暑い日が続きましたね。

千人万首の式子内親王、早速ありがとうございます。
訳注などはまことに不十分なものですが、今回は普及している注釈書の明らかな誤りを見つけたりもできました。何かのお役に立てて頂ければ幸いです。

写真は夏のご旅行先でしょうか。相変わらずお忙しいことと思いますが、くれぐれもご自愛くださいますよう。

(写真は浄妙寺というお寺のおみなえしです。)


 Re:残暑御見舞    ..一人静    
        2007/08/30(木) 11:05  No.1351
 
 
水垣様、招き猫様、ご無沙汰しています

式子内親王様・・・と聞いては見せていただかないわけにはいきません

こちらのサイトでご縁をいただき、印象深い人となっています

これを機会に再読させていただき、楽しませていただきます

この夏に石鎚の奥に咲くキレンゲショウマの花を見に行きました
あいにくの雨でしたが、花は雨が降れば雨に打たれるまま、美しく咲いていました

 降り続く雨に打たれる花房のなおうつむきて黄の色の美し


 Re:残暑御見舞    ..水垣    
        2007/09/06(木) 23:39  No.1352
 
 
一人静様、お久しぶりです。

そう言えば去年の冬でしたか、当ゲストブックで、一人静様のご投稿がきっかけだったでしょうか、式子様の話題で盛り上がったことがありましたね。
その時私は石丸晶子著「式子内親王伝」を読みますと書いておいて、今回の更新に際して読むぞと思っていたのですが、結局いまだに読んでおりません(^^;
読みたい本の多さに対する、読書に取れる時間の比率が、極小に近づいているこの頃です。

珍しいお花の写真とお歌をありがとうございます。関東では見られない植物だったと思います。清らかな黄色、ちょっと他の黄花とは違う、天上的な美しさを感じます。私も一度は見に行きたいものです。

ただいま台風接近中です。皆様のご息災をお祈りいたします。

(写真は庭の酔芙蓉です。朝に白く咲き、昼には薄紅にうつろい、夕には紅色に萎れてしまいます)



 台風一過    ..アゲハ    
      2007/07/15(日) 21:46  No.1344
 
 
まだ梅雨も明けず、清々しさは流石にありませんが、さしたる被害も蒙らず、曇天のきょうは穏やかに過ぎました。

皆様の処は如何でしたでしょう。

吹き荒るる野分をよそに十重二十重
            帳閉ざさむ君と籠りて

(君)が猫ってのも悲しいですが.........。


 残暑御見舞    ..水垣    
        2007/08/24(金) 08:42  No.1349
 
 
異常な猛暑が続いておりますが、お変わりありませんか。
昨日今日あたり、雨雲のかかるところが多く、炎暑も一休み、ほっと一息つかれている方も少なくないのではと思います。すぐにまた厳しい残暑が戻ってくるようですが。

 ぬばたまの妹が黒髪うちたれて青き帳も涼しかりけり

黒猫は何となく涼しげで良いですね。我が家の黒犬は暑さに参っているようです。



 ありがとうございました    ..燕翁    
      2007/07/10(火) 18:53  No.1341
 
 
先日は小馬命婦についてお調べいただきありがとうございました。むらじ様にも興味あるお話を伺いました。
ところで、水垣さんに教えていただいた、後拾遺集の歌ですが、これが清少納言の娘の小馬命婦の歌だとするとちょっと面白いですね。というのは、この詞書に出ている為家が、高階為家で1038年生まれだとすれば、彼は大弐三位と高階成章の間にできた子ども、つまり紫式部の孫ということになります。つまり、この後拾遺集の歌は、清少納言の孫に代わって娘が紫式部の孫に送った歌ということになりますね。
ちょっと、この詞書も含めた背景と解釈がイマイチよくわからないのですが、ご教示いただけますか?たびたび恐れ入ります。
>後拾遺集908
   為家朝臣、物言ひける女にかれがれになりてのち、
   みあれの日暮にはと言ひて葵をおこせて侍ければ、
   むすめにかはりてよみはべりける    小馬命婦
その色の草とも見えずかれにしをいかにいひてか今日はかくべき


 Re:ありがとうございました    ..水垣    
        2007/08/23(木) 00:34  No.1348
 
 
好敵手だった二人の親族が意外なかかわりを持ったのですね。
そう言えば、百人一首で有名な清原元輔の歌、

 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは

この歌は『惟規集』という家集に「をんなに」の詞書を添えて載っており、元輔が藤原惟規(?-1011)のために代作したものだろうと言われています。惟規は紫式部の弟です。こちらは、清少納言の父が紫式部の弟のために恋歌を代作してやっているのですね。

>後拾遺集908
>   為家朝臣、物言ひける女にかれがれになりてのち、
>   みあれの日暮にはと言ひて葵をおこせて侍ければ、
>   むすめにかはりてよみはべりける    小馬命婦
>その色の草とも見えずかれにしをいかにいひてか今日はかくべき

「みあれ」は御阿礼とも書きますが、賀茂祭における神招きの神事です。賀茂祭には葵の葉を飾りに用いたので、為家は葵の葉を付けて「みあれの日暮れにはお逢いしましょう」と、離れがちになっていた女に言い贈ったわけです(葵は「あふひ」、すなわち「逢ふ日」を掛けています)。
それに対して小馬命婦が(娘に代り)「葵は青々とした葉のはずなのに、その色の草とも見えずに枯れてしまったのを、どう言って御阿礼の今日には掛けたらよいのですか」。
「枯れ」には「離れ」の意が掛かるので、「あなたは私から離れてしまったのに、どうして今日は逢いたいなどと言うのですか」というのが裏の意味になります。



 特別展「広重が描いた日本の風景」    ..batan    
      2007/07/31(火) 03:22  No.1346
 
 
前期は東海道を描いた浮世絵の代表格である「保永堂版東海道五十三次」、後期は日本全国の
名所をとりあげた「六十余州名所図会」という二つのシリーズに分けて、初代歌川広重が日本の
風景を描いた作品と同館の丹波コレクションの作品が紹介されます。
開催日:2007年7月28日〜8月19日、8月23日〜9月17日
9:30〜17:00、金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)、
休館日は月曜日(ただし、9月17日は開館)
開催場所:横浜市 神奈川県立歴史博物館
料金:大人600円、20歳未満・学生400円、高校生以下・65歳以上・障害者手帳所持者は無料

http://ch.kanagawa-museum.jp/



 無題    ..theo [URL]    
      2007/07/19(木) 16:37  No.1345
 
 
健康用語辞典
http://www.health-japan.info
日本IT辞典
http://www.japan-it.info



 お知らせ    ..水垣    
      2007/07/13(金) 12:17  No.1343
 
 
ちょっと早いのですが、当掲示板の管理人はしばらく夏休みを頂きます。
八月中旬頃まで、一カ月ほどを予定しております。
この間も投稿は可能ですが、管理人は不在であることをご承知おき下さいませ。
それでは皆様のご息災をお祈りしつつ。



 ありがとうございました    ..Ohtsu K. [URL]    
      2007/07/09(月) 15:22  No.1340
 
 
初めまして。自然写真のページを運営している者です。神社・仏閣のコーナーも設けてあるのですが、先日撮影した神社に「古能久礼殿」と云う建物がありまして、たぶん万葉仮名だろうくらいの見当は付いたのですが、膨大な数の万葉集の歌をすべて当たる訳にも行かず、インターネットで検索した処、こちらのサイトに出会いました。いやはや、驚くべき労作に圧倒されて仕舞いました。お陰様でちょっとした推理を楽しむことも出来ました。万葉仮名の部分はこちらのサイトが出所である旨、記してあります。http://www.geocities.jp/t6406/temple_shrine/kusida/15.html
http://www.geocities.jp/t6406/temple_shrine/kusida/16.html
仮名交じり文と訳までお世話になるのも何ですので、こちらは手持ちの書籍から引用しました。

私は富山県の在住で、件の神社も家持ゆかりの社のようです。家持は越中国守の時に最も多くの歌を詠んでいると聞きます。今後も家持の史跡を訪ねることでしょうし、またお世話になることもあると思います。兎にも角にもありがとうございました。


 訪問御礼    ..水垣    
        2007/07/11(水) 23:44  No.1342
 
 
初めまして。ようこそおいで下さいました。お書き込みありがとうございます。
私のサイトがお役に立てたのでしたら幸いでした。
ひと頃、家持ゆかりの史跡を尋ねて富山県を中心に北陸地方をよく旅しましたが、貴サイトで取り上げられていた櫛田神社は迂濶なことに存じませんでした。「古能久礼殿」「奈良比丘(ならひと?)殿」といった家持に縁のありそうな名を持つ社殿や、家持らしき尊像があることに驚きました。
プロフェッショナルのお写真については申すまでもありませんが、正仮名遣のご文章もみごとで、興味津々拝読しました。他のコーナーも追々楽しみに拝見したく存じます。

「波流能由伎」という拙サイトは休眠状態だったのですが、この頃また家持への関心が再燃し、越中の国をしきりと懐かしく思っていたところです。どうぞまたお気軽におたずね下さい。



 アサガオについて    ..阿部    
      2007/07/04(水) 01:32  No.1336
 
 
水垣様

お久しぶりです。阿部と申します。
困ったときの水垣様詣ででまたぞろ質問させて下さい。
私の掲示板に以下のような投稿がありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
万葉集に出てくるあさがおはヒルガオ科のあさがおと違い
朝に咲くきれいな花を「あさがほ」と呼んだようで、
いくつかの説があり、キキョウ、ムクゲ、ヒルガオとする説が
あるそうです。
西行の歌

はかなくて行きにし方を思ふにも今もさこそは朝がほの露

この「朝がほ」は現代に見る朝顔でしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このご質問に対して私は以下のように答えておきました。
ただし自信が無いままにです。

http://www1.ezbbs.net/19/kazu0441hi/

すみませんが私の掲示板です。ここに引用したら長くなりすぎますのでURLを出しました。

西行の歌にある「あさがほ」は現在の私たちが見る「アサガオ」と同じものだと考えられますか?
もしそう考えられるとしたら明確な資料がおありでしょうか。
そのことをご教示していただきたくて久しぶりに投稿いたします。よろしくお願いいたします。不一。


 Re:アサガオについて    ..水垣    
        2007/07/06(金) 17:52  No.1338
 
 
阿部様

お久しぶりです。
いよいよ朝顔の季節ですね。各地で朝顔市なども開かれていることでしょう。

貴掲示板、美しいお写真と共に楽しく拝見しました。
清少納言の時代(西暦10世紀〜11世紀)は私も自信が持てないのですが、西行に近い時代(西暦12世紀〜13世紀頃)の和歌を調べてみますと、露草と朝顔を対比した歌が注目されます。

月草はうつしの色もあるものを
    露だにのこせ朝顔の花(俊成五社百首)
(訳:おまえに似て果敢ない露草の花は、それでも写し染めにする色は残すのに、朝顔の花よ、おまえは何も残さずに萎れてしまうのか。せめて露だけでも残してくれ)

あだに見るたぐひなれとや
    朝貌の色に咲くらん月草の花(東撰和歌六帖)
(訳:はかない同類として見よというので、朝顔と同じ色に咲くのだろうか、露草の花よ)

当時朝顔と呼ばれていた花は露草の花と同じく朝咲いて昼に萎む、青色の花であったことが判ります。無論、ムクゲ・キキョウ・ヒルガオ、いずれも該当しません。今と同じ朝顔(ヒルガオ科アサガオ)の他に有力な候補もなさそうですし、西行の歌に詠まれた朝顔は今の朝顔と同一種であると考えてよいのではないでしょうか。


 Re:アサガオについて    ..阿部    
        2007/07/08(日) 00:17  No.1339
 
 
水垣様

お忙しいはずですのに、ご丁寧なご返事、痛み入ります。ありがとうございました。
お礼申し上げます。

朝顔と月草(露草)が同時に詠みこまれている歌という着想の意外さに驚き、なるほどと感服いたしました。
こういう視点からも行き当たることができるのですね。勉強になりました。

何か分からないことがおきましたら、また次にも質問させてください。よろしくお願いいたします。





 無題    ..紫草    
      2007/07/02(月) 20:00  No.1335
 
 
水垣様
  永らくご無沙汰いたしております。貴ブログを時々拝見いたし、お元気のご様子と伺っております。
 「契りけん 心ぞつうき 七夕の 年にひとなび 逢ふふかな」
七夕も近づき歌を思い出し、彦星と織女の姿を比喩させ花を挿してみました。健礼門院右京太夫と平資盛と交わした詠は相聞歌の中でも濃密な歌でしたね。


 七夕の歌    ..水垣    
        2007/07/06(金) 17:46  No.1337
 
 
紫草様
お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
ブログの方はもう一年以上もほったらかしの状態なのですが、まだ時々見て下さる方もいらっしゃるようなので、そのままにしております。
さて明日は新暦七月七日、七夕ですね。お花は桔梗と姫百合でしょうか。二星を偲ばせてゆかしい風情です。
引用された御歌は古今集藤原興風の「契りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは」でしょうか。建礼門院右京大夫の七夕の歌と言いますと私が思い出しますのは

 聞かばやなふたつの星の物語たらひの水に映らましかば
(訳:聞きたいなあ。彦星と織姫の語らいを。ふたつの星の光を盥の水に映す時、二人の語り合う様子まで映ったなら。耳を寄せて、聞けるのにねえ。)

七夕の夜、盥に汲んだ水に二星を映して見るという風流な習わしがあったのですね。



 はじめまして、    ..初心者N    
      2007/06/28(木) 18:44  No.1331
 
 
はじめまして、どの歌集に載っているのか、教えて下されば助かります。
「佐保姫の霞の袖もたれゆえに おぼろにやどる春の月影 家隆歌」



 Re:はじめまして、    ..水垣    
        2007/07/01(日) 10:36  No.1333
 
 
>「佐保姫の霞の袖もたれゆえに おぼろにやどる春の月影 家隆歌」

はじめまして。この歌は続古今和歌集と壬二集に収録されています。

ネットでも和歌検索の出来る便利なサイトがありますので、ご案内致します。
http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_kigo_search.html
例えば「はるのつきかけ」(濁点つけない)で検索しますと、上記の歌がヒットします。


 Re:はじめまして、    ..初心者N    
        2007/07/02(月) 13:19  No.1334
 
 
水垣様
有難う御座いました。大変助かりました。
その上、和歌検索サイトまで教えて下さり、今後は、これで検索致します。勇気を出してお聞きして良かったです。




 ほととぎす2題    ..ういろう    
      2007/06/28(木) 13:14  No.1330
 
 
 「花筵」にほととぎすの声の拙作を投稿をした後日の話です。

 ○ほととぎすの一声

 その日は忙しく、明け方近くまで山に近い仕事場に詰めていましたので、そのまま仕事場に泊まることにしました。簡易ベッドに横たわったのですが、しばらくは頭が冴えて寝付けず部屋の中の闇をぼんやりと見やっていました。
 その夜明け直前の、辺りが一際静まる頃。同時に意識の活動が鈍り朦朧となり始めた頃。開け放した窓から突然「トキョキョキャキョク」の鳥の声が飛び込んできました。一声目は意外に近くはっきりと。二声目は部屋に響くほどに。そして三番目の声はすでに遠くから名残のように。
 二声目は朦朧としていたので大げさに聞こえたのだろうとは思いますが、ほととぎすは鳴きながら、窓の近くを飛び過ぎていったのだと思われます。その後しばらくして、空が白み始めて、他の鳥たちが鳴きだし、朝の気配に変わって行きました。

 この声を聞いて、和歌の中でこれほど「ほととぎす」の存在が大きく扱われている理由がやっとわかりました。ほととぎすは、夜明け時、他の鳥に先駆けて単独で鳴く習性があるようです。また、飛びながら鳴くので、他の鳥たちとは声のする方向がずいぶんと異なります。
 その、暁と夜のちょうど狭間の頃に、ふいに聞こえる鋭い声には不思議な感覚を呼び起こされました。「死出の田長」という不思議な異名も今回のことでなんだか納得をいたしました。また、以前は全くわからなかった「ほととぎすの声を待って夜を明かす」という平安貴族の美意識も、今では与したい気持ちに変わっています。//


 ○「ほととぎす」の名の由来

 ホトトギス、ウグイス、カケス、カラス、など、鳥の名前には「ス」のつくものがありますが、どうもこれは「〜と鳴く鳥」という意味のようです。カラスなどは、他にもたくさんの語源説があるようですが、ホトトギス、ウグイスは、鳴き声+「ス」であろうというのが定説です。

 しかし「ホトトギス」は「ホトトギ」と鳴くのかな?とふと疑問に思いました。なかなかいい線をいっているようにも思えますが、その声はどちらかというと鋭く、「キョッキョッキョッ」「トッキョキョカキョク」「テッペンカケタカ(これは、私には聞こえないのですが)」など、i音、e音あるいは拗音で聞きなされることが多く、「ホトトギ」とo音ののどを広く開ける音ではないような気がします。

 当初は、古代の人の耳はそんなものなのだろうと軽く考えておりました。が、最近、日本語の起源に少し傾倒していて、その音韻の変遷を聞き知ったばかりだったので、もしや、と思い、これも、万葉時代の音韻を古語辞典で調べてみました。すると、やはり、全て乙類となっていました。万葉の乙類の発音は私は定かに分かってはいませんが、現代の拗音に近い発音になるそうです。つまり現代の表記でなぞらえると、「フョテョテョギュ」のようになるかと思われます(より正確にご存知の方がいましたらご教示ください)。もっと古代日本語から存在する単語とすれば、ハ行はp音を起源とするので、「プョテョテョギュ」となります。
 こう発音してみると、ホトトギスの鋭い発声がそのまま転写されているのがわかります。むしろ「トッキョキョカキョク」よりも正確な感じさえします。

古代の人がホトトギスを聞く気持ち。ほんの少し届いたような気がします。






 Re:ほととぎす2題    ..水垣    
        2007/07/01(日) 10:28  No.1332
 
 
ういろう様
ほととぎすについてのお話二つ、大変興味深く拝見しました。

貴重な経験をされたのですね。ほととぎすの声を間近に聞くチャンスはなかなか無いのでは。
私は、山に囲まれた土地に移り住んでから、ほととぎすの声に親しむようになり――いや「親しむ」などというものでなく、ほとんど「魅入られて」おります。そうしてもう三年になりますが、ほととぎすが窓の外を鳴いて過ぎるという経験は未だにありません。
ほととぎすは鳴きながらかなりの距離を飛ぶことがありますね。ドップラー効果で、近づいてくる時は声が次第に高く、遠ざかってゆく時は次第に低くなります。そんな時は、異界から来たり異界へ去ってゆくような、不思議な感じを受けます。ましてや夜などに聞きますと。

歌人たちがことに珍重したのは、明け方のほととぎすの声ですね。真夜中はさすがに大人しくなるので、静かな明け方に聞くその声はひとしお印象的です。

その名が鳴き声に由来するという説は知っておりましたが、「o」音が乙類であることには思いも及びませんでした。上代の母音については種々の説があるようで、私はよく存じないのですが、「フョテョテョギュ」はあの声をよく写して驚くばかりです。ちょっと背筋がぞくぞくしました(笑)。



 Re:よみ人しらずの歌    ..ISAT [URL]    
      2007/06/11(月) 00:07  No.1329
 
 
いつのまに 忘られにけむ あふみちは 夢の関かは 見えずなりけり

これはいいですね。感動ものです。夢での邂逅さえとざす関=逢坂の関というのは素晴らしい。これで決まり、という感じがします。ご教示ありがとうございます。



 Re:よみ人しらずの歌    ..ISAT [URL]    
      2007/06/10(日) 00:38  No.1327
 
 
なるほど、あふみち=近江路の掛詞には思いが至りませんでした! もうすこし考えた挙句、

いつのまに 忘られにけむ あふみちは ゆめのなかかは みえずなりけり

「みえずなりけり」も苦しいですが、夫木抄にありました。

忠岑集に「ゆめのみち」なる用例もあるようで、字が重複しますが「ゆめのみちかは―みえずなりけり」もありかと思います。

真実は10世紀前の彼方ですが、あれこれと空想するのも楽しいものですね。



 Re:よみ人しらずの歌    ..水垣    
        2007/06/10(日) 13:11  No.1328
 
 
「みえずなりけり」は良いですね。私は名詞を当てはめることばかり考えて、思い至りませんでした。
「ゆめのみち」も捨てがたい気がしますが、「あふみち」を「近江路」との掛詞と考えますと、逢坂の関とのかかわりを詠み込みたいところで、「夢の関かは」としては如何かと思いました。

 いつのまに わすられにけむ あふみちは ゆめの関かは みえずなりけり

「いつのまに忘られてしまったのだろう。あなたに逢う道は、近江路でもないのに、関に遮られているとでもいうのか、夢でさえ逢えなくなってしまった」(「忘ら」は受身とも自発とも取れます)

結句は「ゆかずなりけり」も良いかなと思います。



 よみ人しらずの歌    ..ISAT [URL]    
      2007/06/07(木) 23:07  No.1325
 
 
こんばんは。いつも楽しく拝見しております。
中世和歌Blogを運営しておりますISATと申します。

さて、平安京出土の10世紀の和歌について、欠損部分を埋めてみようとしましたが、どうもぴたりといきません。類歌がありそうで、ないですね。皆様にご推理いただければ幸いなのですが。

いつのまに わすられにけむ あふみちは ゆめの○○かは ○○○なりけり


 Re:よみ人しらずの歌    ..水垣    
        2007/06/09(土) 22:05  No.1326
 
 
こんばんは。お書き込みありがとうございます。
私も貴Blogを毎日のように楽しみに拝見しております。

>いつのまに わすられにけむ あふみちは ゆめの○○かは ○○○なりけり

これは面白い話題を提供して下さいました。「平安京左兵衛府跡から発見された、素焼の杯に書かれた10世紀前半の歌」とのこと。当時の人々が和歌を実際にやりとりしていた有様が偲ばれます。
それにしても欠字が気になりますね。
例えば、

 いつのまに わすられにけむ あふみちは 夢の中かは うつつなりけり
 いつのまに わすられにけむ あふみちは 夢の跡かは 荒野なりけり

などと当てはめてみましたが…。
「あふみち」はおそらく「逢ふ道」「近江路」の掛詞と思われ、この掛詞・歌枕を活かすような詞がベストと思うのですが、良い案を思いつきません。
どなたか良いお考えがありましたらご教示下さい。私も何か思い浮かびましたら、また書き込みさせて頂きます。



 小馬命婦    ..燕翁    
      2007/06/01(金) 14:02  No.1322
 
 
すっかりご無沙汰しております。最近は、私の庵も荒れ放題で無人のあばら家状態です。
ところで、1つご教示いただきたいのですが、「小馬命婦」について、千人万首では、円融院皇后堀河中宮(藤原兼通女)に仕えた、となっております。一方、清少納言が 藤原棟世との間で生んだ娘も小馬命婦ということになっており、当然これは別人ということになりますね。この点、NETの百科事典ウイキペディアなどで、「小馬命婦」で検索してみると、
『小馬命婦(こうまのみょうぶ、生没年不詳)は、平安時代の女流歌人。父は藤原棟世。母は"枕草子"で知られる清少納言。一条天皇の皇后上東門院彰子に仕えたことから上東門院小馬命婦とも称される。
家集に「小馬命婦集」があり、「拾遺和歌集」、「後拾遺和歌集」、「新古今和歌集」などの勅撰和歌集にも入集している。』
とあります。
これは明らかに誤りだと思われますが、清少納言の娘の小馬命婦の方は、なにか歌がのこっているでしょうか。
困ったときの水垣さん頼りで申し訳ございません。



 Re:小馬命婦    ..むらじ    
        2007/06/04(月) 19:09  No.1323
 
 
水垣さま、ご無沙汰しております。
燕翁様がご指摘の小馬命婦の件、興味深く、いささか調べてみました。
角田文衛『平安時代史事典』のうけ売りに過ぎないのですが、やはり複数の小馬命婦がいるようですね。

小馬命婦(馬古曾あこそ)円融朝の著名なる歌人。氏姓不明。『小馬命婦集』あり。天元二年、[女皇]子の薨去後に出家し、のち十年ほど嵯峨野で余生を送った。
小馬命婦 摂津守・棟世の娘。母は、清少納言。上東門院に出仕す(『範永朝臣集』、『分脈』)。内裏女房の小馬命婦(『左経記』長元九年四月十七日条)とは別人か。

とあります。
小馬命婦の歌としてはたとえば拾遺和歌集巻十四恋四 九一八に
「元良のみここまの命婦に物いひ侍ける時、女のいひ遣しける」
との詞書で、
数ならぬ 身はただにだに 思ほえで いかにせよとか なかめらるらん
という歌が残っていますが、
天慶六(943)年に死去している元良親王と清少納言の娘とでは明らかに時代が合いませんので、この小馬命婦は清少納言の娘とは別人と判断できます。
ただし出家の契機となった[女皇]子の崩御が天元二(979)年と、これまた元良親王とはかなりの開きがあり、
この歌の主がほんとうに円融朝(969−984)に活躍した小馬命婦と同一人なのかどうか、個人的には微妙だと感じます。

清少納言が結婚した藤原棟世は藤原兼経・兼家らの母方のイトコにあたる人物ですが、それ以上のことは追いきれませんでした。
あまり役にたたないコメントになり、恐縮です。m(__)m


 Re:小馬命婦    ..水垣    
        2007/06/04(月) 23:41  No.1324
 
 
燕翁さん、お久しぶりです。こちらこそすっかりご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいましたか。

『拾遺集』に歌を採られている「小馬命婦」は、むらじ様ご指摘のとおり元良親王(890〜943)と歌を贈答しており、また『小馬命婦集』という家集を残している「小馬命婦」は堀河中宮藤原媓子(947〜979)に仕えた人で、いずれにしても清少納言(966?〜1025?)より一時代前の人ですから、清少納言の娘である「小馬命婦」と同一人物ではあり得ないことになります。ウイキペディアの記述は誤りだということになりますね。
岩波新古典大系の『後拾遺集』を見ますと、一首だけ入選している「小馬命婦」を藤原棟世と清少納言の間の娘であるとしています。この根拠はよく判りません。

後拾遺集908
   為家朝臣、物言ひける女にかれがれになりてのち、
   みあれの日暮にはと言ひて葵をおこせて侍ければ、
   むすめにかはりてよみはべりける    小馬命婦
その色の草とも見えずかれにしをいかにいひてか今日はかくべき

同じく新古典大系本によれば、詞書の「為家」は高階為家(1038〜1106)を指すようです。やはり堀河中宮に仕えた小馬命婦とは時代の異なる人物ということになるようです。

むらじ様、ご解答ありがとうございました。
『拾遺集』で元良親王と歌を贈答した「小馬命婦」については、堀河中宮女房であった小馬命婦と同一人物かどうか、ちょっと怪しいようですね。新編国歌大観の『小馬命婦集』の解題でも、

>拾遺集九一八番の元良親王の愛人「こまの命婦」は、親王の家集に「むらこ」とあり、堀河中宮女房と同一人かは確証はない。

としております。三人の「小馬命婦」がいたという可能性もありそうです。



 度々大変失礼ですが...    ..浦木裕 [URL]    
      2007/05/26(土) 00:44  No.1317
 
 
水垣様

ご無沙汰しておりました、浦木裕です。
『大日本史』の後妃伝の電子テキストを作成しながら、良く分からない和歌が有りますので、よろしければその情報を教えで下さいませんか。

後醍醐中宮藤原禧子が後醍醐帝の隠岐遷御の頃の歌といいます。
万葉かなでの表記は、

    古乃宇閉能 於母比波阿羅自 鬬禮奈佐乃

            伊能和與佐禮婆 伊鬬乎加岐理存

になります。於母比波阿羅自はたぶん「思ひはあらず」に間違いないんですが、他の詞をあまり確認できませんので、『大日本史』の脚注に従って『増鏡』を調べてみたしたのですが、当和歌を発見されませんでした。

底本のURLは此方に有ります。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40012387&VOL_NUM=00010&KOMA=92&ITYPE=0

もし、何かお判れば、是非教えでくださいませ。では。


 Re:度々大変失礼ですが...    ..浦木裕 [URL]    
        2007/05/26(土) 02:33  No.1318
 
 
済みません、私の見間違いました。

    古乃宇閉能 於母比波阿羅自 鬬禮奈佐乃

             伊能知與佐禮婆 伊鬬乎加岐理存


の方が正しいのです。つまり「このうへの思ひはあらじつれなさの命寄さればいつを限りぞ。」になります。こうなると何となく判りました。色々どうもすみません。では。


 西園寺禧子の歌    ..水垣    
        2007/05/26(土) 12:21  No.1320
 
 
浦木裕様、お久しぶりです。
作成中の『大日本史』、目次のページを見るだけでも圧倒される思いです。

和歌の訓みですが、「このうへの思ひはあらじつれなさの命さればいつを限りぞ」だと思います。岩波古典大系の『太平記』(巻四「中宮御歎事」)でもそうなっています。
「これ以上の辛い思いはあるまい。いっそ死んでしまいたいのに、つれない我が命よ、いったいいつが終わりなのだ」
といった意味でしょうか。「つれなさの命」とは、自分は死にたいのに、命はそれに応えてくれないので「つれない」と言っているのですね(岩波古典大系の訳注は全く誤解しています)。
激しく胸を打つ歌です。
『増鏡』にこの歌は見えないようです。



 Re:西園寺禧子の歌    ..浦木裕 [URL]    
        2007/05/27(日) 11:15  No.1321
 
 
水垣様:

ご解答大変有難う御座います。大助かりました。

『大平記』のチェックを忘れましたので、お手数掛かりました。この度、更新したページに、「この歌、太平記巻四より所出。」と書き付けます。

http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dns085.htm#01

いつもながら、自分の力不足を痛感致します。
これからも、和歌を世間にもっと広げるように祈ります。



 夜気に馨る    ..アゲハ    
      2007/05/22(火) 00:08  No.1316
 
 
むせるばかりの高い香気で近くに藤の花のあることが知れます。

県境あたりで以前、抱きしめるように雄松に絡み付いて高い位置に咲いている野生の藤を見たことがありますが、まるで花盛りの松って感じでした。

魔を潜めた女人の雰囲気。




 Re:夜気に馨る    ..水垣    
        2007/05/26(土) 12:03  No.1319
 
 
藤の花も終わってしまいましたね。
松に絡み付いた藤はみごとなものでしょう。しかし、時に大木さえ枯らしてしまうという藤。花の色はやさしげですが、なかなか強靱な植物のようです。美しく飾りつつ、実は精気を吸い取っているのでしょうか。
描かれた女人の表情が、まさに「魔」を漂わせるようです。

写真は近所の野生の藤です。今年の藤の花はことに旺盛なように感じられました。



 西行・芭蕉と桜    ..紀州の姫    
      2007/05/13(日) 09:57  No.1313
 
 
「さまざまなこと思い出す桜かな  芭蕉」

水垣さま、お久しぶりでございます。
花筵に取り上げられています“奈良の都の八重桜”も、今はすっかり美しい新緑となっている事でしょうね。

八重桜と言えば、4月14日に「総理と桜を見る会」があり新宿御苑に参りました。
その頃はきっと桜は散っているだろうと思って行きましたら、八重桜がそれはそれは見事に咲いていました。
そして、安倍首相のご挨拶の中に出来てきましたのが、この芭蕉の句でした。

帰りまして、芭蕉に付いて詳しく調べました。(芭蕉の名は余りにも有名で今まで深く興味を持った事は無かったもので・・(^^ゞ)。

『芭蕉の文学を考えるとき、常に西行がその根底にある・・・』を知り、西行を追い求める芭蕉の心・姿勢に大いに興味を持ちました。

『人は誰も目標というものをもってこそ、大成することが可能となる。目標は、憧れの人と言い換えても差し支えない。芭蕉にとって、それは西行さんであった。西行さんが歩いた道を歩きながら、またその西行さんが庵を結んだ吉野の山里に佇みながら、その足もとにも及び着かないであろう自分を悟った。でもどうしたら、その感性を自分のものとすることが出来るか?と必死で考えるうちに、芭蕉は己の背負っていたもの、すべてを捨て去って、ただ旅の中に身を投げてみることにしたのだった・・』
という文もありました。
足元にも及びつかないから、と諦めるのではなく、どうしたらその感性を自分のもにできるかを考える、これはこれからの自分の人生もそうありたいと共感致しました。
まだまだ西行・芭蕉について知りたいものです。


八重葎さま
お元気でいらっしゃいますか?
突然、紀州の姫の名が出てきまして・・・、冷や汗(~_~;)が出ております。
そんなことがありましたっけ・・?(^_^;) そー言えば歌の事など何も知らない私が、偉そうに何か言いましたですねぇ・・^_^;、 穴があったら入りたい心境です・・^^;。
いつまで経っても和歌初心者ですが、私も水垣さまのサイトは癒しと学びの場とさせて頂いております。今後とも宜しくお願い致します。m(__)m


 芭蕉の言葉    ..水垣    
        2007/05/20(日) 15:13  No.1315
 
 
紀州の姫様

お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
八重桜の頃に東下りをされ、宰相とお会いだったとは。そしてそこで松尾芭蕉にも出遭われたというわけですね。^^
芭蕉と西行のお話、興味深く拝見し、あれこれと考えさせられました。
芭蕉と西行で思い出しますのは、「さまざまのこと思ひ出す桜かな」の句も含む『笈の小文』という紀行集があるのですが、その序文の一節です。

「つひに無能無芸にして只此一筋に繋がる。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふ事なし。思ふところ月にあらずといふ事なし」

芭蕉は「俳諧」一筋でしたが、畑は違っても、和歌の西行、連歌の宗祇などと異なるところはない。「風雅」という貫道する精神においては…。
別の文章で芭蕉が「古人の跡を求めず,古人の求めしところを求めよ」と言っていることも思い合わされます。
「どうしたらその感性を自分のもにできるかを考える」と仰有るのは、まさに芭蕉の「古人の求めしところを求めよ」に当てはまりますね。
古人が残したものをただ真似るのでなく、古人が何を求めてそこに至り着いたのか、そこを考え、感じるのが大事なのでしょう。繰り返し肝に銘じておきたいことだと思います。

「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて、用ふるところなし。ただ釈阿西行の言葉のみ、かりそめに言ひ散らされしあだなるたはぶれごとも、あはれなるところ多し。後鳥羽上皇の書かせたまひしものにも、「これらは歌にまことありて、しかも悲しびを添ふる」とのたまひはべりしとかや。されば、この御言葉を力として、その細き一筋をたどり失ふことなかれ」(芭蕉『許六離別の詞』)



 靺鞨は三千里でした    ..八重葎    
      2007/05/11(金) 22:03  No.1312
 
 
水垣様
私の記憶違いでした3000里でした。佐倉の博物館の説明によれば多賀城は仙台市郊外とかいう説明がございました。多賀城の城壁を築かれた古の人々の心が伺えます。
水垣さまのお答え久しぶりに拝見させて頂きましたが、本当にお人柄が偲ばれます、以前西行の歌について水垣さまの評される言葉の端々に感じられる思いやりの深さに感動したことを思い出しました。だいぶ前のことですが、紀州の姫さまに指摘されてはっと気づいたことがありました。


 芭蕉と多賀城碑    ..水垣    
        2007/05/20(日) 15:08  No.1314
 
 
八重葎様

この頃は身の回りのことで精一杯で、なかなか思いやりの心が持てない小生、お褒めの言葉に恐縮するばかりです。
紀州の姫様のお書き込みで思い出しましたが、芭蕉もかつて多賀城碑を訪れ、「奥の細道」に書き残していましたね。芭蕉が来た頃、石碑は放置され、半ば土に埋もれていたとあります。

「山崩れ川流れて道あらたまり、石は埋れて土にかくれ、木は老いて若木に変はれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑ひなき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、 羇旅の労をわすれて、泪も落つるばかり也」

多賀城碑は松などの茂る小高い丘の上にあって、仙台平野が望まれます。近くには芭蕉の句碑などもあって、なかなか気持ちの良い場所でした。もちろん芭蕉が訪れた頃のような風情は残っていませんが…。



 壷の碑    ..八重葎    
      2007/05/05(土) 22:28  No.1310
 
 
水垣様
大変お久しぶりです。まだおぼえていらっしゃいますでしょうか。
いろいろ多忙な日々を送り、貴Siteにもだいぶご無沙汰してしまいました。
昨日子供の歴史勉強をかねて佐倉市の歴史博物館に参りましたが、多賀城碑写しの展示がありました。これが彼の壷の碑とわかり、昔
やまとうたで勉強させていただいた源融の歌等をなつかしく思い出しました。
京を離れること千数百里、マッカツを離れること二千里とか
刻まれておりました。マッカツについては、司馬先生の街道を行く
にある記載もあり、当時の存在感も偲ばれました。


 Re:壷の碑    ..水垣    
        2007/05/10(木) 17:43  No.1311
 
 
八重葎様
お久しぶりです。お返事遅くなり失礼しました。
お忙しい中、ご挨拶をありがとうございます。
佐倉市の歴史民俗博物館を訪ねられたのですね。私も五、六年前になりますが息子を連れて行き、楽しい時間を過ごしたものです。展示品の充実は目覚しいばかりですね。
多賀城碑の模写は中でも印象に残っております。実物も見たことがありますが、お堂の中に入っているので碑文は見づらく、博物館で初めてじっくりと対面することができました。
今調べてみますと「去靺鞨国界三千里」とあるようです。靺鞨の名が出て来るのは唐突のようにも思えますが、北の果てにあって遥かな異邦の地に思いを馳せた古人の心が偲ばれます。

国立歴史民俗博物館
http://www.rekihaku.ac.jp/index.html



 花の哀傷    ..逸爾散士    
      2007/04/25(水) 23:49  No.1308
 
 
ご無沙汰しています。

頭が政治論議モードになって、雅の世界から遠ざかっていました。読むは読んだりするのですが作るまでは…。

毎月、ねだられる友人に送る分だけは作っていました。
4月は、時節の花の歌に、先月末に亡くなった仲間の追悼をこめました。まだ定年前でこれからなのに。
ことしはとりわけしみじみと桜を眺めました。

桜花さき初むころに逝く人はいづくの山路ひとり越ゆらむ

道半ばみまかる人を思ひ出でて花の落つるを耐へて見にけり

陽に落つる花一ひらを惜しみけり誰も散る身と思ひ知れども

えうもなく後れし身にぞ散りかかる花の命の永遠を信ぜむ


 Re:花の哀傷    ..水垣    
        2007/04/29(日) 06:08  No.1309
 
 
お久しぶりです。ご友人の和歌のリクエストは続いているのですね。

お仲間を亡くされたとのこと、お悔やみ申し上げます。
私も先ごろ昔馴染みの友人を亡くし、そのこともあってか御歌はことに心に沁みました。なかでも四首目は素晴らしいと思います。
人が葬送の時死者に花をたむけ、死後も墓などに花を供え続けるのは、花ほど命の美しさを愛惜させるものはなく、また永遠への祈りを呼び起こすものはないからではないか。そんなことを思いつつ、この春の花を眺めておりました。

「花の中には死を誇りとするものもあります。そう、日本の桜は風の吹くままに散っていきます。吉野山や嵐山の花吹雪を見れば、誰でもこのことを感じます。この瞬間、宝石をちりばめた雲のように、空に浮かび、清流の流れの上に舞い、さざなみに乗って船出します。
        さらば春よ、わたしは永遠の旅に出ます」

引用元:岡倉天心『茶の本』
http://www.sekiya.net/cha-no-hon/tensin/bookcha.html



 花便り    ..水垣    
      2007/04/02(月) 23:48  No.1299
 
 
鎌倉の桜も満開です。写真は近所の桜並木を今日の夕方撮ったものです。


 雪花便り    ..アゲハ    
        2007/04/04(水) 21:19  No.1300
 
 

今を盛りに咲き誇っている桜、夜になると花の明るみも添って、閑静な往来もまた異なる表情が見られるのでしょう。

いいなぁぁぁぁ〜...以前から鎌倉って憧れの地なんですよ。

今日の広島は二月のような気温に下がり、県北部では山桜に雪が降りしきっていました。
『あっらあら!』
とか言いながらニュース映像を見ていましたが、市内にも降りだした雨は夕刻から氷雨のように感じられる冷たさでした。
四月の積雪って珍しいです。


 Re:雪花便り    ..水垣    
        2007/04/05(木) 19:26  No.1303
 
 
ここ数日花冷えで、しばらく散らずにいてくれるかと思ったら、昨日の雨でずいぶん散ってしまいました。
広島も寒かったのですね。鎌倉では降らなかったのですが、東京では昨日19年ぶりの四月の雪だったとか。桜に雪というのは、私は見た覚えがありません。

前の写真はいわゆる鎌倉のイメージとはちょっと違うかも知れませんが、こんな顔もあるということで。鶴岡八幡宮から鎌倉宮へ行く途中の道です。
今日の写真は近所の山の景色です。もうしばらくすると緑一色ですが、今の季節は山の色が多彩で、見飽きません。


 Re:雪花便り    ..一人静    
        2007/04/08(日) 20:46  No.1304
 
 
去年のこの時期に・・さくらは花にあらわれにけり・・頼政の歌を覚えて山をながめてはしきりに繰り返していました。

今年もその季節がめぐってきました。

本当に山の色が多彩で、優しく・・何度も目を向けて過ごしています。



 Re:花便り    ..水垣    
        2007/04/10(火) 21:07  No.1305
 
 
北国ではこれから桜の本番でしょうし、頼政が詠んだような深山桜はまだ各地で見られることでしょうね。実は我が家の庭の遅桜もまだ一本だけ咲いております。

鎌倉は桜が終って海棠も盛りを過ぎようとしています。今いちばん目立つのは山吹や著莪でしょうか。庭の山吹も真っ盛りです。八重山吹も八重桜も咲き始めました。


 Re:花便り    ..アゲハ    
        2007/04/10(火) 23:27  No.1306
 
 
なんとあでやかな山吹の色。
こちらが『みのひとつだに....』と詠われた花の類でしょうか。
八重山吹は確か結実しますよね?

今、近隣の山々は淡い紅紫のツツジに彩られ始めています。
噎せるような馨しい風に藤花の高い香りが混じるのももうすぐでしょう。

桜はたおやかに散ってゆきます。


 Re:花便り    ..水垣    
        2007/04/25(水) 21:54  No.1307
 
 
山吹も八重桜も盛りを過ぎ、こちらは藤・躑躅の季節となりました。
鶴岡八幡宮の参道、段葛では葉桜の下で躑躅が盛りを迎えています。
鎌倉では、山藤はあちこちで見られるのですが、野性の躑躅は見られません。山の標高が足りないのでしょうか。

 何となく過ぎにし春ぞ慕はるる
        藤つつじ咲く山の細道(藤原定家)



 無題    ..ishou    
      2007/04/02(月) 03:03  No.1297
 
 
「和歌入門 和歌のための文語文法入門」について質問があります。
 助動詞「る・らる」の「可能」の用例として
 「人の子の親になりてぞ我が親の思ひはいとど思ひ知らるる。(康資王母集)」の「思ひ知らるる」があげてありますが、
 私が習った文語文法のテキストによると、中古では「る・らる」の可能の用法は殆ど打ち消しを伴うとあります。つまり大抵は「られず」のように、結果的に不可能の意味になるというわけです。
 また「思ふ」など、心情にかかわる動詞につく「る・らる」は自発の意味になることが多いとも書いてあります。
 以上の点から、上の和歌の「思ひ知らるる」の「るる」は、普通は自発の意味だと考えられます。
 それでもこれが可能の意味であるというのなら、それなりの論拠を示していただきたいと思います。
 

 



 


 Re:無題    ..水垣    
        2007/04/02(月) 22:19  No.1298
 
 
康資王母とほぼ同時代の歌人の作ですが、

  信解品、周流諸国五十余年といふことをよめる 神祇伯顕仲
あくがるる身のはかなさは百年(ももとせ)の半ば過ぎてぞ思ひ知らるる(詞花集)

「流浪する身のはかなさは、五十過ぎて初めて思い知ることができるのだ」の意に解せます。もちろん、自発の意、すなわち「初めて自然と思い知られるものだ」とも解せますけれども、私は可能の意味で解釈した方が、この歌の心をより正確に汲んでいるのではないかと思います。さまざまなことを経験した上で、初めて「思い知る」ことが可能になる、との心だと思うからです。
康資王母の歌にしても、そのように解釈したので「思い知ることができました」と「通釈」に書きましたし、和歌入門の助動詞のコーナーの「可能」の例歌に引用したわけです。
中古の和歌で「る・らる」を可能の意で(それも肯定文で)使っている例が非常に少ないことは確かです。しかし例歌のように、平安後期に数例それらしいものが見つかります。それで、和歌を作る方のために、こういう使い方もありますよという例を挙げてみたわけです。


 ReRe:無題    ..ishou    
        2007/04/05(木) 02:37  No.1301
 
 
「思ひ知らるる」を「さまざまなことを経験した上で、初めて思い知ることが可能になる」と解するのと、「さまざまなことを経験した上で、初めて自然と思い知られるものだ」と解するのと、どちらが適当かということは、内容からは簡単に判断できないように思われます。中古の「自発」とされる用例の中に、現代人の感覚では「可能」と解してもおかしくないようなものは多くみられます。でも当時の人々は現代人より自然にまかせようとする意識がずっと強いので、「る・らる」は自発の用法が中心になります。特に心情を示す語につく場合、上の例でも、さまざまな経験によって、心が自然にそういう方向へ向いていったとする方が、当時の人々の精神のあり方にふさわしいと思います。肯定文で「る・らる」を可能の意味に用いる用例を参考書で調べてみると、「僧、男の昇る後に昇るに、すずろに高々と昇らる(今昔物語集)[僧が男の昇る後ろを登るとわけもなく高く昇ることができる]」「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる(徒然草)[家の造り方は夏にどう過ごすかということを中心とするのがよい。冬はどんなところでも住むことができる]」などが挙げられています。これらは自発の意味に解すると文脈上おかしいと思われるものです。徒然草には「子故にこそ、よろづのあはれは思ひ知らるれ」という、康資王母の和歌と似た文もありますが、これは自発の用例とされています。
 以上の点から、中古の肯定文では、自発と解しておかしいものは可能と解せますが、どちらとも解されるものは原則として自発と解すべきではないでしょうか。


 Re:Re無題    ..水垣    
        2007/04/05(木) 19:23  No.1302
 
 
「普通は」「原則としては」あなたのおっしゃる通りでしょう。私の挙げた歌が「普通」でなく、「原則」(というか文法学の定説)をはずれている、珍しい例であるというだけの話です。
そもそも「自発」と「可能」の境界も難しいところでしょう。解釈論は結局水掛論になってしまいそうです。
私の解釈は「現代人の感覚」かも知れませんが、そもそも「和歌入門附録 和歌のための文語文法」のコーナーは、和歌を作る現代人のために用例を掲げることを目的としたものですから、康資王母の歌を助動詞「る」の「可能」の用法の参考例として読んで頂いても何ら問題はないでしょう。結局のところ、現代人は「現代人の感覚」で和歌を作るしかないのですから。
「可能」の解釈が可能であることは、あなたにも認めてもらえたようで、結構でした。



 桜咲く♪    ..アゲハ    
      2007/03/22(木) 22:15  No.1294
 
 
こちらは例年より一週間ばかり早く開花がみとめられたようです。
♪弥生の空は見渡す限り♪という訳には現在はいきません。
三月も後わずかとなりました。


 Re:桜咲く♪    ..水垣    
        2007/03/26(月) 22:39  No.1296
 
 
桜と弥生の空の色が、花を眺める女人の衣服と映え合ってみごとです。

今年は早いのかと思っていたら、寒の戻りなどもあったせいか、ソメイヨシノの開花は遅れているようです。こちらは昨日今日ようやく咲き始めたところです。
尤も、我が家の周辺はヤマザクラやオオシマザクラが多く、とうに盛りを迎えている樹も少なくありません。

写真は家の裏山のヤマザクラとオオシマザクラです。



 「偽りの無き世なりけり神無月誰が誠より時雨そめけむ」no英訳    ..増山和恵    
      2007/03/21(水) 04:46  No.1293
 
 
「偽りの無き世なりけり神無月誰が誠より時雨そめけむ」

の英訳を頼まれましたが、難しすぎてできませんでした。そして、このサイトに出会いました。どなたか助けていただけますか。


 Re:「偽りの無き世なりけり神無月誰が誠より時雨そめけむ」no英訳    ..水垣    
        2007/03/24(土) 14:45  No.1295
 
 
There is no falsehood in this world. At the beginning of winter, whose faith has brought "shigure" rain?

拙い私の英語では、到底歌の心が伝わるとも思えませんが…。
「神無月」は十月の異称ですが、陰暦十月は初冬ですから、Octoberと訳すと季節感がずれてしまうでしょう。the beginning of winter, early winter 等とすべきところでしょうか。
「時雨」は晩秋から初冬にかけて降る、冷たい断続的な雨です。私は適切な英語表現を存じません。

因みにこの歌は『続後拾遺集』所収歌で、能『定家』にも出て来ます。定家が自邸「時雨亭」で詠んだ歌と言われています。題は「時雨知時(時雨、時を知る)」で、時雨は神無月(初冬)になれば時節を知っているかのように降り出す。人の世は嘘いつわりに満ちているけれども――といったような感慨を籠めているのでしょうか。
本歌は古今集読人不知「いつはりと思ふものから今更にたがまことをか我はたのまむ」(あの人の言葉は偽りとは思うものの、今更誰の『まこと』を頼りにすればよいというのだろう、私はあの人の言葉に縋るしかないのだ)。定家の歌も、恋の歌として裏読みすることができそうです。



 雛祭り    ..アゲハ    
      2007/02/25(日) 23:48  No.1289
 
 
も、近いので立ち雛もどきをはりはりしちゃいましょう。
殿方には縁の無い女の祭り。

ひな祭り旦那どこぞへゆきなさい
            by柳多留


 Re:雛祭り    ..一人静    
        2007/02/26(月) 14:15  No.1290
 
 
こんにちは。

 「旦那どこぞへゆきなさい」

に笑ってしまいました。
女ばかりで楽しむ時に、夫にこの句を言ってみたくなりました♪

覚えておきま〜す♪


 Re:雛祭り    ..水垣    
        2007/03/02(金) 23:51  No.1292
 
 
明日は雛祭りですね。
我が家は男の子しかいないので、雛祭りは無縁です。「どこぞへ行きなさい」とも言われずにすみます。
子供の頃は、姉がいたので、雛祭りは「おこぼれにあずかる」という感じで加わっていました。あでやかな雛人形には、憧れを感じていたものです。そんな懐かしさを覚える絵です。

 はしきよし妹背並びぬ木彫雛  秋桜子



 今晩は    ..一人静    
      2007/02/22(木) 21:20  No.1288
 
 
今晩は。

巻6・・読み始めています。

水垣様が以前おっしゃってた
 
巻六は宮廷歌人と呼ばれる笠金村と山部赤人が晴れやかな讃歌を競い合い、万葉集の本道に立ち返ったかのような感じを受けます。

という言葉がピッタリ・・と思いつつ。

巻1と違って「わが大君は神さびす・・」というような、理解しにくい表現がなく、吉野宮の美しさを歌い、幸を讃え、永久につづきますようと祈る・・理解しやすい巻と感じています。

山部赤人の

 沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちい隠り行かば思ほえむかも

磯の藻に対する切なる思い

 若の浦に潮満ちくれば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る

満ち潮に鶴の群れの姿、そして鳴き声

自然に対する敬虔な姿をしみじみ思い、ますます大好きな歌になっています。

巻6は歌が年次順になっているとか。その辺も、少し楽に読めるかなぁ・・と。

訳わからないまま読み続けてきた甲斐があったような気持ちです。


 Re:今晩は    ..水垣    
        2007/03/02(金) 23:38  No.1291
 
 
先日パソコンを買い換えたもので、お返事がすっかり遅くなり失礼しました。やっと新しいパソコンで書く環境が整いました。

仰るとおり、万葉集巻六の歌は、例えば同じ行幸讃歌でも人麻呂の時代よりも解りやすく、親しみやすくなっていると思います。歌の作り方が洗練された一方で、混沌としたエネルギーみたいなものは早くも失われつつあることを感じずにはいませんが、これは時代の変化というものでしょうか。律令が整備され、藤原氏主導の官僚政治が国を動かす時代になっていたことと、無関係とは思えません。

巻六は巻一の続篇という性格があり、飛鳥朝の歴史歌巻である巻一に対し、奈良朝の歴史歌巻であるといった見方もあります。時代順に歌を並べているのもそれ故なのでしょうか。
ほがらかな歌やめでたい歌が多く、深刻な歌はほとんど見られませんね。聖武天皇の御代を言祝ぐという目的があったことは間違いないように思われます。

行幸讃歌などの公的な歌で始まりますが、真ん中あたりから大伴家の人々も登場し、プライベートな歌も出てきますね。私の特に好きなのは、坂上郎女と家持の相呼応するかのような一組の歌です。

 月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも
 振りさけて三日月見れば一目見し人の眉引思ほゆるかも

そして最後の方では恭仁京新都讃歌という、再び公的な性格の歌で締めくくられます。そうした構成を考えたり、当時の歴史との関連を考えながら歌を読んでゆくのも面白いだろうと思います。



 お引越しのお知らせと、アドレス変更のお願い    ..葉つき みかん [URL]    
      2007/02/11(日) 15:41  No.1286
 
 
水垣様、大変ご無沙汰しております。
昨日、サイトを引っ越しました。
大変お手数ですが、お手すきの時にでも、リンクアドレスを

http://www.geocities.jp/themooncherry/index.html

に変更していただけないでしょうか。

それでは、これからもどうぞよろしくお願いします。


 Re:お引越しのお知らせと、アドレス変更のお願い    ..水垣    
        2007/02/12(月) 23:37  No.1287
 
 
葉つきみかん様、こちらこそ大変ご無沙汰しております。
アドレス変更のお知らせ、誠にありがとうございます。
先程リンク集を更新いたしました。
これからも楽しみに拝見致します。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



 無題    ..dr.beautiful    
      2007/02/07(水) 21:12  No.1283
 
 
はじめまして。
コメントをするのは初めてですが、実はこっそりお邪魔しては楽しませていただいております。
「平貞文を知るには平中物語を一読するのがよい」との事ですので図書館を二つまわって借りて参りました。
うつり気で好色の平中さまのようですが
何故だか彼に大変興味があり気になるので仕方がありません。
これほど気になるとは、同じ時代に生きていたら恋仲になっていたかもしれません^^;

これからも、こちらのサイトにて多くのことを学ばせて頂きたいと思います。
未熟者ですが陰ながら応援させてくださいませ。


 平中    ..水垣    
        2007/02/08(木) 23:19  No.1285
 
 
はじめまして。ようこそおいで下さいました。ご投稿ありがとうございます。
平貞文についてコメントを頂くのは確か初めてです。業平ファンは多いと思うのですが、平中が気になるとおっしゃる方は珍しいのでは。彼の何があなたをそんなに惹き付けるのでありましょうか。
平中は色男には違いないのですが、業平のように理想化されてはいなくて、性格のひねくれ方など何とも言えず、男から見ても親近感を感じてしまう、大変魅力的な人物だと思います。
『平中物語』をお借りになったのでしょうか。古典の中では読みやすい方ですし、きっと楽しめる本だと思います。

応援のメッセージをまことにありがとうございます。励みとして参りたいと存じます。



 久々に    ..アゲハ    
      2007/02/07(水) 18:58  No.1282
 
 
冷え込んできました。

積雪もないままに春に移行するのかしらと、とりあえず喜んでましたが、どうもここまでの陽気のようです。

寒いのは大嫌いですけれど雪景色は好きなので、雪の白鷺城をデスクトップに飾って眺めてましたら、刑部姫を連想しました。


 Re:久々に    ..水垣    
        2007/02/08(木) 23:04  No.1284
 
 
暖冬のまま立春を迎えてしまいましたね。過ごしやすいのは結構なのですが、農作物への影響や地球環境との関連など考えますと、余り喜んでばかりもいられないようです。

この冬は全国的に雪が少なかったのでしょうか。当地もとうとう一度も降らず、ちょっと物足りないような気もします。
雪化粧した白鷺城はどんなにか美しいことでしょう。刑部姫の透き通るような肌と獅子舞の真っ赤な顔のコントラストが何とも鮮烈です。

白鷺と言えば、我が家の近所の川でよく見かけます。写真は先日鶴岡八幡宮の源氏池でたまたま撮ったものです。



 ご無沙汰しています    ..一人静    
      2007/01/28(日) 11:18  No.1280
 
 
年末年始のご挨拶も失礼して・・今月もあとわずかとなりました。
ご無沙汰しています。

万葉集巻五を無事読み終えることができまして・・ご報告申し上げたく久々のお便りさしあげます。

旅人さんを中心にした梅の宴を楽しみ、晩年の憶良さんの血を吐くような苦しい文章にたじたじとしながらの一年でした。

さて、六巻は笠金村さんの歌から始まりました。
彼の長歌、短歌についての水垣様の鑑賞の文章を読ませていただきながら、頷くことの多くなった自分に気づきました。

歌とは、今の私達の個人の思いを伝えるものとは別の、目に見えないものにささげる物としての役目をもっていた事が実感として受け取れるようになってきています。

 山高み白木綿花に落ち激つ滝の河内は見れど飽かぬかも

ささげものとしての歌と思いながらも、情景描写の美しさを感じないではいられません。

新しい巻はわくわくさせてくれます。

今までも人物の略歴などでこのサイトに何度お世話になったことか・・ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。


 今年もよろしくお願い致します    ..水垣    
        2007/01/30(火) 00:50  No.1281
 
 
お久しぶりです。あっと言う間に新年も一カ月が過ぎようとしています。

万葉集の読書会は着実に進んでおられるご様子。
巻五は、巻頭から「報凶問歌」、重い主題の歌が多いですが、梅花の宴のような華やかな催しもあり、大伴旅人と山上憶良という異なる個性が競演する、興味の尽きない一巻ですね。漢文が多い点も万葉集の中では異色で、決して読みやすい巻ではなかったのでは。

対して巻六は宮廷歌人と呼ばれる笠金村と山部赤人が晴れやかな讃歌を競い合い、万葉集の本道に立ち返ったかのような感じを受けます。引用された、

>山高み白木綿花に落ち激つ滝の河内は見れど飽かぬかも

のような歌は、仰るとおり「ささげものとしての歌」、天皇に代って土地の精霊に捧げた歌という面を持ちながら、美しい情景描写はそうした作歌動機を超越して今の私たちの心にも響くものがあるようです。山部赤人の澄み切った心象風景を思わせるような秀歌、

>み吉野の象山のまの木末にはここだもさわく鳥の声かも

なども巻六に出て来ますね。

また当サイトが何かのお役に立てましたら幸いです。今年もどうぞよろしくお願い致します。



 冷泉為尹    ..yamada    
      2007/01/21(日) 14:38  No.1279
 
 
水垣様
早速、御回答賜り有り難うございました。
今後とも、宜しくお願い申し上げます。



 冷泉為尹    ..yamada    
      2007/01/20(土) 10:46  No.1276
 
 
こんにちは、お邪魔します。
どなたか、お答えいただければ、幸いです。

やまびとの あとにあらしや (おくるらむ)
このはみだるる たにのかけはし

冷泉為尹の歌ですが、第三節は「おくるらむ」でしたでしょうか、
それとも、「おこるらむ」であったでしょうか。
宜しく、お願いします。


 Re:冷泉為尹    ..水垣    
        2007/01/21(日) 00:15  No.1278
 
 
こんばんは、ようこそいらっしゃいました。

>やまびとの あとにあらしや (おくるらむ)
>このはみだるる たにのかけはし

新編国歌大観も「おくるらむ」、群書類従も「送るらむ」としています。




 松の内も終わりましたね    ..紀州の姫    
      2007/01/17(水) 11:50  No.1275
 
 
君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ

今、花筵で取り上げられていますこの歌、そして唱和される皆様の歌を口ずさんでいるうちに、自分がその時代にタイムスリップし、“若菜摘む私”なったような気がします。(厚かましいですねぇ・・・。(^_^;))
一つ一つの歌からその情景が浮かび、その奥にある心も少し感じられ、解らないなりにも楽しいものですね。

【のびやかな調べにのせた古雅な趣きを味わう中に、「おのづから」息災長寿を祈る心がこもるところが一層めでたい。】

補記で、より良くこの歌の心が解りました。
七草粥もずっとその時代から引き継がれてきたのでしょうか?

【衣手(ころもで) 袖または袂を意味する歌語。】
この言葉一つとっても、日本の着物文化は大切にしたいものですね。

その美しい着物姿の雅な踊りをどうぞ!(いつも同じような写真ばかりですが、14日に京都・祇園に行った時のものです)


 大寒も過ぎました    ..水垣    
        2007/01/21(日) 00:06  No.1277
 
 
花筵、見て下さってありがとうございます。光孝天皇の御製はもとより、皆さんの投稿された御歌も情景彷彿、私も春浅い野を逍遥する気分に浸りました。若菜摘む乙女たちの中に姫様もお見えだったのですね。

光孝天皇の若菜摘みも、正月のゆかしい行事として詠まれているようです。昔は七日でなく初子日に若菜を食する宮廷行事があったそうで、一条兼良の『公事根源』という本に寛平年中(889〜898)に始まったとあるそうです。まさに光孝天皇の直後の時代です。最初は羮(あつもの)としていたようで、七草粥になったのは室町時代からと物の本には書いてありました。
もっとも、新暦の1月7日は若菜の季節には程遠く、我が家では七草粥は旧暦の当日に頂くことにしています。今年は新暦2月24日が旧暦正月七日です。

祇園からのお正月便りもありがとうございました。着物の袖というのは本当に美しいものですね。

日付が変わってしまいましたが、20日は大寒でした。朝、こちらは雪交じりの雨が降り、寒い一日でした。
これからが寒さのいちばん大きな峠。それを越えれば、もう春も間近ですね。

(写真は先日撮りました瑞泉寺の冬桜です。)



 恭賀新年    ..紀州の姫    
      2007/01/04(木) 04:00  No.1269
 
 
新しき年の始めの初春のけふ降る雪のいや重け吉言


水垣さま、御家族皆様お揃いで良き新年をお迎えの事と存じます。
私の方も年末から年始にかけ母と共に過ごしております。
実家のリビングにはいつも『鉛筆で感じる古の心 小倉百人一首』があり、母の失語症対策におおいに役に立っております。(^_^)v

“花筵”は私などには遠い遠ーい世界で御座いますが、皆様のお話や「百人一首に唱和しよう」のコーナーがカルタ付きでアップされるのは楽しみです。

いつまで経っても和歌の世界には程遠い私ですが・・、今年もどうぞ宜しくお願い致します。



 Re:恭賀新年    ..水垣    
        2007/01/05(金) 01:05  No.1274
 
 
あたらしき年のはじめに懐かしみ思ふ人どち過ごす嬉しさ

紀州の姫様、明けましておめでとうございます。
新年のご挨拶をありがとうございました。お蔭様で、私共も家族揃って穏やかな正月を迎えることができました。

お母様はお元気そうで何よりです。本がお役に立っているとは、大変嬉しく存じます。
我が家の母はと申せば、『武士の一分』を観て以来、キムタクに夢中で、映画のパンフレットが座右の書になっています。
まあ、ときめくのは良いことでしょう。^^

私も新年を迎え何か新しいことを始めたいなとも思うのですが、時間が思うにまかせません。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

(写真は鎌倉宮の初詣風景です)



 謹賀新年    ..ひよきち    
      2007/01/02(火) 10:13  No.1268
 
 


水垣さま 明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりまして誠にありがとうございました。

今年も水垣さまのサイトにて多くのことを学ばせて頂きたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


冬になりまして星空も美しくなって参りましたね。




 Re:謹賀新年    ..水垣    
        2007/01/05(金) 00:26  No.1273
 
 
ひよきち様、明けましておめでとうございます。
こちらこそ昨年中はご厚誼にあずかり、誠にありがとうございました。すっかりご無沙汰してしまい、失礼をお詫び申し上げます。今年も当サイトをご愛顧頂けましたら幸いに存じます。

さすがに星の光は冬になると冴え増さりますね。オリオン座を始め、人目をひく星座も多く、冬の星空はどの季節より華やいで感じられます。



 ご挨拶    ..アゲハ    
      2007/01/01(月) 22:38  No.1267
 
 
謹みて初春の
    お慶びを申し上げます

広島は穏やかな元日でした。
本年もどーぞ宜しくm(__)m


 Re:ご挨拶    ..水垣    
        2007/01/05(金) 00:14  No.1272
 
 
明けましておめでとうございます。
元旦にめでたい絵とご挨拶をまことにありがとうございました。

お蔭様でこちらも穏やかなお正月を過ごせました。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

(こちら梅はまだなのですが、蝋梅がちらほら咲き始めています)



 新年    ..もも [URL]    
      2007/01/01(月) 15:47  No.1266
 
 
あけましておめでとうございます。

いつも拝見しては逃げ帰り・・というのを繰り返しているのですが、こういうときぐらいはキチンとご挨拶させていただかないと、と出てまいりました。m(__)m

旧年中は、やはり水垣様のページに大変お世話になりました。
今年もまたお世話になろうと思っております。^^;

・・・につけても、こちらにおいでの皆様方のお話がきちんと理解できるくらいの勉強をしなければ・・と、思った年頭です。
古語辞典のお話や歌の御本のお話・・しみじみと本当に身に染みました。


 Re:新年    ..水垣    
        2007/01/05(金) 00:01  No.1271
 
 
明けましておめでとうございます。こちらこそご無沙汰しております。

こんなサイトでも何かの形でお役に立てているのでしたら幸いです。励みとし、努力して参りたいと思います。

今年も、投稿用の掲示板も含め、皆様と楽しい、また有益なお話が出来たらと思っております。



 無題    ..むらじ    
      2007/01/01(月) 00:45  No.1265
 
 
新年明けましておめでとうございます。
旧年は公私共に多忙となり、すっかりご無沙汰になってしまいました。
また皆様のお話の輪に加えていただければ、と思っております。
貴サイトのますますのご発展を祈念致しております。

追伸
>水垣様
雪の写真、憶えていますよ。^^
今年もいい風景、期待しております♪


 本年もどうぞよろしくお願い致します。    ..水垣    
        2007/01/04(木) 23:45  No.1270
 
 
明けましておめでとうございます。
お久しぶりのご投稿、嬉しく拝見致しました。また歴史のことなどお話し頂ければ幸いです。
私の方はもっぱら私生活の方が難儀な状況だったのですが、少し落ち着いてきました。

雪の写真はたぶん載せたかなと思ったのですが、やはり…。
この冬はやはり暖冬なのでしょうか、まだ初雪を見ません。
今年はデジカメを持ち歩く習慣を復活させて、鎌倉の風景などお見せできたらと思います。





 merry・Christmas    ..アゲハ    
      2006/12/25(月) 08:11  No.1263
 
 
ホワイトクリスマスにはなりませんでした......。
聖夜は天空も凛と冴え返って♡


 Re:merry・Christmas    ..水垣    
        2006/12/30(土) 00:23  No.1264
 
 
こちらもホワイトクリスマスとはなりませんでしたが、お蔭様できれいな星空を拝ませて頂きました。素敵な絵をありがとうございました。

その後各地でお天気が荒れ模様でしたが、お変わりありませんか。
関西方面では初雪の降った所もあるとか。こちらはカラッとした晴天でした。

(写真は一昨年の暮、雪が降った日に家の裏山を撮影したものです。なんと紅葉がまだ残っていました。)

今年も残すところ二日となりましたね。どうぞよいお年を。



 誤字    ..1ROM者    
      2006/12/20(水) 10:24  No.1261
 
 
いつも拝見させていただいております。
人物ごとに新たな発見があり、とても面白いです。

以下、誤字らしきものを発見しましたので
お時間のあるときに修正をお願いします。

*************
大伯皇女 おおくのひめみこ 斉明七〜大宝一(661〜701)
見まく欲(ほ)り我(わ)がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに(万2-164)

【通釈】私が見たいと思うあなたはいもしないのに、どうしてやって来たのだ織る、馬が疲れるだけなのに。
*************
【通釈】「だ織る」→「だろう」だと思います。


 Re:誤字    ..水垣    
        2006/12/20(水) 12:56  No.1262
 
 
誤字のご指摘、まことにありがとうございました。おっしゃる通りです。先程修正しておきました。
タイピングの変な癖がついてしまって、時々やらかすミスです。お恥ずかしい限りですが、本当に助かります。

感想も有り難うございました。励みになります。今後ともご愛顧頂けましたら幸いです。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ooku2.html



 ちゃっぷい!!!    ..アゲハ    
      2006/12/09(土) 19:36  No.1259
 
 
凩にたへぬ木の葉の舞う故や歩み急かるる冬の旅人


 Re:ちゃっぷい!!!    ..水垣    
        2006/12/12(火) 00:47  No.1260
 
 
 凩に青葉こきまぜ舞ふ空は時雨もいそぐ冬の旅かな

明日は雨の予報で、当地の紅葉もだいぶ散ってしまいそうです。



 死者の書    ..さんごかく    
      2006/12/03(日) 21:49  No.1252
 
 
こんばんは 春先には折口信夫を紹介いただきありがとうございました。まだ遅々と読み方で進んでいます。
民俗学的な話はわき道に外れそうですが面白く、読み返したりして遅れています。そんな折、犬飼隆氏の木簡による「日本語書記史」を手に入れ、あわせて興味深く読みました。

11月偶然にNHKで折口信夫が4回にわたって解説されました。
ところが、これまた偶然に当地で「死者の書」の映画があり、早速観てきました。今一度死者の書を読んでみます。
謡曲の当麻を謡ってみますと〜誰とはなどや愚かなリ呼べばこそ来たりたれ〜とあります。ここが謡、当麻の大事かとおもいます。
歌のほうはなかなか入って行けないのですが、環境が少しづつ分かって来たような気がいたします。
良い機会を与えてくださり誠にありがとうございます。


 Re:死者の書    ..水垣    
        2006/12/04(月) 12:17  No.1258
 
 
こんにちは。
ご投稿を拝見して、国文学・民俗学・歌・小説……あらためて折口信夫の世界の広がりと深さを思いました。今も、いろんなネットワークの要にこの人がいるのですね。
映画「死者の書」は我が家の近所でも上映会があったのですが、見逃してしまいました。人形アニメーション映画ですね。

http://www.kihachiro.com/index2.htm

また機会があれば今度は観たいと思っております。
そう言えば最近、古書店で『近代悲傷集』を手に入れ、近代詩人あるいは長歌作者としての折口信夫にも圧倒される思いをしたところです。

  神こゝに 敗れたまひぬ―。
 すさのをも おほくにぬしも
  青垣の内つ御庭の 
   宮出でゝ さすらひたまふ―。



 小野小町の短歌    ..鍛治登喜夫    
      2006/12/02(土) 22:23  No.1251
 
 
ここ何回か小野小町の短歌の掲載した高島屋の広告がでています。
思ひつつ寝ればやーー の短歌を 思いつつぬればや として掲載されています。古今集の短歌を現代仮名使いで書かれては気持ちが悪い。高島屋に手紙を送りましたが、現代人の分かり易いように現代かなにしたとの宣伝部長の返事です。古典を現代かなで書くともうそれは古典とは思えない。


 Re:小野小町の短歌    ..水垣    
        2006/12/04(月) 12:15  No.1257
 
 
ようこそいらっしゃいました。ご意見ありがとうございます。
最近新聞の広告で六歌仙の絵を見た覚えがありますが、それのことでしょうか。珍しいなと思ったくらいで、宣伝コピーを読みもしませんでしたから、歌が載っていることも存じませんでした。
広告には広告としての意図があって古典も古典でなくなってしまうというわけですね。



 こんにちは    ..業平もどき    
      2006/12/02(土) 06:45  No.1250
 
 
この間は和歌の勉強方をお教えいただきありがとうございます。
詠歌辞典は無く母に古語辞典を送ってもらい古歌の意味を自分で現代文に直しそれで歴史的な言葉使いをおぼえようと思いますがどうでしょうか?
また歌をいくつか載せますがアドバイスご感想などいただければ幸いです。
豪州の夏風受けるわが身かな大願胸に通う学びや
14歳のときの初めてのオーストラリアへの海外留学のときに詠んだ歌です14歳にしてはなかなかの出来で気に入っています。
富士の山わが身なるかと思えども西の山々我を隠さん
オーストラリアでつけた実力に自身を持っていたがヨーロッパにはもっとすごい人が沢山いてショックだった時に詠んだ歌。


 御作への感想    ..水垣    
        2006/12/04(月) 12:14  No.1256
 
 
>母に古語辞典を送ってもらい古歌の意味を自分で現代文に直しそれで歴史的な言葉使いをおぼえようと思いますがどうでしょうか?

古文の用法を知るには大変良い方法だろうと思います。できたら文法の詳しい解説が付いた辞典が良いでしょう。

>豪州の夏風受けるわが身かな大願胸に通う学びや

十四歳の作でなくとも、ちょっと立派すぎるくらいの歌だと思います。これはこれで良いと思います。豪州という土地ならではの特色(そしてそれに対する新鮮な感動があったはず)が出たらもっとよかったですね。
正しい古文調ということでは、「受ける」は「受くる」となります。動詞の活用はなかなか難しいので、最初のうちは常に古語辞典の活用表などで確認した方がよいと思います。

>富士の山わが身なるかと思えども西の山々我を隠さん

作者の解説がないと解らない歌になってしまっています。題(詞書)などを付けるのも一つの手ですが、作品だけで読む人に心が伝わるように、言葉を練り直す必要があると思われます。



 師走    ..darklady [URL]    
      2006/12/01(金) 15:58  No.1249
 
 
こんにちは
和歌には日頃縁の無い私ですが 師走と歌で検索しましたら
「建礼門院右京大夫集」の中の「月をこそながめなれしか〜 」がありましたので貴サイトのURLを載せさせていただきました
後承諾で申し訳ございませんが 宜しくお願いいたします

これから寒さとともに 星空が美しくなりますね
星が見える場所も少なくなってきた此の頃ではございますが..


 Re:師走    ..水垣    
        2006/12/03(日) 23:02  No.1255
 
 
こんばんは、お久しぶりです。
お知らせありがとうございます。

 月をこそながめなれしか星の夜の深きあはれを今宵知りぬる

この歌は師走の新月の詠でしたね。
毎晩11時頃、犬を連れて一時間ほど散歩します。寒さがこたえるようになって来ましたが、星空を眺めるのが楽しみで、さぼろうとは思いません。



 お久しぶりですm(_ _)m    ..ゆゆ    
      2006/11/30(木) 21:47  No.1248
 
 
 瑞垣様、こんばんは!寒くなってまいりましたね。
以前にふらりと「花筵」にお邪魔してから、また長く間が空いてしまいました。唱和に参加したいなあといつも思いつつ、私の心がなかなか歌を詠みません(笑)。ゆっくり行こうと思います。

 さて、昨夜、NHKの「その時、歴史が動いた」で古今集の成立をやっていて、興味深く視ておりました。
 根本的な驚きなのですが……古今集って、時平が作らせたものだったのですか?!私はてっきり醍醐天皇だと。
 番組では、天皇の勅だけど実質的には時平、みたいな解説でした。私が無知なだけで、それって常識なのでしょうか?それとも、今どきの説なのかな?
 いずれにしろ、時平の株が随分上がってしまいました(笑)。
 それに、古今集はやっぱり美しい。大好きです。


 その時、歴史が動いた    ..水垣    
        2006/12/03(日) 22:51  No.1254
 
 
ゆゆ様、こんばんは。お久しぶりです。

NHKの「その時、歴史が動いた」、私も途中からですが視聴しました。
 菅原道真−漢字−漢詩−漢風文化
 藤原時平−かな−和歌−国風文化
という単純化した図式で、政治的背景から古今集の成立を解釈したものでしたね。
古今集の編纂については奏覧の年さえ明確でなく、成立までの事情はよく判っていないので、いろんな推論も可能だということではないでしょうか。
時平は自ら歌合を催したりして、和歌を好んだことは事実ですし、当時の政界のリーダーとして、古今集編纂の大きな推進者であった可能性は高いだろうと思います。「実質的に」時平が作らせたとまで言えるかどうかは、疑問ですが。もしかすると、「今どきの説」はそちらへ傾いているのでしょうか…。

可愛い秋明菊ですね。また歌心が動きましたらどうぞ。



 紅葉かつ散る    ..アゲハ    
      2006/11/28(火) 16:19  No.1247
 
 
このあたり、変哲のない山々も錦を装い今が盛りの様相です。
先日は雨の予報で紅葉狩りをキャンセルし、見事裏切られて快晴の一日を籠って過ごしましたが、桜の時期ほど心が波立たないのは、秋がなにかしら寂しい季節であまり好きではないからかも。
.....心はのどかです。


 Re:紅葉かつ散る    ..水垣    
        2006/12/03(日) 22:11  No.1253
 
 
12月となり、こちらは紅葉真っ盛りを迎えようとしています。
せっかくの好天に紅葉狩を逃された由。桜狩と比べて、紅葉は楽しめる時期が長いですから、またきっと機会がおありでしょう。
私は獅子舞という近くの紅葉の名所に近いうち行ってみようと思っております。
写真は一昨日の鶴岡八幡宮大銀杏。この樹は例年黄葉が遅く、今年もまだまだです。



 とても良いアドバイスありがとうございます    ..業平もどき    
      2006/11/27(月) 03:54  No.1245
 
 
これからはもっと良い古歌風の歌を作りたいのですが正しい古文調で歌を作りたいのですがいい本や勉強の仕方があれば教えてください。

 Re:とても良いアドバイスありがとうございます    ..水垣    
        2006/11/27(月) 23:57  No.1246
 
 
古文調と言いますか古典文法に則って詠むための手引書のようなものは心当たりがありません。昔は「詠歌辞典」といった類の本が幾つも出ていたので、古書店で見つかるかもしれません。多少の参考にはなるだろうと思います。
しかし一番良いのはやはり古典を読むことだと思います。万葉・古今・新古今はもちろんですが、江戸時代や近代にもすぐれた古文調の歌人は大勢いますから、好きな歌集や歌人を見つけたら、繰り返し読まれることをお勧めします。



 はじめまして    ..業平もどき    
      2006/11/25(土) 22:14  No.1243
 
 
私はオランダのハーグに住む学生です。源氏物語を読んでから歌の世界にはまりよく歌を詠んでいます。自作の歌をいくつか載せますのでアドバイスやご感想を下されば幸いです。

秋風が吹けば君をぞ信夫摺乱れにし行く我が恋心

二年間住み慣れたオーストラリアを離れたときに詠んだ歌

名残あれど発たなんとする豪州の春去り行けばまた帰りこむ


 オランダのハーグよりようこそ    ..水垣    
        2006/11/27(月) 01:49  No.1244
 
 
はじめまして。ご投稿歓迎いたします。
ハーグと言えばフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」のあるマウリッツハウス美術館のある町ですね。ぜひ一度訪ねてみたい、憧れの地のひとつです。

>秋風が吹けば君をぞ信夫摺乱れにし行く我が恋心

百人一首の河原左大臣の歌から本歌取りですね。「信夫摺」に「偲ぶ」「忍ぶ」を掛け、また摺り染め模様から「乱れ」を導いて、懐かしい調べの恋歌になっています。
「乱れにし行く」は「乱れ行きにし」としないと意が通じないでしょう。

>名残あれど発たなんとする豪州の春去り行けばまた帰りこむ

こちらはやはり百人一首の中納言行平の歌を踏まえているのですね。
文語では、「行けば」は既定条件をあらわし(すなわち「行ったので」の意)、「行かば」が仮定条件をあらわします(すなわち「行ったならば」の意)。御作の場合、古典文法に正確を期するのでしたら、第四句は「春去り行かば」とするべきでしょう。

古い和歌の伝統的な詠法、特に掛詞のような技法を使うのは、現在《歌壇》と呼ばれているところでは推奨されない(と言うより受け容れられない)やり方だと思いますが、私はそうした和歌の詠み方も大切にしたいと思っています。和歌に受け継がれて来た古人の心を生かしつつ、現代を生きる私たちの心にも響くような歌ができないだろうかと考えているのです。ですから古風な歌の調べに寄り添うような業平もどきさんの作風には親しみを覚えます。「もどき」の歌でなく、ご自分らしさが出せれば、もっと素晴らしいことだろうと思いますが、それがなかなか難しいことで、たゆまぬ努力が必要になってくるのでしょうね。



 昨朝は今期初の最低気温でした。    ..アゲハ    
      2006/11/19(日) 12:22  No.1241
 
 
凍蝶というにはまだ早いでしょうけど、自然界に生きる者たちには厳しい季節の訪れです。
最近、美しいチョウチョを見つけました。
ウスバツバメです。

でもこやつは(蛾)ですと....ま、いいんですけど。



 無題    ..水垣    
        2006/11/20(月) 22:38  No.1242
 
 
急に気温が下がり、蝶はほとんど見かけなくなりました。これから最低気温が毎日のように更新されてゆくのでしょうか。
ウスバツバメ、美しい蝶(蛾?)ですね。鮮やかな色彩の中で、モノクロームの羽が、いとあわれです。

私の写真は凍蝶ならぬ銀杏です。先週、鎌倉大町の安国論寺というお寺のそばで撮りました。黄葉はまだまだこれからです。



 お邪魔しています☆    ..RITTI☆    
      2006/11/11(土) 21:18  No.1238
 
 

初めまして
数日前にこちらのページの存在を知り、それ以来毎日お邪魔させて頂いております。

私はオーストリアの首都、ウィーンの隣町に住んでおります。
かの地で、こちらの人々に剣道を指導しております。

私は幼い頃から、父から「古の武士の嗜み」として、剣道のほか、和歌を教え込まれて育ちました。
折にふれては自作もするのですが、なかなか風雅な趣は出せませんね。

このようなステキなページを発見できたことを、本当に嬉しく思います。
このページで勉強しながら、恥ずかしながら、私の駄作もどこかでご紹介できればと思いますので、是非今後とも宜しくお願い申し上げます☆

(9/17付「いつの間にやら」のところでの、アゲハ様、逸爾散士様、招き猫との書き込みの共演、とても素敵ですね。ときめきながら読ませて頂きました☆)



 オーストリアよりようこそ    ..水垣    
        2006/11/12(日) 21:28  No.1240
 
 
初めまして。お書き込みありがとうございます。
ヨーロッパの地で剣道を指導されているとのこと。輸入超過と指摘されて久しい日本の文化状況ですが、RITTI様のような方がおられると思えば、日本人として頼もしくも誇らしい気持になります。
しかも、古武士のごとく文武両道を実践しておられるのですね。
風雅は日々の心の持ちようと申します。心のままに言葉をお使いになれば、きっと趣深い御歌ができることでしょう。
こちらでも「花筵」という投稿用の掲示板でも結構です。機会がありましたらぜひご紹介下さい。

「もののあはれ」を知った皆様のお蔭で、私自身がいちばん楽しませて頂いているという、大変幸福な掲示板管理者です。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。



 ぼけ〜.......    ..アゲハ    
      2006/11/06(月) 21:53  No.1237
 
 
としている間に連休も過ぎてしまい、月曜日!しかも雨!!でした。
これからは一雨ごとに冷たくなるんでしょう。
立冬まで僅かばかり。
秋も終盤となれば錦繍でフィナーレ.....といきたいのに、ここ山のてっぺんでもまだ限られた樹木が遠慮がちに染まっているだけです。

このたびは 幣もとりあえず......紅葉の錦 君がまにまに♪


 Re:ぼけ〜.......    ..水垣    
        2006/11/12(日) 20:54  No.1239
 
 
イラストの華やかな色彩が、紅葉の季節を待ち遠しくさせます。美しさに「ぼけ〜」としてしまいました。

立冬も過ぎ、今日は日本各地で初雪が降ったとのこと。荒れ模様の土地も多かったようですが、お変わりありませんか。

我が家の周囲はハゼの木が多いので、一足早い紅葉を楽しんでおります。夕方散歩に出ると、西日が山の端に当たって、紅葉がいっそう照り映えていました。(デジカメを持っていなかったのが残念。)
写真は去年の今頃、近所の山を撮ったものです。紅いのはほとんどハゼだろうと思います。



 無題    ..Muu [URL]    
      2006/10/31(火) 19:54  No.1235
 
 
こんにちは。はじめまして。
イタリアに在住しているのですが、笠女郎のことをイタリア人に尋ねられこちらのページのを参考にして彼女の歌を訳させていただきました。意訳がなければとても訳せなかったと思います。おかげさまでそのイタリア人には美しい詩だとすごく喜んでくれました。
そのときの様子を私のブログで紹介しました。こちらのページも説明のために使わせていただきました。このことをどちらにお知らせしたらよいかわからず、このゲストブックを利用させていただいています。事後報告になってしまい申し訳ありません。また知らなかったことをすることができたことに感謝しています。どうもありがとうございました。


 イタリアよりようこそ    ..水垣    
        2006/11/03(金) 11:31  No.1236
 
 
こんにちは。はじめまして。お書き込みありがとうございます。
Muuさんが訳された笠女郎の歌が、イタリア人の方にも「美しい詩」と受けとめられたとのお話。私のサイトもお役に立てたようで、大変嬉しく拝見しました。
ブログの記事も興味深く拝読しました。彼女の詩が若者に自殺を思い留まらせたとは。千数百年の時を超え、国を超えて、笠女郎の「熱くも優しい女性の心」がイタリアの若者の心を救ったのですね。感動しました。
こちらこそお知らせ有り難うございました。



 菊観    ..アゲハ    
      2006/10/25(水) 20:25  No.1232
 
 
去年は旧浅野家の庭園を菊の芳香を纏いながら散策しましたが、もう今年もこんな季節。

菊の香や奈良には古き仏たち

馥郁とした匂いを嗅ぐと学生の頃に覚えたこの俳句がまず浮かびます。


 Re:菊観    ..水垣    
        2006/10/30(月) 00:35  No.1234
 
 
大輪の黄菊の中をそぞろ歩きしているのでしょうか。花を愛でるまなざしが美しいです。
そろそろ菊花展の催される季節なのですねえ。そう言えば今日(30日)は旧暦九月九日、重陽の節句でした。

幾秋に我が逢ひぬらむ長月の
   ここぬかにつむ八重の白菊  西行

私の写真は昨年鶴岡八幡宮の菊花展で写したものです。



 唱和の式    ..紀州の姫    
      2006/10/25(水) 07:22  No.1231
 
 
水垣さま、お久しぶりでございます。
私の方は今、仕事の“音楽の秋♪”で忙しい日々を過ごしております。

そんな中、昨日は他流派のお茶のお稽古に参加させて頂きました。
そのお稽古は“唱和の式”と申しまして、床にある花入れに花を生け、それぞれが自分の生けた花にちなんだ歌を作り、それを筆で短冊に書き、一人一人読み上げる、というものです。

花はその場にならないと何を生ける事になるか全く解らないし、“唱和の式”に初めての私には歌に付きましては盗作OK(?)とのお言葉も頂いており、こちらのやまとうたblogや千人万首から秋草(花)に付いての歌をいくつか用意し行って参りました。

その中のどれかは使えるだろうと気楽に行きましたら、私より先の方が“菊”や“吾亦紅”や“薄”など生けられ、私は“藤袴”などに。
用意した歌には“藤袴”はなく、他の歌をちょっと改竄し(お稽古なのでお許しを(^^ゞ)、筆でサラサラ・・・、とはいかずモタモタ、モタモタと短冊に書き、読み上げました。

床の間に皆が生けた花が並び、その前で歌を読み上げる・・・、こちら(花筵)の皆様なら、きっと自作で素晴らしい歌を作られるだろうなぁと思いながら楽しいお茶のお稽古の時間を過ごして参りました。
やまとうたを大いに参考にさせて頂きました事、有難うございます。
次の機会までには「和歌入門」をしっかり勉強しなくっちゃ・・・!?かな。(^^ゞ

では、また本業♪を頑張りまぁーす。(^^)


 Re:唱和の式    ..水垣    
        2006/10/30(月) 00:15  No.1233
 
 
紀州の姫様、お久しぶりです。
「音楽の秋」、お忙しい中ご投稿ありがとうございます。

お茶のお稽古に「唱和の式」というのがあるのですね。何とも風情のある、ゆかしい行事だなあと思いました。しかし事前にどの花にあたるか分からないというのはスリリングですね。私なんぞきっと緊張してしまって碌な歌が出来そうにありません。
考えてみますと藤袴の歌には意外と秀歌が少ないような。よりによって難題に当たってしまわれたようですが、さすが紀州の姫様、とっさの機転で乗り切られたのですね。^^
弊サイトがお役に立てましたようで幸いでした。

「和歌入門」もお力になれたら良いのですが、名ばかりのお恥ずかしい代物で。私の方こそしっかり勉強しなくっちゃです(^^;
それはともかく、ネットでの歌会でしたらずっと気軽に楽しめますので、機会がありましたらぜひどうぞ。



 今度もまたお世話になりました。    ..浦木裕 [URL]    
      2006/10/19(木) 09:56  No.1228
 
 
水垣さま:

 この間、『大日本史・歌人伝』原文電子テキストを完成致しました。作成中、何度も貴サイトの千人萬首を参考させて頂きました。口ばかりですが、お礼に、どうも有難う御座います。

http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm#kajin

 もし、この歌人伝が何らの形で貴サイトの役になればなにより幸いです。ちなみに、偶然ながら丁度台湾の中国語訳古今集・百人一首の訳者と知り合いになって、かの著作を貰いました。これを参考資料のもとにして、関連コンテンツを作ろうかと思っている今日のこの頃です。

では、これからも宜しくお願い致します。


 お知らせありがとうございます    ..水垣    
        2006/10/22(日) 15:21  No.1230
 
 
浦木裕様

いつも有り難うございます。今回のテキストは私にとりましては大変利用価値が高そうです。大いに活用させて頂きたいと思っております。

>ちなみに、偶然ながら丁度台湾の中国語訳古今集・百人一首の訳者と知り合いになって、かの著作を貰いました。

貴サイトの新コンテンツを楽しみにしております。
台湾の方たちが古今集や百人一首の歌を読んでどんな感想を持たれるのでしょうか。そのことも関心を惹かれます。
お忙しいご研究の傍ら、精力的に更新なさっていて、私もがんばらなくてはと思います。こちらこそ今後ともどうぞ宜しくお願い致します。




 女郎花    ..アゲハ    
      2006/10/17(火) 00:01  No.1227
 
 
この花の名前の語源を最近知りました。
若くて綺麗な女を倒すばかりに美しい.....とかの意味合いなんだそうですね。
実際に見ると、『そーかぁ???』って感じですが。
でも記憶をたどると蒔絵の図柄など確かに華やかで見事でした。
これは刷り込みでしょうか。

唐猫と女房です。
水彩ソフトで合成してみました。(^_-)-☆




 Re:女郎花    ..水垣    
        2006/10/22(日) 15:12  No.1229
 
 
女郎花(をみなへし)の「へし」は、「押しへされた草」などと言う時の動詞「へす」から来ているとの説ですね。私も今一つ納得できず、和歌歳時記に女郎花のことを書いた時も、そのことには敢えて触れませんでした。
男郎花(をとこへし)は人間の男も押し倒す凄い花ということになりますね。

蒔絵の図柄の女郎花は思い浮かばないのですが、着物の柄などの女郎花は秋草の中では華やかなイメージではないでしょうか。
載せて下さった絵の女郎花も、佳人と張り合う美しさです。

 夕されば萩をみなへしなびかして
      やさしの野べの風のけしきや  源俊頼



 いつの間にやら    ..アゲハ    
      2006/09/17(日) 21:02  No.1214
 
 
夜が長くなりました。
雨が多かった為か、夏の夜明けのすがやかに明るかった日は数えるだけだったような気がしていたのに、もう九月も後半。
う〜〜〜我が身ひとつの秋にはあらねど........なんか早っ!
人恋しく目ざめがちな夜。
(寝覚月)とはよーゆーたもの(T_T)

なにせむに夜半の寝覚めを幾ぞ度しのに覚ゆるこの月の名を


 Re:いつの間にやら    ..逸爾散士    
        2006/09/18(月) 23:54  No.1215
 
 
アゲハ 様

>なにせむに夜半の寝覚めを幾ぞ度しのに覚ゆるこの月の名を

             

 月影のあかきにとても寝覚めせば長き夜すがら人を思はむ


 Re:いつの間にやら    ..招き猫    
        2006/09/21(木) 18:10  No.1217
 
 
アゲハさま

今宵より寝覚めし時はぬばたまの月にうつさむ夜半の君をや

切ないながら、お一人ではないこともまた。




 いつの間にやら(2)    ..アゲハ    
        2006/09/26(火) 08:28  No.1218
 
 
語らえば秋の千草に露を置くほどの間ぞなく夜は明けにける

心しだいで長くも短くも........勝手なものです m(__)m


 Re:いつの間にやら(2)    ...逸爾散士    
        2006/09/27(水) 19:58  No.1219
 
 
アゲハさま

>語らえば秋の千草に露を置くほどの間ぞなく夜は明けにける

思ふどち尾花の庭にまとゐせばあはれはつきず秋の夜すがら

「尾花が庭」のほうがいいかもしれません。お描きになった絵は女郎花かな。一、二句は「お」、四、五句は「あ」の頭韻にしたので「尾花」なんですけど。


 Re:いつの間にやら(2)    ..水垣    
        2006/10/06(金) 12:41  No.1220
 
 
関東地方は台風の影響で大変な吹き降りとなっています。皆様のところはお変わりありませんか。
>アゲハ様
返し歌が思い浮かばないまま、すっかりお返事が遅れて失礼しました。
秋風の流れも感じられる素敵な絵ですね。
この絵に添える賛ということで一首。

 秋風はうしほと満ちて野辺に寄す千草なびかせ霧たなびかせ


 Re:いつの間にやら(2)    ..アゲハ    
        2006/10/09(月) 19:34  No.1224
 
 
お歌から、秋色に変貌していく野の有様が清々しくも濃く感じられます。
ありがとうございます。

....にしましてもアゲハこのよーに度々こちらにお邪魔してて良いのかしら〜.....とか思いつつ、きょうも秋草をお持ちしましたの。

みどりなるひとつ草とぞ春は見し秋は色々の花にぞありける
                        (古今和歌集)


 Re:いつの間にやら(2)    ..水垣    
        2006/10/13(金) 02:49  No.1226
 
 
なかなかお返事ができなくて申し訳ないのですが、ご投稿はいつも楽しく拝見しております。
秋は深まり、リンドウやムラサキシキブの美しい頃となりますね。綿毛を出して銀白色になったススキもよく見かけます。庭のツワブキがもうじき咲きそうで、冬も遠くないのだなと思う此の頃。

 深き秋の程こそ見ゆれ竜田姫
   いそぐ梢の四方の色々   式子内親王



 始めまして    ..けせらんぱせり [URL]    
      2006/10/07(土) 20:10  No.1222
 
 
猫麻呂様からのご紹介で開かせていただきました。清少猫言(せいしょうにゃごん)ことけせらんぱせりです。毎日忙しい中でも、ブログを書き込んでるボランティア・マニアです。日々、過す中にも日記形式に短歌に触れて行きたいと思います。

短歌に付いては無知で、かろうじて幼少の頃母の趣味に付き合っていましたので、5,7,5,7,7のリズムは身体の至る所で察知できる様で、中学の頃作詞をしていてもどうしても刻まれてしまうのが自分でも愉快でなりませんでした。

今は、子育てを通してのものが多いのですが、宜しければ皆様にご指導いただきたいと思います。


木漏れ日を避けて干し物したとても正直な肌メラニン沈着

体操着くすんでいると判っても高き青空映えてなびけり

弁当のメニューを決めて試作する競技のご褒美ファイト一発!


 Re:始めまして    ..水垣    
        2006/10/12(木) 23:22  No.1225
 
 
初めまして。お返事遅くなり失礼致しました。サイトの管理人の水垣と申します。
ようこそおいで下さいました。お歌もありがとうございます。
育児に追われる中、がんばっておられるお母さんの姿が生き生きと、また微笑ましく浮かんで来ます。同じ立場の方ならきっと誰しも思い当たることがあり、素直に共感できるお歌ではないかと思いました。

もっとも、こちらの『ゲストブック』をご覧になる方は、当サイトの内容からして古風な歌を好まれる方が多いかと思われ(私自身ももちろんそうなのですが)、御作のような現代的な作風にはあまり関心を持たれないかもしれません。

なお、和歌投稿板と銘打ち、皆さんと和歌を詠み合いまた語り合うことを目的とした「花筵」という掲示板が用意してありますので、宜しかったらそちらへご投稿下さいませ。決して《添削指導》の場ではありませんが、お歌に対する意見を(お世辞は抜きにして)皆さんと交換できたら、と思ってやっております。

花筵



 無題    ..アゲハ    
      2006/10/06(金) 21:42  No.1221
 
 
一日中、めまぐるしく変化する空模様で、今夕などは物の怪が出てきそうな雲行きでしたのに.......。

今夜の月は辺りの雲を払って皓々と輝いています。
銀鼠の芒の原に仰臥してみればこんな感じでしょうか。
今の季節、夜空に矩形の影と共に浮かぶより、さびさびとした風景にこそ月は相応しく思えます。


 Re:名月    ..招き猫    
        2006/10/07(土) 21:19  No.1223
 
 
仲秋の月のさやかにてりはえて尾花くず花めづる夜半かな

 私の街の今日の月は「しくものぞなき」美しさです。十六夜の月の歌は、明晩詠むことに・・・



 無題    ..I.Aoki [URL]    
      2006/09/04(月) 00:37  No.1210
 
 
拝啓 初めてメールいたします。

貴HPを、その情報量と和歌への情熱とに圧倒されつつ、座右の書(HP?)として毎日拝読しております。

門外漢ながら、私も短歌について書いてみたくなり、短歌ブログをはじめました。100話を目標に、おもに通勤電車の往復2時間を活用して書いております。ご笑覧頂ければ幸いです。

I.Aoki


 祝ブログ開設    ..水垣    
        2006/09/07(木) 01:51  No.1213
 
 
初めまして。ご投稿ありがとうございます。
いつも見て下さっているとのこと、大変励みになります。

ブログ「四季をめぐる詩歌」の開設、おめでとうございます。こんなブログの出現を待ち侘びておりました。実朝など、敬愛する歌人が取り上げられて、ことのほか嬉しく。毎日楽しみに拝見致します。

こちらの方へもまたお気軽にお寄りください。



 新秋    ..アゲハ    
      2006/09/03(日) 22:10  No.1209
 
 
一雨一雨に洗い清められるかのように空気も透徹してきて、秋は月がことのほか美しく見える時期です。
(もっとも、まだ観てないんですが)
まん丸なお月様をお持ちしました。

しぬび哭く采女が髪の乱れより
      飛鳥の月の冴え渡るかも


 Re:新秋    ..水垣    
        2006/09/07(木) 01:31  No.1212
 
 
「新秋」とは良い言葉ですね。薄の穂も出始めました。
明日(8日)が満月のようですが、一足先に素敵な満月を拝ませて頂きました。

 秋の夜は采女の袖も露しげみ月宿るらむ故里の野辺



 豊旗雲    ..たけ    
      2006/08/20(日) 08:50  No.1208
 
 
はじめまして!! 和歌の深い世界に惹かれてときどき訪問させていただいてましたが、初めての書き込みをしようと思いゲストブックを開いてみたら、何人か存じている方がいらっしゃるようです。

さて先週末に朝早くドライブしていたらこんな雲を見ました。すぐに天智天皇が詠んだ「豊旗雲」を連想しましたが、気象の専門家の方でも豊旗雲がどういう雲か分からないと聞いています。

そこでちょっと考えてみました。そういう雲がないとしたら天智天皇が詠んだ「豊旗雲」は何かと?

じつは雲ではなく、群立する旗ではないかと。雲もなびけば、旗もなびくと表現しますよね。すなわち、戦さに先立ち、湧き上がる雲のごとく、視界の限りに集合した軍船に群立する旗を見て「豊旗雲」と表現したのではないかと。すなわち「豊旗雲」とは、「豊かな雲のような旗」。ならば「わたつみ」とは、海神の魂が乗り移った兵士達でしょうか!!

つまり、百済救済の戦さに集合した軍船に向かって鼓舞した歌ではないかと。額田王が詠んだ「熟田津に」に通じる歌のような気がしています。

突然の訪問で失礼ながら、このシロウトの思いつき解釈はいかがでしょう?


 Re:豊旗雲    ..水垣    
        2006/09/07(木) 01:08  No.1211
 
 
はじめまして。ようこそおいで下さいました。お返事遅くなり失礼致しました。

珍しい写真をありがとうございます。不思議な形の雲が朝焼けで美しく染まっていますね。

 わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ

の「豊旗雲」。「旗のようにたなびいている美しい雲」という解釈で諸家の見解はほぼ一致しているようですが、では実際どのような雲を指すのかとなると、専門家の間でも意見が別れるようですね。
お写真の雲はまさに戦場の軍旗(幟旗)が靡くさまにも見え、このような雲を「豊旗雲」と言ったのかも…と思われました。
「豊旗雲」を「郡立する旗」の比喩と見るお説は、まことに想像力あふれる魅力的な解釈ですし、当然あり得べき解釈であろうとも思います。しかし、この雄渾な歌は、自然の景を叙したと見てこそより生きると思われますし、下句へのつながりを考えても、やはりお説に賛同はできませんけれども。

お知り合いもいらっしゃるようですし、またお気軽にご投稿下されば幸いです。



 夏休みのお知らせ    ..水垣    
      2006/08/14(月) 00:39  No.1207
 
 
日ごろ当ゲストブックをご愛顧頂き誠に有り難うございます。
さてお盆休みを迎え、当掲示板もしばらくお休みを頂くことに致します。再開は九月初め頃を予定しております。この間も投稿は可能ですが、管理人は不在であることをご承知おき下さいませ。
では皆様、なお残暑の続く毎日ですが、お元気でお過ごし下さい。



 残暑お見舞い申し上げます    ..紀州の姫    
      2006/08/10(木) 11:18  No.1204
 
 
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

アゲハ様の描かれた美しい女性に、私もこのような雰囲気が醸し出せる女性になりたいなぁ・・と見とれてしまいました。(^_^)

水垣さま
暑中お見舞いをと思いながら、いつの間にか残暑見舞いになってしまいました。(^^ゞ
もうじきお盆休みでしょうか?

花筵の“風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける”は、私にとっては思い入れのある一首でしたので、皆様のご投稿を大変楽しく拝読させて頂きました。
水垣さまの、“みそぎ川ひと夜すずみて帰りゆくけふ上京は秋風の街(しゅうふうのまち)”も情景が浮かびます。
もしかして・・、帰りゆく人はアゲハ様の描かれたような女性??(^^)

旧暦カレンダーも良く解り、参考にさせて頂いております。

写真は先月25日の大阪天神祭り船渡御に乗船し、出発時の夕暮れの大川です。
まだ雨の多い時で、この日の午前中も翌日も大雨でしたのにこの時だけ晴れ、大川に浮かぶ御神霊を乗せた奉安船・講社の供奉船・神霊をお迎えする奉拝船など百隻ほどの船が行き交う中、“大阪締め”と呼ばれる手打ちも行き交い、大阪ならではの賑やかなお祭りでした。

まだまだ暑さは厳しく、水垣さま皆さまどうぞご自愛下さいますように。 

 


 残暑お見舞い申し上げます    ..水垣    
        2006/08/14(月) 00:26  No.1206
 
 
お忙しい中、ご丁寧にありがとうございます。
私も今年こそは暑中見舞をと思いつつ、結局残暑見舞にようやく手をつけ始めたところです。

お盆休みですね。紀州の姫様も少しはのんびりされているでしょうか。
私は家で、しばらくパソコンも忘れ、ゆっくり過ごそうと思っております。

 風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

そう言えば、以前、茶道の夏用の柄杓につきご投稿頂き、この歌にかこつけて「みそぎ(身削ぎ)ぞ夏のしるし」と覚えられたとのお話を伺いました。面白く記憶に残っております。

「花筵」も見て下さっているとのこと、有り難うございます。私の拙い歌も、アゲハ様の描かれたような女性を思い浮かべて読んで頂けたら、情趣が添わるでしょうか。

大阪天神祭り、涼しげですね。実見したことはないのですが、水の都らしい御祭だなあといつも思います。

関西の夏は今年もひとしお厳しいようですが、くれぐれもご自愛下さいませ。



 立秋も過ぎ    ..アゲハ    
      2006/08/10(木) 00:03  No.1203
 
 
日中は焼け付く程にも暑いんですけど、日陰は妙に涼しかったりして、熱暑もピークを超えつつあるんでしょうか。

移ろいゆく季節を思い、まだ遠い秋の気配に耳をすませてみる.....そんな今夜です。


 Re:立秋も過ぎ    ..水垣    
        2006/08/13(日) 23:37  No.1205
 
 
残暑真っ盛りとは言え、そこかしこに秋の気配が感じられる季節になりましたね。芙蓉や秋海棠が咲き始めると、夏も終りが近いのだなと思いますし、風のある晩などは、虫の音と相俟って、すっかり秋らしさを覚えます。


 今晩は    ..一人静    
      2006/08/01(火) 21:31  No.1201
 
 
暑中お見舞い申し上げます

梅雨が明けたかと思うと、真夏日の日々。
庭に鳴く熊ゼミの声も木々が盛り上がるほどになると疲れてしまいます。

先月の末ごろからでしょうか・・こちらのブログを読み直させていただいています。
皆さんのコメントなど読ませていただきながら・・夏を楽しんでいます。

今日は山菅の歌を楽しみました。

 音きけば人の物思ひやますげを心みがほにさける花かな

ひよきちさんのコメントから

 かなし妹をいづち行かめと山菅の背向に寝しく今し悔しも

解説はブログと重なるのでさけますが、愛する妻を「はしき」とも「いとし」とも言わず「かなし」と言った夫の思い・・

花を顔に喩えて「私のこころを見るように」と言った式部の心・・

など、水垣様の解説とみなさんのコメントが心に沁みています。
去年のそのころはすっかりご無沙汰の私でしたがこうして見なおすことができるようにしていただいていること改めて感謝もうしあげます。



 一人静様    ..水垣    
        2006/08/06(日) 17:02  No.1202
 
 
暑中お見舞い申し上げます。
梅雨明け後の数日、関東地方はわりあい涼しい日が続いていたのですが、日に日に暑さを増し、夜も寝苦しいほどになりました。しかし明後日はもう立秋ですね。

更新終了を宣言したブログですが、今も読み直して下さっているとのこと、まことにありがとうございます。
多くのコメントをお寄せ頂き、もはや私ひとりのブログとは言えず、更新をやめたからといって私の勝手で削除してよいものか――そんな思いもあって、できるかぎり残しておきたいと思っております。

私も去年の8月頃の記事を読み返してみました。そうそう、ひよきち様が「古玉聚」の歌に触れて下さったのでした。こんな風に、本文で書きそびれてしまったことを、お寄せ下さったコメントのお蔭で補足できたことが度々でした。

我が家の裏庭では、山菅や水引が今年も咲き始めて、この一年の時の流れを思いました。



 拝読させて頂きました。    ..浦木裕 [URL]    
      2006/07/27(木) 18:30  No.1199
 
 
水垣様:

 遅いながら、先月はやっと『鉛筆で感じる古の心小倉百人一首』を入手しました。それを最初からゆっくり読んでいて、曲毎に和歌のこころを味わってみました。
 以前、新大系の『詞花和歌集』を読み事がありますが、ちょっと物足りない感じがあったのを、未だ覚えてます。もちろん、新大系は新大系なりのクオリティがあって、詳しく解説を感服しなければ成らないと思います。但し、個人的は歌そのもの以上に、あの歌の作成背景と歌人のことを知りたいんです。どんな場合、どんな心境で、この歌を作ったのでしょうか、と。
 全てのやまとうたの出自は明らかな物ではない現実の上に、随分無理な要求だと思います。でも、やっぱり少しでも原作の心像風景をアプロッチしたい、という欲求があります。高作はまさに、この欲求を満ちて、いにしえの心を感じる土壌を用意して下さったのではないかと思います。値段も安くて、新大系ような専門書を一緒に読むと、完璧なペアにもなるでしょうね、と思っています。
 先日、セミナ参加のきっかけでホテルが用意してくれる鉛筆を貰って、百人一首を少し模写してみました。これからも、いにしえの心を辿られるように、筆写させていただきます。では。


 有り難うございます    ..水垣    
        2006/07/30(日) 00:04  No.1200
 
 
浦木裕様

お買い上げ並びにご感想、誠にありがとうございます。
どちらかと言うとやはり習字が主で、鑑賞は従という本です。それでも、与えられた小さなスペースで、最低限「歌の作成背景と歌人のこと」はお伝えしたいと思いました。ですから、ご意見を大変嬉しく拝見した次第です。
語句の細かい注釈などは、専門的な書物にあたって頂ければ、と思います。そのことも考慮して、巻末の参考文献は入手しやすいものを精撰したつもりです。そちらも参考にして頂ければ幸いです。
字のお手本は大変素晴らしいものですので、どうぞゆっくりとお楽しみ下さい。



 投稿できません    ..火波    
      2006/07/25(火) 09:34  No.1195
 
 
初めまして。
 少し問い合わせしたいことがあったのですが、何度挑戦してもエラーになって投稿できません。 
 どうしたらいいでしょうか。


 Re:投稿できません    ..水垣    
        2006/07/25(火) 23:50  No.1198
 
 
初めまして。
どうもご迷惑おかけします。
原因不明ですが、スパム宣伝対策として「禁止語句」を設定しており、たまたま語句が一致してしまったとか…。考えられる原因としましては、そんなことくらいです。
とりあえず禁止語句の設定を外してみましたので、宜しかったらまたお試しになってみて下さい。それでもダメな場合は、申し分けありませんがメールにてお願い致します。
(アドレスはトップページを御覧下さい。)



 グレーな日々    ..アゲハ    
      2006/07/24(月) 22:20  No.1194
 
 
ですけど、気持ちを切り替えて雨を楽しめるなら幸せと言わねばなりません。

被害に遭われた方には併せてお見舞いを申し上げます。


 Re:グレーな日々    ..水垣    
        2006/07/25(火) 23:45  No.1197
 
 
アゲハ様、
ご丁寧にありがとうございます。
旧暦でははや初秋七月になってしまいました。私も暑中見舞を急がなくては。

大変な送り梅雨となっておりますね。山崩れなどの豪雨の被害は、裏庭に山の急斜面が迫っている我が家も他人事とは思えません。被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。



 ふみの日「百人一首」切手発行    ..葦田なつみ    
      2006/07/21(金) 22:21  No.1192
 
 
23日が日曜なので21日に発行されたふみの日の切手。
光琳カルタを基にしたデザインで
春(伊勢大輔)夏(後徳大寺左大臣)秋(凡河内躬恒)冬(山部赤人)恋(周防内侍)の歌がとりあげられてます。

http://www.kitte-design.net/



 Re:ふみの日「百人一首」切手発行    ..一人静    
        2006/07/22(土) 08:31  No.1193
 
 
おはようございます。

早速近くの郵便局に問い合わせしましたら、まだ在庫が少し残っているとのこと。

手に入りそうで・・喜んでいます。

お知らせありがとう♪


 Re:ふみの日「百人一首」切手発行    ..水垣    
        2006/07/25(火) 23:39  No.1196
 
 
葦田なつみ様、
お知らせ有り難うございます。光琳カルタは華やかで、封書も引き立ちそうです。なかなか郵便局に出向く機会がないのですが、まだ残っているでしょうか。



 夏はこれから    ..アゲハ    
      2006/07/13(木) 21:57  No.1185
 
 
という時期なのに。

山の端に陽も入りぬれば蜩の鳴くをききつつ秋ぞ覚ゆる

今日の黄昏はそんな時間がありました。
もっとも、雨の後の強い日差しで蒸し上げられて、中華饅頭の気持ちが理解できるような一日でしたけど......。


 Re:夏はこれから    ..水垣    
        2006/07/14(金) 08:48  No.1187
 
 
蜩は晩夏の蝉というイメージがありましたが、田舎に移り住んで、梅雨の間から鳴いているのだと知りました。いえ旧暦ではもう晩夏なので、昔の人はやはり蜩が鳴き出すと「秋を覚えて」いたのでしょうか。

 山かげやさみだれはるる夕風に夏のほかゆく蜩のこゑ

蜩の声に木蔭を仰いだのでしょうか、首をもたげた横顔の風情に大変惹かれます。衣裳も涼しげな色合で。


 Re:夏はこれから    ..逸爾散士    
        2006/07/16(日) 23:10  No.1191
 
 

>山の端に陽も入りぬれば蜩の鳴くをききつつ秋ぞ覚ゆる

陽はおちてもまったく暮れてはしまわないひと時かな。暑さのピークに昔の人は秋を感じていたのでしょうね。日本人にとって時の移ろいは滲みの感覚。酷暑の中に夏の死を予感する心のふるえ、って無駄なレトリックはともかく…。

 蜩の声はひと日を送りつつもの思はしき夏の夕暮れ

>山かげやさみだれはるる夕風に夏のほかゆく蜩のこゑ

「夏のほかゆく」が新古今から中世和歌の感覚でしょうか。「ほか」という措辞で「尾上の鐘のよその夕暮れ」の「よそ」を思い出しました。

>夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしの声(式子内親王)

も俤にあるような。景色は夏の雲、風の音にも未だ驚かされぬ季節ながら、どこか夏とすれ違った感じで蜩が鳴いている。

 夕されば白雲かかる山の辺に夏のよそなる蜩の声

ところで写真は桔梗でしょうか。

 露の置く節季近うとなりぬれば覚束なくも零る涙ぞ

うまくいかないなあ。物名。



 ご無沙汰しております。    ..もも [URL]    
      2006/07/14(金) 15:57  No.1189
 
 
毎日毎日、暑い中いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
もう梅雨はあけたのかしらん?と言うような夏空ばかり続いていましたが、先ほどこちらで雷が鳴りました。
これで、本格的な夏到来になるんでしょうか。

いつも、こそこそっと覗いては帰ると言う不義理ばかりして申し訳ありません。m(__)m

先日来、こちらでも話題になっていた水垣様監修のご本を知り合いの方のプレゼントにさせていただきました。
大変喜んでくださいましたので、ご報告させていただきます。
ありがとうございました。

自分用にと購入した分は、母の元へ嫁入りさせる事になりました。
これから、自分の分を申し込ませて頂きます。


 ありがとうございます    ..水垣    
        2006/07/14(金) 23:10  No.1190
 
 
もも様
お久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたか。
本当に暑い日が続きますね。関東は空梅雨気味ですが、空気はジメジメしています。昨日今日は真夏のような蒸し暑さでした。と言っても梅雨明けではないらしいので、なんとも遣りきれない鬱陶しさを感じます。

百人一首の本をお買い上げ下さったとのこと、まことに有り難うございます。
贈り物として喜んで頂けたとのご報告、大変嬉しく読ませて頂きました。こちらこそ深謝申し上げます。

発売当初は苦戦していたようなのですが、お蔭様で少しずつ動きが出て来て、今日出版元から再版が決定したとの便りをもらいました。いくつかありました誤りも、この機会に訂正することができ、ほっとしております。

楽しんで頂けましたら幸いに存じます。



 『みちほの想ひ出』刊行のお知らせ    ..水垣    
      2006/07/14(金) 09:23  No.1188
 
 
当サイトの百人一首カルタ美術館で紹介させて頂いた故村上三千穂画伯の画集が刊行されましたので、お知らせ申し上げます。

村上三千穂は、戦前、『少女の友』『少女倶楽部』などの少女画で人気を集め、その後は「幻の画家」としてごく一部の愛好家にのみ渇仰される存在でした。没後六十余年を経て、このたび、雑誌掲載の口絵を中心とし、優雅な少女画の数々が美しいカラー図版の画集として刊行の運びとなりましたこと、慶賀に堪えません。ご令嬢の凉子さんがお父上の思い出を綴った貴重なエッセイも収録されています。

興味をお持ちの方は、下記サイト「Merry Cats」の「アート小物」のコーナーを御覧下さい。そちらで画集の注文も出来ます。

http://www.merrycats.com/



 はじめまして    ..承香院 [URL]    
      2006/07/11(火) 03:40  No.1184
 
 
はじめまして、突然お邪魔してすみません。
以前よりこちらのテキストを利用させていただき、古典を出先で読んだり研究に用いたりとお世話になっております。
このたび、自分のサイトを更新しましたついでにリンクを貼らせていただきましたので、ご連絡不要とのことでございますが、せめて、いつもお世話になっております御礼までにと書き込みをさせていただきました。
今後のますますのご活躍をお祈りいたしております。




 Re:はじめまして    ..水垣    
        2006/07/14(金) 08:48  No.1186
 
 
初めまして。ようこそおいで下さいました。
弊サイトがお役に立てまして、幸いに存じます。
リンクのお知らせも有り難うございました。
古典文化を「実践し体感」しようとの貴サイト、大変貴重な試みをされていると思いました。ますますのご発展をお祈り致します。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。



 残念ながら曇ってます。    ..アゲハ    
      2006/07/07(金) 22:17  No.1177
 
 
今宵こちら銀河はみえましぇん(T_T)

あなうたて斯かる雲居の十重二十重見るべき人の影ぞへだつる

お気の毒さま.....。


 Re:残念ながら曇ってます。    ..招き猫    
        2006/07/08(土) 10:06  No.1178
 
 
 昨日は気の毒でしたね。こちらも残念ながら曇っておりました。
 地上には残念なことばかりでもなく、忙中閑ありのひと時もあった、ということで、歌を花筵にあげさせていただきました。アゲハ様の七夕はいかがな日だったでしょうか。


 Re:残念ながら曇ってます。    ..水垣    
        2006/07/08(土) 16:56  No.1179
 
 
息子が幼い頃は七夕も身近な行事に感じられましたが…。
今は旧暦文月七日(今年は陽暦7月31日)に和歌を読んだり詠んだりしてわずかに偲ぶばかりです。

 我が星も銀河の端と知らざりし古人(いにしへびと)の歌を楽しむ



 Re:残念ながら曇ってます。    ..アゲハ    
        2006/07/09(日) 00:26  No.1181
 
 
本が届いていました。

汚すのは不本意ですが、お奨めのように鉛筆で一首づつ辿ってみましょう。

序文は綺麗な水のように眼から心に沁みてくる感じ....。


 お礼>アゲハ様    ..水垣    
        2006/07/10(月) 22:55  No.1183
 
 
どうもありがとうございます。

私もこの機会にと先日鉛筆を買って参りました。何年ぶりでしょう。木の軸の持ち心地も懐かしい気がします。紙に太い鉛筆の芯で字を書く、久々の感触を楽しんでおります。もっとも、お手本のなぞり書きは何となく気が進まず、まだ試みていないのですが…(人に奨めておいて…)。

序文のご感想、私の方こそ心に沁み入る思いです。



 お礼    ..iga    
      2006/07/08(土) 23:45  No.1180
 
 
こんばんは。igaと申します。突然失礼いたします。
はじめまして。
当方日本文学の学習をしている者ですが、このたび、古今和歌集、仮名序を学習するにあたって、「やまとうた」のサイトを閲覧させていただきました。おかげさまでとても参考になり、レポートが無事作成できました。どうもありがとうございました。



 Re:お礼    ..水垣    
        2006/07/10(月) 22:15  No.1182
 
 
はじめまして。ご投稿ありがとうございます。
お役に立てましたようで幸いです。



 『小倉百人一首―鉛筆で感じる古の心』を拝読して    ..招き猫    
      2006/07/02(日) 22:56  No.1174
 
 
水垣さま

 日ごろ慣れ親しむ水垣様の文章が解説にあって、なにやら嬉しい気持ちになりました。
 歌にも詠み手の色合いがあるように、日頃よみ親しむ文章というのは、どこにあってもよみ分けることができるのかも知れませんね。
 短い解説文の中に端的に百人一首の親しみ方や魅力が書き記されていましたね。多くの方が手にとって、美しい文字を書きたいと感じたり、和歌の美しさに触れて欲しいと思いました。

一人静さま

 水垣様のご本、よみ親しまれておられるご様子ですね。
 自分を振り返ってみると、普段パソコンに向うことはあっても、書に向うのは手紙を書くときくらいで、ゆっくりと自分の時間を使って文字を楽しむということが生活の中から薄らいでいることに気がつきます。
 日常に忙殺されながらも、そういった時間が持てるような生活を心がけたいと思いました。なかなか思うようには行きませんが、心がけないと実現もしないので。一日一首、または二日で一首をゆっくりと楽しむくらいのペースでいこうと思っています。かしこ


 Re:『小倉百人一首―鉛筆で感じる古の心』を拝読して    ..一人静    
        2006/07/04(火) 18:22  No.1175
 
 
招き猫さま

 おっしゃるとおりこちらでお世話になっているうちに水垣さまの文章にも親しんでいた・・自分に気付かされています。

 花莚をひろげてくださっているので、そちらに訪問させていただきながら、好きな書き込みをするというのも楽しいかなぁ・・と思っています。
アゲハさまが男性陣の中でのびやかな歌を披露されているのは読んでいる者にも嬉しいものです。

 本を広げている私から話を聞いた息子が「母さん、ネットでそういう人と出会えてよかったね」と言ってくれました。
こちらのサイトで多くの出会いがありましたこと、私の宝となっています。


 Re:『小倉百人一首―鉛筆で感じる古の心』を拝読して    ..水垣    
        2006/07/05(水) 00:29  No.1176
 
 
招き猫様

ご感想ありがとうございます。あまり自分の文体ということは意識しておりませんでしたが、短い解説文にもそんなふうに感じて頂けて、大変嬉しく存じます。
実は、初心者の方向けの本としては、ちょっと文章が堅いかなと気になっておりました。と言っても、ほかに書きようもなく、日ごろ書きなれた自分の文章で押し通させて頂きました。
いろいろ不満は残るのですが、今の自分の力では、この程度で精一杯かなと思います。
少しでも長い間楽しんで頂けましたら幸いに存じます。



 無題    ..アゲハ    
      2006/06/28(水) 00:16  No.1171
 
 
疾くいでよ近きに啼きし鶯の深山隠れは寂しきものぞ

って全然繋がりの無い夏椿(の、つもり)なんですが。


 Re:無題    ..アゲハ    
        2006/06/28(水) 00:19  No.1172
 
 
あら、ミスってしまった。
失礼をば.......。


 夏椿    ..水垣    
        2006/06/30(金) 20:31  No.1173
 
 
沙羅の花、もう咲いていますね。
椿は大好きなのですが、夏椿も良いなと思います。
春の常緑の椿と違って、落葉高木。ずっと高く育ちますね。

 沙羅の花咲きかたむきて水無月のあさの曇のしづかなるかな 水町京子



 またお世話になりました。    ..浦木裕 [URL]    
      2006/06/24(土) 12:45  No.1164
 
 
水垣さま:

こんにちは、浦木裕です。
ただ今続後紀の電子テキストを作成しています、
尾張浜主の和歌、参考させていただきました。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syokukouki/skk15.htm
いつも世話になって、ありがとうございます。

ご本、『小倉百人一首―鉛筆で感じる古の心』ですね、
早速、こちらにも注文させて頂きます。早ければ来月入手出来ると思います。
昔から百人一首の本を買いたいのですが、どこから始まるのを迷ってて今に至りましたのですが(汗)...

では、これからも宜しくお願いいたします。


 どうもすみませんが    ..浦木裕 [URL]    
        2006/06/25(日) 16:44  No.1165
 
 
どうも済みませんが、ちょっと伺いたい事があります。

『大日本史』の大友黒主伝では、

  佐佐羅奈美 麻毛奈久岐之乎 阿良布米利
  奈岐佐幾與久波 岐美斗麻禮登加

という和歌があります。でも、関連な情報があまり見つかれません。
調べてみると、『新千載集』では以下の和歌があります。

  ささらなみ ひまなくきしを あらふなり
  なきさきよくは きてもみよとや (黒主)

 ちょっと似てるが違います。『大日本史』の伝記で出られるなら、有名な歌だと思いますが、あまり詳しくないため、もしこの歌をご存知でしたら教えで頂ければ嬉しいです。


 お礼、大友黒主の歌    ..水垣    
        2006/06/26(月) 17:48  No.1168
 
 
浦木裕様、こんにちは。
続日本後紀の電子テキストが着々と進んでいるのですね。また利用させて頂こうと思っております。
ほんの一部でもお役に立てたようで幸いでした。

ご注文、ありがとうございます。こちらもお役に立てれば幸いです。

『大日本史』の大友黒主の歌ですが、

  佐佐羅奈美 麻毛奈久岐之乎 阿良布米利
  奈岐佐幾與久波 岐美斗麻禮登加

仮名にしますと、

  ささらなみ まもなくきしを あらふめり
  なぎさきよくば きみとまれとや

となりましょうか。確かに『新千載集』とはちょっと違いますね。
上記二書以外では、『大和物語』172段、『歌枕名寄』などにも見える歌です。
『大和物語』では『大日本史』とほぼ同じ形で載っています。
「さざ波はいつも岸を洗っているようです。渚が美しいのであれば、あなた様にお止まり頂きたいと思っているのでしょうか」といった意味になります。
宇多法皇の石山行幸の際、近江国司だった黒主が詠んだ歌と伝わります。


 ご返事有難うございます。    ..浦木裕 [URL]    
        2006/06/27(火) 09:17  No.1170
 
 
水垣様:

いつも有難うございます。
『大日本史』の件ですが、今は「ささら浪、間もなく岸を、濯ふめり、渚清くは、君止まれとか。」として置きます。(恥ずかしながら、この前に「鳴き崎よくは」と書きました。)
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dns218.htm#04
もし、未だ間違ってしまったら、また御鞭韃お願い致します。



 鉛筆でなぞっています    ..一人静    
      2006/06/25(日) 18:56  No.1166
 
 
本が届きました♪

さっそく鉛筆を取り出して・・・美しい楷書のお手本をなぞる・・久しぶりの作業です。
おおぶりな文字が歌をゆっくり鑑賞させてくれます。

文字数も制限があるようで水垣様はさぞご苦労されただろうな・・と感じました。
でも、とてもわかりやすい解説と思いましたよ♪

それから、人名に振り仮名、聞きなれない言葉、用語には解説があること・・など初心者が難しいなぁと躓かないよう心配りをされて、さすがぁと思いました。

多くの人たちがこの本を通して日本の和歌に親しんでくれたら・・と私までもがそんな気持ちになっています。

書き込みも十分できる余白があります。大切な本として、好きな書き込みをたっぷりさせていただきま〜す


 ご感想ありがとうございます    ..水垣    
        2006/06/26(月) 17:50  No.1169
 
 
早速のご感想、まことにありがとうございます。
ご明察のとおり、文字数の制限には苦労しました。でも、それぞれの歌にとって、いちばん大切なポイントは何かを考える、良い機会になったとも言えそうです。
結局迷いのうちにタイムリミットとなってしまったのですが…。わかりやすいと言って頂いて大変嬉しく存じます。

和歌の入門書にもなれば、という気持もあったのですが、それはちょっと欲張り過ぎだったでしょうか。せめて振り仮名や用語解説などで、躓きのもとは除去したいと思いました。

読者の方に書き込んでいただいて初めて完成するという本ですから、どしどしお書き込みになって、ご自分だけの百人一首の本を作って頂けたら、こんなに嬉しいことはありません。



 手習い    ..アゲハ    
      2006/06/22(木) 21:56  No.1160
 
 
という優しい言葉がありました。
可愛い眼刺し髪の少女とか経机、それに巻紙などを連想します。
今日のような雨の一日は墨の香りも殊にさやかに立って。

ああ、本当に今から真面目に手習いをして、ミミズが腸ねん転を起こしてのたくっているような私の悪筆が改善されるものなら....。 

そばの山懐にぶっつけた程に咲いている定家カヅラが、この激しい雨でまた散り落ちてしまうのが惜しいです。
下の歩道にちっゃなプロペラみたいなのが、いっぱいです。


 はじめまして、アゲハさま    ..アヤメ    
        2006/06/23(金) 18:32  No.1161
 
 
>手習い という優しい言葉がありました

とろけそうです。

少女はどんな物思いを書き付けたのでしょう。どんな想いに気付かされたのでしょう。
 
古語辞典を引いてみると、手習ひは人生勉強であり仏道修行でもあったようです。
頭に浮かんだ歌を書き付け、自分の想いに気付き形を与えるということが手習ひの意味にあるならば、歌を詠まれるアゲハさまが手習いをされるのはごく自然のことと思います、ぜひぜひ。
わたしなんか完ペキに○○の手習いなんですよ(^^; それでも、手はおぼえてくれるものなんだなぁというのが実感です。

定家カヅラの絵がすてきなので、デスクトップに置かせていただいてもよろしいですか?


 Re:はじめまして、アヤメ様    ..アゲハ    
        2006/06/23(金) 20:03  No.1162
 
 
みこみあり...と見なされてか否か、勧められて習字を少し齧りはしましたが、ものにならないまま今日に至りました。

もっと頻繁に古典に親しみ、書にも真面目に取り組むべきだったと少し後悔してます。
ホント、下手の横好きで恥ずかしげも無くしゃしゃり出て掲示板を汚してますけど、お許しをm(__)m

書くことが嫌いではない私、良い機会ですから水垣さまの監修の御本で、手習いをしてみようと思います♪

お目汚しのお絵かき(本物は実際すごいです、壮観です)どうぞ飽きるまで置いてやって下さいませませ♡


     ..アヤメ    
        2006/06/23(金) 23:15  No.1163
 
 
ありがとうございます♪

 定家葛と手習    ..水垣    
        2006/06/26(月) 17:47  No.1167
 
 
雨夜に散る定家葛の花。木下闇の濃緑色に惹かれます。
「壮観」もさぞやと思いやられました。
この花は香りもよく、雨夜はことに妖艶なほどに匂いますね。

手習――たまに手書きの必要に迫られると、ますます悪筆が進んでいることに嫌気がさしてしまうのですが、いっぽうで、やはり手で書くのは気持よいなあとも思います。



 届くのが待ち遠しいです♪    ..アヤメ    
      2006/06/19(月) 21:54  No.1152
 
 
水垣さま、ご無沙汰しております。
御本の発刊おめでとうございます。
短歌の初心者にもやさしく、字の上達まで望めるという願ったり叶ったりのすぐれもののようですね、楽しみです。

こちらのゲストブックも花筵も、いつも興味深く、楽しく拝見しております。参加できない我が身が悲しくもありますが、どうにかして想いを歌に乗せる術を身につけることができないものか・・・と思い始めております。(^:^) 



 この場をお借りして    ..葦田 なつみ    
        2006/06/20(火) 21:12  No.1153
 
 
水垣さま、
御本の発刊おめでとうございます。

アヤメさま
ご無沙汰しております。
同じような気持ちを代弁いただいたことのみならず、ほぼ一年ぶりにお礼を申し上げる機会をいただきありがたく思っているところです。

ブログ終了後、何かの検索で

草むらに毒だみは白き火をかかげ面箱に眠らざるわれと橋姫
をご教示いただいていたことを知りました。

半夏生の記事でのことです。
大変おくればせながらお礼申し上げます。ありがとうございました。(刺激され、中学時代からずっと遠ざかったままだった書道再開。この夏は無謀にも和漢朗詠集に挑戦です。)


 お礼>アヤメ様    ..水垣    
        2006/06/20(火) 23:44  No.1156
 
 
お久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたか。
早速のご注文、ありがとうございます。
アヤメ様のように書に取り組んでおられる方にはどうなのかなと、ちょっと気がかりでもありますが、楽しんで頂けましたら幸いに存じます。

歌作りの方は、私はいつまで経っても初心者で、皆さんと一緒に勉強させて頂こうとの思いでやっております。お気軽にご参加頂ければ嬉しく存じます。
ご自作を毛筆でさらっと、なんてかっこいいじゃありませんか^^


 お礼>葦田なつみ様    ..水垣    
        2006/06/20(火) 23:56  No.1157
 
 
ありがとうございます。
お祝い頂くほどのことを私がやったと言えるのかは疑問なのですけれども、お気持ち大変有り難く存じます。
歌の方もぜひご参加下さい。

そういえば、またドクダミや半夏生の季節になりましたねえ…。



 >葦田なつみ様    ..アヤメ    
        2006/06/21(水) 21:50  No.1158
 
 
ご丁寧にありがとうございます。私のほうこそ、書き込むタイミングがずれてしまって(^^; ちょっと恥ずかしかったです。
あれからもう一年・・・速いですね。

和漢朗詠集ですか!
古典の臨書は楽しいですよね♪ 全身全霊で古典に向かうと、筆の先が古のまさにその時と繋がっていると感じて、とても満たされた気分になります。
夏の臨書は過酷なので、お互いがんばりましょう♪


 >水垣さま    ..アヤメ    
        2006/06/21(水) 22:52  No.1159
 
 
>自作を毛筆でさらっと

ほんとにそれが夢です〜^.^

届いた御本をさっそく開いて、鉛筆でなぞってみると、細部を間違えて記憶していた歌もあり、じっくり読み返す良い機会をいただいたなと。解説に出典があるのも嬉しいです。



 私も注文致しました!    ..紀州の姫    
      2006/06/19(月) 10:10  No.1151
 
 
水垣さま、お久しぶりでございます。

>『百人一首の初心者の方や、あらためて歌に親しんでみたいという方には、最適の本ではないかと思います。』

初心者の私に取りましては大変嬉しいこのお言葉に、早速本の注文と久しぶりの書き込みをさせて頂きました。本は楽しみに読ませて頂きます。

昨日は、京都五花街合同の舞妓さん、芸妓さんの艶やかな踊りを観に行ってきました。
そのあとは、四条大橋のたもとにある老舗料亭の夏の風物詩であります川床で、爽やかな風を受け眼下には鴨川の流れを見、対岸には南座や東山の峰々を望み、情緒あふれる雰囲気の中で、日々の忙しさを忘れゆったりとした時間を過ごす事が出来ました。

みそぎする賀茂の川風ふくらしも涼みにゆかん妹をともなひ

(写真は昨日のではなく、五花街の一つ祇園甲部「都をどり」の時のものですが、京都の雰囲気をどうぞ!)


 お礼    ..水垣    
        2006/06/20(火) 22:55  No.1155
 
 
お久しぶりです。随分ご無沙汰してしまいました。
早速のご注文、ありがとうございました。
私は大したことはしていないのですけれども、書のお手本を書いて下さった岡田崇花先生や、編集者の方の手腕のお蔭で、良い本になったと思います。ご期待に添えましたら幸いに存じます。
百人一首の歌の解説などは、このサイトで百人一首を扱ったコーナーがもとになっております。紀州の姫様はじめ、長年にわたりサイトを応援して下さった皆様に心よりお礼を申し上げたい気持です。

京情緒あふれるお写真とご報告もありがとうございます。
川床での納涼、うらやましい限りです。今度はいつ行けることでしょう。
私はこの週末親戚の葬儀があって埼玉県川越市の方へ行って参りました。ちょっとだけ蔵造りの街並みも見られました。小江戸情緒といったところでしょうか。



 こういった形の    ..アゲハ    
      2006/06/18(日) 09:24  No.1150
 
 
教科書が私の学生時代にあったらと、今すっごく思います。
文字離れ・活字離れなどと言われて久しいですが、読んでも楽しくないんだと思うんです、殊に古典なんて退屈だったし(経験者)。
でも、百人一首はたとえ意味が理解できなくても、子供の時期にきちんと頭に叩き込んで置くのが良いとつくづく感じます。
文字も言葉も生き物、流動するものですが、基礎に美しい言葉が脈打っていれば日本語の乱れなども自ずとなくなるんじゃないでしょうか。
そういった意味でも大変画期的な志向だと思いますm(__)m。



 お礼    ..水垣    
        2006/06/20(火) 22:45  No.1154
 
 
ありがとうございます。
古典を気軽に楽しんでもらえれば、といった思いでコラムや解説などを書きましたので、そんな風に受け取って頂けるのは大変嬉しく存じます。
百人一首は、わずか百首の歌を集めただけですけれども、いろんな読み方・楽しみ方を許容する大きさを持った古典だと思います。その辺の面白さも、ほんの入口だけですけれども、味わって頂けたら、との思いがありました。
本のあとがきにも書いたのですが、私のような専門家でない者が、このような本の監修を引き受けたのは、和歌を一人でも多くの方にとって身近なものに、との思いからでした。それはこのサイトを開設した時の初心でもありました。



 おはようございます♪    ..一人静    
      2006/06/17(土) 07:31  No.1145
 
 
おはようございます。
水垣様監修のご本・・御発刊おめでとうございます!
私も早速注文させていただきました。
大切に読ませていただきま〜す。

招き猫様 教えてくださってありがとうございました♪


 お元気そうで、何よりです。    ..招き猫    
        2006/06/17(土) 21:53  No.1147
 
 
 こちらこそ、相変わらず美しいやまと言葉とやまとうたに親しんで暮らしておられる一人静さまのご様子を拝察して、心が温まりました。水垣さまの本のお話をさせていただくのが楽しみです。かしこ

 お礼    ..水垣    
        2006/06/18(日) 01:55  No.1149
 
 
一人静様
ありがとうございました。
私の監修じゃ売れないでしょうと編集の方には申し上げたのですが…。早速のご注文、本当に嬉しいです。

当面、書店にはなかなか置いてないと思いますので、ご注文頂けると大変有り難く存じます。

招き猫様、ご紹介まことにありがとうございました。



 監修書発刊、すばらしい!    ..招き猫    
      2006/06/17(土) 01:53  No.1144
 
 
新刊紹介・6月16日発売
『鉛筆で感じる古の心 小倉百人一首』の発刊おめでとうございます。早速注文させていただきます。読むのが楽しみ♪ それで徹夜しておられたのですか?
なにはともあれ、今日一番のおめでたいニュースでした。


 お礼    ..水垣    
        2006/06/18(日) 01:39  No.1148
 
 
早速にありがとうございます。
突然の話で、大急ぎの進行となってしまいましたが、なかなか綺麗な本になったと思います。
私はコラムと解説、歌の訳などを書きました。字の上達が主たる目的の本ですので、文章の分量は少ないのですが…。
百人一首の初心者の方や、あらためて歌に親しんでみたいという方には、最適の本ではないかと思います。
ご期待に添えましたら幸いに存じます。



 BSE    ..アゲハ    
      2006/06/13(火) 22:34  No.1137
 
 
を摂取するまでもなく、脳みそはスカスカです。
あまり深読みはしないほうがいいみたいでした。m(__)m

んで、気分転換にお絵かき。
蛍ちゃんです。

ぬばたまの妹がみぐしに纏わるは誰が形代の蛍なるらん


 髪には霊力が籠もるとか・・・    ..逸爾散士    
        2006/06/14(水) 15:07  No.1138
 
 
漆黒の闇の如き恋人の髪に
纏いつき光る蛍
そは誰が妄執の故に身代わりとなり、
夏の夜、けざやかに明滅するのであろうか

って、塚本邦雄さん調の訳。(ホントカヨ)

「形代」は身代わりに川に流したりする物でしょうけど、憑依している「よりまし」の意味にも使えるかな。
「ぬばたまの」が「妹」を飛び越して「みぐし」にかかることができるのかもちょっと気になる。
夢幻な歌ですねえ。
句切れがなく、呪言のようにも思える。原初的な歌の力って、こういう歌に籠もるんだろうなあ。

 纏はるは誰が形見の蛍やと妹が黒髪なほいぶかしき 


 黒髪に蛍    ..水垣    
        2006/06/16(金) 21:59  No.1140
 
 
艶な取り合せですね。古歌に詠まれなかったのが不思議に思えます。

 汝がめでし我が黒髪の蛍火はおのが身よりこそあくがれいづれ



 Re:黒髪に蛍    ..アゲハ    
        2006/06/16(金) 22:25  No.1142
 
 
♪逸爾散士さまm(__)m

直ぶるにかなしと思う誠あらばなに訝るや蛍ばかりを



流石に水垣さま素敵な返歌を...(*^。^*)アゲハ言葉もごじゃりませぬぅぅぅぅ♡


 Re:黒髪に蛍    ..逸爾散士    
        2006/06/17(土) 00:07  No.1143
 
 
あいたたた。
その蛍はモトカレかよと悋気を焼いたみたいに聞こえるので、アゲハさまにしっぺ返しをくってしまった。
王朝の女房歌人とやり取りしているみたいだなあ。


 手触らねど汝が黒髪に絆(ほだ)さるるわが身とてこそ訝りにけれ

 汝が驕る愛(は)しくも長き黒髪は辛きに惑ふ闇に似つらむ


 弁解にこれつとめているところが雅じゃありませぬ。「あなたが誇る美しく長い黒髪は、あなたの辛さに惑う私の心の闇に似ている…」と恨み言。当節は武士道がどうのと言う向きが多いけど、私が日本人らしさを発揮すると、たをやめぶりになってしまいます。とほほ。


 Re:黒髪に蛍    ..アゲハ    
        2006/06/17(土) 08:24  No.1146
 
 
いえいえ逸爾散士さま、私のほうこそ(雅)もまったくの付け焼き刃。
俄かにあなた様を(彼)扱いで.....失礼ひまひたm(__)m。



 ご無沙汰しています    ..一人静    
      2006/06/15(木) 16:21  No.1139
 
 
こんにちは。
今朝のことです。朝のテレビを何気なく見ていたら、短歌の時間で河野裕子さんが佐藤佐太郎さんの歌を解説していました。

 あじさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼

枕詞が二つありますが、対句のように使ってリズムがいいですね・・というお話でした。

以前にこの歌で「あさねさす昼」のことを水垣様にお尋ねしたことがあり、「あかねさす昼」だったんだ・・と驚いたり、納得したりしました。

梅雨に入り、紫陽花の花がとりわけ美しく見える季節になりました。
書き込みする機会もなく読ませていただくばかりの日々です。
和歌歳時記はコピーしたかいがあり、時々取り出して読んでいます。

万葉集は旅人の松浦河に遊ぶの序の歌を読んでいます。

 春されば我家の里の川門には鮎子さ走る君待ちがてに

 松浦川川の瀬速み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ

この二首が好きです。上の歌には若々しさを下の歌には艶美を感じます。
遊仙窟から影響をうけていると解説にありましたが、旅人は日本版遊仙窟を描こうとしたのでしょうか・・・


 ×あさねさす ○あかねさす    ..水垣    
        2006/06/16(金) 22:21  No.1141
 
 
お久しぶりです。お元気でしたか。
いやーすみませんでした。「あかねさす」を「あさねさす」と入力ミスしていたのですね。寝ぼけていたものやら。ご指摘頂くまで、全く気づきませんでした。
「朝寝」云々の解釈をされたのも、私のミスが原因だったのですね。
和歌歳時記の紫陽花の頁、訂正しておきました。

本当に紫陽花の美しい季節になりましたね。紫陽花はことに日々の変化、いや一日の中でも様々に変化して、朝、昼、夜、いつ見ても見飽きません。

万葉集の読書会、今回は「松浦河に遊ぶの序の歌」なのですね。
遊仙窟のような、神仙の世界に遊ぶといった境地に旅人たちは憧れを抱いていたようです。各歌の作者が誰か、なかなか難しい問題があるようですが、旅人率いる筑紫歌壇の合作と考えれば良いのでしょうか。



 いよいよ    ..アゲハ    
      2006/06/08(木) 11:45  No.1129
 
 
入梅でしょうか、今にも雨が落ちて来そうな空模様が朝からずぅぅぅっと.....でもまだ降っていません

気分が垂れ込めそうなのでお花屋さんでオリエンタルリリーを一本買い求め、先ほど活けてみました。
湿度の高い空気に香りがよく溶け込みます。

本日は自画像をm(__)m↑




 Re:いよいよ    ..逸爾散士    
        2006/06/09(金) 00:48  No.1130
 
 
幻想的な蝶の絵ですね。
蝶というのは和歌ではいつごろに詠まれるものなのかしらん。

 夢のうち花とふ蝶の羽ばたきにかそけき風や立つと覚ゆる
  


 Re:いよいよ    ..アゲハ    
        2006/06/09(金) 02:12  No.1131
 
 
逸爾散士さま。
素敵なお歌、ありがとうございます。

蝶の羽ばたきで起こるささやかな風...唇でなら辛うじて感じられそうですね。
蝶を詠む....はて。
私めの貧しい記憶の中には一首のみ。

盛りなる御世の后に金の蝶白金の鳥花奉る

与謝野晶子です。

越冬する蝶を言うんでしょうか(凍て蝶)という美しい言葉がありますけど、一度も歌に詠まれてないなんてことはないでしょうにね。
以前、梅原猛さんの本を読んでましたら、お母様が蝶の柄のお召し物の人をさして、
「あのかたは気味の悪い着物を着てらっしゃる」とおっしゃったとか。
してみると密かに忌むべき対象だった時代もあったのでしょうかしら。


 胡蝶    ..逸爾散士    
        2006/06/09(金) 09:06  No.1132
 
 
 アゲハ様
 夕べ、蝶にしようか胡蝶と詠もうか岩波古語辞典をひきましたら、

 こてふ :チョウ【胡蝶】@チョウ。歌では「来てふ(コイトイウ)とかけて使われることがある。「―にも誘はれなまし」〈源氏胡蝶〉 ・・・以下略

 とありました。『荘子』に夢の中で蝶になったという話があるから、夢と蝶は付き物ですね。「我が胡蝶か、胡蝶が我か」と森進一も歌って…るわけないか。

    『荘子』ニ寄スル恋  
 夏草の思ひまされば憂き人のこてふ誘ふ夢もみてしか

 きっと「こてふ」の掛詞はこんな感じに使うんでしょう。(「夏草の」だけで「深き」とか「繁き」の代わりにはならないか。蝶の縁語にしたいのですが)

 司馬遼太郎さんがエッセイだか対談だかで、「蝶というのは音だけで訓がない。やまと言葉がなかったとすると、古代の日本人は、目の前に蝶が飛んでてもそれを名づけることもしないぐらい精神生活は貧しかったのか」という趣旨のことを言っていたように思います。わざわざ西方から来たという意味の「胡−」という接頭辞をつけた言葉は使われるのに、ということでした。
 トンボは「あきつ」という言葉もあって、古来から認識されていたのに、「てふてふ」はなぜ「蝶」という漢語なんでしょうね。「ウマ」も「ウメ」も漢字字音が先にあって訛ったといいいます。でもこれはそのものが古来の日本列島にいなくて舶来したとも思えるけど、蝶を携えて大陸から人間が移動してきたとは思えませんものね。
 平氏の紋所が蝶だし、そんなに意識から遠かったり、敬遠していたとも思えないのですが、どこか「〈やまと〉のものでなく〈から〉のもの」てふことなのかな。


 Re:胡蝶    ..アゲハ    
        2006/06/09(金) 10:56  No.1133
 
 
ああ、唐(から)から.....なんちって!

ところで古典の中に「唐猫の云々...」の叙述が確かあったような。
猫達は鼠の駆除の為に船内に連れ込まれたらしいですが、結果、それらが繁殖したんでしょうね。
生粋の大和の猫ってものもいなかったんだとしたら、蝶なんかも卵の形で野草類にくっついて大陸から船で渡来したんでしょうか。
それとも風に乗って?....又は自らまほろばをもとめて何万キロも旅をして.....?
蝶一匹にロマンは広がります。

おりしもベランダの下に咲いているヒメジョオンに黒いアゲハがゆらゆらとまつわろうとしています。
はたき落とせば(無論そんな乱暴はしません)たちまち儚くなってしまうか弱い生き物ですし、無事に過ごしても一固体としては長く生きるものでもないのに、種を絶やさぬ為の戦略はしたたかなものがあるんですね。


 Re:胡蝶    ..アゲハ    
        2006/06/09(金) 10:58  No.1134
 
 
え〜.....脱線しちゃいましたm(__)m

 Re:胡蝶    ..逸爾散士    
        2006/06/09(金) 19:49  No.1135
 
 
  夏

てふてふ一匹 対馬海峡をわたってきた


 あほかいな。


 Re:胡蝶    ..さんごかく    
        2006/06/10(土) 13:38  No.1136
 
 
素敵な自画像ですね、想像が羽ばたきます。

能の『胡蝶』では、梅の花だけは会ったことがないと、胡蝶が嘆きます。

       春夏秋のはなもつきて.........

そのうち私も一首と思っていますが、眺めるばかりです。



 今夜    ..アゲハ    
      2006/06/01(木) 22:57  No.1126
 
 
月はおろか星さえも見えない空です。
こーゆーの皐月闇っていうんでしょうか。

お絵かきは派手なお月様になりました(*^_^*)


 さ月闇    ..水垣    
        2006/06/04(日) 00:28  No.1127
 
 
掲示板の「お絵描き」を使って下さっているのはアゲハ様ただ一人のような…。限られた機能にもかかわらず、いつも綺麗なイラストに感心しております。ありがとうございます。

「皐月闇」は、山に囲まれた土地ですと、実感もひとしおでは、と思います。木々が繁って、山陰の闇がいっそう濃くなり、しかも五月雨の季節のこととて雲の多い夜が続きます。皐月という月の闇の濃さが、ひときわ強く印象づけられるのでしょう。

   『拾遺集』   藤原実方朝臣
 さ月闇くらはし山の郭公おぼつかなくもなきわたるかな


 Re:さ月闇    ..アゲハ    
        2006/06/04(日) 11:09  No.1128
 
 
m(__)m も〜お礼などおっしゃって下さるとかえって恐縮しちゃいますぅぅぅ。

私のような漫画チックなものじゃない『お絵かき』を密かにお待ちしてるんですけどねぇ........ちょっと寂しい(T_T)



 さみだれの雲    ..ひよきち    
      2006/05/29(月) 00:04  No.1122
 
 

水垣さま こんばんは。

今日は和歌歳時記の「桑」を拝見致しました。

>さみだれの雲吹すさぶ朝かぜに桑の実落(おつ)る小野原のさと

もう五月雨の月に入ったのですね?
この「さみだれの雲・・」の歌を拝見し
昨年の今頃の季節、西宮市内の西田公園におきまして 
桑の実を初めて見たことを思い出しました。

風に吹かれ 熟し切った黒い実が音をたてて落ちる様子。
そのことも鮮やかに思い起こすことができました。

また近いうちに 折を見て
西田公園に足を運んでみたいと思います(*^_^*)



 五月雨の月    ..水垣    
        2006/05/31(水) 23:38  No.1125
 
 
ひよきち様、こんばんは。

桑の実の熟する季節となりましたね。
風の強い日が多く、うちの近所でも桑の実がたくさん落ちています。すぐに車のタイヤでつぶされてしまうのですが。

貴サイトの西田公園のページを改めて拝見しました。梅雨入り前の緑が美しいですね。
六月は雨の月ですが、紫陽花を始め意外と花の多い季節で、私は鎌倉に引っ越して来て、この月が好きになりました。
今こちらでは卯の花がまだ元気で、紫蘭は盛り、雪の下が咲き始めています。
道端の立葵の芽もふくらみかけていました。
秋の七草の撫子・桔梗も今月中には咲き始めるでしょう。

写真は雨に濡れてうなだれている卯の花です。



 百花の王    ..アゲハ    
      2006/05/28(日) 11:18  No.1120
 
 
華やかに咲き競っていた牡丹も終わりに近くなりました。

牡丹を詠った歌って、幾つくらいあるんでしょう。
『深見草』これが牡丹の別名ですか、初めて知りましたm(__)m


 Re:百花の王    ..水垣    
        2006/05/31(水) 23:01  No.1124
 
 
鎌倉では八幡宮の牡丹園があり心ゆくまで堪能できます。五月上旬あたりまでが見頃のようですね。写真は去年の撮影ですが。

深見草の歌は中世以後見られます。新編国歌大観で検索してみると53首ありました。

   『千載集』  賀茂重保
 人しれずおもふ心はふかみぐさ
     花さきてこそ色にいでけれ

   『新古今集』  大宰大弐重家
 かたみとてみればなげきのふかみぐさ
     なに中中のにほひなるらん

   『拾玉集』  慈円
 ふかみ草やへのにほひの窓のうちに
     ぬれて色こき夕だちの空



 体言止め    ..逸爾散士    
      2006/05/27(土) 23:50  No.1119
 
 
友人にせがまれる和歌の五月分。「千人万首」の藤原定家卿の歌から、体言止め四首を選んで、同じ結びの句を置いて作りました。秋や冬の季節を避けたらどれも恋の歌になってしまいました。そのほうが作りやすい。

久方の月ぞかはらで待たれける人には言ひし山の端の空(定家卿)
  
 月とともに待たるる人の超えつるや緑もわかき山の端の空

 元の歌「人には言ひし」というのがどういう脈絡かわからないけど・・・。月を待っているのと同じく、来るのを待っている人は、あの新緑の山を越えて来るのだろうか、と、月の出る方角の空を見上げている風情。


年もへぬ祈る契りは初瀬山をのへの鐘のよその夕暮(定家卿)

 知られえず祈る思ひを桐の花吹きゆく風のよその夕暮れ

 相手に通じない恋を思い切るとき、桐の花に夕風が吹きすぎてゆく。「よその夕暮れ」という言葉を使うと、何となく新古今歌人になれたような気がして嬉しい。
 
帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月(定家卿)

 こころしも卯の花垣にとどめおきて別るる朝の有明の月

 「卯の花墻」は国宝の詩の志野茶碗で三井文庫に見に行ったことがありますが、かすかに「憂し」と「う」の字が通うかも。
 「別るる朝の有明の月」は間抜けですね。「電柱の柱」みたいで。「asano ariakenotuki」とa音が響くかなと思ったのだけど。


浜木綿やかさなる山の幾重ともいさしら雲のそこの面影(定家卿)

 幾重にもかさぬる思ひ深見草朱(あけ)なる色のそこの面影

 浜木綿から、深見草(牡丹)の花びらのそこに思い人の面影を見るように、詠みかえました。


 Re:体言止め    ..水垣    
        2006/05/31(水) 22:41  No.1123
 
 
初夏らしい季節感が漂い、恋心にもどことなく爽やかな風が吹いている、そんな感じの歌々を楽しませて頂きました。

>久方の月ぞかはらで待たれける人には言ひし山の端の空(定家卿)
>月とともに待たるる人の超えつるや緑もわかき山の端の空

山の端の緑を映し出す美しい月の出に、待ち人来れりの予感を感じているのでしょうか。定家卿のは「あしひきの山より出づる月待つと人には言ひて君をこそ待て」(拾遺集)の本歌取りです。本歌では「山の端の空に月が出るのを待っています」と「人には言ひて」(他人には言って)なのですが、それを「人には言ひし」(恋人に言った)に転ずるという、かなり込み入った技巧の歌です。

>知られえず祈る思ひを桐の花吹きゆく風のよその夕暮れ

「桐」に「切り」が掛かるわけですが、祈る思いのはかなさと桐の花の薄紫の色も映じ合っていますね。

>浜木綿やかさなる山の幾重ともいさしら雲のそこの面影(定家卿)
>幾重にもかさぬる思ひ深見草朱(あけ)なる色のそこの面影

浜木綿から深見草へ、色も白から朱へ。
本歌は旅中恋で、山に重なる白雲の底に恋人の面影を見るという大仕掛けな趣向。それと対照的に、求心的な思いの深さが感じられる歌となったと思います。



 伊藤博    ..toyohashi taro    
      2006/05/22(月) 19:35  No.1116
 
 
重箱の隅を・・>の類ですが、参考文献のうち、伊藤博『万葉集釈注』は完結。全10巻、別巻1、補巻2。文庫版は全10巻。
巻末エッセイを辻原登さんも書いています。


 Re:伊藤博    ..水垣    
        2006/05/28(日) 12:04  No.1121
 
 
toyohashi taro様
ご指摘ありがとうございます。補巻二巻も出ていたのですね。訂正しておきました。



 たまには俳句を失礼します    ..招き猫    
      2006/05/23(火) 01:49  No.1118
 
 
蒲公英のまよひ来したね風にのせ

写真は、静岡のお茶畑です。



 薫る風    ..アゲハ    
      2006/05/22(月) 22:37  No.1117
 
 

かぜにちるはなたちばなをそでにうけて
       きみがみあとをしのひつるかも



 長雨.....    ..アゲハ    
      2006/05/20(土) 08:04  No.1111
 
 
降り続いてます。
こーゆーのが卯の花腐し?.....。

もう、何日も陽射しが見えず、マダガスカルジャスミンが塩垂れています。
今日あたりはお日様が見られるかしらと期待してますが。

ああ、それにしてもこのごろはやたら眠くて眠くて
まだ育つんでしょうか......m(__)m



 Re:長雨.....    ..逸爾散士    
        2006/05/21(日) 09:18  No.1113
 
 
アゲハ様

行く末をそぞろ思へばうの花を朽たす長雨のふりにけるかな

浅みどり色いや増さり長雨のふる我が身こそいとしかりけれ




 Re:長雨.....    ..アゲハ    
        2006/05/21(日) 11:12  No.1115
 
 
有難う御座います逸爾散士さま、絵に相応しいブルーなお歌を m(__)m

いとどしく降るもうたてき眺めなり花も色香も散り果てにける

あ〜あ.....なんだか百年も一度に年をとってしまって干からびた気がしてきますわ。



 このすてきな広告は、    ..招き猫    
      2006/05/21(日) 08:55  No.1112
 
 
アゲハさま

 東京駅で見つけたポスターです。これ、もしやアゲハさまのプロデュースですか? 前に揚げられた絵と似てますよね。何かモチーフがあるのですか。
 このポスター、京浜東北線が入線すると見えなくなってしまいます。一昨日気がついて、そのときは時間がなくて撮影が叶わなかったのですが、今日こそは、と駅に行く足取りも軽やかに撮影して参りました。かしこ


 Re:このすてきな広告は、    ..アゲハ    
        2006/05/21(日) 10:07  No.1114
 
 
招き猫さま、ナイスショットですね。

私もこの前新幹線ホームで別の看板を撮影しましたけど、ちょっと恥ずかしかったデス。

私がProduceしたのでしたら威張りまが、残念ながら、ちゃいます。

【先ほどの返信は受け付けられませんでした。固有名詞が入ると×なのかしらん???】



 人麻呂    ..toyohashi taro    
      2006/05/16(火) 19:25  No.1109
 
 
水垣さんの名前が、人麻呂の歌に由来するとは思い至りませんでした。
  をとめらが袖ふる山の水垣の久しきときゆ思ひきわれは
柿本は、<こけらもと>であったろうという説、どう思われますか。


 Re:人麻呂    ..水垣    
        2006/05/17(水) 06:01  No.1110
 
 
いにしへのやまとことばの跡とめて
     はるかにあふぐかきのもとかな(藤原信実)



 人の気持ちは、難しい    ..招き猫    
      2006/05/02(火) 00:02  No.1088
 
 
 そんなつもりではなかったのに、と思うことはありませんか?今日おせんべいやさんで買い物をしたあとで勘定をする際、私の前にいた80歳代のご婦人が1万5千455円のうちの455円を小銭で支払わんとポケットから1円5円10円50円100円硬貨を広げました。しばらく数えていたのですが「足りないね」といってしまおうとしました。私にはありそうにみえたので、小銭を軽くしたいのだろうと思って「大丈夫ですよ、きっと」と勘定を手伝おうとすると「そうかしら」と一緒に数え始めました。するとレジの若い男の子も親切に手伝って小銭で支払うことができました。一件落着とご婦人を見やると「小銭も勘定できなくなって、情けないねえ」といって、待合の椅子に座り込んで口を閉ざしてしまいました。ご婦人のプライドが著しく傷ついているのがよく分かりました。
 「足りないね」の言葉に隠された心情がどうやらあったようです。またしても人の気持ちは難しい、と思い知った今夕でした。

世の人の内に染むらる情けにて身を切る親の心しもある


 Re:人の気持ちは、難しい    ..水垣    
        2006/05/09(火) 00:05  No.1095
 
 
そのご婦人はきっと「年齢のわりに自分はしっかりしている」という自信を強くお持ちだったのでしょうね。ご自分に腹を立てられたというか…。皆さんの善意を思いやる余裕もないほど落ち込んでしまわれたことを思えば、私も遣りきれないような気持になりました。
同居の母が認知症で、妻と介護しておりますので、そうした難しさに日々直面しています。お年寄の場合はプライドの問題が本当に難しいなあと思います。経験が豊かな分、自恃も強い。しかしこれはお年寄の美点でもありますから、大切にしてあげなくては、と考えています。
子供には子供の難しさ、若者には若者の難しさ、中年には中年の難しさ、老年には老年の難しさ…。


 m(__)m    ..招き猫    
        2006/05/14(日) 19:28  No.1108
 
 
水垣さま

 読み入ってしまって、返信していないことに気づきました。日々大変なご苦労をされておられるのに、こうしたブログの運営をなさっておられることに敬服しつつ、心から感謝申し上げます。いつもご迷惑をおかけしていて、とても心苦しく思います。
 今日は母の日で、さまざまに思い巡らすうちに、こちらにお世話になっていることに御礼申し上げたいと思い至りました。
 改めまして、御礼申し上げますとともに、ご家族の皆様方のご多幸を心よりお祈り申し上げます。かしこ



 折口父子の墓    ..さんごかく    
      2006/05/09(火) 00:06  No.1096
 
 
こんばんは
 先に教えいただきました折口信夫を少しづつ読んでいます。

 なかなか読み難いのですが、興味のあるところが出てくるのが救いです。岡野弘彦氏の序文は各本とも折口学とも言える適切な導入文であり助かります。
岡野氏の文で養子縁組の経緯を知り、折口父子の墓は、私のところから車で2時間ほどであり、この休みに行ってきました。

まだ時間がかかりそうですが、もう少し折口信夫を読んでゆきたいと思います。

写真は墓場全体です。奥の四角の墓です。





 はじめまして    ..招き猫    
        2006/05/11(木) 01:05  No.1102
 
 
さんごかくさま

 はじめまして。招き猫と申します。私は、歌を詠んだり読んだり皆様にコメントさせていただいたりするたびに、インターネットで検索したり本や辞書を開くなど、調べないと理解が及ばないことがほとんどです。昨日、お隣の「花筵」に水垣さまが「持統天皇(その2)」のスレッドで、

みそぎして白妙衣かぐ山に夏籠りけむ神の八乙女

(本歌の「白妙の衣」を山籠りする神乙女たちの斎服と見て。)

という歌を詠まれました。その「山籠りする神乙女たちの斎服」とはどんな風習によるのか、調べるうちに、折口信夫氏の「水の女」という書き物をテキストにしたページに行き当たり、理解が及びました。

http://aozora.skr.jp/aozora/o/orikuchi/mizuno_onna_kyukana.html

 一番最後の「一五 夏の祭り」の項に詳しくかかれていました。折口信夫氏の名前を見て、ゲストブックにさんごかくさまがコメントを寄せておられることを思い出し、返信させていただいた次第です。

 さんごかくさまの文中「先に教えていただいた折口信夫」とあったので、どんな経緯で読まれたのかな、と以前のゲストブックをくくらせていただいたところ、万葉集を読んで現代の短歌との違いを感じられたとのこと。「万葉以前の歌は古事記などで伝えられるが、知るところすべて漢字。わが国の歌は漢字伝来以降発達したのか。漢字以前に書き表す手段がなかった時代はどうであったか。すべて暗唱であったかもしれない。歌は自然と調子を持ったのか。そんな風に思うと、現代の短歌と万葉集の歌の内容(必要性)が大いに違うと思ったりする」といったコメントを寄せておられましたね。

 このコメントが私としては大変興味深かったです(ご投稿された2月にはスルーしてしまったのに、今頃すみません)。
 私が和歌に興味をもつきっかけとなった『古事記 変容する神々』という本は、古事記がどのように読み解かれるべき書物なのか、どのようなメッセージがあるのか、を論述していますが、その中のひとつに「歌と、国家・個人の生命は、不可分のものであるという思想」として「国家を平和に導くのは和歌であるというメッセージを古事記が発している」と読み解いています。
 私は、これを読んだときには和歌を深く鑑賞したことがなかったので、「和歌とはなんぞや」というところから千人万首に行き当たって和歌のすばらしさに触れ、今では深く共感するところですが、和歌に明るくなかったそのときでも論述の内容や重要性はよくわかりました。
『古事記には多くの歌が記載されている。登場する男女の神々はしばしば愛の歌を詠う。「古今集かな序」にはイザナキ・イザナミが互いに誉め合った時のものが歌の初めであると記されているが、古事記に登場する神々や天皇の多くは歌を詠っている。スサノオでさえ(乱暴者なので「さえ」です)、妻を得た喜びを三十一文字に詠んでいる』とまえがき。
 本文では『古事記神話には男女に関わる歌の場面が六つ描かれている。第一は、イザナキとイザナミが天の浮橋から淤能碁呂島に降りて契りを結ぶ時。古今集の仮名序には「歌というものは天地がひらけ初まった時にこの世に現れたものである」とある。第二は、スサノオが出雲国を建て、櫛名田比売と結婚するときに詠んだ歌「八雲たつ出雲八重垣妻籠めに八重垣つくるその八重垣を」。第三は、大国主神が高志国の沼河比売と結婚しようとして互いに言い交わした歌。第四は、大和国に行こうとした大国主神をスセリヒメが留めようとして、互いに歌を詠み合いった時の歌。第五は、大国主神の娘・下照比売が夫の天若日子の死後、尋ねてきた兄が怒って去ってしまった時に詠んだ歌。第六は、豊玉毘売と火遠理命が交わした歌』とあり、『この六場面を通して見ると、一から五場面までは和歌としては完成されてはいないのに対して、第六場面の豊玉毘売と火遠理命の二人は共に三十一文字の形式に則って歌を交わしている』とあります。
 古事記神話では、最終的に火遠理命の国治めによって共和制平和国家が完成しているのですが、『古事記神話の作者は「歌という形式もまた、火遠理命に至って完成した。歌こそが理想的国家のシンボルである」ということを示そうとした』(引用『』略文にさせていただきました)。
 第六場面以外は五七調をとっていても長かったり、スサノオの歌も返し歌がなく、火遠理命のところではじめて三十一文字の和歌の詠み合いが行われていると著者は見ています。
 ここに、さんごかくさまが疑問に思っておられることの糸口があるのでは、と感じました。ここには歌の形の変遷があります。
 著者は「和歌の精神は愛と平和」だと論じています。短歌の精神が何なのかについては、ご教示いただけたらと思います。ここに和歌と短歌の役割の違いも少し見えてくるのかな、と感じました。
 漢字から仮名の変遷については、NHKFMラジオドラマ、江守徹さんと石坂浩二さんと戸田恵子さんが出演した『古事記・第1回神代篇』で、太安万侶と藤原不比等が国史(古事記)を漢字で編纂するか、倭言葉(だったかな?)で編纂するか、悩んでいる場面がありました。中国に対して国の威厳を示すためには、大陸の人が読めるものでなければならないと不比等が主張するのに対して、太安万侶は「稗田阿礼の語りを漢字で表現するのは無理がある」と悩んでいる件がありました。何か下地があってそのような台詞が書かれていると思われますが、それについてはどなたか知っておられる方があったら、お願いいたします。
 いずれにしても「芸術こそが国家を愛と平和に導く。和歌は芸術であり、その役割を担い得る」ということかと思います(こうして書き記すと、私自身、もっと芸術性の高い和歌を詠みたい、という思いでいっぱいになりました)。長文になり、恐縮です。かしこ


 Re:折口父子の墓    ..水垣    
        2006/05/11(木) 22:34  No.1104
 
 
さんごかく様、こんばんは。
折口信夫の著作は、文章も発想も特異なので、大変でしょう。でも導入文があるなど、親切な編集の本を手に入れられたようですね。
さんごかく様は謡曲をやっておられたとのことですから、関心の重なる部分もおありでしょう。

折口父子のお墓と言えば、もう十年ほど前になりましょうか、大伴家持の故地を訪ねて能登を旅していた時にお参りする機会がありました。気多神宮のそばでしたね。お写真を懐かしく拝見した次第です。


 古事記のこと    ..水垣    
        2006/05/11(木) 22:43  No.1105
 
 
招き猫様ご紹介の『古事記 変容する神々』に興味を惹かれ、早速注文しました。

>太安万侶は「稗田阿礼の語りを漢字で表現するのは無理がある」と悩んでいる件

この件は古事記の太安万侶の序に「上古ノ時、言意並ニ朴ニシテ、文ヲ敷キ句ヲ構フルコト、字ニ於テ即チ難シ」とあるのを下地にしているのでしょう。本居宣長の『古事記伝』はこの部分につき「上ツ代のことなれば、意も言も共にいと古くして、当時のとは異なるが多かるべければ、漢文にはかき取りがたかりけむこと宜(ウベ)なり」云々と解説しています。


 Re:古事記のこと    ..招き猫    
        2006/05/12(金) 07:56  No.1107
 
 
水垣さま

 疑問点に早速お答えくださって、ありがとうございました。『古事記 変容する神々』は、神々の名前はバンバン登場するのですが、平易な日本語表現がなされているのと、すっきりした論述がなされているので、古事記を全く知らず、かつ、本を読むのが遅い私でも、それほど日数をかけないで読むことができました。水垣さまなら、さらっとあっという間にお読みになられることと思いますよ。かしこ



 律文    ..さんごかく    
      2006/05/11(木) 21:20  No.1103
 
 
 招き猫さま

コメントありがとうございます。 お返事にならないほどの初心者です。

 近年万葉集を読む会に誘われ、歌を読む(鑑賞)様になりました。それまでは古典的なことは謡曲を長く習っていましたが、和歌にはあまり関心がなかったのです。短歌が有るのなら長歌も有るのでないかと言った所、万葉集を読め。と誘われたのがはじまりです。
万葉集の会でお話を伺って、新聞等の短歌を読みますと、31文字でありながら、違和感が高まってきました。
万葉集は歌を集めたものである。との簡単な予備知識には疑問が出てきました。歌わざるを得なかった、その記録であると感じたのが始まりです。では記録の表記されない以前はどうであったかと単純に思った訳です。

折口信夫の書は、今手にしているのは民族学的であり、ことの始まりの縁起を述べています。

その中に 『歴史は歴史として語られたのではない、神言としてかたられた。語部の暗誦した文章は、散文ではなく、曲節を伴った律文であった。』と書かれています。これこそが歌の発生ではないでしょうか。稗田の阿礼も語部の猿女族だそうです。

私もNHKNの古事記を録音しまして、仲間に回覧いたしました。
巫女の存在は日本の古代歴史(神話)の上では、重要な意義、必然性がありました。詳しくは水垣様に教えていただきました「古代研究3」にあります。
折口信夫をいま暫く読んで行こうとおもいます。
自分勝手な疑問を少し解消させ、寄り道しながら和歌など読んで行きたいとおもいます。

頂きました招き猫さまの文は時間をかけて解読してゆきます。
ありがとうございました。



 Re:律文    ..招き猫    
        2006/05/12(金) 02:54  No.1106
 
 
さんごかくさま

 「歌わざるを得なかった、その記録であると感じた」とは興味深いです。万葉集のどんな部分にお感じになられたのか、機会があったらぜひお聞かせください。私は歌を読むのは今のところほとんどこちらの『千人万首』と数冊の本ですが、さんごかくさまは、外に出られて積極的な取り組みをされておられるのですね。
 謡曲は私にはとっても難しい! 最近、能の役者さんというのは、何曲も収載されている謡曲の分厚い本が丸々頭の中に入っていることを知りました。いくら子どもの頃から習得されているとは言え、伝統芸能の世界の凄さをまざまざと拝見させていただいた次第です。

『歴史は歴史として語られたのではない、神言としてかたられた。語部の暗誦した文章は、散文ではなく、曲節を伴った律文であった。』なるほど、と思いました。しかし、何のために、と考えてみると、人が人であることの普遍性を追い求めたのかなあ、とか、この世の不条理とか自然の営みとか、理解のしがたいものを必死に受け入れようとしていたのかなあ、とか、さまざまに思いが巡りました。
 NHKFMラジオドラマ古事記、第1回は私も録音したのですが、第2回が知らない間に終わっていてショックでした。第3回は抜かりなく・・・。

 私の文章の解読、お手数をおかけしてすみません。何かあったら、お声かけください。折口信夫氏の著書についても、お感じになられたことがあったらぜひ。かしこ



 この時期の花で大好きな杜若、でも、あまりお目にかかれませんので    ..アゲハ    
      2006/05/03(水) 23:35  No.1089
 
 

伊邪河の汀の菖蒲束ねしてまず訪いし託にせむ

襲の色目などにもこの季節なりの決まり事はある訳ですけど、あまり拘らずに彩色してますが、向日葵はちといただけないかなとは思います....うひょひょ(*^。^*)


 あのー、すみません    ..逸爾散士    
        2006/05/07(日) 19:03  No.1090
 
 
アゲハさま

>伊邪河の汀の菖蒲束ねしてまず訪いし託にせむ

の読み方なんですけど、「伊邪河」は「いざかわ」かな。
「託」は何でしょう。「まずおとないし・○○○○にせむ」だから4音に読むのでしょうね。「いへづと」は自分のうちに持ってかえるから違うし・・・。
そういえば「託す(る)」って漢字字音に直接、動詞を作る接尾辞がついています。和語の読みと語幹は知らないなあ。「あずける」は「預ける」だし、「ことづける」は「言付ける」が普通。
とりあえず「ことづけ」ということにして、お土産というよりは口実ということで、菖蒲に心を添えているのかしらん。

すみませんねえ。言葉ばかりに反応して鮮やかな絵にはふれないで。(女性の顔立ちは近代的な感じですね)

 言の葉のあやめを問ふもあやなしや色をも香をも知らぬ顔して

掛詞というよりは駄洒落だな。こりゃ。


 Re:あのー、すみません    ..アゲハ    
        2006/05/07(日) 22:15  No.1091
 
 
とっても素敵な洒落、おしゃれですね逸爾散士さま。

とりあえずの解釈、「ことづけ」で宜しいです♡

言付け=依頼・依託という意味ですね。
託=かこつける・口実という意味合いに、こちらはなりますので、そのあたりのニュアンスが気に入って......(*^。^*)

まあしかし日本語はつくづく難しく、つくづく素晴らしいです。

因みにアゲハのパソちゃんは「ことづけ」で変換すると「託」となります、おっしゃるように普通じゃないんでしょう。m(__)m


 辞書    ..逸爾散士    
        2006/05/08(月) 00:18  No.1092
 
 
アゲハさま

 なーるほど。変換で調べる手がありましたね。
 「伊邪河」は検索をかけて『古事記』にあることを確認したのですが、「託」は『広辞苑』で「託する」をひいて、「あずける」や「ことづける」の意味をしるぐらいの知恵でとどまって、『古語辞典』の見出し語に「言付け・事付け」しかなかったものですから失礼をいたしました。
 あらためて返歌。「持ちて」に「以って」が通うかなあ。

 託といふもゆかしき心かな持ちてあやめの香こそ匂はめ 


 Re:辞書    ..アゲハ    
        2006/05/09(火) 00:00  No.1094
 
 
逸爾散士さま、「託云々」のお歌の最後が、どーも投げやりな印象を醸しているようで気になります。
「知らぬ顔」でいらっしゃる訳ですからそのままで実にストレートですけれど、それでは「言の葉のあやめ」や「問うもあやなし....」の雅さが台無しじゃありません?
せめて「見過ぐしぞする」あたりになさってみては如何でしょうか。
そのほうが折角のお歌の素敵さを壊さないように思えます。(*^。^*)


 知らず顔とは知らざりき・・・    ..逸爾散士    
        2006/05/09(火) 00:50  No.1097
 
 
 アゲハ様

>色をも香をも知らぬ顔して

の末尾の句(末句と変換しようとしたらマックだって)のことですね。なげやりというか現代語と同じになってしまいまして、古語でもこう言うかなと一応は気にしました。
「かこち顔なる」みたいに今は使われない言葉があればいいのですが。「さらぬ顔して」だと、菖蒲の香や色、ひいてはアゲハ様制作の画像の色香を、わかっていながら何気ないそぶり、ということで、そのほうが屈曲があって面白いかもしれません。
 「さらぬ=然らぬ、サアラヌ」

 「〜する」の終止形ではなく「〜て」という形でとめたほうがいいかな、と感じます。(この辺は好みも)
 「意をとめずして」では口調が固すぎるし。
 「知らぬ顔」だと現代語と重なるから「知らぬ気にして」のほうがいいかしらん。「わきまへもせず」も現代語と重なるし。
 古語では「しらず顔」というようですので、「知らん顔」よりはそのほうが雰囲気はいいかもしれませぬ。
 「さらぬ顔」が一番「して」に映りがいいかな。


 Re:知らず顔とは知らざりき・・・    ..アゲハ    
        2006/05/09(火) 08:40  No.1098
 
 
こちら随分伸びちゃいまして、すみませんm(__)m。

逸爾散士さま。
「さ」は言葉を整える為としても「あらぬ」とされると何が「あらぬ」のか訳がわかりません。
色と香りがどうであるから「さあらぬ」なんですか?

まだ「しらん顔」のほうがマシですね。


 お早うございます    ..逸爾散士    
        2006/05/09(火) 09:42  No.1099
 
 
アゲハさま

 手元の古語辞典によると
 さらぬ【然らぬ】[連体]《サアラヌの約》@そうではない。その他の。「頭中将・左中弁、―君たちも」<源氏 若紫)Aそれほどでもない。そう大したことない。「―はかなき事をだに疵(きづ)を求むる世に<源氏 紅葉賀> ――がほ(がお)【然らぬ顔】さりげない顔つき。何気ないようす。「―にもてなしたれど」<源氏 若菜上>
慣用して「さらぬ顔」で一語と思われます『源氏』を読むのに、「なにが、さ、あらぬような顔をしてもてなしたんだろう」と「さ」(これは指示語だと思う)を詮索することはなくて、「さりげないようすでもてなして」と解釈するのだと思います。

 「色をも香をもさらぬ顔して」だと、「色や香については、何気ない風を装って」みたいなニュアンスでしょうか。

 「見過ぐしぞする」は「見過ぐし」が名詞的に扱われているように感じます。係結び助詞「ぞ」がついて「する」は連体止め。強意の「ぞ」が「見過ぐす」に分け入った(そんなことできるかな)としても、納まりがいい形に思えなくて、私の文体(というか好み)ではないんですね。
 意味としては、現代語と同じでも「わきまへもせず」が一番すっきりしています。 
 うーむ。言葉談義は尽きないですねえ。

なかなかに語るも尽きずやまとうた言葉の円居(まとゐ)さらぬ顔せず

「まとい」は団欒。会合。「やまとうた言葉の円居」はここの掲示板のことを指すつもり。「さらぬ顔」に「去らぬ」を掛けようとした、これは狂歌かなあ。


 Re:お早うございます    ..アゲハ    
        2006/05/09(火) 11:14  No.1100
 
 
え〜っとそれではこーゆー通釈で宜しいんですか?

「この言葉の道理・いきさつを尋ねてみても無駄で無意味なことかな、色や香りについてはそしらぬ様で....」
(否でしたら詳らかにしてください、なんとも興の無い結果となりますが)

上記の「さらぬ」のご親切な注釈は納得致します。m(__)m

....してみると「して」は何とかしてみないと、たとえ「うつりが良く」てもヘンですよね。
(こんなことダラダラやってたら又お叱りを受けますかしらん)


 口語訳 語釈    ..逸爾散士    
        2006/05/10(水) 01:22  No.1101
 
 
アゲハさま

 えー、まあ、そんなような意味ですが一応駄洒落(掛詞ともいう)の入った歌ですので、長々しく未練たらしい注釈をつけるとこんなような意図。

 >言の葉のあやめを問ふもあやなしや色をも香をも知らぬ顔して

(掲載の鮮やかな絵の菖蒲でなく、「託」の読みなんぞという)言の葉の「あやめ」(条理、区別)を質問するのも、わきまえがないことかなあ。(御作の絵の)色や(菖蒲の)香りは、そ知らぬ顔をして・・・。
 てな意味です。上の句と下の句は倒置法のつもり。
 お作の絵の菖蒲の色や香を、知っていて知らないそぶりなのか(色香のことを言うのは照れくさいとか)、全く心づかないセンスのない奴なのかで、微妙に表現のあやは変わりますね。
 「さらぬ顔」というのは、絵にも注意はいっているのだけど、スルーして言葉のことを尋ねたという感じかな。
 これが、連句なら
 言の葉のあやめを問ふもあやなしや
  色をも香をも知らず顔なる
のほうがいいように感じます。
 「菖蒲」と「色」「香」は縁語というべきでしょうね。「あやめ=文目」と「あやなし=文無し」はなんなのかな。

 なんか駄洒落の解説をしているみたいで間抜けな話でした。

 >託(ことづけ)といふもゆかしき心かな持ちてあやめの香こそ匂はめ 

の歌でもそうですが、当座の挨拶であって、相手にむかって「綺麗な絵ですね。菖蒲を持った絵に付けて、<まず訪いし託にせむ>とはゆかしいですね」と言う歌でして、雅とかいうようなものとは申せません。口軽に言いはやす気分は、俳諧の付け合いに近いかな。



 和歌日記    ..招き猫    
      2006/05/08(月) 00:44  No.1093
 
 
水垣さま

5月7日(卯月十日)の和歌日記

>雨の夜も窓あけて待つほととぎす此の世のほかの歌びとのこゑ

に感じ入りつつ、

時鳥山のしづくに立ちぬれて待つとはしるやあかつきのこゑ(藤原定家[新拾遺])

とも。かしこ



 無題    ..アゲハ    
      2006/04/25(火) 18:57  No.1074
 
 
石ばしる垂水の上の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも
        志貴皇子

野生の藤が息苦しいくらいに香る時期、自分ちの山に入って大人達と共に蕨を摘んだ子供の頃を思い出させる季節であり歌です。


 早蕨    ..水垣    
        2006/04/30(日) 21:15  No.1080
 
 
早蕨を見つめる少年のまなざしが良いですね。
私はいわゆる都会っ子でしたので、アゲハ様のような子供時代の思い出がないのですが、鎌倉に引っ越して今更ながら自然に親しみ、春には万葉集に詠まれた早蕨が至るところに萌え出ている様に感激している有様です。

 早蕨のにぎりこぶしをふりあげて山の横つらはる風ぞ吹く(蜀山人)


 Re:早蕨    ..アゲハ    
        2006/05/01(月) 17:28  No.1084
 
 
このような歌があるなんて知らなかった!楽しいし小気味良いですね。

でも詠み手のお名前がアゲハ読めないっ......(T_T)


 蜀山人    ..水垣    
        2006/05/01(月) 22:40  No.1087
 
 
別のスレッドで逸爾散士様が解説下さってますので、そちらを御覧下さいね。(逸爾散士様、ありがとうございます。)


 無題    ..逸爾散士    
      2006/05/01(月) 20:56  No.1085
 
 
アゲハさま

こういう話題は、朱引の内で生まれて東京都水道局の水で産湯を使った(情けない啖呵)わたしの出番ですね。
太田蜀山人(おおたしょくさんじん)は、南畝、四方赤良などの号や狂歌名を持つ江戸狂歌の大家です。彼は御家人だったっけな。
水垣さまのサイトに「狂歌百人一首」が載っています。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kyouka100i.html

一般的な説明としては以下を検索で見つけました。

http://www.edoshoga.jp/nanpo.html



 補足 狂歌の真骨頂    ..逸爾散士    
        2006/05/01(月) 21:22  No.1086
 
 
改作して分析するという手法をここでも振り回して・・・(握りこぶしの縁語?)
蜀山人の狂歌の「握りこぶしを振り上げて」とか「横面張る」とか、俗で滑稽な言葉をやめてみましょう・

早蕨の群はさわさわ震えつつ山の横面(よこも)に春風ぞふく
 
(二句目は、「さむら(接頭辞+群ら、)はさわと」といえれば音調は良くなるけど)

早蕨の小集落がさわさわとそよいで、山の斜面に春風が吹いているという歌になるけど、原作のほうが颯爽としていますよね。
狂歌だから、滑稽の成分が入ったり諧謔味があったりすれば文芸として価値が下がるわけではないことが、理解されるのではないでしょうか。



 胡蝶    ..アゲハ    
      2006/04/29(土) 11:01  No.1075
 
 
県北のあたりでは「雪が.....」という情報も流石に聞く事はなくなり、大型連休がやってきます(*^。^*)。

花粉症デビューした私、春は困った季節になりましたが、やっぱ大好きな美しい季節。
古来から春と秋の優劣を競ってきたようですが、アゲハは春が一押しです♡

花園の胡蝶をさえや下草に秋待つ虫は疎く見るらん    (源氏物語より)

秋の賛美者には面白くないことでしょう。


 Re:胡蝶    ..招き猫    
        2006/04/30(日) 14:21  No.1076
 
 
 自然の豊かな土地にお住まいになっておられるご様子、うらやましい限りです。

 いつも彩りも鮮やかに掲載される絵はCGですか?ご自分でデザインされておられるのでしょうか。

 花粉症、お大事になされませ。ひどくならないことを祈っております。


 Re:胡蝶    ..アゲハ    
        2006/04/30(日) 18:59  No.1077
 
 
招き猫さま、お見舞いありがとうございます♪

私は猫が大好きなんですが、アレルギーがあって近寄れなかったんですけど、3年前から一匹飼ってます。
荒療治が効いたのかこの頃は症状も出ません。

なので、スギ花粉とヒノキ花粉をブレンドしたものをご飯にふりかけて食べてみてやろーかしらとか思ったりしてます....マジで。(*^。^*)


 Re:胡蝶    ..招き猫    
        2006/04/30(日) 20:31  No.1078
 
 
 そ、そうですか。ご無理なさらないことを祈りつつ、結果も楽しみです。

 ところで絵はご自分でデザインされておられるのですか。動画なんかもおやりになったりして?


 Re:胡蝶    ..アゲハ    
        2006/04/30(日) 20:50  No.1079
 
 
はい♡誠にお目汚しでっす。m(__)m

こちらに羅列しておりますのは私めの愚作。
アニメはやってませんけど、ハイレベルで多機能なソフトが欲しいな〜....とは思いますぅぅぅぅ。


 花粉    ..水垣    
        2006/04/30(日) 21:23  No.1081
 
 
私も十年ほど前から花粉症に悩まされていますが、今年は花粉の量が非常に少なかったせいか、随分楽に過ごせました。
お医者さんの話では、治癒のためにはともかく花粉を浴びないことが一番だそうです。くれぐれもご無理なさいませんよう。


 Re:花粉    ..招き猫    
        2006/04/30(日) 23:35  No.1082
 
 
>ハイレベルで多機能なソフトが欲しいな〜
って、けっこう手に入れるの大変なのですか?
私、この絵が動くの、見てみたいです〜(わがまま?)。


 Re:花粉    ..アゲハ    
        2006/05/01(月) 16:55  No.1083
 
 
ソフトのイラストレーターなんて10万くらいするのデス。

そう言われてみればアゲハも「動かしてみたいかも〜」(*^_^*)



 忍恋、待恋、後朝、逢不逢恋に花を添えて    ..招き猫    
      2006/04/18(火) 10:47  No.1056
 
 
逸爾散士さま

 四首いっぺんにお返ししようと思ったら、時間がかかりました。「返信」にするとあまりに下の方になるので、こちらに失礼いたします。

  忍恋ノ花
 萌えそむる草のはつかに見てしより知られぬ日々に散る桜かな
返し
 散る花ははつかに萌ゆる下草のおもひゆかしとそばにゆくらめ

   待恋ノ花
 並立ちて人と見まほし桜花もろくな散りそ待つ夕風に
返し
 花ひとり散らふなみだのもろかれば風おもむきてともに行く春

   後朝ノ花
 かきやりし黒髪にしも散りかかる帰る朝けの恋さくら花
返し
 とどまらぬ花もありやとなきぬれてくもりもはてぬきぬぎぬの空

   逢不逢恋ノ花
 契らねど花はめぐりて咲きにけり言の葉しげき人もとへかし
返し
 年毎の葉のしげかるるうつろひにちりゆく花をわれとみましや


 Re:忍恋、待恋、後朝、逢不逢恋に花を添えて    ..逸爾散士    
        2006/04/21(金) 21:17  No.1065
 
 
招き猫さま

 返歌ありがとうございます。応酬として続くものか心もとないのですがお返事。(難解な歌ではないと思うけど通釈つき。)


>散る花ははつかに萌ゆる下草のおもひゆかしとそばにゆくらめ

 人目たつさくらの花の散りかかる下もえ草ぞ茂りまさるる

(目立つ桜<相手の比喩>が散りかかる萌える下草(のように、わたしの心)はますます茂ることであるよ)
 高校などの参考書の訳文の真似です。古文では「下」に「心」の意味があることで成立している下の句かな。


>花ひとり散らふなみだのもろかれば風おもむきてともに行く春

 吹きわたる春風さへもいずくへか花ともなひて逝きにしものを
 (あなたは「ともに行く春」というが、春風でさえ、何処へか花を伴って去っていった・・・・・・。<私とあなたはともにいることもままならないのだ>)


>とどまらぬ花もありやとなきぬれてくもりもはてぬきぬぎぬの空

 きぬぎぬと別れし袖のしをるればかくこそ花の色も濡れけれ
 (お互いの衣を着て分かれるきぬぎぬ。別れの袖は涙でぬれ、このように袖にかかる花片の色も濡れている)

 
 >年毎の葉のしげかるるうつろひにちりゆく花をわれとみましや

 散る花はやがて実りのあるものをあだに歳ゆくわが身悲しも
(散ってしまう花でさえ、やがて実を結ぶのに、空しく年取ってしまう自分が悲しいわ)
 桜はやがて桜の実を結ぶことをふまえた女性の心情。女性の身にたった代理詠はけっこう得意。ネカマというか。(って違うったら)


 Re:忍恋、待恋、後朝、逢不逢恋に花を添えて    ..招き猫    
        2006/04/23(日) 14:55  No.1066
 
 
逸爾散士さま

>女性の身にたった代理詠はけっこう得意。

驚くばかり、上手過ぎです。

花やある春もむかしのままなればわが身をうつす朧月もや

忍恋、待恋、後朝、逢不逢恋の本歌と返し歌とその応酬歌と、今の私の心情を総まとめにして詠みました。


 あだに老いゆく    ..逸爾散士    
        2006/04/24(月) 23:18  No.1072
 
 
招き猫さま

>散る花はやがて実りのあるものをあだに歳ゆくわが身悲しも
 
という歌。どっかで詠んだかな、と思ったら、お世話になっている「漢詩創作のホームページ」の国際交流詩で去年の4月に投稿した詩に自分でつけた解説の和歌とほぼ同じ。後半二句を和歌にしたのです。

暮春即事
暖風柳ヲ梳リテ街衢ヲ渡リ
京洛ノ園池、鴨雛ヲ引ク
花後ノ櫻桃ハ應ニ子ヲ結バン
老書生ニ許ルサルルハ只殘軀ノミ

散る花もやがて実りのあるものを徒に老いゆくわが身悲しも

これだと科挙に毎年落第している者の感慨とよめるのではないかしらん。
同じ意味内容だから、並べても『和漢朗詠集』のような効果ではないかも。

業平朝臣を思わせるお歌にお返し。

>花やある春もむかしのままなればわが身をうつす朧月もや

 朧月にたつ俤も朧にてむかしや今や春をさだめず


 Re:あだに老いゆく    ..招き猫    
        2006/04/25(火) 02:02  No.1073
 
 
逸爾散士さま

>散る花もやがて実りのあるものを徒に老いゆくわが身悲しも

 科挙の試験に毎年落第している人の感慨と、「逢不逢恋」の心情に通じるところがあるのだなあ、とおもしろく読ませていただきました。
それになぞらえると、

>年毎の葉のしげかるるうつろひにちりゆく花をわれとみましや

は感慨のレベルにとどまらず、試験官に恨みがましくて、

>契らねど花はめぐりて咲きにけり言の葉しげき人もとへかし

は、自分は落第したけれど、合格を果たした仲間と「ええい、一緒に騒いじゃえ、来年もあるし」といったところかな、なんてひとりで笑ってました。

 『和漢朗詠集』のご教示ありがとうございます。漢詩を詠まれていることには、以前より敬服しておりました。いろいろ勉強させていただきました。京大電子図書館のページに筆で書かれた『和漢朗詠集』の写真がありましたが、こんな私でも「美しい」と思いました。

>朧月にたつ俤も朧にてむかしや今や春をさだめず

お心を有り難くいただきました。

ところで、月影四首。これは、どうぞ鑑賞してください。

あやなくにうつしとみゆる月影はあだしこころの朧なるらめ
さもあらぬわがこころねは月影の光にみゆるまことなりけり
まこととはいかなるものぞ月影の日ごとにかわるものとしりせば
ひねもすにおもひやること月影のわが身をうつすものとしりせば

此の世をば我が世とぞ思ふ望月の虧(かけ)たる事も無しと思へば(藤原道長)

望月の君はいいなあ。



 歌垣    ..アゲハ    
      2006/04/20(木) 23:54  No.1064
 
 
去年の春たはれし野辺に独り来む
          筺に満つは筆の花かも


太田川沿いには今の時期、摘み草を楽しまれる方々の姿が見えます。
老ご夫婦らしき人達、ペット連れ、子供たち、黙々とジョギングで過ぎる人などなど....。

こちら昼間は異様に風が強く、軽量級のアゲハは吹っ飛ばされそうでした。

古代は新緑の萌え出るこの時期が、かなりの規模の合コンシーズンだったんでしょうね♡


 Re:歌垣    ..水垣    
        2006/04/24(月) 00:30  No.1069
 
 
 佐保姫の花の筆かもつくづくし春野の空に何を描くらん

春の川原はのどかで良いですね。
土筆や茅花、菜の花、嫁菜…。草花摘みは、未婚の少女たちのアピールの場でもあったのでしょう。
いつも付けて下さる色鮮やかなイラストはご自作でしょうか。お蔭様で、素っ気ないゲストブックがぱっと花やぎます。


 Re:歌垣    ..アゲハ    
        2006/04/24(月) 12:58  No.1071
 
 
ご亭主さま、どーもm(__)m

私は生憎カメラを操りませんので、見事な風景や綺麗な花やを手土産でお邪魔する事が出来ません。

何故、カメラを操れないか?
カメラが無いからです。
なので、お絵かきでご機嫌覗いをしてるんです♡
お目ざわりでなければこれからも......。

上の写真は水垣さまのお近くの風景ですか?
萌え出た若葉に飾られて美しいですね。
吹き渡る風さえもがその色に染まっているかのようです。
一色ではなくて、それぞれ異なる緑の色彩の競演は花よりも美しいかも。(*^。^*)



 花の色    ..ひよきち    
      2006/04/23(日) 22:27  No.1067
 
 

水垣さま、こんばんは。

和歌日記、拝見致しました。
花水木、こんなに透明感のある美しい色だったのですね。
しばし見とれてしまいました(*^_^*)

よく見てみましたら 花のもとに淡い緑の葉も。
花も葉も光を浴びて輝くようですね。

こちらは桜もまだ残ってはいるものの 山々は緑に彩られはじめました。
風薫る季節ももうすぐです。



 Re:花の色    ..水垣    
        2006/04/24(月) 00:48  No.1070
 
 
ひよきち様、こんばんは。
早速にご感想をありがとうございます。
よく晴れると、もう陽射しは初夏を思わせます。そんな光に透けた花水木の花の色に惹かれて撮った写真でした。
葉の少ないところが春の木の花らしいところかな、と思いました。

お写真は早蕨でしょうか。赤ん坊のにぎった掌みたいな芽、何とも愛くるしいですね。
私の写真は我が家の近所を取り巻く山々です。ほぼ緑一色となりました。爽やかな良い季節となりますね。



 コンサート♪    ..アゲハ    
      2006/04/23(日) 23:58  No.1068
 
 
一昨日は追っかけしている大好きな指揮者のお誕生日のコンサートでした。
アンコールに移る前、俄かにHappy・Birthday.dear♪♪....と楽団員の方々が演奏し始め、指揮者は暫し呆然の態でらっしゃいましたけど、涙を拭われるのを見て、私もウルウルしながら歌いました。

花残る月にあれまし君が為祝い奏づる音のさやけかり

(昨年のツアーの時のポスターです。お気に入りなの)



 気が気じゃない。    ..アゲハ    
      2006/04/19(水) 12:07  No.1060
 
 
一日を不本意ながらも無聊のうちに過ごしてますと、兎も角も空模様がいちいち気にかかりまして。
雪もよく降りましたが、このところ雨もよく降ります。
よく降る良く降ると言えば褒められていると誤解するんでしょうかしら???
いずれにしても不穏な気象です。

安芸の国吾がすむ郷は花葎
     わきてもしげし雨の山吹



 雨の山吹    ..水垣    
        2006/04/20(木) 00:45  No.1063
 
 
>アゲハ様
今年の春は本当に天気が不安定ですね。こちらも今日は穏やかな晴天だったのに、夜になってまた雨となりました。
安芸の国にお住みなのですね。
「花葎」は初めて目にする語ですが、花の咲いた種々の草ということでしょうか。

 すみたまふ安芸の国にも春の雨いろはそふらむ山吹の花

(写真は鎌倉瑞泉寺の八重山吹です。)



 荷田春満    ..ひよきち    
      2006/04/19(水) 09:46  No.1059
 
 

水垣さま、おはようございます。

荷田春満の項 拝見致しました。
中でも次の歌が大変心に残りました。


来る秋は目に見えぬ風や幾千里
     あまはせ使おとに告ぐらむ


今年の秋の初め この歌をまたさらに味わいたいと思います。


和歌日記、そして和歌歳時記
これからの更新がとても楽しみです(*^_^*)

水垣さま、鶴岡八幡宮の銀杏はもう芽吹いている頃でしょうか。
いつか実際に自分の眼で見てみたいと思いつつ 
憧れだけを深くしております。



 Re:荷田春満    ..水垣    
        2006/04/20(木) 00:28  No.1062
 
 
ひよきち様、こんばんは。
早速ご覧下さり、コメントをありがとうございます。

>来る秋は目に見えぬ風や幾千里
     あまはせ使おとに告ぐらむ

一陣の秋風が天空遥かを渡ってゆく、その爽やかな音が聞こえてきそうな歌ですね。
初秋、風の音に思い出して下されば幸いです。

近頃八幡宮にお参りする機会がありませんでしたが、銀杏もそろそろ芽吹いている頃でしょうね。黄葉はもちろんですが、青葉の頃も銀杏の老木はみごとなものです。

こちらはすっかり桜が終わり、山々のやわらかな新緑が美しい季節となりました。
歳時記など、また更新に励んで参りたいと思います。



 今年も....    ..アゲハ    
      2006/04/15(土) 23:50  No.1055
 
 
中千本も下千本も観には行けませんでした。
花の繚乱を観たいんですけれど。

みよしのの高ねの桜ちりにけり
       嵐もしろき春のあけぼの    新古今集



 Re:今年も....    ..水垣    
        2006/04/20(木) 00:09  No.1061
 
 
吉野へは花時を狙って二度訪ねましたが、二度とも振られました。二回目は奧千本にわずかに残っていた程度でした。

 ときはなる花もやあると吉野山
     おくなく入りてなほ尋ねみん  西行

写真はフリー写真素材サイト「かもめ工房」からの借り物です。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~seagull/



 新掲示板開設のお知らせ    ..水垣    
      2006/04/15(土) 23:07  No.1054
 
 
歌を投稿して下さる方が少しずつですが増えているようなので、試みに、和歌投稿用の掲示板「花筵(はなむしろ)を開設してみました。
即興の歌で気軽に楽しもう、という程度のコンセプトですが、むろん力作も歓迎致します。
もとより歌はこれまで通りこちらのゲストブックに投稿頂いても全然構いませんけれど。

ネットに粗末な茣蓙を一枚広げたばかりですが、皆様のご投稿を心よりお待ちしております。


 Re:新掲示板開設、ありがとうございます。    ..招き猫    
        2006/04/18(火) 11:21  No.1057
 
 
水垣さま

 思わず座りたくなるような、すてきなネーミングですね。喜びの歌は花筵にて。失礼ながら、座ってはおりませぬが。


 Re:新掲示板開設、ありがとうございます。    ..アゲハ    
        2006/04/18(火) 19:33  No.1058
 
 
陽射しに誘われて遠出しました。
結構なすわり心地ですぅぅ(*^。^*)

明日からは又、お天気も崩れるようですので.....。

曇りなき今日のみゆきや敷きたへの
        袖にめでたく散る桜花



 権中納言敦忠    ..紫草    
      2006/04/15(土) 01:30  No.1046
 
 
長らくご無沙汰いたしております内に桜も散り花びらがピンクの絨毯なってしまいました。此れも花鳥風月の習いでしょうか、庭の木々も萌芽し佐保姫がやって来た様です。
突然のブログ休止のお知らせでしたので、戸惑いましたが再開されましたので安堵いたしました。一人静様にお伝えしたい事が御座いましたのでメールを教えて欲しい旨、投稿いたした次第です。

一人静様                          

白洲正子著「私の百人一首」お読みに成りましたか、100ページに権中納言敦忠の歌に

逢ひみての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり

藤原敦忠(906−947)は左大臣時平の三男で、・・・・・と
ありますが、紹介本として谷崎潤一郎著「少将滋幹の母」は敦忠を
モデルにしているとの事で読んで見ましたら、さすが文豪ですね細密に文献を典拠いたし小説ではならではの思いを致しました。

お暇の折一読なされますようお勧め致します。

思い出づるときはの山の岩つつじいはねばこそあれ恋しきものを


 Re:権中納言敦忠    ..一人静    
        2006/04/15(土) 17:10  No.1048
 
 
当地は朝より雨が降り続き、買い物に出かける時に通ります桜並木も、雨を受けて無惨な姿になっています。

さて、藤原敦忠の歌にちなんでの本のお勧めありがとうございました。
私が心に留めていましたのは、敦忠の歌そのものと彼の人柄などで、彼の母の話は読んでも流れてしまっていました。
紫草さまからのお勧めもあり、もう一度読み返しますと敦忠の母親の人生の悲惨さが書き込まれていますね。愛する夫と幸せに暮らしていたのに理不尽な別れを引き受けさせられます。夫の嘆きの歌が哀れを誘い、夫婦の形見である業平再来のような貴公子の早世を当時の人が悲しんだのは当然かもしれません。

白洲さんの書かれた本は彼女の膨大ともいえる読書と現地への訪問の上に成り立っていながら素人の私などにもわかりやすく、楽しめるものになっていることに感謝で一杯の気持ちになります。「私の百人一首」は全集を借りて読みましたが、文庫を手に入れて持ち歩きできるようにしました。たびたびのお声かけありがとうございました。


 Re:権中納言敦忠    ..水垣    
        2006/04/15(土) 22:58  No.1053
 
 
紫草様
ご心配おかけしました。
谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」は私も愛読しておりました。敦忠の母と滋幹の母は同一人物、在原業平の孫娘にあたる人でしたね。
谷崎の語りの妙技を堪能できる傑作だと思います。



 花ニ寄スル恋    ..逸爾散士    
      2006/04/12(水) 00:02  No.1042
 
 
 今日は東京の中央線から見える飯田橋の辺の外堀の桜を見ました。まだかなり花の残っている木が多く、葉桜になったものもまだ花盛りに近いものもありました。
 梅のように遅速があってそれぞれに咲く植物と違い、桜は地域が同じなら一斉にさくイメージがあったけど、それぞれの木にそれぞれの盛りの時があると、なにか今年はしみじみと花を眺めました。雨風がけっこうあったのに、低温のためか東京の桜は、今年は花が長持ちしていますね。

 友人に求められる和歌四首。今月は桜を恋の歌として詠む趣向をたてました。それぞれの詞書に似合う桜の歌。
 三首目、「恋さくら花」なんて和歌と言うより歌謡曲みたいだけど、昔の歌人でも詠まないこともないかなと思います。
 四首目、一度は契って後は訪れもせず口先ばかりの男に女性から送ったという設定だけど、そういうときに逢不逢恋という詞書がそぐうのか覚束ない。
 忍ぶ恋は男女どちらでもいいけど、どちらかと言うと男性。待つ恋は女性。きぬぎぬは男の視点、逢ひて逢はざる怨言は女性ですね。春分の日の朝、すぐに起きずに寝床の中で作りました。どの歌にも実感としての花は出てこない。恋の歌だと作りやすいというのは、我ながらいやになるほど日本人です。

  忍恋ノ花
萌えそむる草のはつかに見てしより知られぬ日々に散る桜かな
  待恋ノ花
並立ちて人と見まほし桜花もろくな散りそ待つ夕風に
  後朝ノ花
かきやりし黒髪にしも散りかかる帰る朝けの恋さくら花
  逢不逢恋ノ花
契らねど花はめぐりて咲きにけり言の葉しげき人もとへかし


 Re:花ニ寄スル恋    ..一人静    
        2006/04/12(水) 20:20  No.1043
 
 
今晩は。
見立ての歌、と受け止めてよいのでしょうか、四首楽しませていただきました。

題詠・・として出題されて素敵な歌を読める人たちがうらやましく思いながら、できない私はそれを楽しむという贅沢な立場にたたせていただいています。

好きな歌はまず三首目、後朝の歌です。
恋しい人の髪をかきやったは男性はさくらの花を恋の花と思えるほど素敵な一夜をすごした思いが伝わってきます。朝けは朝明なんですね。

次は一首目。草の萌えはじめの頃から桜が散るまでの時間の長さがおもいやられ、忍ぶ思いが伝わります。

三番目は待恋の花の歌。最後は難しい逢不逢恋の花の歌。
でした。
身勝手な感想でごめんなさい。

招き猫さんへのコメントの中にあった古川柳

 ヨシキリに地を謡はせてホトトギス 

よしきりの声をネットできかせてもらい、なるほど・・と納得しました。
クチュクチュ・・といつた感じのよしきりの声にトッキョトカッキョーと叫ぶホトトギス・・さすが古川柳と感心しました。


 Re:花ニ寄スル恋    ..逸爾散士    
        2006/04/14(金) 22:45  No.1045
 
 
一人静さま

 桜を素材とした恋歌にご感想をありがとうございます。
 友人は最初、無関心とか大好きとかいろんな人になったつもりで桜の歌を四首はどう? と言ってきたのですが、ちょっと腑に落ちなかったので、古今、後拾遺、新古今、玉葉、それぞれの時代っぽい桜の歌という趣向を考えました。(万葉は難しいからと敬遠。変に真似ると形だけ上代の言葉を立ち入れて、感情を大げさに出して・・・となりそうなのです)でも、それも困難そうなので、よくある詞書にあうような桜の歌という趣向に決めました。

 忍恋の歌は、もちろん以下の古歌から発想。「知られぬ日々」は式子さまのお歌が念頭にありました。「萌えそむる」が初恋の心の暗喩となって、有心の序みたいに一、二句が働いていればいいのですが・・・。

壬生忠岑
春日野の雪まをわけておひいでくる草のはつかに見えし君はも(古今)
式子内親王
忘れてはうちなげかるる夕かな我のみしりて過ぐる月日を(新古今)

 待恋は詞の上ではつながらないのですが、「なみたちて人と」というところは、次の歌をもとにしたといえるかも。わたしは思い人と並んで何かを見るというイメージが好きです。箴言集でサン・テグジュペリの、「恋人達は互いに見つめあうものではなく、同じものをを見つめるのだ」と言う言葉を読んでからかしらん。

光明皇后
我が背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし(万葉)

 他の人には全然興味がないでしょうが「見まほしき」と連体形にして三句に修飾させないと二句切れになり、三句の「桜花」でも切れて、調べがどうなのかなあ、と迷っています。二句を字余りにするのはよくないと思うし。
 恋人(妻問いの時代は夫かもしれません)がきたら一緒に見ようと思っているのに、待っている夕暮れにもろくも散ってくれるな、桜の花よ、という意味では、風を吹かせないで「待つ夕暮れに」でいいのかも。風もないのに静かに散ってゆく桜のほうが趣があるかもしれません。

 後朝の歌は一番最初に作りました。

藤原定家
かきやりしその黒髮のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞたつ(新古今)

をもとにしたのは明らかですね。はじめは「かきやりしその黒髮に散りかかる」と本歌からそのまま裁ちいれようと思ったのですが、「その黒髪」だと視線が髪だけにいく。「黒髪にしも」だと、黒髪にもあたりにもという意味で、広がりが出ると思いました。
 髪に桜の花びらがかかるイメージはなかなかだなと一人で悦にいっているそばから、「それってレディース・コミックじゃないよ」と自分で自分にツッコミを入れるのも楽しい。
 最初から意図して頭韻にしているのですが、全体にK音が多いのは、K音が硬い響きなだけにカチャカチャとウォークマンの音漏れみたいな聴覚印象かもしれません。

 逢不逢恋というのは関係が途絶えてしまった仲らしいのですが、この場合、なにか贈答歌で生意気盛りの若い女房(平安時代の宮中の意味です)が、相手をへこまそうとして歌みたいですね。詠みぶりは拾遺、後拾遺ぐらいの時代かな。
 約束したわけでもないのに桜は時節が来れば咲くものを、言葉ばかりのあなたは何故来ないのだ、となじるような感じ。「契る」は約束と交情と両方とも古典では頻繁に使われるでしょう。この場合、掛詞ではないけど両方の意味に使っているのが少し無理筋でしょうか。「花はめぐりて」より「めぐりて花は」のほうがいいかな。多分。

 以上、自分で詠んでおいてくだくだしく説明するというのが、そもそも烏滸というか阿呆というか野暮というかなんですけど、古語や古文、古歌の話題でもあるのでご容赦をねがって長談義をしてしまいました。


 Re:花ニ寄スル恋    ..一人静    
        2006/04/15(土) 17:41  No.1050
 
 
歌の解説、ありがとうございます。
古歌の引用がされているとは思いましたが、何のどの部分かわからなかったので助かりました。
壬生忠岑の歌も内親王様の歌(こちらは知っていました!)も、しみじみとしたよい歌ですね。

待恋歌、私は「みまほし」は「みまほしき」を省略したのね、だから桜にかかって三区切れ・・と解釈していました。「待つ夕風」というから、桜も風を待っているのかな、散るなといいながら風を待つのは風に散るのをまっているのかな・・とよくわかりませんでした。夕暮れの方が迷わなくていいです。光明皇后様の歌も知っていましたがこうして味わうとジンときます。

K音は気がついていましたよ〜!歌を音読するの大好きなんです。「ka」の音は重なっても明るい、楽しい感じになるので元歌と雰囲気の全く違ったものになっていて・・やっぱりよいです。

逢不逢恋歌は説明していただいて、納得できました。「言の葉しげき人」に歌なんてださなければいいのに・・という気持ちがありましたが、遊び心の少ない自分だなぁと恥ずかしいです。

解説していただいたおかげでまたまた楽しい時間が過ごせました。ありがとうございました。


 Re:花ニ寄スル恋    ..水垣    
        2006/04/15(土) 22:51  No.1052
 
 
逸爾散士様・一人静様
「花ニ寄スル恋」四首とお二人のやりとり、楽しく拝見しました。

>  忍恋ノ花
>萌えそむる草のはつかに見てしより知られぬ日々に散る桜かな

古今集の本歌から初恋(初々しい恋、あるいは恋の初期段階)の風情も取り込み、一人静様のおっしゃる通り、「時間の長さ」を感じさせて「忍ぶ恋」の思いを深めていると思いました。初句は「萌えいづる」もありでしょう。

>  待恋ノ花
>並立ちて人と見まほし桜花もろくな散りそ待つ夕風に

「並立ちて人と見まほし」ですと、大勢の人と並んで見たい、というようにも受け取れてしまうのでは? 「恋人と二人並んで」という意をはっきりさせるのでしたら、

 にほ鳥のふたり並びて見まほしき花な散りそね待つ夕風に

といった案も浮かびましたが(「にほ鳥の」はカイツブリが夫婦仲良く並んで泳ぐさまから「二人」にかかる枕詞です)、これでは万葉調になってしまいますね。

>  後朝ノ花
>かきやりし黒髪にしも散りかかる帰る朝けの恋さくら花

私もこの歌が一番好きです。初二句の擦過音「し」の重なりも調べの上でよく効いているような気がします。「恋さくら花」は新古今か室町時代頃の歌にあっても不思議でないような秀句ですね。

>  逢不逢恋ノ花
>契らねど花はめぐりて咲きにけり言の葉しげき人もとへかし

古今集の在原業平に贈った読人不知の歌、

   さくらの花のさかりに、ひさしくとはざりける人の
   きたりける時によみける
あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人もまちけり
(【通釈】桜の花は散りやすく不実だと評判ですが、一年でも稀にしか来ない人を、散らずに待っていました。)

を思い出しました。言葉が多いだけで一向に来ない、あだな恋人への恨み歌ですね。



 始めまして    ..アゲハ    
      2006/04/13(木) 16:23  No.1044
 
 
お邪魔します♡

家紋を検索していてたどり着いてしまいました。
私好みのお部屋(*^。^*)

今日は中国地方もお天気が回復の兆しを見せ、この時間から晴れ間が見えてきました。
人の滅多歩かない路地に桜の花弁が散り敷いてピンク色の道を作ってます。

残り無く散りて目出度き桜花
      ありて世の中果ての憂ければ   by...?


 Re:始めまして    ..水垣    
        2006/04/15(土) 21:58  No.1051
 
 
アゲハ様
はじめまして。ようこそおいで下さいました。ご投稿ありがとうございます。
今後ともご愛顧頂けましたら幸いに存じます。

今年の花時は、冷え込んだり、嵐になったり、また寒波が来たりと、お天気は全国的に波瀾が多かったようですね。今日もやや肌寒い一日でしたが、さすがに陽射しはうららかに感じられました。
こちらの桜はほとんど葉桜となってしまいました。

 ちる花をなにかうらみむ世の中に
     わが身もともにあらむものかは(よみ人しらず)



 水垣様 お帰りなさいませ    ..招き猫    
      2006/04/09(日) 14:04  No.1032
 
 
 水垣様と皆様とこうしてここでまた楽しく会話させていただくことを、とても嬉しく思います。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

なにとなく春のひかりとかぜありて花の散りゆくときをすごせり(招き猫)


 残花>招き猫様    ..水垣    
        2006/04/10(月) 00:58  No.1035
 
 
また楽しいお話ができたらと思っております。こちらこそどうぞよろしくお願い致します。
当地では今年の桜は例年になく長く咲いておりました。花見を堪能された方も多いのでは、と思いますが、招き猫様は如何だったでしょう。

 ひさかたの光も風ものどかにて日ぐらし散れど残る花かな


 >お花見    ..招き猫    
        2006/04/10(月) 07:46  No.1037
 
 
 残る花光と風と行く春のなごりもつきぬ曙の空

 桜、堪能させていただきましたよ。風に吹かれつ襟を立てつつ、最後は長閑に。水垣様も皆様もおそらくそうでしょう。今年は隅田川の桜を見る機会に恵まれました。支流の大横川の桜は強風にけなげに耐え、最高の景観でした。

 春風やのるは桜かゆりかもめ

 シテ桜ワキ都鳥風うたひ囃す隅田の夕凪の音


 返し歌 追伸    ..招き猫    
        2006/04/10(月) 11:08  No.1038
 
 
 行く春や花は光にとどまりてなごりもつきぬ曙の空



 Re:返し歌 追伸     ..逸爾散士    
        2006/04/10(月) 21:17  No.1040
 
 
水垣さま 皆さま お久しぶり。
掲示板再開、嬉しゅうございます。(音便保存会)

招き猫様
よくない性癖で他人様の歌をついつい評したくなりまして・・・。

シテ桜ワキ都鳥風うたひ囃す隅田の夕凪の音

隅田川河畔の春景を能楽に見立て、桜と都鳥(ユリカモメ)に、地謡と小鼓や能管や(まとめてなんていうんでしたっけ。長唄なら下方だけど)を取り合わせた歌かと思いますが、風が謡うという比喩はのみ込めますが、夕凪の音というのは禅問答のような。風音がやむと街の音が聞えるということかしらん。

シテは桜ワキ都鳥風謡い地には墨田の市(まち)のもの音

市中の物音が時折聞えてくることで、一時の風流にひたる瞬間を際立たせるねらいは同じかと思います。三句以降はどうしても苦しいかな。
 シテは桜ワキをつとむる都鳥聞こえくるのは街の物音
ならもう少しなだらか。
 
 ヨシキリに地を謡はせてホトトギス (うろ覚え)
という古川柳に、わたしはどうしても引きずられます。


 >ありがとうございます!    ..招き猫    
        2006/04/11(火) 08:43  No.1041
 
 
 逸爾散士様 >よくない性癖(などと思いません)大歓迎です。私は「夕凪」のことをよくつかんでいませんでした。「夕凪」を辞書で引いたら「海岸地方で、夕方の海風から陸風に交替する時に、無風状態になること。《季 夏》」そうか、無風なのだ。しかも夏。なるほど禅問答ですね。ゴメンナサイ、間抜けで。囃子の音は、波の音にしたつもりでした。ホントにお世話になります。

 シテ桜ワキ都鳥風うたひ囃す隅田の夕波の音

とすれば、どうでしょう。
 これを言問橋のたもとで詠むと、能『隅田川』『伊勢物語』の情感もさらに極まったでしょうが、私はもう少し下流の永代橋のたもとにて。

 >ヨシキリに地を謡はせてホトトギス 

という古川柳は正岡子規を思わせますね。


 弥生も半ば過ぎ    ..水垣    
        2006/04/15(土) 17:18  No.1049
 
 
>招き猫様・逸爾散士様

珍しいほど永くもった今年の桜でしたが、先日の雨でほぼ散り尽しました。山々が緑を濃くして行く中、今は八重桜が盛りを迎えています。

>シテ桜ワキ都鳥風うたひ囃す隅田の夕波の音

花鳥風水、声を合せて春の盛りを謡い囃しているのですね。花のお江戸の賑いもおのずと思いやられ、市の物音を呼び込んだ逸爾散士様の趣向も成る程と思いました。

 名にし負ふ春の宴もすみ田川また言問はむ花のあけぼの



 戸田茂睡に関する一言    ..戸田正彦    
      2006/04/10(月) 17:28  No.1039
 
 
一族の歌人戸田茂睡を取り上げていただき感謝します。
歌の選択はオーナーのご意思として尊重させていただきますが、出来たらお直しいただければ、と言う点があります。僭越ではありますが、数箇所指摘させていただきます。ご検討いただければ
幸いです。
まず、
@「徳川家の家臣渡辺忠の子として駿府城内に生まれる。名は恭  光、通称茂右衛門。」

 この部分、名は恭光、とありますが、初めは渡邊茂右衛門馮(たのむ)で、渡邊氏として、嵯峨源氏ゆえの一字名を踏襲して います。後に戸田氏を名乗り、これまた初代宗光、2代憲光、 3代政光と続く戸田氏本流の名○光を襲い、天和2年に茂睡が 建立した、大磯の「鴫立沢の歌碑」(現存)では、戸田茂睡恭 光(ゆきみつ)を称しています。
 従って、ここは、

 「駿河大納言忠長の家臣、渡邊監物忠の六男として駿府城内に  生まれる。名は馮、通称茂右衛門。後に戸田茂睡恭光を名乗  る。」
  ではいかが。

A「幼少時、父が主人忠長の乱行の責を負って下野那須に流謫さ  れた際、父に伴って蟄居生活を強いられた。」

 「下野那須に流謫された際、」この部分は、
 下野那須黒羽の大関家にお預けになり、

 ではいかがでしょうか。違っているわけではありませんが・・

B「のち伯父戸田政次の養子となったらしく、名を戸田恭光と改 めた。」

 次に書きますが、茂睡の江戸出府より以前に叔父戸田政次は  歿していることからして、茂睡との接点はなく、この事実はあ り得ません。(茂睡自筆の系譜にもそうしたことは書かれて  ない)戸田本流が使う、戸田恭光と改めたのも、茂睡オリジナ ルと推測されます。分家の分家の茂睡では、絶対に名乗ること は出来ない、恭光は重い名前です。

C「赦免後、江戸に出て岡崎藩主本多侯に仕えるが、藩政改革に より浪人を余儀なくされる。」

 寛文2年、茂睡は34歳で赦されて江戸へ出て、浪人生活を
 12年送り、延宝2年、46歳時に初めて、大和郡山藩主 本多 中務太輔政長に仕官しています。ところが、仕官に尽力した母 が歿すると、直ちに致仕し隠遁します。延宝8年秋、このとき 茂睡52歳。「浪人を余儀なくされた」のではなく、自ら望ん
 だ致仕だったわけです。

 実は今週金曜の14日は、茂睡歿後300年(寶永3年[170 6]4月14日歿・78歳)にあたります。逆修五輪塔がある浅 草寺で、一族20人で供養する予定です。    戸田正彦 拝



 Re:戸田茂睡に関する一言    ..水垣    
        2006/04/15(土) 16:05  No.1047
 
 
戸田正彦様
大変貴重なご教示をまことに有り難うございました。
ご子孫の方からご意見を頂けるとは、望外の幸せです。
昨日14日が茂睡没後三百年の記念すべき日だったのですね。

茂睡につきましては詳しい伝記を見つけることができず、結局数種の人名辞典などを頼りに略伝を書くことになってしまいました。余りあてにはならなかったようです。
まだ読み残した文献も少なくありませんので、近々それらも読んだ上で、ご指摘を参考に全面的に書き直したいと思っております。(当面、明らかに問題がありそうな部分は御説に従い、修正させて頂きました。)

茂睡の選歌はいつにも増して大変迷ったのですが、歌となりますとどうしても好悪があり、しかも素人ゆえの偏りが生じるのは致し方ないところと、ご寛恕頂ければ幸いです。

重ねてお礼申し上げます。




 祝再開    ..sion    
      2006/04/09(日) 15:00  No.1033
 
 
ご旅行はいかがでしたか。
ブログの終了はショックで、私も残念な気持をお伝えしたかったのですが、この時期にメールをお出しするのもご負担になるだけかなと、遠慮されました。でもコンテンツはサイトに引き継がれるとのことですし、和歌日記も開設されて嬉しいです。
『タッチ』、懐かしいですねー。私は中学生のころTVアニメで見ていました。


 Re:祝再開>sion様    ..水垣    
        2006/04/10(月) 01:06  No.1036
 
 
いつもお気遣いありがとうございます。
旅行は(紀州の姫様ご明察の通り)春休みの家族旅行だったのですが、ちょっと仕事も絡んでおりまして、あまり時間に余裕がなかったのが残念でした。でも久しぶりに温泉でのんびりできました。
かなりペースは鈍りますが、歳時記など、今後も執念深く続けてゆきたいと思っておりますので、またご覧頂ければ幸いです。

>『タッチ』
私はもっぱら本で読んでおりまして、TVアニメはあまり見ていなかったのですが、こちらも名作と評価が高いみたいですね。



 お久しぶりです。    ..むらじ    
      2006/04/09(日) 13:28  No.1031
 
 
ブログも掲示板もいっぺんに閉じてしまわれたので、何事・・・?といささか心配しておりました。
ぶじのご帰着、祝着に存じます。
書き込みのほうはこのところすっかりご無沙汰しておりますが、折々拝見させていただいております。
これからもよろしくお願い致します。


 Re:お久しぶりです。>むらじ様    ..水垣    
        2006/04/10(月) 00:45  No.1034
 
 
お気遣いありがとうございます。
ブログの方は一年続けられれば上出来、という気持でやっておりました。皆様には唐突の感を与えてしまったようで、申し分けありません。
一息入れて、リフレッシュして、また頑張ろうと思います。
こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願い致します。



 掲示板再開します    ..水垣    
      2006/04/07(金) 20:45  No.1027
 
 
>紫草様・皆様
ご投稿ありがとうございます。今夜より掲示板を再開致しました。
blogにつきましても更新終了を惜しむ声をお寄せ下さった方があり、まことに有り難く存じます。
折々blogに書いてきました歳時記は当サイトの「和歌歳時記」に引き継ぎますし、拙詠のコーナー等も歌日記のような形で継続したいと準備しているところです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

なおメールアドレスの件ですが、掲示板等に記載しますと、迷惑メールが届く可能性があり、管理人の立場としましてはあまりお勧めできません。
私的な用件につきましては私のメールアドレス(やまとうたのトップページに記載してあります)へお願い致します。


 Re:掲示板再開します    ..ためかぬ    
        2006/04/07(金) 22:25  No.1028
 
 
早々再開していただき、ありがとうございます。
より歌に親しみやすかったblogの更新終了は残念ですが、一年間贅沢な時間をいただきましたこと、あらためてお礼申し上げます。

昨日は万葉集の特集記事のある雑誌サライを購入。
白川静氏の「国家黎明期の歌集が、今なお読み継がれる。こんな例は、世界のどこの国にもありません。」とのお言葉に、いまさらながら驚きをおぼえました。
いままでより、わずかであっても、もう少し深くかかわりをもって、勉強しないともったいないなと感じました。



 Re:掲示板再開します    ..紀州の姫    
        2006/04/08(土) 07:27  No.1029
 
 
水垣さま、お帰りなさ〜い!ご旅行如何でしたか?春休みのご家族皆様でのご旅行だったのではないでしょうか?

お休みの間、終了のblogをゆっくり拝見しておりました。パソコン不調の時に読み落としていました瑞泉寺の水仙や海蔵寺の水仙(浄光明寺も)のお写真と記事も拝見致しました。(^^♪

こちら、今、桜桜桜・・・満開です!!

みわたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける


 Re:掲示板再開します    ..一人静    
        2006/04/08(土) 08:57  No.1030
 
 
おはようございます。
日々アクセスしながら、まだかなぁ・・と待っていました。
お忙しい中ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

紫草様へ

 私へのお便り嬉しくありがとうございます。パソコンには詳しくない私はアドレスをお教えしようにも方法がわからず、こちらの再開をまつばかりでした。

 吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬかたの花を尋ん

白洲さんが好きな西行歌のひとつですが私もまた好きな歌になりました。西行が吉野の山を何度となく尋ねた足跡を彼女もまた何度も尋ねています。この歌が実感として心の傍にあったのだろうと思いました。

桜が満開になりました。
爛漫に咲く花の力に圧倒されながらも歌を口ずさむことで心の平静さを保てるような気持ちがしています。
これからもどうぞよろしくお願いします。



 無題    ..紫草    
      2006/04/05(水) 02:35  No.1026
 
 
明日より旅行に出掛け、帰宅後もしばらく忙しくなりますので、掲示板の管理が出来なくなり、まことに勝手ながら投稿を停止させて頂きます。
サイトの更新、メールのお返事なども、当面お休みさせて頂くことになります。よろしくご諒解下さいませ。(コメント)大変困致しました!残念でたまりません。

長きに渡り、やまと歌(芳名帳)を継続されまして有難う御座いました。水垣様を始め多くの方々よりご意見を頂き楽しく学ばしていただきました事大変感謝いたします。管理者としては多忙な日々で
在ったと思われますが、もし時間が許されるのでしたなら継続をお願いしていただきたいのですのですがご再考を望み見ます。お願いが御座います。もし宜しければメール交換を一人静様と致したいのですがEメールをお知らせいただけませんでしょうか、お願いいたします。宜しくお願いいたします。



 お知らせ    ..水垣    
      2006/03/29(水) 00:54  No.1024
 
 
明日より旅行に出掛け、帰宅後もしばらく忙しくなりますので、掲示板の管理が出来なくなり、まことに勝手ながら投稿を停止させて頂きます。
サイトの更新、メールのお返事なども、当面お休みさせて頂くことになります。よろしくご諒解下さいませ。



 金盞銀臺(きんさんぎんだい)    ..紀州の姫    
      2006/03/28(火) 14:11  No.1022
 
 
水垣さまへ
慈円のすみれの歌を有難うございました。
いつも慈円の歌に励まされている私ですので嬉しかったです。
そして「スミレ検索システム」の“指定なし”で調べ、写真を数えましたら93種あり驚いてしまいました。(@_@) この中の14種が茶花として使われるのでしょうね!?

今、実家の庭に水仙が咲いています。今の時期や花の大きさだけをみてラッパ水仙と思っていたのですが・・、種類については自信ありません。^_^;(昨日の夕暮れに撮りました)

水仙が渡ってきたのは室町時代とか?歌については余り無いようですね。
調べますと、『厳寒に花を開き 香りも梅にをとらず 盛りも久しきものにしてめずべきものなれど、歌にも詠ぜられず 本草和名、倭名類聚抄などにも載られざるはこの花の不幸なり(古今要覧稿)』とありました。
水仙の別名、金色の盃が銀の臺に載るという形容の“金盞銀臺”や寒さの中で咲く健気な花の“雪中花”があることも知りました。冬の季語として多く使われるようですね。

初雪や水仙の葉のたわむまで(芭蕉)


 Re:金盞銀臺(きんさんぎんだい)    ..水垣    
        2006/03/29(水) 00:52  No.1023
 
 
お写真ありがとうございます。
多分喇叭水仙だと思うのですが…。花びらに白い筋が見えるのは、珍しいのでは? 私は初めて拝見します。
こちらでも日本水仙はほぼ枯れてしまいましたが、大きな喇叭水仙はまだ元気に咲いています。
ブログにも書いたのですが、水仙は漢名をそのまま借り、和名を持たなかったため、和歌にはほとんど詠まれなかったのですね。本当に「この花の不幸なり」と思います(と言いますか、不幸なのは花というより、この花を愛する人達なのですが)。
春まで咲きますが、冬の寒いうちから咲き始めるので、歌には余り詠まれなくても、貴重な花として愛され続けてきた花ですね。



 菫(すみれ)    ..紀州の姫    
      2006/03/23(木) 23:53  No.1017
 
 
これは、3月10日に撮ったものです。
もうウン十年も前になりますが、妹が恩師から頂いた菫を実家の玄関先に植えたもので、今では結構増え毎年この季節には可愛い花を咲かせます。

ブログにまだ菫がなくこちらに載せてみようかどうしようかしら・・・、と暫く迷っていましたら“壺菫”が・・。^_^;
では、私も思い切って載せてみます。

千人万首で色々調べてみましたら、菫の歌もいくつかありますね。
そして、【(掛詞)すみれのスミに住みを掛けている】と言う事も知りました。

ふる里の野べ見にくれば昔わが妹(いも)とすみれの花咲きにけり

ふるさとの浅茅が原におなじくは君とすみれの花を摘まばや


 Re:菫(すみれ)    ..紫草    
        2006/03/24(金) 22:40  No.1018
 
 
紀州の姫さま

お久し振りですね。菫の花を便りに茶花大事典を開いて見ましたら
菫の種類は14種を数え、見たことも名も知らない花に出会いました。小さな花ですので茶花に活けられる事など思いませんでしたので、事典によりますと、取り合せ、花入れ、等がありましたので庭で咲きましたら手折り挿して見ようかな。!万葉集にある歌のように表現できるか疑問ですが?

春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける

訳・春の野にすみれを摘みに来たんだよ、私は。それなのにあまりの懐かしさに、とうとう一晩野で寝てしまった。(山部赤人)

山吹の咲きたる野辺の壷菫この春の雨に盛りなりけり

訳・山吹の野辺にひっそりと咲くつぼすみれの花は、この春雨に濡れてにおい立つばかりに美しく咲いていますよ。(高田女王)

拙庭にも3種ほど咲くのですが、まだ顔を見せません咲きますのを楽しみに待って見ましょう。どんな形に活けられるかな。!


 Re:菫(すみれ)    ..紀州の姫    
        2006/03/26(日) 00:31  No.1019
 
 
紫草さま、有難うございます。
菫は14種もの種類があるのですね。初めて知りました。
お花の達人でいらっしゃいますので、きっと可憐なすみれも素敵に活けられる事と想像しております。

実家の庭には、黄色が美しいラッパ水仙が咲き始めております。今日は陽射しも明るく暖かでした。本当にもう春ですね。


 Re:菫(すみれ)    ..水垣    
        2006/03/26(日) 23:28  No.1021
 
 
>紀州の姫様
お写真ありがとうございます。
色に深みのある美しい菫ですね。ハート型の葉にも愛嬌を感じます。
この季節、玄関先でお客様を歓迎しているのですね。

仰る通り、「すみれ」に「住み」を掛けている歌は結構ありますね。昔の歌人も、菫の花にかつて住んだ故郷を懐かしく思い浮かべたのでしょう。

 今さらにかへりすめとやすみれつむ
           わが故郷の春のゆふ暮  慈円「拾玉集」

>紫草様

菫は大変多くの種があるようですね。十四種もが茶花として使われるのでしょうか。
我が家の花壇には妻が育てているパンジーやバイオレットが咲いていますが、これらも菫の仲間のようですね。
世にスミレ愛好家は多いようで、「スミレ検索システム」なるWEBサイトを見つけました。

http://www.plantsindex.com/viola/index.htm



 下河辺長流に想うやまと歌の滔滔とした流れ    ..逸爾散士    
      2006/03/20(月) 23:15  No.1015
 
 
千人万首に掲出された下河辺長流の歌は、流麗な調べで目を見張りました。内容は少々首を傾けたくなるところもあるのですが、なかなか清新な感じがする。
読んでみると、流れるような「調べ」だけでなく、なにか広々した心持がしました。その心理を含めて、ちょっと考えてみます。

 花の色にまだ染めざりし白妙のはじめにかへす夏衣かな

春から夏への衣更えで、花の色の衣が夏衣に変わったとは、誰でもいうでしょうし、夏衣が白妙というのもなるほどそうではある。でもそれを「白妙のはじめにかへす」という発想は新鮮。ただ考えようによっては思考の遊びとでもいうか、ちょっと子供っぽいのかもしれません。
古今集風の「見立て」とは違うけど、機知とか遊び心に類するもので、近代の歌人にはうけなさそうです。

 たらちねのこがひはじむる初春に柳ぞはやくまゆ籠りする

この歌の「繭(眉)ごもり」の言葉遊びもそうでしょう。その機知を中心とした歌なのでしょうが、二句目の「こがひはじむる」は助詞を省いてスピード感があり、下の句も「 <柳・ぞ> <はやく> <繭ごもり><する> 」と4文節ですっきり進行させて流れるように詠っている調べが、浅い春に柳の芽吹きが風に吹かれるようなさわやかさをもたらしています。

こうした下河辺長流の歌は、万葉調とは言えない。でも説明を読むと彼は万葉集の研究の業績で、後世を裨益したらしい。賀茂真淵の歌も実際に千人万首で読んでみたら、殊更に上代の言葉を真似て擬古的な万葉ぶりをしているのではなかったので、「ふーむ」と感じるところがありましたが、下河辺長流の歌も「たらちね」という言葉は使っても、擬古的なわざとらしさは感じません。
むしろ「たらちね」でも「母」でもいいですが、母やまたは父を詠んだ歌が王朝時代にどれだけあったのだろう、八大集の時代、殆どは「人」とか「きみ」とか恋を詠むことが多く、題材が狭かったのかなあ、この「たらちね」は題材を広げようとする意欲の現われかな、と思いました。

わが為はつむもひろふもしるしなき恋わすれ草恋わすれ貝

この歌も「恋わすれ草」「恋わすれ貝」が万葉集由来の言葉としても、万葉調とは思えない。「つむもひろふもしるしなき」なんて稚気に近いとも思えるけれど、恋わすれ草、恋わすれ貝」の羅列に、修辞への志向と真率な表出とが感じられます。

掲出歌はどれもふり絞るような絶唱ではなく、丈の高い壮麗な歌でもないのですが、下河辺長流は言葉そのものに対しては誠実に相対していると感じます。

今はそんな観念はないでしょうけど、私の子供の頃は、―素朴で豊かな万葉集に対し、和歌はだんだん言語遊戯に陥って、江戸時代には「月並み」の極地に達した。江戸時代から万葉集評価はあったが、明治とともに、万葉が再評価されて和歌が近代短歌に脱皮できた―というような観念があったように思います。
でも万葉集の注釈で知られる下河辺長流は、言語遊戯を駆使しながら巧みな調べの歌を詠み、それは決して前代の歌のマンネリズムではなく、彼独自の表現である。この事実が、滔滔とながれてやまぬやまと歌の歩みを実感させてくれるのだと思います。



 Re:下河辺長流に想うやまと歌の滔滔とした流れ    ..水垣    
        2006/03/26(日) 23:26  No.1020
 
 
>逸爾散士様

下河辺長流の歌風等につき、大変興味深く拝見しました。
長流は万葉学者としての評価に比して、歌人としての評価は決して高いとは言えないでしょう。しかし、おっしゃるように調べの美しさには天性の才が感じられますし、情趣にも様々な工夫を凝らしていて、相当の成果を残した歌人ではないかと思います。

言葉遊びに対する嗜好、題材を広げようとの意欲、「修辞への志向と真率な表出」なども重要なご指摘と思いました。

佐佐木信綱の『近世和歌史』では長流の歌風につき「古今新古今の中間といふところ」と言っていて、なるほどそう言えないこともないのでしょうが、私はちょっと違うのではないかという感じがします。近世の歌人は万葉調・古今調・新古今調のどれかに当てはめて考えられがちな傾向がありますけれども、長流や、長流の師であった長嘯子などは、やはりその時代なりの歌風を創り出した――確乎たる新風を生み出せたかどうかはともかくとして――出色の歌人と言えると思います。



 庭の梅    ..紫草    
      2006/03/20(月) 23:35  No.1016
 
 
庭の梅が咲くのと時を同じくして鶯がなき春の香を楽しんでおりましたら、心ない強風に煽られ花びらが吹き散ってしまつた。もし和歌を詠じる事が出来たらならと、忸怩の思いに駆られながら古書を捲り楽しんで見ました。
梅の異称は「鉄樹」・「木母」・「花の魁」・「軒端の梅」・「好文木」・「鶯宿梅」・「花の兄」・梅を(花の兄)といいますのは(秋の菊)を花の弟と異称することに対しているとの説もありますが、「燕居雑話」によりますと、「梅を花の兄と云う事は。水仙花に対して云ひたることゝ見えたり」とあります。低い水仙を「花の弟」と称するのに対しての「花の兄」だと言うのです。

能「東北」では歌舞の菩薩となった和泉式部ですが、序の舞を舞い上げた後、彼女は昔日を懐かしんで涙します。

「げにや色を染み、香に愛でし昔を。よしなや今更に、思い出づれば我ながら、懐かしく恋しき涙」。

あの多情多感であった和泉式部の「花心」に引かれて。



 百鬼夜狂    ..樂々 [URL]    
      2006/03/17(金) 22:21  No.1010
 
 
わたくしのサイトへの御訪問ありがとうございます。呆れられたでしょう。もう二度とおいでにならないと思います。ところで、楽しみにしておりました百鬼夜狂のページが見つかりませんがもう削除されたのでしょうか。だとすれば大変残念です。何とか再開完成できないものでしょうか。でも水垣様の御身に悪いことが起きてはいけませんね。わたしが凶事を全部引き受けることができたらいいのですが。

 Re:百鬼夜狂    ..水垣    
        2006/03/18(土) 22:37  No.1013
 
 
こちらこそご訪問ありがとうございます。貴サイトまた楽しみに拝見させて頂きます。
コンテンツが増えて、トップページのメニューがうるさくなったので、百鬼夜狂へのリンクは外してしまったのです。ファイルはまだ存在しておりますので、下記リンクをクリックして御覧下さい。

http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin/tokusetu/hyakki1.html

もともと夏季限定の特設ページのつもりだったのですが、面白いとおっしゃって下さる方が意外と多く、何とか最後までやり遂げたいとは思っているのですが…。
御祓いでもしてからやり直しましょうか。気長にお待ち頂ければ幸いです。


 Re:百鬼夜狂    ..樂々 [URL]    
        2006/03/20(月) 21:09  No.1014
 
 
そうですか。まだ見られるんですね。よかったです。実はわたしが
非才をも省みず『百鬼夜狂』の注釈を自分のサイトでやろうかと
考えて最寄の図書館に備え付けの『狂歌大観』を見ようとしましたら
全三巻が直前に原因不明の紛失処理となっておりました。これも妖怪どものいたずらかと不吉な気分ちにさせられましたが、そのおかげで無知無学の恥をさらす愚が避けられたのですから、妖怪たちも案外いいやつかもしれないと思ったりもします。水垣さんの解説の完成を気長に待つことにしてわたしは撤退することにいたしました。
これからもお世話になります。



 仕事でインドネシアへ行ってきました。    ..招き猫    
      2006/03/15(水) 10:53  No.1008
 
 
 本来行くはずの人の突然の病気による選手交代で、全く役不足のピンチヒッターでしたが、なかなか行けない所に連れて行っていただいて、ありがたい旅でした。
 バリ島やジャワ島は、雨季から乾季に移る直前の時期。突然のスコールで、あっという間に道路が川になったりもしました。
 フェリーで渡った島で2時間(往復4時間)車で走りましたが、両側には人や牛によって耕作される美しい田園風景が続いて、ミレーやゴーギャンの絵画を見ているようでした。
 何か詠もうと思ったのですが、赤道直下でいつも夏、と思うと詠めなかったですね、なんだか。プライベートでなかったこともあるかな。俳句を少し詠んだので、披露します。

 夏風や入り江戯るつばくらめ
 
 茜さす日の入る凪や夕涼み
 
 月冴えて宴たけなわの浜辺かな

これでは、インドネシアが全く無視されてますね。



 Re:仕事でインドネシアへ行ってきました。    ..一人静    
        2006/03/16(木) 10:23  No.1009
 
 
しばらくお名前が見えない・・と思っていましたら、遠くに行っておられたのですね。おかえりなさい。

お写真には「茜さす日の入る凪や夕涼み」この句がぴったりだなぁ・・と想いながら雄大な海を見せていただきました。

私は今は白洲さんの「花にもの思う春」を読んでいます。こちらで教えていただいた本ですが、白洲さんの本を読む時は・・歌の鑑賞の個人レッスンを丁寧にうけている・・といいましょうか、私には至福の時間となっています。

招き猫さんのご披露くださる歌を皆さんがいろいろ批評される時は炉辺の歓談のような雰囲気があり、そばで楽しませていただいています。



 Re:仕事でインドネシアへ行ってきました。    ..水垣    
        2006/03/18(土) 22:25  No.1012
 
 
おかえりなさい。突然の海外旅行、お疲れだったでしょう。
美しい夕日の画像をありがとうございます。思いなしか、やはり南国のムードが感じられます。

>茜さす日の入る凪や夕涼み

私もこの句がお写真と相俟って一番実感が湧きました。
仰る通りですが、どうせならインドネシアという土地の感じがもっと出れば、ご自身の思い出のためにも、もっと良かったかもしれませんね。



 春の鎌倉    ..八重葎    
      2006/03/13(月) 12:21  No.1007
 
 
水垣様

大変ごぶさたしております。この2ヶ月ほど非常に多忙で
お便りできませんでした。貴Siteが7ヵ年目の記念日を迎えられた
こと、遅くなりましたが心よりお祝いさせて頂きます。

こちらでは本当にたくさんのことを学ばせていただき
感謝しております。そしてなにより水垣様の本Siteに対する志と
それを継続されているご尽力に敬意を覚えます。

なんでも効率よく、短期間に、利益のでることばかり求められる
世の中に、ほっと心の洗われる歌と水垣様のやさしいおことばに
胸のすく思いを何度経験したことでしょう。

今後とも末永く、水垣様のもとゆっくりとうたを味あわせていただき
たくよろしくお願い致します。


 Re:春の鎌倉    ..水垣    
        2006/03/18(土) 22:09  No.1011
 
 
八重葎様

ご無沙汰しました。お返事遅れてすみません。
お忙しい中、お祝いの言葉をまことに有り難うございました。

僅々七年と思っておりましたが、ウェブ・サイトの寿命としては必ずしも短くはないのかもしれませんね。この間続けて来られましたのも、折々励まして下さった皆様のお蔭です。

これからもマイペースで気長に続けて行こうと思っております。今後ともどうぞよろしくお願い致します。



 馬酔木 (あせび)    ..紫草    
      2006/03/11(土) 14:00  No.1005
 
 
ツツジ科の常緑低木。日本特産で万葉植物の一つ。有毒、馬などが
食べると麻痺するというので「馬酔木」と書く。

  馬酔木咲く 万葉仮名の 道しるべ (樽矢美緒)

686年天武天皇が9月崩御するや皇位継承をめぐって大津皇子の身辺は緊迫につつまれる。その後、皇太子との確執があり大津は謀反の疑いありとして捕らえられ、翌3日、処刑された24歳。
ところで大津には2歳年上の姉がいた大来皇女。姉弟は過酷な時代
を身を寄せ合って生き、深い情愛で結ばれていた。大津の死を誰よ
りも悲しんだのはこの姉、大来皇女であったろう。

磯の上に生ふる馬木酔を手折らめど見すべき君がありと言はなくに

弟は馬酔木の花がすきであった。その馬酔木を手折ろうと思うけれど、それを共に愛でるべき弟はもういない・・・・・。
馬酔木の白い可憐な小花と、皇女の白露のような涙が重なり合って
いっそう哀切を誘う。

花が終わると新芽が金銀の色を付け眩い新緑がやって来る。春がやっと訪れてきたなと馬酔木の花が教えてくれる。


 Re:馬酔木 (あせび)    ..一人静    
        2006/03/12(日) 10:53  No.1006
 
 
大来皇女のこの歌は山歩きをしている際に馬酔木の花を見るたびに思い出す歌です。

口ずさむ折に「ありといわなくに」が「いるとは誰もいってくれない」と納得するまでに少し時間がかかりました。

この花を見せたい弟がもういない・・は皇女の想い、
房状の白い小花に皇女の白露のような涙を重ねる・・は我々の想い、

歌が一段と胸内に膨らんできます。



 定家葛の伝説    ..逸爾散士    
      2006/03/06(月) 01:12  No.999
 
 
紫草様をはじめ皆様のコメントに触発されて、手近な本で能の『定家』をざっと読みました(元和卯月本「謡曲百番」(全)笠間書院)。古文としては難しいものではないけど、よくわかりませんでした。
筋は能の定型でしょう。ワキの「北国がたより出たる僧」が都に出てきて、にはかの時雨に一時のやどりをすれば、里の女(前シテ)が出てきて、ここは時雨の亭だと告げる。
それから里の女に乞われて墓参りをする途次に、僧は「星霜ふりたるにつた葛はひまとひ、かたちもみえ」ぬ石塔を見せられる。女は、「これは式子内親王の御はか」といい、定家葛のいわれを物語る。賀茂の斎院を退下した内親王様に、「定家卿忍び〃の御契りあさからず、其後式子内親王ほどなくむなしく成り給ひしに」というところ、べつに狂言綺語ですので嫉妬したわけではないのですが、ちょっと心に波風が立った。

どこから引用すればいいのかわからないけど、
「…賀茂の斎院にしも、備はり給ふ身なれ共、神やうけずもなりにけん、人の契りの色にいでけるぞかなしき、つつむとすれどあだし世のあだなる中の名はもれて、余所の聞えはおほかたの空おそろしき日の光、雲の通路たえ果て乙女の姿とゞめえぬ心ぞつらき諸共に」「実や嘆くとも、こふともあはむ道やなき、君かづらきの峰の雲と詠じけん心まで、思へばかゝる執心のていか葛と身は成て、此御跡にいつとなく、はなれもやらでつた紅葉の、いろこがれまとはり、荊の髪もむすぼゝれ、露しもにきえかへる妄執をたすけ給へや…」
という辺が前半のクライマックスでシテが舞うところではないかと想像。この後、「今はつつまじ、此上は、我こそ式子内親王」とシテは告げて退場する。
後半は、僧が「薬草喩品」を読誦して、内親王様の霊は仏果を得、「はひまとはるゝや定家葛の、はかなくもかたちはうづもれてうせにけり」と終わるのですが、妄執に苦しむのは定家卿なので、成仏したのは内親王様か定家卿なのか、なにか判然としない。ここで「元カレのストーカー的妄執を、お坊さんがお祈りしておさめたのね」なんて典雅も幽玄も台無しなことを口走ると顰蹙ですが、シテは式子内親王様(里の女)ながら、救済の対象は定家卿(の妄執)でもあり、法華経の功徳は内親王様と定家卿の二人を済度したと舞台の上ではわかるのかな、と思いました。

定家葛の伝説について、その内容、成立ともに詳しいことを知らないのですが、『明月記』なんて個人の日記を中世の人々が目にしたとは思えず、どういうところから式子内親王様と定家卿の恋愛が伝説化したのかな、と思います。皇太后宮大夫と式子様の関わりは世にも明らかだから、定家卿と内親王様の行き来も知られてはいたでしょうが、式子様は恋愛の伝説の主になるようなお人柄とは思えない。もっとも作品がかなりな個人の心の吐露だから、何か背景の恋愛を考えたくなるのかしらん。
定家卿も、歌は華麗だけど資料から歴史家達が描き出す人物像は、色好みとも恋愛に思いつめるタイプとも思えない。まあ、こちらも中世を通じて、(新古今集以後の)歌道の淵源として伝説化したものかもしれませんね。

思わせぶりな贈答歌でもあれば、内親王様と定家卿が「昔は松風羅月にこと葉をかはし、翠帳紅閨にまくらをならべ、さまざま成し情のすゑ…」という仲と伝説化されるのも故なしとしないけど、どちらも恋の歌の名手とはいえ、なんで浮き名の立つものか。
この伝説の主は定家卿で、式子様は葛にお墓が閉ざされるようにあくまでも受身。ただ「暁のゆふつけ鳥ぞあはれなる長きねぶりを思ふ枕に」とか「露の身にむすべる罪はおもくとももらさじものを花のうてなに」といった歌が知られているので、妄執から救済される伝説の一方の役割を担うにいたったものかなと思いました。
この伝説での式子様の立場を、定家卿の、つまり男性の妄執を惹起する「ヴァンプ」みたいにとらえるのでは、私は非常に不本意です。定家卿も式子様も互いに転換可能な性別を超えたキャラクターではないかなあ。そこに妄執とそこからの救済が成立している・・・。



 Re:定家葛の伝説    ..紫草    
        2006/03/06(月) 23:35  No.1000
 
 
逸爾散士様  お久し振りです、今日は二十四節季の啓蟄ですね春一番も吹き暦のどうりに虫の姿を見ましたよ。
能「定家」の文章を拝見いたしました謡本から作文されましたのでしょう文脈が前後して能を知らない人では難解に思はれるのではないのでしょうか、私も能を観賞するだけで専門的なことは判りませんが、  ・あらすじを要約してみました。

北国からの旅僧が都の千本あたりを訪れます。頃は初冬、折からの時雨が名残の紅葉に降りかかります。藤原定家の邸宅・時雨亭の昔を思い、僧が古歌を詠じていると、一人の女人が現われます。

「偽りの無き世なりけり神無月誰が誠より時雨そめけむ」

と定家の歌を引き合いに出し、ここが時雨亭の旧跡であると教えるその人、寂寥極まりない冬景色の中に立つ一基の五輪塔に僧は導かれます。これは式子内親王の墓標だと教える女は、内親王と定家との禁断の恋を語り明かします。斎院として神に仕える式子と人目を忍び燃え上がった恋の執心は死後もなお尽きず、定家の亡魂は定家葛となってこの墓石に絡みつき今に消えないと語る女人は、私こそ式子内親王であると名のり、石塔の陰に消えます。
夜もすがら法華経の「薬草喩品」を読み、供養する僧。塚の中から

「夢かとよ闇のうつつの宇津の山月にもたどる蔦の細道」

と詠ずるつぶやきが漏れ、式子内親王の亡霊が憔悴した姿を現します。墓を覆い尽くす蔓草は読経の功徳で解け、緊縛の長い苦しみを脱した内親王は報復の舞を舞います(序ノ舞)。衰え果てた我が容貌を恥じつつ、袖を返し拍子を踏む内親王。が、時至ると再びもとどおり定家葛は這いまとわり、内親王の姿もまた暗闇の底に埋もれてしまう。概略ですがこんな内容になるのでしょうか舞台を見ても難解ですね。事実とことなり物語としても恋の情念を描き引き込まれてしまいます。

藤原定家(1162〜1241年)は、父・俊成に続く中世和歌の巨匠。50数年にわたるその日記『明月記』から窺える定家の性格は内向的かつ神経質、派手な女性関係など微塵もなく、はるか年上の皇女との恋愛は全くの虚構に過ぎません。式子内親王は平安・鎌倉時代を通じて第一級の女流歌人です。父・後白河法皇は巨怪な陰謀家。平清盛・源頼朝の2人を手玉に取り最後まで影響力を保った一方、文雅のたしなみも深い帝王でした。式子の兄弟・高倉宮以仁王は、頼朝の挙兵以前に清盛に反旗を翻し敗死。この争乱の顚末は、主将・源頼政をシテとした能で有名です。数奇な運命に生きた近親に比べ、式子自身は賀茂神社に仕える聖なる皇女・斎院として神事に明け暮れる清浄な前半生を過ごし、引退後も孤高の生涯を貫きます。戦乱の世とは隔たった平穏な日々と、身内に沸き立つ不安と苦悩。あまりにも懸け離れた両者に引き裂かれる式子を支えた強靭な詩心に発するその和歌は、たぐい稀な緊張感を湛え、硬質で清澄な美しさに満ちています。 では長文に成りますので結びと致します。

玉の緒よ絶えねば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

水垣様 芳名長1000回に当り幸甚に存じます。末永くご指導下されますよう宜しくお願いいたします。




 Re:定家葛の伝説    ..逸爾散士    
        2006/03/07(火) 23:58  No.1001
 
 
紫草様 要約をありがとうございました。おかげでおおよそ見当がつきました。

 あらら、ハッピーエンディングではなく、葛は再びはびこるのですか。
 「・・・おちぶるる涙の 露ときえてもつたなや蘿の葉のかづらきの神すがた はづかしやよしなや、よるの契りの夢のうちにと有つるところに帰るはくずの葉の、もとのごとくはひまとはるるや定家かづら、はひまとはるるや定家葛の、はかなくもかたちはうづもれてうづもれてうせにけり」
 「もとのごとく」とありますね。
 謡曲のテキストを読みつけていないので、上地とか下女とか符丁がふってある意味もわからない。
 私は実際の舞台を見ても、あまり理解はできなかろうと思います。

 引用した「謡曲百番」をぱらぱらみると、能のシテやワキになる歌人は、蝉丸、小野小町、和泉式部(「誓願寺」) 西行 紫式部 在原業平(「雲林院」)・・・。(平(薩摩守)忠度も源融も、勅撰集や百人一首に入集しているから、歌人に数えてあげよう) 結構、たくさんいます。
 詞章に和歌からの裁ち入れが多いからばかりでなく、歌人にまつわる伝説も多いのでしょうか。

 こだわるわけではありませんが(って十分こだわっているけど)式子内親王様の場合は、恋物語の主人公になるというより、恋慕の対象となることで伝説化するのだと思います。「定家」という作品、また定家葛の伝説はそうした式子様の個性の本質をよく掴んでいると思う。
 わが身に引き比べて考えると、式子様の忍ぶ恋、片恋を詠んだ歌に接すると、その恋の対象と自分を重ねるのではなく、忍ぶ恋を詠う式子様の姿と、未だ逢はざる恋にうじうじしている自分を重ね合わせている。若い頃あいからそうでした。で、それはモテナイ君の私に限ったことではなくて、内親王様の歌に魅せられる読者は男女を問わず、そうなんじゃないかなあ。
 忍恋、未逢恋にもの思う幾世代もの人々は、式子様の歌に共感して、妄執となるまで恋われる式子様を伝説化したけど、それは深草少将に思いを寄せられた小野小町とは全く違うと思えます。
 式子様は、忍ぶ恋、「われのみ知りて過ぐす」思いの日々を詠うことで、後代の、少なくとも私の永遠の片思い相手になっている。定家卿に仮託された伝説も、同様なことではないかと思います。この定家葛の伝説の式子様は、物語の「主人公」というより、確乎とした、しかし空虚な中心。


 Re:定家葛の伝説    ..紫草    
        2006/03/09(木) 14:38  No.1004
 
 
詞章に和歌からの裁ち入れが多いからばかりでなく、歌人にまつわる伝説も多いのでしょうか。
伝説やら脚色など物語を作成いたしており8人の歌人を上げられましたので概略を拾ってみました。

蝉丸・平安前期の伝説的歌人。宇多天皇の皇子敦実(あつざね)親王の雑色とも、醍醐天皇の第四皇子とも伝えられる。盲目で琵琶に長じ、逢坂山に住んで源博雅に秘曲を授けたという。生没年未詳。
能。四番目物。世阿弥作。盲目のため逢坂山に捨てられた延喜帝の皇子蝉丸が、そこで髪が逆立つ奇病をもつ姉の逆髪(さかがみ)に会い、互いの不運を嘆き合う。

小野小町・平安前期の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。仁明・文徳両天皇の後宮に仕えた。美貌の歌人といわれ、多くの伝説があり、謡曲・歌舞伎の題材となっている家集に「小町集」がある。生没年未詳。「衣通姫」能には通小町―5曲があります。

和泉式部・平安中期の女流歌人。大江雅致の娘。和泉守橘道貞と結婚し、小式部内侍を産んだ。為尊親王、次いでその弟の敦道親王と恋をし、上東門院彰子に仕えてのち藤原保昌に嫁するなどした経歴から、恋の歌が多い。生没年未詳。「和泉式部日記」「和泉式部集」がある。「能。東北」

西行・1118〜1190年平安後期の歌人・僧。俗名、佐藤義清。法名、円位。鳥羽院に北面の武士として仕えたが、二三歳で出家。草庵に住み、また諸国を行脚して歌を詠んだ。家集「山家集」。新古今集には九四首が載っている。
西行が諸国を遍歴したところから諸国を歩き回ること。また、その人。能『西行桜』

紫式部・973〜1014年平安中期の女流作家。越前守藤原為時の娘。藤原宣孝と結婚し、夫の没後、「源氏物語」を書き始める。一条天皇の中宮彰子(しようし)に仕え、藤原道長らに厚遇された。初めの女房名は藤式部。他に「紫式部日記」、家集「紫式部集」など。能「葵上・夕顔・半蔀・源氏供養・夢の浮橋」

在原業平・825〜880年 平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。在五中将・在中将と称される。阿保親王の第五子。歌風は情熱的で、古今集仮名序に「心あまりて言葉たらず」と評された。「伊勢物語」の主人公とされる。色好みの典型として伝説化され、美女小野小町に対する美男の代表として後世の演劇・文芸類でもてはやされた。家集「業平集」能には6曲あり井筒・杜若・雲林院など。

平忠度・能の一。二番目物。世阿弥作。「平家物語」や「源平盛衰記」に基づく。源平の合戦で討ち死にした平忠度の霊が、自分の詠歌が「千載集」に「読人知らず」として入集されたことに対する苦情を訴え、勇壮な最期を見せるという筋「修羅物」   

源融・822〜895年 平安初期の廷臣。嵯峨天皇の皇子。源姓を授けられ臣籍に降下、872年左大臣になった。河原院という豪邸を営んだので、河原左大臣ともいう。宇治の別荘はのち平等院となった。歌をよくした。能・融・以上名を上げた歌人を拾って見ましたが、はづか36文字で綴った和歌を主題に構成され伝説まで内包いたし物語に作成した作者に驚き、逆に和歌の素晴らしに 驚愕いたします。





 白洲正子の表情    ..紫草    
      2006/03/09(木) 01:12  No.1002
 
 
一人静様

先日本屋さんの店先を覗きましたら写真の本が数段つまれて居りましたので買い求めて参りました。
表紙を見ますとグラビア雑誌かと思って見ましたがページをめくってまいりますと以外にも改めて白洲正子氏を知る事が出来ましたTV
や文章を読むのと異なり生活実感と物の見方が伝わって来るような
表情を覗かせております。女史が50年暮らしたと云う武相荘・花活け・古陶磁器・織物・和歌・観音増・旅・の様子など多義に渡り
紹介されております。遠地にお住まいの貴女様にとっては女史の記念館「武相荘」を見学いたすのも出来かねると思いますので、興味
ございましたらと思い紹介いたします。


 Re:白洲正子の表情    ..一人静    
        2006/03/09(木) 11:03  No.1003
 
 
おはようございます。
白洲正子さんの沢山の著書、教えていただきありがとうございます。生活実感と物の見方が伝わって来るような表情・・是非読ませていただきます。
今というか、まだというか私は白洲さんの「私の百人一首」を繰り返し楽しんでいます。絵巻物のようなつながりあるものとしての百首、彼女の興味と関心のままに語られる歌と作者の姿、含蓄ある文章・・に魅せられています。(Grahamさんありがとう♪)

さて、以前お尋ねした歌について、私なりに納得ができましたのでお礼申しあげます。ありがとうございました。

 ひとかたに乱るともなきわが恋や風さだまらぬ野べの刈萱

水垣様より「一方向へ乱れるのでなく、あちらへこちらへと心乱れる私の恋は、風向きの定まらない刈萱のようなものだ」と教えていただきました。

紫草さまより教えていただいた四首を私なりに味わいました。

 行くへなく月に心のすみすみて果はいかにかならんとすらん
 ともすれば月すむ空にあくがるる心のはてをしるよしもがな
 ませに咲く花にむつれて飛ぶ蝶の羨しくもはかなかりけり
 ひとかたに乱るともなきわが恋や風さだまらぬ野べの刈萱

また、白洲さんの百人一首の中の西行について語る文の中に「都離れぬ身といいながら、漂白の旅に一生をついやし、行脚の聖かと思えば、後宮の女房と親しくする。しいていうなら「一所不在」が西行の実践した思想のように見えるが、それさえ仏教臭く聞こえる程、彼の生活は自由であった。」を見つけました。

月すむ空にあこがれ、花にむつれて飛ぶ蝶に心寄せ、風に揺れる野辺の刈萱のように恋もする・・・自由人として生きる彼を好ましいと感じている加藤氏が、苦行に明け暮れる行者さんの例をあげ、加藤氏のぽろりとこぼされた言葉・・生きてるうちから死んでるまねせんでもええやないか・・ではと思い、納得できました。

私はこの歌は次のように理解していました。「ひたすら乱れるようなことのない私の恋よ。私は風がふくままに揺れる野辺の刈萱のような生き方をしているのだから。」私の理解だと、恋はしないことになり、わけがわからなくなっていました。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥・・ありがとうございます♪



 知るを楽しむ    ..一人静    
      2006/03/03(金) 18:03  No.995
 
 
花にひかれる心 西行
白洲正子さんが西行の歌に惹かれ、彼の生き方に近づきたいと思っていた事を知りました。
私は西行の歌は数首しか知りませんでしたが、晩年に白洲さんが好んだ歌が

 こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ

とは意外でした。この歌は有名ですから私でも知ってましたが、この歌の心はどのようなものか・・と問われたら、「はい」とは言えません。
白洲さんでさえ、晩年に至ってしみじみと心を近づけることができた歌と思いますと、これから年を重ねることもまた面白いことなのかもしれないという気持になりました。

恥を恐れず教えて欲しいのですが、番組で加藤静充(かとうきよのぶ)さんが西行の歌でこれが好きですといわれた

 ひとかたにみだるともなきわがこいやかぜさだまらぬのべのかるかや

「生きているうちから死んでるまねせんでもええやないか」・・と笑っておられましたが、この歌どう理解すればよいのでしょうか。

紫草様

 番組を教えてくださりありがとうございました。白洲さんの本はこれからゆっくり読んで、彼女の道しるべで歌に近づいてみたいと思っています。


 Re:知るを楽しむ    ..紫草    
        2006/03/04(土) 23:55  No.996
 
 
今晩は、TVをご覧になって如何でしたか。?
私、前回NO989にてコメント致しましたが、四冊の本と西行を
抜粋編集いたし映像化した物で本の内容を元とは言え白洲正子を
紹介説明するよりも細川護煕氏の自己紹介になったようです。
良くある事ですが小説を映画化致しますと自分の描いたイメージと
異なる場合が多いのですが今回はちょっと酷過ぎる感を得ました
最も私はたまたま原本を読んで居りましたのでその様に感じたのかも知れませんが、韋駄天女を知る機会を与えてくれたので良しと致しましょうか。女史が見られたら流涙しているかな、?

私事に成りますが、陶磁器の美しさに魅せられ資料を漁っている
内に小林秀雄、柳宗悦、青山二郎、等、多数の著書を知り白洲氏
に巡り会ったのです。氏に驚くのは、人でも物でも2分間、見れば
全てが判ると云う洞察力、観察力、目利きでしょうか。その眼力
はどうして生まれたのでしょうか女史に引き込まれて入ったのです
所で加藤静允の歌ですが西行の花の寺の項に隠者の精神とはを取り
上げ業平、西行も孤独の道を歩んだ。そういうことを想わせる歌は
山家集の中に幾らでもある。と94ページに4首和歌を綴っております。

行くへなく月に心のすみすみて果はいかにかならんとすらん

ともすれば月すむ空にあくがるる心のはてをしるよしもがな

ませに咲く花にむつれて飛ぶ蝶の羨しくもはかなかりけり

ひとかたに乱るともなきわが恋や風さだまらぬ野べの刈萱

直訳よりも4首から西行の心境を読み取った方が深み出ると   思いますので原文から取りました。他に西行花伝、辻邦生、新潮社
も在りますので紹介いたして起きます。


 Re:知るを楽しむ    ..水垣    
        2006/03/06(月) 01:11  No.998
 
 
> ひとかたにみだるともなきわがこいやかぜさだまらぬのべのかるかや

>「生きているうちから死んでるまねせんでもええやないか」・・と笑っておられましたが、この歌どう理解すればよいのでしょうか。

私は番組を拝見しておりませんので、どういった意図で「笑っておられ」たのか、判らないのですが…。
西行の歌は「寄刈萱恋」の題詠で、「一方向へ乱れるのでなく、あちらへこちらへと心乱れる私の恋は、風向きの定まらない刈萱のようなものだ」といった意味でしょうか。



 慶賀・寿ぎ 開設七周年    ..招き猫    
      2006/02/26(日) 23:56  No.991
 
 
水垣さま

 開設七周年とのこと。おめでとうございます。ひよきちさまの書き込みを拝見いたしました。
 僭越ながら、歌を贈答させていただこうと思い立ちました。
 貴ブログ(やまとうたblog)中の「白玉椿」にコメントで記した郁芳門院安芸の歌 >・・優曇華の花 の祝意の上を行かん、とあれこれ思案しながら頭の中を流れていたのは、「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ・・・」。
 ということで、やはり >・・優曇華の花 には敵わないと悟り、趣向を変えました。
 謹んで贈らせていただきます。


 あらたまの御年七年を祝ひてよめる

 山はよぶ万歳のこゑ花は知る一様の春千人万首


 Re:慶賀・寿ぎ 開設七周年    ..逸爾散士    
        2006/02/27(月) 01:56  No.992
 
 
歌枕紀行、秀歌選、カルタ美術館、千人万首、そして和歌歳時記。浩瀚な内容は七年の年月を必要としたのですね。
開設七周年。おめでとうございます。

なるほど、「千人万首」は七音に収まりますね。
倭歌の道が上古から平安の王朝文化、中世、そして江戸時代の歌人まで脈々と受け継がれてきたことを、このサイトで知りました。

一すじの道よろず世に伝ふべし百花繚乱千人万首

真面目に作り出したけど、四句目が思いつかないので「言葉遊び」に変更。(あきれられてシーンとするかな)
たしか『一目上がり』という落語(元は江戸小咄)に「あの賛はどなたの作ですか」「あれは詩です」「あの詩の作者は?」「あれは語です」「では、あの録は?」「録かどうかは知りませんが質に取ったものです」(以上記憶がアバウト)というのがありますが、一、百、千、万と並べて喜んでいる軽薄な私。
歌びと達の詠草が百花繚乱というのは実感ではありますが・・・。


 Re:慶賀・寿ぎ 開設七周年    ..一人静    
        2006/02/27(月) 15:13  No.993
 
 
開設七年おめでとうございます。

私が友人と万葉集を読み始めたのが2002年4月頃。調べ物をネットでしはじめたのが2003年5月頃。こちらのサイトを知り鹿持雅澄の万葉集のことを教えていただいたのが2004年5月ころでしょうか。それからはたびたび訪問させていただいて、たくさんの事を教えていただきました。今では私の万葉集の下調べにはなくてはならない存在になっています。ありがとうございます。

ブログを始められたことで、私には万葉集以外の歌にも触れる機会が増えました。書き込みは汗をかきかきで・・子供のようなコメントは止さなければと言いきかせていますが・・背伸びは疲れます。

万葉集は現在は巻五に入り、山上憶良の歌を楽しんでいます。次回は大宰府の旅人の宅での梅花の宴の歌に入ります。素朴な歌が多く今から楽しみです。

水垣様は家持が万葉集でできなかったことをこのサイトでなさろうとされているのではと思うようになりました。千人万首・・完成させることは大変な作業と思いますが心より応援しています。私も二十巻ある万葉集を読み終えるまで(あと10年以上かかるでしょう)こちらを訪問させていただきたいと思っています。

これからもこのサイトのますますの発展を祈っています。


 Re:慶賀・寿ぎ 開設七周年    ..ためかぬ    
        2006/02/28(火) 20:14  No.994
 
 
開設七年おめでとうございます。

みなさまのように格調高いお祝いのメッセージをお届けできたらとあこがれるものの、なかなか、言葉が浮かびません。

コピー&ペーストが精一杯 祝意が伝わりますかどうか

  をとめらが指ふる山の瑞垣の久しき時ゆ千人万首

何年たっても初心者入門足踏み状態ですが、これからも自分なりに楽しませていただきたいと思います。


 Re:慶賀・寿ぎ 開設七周年    ..水垣    
        2006/03/06(月) 00:56  No.997
 
 
>招き猫様・逸爾散士様・一人静様・ためかぬ様

七周年に暖かい御言葉やめでたい御歌を賜わり、まことに有り難うございました。
振り返って感慨に耽るほどの年月でもないでしょうけれども、こうして勿体なくもお祝い頂いて、明日へ向け力が湧いてくるのを覚えました。

 七とせの春を迎へて八雲立ついつも嬉しきここのへの声

(「ここのへ」は、「幾重にも」と「ここの辺」の掛詞のつもりです。)

時間の余裕がないところへブログまで始めてしまって、掲示板の方ではなかなかお話に加わることができず申し訳ないのですが、こんな風に参加者の方々の交流が実現して、掲示板としては望ましい方向に向かっているのかなと、管理者のくせに傍観者のごとく毎日こちらを楽しみに覗いております。今後ともどうぞよろしくお願い致します。



 白洲正子さん 番組拝見    ..招き猫    
      2006/02/25(土) 05:40  No.985
 
 
 NHK「知るを楽しむ」 【第3回 能・色気の形】 拝見いたしました。
 ご教示ありがとうございました。
 
 男女を超えた色の表現。
 形を踏襲し尽くしたところから生まれる色、花。
 刀の上を歩くがごときをいとも危なげなくこなす能の舞。
 「せぬ所が面白き」、「秘すれば花」などなど。

 何事も体験した人でないとわからないもの、また体験してもわからないこともあるなあ、とつくづく思います。知るということも、伝えるということも、至難の業ですね。
 空海が最澄に「あなたには理解できません」といって「理趣経」の経文を見せなかったというのも、大変な心眼のなせる業なのでしょうね。「伝えない」という態度が場合によっては「あり」だということを、世阿弥も空海も同じように示しているのは、「伝統」というものを考える上で、とても大きな教示だと感じます。
 正子さんが、50年以上も極め続けた能への「限界」を自分自身で悟られた姿もまた、ひとつの大きな教示だと思いました。そこから急速に女性である素のご自分を取り戻されているように見えて、興味深かったです。
 それにしても、晩年の正子さんのように能舞台を鑑賞できたらいいなあ。「これよ、これ」なんて言ってみたい。羨ましいかぎりです。

「『家、々にあらず。次ぐをもて家とす。人、々にあらず。知るをもて人とす。』と云へり。これ万徳了達の妙花を極むる所なるべし。」『風姿花伝』より

書影は『風の男 白洲次郎』青柳恵介著(新潮文庫)です。正子さんが「まえがき」されています。


 Re:白洲正子さん 番組拝見    ..一人静    
        2006/02/26(日) 11:53  No.988
 
 
こんにちは。私も張り切って番組を見た一人としてこちらに書かせていただきます。

招き猫さんの洞察の深さに比べると恥ずかしい限りの感想ですが。

「能」って思っているより難しいもので、舞台を見てもとても理解できそうもないもののようだ・・と思ったのです。招き猫さんの言われる「伝えない」ことも「あり」と理解できるのは相当関係が深くないとできませんものね。私は白洲さんの若い頃のりりしい写真が印象的でした。

彼女の全集の八巻にある魂の呼び声「能物語」は、そんな私にもとても読みやすく、登場人物が自分の不幸な死、自分で受け入れたくなかった死・・というものを自分の言葉で語り、そして心が癒され、本当に死んでいく・・「能」ってそういうものなのか・・という感想を持ちました。彼女の文章は難しいことを難しくないように話してくれている・・ようです。今は「私の百人一首」を読んでいますが、読んでいて楽しくなってきます。頭が痛くならないのです。

次回も番組は見ますが、文章の方が私にはあっているかも・・と思っています。西行についてでしたよね。また聞かせてください。


 Re:白洲正子さん 番組拝見    ..紫草    
        2006/02/26(日) 18:32  No.989
 
 
 NHK「知るを楽しむ」ご覧に成られた由、紹介者として一言注釈させて頂きますと、写真の四冊に掲載されたものを編集放映されたものと思われもす。
それに西行を付け加え四回の放送になったもので内容も時間の制約があると思われますが断片的に編集され過ぎましたので心もとない感じを受けました
 それに致しましても放送され内容を知るとわ、大変難しいものである事を知り改めて「松岡正剛著」知の編集工学の重要性を感じました。お暇が御座いましたら一読なさいますと新しい分野が開けてくると思いますので数冊を紹介致しますと、         「情報と文化」・「花鳥風月の科学」・「日本の数寄」ほか多数。ございますのでご参考までに。
番組のタイトルからして「知るを楽しむ」ですから白洲正子氏を知る機会を与えて下さいましたので、愛読者の一人として喜ばしく思ってをります。
 浅学の私に氏に対して評論などとても及びませんが一つだけ云える事は現代には再び氏のような女性は現われないのではと思います。その他の著書に「私の百人一首」「雨滴抄」「雪月花」など多数ございますので一読を。                  

一人静様、                         お説のように軽いタッチで書かれておりますので読みやすくとも含蓄ある文章です。
 
招き猫様 
氏は五十歳にて能を辞めた旨、放映されておりましたが著書「両性具有の美」の中で女性のもっているとされる、性・業・(四障の罪)が出てしまうからと、即ち「欺・怠・瞋・恨・怨・」を背負い能を演じる場合、特に鬘物、狂女、は舞う事が出来ないとあります。

西行については、TVのお邪魔に成りますので和歌を三首ほどにして置きます。

 あばれたる草のいほりの寂しさは風よりほかに訪ふ人ぞなき

 おぼつかな春は心の花にのみいづれの年か浮かれそめけむ

 世の中をおもへばなべて散る花の我が身をさてもいづちかもせむ
 
      


 Re:知るを楽しむ中で    ..招き猫    
        2006/02/26(日) 21:47  No.990
 
 
 「知ろう」と思うと、知りたいことや調べたいことが山のようにでてくるなあ、といつも思いますが、取り組みのエネルギーの源泉は、はじめに出会った時の感動です。
 私は昨年、古事記を論じた『変容する神々』(佐賀純一著)という本に出会って大変な衝撃を受け、そこから「和歌って何だろう」と調べるうちに、こちらのサイトにめぐり合いました。
 ここでの和歌との出会いもまた、大変な衝撃がありました。無知な私にずいぶんお付き合いいただいて、皆様本当にありがとうございます。
 能「定家」の作者と目される世阿弥の娘婿の金春禅竹は「和歌は能の命」を信条としたそうですが、私も和歌を学ぶうちに、またここでの皆様の書き込みに触れるうちに、能を「知りたい」と思うようになりました。謡には和歌のエッセンスがたくさんあって、それはそれは興味深いです。
 そこで鑑賞してみると、能は、自分で舞ってみないとわからないのではないかと思うのです。
 今はアンチエイジング流行り。加えて日本は長寿世界一。理論上120歳までは生きられるようになっているとか。今からはじめて50年習うと、あと何年残っているのかな・・・120歳、間に合うかな、なんてね。
 
 もしいま、白洲正子さんがそばにいたら、私は定家の妄執のようにまとわりついて離れないかも。これから著書を読ませていただこうと思っているのでよくはわかりませんが、正子さんほど女性性を極めて浮き立たせて「知った」方はおられないのではないか、と想像するのです。願わくば、その能歴50年の蓄積と「舞えないよ」という帰結を誰かに伝授しつつ映して見ることで、もう一段登っていただきたかった・・・というのは贅沢というものですね。いい加減にします。

 「知るを楽しむ」というタイトルをつけたNHKの番組制作者は、どのような方なのでしょう。ぜひ一度お話をうかがって見たいものです。かしこ

 



 式子様 in my mind    ..逸爾散士    
      2006/02/25(土) 22:27  No.986
 
 
生口島のお墓や石丸晶子氏の本などで式子内親王様のことが話題にのぼりました。どなたのコメントに続けるということもなく、私と前斎院様の歌との関わりを少し・・・。

最初はやはり百人一首でしょう。「たまのおよ、たえなばたえね」(新仮名遣い)というところがt音の頭韻にもかかわらず音読しにくい。「ながらえば」というところでようやくなだらかになったと思ったら、「よわりもぞする」と消え入るように終わる。小学生で恋も「世づく」もない頃ながら、音調の特徴はなんとなくわかったけど意味はさっぱり。思い切った歌だなあと長じるにつれ思いましたが、それほど感じいった記憶はありません。
決定的なのは、立原道造の詩で『鳥啼くときに 式子内親王《ほととぎすそのかみやまの》によるNachdichtung』というのを読んだこと。その頃に新古今集に興味を持って、内親王様の歌をすごいと思いました。高校ぐらいのことです。

ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ

そんなわけで、この歌で私が想起するのは賀茂神社などではなく、信州高原の山なみと空。この歌は意味よりも音楽が心にしみます。なにか「懐かしさ」という名辞が浮かぶ以前の世界を感じます。かそけき「ほ」の頭韻にのせ、かなたに青空が広がる・・・
この歌の鑑賞に、式子様は少女のころ賀茂神社の斎院だったという伝記的事実は、おそらく決定的に重要でしょう。でも私がこの歌を知ってその調べを心に刻んだときには、賀茂神社の斎院が何なのか全然知りませんでした。(新古今を読んだといっても岩波文庫本をそのまま読んだだけです。そこそこ意味はとれるけど、まっとうに鑑賞できたかはわからないし、歌の歴史背景などは意識もしませんでした)

桐の葉もふみわけがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど

この歌は、萩原朔太郎が下の句を「すねている」云々と言ってたように記憶。

忘れてはうちなげかるる夕かな我のみしりて過ぐる月日を
生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮をとはばとへかし
暁のゆふつけ鳥ぞあはれなる長きねぶりを思ふ枕に

私の式子様のイメージは、個性的な言葉づかいの手弱女ぶりながら芯の強いこうした歌を詠む女流歌人というものです。
式子様を語りだすとすぐA4一枚ぐらいになるなあ。いい加減にしましょう。


 Re:式子様 in my mind    ..一人静    
        2006/02/26(日) 11:31  No.987
 
 
こんにちは。逸爾散士さんならではの言葉への洞察、そこから広がるイメージ、何枚になろうと聞いていたいと思った・・一人です。

皆さんのコメントを聞かせていただく度にいろいろなかかわり方があるんだなぁ・・思います。当たり前のことかもしれませんね。

彼女の歌も叙景歌はすんなり心が寄せられますが、叙情歌になると作者の心が重なるので、作者の人生や悩みが歌に加味されます。社会的背景が重視されるのは当然かもしれません。
知れば知るほど自分の顔がしかめっ面になって、一人前に悩みながら歌に向かっています。

どうも私は歌と自分を近づけすぎる傾向がありそうだ・・ということは気づきながら抜け出せていません。

そんなとき、今回はまど・みちおさんの詩集に助けてもらいました。
「けしきは 目からはなれている」という言葉ではじまる詩です。

私も歌を景色として眺めるために、目からはなれる場所に歌を置こうと。そしてみなさんのご意見を楽しもうと。
内親王様も「私の歌でそんなに悩まないで、楽しんでくださいな」といってくださるでしょうか・・・

またお話聞ける機会を待っています。



 ありがとうございます>ひよきち様    ..水垣    
      2006/02/25(土) 00:08  No.984
 
 
ひよきち様、お祝いの言葉をまことに有り難うございます。
今日(24日)は金メダルのニュースに、自分のサイトのことなどすっかり忘れてしまっておりました ^ ^

いつも暖かいお励ましを頂き、力とさせて頂いております。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。



 おめでとうございます    ..ひよきち    
      2006/02/24(金) 22:50  No.983
 
 

水垣さま、こんばんは。
「やまとうた」開設7周年 おめでとうございます。

いつも サイト・ブログを楽しみに拝見致しております。

ブログを通して古都鎌倉への憧れをもち
そして和歌歳時記を通して日本の四季の美しさを感じております。

これからも多くのことを学ばせて頂きたいと思っておりますので
どうぞよろしくご指導下さいませ(*^_^*)




 Explanation of a 31-syllable Japanese poem    ..紫草    
      2006/02/19(日) 18:44  No.980
 
 
RE<Graham 様

お説のような一面も在るとわ思われますが、歌にだけ傾倒、沈殿い
たしますと広角的な視野を見失うって仕舞うのではないのでしょうか、?
「万葉集」に有るように、いかに生きるか人間にとって重要な課題
であったかを、如実に物語っている、相聞歌、挽歌、雑歌、など
見知らぬ草木を詠い上げ、時代的背景の生活実感が伝わって来る。
和歌を形而上的に捉えるか、形而下的に捉えるかは感覚的な問題で
あって人それぞれですね。
『能』定家の一説「この上は、われこそ式子内親王、これまで見え
来れども、姿は陽炎ふの、石に残す形だに、それとも見えず蔦葛、
苦しみを助け給へと、いふかと見えて失せにけり。」


 Re:Explanation of a 31-syllable Japanese poem    ..Graham    
        2006/02/19(日) 22:31  No.981
 
 
紫草さま

またまたこんばんわです。
お返事ありがとうございます。

>広角的な視野
まさにその事の「一環」について横槍を入れさせていただいたのですが、やはりI can't explainでした(涙
自分の言いたい事をうまく伝えられるようになりたいものです(汗

通学路を基本にしつつも、あちこち寄り道したり、遠回りしてみたりしていろいろな方面から見つめたいなと思う次第であります。




 式子内親王について    ..紫草    
      2006/02/18(土) 23:34  No.977
 
 
式子内親王については多数の方々からご意見を寄せられておりますが歴史的背景及び式子内親王の置かれた存在等を理解しないと歌の内容を知る事も出来ないのではないのでしょうか。?       内親王については色々の説があり、想像上では藤原定家との交際 或いは法然上人とが取り出さされておりますが何れも確定するものは無く想像の城を脱しないと思われます。
式子内親王1152〜1201。49歳没は後白河法王の第三皇女で、1159年斎院に入り賀茂の社に10年ほど奉仕し、退下された後は独身のままの身のままで終ったいる。          平安時代末期は魔法の世と言われ世の中は暗黒した社会に覆われ、疫病・災害・盗賊・飢餓・等が蔓延し人々は今を生きる為にのみであり、求心力を失った政治社会から、自然発生的に来迎の世が生まれ法然上人、道元、日蓮、等、が生まれ鎌倉時代に入って行く。 このような時代背景化にあって、内親王は和歌の師匠に藤原俊成に学びその子藤原定家と巡り「明月記」には、定家がしばしば前斎宮の御所を訪れたとあり、病がちの内親王に心を用い、そこから定家と内親王の仲が噂され、ある日、俊成が定家の邸へ入った時、  内親王自筆の「玉の緒よ絶えねば絶えね長らえば」   の歌があるのを見て、定家が心を尽くすのは当然だと思い、   諌めなかったという 話まで伝えられるように成ったとある。が、後の事で、内親王の忍ぶ恋の相手は定家だったのか、?     二人を証拠立てるものは、何もない。   伝説は伝説を生み、定家の執心は、「能」定家葛となって、死後までもまつわりつき内親王を苦しめる話に発展した。       内親王の墓は千本今出川の「般舟院」にあり塚のうっそうと茂った根元に石仏があり、能「定家」を彷彿させられるそうだ。   このように考査すると四国孤島にある光明防寺にあるとされる墓碑は史実と異なります、私は史跡家では有りませんので書物を典拠致したまでです。

世阿弥は、晩年に佐渡に流された時、「定家」の能を作り、あまりにも美しくできたので流刑を赦免され、帰郷を許されたとも云われている。
いずれも伝説でしょうが、能『定家』が 幽玄の極致を表現している事は事実です。私も大好きな一曲です。
萩原朔太郎の感想文がありますので掲載いたしておきます。  「彼女の歌の特色は、上に才氣溌剌たる理知を研いて、下に火のやうな情熱を燃燒させ、あらゆる技巧の巧緻を盡して、内に盛りあがる詩情を包んでゐることである。               即ち一言にして言へば式子の歌風は、定家の技巧主義に萬葉歌人の情熱を混じた者で、これが本當に正しい意味で言はれる    『技巧主義の藝術』である。そしてこの故に彼女の歌は正に   新古今歌風を代表する者と言ふべきである」           (萩原朔太郎『戀愛名歌集』)より



 Re:I can't explain.    ..Graham    
        2006/02/19(日) 01:01  No.978
 
 
紫草さま、こんばんわ。

>歴史的背景及び式子内親王の置かれた存在等を理解しないと歌の内容を知る事も出来ないのではないのでしょうか。?

確かにそういう面はあると思いますが、同時にそうではないとも思います。

と言いますのは、和歌の鑑賞と言うものは、基本的にはそれぞれのアプローチに委ねられる面もあると思うからです。

日に千たび心は谷に投げ果てて有にもあらず過ぐる我が身は

例えば、この歌が式子さまのものであることを無視したとしても、この歌のすさまじい絶望感の咆哮は胸を直撃しますし、この歌をどういう風に感じて自分の内面に溶け込ませていくかはさまざまだと思います。

僕の場合、「歌の内容を知る事」自体よりも、その歌から伝わってくるソウルを全身で感じる事を重視しています。
上記の歌を知った段階では、まだそれほど式子さまの人生について把握していたわけではありませんが、あっという間に引き込まれていきました。

また、素人のフリーフォームな視点から、思わぬ可能性が出てくることもありえますし(笑

余談ですが、僕は式子さまの想い人をはっきり知りたくないです。
わからないままの方がいいような気がするのです。

般舟院稜の五輪塔も生口島のお墓も、確定されたものではありませんが、その伝承に思いを馳せる事自体は素敵な事だと思います。

一人一人、それぞれの式子さまとその歌への思いがあってもいいと思います。

なかなかうまく言えないのですが…(汗


 式子内親王伝    ..一人静    
        2006/02/19(日) 16:50  No.979
 
 
紫草様、Graham様
 
色々教えていただいてありがとうございます。

その後、「軒端の梅は我を忘るな」も読みました。作家、学者がいろいろな説を書くことができるというのは、事実はよくわからない・・という事の裏返しなんだろうなと思いつつ。

この本では歌の師・俊成が式子に「お心をもっとのびやかになされませ」と助言するやりとりの場面に惹かれました。
式子をとりまく人々によって彼女の歌の才能が花開き、歌に思いを託すことによってまた彼女も苦しみから少しは解放されたのではないか・・と思ったからです。

石丸氏の本では金春禅竹の謡曲「定家」は僅か二行で触れるのみです。が、当時の社会状況なども書き込まれた石丸氏の本は初心者にはわかりやすい本でした。
能の「定家」もまた読んでみたいと思っています。(見ることはできないでしょうから)

 日に千たび心は谷に投げ果てて

の歌は万葉集の笠郎女の歌を思い出させました。(私は万葉集は巻5のはじめの頃までしか読んでいません)

 603 思ひにし死にするものにあらませば千度そわれは死にかへらまし
郎女はこのような強い歌を詠む一方で

 593 君に恋いたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも

このような歌も歌います。

式子内親王が谷に投げ果てた心はどのようなものであったかはわかりませんが、自らの強い意志がそこに働いていることに違いないと思います。

生口島の墓碑は乱世に生きる運命を背負わされた人々への鎮魂の墓碑とうけとめたいと思いました。

以前紫草様から教えていただいた白洲正子さんの「目利きの肖像」は本放送は見れませんでしたので再放送で2月21日に見るのを楽しみにしています。第3回は能・色気の形、第4回は西行・花にひかれる心となっているのでそれもまた楽しみです。ありがとうございす。

女史の全集も読みたいし、法然の消息文もまた原文で読もうと・・頭の弱い私が今すごいことに挑戦しようとしているなぁ・・・と思いつつ。

皆様のご意見参考にさせていただきながら歌に親しんでいきたいと思っています。よろしくお願いします。



 サイトを閉鎖することになりました    ..もののけ憑き    
      2006/02/15(水) 21:46  No.974
 
 
ご無沙汰しております、藤原定家FC管理人・もののけ憑きでございます。
長い間お世話になっておりましたが、このたび、サイトの方を閉鎖することになりましたので、そのお知らせにあがりました。
こちらさまには開設当初からリンクしていただくなど、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。
お手数をおかけして申し訳ございませんが、リンクの削除をお願いいたします。
ただいま当方自分のアドレスからメールが送信出来る環境におりませんので、掲示板での御挨拶となりますことをお許しください。
重ねてになりますが、長い間、本当にありがとうございました。
今後の貴サイトのますますのご発展を心からお祈りしております。


 ありがとうございました。    ..ためかぬ    
        2006/02/15(水) 23:34  No.975
 
 
今 あわてて 一部コピーさせていただきました。
日記ふうに歌のご紹介があった頃のも、まめに書き留めておけばよかったと後悔しました。
おそらく三年ほどはのぞかせていただいていたように思います。
初心者に楽しくわかりやすく、そしてまた高校生気分に若返って、和歌の世界にふれる機会をいただけましたこと、この場をお借りしてお礼申し上げます。
閉鎖のお知らせは残念ではありますが、休止のご案内からひさしぶりに、メッセージを拝見でき、もののけ憑き先生に一ファンの気持ちをお伝えできましたなら、うれしいかぎりです。


 RE:サイトを閉鎖することになりました    ..水垣    
        2006/02/16(木) 23:32  No.976
 
 
こちらこそ御無沙汰してしまいました。此の度はわざわざお知らせ頂き、ありがとうございます。
サイトもいつか最後の日を迎えることは避け難いこととは言え、やはり寂しい気持は押さえがたいです。長いこと、お疲れ様でした。
サイトの閉鎖を確認後、リンクは削除致しましたので、お知らせ申し上げます。



 光明坊行き    ..一人静    
      2006/02/11(土) 20:32  No.960
 
 
このサイトに訪問していたことで、最近、石丸晶子著「式子内親王伝」を読んでいました。知識の少ないない私にはとてもわかりやすく、しかも衝撃的で心ひきつけられる本でした。

最後の章に生口島に法然と内親王の墓があることを知り、びっくりしました。私は四国、今治に住んでいますが、生口島までは、しまなみ海道を走れば2時間もあれば行くことのできる島だったのです。

今日、その光明坊を訪ねました。
観光スポットに取り上げられていない光明坊は静かで、清潔で、気品がありました。法然上人・如念尼公・松虫・鈴虫の墓碑は住職の手で大切に守られていました。ビャクシンの偉大な姿は歴史を語り、墓碑の側の藪椿がほころびはじめています。

石丸教授の色紙もめだたない場所に展示されていました。
氏の言葉がよみがえります。「この四つの墓をビャクシンの葉陰にたてた人物は、それが誰であれ、よほど人間のかなしさ、いのちのせつなさに通じた人間であったらしい」

法然の生女房(式子内親王と考えられる)にあてた手紙は厳しく、悲しく、そして優しく、私の胸を打ちました。いちずな人生を歩んだからこそ法然に惹かれ、法然だからこそ、再び会うことがかなわなかった式子内親王様の心に思いが馳せられます。

私のデジカメで納めた光明坊全景を添付します。


 Re:光明坊行き    ..水垣    
        2006/02/12(日) 12:13  No.965
 
 
石丸晶子著「式子内親王伝」、実は私も先日入手したのですが、まだ読んでおりません。ご投稿を拝見して、ますます読むのが楽しみになりました。

生口島(イクチジマとよむのですね)も光明坊も存じませんでした。お近くだったのですね。ご訪問レポート、ありがとうございました。

「式子内親王伝」を読んだら、私も感想を書いてみたいと思っております。


 Re:光明坊行き    ..Graham    
        2006/02/13(月) 01:44  No.966
 
 
一人静さま、初めまして。
「式子内親王伝」に収録された法然から式子さまにあてた手紙は、とても深い愛情を感じる素晴しいものだと思いました。
「面影びとは法然」と言うのには同意しかねますが、それでも晩年の式子さまにとって、法然は精神的な支柱だったのではとは思います。
この手紙に散りばめられたストイックさには胸を打たずにはいられませんね。

そのこととは直接関係ありませんが、この法然の手紙を読むと、現在の仏教界に欠けているものが透けて見えるような気がします。

京都の般舟院陵には去年訪問して手を合わせてきましたが、光明房のほうはまだ行った事がありません。
でも、僕は広島なので、生口島はすぐ近くです。
いずれ光明房を訪ねて見たいと思います。

横レス失礼致しました。


 Re:光明坊行き    ..招き猫    
        2006/02/13(月) 11:14  No.968
 
 
 石丸晶子著「式子内親王伝」、おもしろそうですね。ご教示ありがとうございました。四国、今治にお住まいとのこと、訪れたことはまだないのですが、風光明媚で自然が豊かなところと聞いております。海道沿いのドライブは羨ましい限りですが、光明坊へ2時間(往復4時間)の情熱には、感謝感激です。ご教示ありがとうございました。

 Re:光明坊行き    ..一人静    
        2006/02/13(月) 12:54  No.969
 
 
水垣様
感想をぜひお聞かせください。
何よりも法然の手紙が圧巻です。原文で読むことができれば尚胸打つだろうと思いつつ・・

Graham様
以前こちらで愛蔵されている本を何冊か見せていただき、図書館に同じ本を見つけたのが読むきっかけとなりました。ありがとうございます。
研究者の本は眠くなる私ですが、著者に肉付けされた式子内親王様は私にはわかりやすく、法然の手紙は何度も読み返しました。
まるで自分に語りかけてくれているような・・・錯覚を覚えながら。
白洲女史の本も今まで読んだことがありませんが、図書館には全集が揃っているようですので借りて読みたいと思っています。
今年は珍しく読書量が増えています。

招き猫様
生口島が瀬戸内海の島と知り、勿論自分がまず訪ねたかったのですが、遠くにお住まいのゲストの皆さんにも・・と張り切って報告させていただきましたが、本を読んでいらっしゃらない方にはわかりにくいものとなってしまっていますね(ゴメンナサイ)。
墓碑がきれいに手入れされていることは何よりの嬉しいことでした。
著者は「瀬戸内の小島であったことが、その後の歴史の騒動にまきこまれずにすんだのではないか」と結ばれていますが、本当にそのように思います。現在でも観光のスポットからはずれていることは良い事と思いました。地方在住者ならではの嬉しい一日でした。


 Re:光明坊行き    ..Graham    
        2006/02/14(火) 01:35  No.972
 
 
一人静さま

そうでしたか!それはとてもうれしく思います。
あの画像を添付したのには一つ目的があったのです。
僕自身、式子関連本を探すのに四苦八苦したので、ああいう風に現物の写真が見れれば、これから探す方に便利かと思ったのです。
もちろんちょっぴり自慢もありますが(笑

写真の中にある中奥先生の小説「軒端の梅は我を忘るな」は式子さまのファンの方全てにオススメです。
一般の書店では見かけない本ですが、アマゾンで入手できます。
ただ、一人静さまの場合、愛媛在住とのことですので大きな書店などで入手できるかもしれません。
この本、愛媛の出版社から出ているんです。
とても読後感の素晴しい作品でした。
よかったらぜひ手に取ってみてください。

法然の手紙の原文ですが、たしか「日本思想体系」(岩波書店)の「法然・一遍」の中に収録されていたと思います。
県立・市立図書館などで読めると思います。

白洲先生は直接式子さまに関する一冊の本は書かれていませんが、「花にもの思ふ春」「私の百人一首」での先生のコメントは、僕らのような素人同然の人間の古典に対する肩の力の入りをやわらげてくれる壮快さがありますので、これまたかなりオススメです。


 Re:光明坊行き    ..紫草    
        2006/02/14(火) 19:57  No.973
 
 
一人静様  色々の方からコメントがありその中で白洲正子女史に
触れられた文章を散見致しましたので一言付け加えますと、女史は
能を梅若六郎に、陶磁器は青山二郎、小林秀雄、に学び「かくれ里」を代表に数種類の随筆集があり私も愛読者の一人です。文章に衒いがなく女史の感性をそのままを綴り人柄の滲んだ文面で現代では、お目にかかれない人ではないでしょうか。東京町田市に記念館武相荘があり。武蔵野、相模の頭文字を取って武相荘と名銘したそうです。
毎週火曜日「今晩」PM10,25から3CHで「知るを楽しむ」の番組が御座います。白洲正子女史を偲んでおりますのでお知らせまでに、ご覧になっては如何でしょうか。




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