ゲストブック(やまとうた・はるのゆき) 過去ログ


平成15年(西暦2003年) 1月〜6月 7月〜12月

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TIME : 2003/01/03(Fri) 13:48:46
NAME : sion
TITLE: 明けましておめでとうございます

いつもお世話になりっぱなしですが、本年もどうかお見捨てにならず、よろしくお願いします。
可愛いゲストブックが出来ていたので、びっくりしました(笑)。
いわゆるBBSとの性質の違いを、今一つよく理解できていない私ですが、ご迷惑でなければ、また折々感想を述べさせて頂こうと思っています。

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TIME : 2003/01/03(Fri) 17:16:27
NAME : ためかぬ
TITLE: 新年おめでとうございます

昨年は、京極派の和歌のご紹介の更新が続き、わくわく、
たいへんうれしゅうございました。
今朝、朝刊の広告に、「永福門院百番自歌合全釈」岩佐美代子著(風間書店)1月16日発売とあり、さっそく手に入れたいと思っているところです。
sionさま同様>いわゆるBBSとの性質の違いを、今一つよく理解できていない私ですが、
おじゃまさせていただきました。

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TIME : 2003/01/04(Sat) 14:30:37
NAME : あかり
TITLE: ありがとうございました。

以前、卒論の件で相談させていただいたあかりです。
業平の歌風に関する論文が見つからず、あたふたしていたのですが、おかげさまで何とか卒論を提出することができました。
ありがとうございましたm(__)m

ご紹介いただいた文献や、国文学研究資料館を頼りに、先行研究をあたりましたが、『春やあらぬ…』の歌に答えはない。というのが、私の結論でした。
「や」はきっと疑問なんだと思うんです。
でも、業平らしさから言えば、反語かもしれない。
『業平らしさ』
それが、業平伝説なんだな。っていうのが、私の答えでした。

時間があれば、もっともっと和歌について研究してみたいです。
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TIME : 2003/01/04(Sat) 22:55:48
NAME : 水垣
TITLE: 謹賀新年

遅くなりましたが、新春のお慶びを申し上げます。
皆様の一年のご健勝をお祈り申し上げます。

新しいこのゲストブックですが、以前の掲示板と別段異なる方針はありません。今まで通りに書き込んで頂いて結構です。

>sionさん
これまで書いて下さったことが、どれほど励みになったことか。
「見捨てないで」は私の言うセリフです。

>ためかぬさん
昨年の京極派は私も楽しんでやっておりました。
>「永福門院百番自歌合全釈」岩佐美代子著(風間書店)1月16日発売
新年早々うれしいニュースをありがとうございます。私も早速予約しておこうと思います。

>あかりさん、
>「や」はきっと疑問なんだと思うんです。
>でも、業平らしさから言えば、反語かもしれない。
>『業平らしさ』
>それが、業平伝説なんだな。っていうのが、私の答えでした。

これはとても面白い意見だと思いました。
歌そのものに即して言えば、疑問とする方が理解しやすい。しかし業平という作者を考えた時、反語とする方がしっくりするような気もする(反語でなければ、「らしくない」)。
作品と作者をめぐる非常に興味深い問題に踏み込んでおられるな、と思いました。

それでは皆さん、今年もどうぞよろしくお願いします。

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TIME : 2003/01/06(Mon) 16:55:58
NAME : ゆゆ
TITLE: はじめて書き込み致します。

 水垣様、常連の皆様、はじめまして、ゆゆと申します。
 明けましておめでとうございます。
 いつもこちらで、楽しく和歌を鑑賞しております。ここへ通うようになってから、京極派が大好きになりました。これからも素敵な更新待ってます!

 さて、今さらかもしれず恥ずかしいのですが、ずっと疑問だったことを質問させて頂きます。「我が君は〜」の歌は古今集巻七の巻頭歌ですが、では国歌の「君が代は〜」は一体、どの和歌集に入っているのでしょうか?勉強不足で恐縮ですが、どうかよろしくお願いします。
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TIME : 2003/01/06(Mon) 23:59:42
NAME : 水垣
TITLE: RE:「君が代」の出典

ゆゆさん、初めまして。ようそこおいで下さいました。
またも京極派の反響が伺えて嬉しい限りです。まだ魅力的な歌人が何人か残っていますから、どうぞお楽しみに。

>国歌の「君が代は〜」は一体、どの和歌集に入っているのでしょうか?
普通、初出は「和漢朗詠集」の流布本ということになっています。「和漢朗詠集」は平安時代中期に藤原公任が編集した詩歌集ですが、伝藤原行成筆の信頼できる古写本等では古今集と同じ「我が君は…」の形で出ているそうです。したがって、流布本の「君が代は…」は、誤写か改竄と考えた方が良いようです。
鎌倉時代以降の様々な歌書に「君が代は…」の形で引用されていますが、平安時代以前の古典的な歌集に「君が代は…」の確実な典拠を見い出すことはできないのです。
結局、「君が代」の歌詞の出所については、「古今集巻七巻頭歌の別バージョンとして、かなり昔から伝わってきたらしい」ということくらいしか言えないのではないでしょうか。

この件につきましては時間のあるときにもう少し詳しく調べて、Q&A集に載せようと思います。

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TIME : 2003/01/07(Tue) 15:21:14
NAME : ゆゆ
TITLE: ありがとうございました。

 早速、丁寧なお答えありがとうございました。胸のつかえが取れました(笑)。学生の頃はずっと、「君が代」は古今集に入ってる歌、と頭にインプットしていたので(学校でそう習った気がするのです)、数年前、古今集を改めて読んで、第一句が違う事を疑問に思っていたのでした。Q&A集も楽しみにしています。
 名も無き人に誤写か改ざんされたらしい歌を国歌にしているのには好感が持てます。国歌に、より一般性を感じます。

 京極派の歌は最近の人の好みに合っていると思うのです。和歌界のビジュアル系、って感じがするのですが…浅薄な解釈かなぁ(笑)。
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TIME : 2003/01/11(Sat) 04:18:57
NAME : ぬかるみのおおきみ
TITLE: 失礼いたします

ひょんなことからこのサイトにたどり着いた者です。
和歌・短歌はまったくの不勉強なのですが、データベースの多さにただただ圧倒されて、暫くあちこちのページを見させていただきました。ありがとうございました。

で、学のないものとしては(^^; 戯作的なものにどうしても目が行ってしまうわけでして、「替歌百人一首」を覗いていたんですが、ひとつ気になったところがありました。

月しろに雲のくろ石うちはれて空一めんの盤のさやけさ

註のところで、「碁の用語を縁語として散りばめ、碁を打ちつつ更かす月夜の爽やかな情景を詠んだ」とあるのですが、これって「黒石が全部取られてしまって、盤も場も白けてしまった」とは解釈できません?それのほうが狂歌らしい気がするんですが・・・。

本当にくだらない指摘ですみません。
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TIME : 2003/01/11(Sat) 08:04:17
NAME : sion
TITLE: おはようございます

京極派ファン急増中!? なんだか私も嬉しいです。
最近のお気に入りは、徽安門院です。光厳院の奥様だったんですね。

 みどりこき日影の山のはるばるとおのれまがはずわたる白鷺

「おのれまがはず」が強烈です。自分を見失わず、我が道を行く! そんな潔さを、白鷺の飛ぶ姿に託しているように感じられました。

ゆゆさん、はじめまして。ずっと前から水垣さんの掲示板にお邪魔しているsionという者です。どうぞよろしく。

>京極派の歌は最近の人の好みに合っていると思うのです。和歌界のビジュアル系、って感じがするのですが…浅薄な解釈かなぁ(笑)。

目で見た時のインパクトを何より重視してるみたいなところ…まさにビジュアル系ですよね!(笑)
やはり時代背景に共通するところがあるのかなぁとも感じます。
京極派の頃は天皇家も分裂して争ったりして、混乱の時代ですよね。将来が見えず、何を信じればいいのか、ともすれば理想も見失いがちな時代だったのでは。そんな苦しみの中で、自分の心の奧底を見つめ、自然を深く深く見つめ……うまく言えませんが、そんな生き方から京極派の歌の澄んだ美しさや、時には迫るような美しさが生まれたのでは、と思うのです。
今を生きる私たちにも、親しみやすいし、学べるところも多いような気がします。

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TIME : 2003/01/11(Sat) 16:01:43
NAME : 水垣
TITLE: 楽曲としての君が代

>朝川渉さん、

もちろん唱歌史を調べればいくらでも「君が代」を取り込んだ楽曲の例は見つかります。たとえば、

 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで 立ちならぶ やつをの椿 八重桜 ともに八千代の 春にあはまし(後略)

これは長唄の難波獅子の歌詞です。明治時代に国歌や小学唱歌になる以前から、「君が代」の歌詞は民間で盛んに曲に乗せて唄われていたのです。
初めて国歌として「君が代」に曲をつけたのは、明治二年頃、イギリス歩兵隊の軍楽隊長として日本に在留していたフェントンとのことですが、その時用いられた歌詞にしても、薩摩琵琶歌「蓬莱山」中にあった「君が代は…」であったとされています(出雲寺敬和『古樂の眞髓』)。これは現在の「君が代」と全く同一の歌詞で、その意味では「君が代の歌詞の出典は薩摩琵琶歌である」という言い方も不可能ではありません。
フェントンの曲は式典などで国歌として演奏されるようになりましたが、評判が悪く、やがて使われなくなってしまいました。その後、明治十三年、海軍省がフェントンの曲を改訂する形で、林広守作曲(奥好義との合作とも言う)・エッケルト編曲で現在の「君が代」が完成した、と言われています(山田孝雄『君が代の歴史』など)。
以上が楽曲としての「君が代」成立史の通説になると思います。
これが正しいとすれば、現在の国歌「君が代」と、明治十四年の小学唱歌初編の「君が代」(サミュエル・ウェブ一世作曲のメロディーに「君が代は…」の歌詞を乗せた曲だそうです)とは、全く別物であることになると思うのですが。
なぜ現在の国歌が「明治14年制定の小学唱歌に過ぎないと考えた方が良い」ということになるのでしょうか?

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TIME : 2003/01/11(Sat) 16:04:18
NAME : 水垣
TITLE: RE:替歌百人一首

ぬかるみのおおきみさん、ようこそいらっしゃいました。ご投稿ありがとうございます。

>月しろに雲のくろ石うちはれて空一めんの盤のさやけさ
>これって「黒石が全部取られてしまって、盤も場も白けてしまった」とは解釈できません?それのほうが狂歌らしい気がするんですが・・・。

なるほど。おっしゃる通りかもしれません。
「盤のさやけさ」は、白石だけになった盤の明るさと、夜空のさやけさとを引っ掛けて言っている、ということになりますね。確かに、この方がはるかに面白みが出ます。
訳注に「月夜の爽やかな情景を詠んだ」と書いたのは冗談のつもりだったのですが、どうも冗談になってませんし、あまりにも言葉足らずだったと思います。
この歌の解釈は、近いうちもう一度よく考えて書き直そうと思います。
「くだらない指摘」など、とんでもないです。こういう細かいところが、歌を読む場合は大切だと思います。ご教示まことにありがとうございました。

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TIME : 2003/01/13(Mon) 01:50:37
NAME : 水垣
TITLE: 朝川渉さんの記事の削除について

「君が代」を巡って朝川さんが投稿して下さった記事2件は、朝川さんご自身のご判断によって削除されました。その後朝川さんが投稿された1件は、本ゲストブックの主旨に反するものと判断し、私の一存で削除させて頂きました。ご了承の程、お願い申し上げます。
事情はともあれ、朝川さんには不愉快な思いをさせてしまったようで、お詫び申し上げます。
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TIME : 2003/01/18(Sat) 23:51:54
NAME : 悠里
TITLE: またまた、質問させてください。

前回はとても丁寧な回答をありがとうございました。
今回も質問させていただきたいのですが、
万葉集 巻2 137の歌の
「〜な散りまがひそ」と「〜散りなまがひそ」の違いはなんでしょうか?歌を訳すとそれほどの違いはないように思うのですが…。

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TIME : 2003/01/19(Sun) 07:47:27
NAME : 水垣
TITLE: RE:な散りまがひそ

>悠里さん、
>「〜な散りまがひそ」と「〜散りなまがひそ」の違いはなんでしょうか?

語調が違いますね。
私も意味は特に変わらないと思います。

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TIME : 2003/01/24(Fri) 14:59:05
NAME : きゃべつ
TITLE: なにか素敵な句はないですか?

よい和歌を探していたらたどり着きました。
書道を習っています。
毎年、和歌を書いて、お扇子に仕立ててもらっているのですが、今年は何にしようか悩んでいます。
■夏らしくてさわやかなもの。
■子供を思う親心
このような句をご存知ありませんか?
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TIME : 2003/01/24(Fri) 20:45:44
NAME : 水垣
TITLE: きゃべつさんへ

「夏らしいさわやかな歌」と言うと、私がすぐに思い出すのは次の二首です。

 曇りなき青海(あをみ)の原を飛ぶ鳥のかげさへしるく照れる夏かな
 日ざかりはあそびてゆかん影もよし真野の萩はら風たちにけり

上は曾禰好忠、下は源俊頼の作です。
「子供を思う親心」を詠んだ歌では、

 老いぬればさらぬ別れもありといへばいよいよ見まくほしき君かな
 あしねはふうきぬにすだく鴨の子の親にまさるときけばたのもし

上は在原業平の母の作。老いた母親が息子に与えた歌です。
下は藤原光俊の作。父親らしい感慨ではないかと思います。

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TIME : 2003/01/24(Fri) 20:57:11
NAME : 水垣
TITLE: 和歌作品を「句」とは呼びません

誤用している方が多いようなので、一応書いておきます。

俳句は一作品を「句」と呼び、「一句、二句」と数えますが、和歌短歌の作品については、「句」と呼びません。そのまんま「歌」と呼ぶのが普通で、数えるときは、「一首、二首」と数えます。

和歌短歌について「句」と呼ぶ時は、韻律上の区切りをつけた一段落を言うことになります。たとえば、下に挙げた歌ですが、

 日ざかりはあそびてゆかん影もよし真野の萩はら風たちにけり

この場合、

 日ざかりは あそびてゆかん 影もよし 真野の萩はら 風たちにけり

と五つの句に分けることも出来れば、

 日ざかりはあそびてゆかん。影もよし。真野の萩はら風たちにけり。

と、句切れに従って三つの句に分けることも出来、

 日ざかりはあそびてゆかん影もよし 真野の萩はら風たちにけり

のように、上句・下句に分けることも出来ます。
いずれにしても、いくつかの「句」から「歌」が形成されていることになります。

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TIME : 2003/01/25(Sat) 11:38:42
NAME : sion
TITLE: 夏の歌

おはようございます。更新分、駆け足で拝見しました。
頓阿法師は二条派の巨頭? さすが上手いと唸らせるような歌が多いです。伝統的な趣向にひとひねり加えたような歌が得意だったのかな、という印象です。
儀子内親王の、

 つくづくと独りきく夜の雨の音はふりをやむさへさびしかりけり

珍しく水垣さんがベタ褒めですね。これは私も大好きな歌でした。

きゃべつさんの「夏らしいさわやかな」歌ですが、「お扇子に仕立てて」というお話から、私がすぐに思い浮かべたのは、後京極摂政の

 手にならす夏の扇とおもへどもただ秋風のすみかなりけり

でした。私の好きな式子内親王からも一首。

 すずしやと風のたよりを尋ぬればしげみになびく野べのさゆりば

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TIME : 2003/01/25(Sat) 16:28:20
NAME : 猫になりたい
TITLE: 本歌取りについて

学生時代に国文学(古典)を専攻し、その後は全く別の仕事のかたわら、細々と趣味で和歌や物語を読み続けている者です。
書き込みは初めてですが、ずっと前からよく拝見しておりました。このサイトを見つけた時は飛び上がるほど嬉しかったです。特に千人万首は、私にとって和歌の世界をどれだけ広げてくれたことか。本当にありがたく思っています。

質問を受け付けて下さるとのことなので、一つ疑問を述べさせて頂いてよろしいでしょうか。
千人万首の各歌に「本歌」「参考歌」「先蹤歌」が挙げられていますが、この三つの違いはどこにあるのでしょうか。
本歌取りについての基本的な知識はあるつもりだったのですが、これはなぜ「本歌」で、これはなぜ「参考歌」なのかしら、などと考え始めたら、頭が混乱してしまいまして(^^;
判別のポイントみたいなものがありましたら、ご教示願えませんか。よろしくお願い致します。

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TIME : 2003/01/26(Sun) 13:16:04
NAME : 水垣
TITLE: RE:頓阿法師

sionさん、こんにちは。いつもありがとうございます。

「さすが上手い」「伝統的な趣向にひとひねり」、言えてます。
そういうところが、逆に現在の低い評価につながっているような気もします。
歌壇史上では非常に大きな存在で、江戸時代まで強い影響力を持った歌人でした。本居宣長も非常に尊敬し、この人の家集の注釈書を二冊も書いている程です。

夏の歌もご紹介ありがとうございました。

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TIME : 2003/01/26(Sun) 13:18:13
NAME : 水垣
TITLE: RE:本歌・参考歌・先蹤歌

「猫になりたい」さん(スピッツファン?)、ようこそおいで下さいました。こちらこそご投稿ありがたく存じます。なにより嬉しいお言葉です。

えーと、本歌や参考歌etc.の区別ですが、分かりづらかった実例をあげて下さると、お答えもしやすかったんですけど(^^;

【参考歌】というのは、本歌とは認定できないが、用語が共通したり、影響関係が窺えたりと、読解・鑑賞の上で役に立ちそうな歌を「参考」として挙げておいた歌、のつもりです。
【本歌】は、言うまでもなく、本歌取りしたもと歌、ということです。三代集以前の有名な歌から、二句程度引用していたら、それは大抵本歌取りと認められると思います。もちろん、ただ引用すれば良いというものではなく、本歌の描いた世界を背景として取り込んだ上で、内容的には新しいものに作り替えるのが、本来的な本歌取りの技巧と言えるでしょう。言わば、古歌という資源を回収して新作に有効活用する、リサイクルですね。
単なる転用でしかなかったり、先行歌の模倣に終わっていたり、たまたま昔の歌と似ているだけのようだったり…、といったケースは、もと歌を【先行歌】または【先蹤歌】とし、【本歌】とは区別しています。
模倣が明らかな歌は、ふつう秀歌とは認められ難いでしょうが、中にはもと歌より良くなっている例もあったりして、千人万首では取り上げている場合があります。

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TIME : 2003/01/26(Sun) 15:26:51
NAME : 猫になりたい
TITLE: お礼

早速のご回答ありがとうございました。仰る通り、実例をあげるべきでした。申し訳ありません。
でも、整理して下さったおかげで、ずいぶん頭がすっきりいたしました(^^)。

私が「頭が混乱した」と言いましたのは、頓阿のページを読んでいたところで、

跡しめてみぬ世の春をしのぶかなその如月の花の下かげ(草庵集)
【参考歌】西行「山家集」
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃

これは本歌取りとは言えないのかな?と疑問を持ったことがきっかけだったと思います。「その如月の」は全く同じですし、「花の下かげ」「花の下にて」もよく似ています。

一方で、同じ頓阿の作で、

くれなばと思ひし花の木このもとに聞きすてがたき鐘の音かな(頓阿法師詠)
【本歌】素性法師「古今集」
いざけふは春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花の陰かは

この歌では、「くれなば」の語句が共通するだけで、あとは「花の木のもとに」「花の陰かは」が似ている程度なのに、なぜ本歌取りと言えるのだろう、と思ってしまったのです。

ご明察で、スピッツのファンです。ちょうどその曲がかかっていたので、ついHNに使ってしまいました。なんという安易な・・・。でも、近頃の気分に余りにぴったりだったので。

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TIME : 2003/01/28(Tue) 21:23:26
NAME : atsugo
TITLE: 百人一首カルタの絵について質問

カルタの絵は人物以外のものというのはあるのですか?それとも人物のみというきまりなどがあるのでしょうか?
また、人物の絵には、例えば着物の柄や色あわせ、横向きや後ろむきなど、なにかきまりごとがあるのでしょうか?よろしければ教えてください、よろしくお願いします。
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TIME : 2003/01/31(Fri) 21:02:05
NAME : 水垣
TITLE: RE:本歌取り

>猫になりたいさん、
実例をあげて頂いて、ご質問の意図がよく分かりました。

A.跡しめてみぬ世の春をしのぶかなその如月の花の下かげ
【参考歌】西行「山家集」
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃

B.くれなばと思ひし花の木このもとに聞きすてがたき鐘の音かな
【本歌】素性法師「古今集」
いざけふは春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花の陰かは

Bは本歌取りとしているのに、なぜAは本歌取りではないのか、ということですね。
まず、どちらも、もと歌を背景に置かないと歌の内容が理解し難い、という点は同じだと思います。「もと歌のある歌」という意味では、どちらも本歌取りと考えても、間違いではないと思います。
しかし、もと歌の取り込み方には、微妙な違いがあるように思われます。
Aは、西行の名歌を引き合いに出し、作者の西行に対する思慕の情を述べた作です。「その如月の」といった語句を引用しているわけですが、この場合は西行の歌の思想内容を取り込んだと言うよりは、西行がその歌を詠んだという事実にもたれかかった表現、とでも言いましょうか。いわば、もと歌は外部にあるままで、それを参照しているにすぎない、という印象があります。
一方、Bはと言うと、「くれなばと思ひし」という語句に、素性のもと歌の「いざけふは春の山辺にまじりなむ」といった内容が圧縮して盛り込まれています。もと歌の情趣が、頓阿の歌の新しい情趣を醸成する上で、不可欠の要素になっています。

私はこのように判断したわけですが、Aもまた本歌取りと認めるべきだという意見があっても少しもおかしくないだろうとは思います。

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TIME : 2003/02/01(Sat) 00:33:21
NAME : 水垣
TITLE: RE:百人一首カルタの絵

>atsugoさん
>カルタの絵は人物以外のものというのはあるのですか?それとも人物のみというきまりなどがあるのでしょうか?

小倉百人一首カルタの読み札に描かれる絵は、大和絵の人物画の一ジャンルである歌仙絵の伝統の延長線上にあるものです。歌人の絵を描くのが仕来りであったと言えると思います。
取り札の方は今は文字だけが普通になっていますが、例えば尾形光琳の作ったカルタなどは、取り札にも歌と関係のある絵が描いてあります。

これは光琳カルタの複製を撮影したものです。

>また、人物の絵には、例えば着物の柄や色あわせ、横向きや後ろむきなど、なにかきまりごとがあるのでしょうか?

在原業平は随身姿とか、蝉丸は右手を挙げているとか、清少納言は後ろ向きのポーズで描くとか、「型」はあったみたいですね。ある程度基本の型を踏まえた上は、絵師の創意や腕次第だったのではないでしょうか。
着物の柄や色あわせなどは、あまり注意して見たことがありません。今度、よく見てみようと思います。

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TIME : 2003/02/01(Sat) 14:52:47
NAME : 猫になりたい
TITLE: 深謝

お疲れのところ、詳しいご解説ありがとうございました。
本歌取りのこと、よく分かりました。
判別が難しいことを改めて痛感しています。
そして自分の勉強不足も……。
重ねてお手を煩わせ、申し訳ありませんでした。

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TIME : 2003/02/01(Sat) 23:01:30
NAME : atsugo
TITLE: ありがとうございました

人物以外のものもあるのですね!何を調べてよいかもわからなかったので、大変参考になりました。ドライフラワー・アレンジメントを習っているのですが、その先生が年に何度か個展を開くのに、今年は百人一首をテーマにされるらしく、貝あわせの貝殻の中に描こうとしてまず壁に突き当たったのだそうです。それで何か参考になればとお伺いした次第です。絵の特徴集などあればいいのですけれど、またよい参考資料などありましたら、教えてください。どうもありがとうございました。
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TIME : 2003/02/02(Sun) 15:52:08
NAME : 水垣
TITLE: 百人一首カルタの参考資料

ドライフラワーと百人一首、面白い取り合せですね。
光琳カルタの複製は大石天狗堂さんのサイト(下記URL)で見られます。
http://ww2.wt.tiki.ne.jp/~tengudo/korin/korin01.html
ビジュアルな百人一首の参考書としては、別冊太陽愛蔵版「百人一首」がお奨めです。光琳カルタ全札の図版が掲載されているほか、各時代のカルタや画帖、版本などがカラーで紹介されています。

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TIME : 2003/02/07(Fri) 14:45:41
NAME : せきど
TITLE: はじめまして

水垣様、皆様、いつも楽しく拝見しております。
なんとはなしにふらっと来てしまうのが「やまとうた」ホームページなのですが、その資料の多さに圧倒され、どこから見たらいいんだろう・・とウロウロしています。
そんなわけで(遅いですが)今日初めてカルタ美術館を拝見いたしました。きれいですね〜。時代によって趣がずいぶん違うのですね。雛人形を見比べるような楽しさがあってわくわくします。いいものを見せていただき、ありがとうございました。
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TIME : 2003/02/08(Sat) 15:41:15
NAME : 水垣
TITLE:  

せきど様、ご訪問ありがとうございます。
カルタ美術館の感想を頂いたのは、初めてです。新しいコーナーを作ってから最初の反応があるまで二、三年かかるのも珍しくないサイトですから、「遅い」ということは全然ありません(笑)。

> 雛人形を見比べるような楽しさがあってわくわくします。

なるほど。そんなふうに楽しんで頂けたとは、嬉しいお話です。こちらこそ、ありがとうございました。
カルタ画像はお正月前後に増やすか入れ替えようかしようと思っているうち、もう雛祭りの季節が近づいてしまいました。(^^;

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TIME : 2003/02/09(Sun) 21:50:51
NAME : せきど
TITLE: 楽しみです

今後もカルタ美術館、ちょこちょこ覗かせていただきます。追加・入れ替え期待しています♪
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TIME : 2003/02/15(Sat) 23:40:42
NAME : 葉つき みかん
URL : http://www.geocities.co.jp/Milano-Kotto/1676/index.html
TITLE: おひさしぶりです。

せきど様の書き込みを拝見して、カルタ美術館のコーナーがあることを知り、私も早速拝見しました。

三十六歌仙カルタがあるのですね。私も百人を描き終えてから、(まだ7人しか描いてないのに気が早いですが・・。)今度は三十六歌仙の中で一首ずつ選んで描こうと思っていたので、どの時代も考えることは同じなのだなぁ、と感じました。

私もカルタ美術館の更新を楽しみにしております。
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TIME : 2003/02/16(Sun) 10:54:23
NAME : せきど
TITLE: カルタ美術館

「江戸時代その二」が追加されていますね♪嬉しいです。
それにしても達筆ですね、とても強い感じがします。当時こういうカルタに和歌を書く専門の方がいらしたのでしょうか?

>葉つきみかん様
ホームページ覗かせていただきました。
和歌をみただけでイメージの湧きにくい私にはとても参考になります♪

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TIME : 2003/02/16(Sun) 20:43:29
NAME : はまだまさとし
TITLE: 作者不明歌の質問です。

どうしても、作者が、知りたい歌があるのですが、お教え願えませんでしょうか?じつは、和泉式部集の帯に、自分で、書き込み、しばらくして、わからなくなったのです。恐縮ですが、是非、どうか よろしくお願い申し上げます。 

移すとも 月も思わず うつるとも 水も思わず 
                      猿沢の池


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TIME : 2003/02/16(Sun) 20:47:05
NAME : 水垣
TITLE: RE:カルタ美術館

>葉つき みかん様
お久しぶりです。
江戸時代にはほかにも、源氏物語・伊勢物語・古今集など、古典文学を素材にした歌カルタは色々あったようです。そのうち百人一首カルタだけが生き残ったというわけですね。
三十六歌仙だと、中務や斎宮女御が個人的には楽しみです(笑)。
いくつかの歌から自分で好きなのが選べるのは、描く人にとってはメリットなのでは。

>せきど様
>それにしても達筆ですね、とても強い感じがします。当時こういうカルタに和歌を書く専門の方がいらしたのでしょうか?

小さなカルタに、よくまああんな立派な字が書けるものだと感心します。
筆者の名前などは分からないのですが、寛文〜元禄頃の古いカルタに、非常によく似た筆跡のものがあるので、「カルタの文字ならこの人に」といった専門の書家がいたのかもしれません。手本を真似て書いただけかも知れませんが、それにしてはソックリなんですよ。

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TIME : 2003/02/16(Sun) 21:15:18
NAME : 水垣
TITLE: RE:作者不明歌(追記)

Googleで検索してみたら、吉川英治記念館のHPにこの歌の解説がありました。

http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/dayori/syuzo/syuzo_21.htm

よく分からないのですが、柳生石舟斎が作者ということになるんでしょうか。


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TIME : 2003/02/17(Mon) 15:49:02
NAME : ゆゆ
TITLE: 中山家親さんの、

吹きよわる嵐の庭の木のもとに一むらしろく花ぞ残れる

この歌、可愛いですね!
強風に耐えて残った小さな花々。可憐な感じが想像されます。
お久しぶりです、ゆゆです。更新されたものを鑑賞しつつ、
あっちこっち回っているのですが、先日「読人不知」さんの経歴を発見しました!
これは、もしかして隠しアイテムですか?!ラッキ〜。
それにしても水垣さん、お茶目な方(笑)。

sionさん、はじめまして。こちらこそよろしくお願いします。
なるほど、京極派の頃はゴタゴタしてたんですね。
実生活は冴えないし、美しい歌の世界に没頭しようか、という感じだったのでしょうか。
ビジュアル系バンドやコスプレに熱中する若者がいっぱいいる現代と通じてますね。

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TIME : 2003/02/17(Mon) 21:45:21
NAME : はまだまさとし
TITLE: 御礼

昨日は、大変貴重な情報をいただき、言葉に尽きせぬほど、感謝いたしております。
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TIME : 2003/02/18(Tue) 20:42:42
NAME : 水垣
TITLE:  

> ゆゆさん、
> 吹きよわる嵐の庭の木のもとに一むらしろく花ぞ残れる

「可憐」というのはぴったりの言葉だと思います。
庭の花に対する作者の愛情が感じられます。嵐の間、作者は花が散るのをずっと心配していたのではないかと、そんなことまで思わせますね。

> 先日「読人不知」さんの経歴を発見しました!

あなたが第一発見者です(笑)。
いや、以前にも発見された方はいるかもしれませんが、報告して下さったのは初めてです。
自分でもどのページからリンクしたか、すっかり忘れてしまっていました。
検索してみて、ようやく発見。
実は、最初の頃はほかにも幾つかいたずらを仕掛けておいたのですが、その後ふざけすぎかと反省し、一目でジョークだと分かるページだけ残しました。

> はまだまさとし様
どういたしまして。おかげさまで興味深い歌の存在を知ることができました。

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TIME : 2003/02/18(Tue) 21:01:14
NAME : 水垣
TITLE: 中山家親の歌(訂正のお詫び)

【通釈】を少し書き直しました。最初、「花ぞ残れる」を「花が散り残っている」と訳したのですが、これだと普通「散らずに残っている」の意味に取られてしまうでしょう。私としては「散って(庭に)残っている」のつもりだったのです。不正確な文を書いてしまいました。
「散らずに残っている」と解釈する余地はあると思うのですが、私の解釈としては、以下のようになります。

「嵐もようやく弱まってきた庭の木のもとを見れば、ひとかたまりだけ白く、吹き寄せられた花が残っている。」

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TIME : 2003/02/19(Wed) 11:06:13
NAME : ゆゆ
TITLE: あらら;

私の解釈、間違っていたのですね。恥ずかしいです〜。
木の下の方だからこそ強風の被害も少なく耐え残った情景を想像したのですが、
嵐の後の散花を想像すると、急に寂し気な雰囲気が漂うではありませんか(笑)!
でも、ちいさな花の吹きだまりに着目した心はやっぱり可愛いし可憐です!

「読人不知」さんの他にも隠されたものがあるんですね。
見つけられればいいなぁ!
水垣さんのおふざけには時々、楽しませてもらっています。
百人一首の僧侶の数の解説とか……(笑)。
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TIME : 2003/02/19(Wed) 20:41:25
NAME : 水垣
TITLE: 「花ぞ残れる」

いえいえ、私の方こそ恥ずかしいです。
ゆゆさんの「耐え残った情景」という解釈も魅力的で捨てがたいのですが、「木のもとに」の用例を調べると、

木のもとに織らぬ錦のつもれるは雲の林の紅葉なりけり(後撰集)
咲きしより散るまでみれば木のもとに花も日数も積りぬるかな(千載集)

など、紅葉や花が散り積もっている情景を詠んでいる例がほとんどなのです。これでも確証にはなりませんが、やはり「吹き溜まりになって残っている」と取る方が素直みたいです。
おっしゃる通り、これだと寂しさが強く漂いますが、可憐さという印象には変わりありませんね。

>水垣さんのおふざけには時々、楽しませてもらっています。

あちこち見て下さっているんですね。ありがとうございます。
このサイトを友人に見せると、返って来る感想は「真面目すぎる」「遊びが足りない」……散々に言われ、悲しい思いをしたものです(笑)。

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TIME : 2003/02/22(Sat) 22:10:51
NAME : 曲学の徒
URL : http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/
TITLE:  

久米歌はなぞらえ歌で、具体的な場所や人物を巧みに詠み込んでいる。
私の久米歌解釈にご批判を。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/
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TIME : 2003/02/22(Sat) 23:27:59
NAME : sion
TITLE: お久しぶりです

ご無沙汰していた間に、京極派歌人が増えていますね。足利尊氏も京極風の歌を作っていたとは!
宗良親王は南朝ですから、反対派でしょうか。この方のは紙に印刷してじっくり読むことにします。
それにしても、父の願いである王朝再建を実現するため、さすらいの旅人となって日本各地を戦って歩いたなんて、まるで物語の中の王子みたいですね。ロード・オブ・ザ・リングのアラゴルン様を思い出してしまいました(*^^*)

ゆゆさん、こんばんは。
> 京極派の頃はゴタゴタしてたんですね。
> 実生活は冴えないし、美しい歌の世界に没頭しようか、という感じだったのでしょうか。
えらそうなこと書いてしまいましたが、わたし歴史は全然詳しくないのです。身の程知らずのカキコでした(^^; でも、京極派の歌からは「これまで誰もしなかったことをしてやろう、誰も知らなかった美を発見してやろう」みたいな、若々しい野心があったのじゃないかとは感じるのです。

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TIME : 2003/02/24(Mon) 21:42:06
NAME : 水垣
TITLE:  

> sionさん、
> さすらいの旅人となって日本各地を戦って歩いたなんて、まるで物語の中の王子みたいですね。

宗良親王、漂泊する英雄=詩人ということでは、倭建命の生まれ変りみたいな人ですね。
時節柄(?)、アラゴルンを思い出したというのはよく解ります(笑)。
京極派歌人はもう残り少なくなってきました。

> 曲学の徒さん、
「久米歌はなぞらえ歌で、具体的な場所や人物を巧みに詠み込んでいる」
私もそう思います。

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TIME : 2003/03/02(Sun) 10:51:41
NAME : nonomura seiya
TITLE: 教えてください

 昨日(3/1)、部屋の掃除をしていると古いメモが出てきました。
 それは、次のようなメモでした。
    さまざまの花はあれども日の本の
       はるの光は桜なりけり(伴蕎蹊)
 桜をよんだいい歌だと思いましたが、歌人のことがまったく思い出せません。
 伴蕎蹊とはいつの時代の、どんな人なのか教えてください。
 よろしくお願いいたします。
 
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TIME : 2003/03/02(Sun) 16:16:23
NAME : 水垣
TITLE: RE:教えてください

伴蒿蹊ですね。「蕎」でなく「蒿」の字が正しいと思いますが。
「ばんこうけい」とよみます。
江戸時代、西暦で言うと18世紀の人です。本居宣長とほぼ同時代の人になります。近江に生まれ、京に出て歌人・文人として名を成しました。著書の『近世畸人伝』は岩波文庫や東洋文庫に入っています。歌人としては小沢蘆庵などと共に「平安四天王」と呼ばれたくらいの人です。

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TIME : 2003/03/04(Tue) 21:41:07
NAME : nonomura seiya
TITLE: おれい

ありがとうございました。
字の間違いは老眼のせいということで、お許しください。
さっそく図書館にいってみたいとおもっています。
ちなみに、このメモがきっかけで、さくらをよんだうたがたくさん思い出されてきました。
この機会にさくらのうたをすこし集めてみたいと思っています。ほんとうにありがとうございました。 
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TIME : 2003/03/09(Sun) 17:42:27
NAME : sion
TITLE: 宗良親王、読了

の報告に伺おうと思いましたら、「中古よみ人しらず歌」がアップされていて目を白黒させています。大量の派生歌がすごいです。
時々芭蕉の俳句も交じっていたりしますね。そういうのを見つけるのも楽しみだったり。
さて宗良親王、印刷して綴じたのを持って歩き、繰り返し拝読しました。いつにもまして解説が丁寧で、水垣さんの思い入れの強い歌人なのでしょうか?
しかしこれだけ波乱の人生を送って、歌人としてもすぐれていた人というのは、長い和歌の歴史の上でも、なかなか見つからないのでは。
本歌取りや題詠が多く、和歌の伝統的な詠み方を踏まえているのに、古今新古今の歌とはまた別種の感動がありますね。
読書案内を便りに、できたらいろいろ他の文献も読んでみたいと思いました。

ところで、創作短歌がデッドリンクになってますよー(T_T)
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TIME : 2003/03/09(Sun) 21:52:59
NAME : 水垣
TITLE: RE:宗良親王、読了

読人知らずの歌を集めるって、あまり意味なかったかもと思ったのですが、せっかくだからアップしました。これは千人万首の付録です。

> 宗良親王
> いつにもまして解説が丁寧で、水垣さんの思い入れの強い歌人なのでしょうか?

背景を説明しないと理解しづらい歌が多いと思ったので、いつもより詳しくなっただけだと思います。全作品きちんと読んだのは、わりと最近なんですよ。

> しかしこれだけ波乱の人生を送って、歌人としてもすぐれていた人というのは、長い和歌の歴史の上でも、なかなか見つからないのでは。

大伴家持に和泉式部、西行など、ドラマチックな人生を送った大歌人は何人かいますが、宗良親王の場合は、国の命運を左右する程の立場にあって奔走の人生を送ったにもかかわらず、良い歌をたくさん残してくれました。そういうところが有り難い気持になります。

> 古今新古今の歌とはまた別種の感動がありますね。

私もそう感じます。歌それ自体から来る感動とは別の感動も含まれていたり。作品を人格とは独立したものとする見方からすれば、不純ということになるかもしれませんが。

> ところで、創作短歌がデッドリンクになってますよー(T_T)

ワザとです。すみません。近いうちに何とかします。

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TIME : 2003/03/14(Fri) 16:28:05
NAME : 真珠庵より
TITLE: はじめまして 和歌の初心者です。

時々、拝見させていただいております。
初めて、メールを致します。
そろそろ、春も張りて 花のころもよろしく 小鳥も うららかな 光の中 あちらの梢 こちらの梢にと ういういしく 舞っております。弥生の月も そろそろ 満つる勢いが 増しつつあり さやけし宵の つくよみさまも 一段と 美しき 今日この頃です。

風はそよ そよかにかほる おちこちの はるの吐息に
初ごころおもゆ


   
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TIME : 2003/03/14(Fri) 21:17:19
NAME : taka
URL : http://groups.msn.com/vf19en0oqj8pqgmp61h62l0o70/page5.msnw
TITLE: 以仁王のご詠歌について・・

 はじめまして!!
突然のお尋ねですが、皆さんにお聞きしたい事があります。平安時代の後期、平家追討の「令旨」を諸国の源氏に発して都を追われ越後小国に逃れ、更に会津の奥地に終焉したとの伝説のある・・高倉宮以仁王ご詠歌の中に逃避地の仮居所「天真御所神社跡地」の湧水池「お月見の池」に映る月を眺め、往時の都を懐かしんで詠んだとされる、ご詠歌「月見る月はーーーーー」をご存知の方がおられましたら、おしえてください。よろしくね・・。因みに私はこの「御所神社跡地」のすぐ近くに住んでいます。最近、新潟県小国町において「以仁王伝説」のイラスト漫画本が発行されています。ご案内のURLです。
http://www.town.oguni.niigata.jp/images/tirasi.pdf

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TIME : 2003/03/14(Fri) 23:15:05
NAME : 水垣
TITLE: はじめまして

>真珠庵様
ご投稿ありがとうございます。
私の住んでいるあたりでも、ここ数日はようやく春めいてきました。
と言いましても、自然の豊かな土地ではありませんから、日射しや風の変化に辛うじて季節の移ろいを感じ取っているにすぎませんが。
そう言えば、子供が水槽で飼っている亀の動きも活発になってきました。
この週末は梅でも見に出かけたいと思っています。

>taka様
上川村の風景写真、楽しませて頂きました。
以仁王の伝説は日本各地に残っているようですね。
「月見る月は」と言いますと、八月十五夜に詠われる「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」という歌を思い出します。これとは違うのですね?
何かご存じの方いらっしゃいましたら、書き込みお願いします。

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TIME : 2003/03/15(Sat) 16:33:43
NAME : taka
URL : http://groups.msn.com/vf19en0oqj8pqgmp61h62l0o70/page5.msnw
TITLE: 水垣さまへ

水垣さん、ありがとうございました。
その「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」という歌は以仁王のご詠歌なのでしょうか。それとも、詠われた人はどなたかご存知でしょうか??再三のお願いで恐縮しておりますが、よろしくね。
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TIME : 2003/03/15(Sat) 21:50:57
NAME : 水垣
TITLE: 「月見る月は…」の歌

>takaさん、
>月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月

この歌は作者不明の伝誦歌と考えられています。以仁王に限らず、誰彼の作であるという説は聞いたことがありません。
続古今集という勅撰和歌集には村上天皇御製のよく似た歌、

 月ごとに見る月なれどこの月のこよひの月に似る月ぞなき

が載っています。あるいはこの歌が原型ではないかとも思われます。

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TIME : 2003/03/15(Sat) 23:30:12
NAME : 銀河
URL : http://heavenlymoon.tripod.co.jp/
TITLE: はじめまして

銀河といいます。
ヤフーで和歌の検索をしようとおもって、こちらにたどりつきました。思わずためいきがでてしまいます。
すごいHPですね。これだけにされるのは本当に大変でしたでしょうね。とても見やすくわかりやすくて勉強になりました。ありがとうございました。
これからもがんばってくださいね。また拝見させていただきにこさせていただきたいと思います。
あまりに素敵なので、まずは、ご挨拶とおもい書き込みさせていただきました。ありがとうございました。
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TIME : 2003/03/17(Mon) 00:25:10
NAME : 水垣
TITLE: 銀河さん、ようこそ

はじめまして。ご感想、ありがとうございます。
自分自身を楽しませるためにやっているサイトですから、全然「大変」ということはないのですが、励ましのお言葉は大変ありがたく思います。
またお気軽に訪ねて頂ければ幸いです。

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TIME : 2003/03/19(Wed) 12:08:26
NAME : 河野まみ
TITLE: 玉葉集 秋の巻より

はじめまして。駆け込みの質問で失礼します。
「秋ふかき山よりやまに分いれは猶色そふるもみちをそみる」新院御製
この歌の現代語訳を探しています。小学館古典全集の『玉葉集(抄)』にも含まれていませんでした。唯一と思える全訳本もみつけられませんでした。新院は崇徳院でよいのですよね。
あまりに即物的で単純な質問で申し訳ないのですが、もしおわかりになるようでしたら、お教え頂けませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
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TIME : 2003/03/19(Wed) 18:52:16
NAME : 水垣
TITLE: RE:玉葉集 秋の巻より

河野まみさん、はじめまして。

>秋ふかき山よりやまに分いれは猶色そふるもみちをそみる

「秋も深まった奧山から、さらに奥深い山へと分け入って行くと、一層色濃さを増した紅葉を見ることだ」
という程の意味だと思います。「ふかき」は季節の深さと山の深さと両方言っています。
「新院」は後伏見院です。

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TIME : 2003/03/22(Sat) 20:37:24
NAME : むらじ
TITLE: 源国信

はじめまして。むらじ と申します。
源国信というと、歴史が好きな私からすると
近衛基実や松殿基房の外祖父というのが第一印象です。
ところで、この人のイミナの訓みは
「くにざね」
というのですね。
「尊卑分脈」をのぞいてみたのですが、
訓みについて注記がありませんでした。
この人の名の呼び方はなにに出ているのでしょうか?
お教え頂ければ幸いです。
ついでながら、

何事を待つとはなしに明け暮れて今年も今日になりにけるかな

て、いまどきでもいえそうな歌ですね。
それからいちばん「これは」と感じたのは以下の二首でした。

恨みてもかひなかりけり今はただ人を忘るることを知らばや

中々に浮世は夢のなかりせば忘るるひまもあらましものを

あとの歌は雑部に入っているとのことですが、私もたぶんこれは恋の歌だと思います。
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TIME : 2003/03/22(Sat) 23:17:55
NAME : 水垣
TITLE: RE:源国信

むらじさん、はじめまして。書き込みありがとうございます。
ご指摘で初めて気づきましたが、源国信の娘は二人とも忠通に嫁いでいるんですね。

「国信」のよみ方ですが、角川の新編国歌大観を見ますと、「堀河院艶書合」(底本は宮内庁書陵部蔵の江戸期写本)の作者名表記に「くにざね」と仮名書きで出ています。この歌合に出詠した「くにざね」と呼ばれた人物は源国信以外考えられないことから、国信を「くにざね」と訓んだのは確実だと言うことになります。ほかにも、「秋風集」「肥後集」の詞書に、それぞれ「権中納言くにざね」「くにざねの中納言」と仮名書きされています。

国信の歌はなかなか良いでしょう。特に述懐風の歌にしみじみしたものがありますね。引用された歌は、どれも今の人々にも共感できるものではないかと思います。私も強く印象に残っている歌ばかりです。

ご存じかもしれませんが、ついでに歌人としての源国信のエピソードを一つ。
この人は、もうちょっとのところで百人一首に入選していたんです。藤原定家が百人一首の前に編んだらしい「百人秀歌」という秀歌選には、国信の

 春日野の下萌えわたる草の上につれなくみゆる春のあは雪

という歌が入っていたのですが、その後、百人一首では除かれてしまいました。有名になりそこねてしまったというわけです。

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TIME : 2003/03/27(Thu) 22:19:31
NAME : 八重葎
TITLE: ほのぼのと

楽しく拝見させていただいております。
ほのぼのと明石の浦の...は人麻呂の作と諸本に出ていますが、原典は何の集にあるのでしょうか?
大変好んで称えているのですが、人麻呂がほのぼのと
表現しないのでは、これも後代の人の改作かとも
心に引っかかるものがありお尋ねしました。
ご教示いただければ幸甚です。
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TIME : 2003/03/29(Sat) 00:35:52
NAME : 水垣
TITLE: RE:ほのぼのと

八重葎さん、ようこそ。

>ほのぼのと明石の浦の...は人麻呂の作と諸本に出ていますが、原典は何の集にあるのでしょうか?

古今集に読人不知の歌としているのが初出です。

  題しらず    よみ人しらず
 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ
   この歌は、ある人のいはく、柿本人麿が歌也。

その後、『古今和歌六帖』(西暦十世紀後半に成立)で作者を人麿とし、藤原公任の『三十六人歌合』『和漢朗詠集』(西暦十一世紀初め成立)等でも人麿作と認められて、以後、人麿の代表作と考えられるようになりました。
「ほのぼのと」という詞は万葉集には用例がありませんし、作風も万葉集の柿本人麿と少し違うような気がします。


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TIME : 2003/03/29(Sat) 00:36:33
NAME : 水垣
TITLE: お知らせ

明日から一週間ほど旅行で留守にします。ゲストブックを見ることはできますが、お返事は多分できないと思います。

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TIME : 2003/03/29(Sat) 20:49:37
NAME : 松の実
TITLE: 3390番の訳を教えてください

 浮世絵師、歌川広重最晩年の一枚「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」の構図を、万葉集にある「筑波嶺にかか鳴く鷲の」に因むのか、と評していたのですが、3390番の訳を教えてください。その趣旨と沿っているのか知りたいのですが。
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TIME : 2003/03/29(Sat) 21:23:50
NAME : sion
TITLE: 行ってらっしゃいませ

暖かくなり、旅行には好い季節になりましたね。
(熱帯や極寒の地へのご旅行だったりしたら、「よい季節」も何もないでしょうけれど・・・)
何はともあれ、どうかご無事でお帰りください(^^;

置き土産(?)の更新、楽しませて頂きました。花園院一条と鷹司清雅の京極派にも注目でしたが、特に印象に残ったのは、季節柄か、飛鳥井雅孝の

 さかりなる嶺の桜のひとつ色に霞もしろき花の夕ばえ(玉葉202)

でした。「夕ばえ」は今の意味とは少し違うんですね。
薄闇の中で、花をよく見てみようと思いました。

(レスはどうかお気になさらずに)
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TIME : 2003/03/29(Sat) 21:34:24
NAME : sion
TITLE: RE:3390番の訳を教えてください

松の実様、差し出がましいようですが、水垣さんの「波流能由伎」の方のリンク集からもリンクされている、
現代口語訳万葉集
http://www.miyazaki-u.ac.jp/~aoyama_t/many2.html
こちらのサイトに、3390番の歌の口語訳も載せておられます。こちらを参照されては如何でしょう。

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TIME : 2003/03/29(Sat) 22:05:13
NAME : 八重葎
TITLE: ありがとうございました

水垣様
懇切なお答えを頂戴しありがとうございました。
人麻呂にこだわらず、うた自体を大切に味わっていきたいと思います。
白雲に羽うちかわし..も確か古今のよみ人知らずの歌かと思いますが、一読して忘れがたいものです。
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TIME : 2003/03/30(Sun) 22:02:38
NAME : むらじ
TITLE: 西本願寺展

水垣様
丁寧なレスありがとうございました。
昨日、「西本願寺展」に行ってきました。
早い時間に行ったせいか中はがらがら。はじまったばかりだからでしょうか。終了間近の「ヴェルサイユ展」の大混雑をみたあとだけにより快適に鑑賞できました。
伏見天皇の広沢切や三十六人家集などはなかなか見ごたえがありました。公任や行成らのあざやかな手蹟に心洗われるひとときでした。

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TIME : 2003/04/05(Sat) 21:38:40
NAME : 水垣
TITLE: 帰りました

>松の実さん
sionさんが紹介して下さったサイトの現代語訳は大変すぐれたものだと思います。そちらをご覧ください。私のリンク集の上から三番目にリンクされています。

>sionさん
留守中にありがとうございました。
京都と奈良をまわってきました。
全般的に桜には少し早かったのですが、いくつかの土地で花盛りに出逢うことが出来ました。
奈良の氷室神社(東大寺のそば)の枝垂れ桜がみごとでした。

4/1撮影です。そろそろ散り始めてしまったでしょうか。

>八重葎様
どういたしまして。
古今集のよみ人しらず歌には印象深い名歌が多いですね。平明で、韻律にすぐれ、情感も深く、歌の理想のすがたを備えているものが多いのではないでしょうか。

>むらじ様
西本願寺展、私も行って来ました。特集のテレビ番組が放映された後だったせいか、結構混んでいました。最初の頃はすいていたんですね。
和歌関係、さすがに見どころが多かったです。広沢切と三十六人集、それに、後鳥羽院以下新古今歌人たちの自筆の熊野懐紙にも目を奪われました。
三十六人集は一堂に会するのかと思いきや、週ごとに陳列替えするとのことで、その点はガッカリでした。毎週見に行くわけにもいきませんから。
陳列替えスケジュールにリンクを貼っておきます。
http://www.nhk-p.co.jp/tenran/honganji/36.html

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TIME : 2003/04/06(Sun) 09:54:56
NAME : むらじ
TITLE: 家隆

和歌そのものではなくお人の話で恐縮ですが・・・
藤原家隆、初名は雅隆というんですね。ところが家隆の兄も雅隆というので、ちょっとややこしいです。雅隆は文治元年六月に従三位、家隆は建保四年に従三位となっていますからまちがいなく別人なんですが・・・
公卿補任によると家隆が叙爵されたのは安元元(1175)年正月のことで(女御{j子給。干時雅隆)とありますから、この時点では兄のほうの雅隆はなにかべつの名前を名乗っていた、ということになりますね。
貴HPでも
>母は太皇太后宮亮藤原実兼女(公卿補任)。但し尊卑分脉は母を参議藤原信通女とする。
とふれられているように、兄のほうの雅隆は参議藤原信通女を母としています。「尊卑分脈」では家隆も「母信通卿女」とされていますが、こちらのほうは兄弟で混同があったのでは?などと勘繰ってしまいます。

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TIME : 2003/04/08(Tue) 14:52:17
NAME : sion
TITLE: きれいな桜の写真

ありがとうございます。みごとな枝垂れ桜ですね!
東大寺は何度か行ったことありますが、この神社は気づかなかったです。

今日こちらは春の嵐。桜並木のそばを歩いてゆくと、花びらが風に空高く舞い上げられていました。今は雨が降っていて、濡れた地面に貼りついてしまっていますが。

さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに浪ぞたちける(紀貫之)

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TIME : 2003/04/10(Thu) 20:35:58
NAME : 水垣
TITLE:  

>むらじさん
一般的に公卿補任の方が尊卑分脉より史料としての信頼性が高いということでしょうか、手持ちの人名辞典で家隆の項を見ますと、「母は太皇太后宮亮藤原実兼の女。初名は雅隆」と、公卿補任に従った記述をしていますね。
おっしゃる通り、尊卑分脉の方に混同があるのでは、という感じです。

因みに、兄の雅隆も歌を嗜んだようで、勅撰集には載っていないのですが、寿永元年(1182)成立の私撰集「月詣和歌集」に歌が取られていて、家隆よりも早く歌人として認められていたようです。
正治二年(1200)の石清水若宮歌合には、兄弟揃って出詠しているのが確かめられます(雅隆は「正三位雅隆卿」、家隆は「上総介藤原家隆」)。
この時の雅隆の歌から一首。

 雲ゐよりかざしそめける花なれやしめのあたりに匂ふ春かぜ

総じて無難な作が多いのですが、しっかり歌を学んだ上で詠んでいるという印象は受け取れます。家隆の伝記を考える場合、このお兄さんは注意すべき存在かもしれません。

>sionさん
氷室神社は、国立博物館と通りを挟んで向かい合っている、小さな神社です。
今日は風も穏やかな光のどけき春の日でしたが、桜はしづ心なく散っていました。

 それながらうつろひはてて庭の面にきえぬもかなし花の白雪(三条西実隆)

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TIME : 2003/04/12(Sat) 17:46:28
NAME : むらじ
TITLE: 雅隆・家隆

レスありがとうございます。
あれからちょっと気になって当時の記録をいくつかひも解いてみたのですが、「公卿補任」いがいの史料で家隆が初名を雅隆、といったという記事は確認できませんでした。
家隆が叙爵して、「初名雅隆。後日改名」とあるのが安元元年、18歳のときのこと。
ところがその前年である承安四年末の記録にはあきらかに兄なる人が「雅隆」の名で載っており、かつまた安元二年正月の「玉葉」の記事には弟のことをちゃんと「家隆」と記しています。
こうなると安元元年正月という時期に家隆が雅隆という初名を帯びていた、と考えるのはかなり無理が伴うように思えます。ちなみに角川書店刊「平安時代史事典」(角田文衛編)の「藤原家隆」の項にはかれの初名が雅隆であったという記述は見られません。
たいがいの本には藤原家隆の伝に「初名は雅隆」と書いていますが、この公卿補任の記事をどこまで真に受けてよいものやら・・・
雅隆は勅撰集には一首も入っていないようですね。
すぐれた歌人でも、こういうように名もなく消えていった人々がけっこう多いのでしょうか。
家隆は俊成に師事していますが、雅隆の師はだれだったのでしょうか。
近親のなかにはこれといった歌人はいませんね。
二人の父親である光隆も、叔父の定隆・頼季も、祖父の清隆も勅撰集にはその名前が見当たりません。
この家の興隆の基礎を作った清隆についてはちょっとしらべたことがありますが、蔵人所雑色という低い身分であったのが堀河天皇に取り立てられ、以後代々の院の近臣として活躍し、権中納言に至りました。実力一本でのし上がってきたしたたかな人物だったようです。
保元の乱以降廷臣の解官・配流が相次ぐなかでたくみに生き抜いていった一族のようですが、家隆に至って大輪の花が咲きました。しかしそれもつかの間、彼を最後にこの家から公卿が出ることは絶えてなくなります。実力一本でのし上がってきた一族がようやく貴族としての華を咲かせ、皮肉にもそれがこの一族は寿命を迎えてしまったようにすら見えますね。

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TIME : 2003/04/13(Sun) 22:20:14
NAME : 水垣
TITLE: RE:雅隆・家隆

こちらこそご教示ありがとうございます。

>こうなると安元元年正月という時期に家隆が雅隆という初名を帯びていた、と考えるのはかなり無理が伴うように思えます。

そういうことになりますね。私などは公卿補任を鵜呑みにして略伝を書いている場合が多いので、気をつけねばと思いました(家隆の初名の件は、ちょっと変だなと思ったので書きませんでしたが)。

>家隆は俊成に師事していますが、雅隆の師はだれだったのでしょうか。

どうなのでしょう。雅隆が歌壇に登場した頃(西暦1170年代頃?)は、俊成の御子左家よりも清輔らの六条家が勢力を持っていた時代です。また、俊恵法師の主宰する歌林苑の活動も活発だった頃でした。
惟宗広言の『言葉集』という私撰集にも雅隆の歌が採られているのですが、この惟宗広言と『月詣集』編者の賀茂重保と、共通点は、歌林苑で活動していた歌人だということです。とすれば、雅隆も同じ歌壇と言うか交流圏に属していたのではないかという推測は許されると思います。

>実力一本でのし上がってきた一族がようやく貴族としての華を咲かせ、皮肉にもそれがこの一族は寿命を迎えてしまったようにすら見えますね。

まず政治的にのし上がった一族が、衰退と共に文化の担い手になる、というパターンがあるような。大伴氏などが典型ですね。
家隆の場合、遠島に流された後鳥羽院に忠誠を尽し続けたことが、結果的に子孫の繁栄の障害となった、とも言えると思います。「志に殉じた」と言いましょうか。

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TIME : 2003/04/15(Tue) 10:42:32
NAME : 奥村 丞
TITLE: お尋ねします

下記軸装が有ります
「仙宮
鶴亀の千世 万代よの世はいをも
逢賀しまに いくかかえりへむ
花山院愛徳」

と有ります。
お読みくだし頂けませんか?
また花山院愛徳なる人に付いても教えていただけませんか。
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TIME : 2003/04/15(Tue) 21:18:30
NAME : むらじ
TITLE: 花山院愛徳

奥村 丞様
一投稿者である私がお答えするのは僭越ですが、調べたのでお知らせします。
花山院愛徳は江戸時代後期の公卿です。
「公卿諸家系図(諸家知譜拙記)=続群書類従刊行会編」によると、摂関家に次ぐ家柄である清華家の当主で、右大臣従一位に至り、文政十二年に七十五歳で亡くなっています。
分家の中山家から養子にきた人で、兄弟の孫にあたる忠能の女慶子は明治天皇の生母として知られています。
愛徳の姪である中山績子も仁孝天皇の後宮に入っているので仙宮は宮様のことかと思ったのですが、どうもそれらしい人が見当たりません。
一応ご参考まで。

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TIME : 2003/04/15(Tue) 21:36:33
NAME : むらじ
TITLE: 家隆

水垣様
>「志に殉じた」と言いましょうか。
同感です。
並び称される藤原定家がこと自身や息子の昇進となると目の色変えるのとは好対照のようですね。
家隆の経歴をみると、祖父や父、兄が歴任してきた太宰大弐や内蔵頭、皇后宮権大夫といったような、権門に接近するのに都合のよい役職を経験していません。叙爵の年齢も兄の九歳に対して十八歳という遅さです。傍目にはこれでどうして公卿になれたのか、というくらいに地味な経歴といえます。
このように地位に恬淡としていたあたり、私としては好感を持っています。
従二位となったのは承久の乱のあとですね。あくまで想像ですが、じぶんを見出してくれた後鳥羽の去った宮廷にはもはや価値も興味も覚えなかったのではないでしょうか。
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TIME : 2003/04/15(Tue) 21:36:57
NAME : 水垣
TITLE: 花山院愛徳の歌

>「仙宮
>鶴亀の千世 万代よの世はいをも
>逢賀しまに いくかかえりへむ
>花山院愛徳」

確かなことは申せませんが、推測で読んでみました。参考になりましたら幸いです。

 鶴亀の 千世万世の 齢をも
 蓬莱島に 幾返り経む
 つるかめの ちよよろづよの よはい(ひ)をも
 ほうらいしまに いくかえ(へ)りへむ

神仙の住む蓬莱島でなら、鶴亀の長寿を何度も繰り返し生きるだろう、といった意味になりましょうか。めでたい歌です。

花山院愛徳については、むらじさんのご投稿をお読みください。
むらじさん、どうもありがとうございます。

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TIME : 2003/04/16(Wed) 01:55:42
NAME : あーちゃん
URL : http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=AandU
TITLE: 有難うございました。(^^)

神功皇后と建内宿禰の勉強を始めた、あーちゃんです。
リンクの許可を頂きまして、有難うございました。

両人の歌が、何だか似ているなーと思っていたら、
やっぱり同じ酒の席での、歌みたいですね。
まず神功皇后が読み、それに建内宿禰が応えたとか?

この二人について、隅々まで調べようと思ったら、
一生かかっても、無理なような気もしますが‥。
頑張ってみようと思います。(^^)

だから‥また、日記に引用させて頂くかも知れません。
今後も、どうぞ宜しくお願い致します。
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TIME : 2003/04/16(Wed) 23:41:12
NAME : 水垣
TITLE:  

>むらじ様
古今著聞集にある、家隆が死ぬべき日を心得て極楽往生したという話を読むと、晩年の不遇と思い合わせ、感慨を覚えます。古今著聞集には家隆にまつわる逸話が多いのですが、鳥を飼うのが好きだったとか、ほのぼのとした話ばかりで、人となりを彷彿させます。
しかし家隆はまだまだ分からないことが多い人ですね。色々示唆されることが多かったです。ありがとうございました。

>あーちゃん様
ようこそいらっしゃいませ。
神功皇后と建内宿禰のページ、あまりに説明不足でしたね。おっしゃる通り、まず神功皇后が詠み、建内宿禰が応えたのですが、皇后はそもそも皇太子(のちの応神天皇)に向かって詠み、宿禰は皇太子に代って歌を返したと、事情は結構込み入ってます。詮索しようと思えば、いろいろ裏読みできそうです。
この二人の関係は面白いテーマだと思います。確かに難しい問題だと思いますが……古代史の大きな謎を解明することになってしまうかもしれませんから。
二人のページは今度の更新でもうちょっと詳しく書き直すことにします。

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TIME : 2003/04/18(Fri) 15:08:55
NAME : 奥村 丞
TITLE: 花山院愛徳と仙宮について

早速にむらじ様、花山院愛徳につきましてお教えいただき有難う御座いました。
また、水垣さま仙宮を読み下しいただき有難う御座いました。
 実は、先日16日京都平安神宮での献茶祭の拝復席として懸けられます勅使館の床に掛けさせていただきました軸装で御座います。
ご説明頂きましたように目出度きものとしてお喜びいただきました。
 再質問となりますが、花山院は、「かざいいん」か「けしょういん」どちらで読みますか?
 軸装の写真が有りますがこの掲示板に添付できますか?
出来ましたら一度ご高覧願えれば幸いです。有難う御座いました。
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TIME : 2003/04/18(Fri) 17:06:14
NAME : ゆゆ
TITLE: 醍醐天皇の歌。

水垣様、皆様、お久しぶりで〜す!
今日は空き時間に時代不同歌合を鑑賞していたのですが、
ひとつ、意味を教えていただきたい歌があります。

むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる

この歌、とても印象に残るのですが、勉強不足の私には
おぼろな解釈しかできません(泣)。
紫とは、色そのもののことか、植物のことか、それとも喪服?
何か、面白い背景がありそうな気がするのですが……。
ネットでいろいろ検索してみたけれども、意訳が載っていないのです。
誰にでもわかる歌なのかな?だったら恥ずかしいのですが、よろしくお願いしま〜す。
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TIME : 2003/04/18(Fri) 21:37:53
NAME : むらじ
TITLE: 花山院

奥村 丞様
「かざんいん」で、よろしいかと存じます。
ただ、なにかの本に、「かさのいん」というルビが振ってあったのを記憶しています。どの本のことだかちょっと捜してみたのですが、残念ながら見当たりません。
花山院はもと平安中期の邸宅の名前でした。陽成天皇の同母弟(つまり母は在原業平の永遠の恋人?であった二条の后)に、中務卿貞保親王という方がいて(琵琶の名手であられたそうです)、その人の邸宅を藤原忠平が譲り受けたのが藤氏に伝わった最初だそうです。
「古今著聞集」によると忠平手植えのナツメの木が永く残っていたそうで、そのほかにも
「四面の築地のうへには瞿麦(なでしこ)をひしと(びっしりと)うゑられたりければ、花のさかりには色々さまざまにて、錦を山におほへるに似たり。これによりて花山の号はありと申すめる」
といわれるほどに花に満ちた邸宅であったそうです。
なお、花山院家の始祖は関白師実(山椒大夫に出てきて厨子王を救う人物)の二男にあたります。
掛け軸のこと、そうとうに由緒あるものと拝察いたします。お写真、とても興味ありますね。
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TIME : 2003/04/18(Fri) 22:44:39
NAME : むらじ
TITLE: いつの春

ゆゆ様
はじめまして。
以前
吹きよわる嵐の庭の木のもとに一むらしろく花ぞ残れる
という素敵な歌をあげておられた方ですね。
今回取り上げられた歌もじつに素敵ですね。
・・・といいつつも、私もきわめて怪しげな和歌の読解力しか持ち合わせていないのですが・・・
宗良親王の歌に、
あかで散る花のまぎれに別れにし人をばいつの春かまた見ん
とあるのが、妙に目を引きます。
コトバガキさえ見なければ、うっかり恋歌と取ってしまいそうです。
この歌をみて、あるいは卒業式で別れたきりになってしまった心惹かれていた人を思い出す、なんて方もいらっしゃるかもしれません(私のことじゃないですよ)。
じっさいには亡くなった同性の親友を悼む歌なんですね。
なまじな知識や情報は、却って想像の幅を狭めることもあるようです。

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TIME : 2003/04/19(Sat) 17:10:18
NAME : 水垣
TITLE:  

>奥村 丞 様
大層由緒ある晴れやかな席での軸装だったのですね。お役に立てたのでしたら誠に幸いでした。
画像は貼り付け可能なのですが、いわゆる「画像掲示板」ではありませんので、お宅様のパソコンから直接掲示板に転送して頂くことは出来ないのです。もし差し支えありませんでしたら、メールに画像を添付して私のアドレスにお送り下さいませんか。そうして下されば、私の方で掲示板に掲げるなりしたいと思っております。

「花山院」の読み方ですが、私は何の疑問もなく「かざんいん」と読んでいました。手持ちの人名辞典を見ましても「かざんいん」で載っております。
しかしネットで検索したところ、華道の「紀宮花山院流」の「花山院」は「かさのいん」と読むそうです。花山院藤原政長卿が流祖の一人とのことです。
http://www.kadou.info/index2.html

>ゆゆ様
お久しぶりです。
>むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる
この「むらさき」は染料としての紫草で、「むらさきの色」は、「紫草の根で染めた色」という意味になります。「濃紫(こむらさき)」と呼ばれた色がそれに当たります。黒に近いような、深い紫色です。
「紫草の染料で染めた色というのではないが、私の心は深く染まってしまったことだ。あの人を深く思い初めて」。
「そめ」は「染め」「初め」の掛詞で、「紫」または「色」の縁語になります。
一見簡単そうで、解釈してみようとすると、結構複雑な歌ですね。(と、私も今回初めて認識しました。)
この機会に、千人万首の醍醐天皇のページを少し詳しく書き直しておきました。

>むらじ様
またまたありがとうございました。

>宗良親王の歌に、
>あかで散る花のまぎれに別れにし人をばいつの春かまた見ん

確かに哀傷歌にしてはあまりに浪漫的と言いましょうか。
おっしゃる通り、現代の卒業式のシーンにも「はまる」ような歌ですね(「春なの〜に〜」云々という歌謡曲もありましたっけ)。
世の秀歌選などにも採られていない、ほとんど知られていない歌ですが、宗良親王の資質が発揮された秀詠の一つと思います。

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TIME : 2003/04/19(Sat) 22:13:38
NAME : 水垣
TITLE: 花山院愛徳「仙宮」

奥村さんより画像を送って頂きましたので、こちらに掲げます。



画像をクリックすると拡大画像(ファイルサイズ約100kb)にリンクします。
花山院愛徳は書の名家でもあったようですが、さすがに堂々たるものですね。
奥山さん、まことにありがとうございました。
なお、改めて丁重な謝辞を頂きましたこと、むらじさんにお伝え申し上げます。

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TIME : 2003/04/19(Sat) 23:25:03
NAME : むらじ
TITLE: 「仙宮」

さっそく拝見しました。
想像した以上に素晴らしい手蹟ですね。躍るような流麗さ、とでもいったらよいのでしょうか。
お蔭さまで、心洗われるひとときを得ることができました。
奥村様のご高配に感謝いたします。これからもよろしくお願いいたします。

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TIME : 2003/04/19(Sat) 23:40:02
NAME : 水垣
TITLE: 訂正

下の記事で奥村さんのお名前を一箇所間違えてしまいました。
×奥山さん→○奥村さん
まことに失礼いたしました。お詫び申し上げます。
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TIME : 2003/04/20(Sun) 09:26:19
NAME : 奥村 丞
TITLE: 謝意

水垣様、むらじ様のお教えにより花山院愛徳 「仙宮」に付きしっかり勉強が出来ました事、感謝いたします。
それにより平安神宮献茶祭拝副席が設けられました勅使館の床が晴れましたこと申し添えます。
その軸装をこの度、水垣様のご好意により掲載していただきました事、重ねて敬意を表します。有難う御座いました。また、いずれ実物をご高覧頂く事あれば幸甚です。
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TIME : 2003/04/20(Sun) 16:09:12
NAME : 紀州の姫
TITLE: 桜のお献茶祭

私、4月16日に平安神宮のお献茶祭に参加させて頂きました。勅使館拝服席のお床に掛けられました花山院愛徳筆の「仙宮」を拝見し、お目出度き日に相応しい由緒あるお軸であることは解かりましたが、それ以上の事は良く解かりませんでした。ところが、この度この掲示板にて奥村様のお尋ねにより、水垣様、むらじ様の打てば響くようなご返答と申しますかお教えを頂き、私までもが大変に勉強させて頂きました。また、拡大画像により、お軸を改めてゆっくりとしっかりと拝見出来ました事はこの上ない喜びで御座います。嬉しくて、奥村様、水垣様、むらじ様に感謝の気持ちを表したく投稿させて頂きました。有り難う御座いました。





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TIME : 2003/04/20(Sun) 16:36:09
NAME : 紀州の姫
TITLE: 桜のお献茶祭(2)

先程、奥村様、水垣様、むらじ様にお礼を言いたくて
投稿させて頂きましたが、実は掲示板投稿なんて全く初心者で色も文も読みずらく、申し訳ありません。
感謝も気持ちだけをお伝え出来れば、と思います。
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TIME : 2003/04/20(Sun) 17:30:37
NAME : 水垣
TITLE: RE:桜のお献茶祭

>紀州の姫様
お茶席に参加された方からご投稿頂けるとは、嬉しい驚きです。
私は大したことしておりませんので、それ程感謝されるに値しませんけれども。
このような機会を与えて下さった奥村様、助け船を出して下さったむらじ様に、改めてお礼を申し上げたい気持です。

薄めの色を選ぶと、読みづらくなってしまうのは確かですね(私には十分読めますが)。適当でない色の選択肢を削除できると良いのですが、こちらのレンタル掲示板はそういう仕様になっておりませんので、ご容赦下さい。
字が薄くて読みづらい場合、文頭にマウスポインタを置いて、文末まで所謂「クリック&ドラッグ」(左クリックしたままポインタを引っ張る)してみて下さい。色が反転して読みやすくなると思います。

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TIME : 2003/04/20(Sun) 22:42:42
NAME : 紀州の姫
TITLE: 有り難う御座いました。

水垣さま
早速「クリック&ドラッグ」してみて驚きました。
とても読みやすくなり、この様な事まで教えて頂きまして、なんだか冷や汗が出ております・・。

この度の花山院愛徳筆「仙宮」を機に、皆様のも拝読させて頂いております。
無知な私など、とても参加出来るものではないと自覚致しましたが、皆様の世界に触れさせて頂きます内にどんどん引き込まれ、時の経つのも忘れてしまいます。
これからも少しずつ勉強というか、楽しませて頂こうと思います。



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TIME : 2003/04/21(Mon) 11:00:01
NAME : ゆゆ
TITLE: 和歌ってなんて綺麗なんだろう。

水垣様、むらじ様、むらさきの歌の解説をありがとうございました。醍醐天皇のページも更新されていて嬉しいです。
人を想う心を色が染みることに映して読むなんて、深くてゆかしい感じがしみじみきます。
大好きな歌になりました。
しかし私ってば、今度は根本的に間違った読み方をしておりました;;
紫という色自体が心を持っているわけではないのに人の心に深く染みわたってくる、不思議な色。
という意味だと思ってました!!ごめんなさい;;ほんとにごめんなさい;;
昔の文法って難しい〜〜〜(泣)。
水垣様、いつもこんな私に丁寧なお返事を下さり、本当に感謝しております。これからもできれば見捨てずにお教えいただけたら嬉しいです。
そして、むらじ様、私もいつも、歌が読まれた背景をてらした意味と、歌ひとつで読んだ感じとのギャップが気になるのです(文法を間違ってとらえるのは問題外ですが;)。
幾通りもの楽しみ方が出来るのが良い、とも思います。
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TIME : 2003/04/21(Mon) 21:29:59
NAME : むらじ
TITLE:  

>紀州の姫様
どういたしまして。
今回のことでは皆様から過分のお言葉を頂き、却って恐縮しています。それにしても、なんだかとてもいいことをしたような・・・とてもいい気分であります。(^^)
>ゆゆ様
私めもじつにあやふやな読解力しか持ち合わせない半可通です。
それよりもよい歌を見つけ出して話題を提供してくださるゆゆ様の確かな審美眼に敬意を表します。
醍醐天皇のお歌は一段、格が違うという風情がありますね。
藤原敦忠の有名な歌に
逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔は物も思はざりけり
というのがあります。
「千人万首」にも書かれていますが、これは想いを遂げた恋人の、のちの苦悩を詠んだ歌です。
でも、この歌に触れたとうじの私は、誰かを想い初めたばかりの人のもっと清新な気分を詠んだ歌だとばかり思っていました。和歌というのは難しいなぁ、と感じた遠い昔の失敗談です。

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TIME : 2003/04/21(Mon) 22:34:30
NAME : むらじ
TITLE: 紫

つれづれに、紫の歌をあつめてみました。


紫の雲ぞとみゆる藤のはないかなるやとのしるしなるらむ
藤原公任     拾遺和歌集・金葉和歌集

紫、というと藤の花を連想した歌が多いようです。
そうすると季節は春、と、紫という色じたいが特定の季節にひいきしているかのように春の歌に多用されているように見受けます。
ところで前者の詞書には、
左大臣のむすめの中宮のれうに、てうし侍りける屏風に
とあります。
藤原道長の娘が入内したときに、有力廷臣の和歌をちりばめた屏風をもたせたそうです。とうぜん一種の政治的デモンストレーションだったりするのですが、この一首がそのおりのものだとすると、どことなく幻想的な歌の調べにややなまぐさいものが混ざってしまうようです。
藤、から藤原に転化してしまうのでしょうか。イメージでソンをしてしまうのももったいない話ですね。

ちょっと気になる歌がふたつほどあります。

むらさきの色に出てはいはねとも草のゆかりをわすれやはする
二條院讃岐  玉葉和歌集

むさし野におふとしきけば紫のその色ならぬ草もむつまし
小野小町  続古今和歌集

これ、私の読解力ではどうにもなりませぬ。
かなり美しい歌と見えるのですが。

はたして、紫とは何なんでしょうか?色?花?それとも心の中?
身近な人に「しょうゆ」といわれ、興ざめるむらじだったりするのですが・・・・・・(ーー;)

色みえでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今797)
小野小町

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TIME : 2003/04/23(Wed) 00:34:32
NAME : 水垣
TITLE:  

>紀州の姫様、
私も茶道などは全く無知で、日本の伝統的なものごとをもっと色々勉強したい・勉強せねばと思っている身です。普段は閑古鳥が鳴いていることの多い掲示板ですが、またお気軽に参加して頂ければ幸いです。

>ゆゆ様、
>紫という色自体が心を持っているわけではないのに人の心に深く染みわたってくる、不思議な色。
>という意味だと思ってました!!ごめんなさい;;ほんとにごめんなさい;;

そんな、泣かないでください(^^;
いやしかし、ゆゆさんの解釈で歌を読み直してみると、確かにそういう意味の歌として読めるような気がしてくるから不思議です。

 むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる

文法云々よりも、和歌の場合、いくつかのお約束を覚えてしまえば良いと思うのですが。恋歌の場合なら、たとえ「われ」という語がなくても、大抵「われ」の立場から詠まれている、ということが一つのポイントです。たとえばこの「心」は「心」一般ではなくて、「わが心」。また、恋歌で単に「人」とあったら、それは大抵「恋人」のことです。その二つを踏まえて読むだけでも、ずいぶん分かりやすくなるのではないかと思います。

ご質問は歓迎しますよ。できたらまた「ゆゆさん的解釈」を添えて質問して下さい(笑)。

>むらじ様
私も「紫」というと、しょうゆ、じゃなかった藤の花を思い浮かべます。実際そういった歌が多いのではと思います。あと、桃屋の江戸紫、じゃない、「紫のゆかり」ですね。
「紫のゆかり」というのは、古今集雑のよみ人しらず歌、

 紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る

に由来する語です。「一本の紫草のゆえに、広い武蔵野の草を全部が全部、愛しく思って見る」。この歌から、「紫のゆかり」「草のゆかり」で親類縁者などを意味するようになりました。こういうのも和歌の「お約束」の一つで、それを知れば「なーんだ」と思うような場合が多いと思います。

>むらさきの色に出てはいはねども草のゆかりをわすれやはする
>二條院讃岐  玉葉和歌集

これは親戚の叔母さんから「たまには言葉をかけてね」と歌を贈られた二条院讃岐が「はっきりと言葉に出しては申しませんが、深いご縁のある叔母さんのことを忘れたりしましょうか」と答えた歌です。古今集の歌の典型的な本歌取りです。

色というテーマで和歌を考えるのも、面白そうですね。

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TIME : 2003/04/24(Thu) 15:11:21
NAME : せきど
TITLE: とってもはずかしい・・

皆さんの、和歌に寄り添うような書き込み、ため息まじりに拝見しております。
なのになのに、「紫のゆかり」で私の頭に浮かんだのは、梅干しの紫蘇を干して粉にした‘ふりかけ’、おにぎりにまぜると美味しいあれでした。食い意地はってて恥ずかしすぎますね>ほんとに泣きたい。。。
和歌の約束ごと、折に触れよろしくお願いいたします。

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TIME : 2003/04/25(Fri) 08:07:02
NAME : 紀州の姫
TITLE: 興味深い“紫”の歌

むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる

すっかり覚えてしまいました。
歌も解釈もとても興味がありました。
そして、さらに“むらさき”の歌に触れて下さり、楽しくてつい読み入ってしまいます。

私が、さらに無知だなぁと感じましたのは、皆様が、
紫⇒藤の花⇒春・・・と連想なさるという所です。
恥ずかしながら私は、
紫⇒紫式部(お茶花に良く使います)⇒秋・・
と連想してしまったのです。
これも、またまた勉強になりました。

コソッと黙ってお勉強させて頂くつもりでしたが、私宛にお返事も頂き、「お気軽に参加を」とも言って下さいましたので、ついつい・・。

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TIME : 2003/04/25(Fri) 09:11:00
NAME : せきど
TITLE: 「紫」の連想

>紀州の姫さま
身をおく場所によって、関わっている世界によって、「紫」からの連想もさまざまに形をかえて行くのですね。
興味深いお話をありがとうございます。

私は、草木染めの少ない知識から、「紫」というとさめやすい色ということが浮かびます。
むらさきの色に・・・のお歌も、さめやすい心の歌かと・・(ああ・・墓穴を)。まったく逆の意味ですね、パソコンの前でひとり赤面しておりました。
ゆゆさま御紹介むらじさま水垣さま解釈のこのお歌、わたしもとても気に入りましたので、皆様の紫の連想を思い浮かべながら、条幅の課題に書いてみようと思います。
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TIME : 2003/04/26(Sat) 00:42:12
NAME : 水垣
TITLE: RE:「紫」の連想

>せきど様
思わず台所に行って「ゆかり」のふりかけを探してしまいました。
あれは香も良くて、なんか気分がすっきりしますよね。
なぜあの粉末状のものを「ゆかり」と言うのか気になってちょっと調べてみたら、「しその色の紫色を『縁(ゆかり)の色』と呼んだことに由来する」とあって、やはり古今集の歌から来ているんですね。
せきど様の連想はちゃんと和歌につながっていたわけです(笑)。

「和歌の約束ごと」、なるべく気にかけて書くようにしたいと思います。

>紀州の姫様
>恥ずかしながら私は、
>紫⇒紫式部(お茶花に良く使います)⇒秋・・
>と連想してしまったのです。

これは私にとっても思いも寄らなかった連想で、面白く思いました。
紫式部というと、花と言うより実が美しいあれですね。言われてみれば、お茶席には何とも似つかわしい気がします。

醍醐天皇「むらさきの色に…」の御製は、覚えやすい上に、何度口ずさんでも尽きない味わいがあって、愛誦歌と呼ぶにふさわしい作品ですね。皆様のご意見を拝見して、私もこの歌の良さが心に沁みて分かったような気がします。

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TIME : 2003/04/26(Sat) 16:29:15
NAME : ゆゆ
TITLE:  

こんにちは、皆様〜!
紫に対する色々なイメージを伺って面白く思っております。
水垣様の、紫とゆかりのお話、たいへん興味深いです。なぜ「紫」と書いて「ゆかり」と読むのか、ちょっと不思議だったのですが、まさか古今集からきているとはビックリです!
和歌がもとになって出来た読みや成句、もっともっとありそうですよね!
私が知っているのは、ひとつだけです。紀友則の

きみならで誰にか見せむ梅の花色をも香をもしる人ぞしる

これがもとで「知る人ぞ知る」っていう成句が出来たんですよね(……なんて、無い知識を絞って披露してみました;)。
和歌のお約束の話も勉強になりました。なるほど、心を「私の心」人を「あなた」と置き換えて読むと、簡単に意味がわかる(感動)!!
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TIME : 2003/04/26(Sat) 18:48:14
NAME : せきど
TITLE: 汗。。。

あはは・・・。
水垣さま、あたたかいフォロー、ありがとうございます。
私も気になって、かのふりかけのホームページに行ってみましたら、もとになったお歌がちゃんと記してありました。

紫のひともとゆえに武蔵野の草は皆からあはれとぞ見る  

やはりこのお歌だったのですね。(あれ?表記がちょっと違いますね)
ここ数日の「紫のゆかり」にまつわるお話を伺って、人名の○○ゆかりさんがあちこちで目にとまります。なんとはなしに、奥ゆかしい感じがします。名前が古典の和歌に由来するなんて素敵ですね、いいなぁ〜。
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TIME : 2003/04/27(Sun) 22:51:07
NAME : せきど
TITLE: 大正〜昭和初期のカルタその二

さっそく観て来ました♪
素朴で人間臭くて、お顔も体も丸みを帯びているせいか、とっても身近な感じがします。持統天皇の札に畳が描かれていないのをはじめて見たような気が。
水垣さん解説の>兵隊さん達の気晴らしの一時にさぞや活躍したのでしょう。←というのがなんだか意外でした。でも考えてみれば、会えない恋人への想いや別れ、密かに心重ねる歌があったかも知れませんね。


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TIME : 2003/04/28(Mon) 14:29:36
NAME : 水垣
TITLE:  

>ゆゆ様
>きみならで誰にか見せむ梅の花色をも香をもしる人ぞしる
>これがもとで「知る人ぞ知る」っていう成句が出来たんですよね
その話、私も何かで読みました(大岡信氏の本でしたっけ?)

>和歌がもとになって出来た読みや成句
「どこかに雲隠れした」なんて言いますね。この「雲隠れ」は、もとは歌語だったろうと思います。

 百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(大津皇子)
 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲隠れにし夜半の月かげ(紫式部)

紫式部の歌の「雲隠れ」は友達がいなくなってしまったことの比喩として言っているので、今と似た使い方です。こういう婉曲な表現は、最初から口語として使われていたとは思いづらいですから、文学的表現が先にあって、その後日常生活にまで浸透した例ではないかと思います。

無実の罪を被ることを「濡れ衣を着せられる」と言いますが、平安時代の和歌でも同じような意味で使っています。

 かきくらしことはふらなむ春雨に濡れ衣きせて君をとどめむ

古今集の読人不知歌です。「いちめん空が曇ってきた。どうせなら雨が降ってほしい。春雨のせいにして、あなたを留められるから」。この場合はもともと成句だったのを歌に用いたものでしょうが、今でも同じ成句が生き残っているのは、この歌の後、和歌や物語に盛んに使われ続けたためではないかと思います。

それから、お菓子の「もなか」。これの由来は、

 池のおもに照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋のもなかなりける(源順「後撰集」)

だという説があるそうです。本当かどうかは知りません。
話を食い意地の方へ引き戻してしまったような……(^^;

>せきど様
>名前が古典の和歌に由来するなんて素敵ですね、いいなぁ〜。
「ゆかり」さんは私の知合いにもいますが、ご本人は古今集と縁があるなんてことはちっとも思ってなさそうな顔してお暮らしです。
これは有名な話でしょうけど、かつては女優さんの芸名を百人一首から取ることが流行ったそうですね。

淡島千景
淡路島かよふ千鳥のなく声にいく夜寝覚めぬ須磨の関守
有馬稲子
有馬山いなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする

ところで、せきど様のハンドルネームは「関戸本古今集」から取られたのかなと思ったのですが、違いますか? 書をやっておいでとのことなので…。

カルタのページ、さっそく見て下さってありがとうございます。
古いカルタは制作された時代が判りにくい物が多いのですが、今回のはその点珍品かもしれません。
カルタ取りは多人数でできる遊戯ですから、隊員の親睦のためには格好だったんじゃないかと思います。明治育ちの人たちは一般に和歌の教養が豊かでしたから、きっとみんなで楽しめたでしょう。
今だったら、やっぱりテレビゲームかな?

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TIME : 2003/04/28(Mon) 16:09:29
NAME : sion
TITLE: 和歌由来のこと

水垣様&ゆゆ様、お久しぶりです。せきど様・紀州の姫様・むらじ様・奥村様、はじめまして!
しばらく忙しくて、掛軸や紫の歌のお話で盛り上がっていた時もロムがやっとでした〜。ようやく一息ついたところ、また楽しい話題が始まっていて、嬉しいです。

「雲隠れ」が和歌に由来するとは、思いつきませんでした。言われてみれば納得!です。
私も何かないかと探してみたんですが、無い知恵をいくらしぼっても、良い例が浮かびません。
奈良県の「春日」「飛鳥」などは、たしか枕詞に由来する宛字が定着したものですよね。はるひの かすが、とぶとりの あすか。
「たなばた」を「七夕」と書くようになったのも、たしか万葉集から?(あやふや)
う〜ん、それくらいです。

>古典に由来するお名前
私も憧れます(せめてHNはそれっぽいのにしました……って、ローマ字ですけど)。
水垣さんのお名前も万葉集の歌から取られたんですよね。
最近の女の子は万葉仮名っぽい名前が多いですし、「葵」「さくら」「楓」みたいな純和風(かな?)の名前も復活傾向なんだそうです。
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TIME : 2003/04/28(Mon) 17:54:37
NAME : 紀州の姫
TITLE: ついていけない私・・

皆様の高尚なお話にはただただ感心しております。
無知な私はとてもついていけませんが、楽しいです。
そして、だんだん賢くなるような気が致します!?

新しい話題になっていますのに私ったら今頃、マーケットで紫蘇の「ゆかり」を発見し(買った事が無かったので)やっと!製造元が解かり、そのHPを調べました!!
見つけました!

紫のひともとゆえに武蔵野の草は皆からあはれとぞ見る
「紫蘇」⇒「紫色」⇒「ゆかり」

嬉しくて書き込みしようと開けたら・・・、話はどんどん先に・・・。
今更恥ずかしいですね、ごめんなさい。

sion様、いきなりでとっても失礼ですが、sion様の古典に由来するそれっぽいとはどれっぽいのか、なんだかとても気になっています。
同じ響きで“紫音”さんて、おられるもので・・。


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TIME : 2003/04/30(Wed) 02:09:37
NAME : 水垣
TITLE:  

>sionさん、
お久しぶりです。
なるほど。春日・飛鳥という地名(というか書き方)は枕詞の生き残りみたいなものでしょうか。実際この二つとも、上代の歴史の匂いを残した稀少な土地ですね。

>最近の女の子は万葉仮名っぽい名前が多いですし、「葵」「さくら」「楓」みたいな純和風(かな?)の名前も復活傾向なんだそうです。

そういえば、マタニティ雑誌の編集者の方から「やまとうた」のURLを掲載させてほしいとのメールを頂いてびっくりしたことがあります。「赤ちゃんの名前をつけるのに参考になるWEBサイト」の一つに選ばれたということでした。もちろん喜んで承諾のお返事を出しましたが、お役に立ったとは思えないのですが。

>紀州の姫様
>話はどんどん先に・・・。
いえいえ、和歌由来のお話は、もとはと言えばゆゆ様の「紫の歌」からずっとつながっていますので、全然問題ありません。どうかご遠慮なく。

>マーケットで紫蘇の「ゆかり」を発見し(買った事が無かったので)やっと!製造元が解かり、そのHPを調べました!!

「ゆかり」の実物の発見を通して、再び「ゆかり」の歌に辿り着いた――というところがドラマですね(笑)。
私は引用して下さった歌から検索して、某食品会社のオフィシャルサイトをつきあてました。「ゆかり」がその社の登録商標になっていたとは意外でした。
しかし、なかなかみごとなネーミングだなと…。私の頭の中では「ゆかり=紫蘇の香」という式がもうしっかり出来上がってしまっています。

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TIME : 2003/04/30(Wed) 11:55:55
NAME : ゆゆ
TITLE: 言葉って面白いですね。

皆様、こんにちは〜!いつも楽しく学んでおりま〜す。

最近の赤ちゃんの名前ランキングでは、うしろに「子」がつく名前が上位10位以内から消えたそうですね。私の本名は子がついていて、とても気に入ってる名前なので、ちょっぴり寂しいです。

「飛ぶ鳥の明日香」
なぜ明日香の枕詞が「飛ぶ鳥の」なのか、ネットで調べてみたのですが、一説では、中国の神話では日(太陽)には鳥が飛んでるらしいのです(ちなみに月には兎)。「明日香」という地名には「日」が入っている。つまり鳥が飛んでいる!……というわけだそうです。「ゆかり」にしても「飛鳥」にしても、なんだか連想ゲームみたいで面白いですね!

紀州の姫様、私も専門的な話になると全然わからないんですよ〜;いつも皆様から、いろんな知識を吸収してます(笑)。
紀州の姫様やせきど様のように、お茶や書をたしなんでらっしゃる方のほうが余程、高尚だと思いますが。
私なんて、ただの会社員ですよ(笑)。残業が多すぎて習い事をする時間も無く(泣)、専らネットサーフィンが趣味になっているんです。今だって、仕事の合間に上司の目を盗んでカキコんでるんですよ〜!
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TIME : 2003/04/30(Wed) 16:22:13
NAME : sion
TITLE:  

紀州の姫さま、新しい話題が始まったような書き方をしてしまって、余計なお気遣いをさせてしまいましたm(_ _)m
「ゆかり」のふりかけ、食べた覚えがないのですが、なんだか美味しそうで、私も探してみようと思いました^^

私のHNですが、紫苑の花が好きなので、それをローマ字書きにしただけなのです(歴史的仮名遣だとsiwonになりますが)。
どこが「古典っぽい」のかと聞かれれば、返答に窮するのですが……(^^;
一応、古今集や源氏物語にも「紫苑」が出て来るからということで。
「紫音」さんというHNの方がいらっしゃるんですね。実は私もこの字にしようか(「紫苑」さんは何となく多そうなので)と迷ったことがあるのです……。

>水垣さん
「やまとうた」、ついにマタニティ雑誌にまで進出したんですね。
十数年後、「私の名前は水垣さんのサイトを見て親がつけてくれました」なんて書き込みがあるかもしれませんよ(笑)

>ゆゆ様
>なぜ明日香の枕詞が「飛ぶ鳥の」なのか
そんな神話があったんですね。この枕詞のイメージが一変しました!
私も最近は仕事場からアクセスしてますー。忙しくなると、家に帰ってもパソコン起動する気力が残ってないんですもの。こうしてこっそりネットを見て廻るのが憩いのひと時です。

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TIME : 2003/05/01(Thu) 00:42:00
NAME : むらじ
TITLE:  

sion様はじめまして。
過去ログを拝見して以前よりお名前は存じ上げておりました。新参者ですがなにぶんよろしくお願いします。
紫苑の花、雅びですねえ。でも勅撰集とかで見かけることのない花のように思えます。どうしてなんだろう。
たとえば菊の花は奈良の終わりは平安のはじめに入ってきた、というように、花にも歴史がありますから、日本に根づいたのが比較的新しいのでしょうか。
ゆゆ様
「子」のつく名前は歴史が古いですね。
女性名としての初例は藤原光明子でしょうか?
以前「日本の女性名」という本が出ていたのですが、なぜか上巻だけ入手できず、読む気になれずにおわった記憶があります。
私も仕事、忙しいです。
最近はそれほどでもありませんが、以前は我に返るのが土曜の夜で、日曜の夕方にはもう月曜のことを考えておちつかなくなる、という精神状態でした。
あのころ日本三代実録を通読できたのは、たぶんまだ若かったせいだろうと今でも思っています。
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TIME : 2003/05/01(Thu) 07:10:49
NAME : 紀州の姫
TITLE: 花言葉「君を忘れず」

>sionさま
こちらの方こそお気を遣わせてしまいまして、
ごめんなさい!
そして、紫苑さまと教えて頂き有り難う御座いました。
紫苑の花は、柔らかい色の優しいお花ですね。
花言葉は、興味あって調べてみましたら、
「今昔物語・兄弟二人殖萱草紫苑語」からのようでも
ありました。
私の方の“紫音”さまは実名なのです。
でも、和歌由来ではなく音楽由来なんですが・・。

>ゆゆ様
お優しきお言葉を有り難うございます。
ゆゆ様やむらじ様の“紫の歌”が、久々に和歌に接した私にはとても楽しく思えました。
和歌がもとになって出来た読みや成句、和歌の約束ごとのお話など、私も楽しんで勉強させて頂いております。

でも、sion様もゆゆ様も上司に見つからないように
なさって下さいませね!

>水垣さま
パソコンも初心者なら和歌も全くの初心者で済みません・・。
いつもお優しきお返事を頂き、感激しております。
しつこいようですが、私にも昔(?)習った“紫”の歌を何となく思い出しました。

紫のにほえる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋ひめやも

そして、迷っていたのですが・・・、
思い切ってお尋ねしたいことがあるのです。
それは、薬師寺の仏足跡歌碑の中にある一節なのです。

「巳乃美阿止夜与呂豆比加利乎波奈知伊太志
 毛呂毛呂須久比和多志多麻波奈須久比多麻波奈」

万葉仮名を使っての五七五七七七の二十一首の中の
一首です。
仏教経典に拠るとされていますが、私にはそれ以上の事は全く解かりません。
お読み下し頂ければ幸いに存じます。

この中の一節、
『夜与呂豆比加利乎』(やよろずひかりを)
を、お茶杓の御名として付けて頂きました。
宜しくお願い致します。
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TIME : 2003/05/02(Fri) 00:26:55
NAME : 水垣
TITLE: 仏足跡歌

>紀州の姫様
>紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも

そうそう、これを忘れていました。額田王が「茜さす紫野ゆき…」と歌い出したのに対して、大海人皇子は「紫のにほへる…」と応じたんですね。

>「巳乃美阿止夜与呂豆比加利乎波奈知伊太志
> 毛呂毛呂須久比和多志多麻波奈須久比多麻波奈」

「この御跡(みあと) やよろづひかりを 放ち出(いだ)し
 もろもろ救ひ わたし給はな 救ひ給はな」
でよいかと思います。
岩波古典大系の「古代歌謡集」に載っていたはずで、確認できれば良いのですが、いま本が手もとにありません。でもこれ以外の読み方は多分あり得ないだろうと思います。
「やよろづひかり」は「八万光」ですね。仏の慈光の広大さを無上の大数で表したものでしょうか。
「お茶杓の御名」がどういう意義を持つのか、恥ずかしながらよく分からないのですが、大変めでたくありがたい御名ではないかと思いました。

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TIME : 2003/05/02(Fri) 09:01:50
NAME : 紀州の姫
TITLE: 有り難うございました。

>水垣さま

早速にお読み下し頂き、本当に感謝感激しております。

三月に薬師寺の講堂落慶法要がございましたが、
ご縁有りまして旧講堂の古材で作られましたお茶杓が
手に入りました。
そして、松久保秀胤管主管長さまのお手書きで
お箱の裏書に「巳乃美阿止・・」の歌を、
お茶杓の御名として『夜与呂豆比加利乎』を書いて
下さいました。

私はまだ茶道歴浅く、ただの楽しみとして小さな流派で
お茶を学んでいるのですが、その私にはこのような
お茶杓は「猫に小判」「豚(ちなみに私は痩せておりますが)に真珠」でした。

「お茶杓の御名」がどういう意義をもつのか・・?
家元に伺ってきます(^^ゞ・・・・(すみません)。

お茶杓は先日の「仙宮」のお軸のように、お茶席で
使わせて頂きましたなら、その謂われをお席の皆様に
ご説明させて頂くのです。
いつかどこかのお茶席で私のお茶杓を使わせて頂く事がありましたなら、しっかりとご説明させて頂こうと思います。
本当に本当に、有り難うございました。m(__)m

和歌の方もまた少しずつ楽しみに学ばせて頂きます。
今、人生が広がったような嬉しい気持ちでおります。
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TIME : 2003/05/02(Fri) 19:20:16
NAME : sion
TITLE:  

皆様、こんばんは。今日は職場にひとり残り、のんびりやってま〜す。

むらじ様、こちらこそよろしくお願いいたします。

>紫苑の花、雅びですねえ。でも勅撰集とかで見かけることのない花のように思えます。どうしてなんだろう。

紫苑という名からして漢語ですものね。やはり古くから日本に根付いていた植物ではないのでしょうか。花の風情は日本的な感じを受けるんですけど…。
紫苑そのものを詠んだ和歌は、見つかりませんねえ。残念でなりません!! ほんの少し、物名歌の題として詠まれたことはあるようなのですが。
平安時代の物語や随筆・日記では、衣裳の描写などによく出てきますね。「紫苑色」は貴族に好まれた色だったようです。
私もあの透明感のある淡い紫が好きで。

紀州の姫さま、
>花言葉は、興味あって調べてみましたら、
>「今昔物語・兄弟二人殖萱草紫苑語」からのようでも
>ありました。

これは初めて知りました! HNに使っていながら、花言葉の由来も知らなかったとは。
早速検索してみましたら、お話のあら筋が分かりました。忘れ草の萱草に対し、忘れな草の紫苑なんですね。この話はとっても気に入りました。お教えありがとうございました!
紫音さまは実名でしたか。素敵だなあ(ため息)。

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TIME : 2003/05/05(Mon) 07:21:38
NAME : 水垣
TITLE:  

皆様、おはようございます。
ゴールデンウィークも最終日となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
私は昨日近場の山に登って、久々に良い空気を吸って来ました。

>紀州の姫様
お役に立てましたら幸いでした。
そのように奇しき仏縁のあるお茶杓だったのですね。きっと紀州の姫様の日頃のご精進の賜物ではないかと拝察いたします。
茶道についての解説サイトを見つけて、私も少しずつですが勉強しているところです。茶人の方々にとってお茶杓は非常に意義深いもののようですね。

>sionさん
お仕事の合間にこっそり見てくださっている方が多いようで。「やまとうた」は、もともと私自身が自分でそうしたいと思って作ったサイトなので、本望です(笑)。

物名歌以外で紫苑を詠んだ歌ですが、新編国歌大観からいくつか拾ってみました。

  しをに  作者不明(古今和歌六帖)
むらさきの花結ひしつと付けし緒に思ひは深く結びこめてき

  草花色々、石山法楽  木戸孝範(源孝範集)
をみなへししをにあさがほ藤ばかまいづれを秋の色としもせん

  加藤千蔭(うけらが花)
露ふかみしをに咲く野の秋の月うつろふ影もうす色にして

和歌では紫苑は「しをに」と表記するのが普通のようです。
他に良寛の長歌にも出てきましたが、長いので略。
一首目は「し緒に」に「しをに」を隠した物名歌ですが、内容としても紫苑の花を詠んでいるように受け取れます。
二首目は室町時代の歌。憶良の「萩の花をばな葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花」の本歌取りですね。
三首目は江戸時代の歌。これは紫苑の花の情趣をよくつかんでいる歌ではないかと思います。

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TIME : 2003/05/05(Mon) 09:46:34
NAME : せきど
TITLE: みなさま、おはようございます

水垣さまは山登りでしたか、山の空気はさぞおいしかったことでしょう。つれあいにゴールデンウィークがないもので、片づけものなどして過ごしております。(地味〜)

へぇぇ、「紫苑」は「しをに」ですか、水垣さんが色を変えて下さらなかったら、見過ごしてしまうところでした。(笑)
このお花、今で言うシオンと同じものと思ってよろしいのでしょうか。野原でよく見かけるのはハルシオンですが、あれは色が紫ではありませんものね。

Re:関戸本古今集
レスが遅れてすみません。
水垣さま御推察のとおりです。
古典の臨書に関戸本古今集を選んで習っております。
目の前に広げてあったのでつい使いましたが、ちょっと後悔。だって、選んだ文字色も関戸の紙の色と同じで否応無しに思いださせられます。>手こずってるもので(笑)

わたしの書はとても高尚なんていう代物ではありませんよ〜>ゆゆさま、興味ばかりが先にたって腕たたずです。

お茶の世界の方、尊敬しております>紀州の姫さま。家業が「お茶」と言っている友人がおりまして、彼女と話しているとあらゆることに枝葉を伸ばしてきて、飽きることがありません。専門的なことにとどまらず日常的なこと、「食事は先の細い箸でいただいたほうが、美しく食べられるのよ」「ほら、触ってみて、化繊より絹のほうが触った時に温度が高いのよ」 人をもてなすことのために育まれた柔軟な感性にいつも脱帽するのです。

私も仕事の合間にこっそり、ってやってみたいなぁ。>sionさま
洗濯の合間に、では臨場感がありません・・。
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TIME : 2003/05/06(Tue) 17:14:37
NAME : sion
TITLE: しをにの歌

皆さまこんにちは。私は連休中、もっぱら日頃の寝不足の解消に励んで(?)おりました。
>水垣様
うわー、紫苑の歌、そんなにあったんですね。とっても感激してます。

>むらさきの花結ひしつと付けし緒に思ひは深く結びこめてき

これは紫苑の花を手紙に結びつけて恋人に送ったのかなと読めました。話題になっていた醍醐天皇の御製を思い出しましたが、この歌でも紫の色は「深い思いをあらわす色」なんですね。

>をみなへししをにあさがほ藤ばかまいづれを秋の色としもせん

秋の草花が競い合うように咲いていて、目移りしているのかな。昔は野原に行けば、こんな風景がどこでも見られたのでしょうか。

>露ふかみしをに咲く野の秋の月うつろふ影もうす色にして

これが一番好きです。紫苑の花の、薄いけれど深みがあって、透明感もある色の感じがよく出ているなと思いました。月との取り合せだけで、もう私は満足ですが(笑)。

本当にありがとうございました! まるで花束でも贈ってもらったみたいに嬉しいです(って何をうぬぼれているんだ>私)

4日はお天気も良かったですし、新緑の山はさぞかし気持よかったことでしょう。水垣さんが「近場」とおっしゃるのは、丹沢方面? 私もハイキング程度なら時々行くのです。

>せきど様
臨場感ですかぁ。あっ、今上司がこっちをにらんでます……なんて(笑)。
私の職場は夕方になると人が少ないので、気分的には割と楽なんですよー。自分がぐずのせいで、いつも忙しいことは忙しいんですけど。
お茶や書に嗜みのある方、美しいです。私もこの、仕事に明け暮れる日常をなんとかせねば……。

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TIME : 2003/05/07(Wed) 10:05:13
NAME : 紀州の姫
TITLE: アカシアの花

私の連休ですが、「藤の花」がまだどこかに残ってないかと探しに行きましたが、時すでに遅しで近くの藤棚にはもう花はありませんでした。
でも、「白い藤」といわれるアカシア【正式には贋アカシア(ニセアカシア)又は針槐(ハリエンジュ)】が青空の下、あちこちの大木にそれはそれは見事に咲いておりました。

開花直前のアカシアは「花のてんぷら」としても有名で
早速少しちぎって持って帰り(お花さん、ごめんなさい!)、ジャスミンにも似た香りの「アカシアのてんぷら」を賞味致しました。

水垣様の「しをに」の歌に、sions様の「解説」にて
楽しく勉強させて頂きました。

せきど様、家業が「お茶」のご友人がいらっしゃるって
いいですね。
洋の世界ばかりだった私も「茶道」をするようになってからは、ほんの少しは立ち居振舞いがしとやかになったのでは、・・・・と思っています。
が、誰も認めてはくれません。(^^ゞ

和歌の世界が茶道の世界と繋がっているようで、大変嬉しい事と思っています。
五月は「初風炉のお茶事」に招かれています。
楽しみです。


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TIME : 2003/05/07(Wed) 20:17:44
NAME : 水垣
TITLE:  

>せきど様
昔の和歌の「しをに」と今のシオン、たぶん同じものだと思います。「あさがほ」など、昔と今で名前が入れ変わってしまった例はありますから、同じ名だからと言って、同じ花だとは限らないわけですが…。
春紫苑は今頃の季節、よく見かけますね。

>Re:関戸本古今集
文字の色までは気づきませんでした(笑)。
平安時代の古今集の写本はどれも素晴らしいですね。関戸本は特に連綿体の美しさが印象的です。臨書してみればもっと深く味わえるのでしょうが、不精者の私は複製を眺めて溜息をついているばかりです。

>sion様
睡眠不足にはくれぐれもお気をつけて。「人間は熊等と違って食溜め・寝溜めはできない動物である」という説もあるそうですよ。
「しをに」の歌、喜んで頂けて私も嬉しいです。簡にして要を得た解説をつけて下さって、ありがとうございました。

>「近場」とおっしゃるのは、丹沢方面?
そうです。あまり近いとは言えませんが。
私もハイキング気分で登れるような山しか行きません。今回登ったのは大野山という山。750メートル位の低山ですが、それでも筋肉痛が…。情けない。

>紀州の姫様
山の方ではまだ藤や躑躅が盛りでしたよ。林床にはシャガの花が群を成していました。
贋アカシアは公園の植樹や並木になっているのでしょうか。私の近辺ではなかなか見る機会がありません。大木だとさぞや見映えがするでしょうね。
天ぷらにするとおいしいとは知りませんでした。いつか賞味したいものです。

>五月は「初風炉のお茶事」に招かれています。
お茶をやっておられる方々には、気持も新たに迎える季節なのでしょうね。
楽しい御席になりますように。

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TIME : 2003/05/09(Fri) 21:21:51
NAME : 八重葎
TITLE: 水底の歌

水垣様お久しぶりです。

ほのぼのと明石の浦の朝霧に..
についてお尋ねしたあと、人麻呂がどうしても気になって梅原博士の水底の歌を読んでしまいました。
貴HPにも人麻呂刑死説がひとつの説として
出ているのを拝読いたし、感慨深いものがありました。

所詮どんなに考証しても、白鳳時代のことは推理の域をでられない虚しさはありますが、私個人としては古今集の仮名序の矛盾(万葉集編纂の時期、人麻呂と平城天皇の関係、人麻呂の位階の問題等々)を史上唯一、解き明かしてくれる点だけでも胸のつかえがとれて良かったと思っています。

水垣様のご感想がお尋ねできればうれしいです。
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TIME : 2003/05/11(Sun) 16:15:05
NAME : 水垣
TITLE: RE:水底の歌

八重葎様、お久しぶりです。

梅原猛著『水底の歌』は新潮文庫に入ってから読んだのですが(それでももう二十年近く前になりましょうか)、とんでもなく面白くて、夢中で読み耽ったのを昨日のことのように覚えています。同じ頃書かれた『隠された十字架』等、一時は同氏の著書を読み漁ったものです。

雄大な構想力や、ダイナミックな論証法に惹かれました。しかも、提示した仮説というのが人麻呂刑死(水死)説なんていう、美しくも戦慄すべき詩そのものだったのですから、魅力を感じないわけにゆきませんでした。史実云々は、もはやどうでも良いような気も。

刑死説ばかりが有名になってしまった観もありますが、古今集仮名序をめぐる論証の方が、この著書の最大の山場だったかも知れませんね。少なくとも梅原氏の提示した構想の中では、おっしゃる通り完全に解き明かしてくれた、と私も思いました。読み終えてあれ程のカタルシスを与えてくれたんですから、そのうえ何を望みましょうか。

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TIME : 2003/05/12(Mon) 17:05:29
NAME : sion
TITLE: 新葉集

「解説」だなんて恐縮です。冷汗……(^^;

千人万首のおかげで関心を持ち始めた南朝歌人。先日、古い文庫本の「新葉集」をようやく入手して、少しずつ読み進めているところです。歌そのものは平明で親しみやすいのですが、歴史的な背景がよく分かっていないせいか、なかなか深いところまで理解が届かないもどかしさを感じています。やっぱり「太平記」とかも読まないとダメでしょうか……。

そうそう、新葉集にも「ゆかり」の歌を発見しました。

   暮春藤を              新宣陽門院
 明日までもなほ咲きかかれ藤の花春のゆかりの色ぞともみん

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TIME : 2003/05/12(Mon) 20:44:13
NAME : 八重葎
TITLE: 今は春辺と咲くや此花

水垣様

ありがとうございました。
特に仮名序に関してご同感とのこと
うれしくおもいます。

仮名序は誠にいろいろのことを教えてくれるようです。
安積山となにはずの歌から新たに古今集を勉強していこうかと思っております。

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TIME : 2003/05/12(Mon) 22:55:12
NAME : むらじ
TITLE:  

sion様
おひさしぶりです。
新葉集の文庫本て、岩波文庫のことでしょうか?
ちょうど大河ドラマで太平記をやっているころに再版になり、いまは品切れだったと思います。手に入れるの、大変だったのでは…
流派でいうと南朝が二条派、北朝が京極派と聞いていますが、どちらかというと過激な印象の強い南朝が保守的な二条派というのがちょっと不思議な気がします。
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TIME : 2003/05/13(Tue) 21:54:57
NAME : 水垣
TITLE:  

>sion様・むらじ様
私も新葉集の文庫本を持っていますが、戦前の雄山閣文庫です。岩波文庫は古書店でも見かけた覚えがありません。
大河ドラマに合せて再版された時が入手のチャンスだったんですね。
太平記は訳本、小説化したもの、解説本など、百花繚乱の観。興味の持てそうなものから読まれては如何でしょうか。>sionさん

>流派でいうと南朝が二条派、北朝が京極派
二条家は御子左家の嫡流で、京極家は庶流ですから、歌壇の勢力としては比較になりませんでした。野心家の為兼としては、保守的だった二条家の歌風に対し、革新的な歌風を興して一気に形勢逆転をはかった、という面も無きにしもあらずだったと思います。為兼を寵愛した伏見院の資質にも京極派の歌風はぴったり合ったので、持明院統=北朝は以後京極派を守り育ててゆくことなったわけですね。
この辺も歴史の綾と申しましょうか。

>八重葎様
>仮名序は誠にいろいろのことを教えてくれるようです。
本当にそう思います。幸か不幸か謎の宝庫ですし、和歌を考える場合の原点ではないかと。
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TIME : 2003/05/13(Tue) 22:12:11
NAME : むらじ
TITLE:  

>大河ドラマに合せて再版された時
どうですかねー。
岩波書店にそういう商売っ気があるのかどうか…
私は単なる偶然の一致とにらんでいます。
伏見院は奥さんの永福門院もいい歌詠みで、夫婦で京極派歌壇を盛り上げていたようですね。
伏見院の歌集をぱらぱらとめくってみたのですが、
生きて世にありとばかりはきかるとも恋忍ぶとは誰か伝へむ(玉葉集)
というのが目を引きました。
切ない片思いの歌ですね。
仮想の恋なのかもしれませんが、なに不自由ない暮らしをしていたであろう万乗の君にもこういう切ない恋を感じることがあったのでしょうか。なかなか情趣のある歌のように思います。
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TIME : 2003/05/13(Tue) 22:15:43
NAME : むらじ
TITLE:  

歌の世界ではあまり話題にならないようですが、
京極為兼という人はかなりの野心家だったようですね。
後年かれが捕縛されたとき、そのありさまを見ていた日野俊基が、「じぶんもかくありたいものだ」と呟いたという話が徒然草にあります。
かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂
というブッソウな歌がありますが、どうもこのお二人はそういう系譜上の人々でもあったようですね。
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TIME : 2003/05/15(Thu) 18:30:07
NAME : 水垣
TITLE:  

>むらじ様
早とちりをしてしまったようです(笑)。

天皇の恋歌については、丸谷才一氏が面白いことを言っていました。乱暴に要約させてもらいますと、天皇という立場で恋歌を詠むことは、民族の繁殖繁栄を祈ることにつながるのだ、ということです。この説にはびっくりしましたが、納得するところもあります。

昨日から風邪を引いてしまったようで、気分がすぐれません。梅雨寒みたいな嫌な天気です。皆様はお気をつけて。

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TIME : 2003/05/16(Fri) 08:20:37
NAME : 紀州の姫
TITLE:  

水垣さま
お風邪は大丈夫でいらっしゃいますか?
一言、お見舞い申しあげます。
どうぞ、お大切になさって下さいませ。
いつも皆様のお話を楽しく拝読させて頂いております。
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TIME : 2003/05/17(Sat) 13:52:18
NAME : sion
TITLE:  

むらじ様
あららっ、お返事遅くなってすみませんm(_ _)m
私が手に入れた新葉集の本、おっしゃる通り岩波文庫です。
インターネット古書店で検索して見つけ、送ってもらいました。岩波文庫のはまだ何冊か在庫があったようです。
昭和15年発行とある、とっても古い本ですが、予想していたよりはきれいでした。文庫本も意外と長持ちするものなんですね。

>流派でいうと南朝が二条派、北朝が京極派
私の場合、京極派の清新な自然詠や恋歌に魅力を感じますが、南朝の人たちの運命に立ち向かって行くような歌にも心ひかれてしまうところがあります。歌そのものより、歌からその人の人生を思い描いて感動するというか……。
和歌にはそういうところもあると思うのです。たとえば和宮の「空蝉の唐織衣なにかせむ綾も錦も君ありてこそ」のような御歌に感動してしまうのに似ているのかもしれません。

水垣さん、お風邪の具合いかがですか。私もなんだかここ数日喉の調子がおかしいです。最近のお天気、気持もふさぎます……。
ゆっくりお休みになって、早くよくなられますように。

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TIME : 2003/05/17(Sat) 16:04:16
NAME : 水垣
TITLE:  

>紀州の姫様・sion様
お気遣いありがとうございました。お蔭様で大分よくなりました。
熱は上がらないが喉・鼻・胃の変調を覚えるというおかしな風邪でした。それから眼の痛みが続いて、これには参りました。今は咳が残っている程度です。
sionさんもお大事に。
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TIME : 2003/05/17(Sat) 16:08:47
NAME : 水垣
TITLE: RE:京極為兼(亀レス失礼)

徒然草は例によって簡潔を極めた文章ですが、すごく印象に残りますね。
為兼大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、「あな羨まし。世にあらん思い出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。
捕われた時の為兼の堂々とした態度が目に浮かぶようです。為兼はいわゆる「肝の据わった」人だったのでしょう。カリスマ性も備えた、人間的魅力に溢れた人だったろうと思います。
型破りの行動力と言い、異常なまでの忠義心と言い、為兼と日野資朝には確かに似たところがありますね。佐渡に流されたという運命まで同じです。為兼は無事帰京したのに対し、資朝は流刑地で処刑されてしまうわけですが…。

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TIME : 2003/05/17(Sat) 18:24:32
NAME : むらじ
TITLE:  

水垣様
お風邪だったんですね。くれぐれもお大事に。
そういえば私も少々喉の調子がよくないです。ほんとに気候、かわりやすいですね。
sion様
戦前の本はある意味、終戦直後や戦局が悪化した昭和十九年以降のものよりも紙質がよいようですね。
いちど昭和二十年代の岩波文庫を買ったことがありますが、それこそわら半紙をぶった切ったみたいなすごい紙でした。
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TIME : 2003/05/19(Mon) 13:02:09
NAME : 水垣
TITLE:  

昨夜はここへアクセスできませんでした。PStownという所のレンタル掲示板を利用しているのですが、元締めのサイトも不通でした。

むらじ様
お天気のせいでしょうか、体調を崩される方が多いようです。お気をつけ下さい。
>岩波文庫
昭和十年代前半の本を何冊か持っていますが、本当に紙質は良いですね。いまだにツルツルしています。昭和三十年頃の同文庫と比べても増さっているように感じます。

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TIME : 2003/05/20(Tue) 18:22:35
NAME : 角田彰男
TITLE: 下紐を夕さりかけてときつれば 君が身ぞ縫う いとの島見ゆ

「下紐を夕さりかけてときつれば 君が身ぞ縫う いとの島見ゆ」この歌の出典を探しています。図書館で調べましたが判りませんでした。どなたか御存じでしたら御教示ください。また、歌のおよその解釈も御教示ください。宜しくお願いいたします。
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TIME : 2003/05/21(Wed) 00:40:04
NAME : 水垣
TITLE: RE:下紐を…の歌

『古今和歌六帖』巻五に見えます。校註国歌大系より引用します。

 下紐を夕さり懸けて解きつれば君がみぞ縫ふ絲の島見ゆ

新編国歌大観では、

 しらひもをゆふされかけてときつれば君が身ぞぬふ人のしまみゆ

という形で出ています。

「下紐を解く」は、男女が共寝することを暗示します。「君がみぞ縫ふ」の句がよく解りません。「絲の島」は、福岡県の糸島でしょうか。
「紐」「結ふ」「解き」「縫ふ」「糸」と、衣に関する縁語を列ねた諧謔歌のように見えます。
あるいは、第四句までは序詞で、内容的には「糸島が見える」と言っているだけかもしれません。万葉集の「ますらをのさつ矢手挿み立ち向ひ射る円方は見るにさやけし」の類ですね。

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TIME : 2003/05/21(Wed) 09:24:38
NAME : 角田彰男
URL : http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html
TITLE: お礼

水垣様
有り難うございました。上記HPの内容をこの度小説化いたしました。小説の中でこの句が出て来るのですが意味がよくわからず困っていました。おかげさまで意味を知り使用することができます。重ねて御礼いたします。
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TIME : 2003/05/21(Wed) 22:03:51
NAME : 水垣
TITLE: どういたしまして

角田彰男様
謎めいた歌ですね。どう解釈すべきか、いまだによく分かりません。ともあれ、お役に立てたのなら幸いでした。

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TIME : 2003/05/22(Thu) 02:42:09
NAME : 葉つき みかん
URL : http://www.geocities.co.jp/Milano-Kotto/1676/index.html
TITLE: 京極為兼について

私も詳しくは存じないのですが、たまたま訪れたHPで、彼の政治的な立場について詳しく紹介されていましたので、こちらにURLを載せておきます。もし興味があったらご覧くださいませ。
「モンスーン・ワークス(平頼綱さんについてのファンサイト)」http://members.jcom.home.ne.jp/monsoon/
「偽鏡オンライン」の中に入ったらフレームに「京極為兼」と表示されますので、クリックしますと表示されます。
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TIME : 2003/05/22(Thu) 21:24:41
NAME : Naked
TITLE: 下紐…の歌は

 情事の後でしょう。
@下紐を解く→何もつけていない身、
A夕さりかけて→薄闇のなかで、
B君が身ぞ縫ふ→体の線にそってみていくと、
Cいとの島みゆ→(お)いどが島のように目に入ってきた、ということです。
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TIME : 2003/05/22(Thu) 23:53:42
NAME : 水垣
TITLE:  

>葉つき みかん様
これは良いサイトを教えて下さいました。為兼の政治的立場も人となりも、短い文章ながら鮮やかに伝わってきますね。為兼がどんな人か関心をお持ちの方、ぜひ一読されては如何かと思います。
http://members.jcom.home.ne.jp/monsoon/

>Naked様
ご指摘ありがとうございます。
なるほど。下句も性的な暗喩かなとは思っていましたが…。だとしたら、王朝和歌には珍しいほどのセクシャルな歌ということになりますね。

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TIME : 2003/05/25(Sun) 13:13:28
NAME : Naked
TITLE:  

>水垣様
 拙劣な解釈にコメントいただき恐縮です。
 王朝の時代は、開放的な家屋の造りで、また人工の光がなく陰影に富んだ空間です。現代のような煩瑣なこともないでしょう。
 歌をつくる際も、身体的に考え思いを込めてつくるのだと思います。頭で考えるとセクシャルになるかもしれませんが、情事の情景は、それ自体、とても自然な情感として捉えられているのだと思います。
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TIME : 2003/05/25(Sun) 22:01:08
NAME : 水垣
TITLE: RE:下紐を…の歌

>Naked様
王朝和歌にしては表現が「セクシャル」だという印象を言いたかっただけなのですが…。
ところで、「王朝和歌」と口を滑らせましたが、古今和歌六帖は万葉時代の古歌や民謡風の歌も入っている歌集ですから、王朝和歌を基準にして読むのはまずかったかもしれません。

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TIME : 2003/05/26(Mon) 21:59:50
NAME : ためかぬ
TITLE: 居処

>古今和歌六帖は万葉時代の古歌や民謡風の歌も入っている歌集ですから、王朝和歌を基準にして読むのは・・

なんとなく、ぼんやり感じていたことが、すっきりしました。

素養もなく、ただうなづいて拝読するばかりですが、
最近では使わなくなってしまっており、思わず辞書で
調べて、はじめて、「いど」の漢字を知りました。
子供の頃は、「毎度、おいど!!」などとのやりとりで、
ふざけたりもしてましたし、丁寧には、「おみおいど」
ともいうなどと、教わったことなど懐かしく思い出され
ました。

皆様のHNの由来を読ませていただくにつれ、書き込みづらくなるばかりで・・
掲示板のないときに、メールをお送りした際に、何か変な
名前を使ってたはずが、すっかりわすれており、お尋ねした内容を、HNにしてしまいました。
水垣さまには、時がたっていたにもかかわらず、おぼえていただいてたので、大変うれしゅうございました。

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TIME : 2003/05/27(Tue) 01:35:14
NAME : 水垣
TITLE: RE:居処

ためかぬ様、お久しぶりです。どうしていらっしゃるかと思っておりました。

「いど」とか「おいど」とか、関西特有の言葉かと思っていましたが、どうなんでしょうね。「おみおいど」という言い方は初めて耳にしました(「おみおつけ」みたいなものでしょうか)。
漢字で「居処」と書くのも初めて知りました。確かに辞書にはそう載ってますね。なるほど、「すわるところ」ですものね(笑)。とすると歴史的仮名遣では「ゐど」ですね。

>掲示板のないときに、メールをお送りした際に、何か変な
>名前を使ってたはずが、すっかりわすれており、お尋ねした内容を、HNにしてしまいました。

最初メールを下さった時は、俵万智さんをパロディにしたお名前でしたね(笑)。
「ためかぬ」さんの「ぬ」ですぐ判りました。お忘れにならず掲示板に投稿して下さって、私の方こそ嬉しうございましたとも。

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TIME : 2003/05/27(Tue) 21:20:26
NAME : むらじ
TITLE:  

インターネットしていたらいきなり、
「きょうは百人一首の日」。
なんで???
と思ったら、文暦二年のきょう、完成したのだそうです(旧暦と新暦では日が違うので…というお話はまたにしませうね)。
明月記の原文をみてみるとずいぶん抽象的な書き方をしていて、「今日やっと完成した!」なんていうふうにはなっていないのですが…
また、これがほんとうに現代に伝わる百人一首かどうかは実はギモンである、なんて話もなにかで読んだような気がしますが。
というわけで、はなはだ内容のないレスになってしまいましたが、せっかくそういう日だということなのでついお邪魔してしまいました。
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TIME : 2003/05/28(Wed) 01:23:17
NAME : 水垣
TITLE: RE:百人一首の日

それは知りませんでした。「この歌がいいね」と定家さんが言ったから5月27日は百人一首記念日というわけですね。やはり日本カルタ協会とか、そういう所が制定したのでしょうか。

明月記文暦二年(1235)五月二十七日の記事は、「嵯峨中院障子色紙形を染筆して送る」とか書いてあるんですよね。宇都宮蓮生に頼まれていた色紙和歌を書いて、蓮生の別荘に送った、ということのようです。これが世に言う小倉色紙で、百人一首完成の日と見なされたわけなのでしょう。ただ同日の日記に「天智天皇より家隆雅経に及ぶ」とも書かれていて、後鳥羽院・順徳院の名が見えないので、これは百人一首でなく百人秀歌のことだと見る説もあります。

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TIME : 2003/05/28(Wed) 20:28:41
NAME : Naked
TITLE:  

1235(文暦2)年、藤原定家によって小倉百人一首が完成されました。
「きょうは何の日」サイトでも、断定的に書かれているわけではないようです。

 藤原定家の「明月記」の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられています。

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TIME : 2003/05/28(Wed) 22:09:07
NAME : むらじ
TITLE: そして今日は

在原業平が亡くなった日です。
「日本三代実録」にある話です。
本文を見ると業平のことをあんまりほめていないようにも取れます。
独断と偏見にみちた超意訳ですが、
「スタイルはいいんだけれど、マイペースでまわりのことなんかこれっぽっちも考えてなくて、学問もしないものだから仕事もろくにやらないけれど、とにかく和歌だけはずいぶん得意だった」
というところでしょうか。
(公平を期するため本文を掲げます。業平体貌閑麗、放縦不拘、略無才学。善作和歌。)
そこから、モテる男への嫉妬を読み取るのも自由ですが、いちおうこの書物を編んだのは藤原時平と菅原道真というほぼ同時代の人で(といっても時平の場合業平が死んだときにはまだほんの子供でしたが)、ほぼ同時期の宮廷で呼吸していた人が書いたという意味では本人とかなり近い場所からの人物評といえますね。
外見にたいする形容句としては、「容儀可観」(押し出しが立派だ)などというほめ言葉は六国史に散見されますが、業平に使われている「体貌閑麗」というのはほかではちょっと見かけたことのない単語ですね。
やはり当時からありきたりの言葉では形容できない一種独特の存在だったのでしょうか。
>Naked様
はじめまして。
ご指摘どおり「きょうは何の日」サイトで気がついてから「明月記」を見ました。
たしかに断定的な書き方はされてありませんね。
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TIME : 2003/05/28(Wed) 23:24:11
NAME : 水垣
TITLE: 業平1125回忌

またうかうかと気づかずに過ごしてしまうところでした。
今日、奈良の不退寺と京都の十輪寺で業平忌が営まれたはずです。

「日本三代実録」の業平評、面白いですね。
>「体貌閑麗」というのはほかではちょっと見かけたことのない単語ですね。
おっしゃる通りです。「閑」の字は「閑雅」などとも使いますから、「閑麗」は「雅やかな美しさ」を言う語なのでしょうか。現代の我々が抱いている業平のイメージに余りにぴったりなので、かえって驚かされます。
「放縦不拘」の句も、伝説の業平像に適合してるのが妙な程です。伊勢斎宮との禁忌の恋を思い浮かべざるを得ません(実際は役人としての勤務態度を言ってるだけかも知れませんが)。
「略(ほぼ)才覚無し。善く和歌を作る」これなんか、漢学の大家で和歌にも深い理解があった道真でなければ書けない文のような気もするのですが。
同時代の人たちが業平をいかに「独特な存在」として驚異や好奇の目で眺めていたかも、何となく伝わってくるような文章ですね。

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TIME : 2003/05/29(Thu) 17:43:38
NAME : 氷上
TITLE: 質問

古典のレポートで、式子内親王の
「わすれては うちなけかるる 夕べかな
    我のみしりて過る月日を」
という歌をしらべてるんですがいまいち読み取れ
なくて・・・
詞書もわかんないし(;;)
誰かわかる人、よければおしえてください。
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TIME : 2003/05/29(Thu) 21:31:12
NAME : sion
TITLE: Re: 質問

氷上さん、はじめまして。
この歌、私の大好きな歌です。皆さんがこの歌を読んで、どんな感想を持たれるか、とっても興味があります。
氷上さんが「いまいち読み取れなくて・・・」と言うことは、ある程度までは読み取れてるってことかな? だったら、氷上さんはどんなふうに読めたのか、まずそれを書いてほしいな、と思いました。
私などが出しゃばりかもしれませんが、私の解釈を書かせてもらいますね。

 わすれてはうちなげかるる夕べかな我のみしりてすぐる月日を

この思いを知っているのは私ただ一人。
夕暮になると、そのことをふと忘れてしまって、
あの人も私と同じ思いなのだ、きっと逢える――
そんな期待に捕われてしまうのだ。けれども
すぐまた我にかえっては、溜め息をつくばかり。
誰にも知らせず、もう長い月日を堪え忍んできたというのに。

ちょっとくどかったかしら(^^; 私なりの思い込みが激しく入り込んだ解釈ということで勘弁してくださいねm(_ _)m

☆因みに、この歌は、百人一首で有名な「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」と並んで出ていて、同じ時に詠まれた歌のようです。題は「忍ぶ恋」。いっしょに鑑賞すると良いかもしれませんね。

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TIME : 2003/05/29(Thu) 22:20:59
NAME : 氷上
TITLE:  

お返事ありがとうございます!!
私は「わすれては」という部分の主語がわからなくて
自分なりには

私の事をお知りになってから月日がたってしまったので
あなたは私のことをお忘れになったのではないかと
一人でもの思いにふけっている夕暮れ――

という感じに解釈したんですが、これだと「忍ぶ恋」に
ならないなぁと思って・・・
わたしも式子内親王は大好きなのでぜひ上手に
解釈したいと思っています。


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TIME : 2003/05/30(Fri) 00:03:19
NAME : 水垣
TITLE: RE:忘れてはうちなげかるる夕べかな…

sionさん、ありがとうございます。
心のこもった名訳だと思います。「忘れては」の「ては」に、ここまで深い意味が籠められていたわけですね。わたしゃ多分そこまで読み込めておりませんでした。

>氷上さん
>詞書もわかんないし(;;)
この歌の新古今集の詞書は、「百首歌の中に、忍恋を」ですね。
「百首歌」は、どの百首歌か不明ですが、式子内親王が一人で百首まとめて詠んだうちの一首ということです。当時は、百首歌という形式で歌を詠むことが多かったのです。勅撰集の資料になることも多かったので、歌人たちは全精力を傾けて百首歌を作ったものでした。
「忍ぶ恋」(または忍ぶる恋)とは、心に秘めた恋、告白することを我慢している恋、人に知られることを恐れている恋、といったようなことです。
式子内親王は立場上恋が許されなかったから…という解釈もあり得るでしょうが、この歌は「題詠」つまり虚構の作品ですから、一応個人的な事情からは離れて読むべきでしょう。
「忍ぶ恋」の限界を極めようとしたらどうなるか。その成果がこの歌や「玉の緒よ」なのかなという感じがします。

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TIME : 2003/05/30(Fri) 01:04:17
NAME : Naked
TITLE: 我のみしりて

二つの倒置をもどして、

「我のみしりて」(を)忘れては→『忍ぶ恋』だということをすっかり忘れて
「すぐる月日を」うちなげかかる→(来るはずの人が来ないと思いながら)過ぎた月日の長さを恨めしく思う

 と、直訳です。思いの深さは、sionさんのでしょう。

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TIME : 2003/05/30(Fri) 17:53:22
NAME : 水垣
TITLE: RE:我のみしりて

Nakedさん、ありがとうございます。
「倒置」というご指摘は重要ですね。しかも「我のみしりて」を「忘れては」、「すぐる月日を」「うちなげかるる」と、二重の倒置になっている、と。二つ目のは気づきませんでした。改めて図解させて頂きますと、
          ―――――――――――――――――――
         ↓                  |
わすれては うちなげかるる 夕べかな 我のみしりて すぐる月日を
  ↑                   |
   ――――――――――――――――――――
こうなりましょうか。
江戸時代の旧注を見ますと「君はつれなしとなげくなり」とありますが、「すぐる月日を」と言いさしの結句から「うちなげかるる」に立ち戻ると取る方が、この歌の構成から見ても筋が通っているような。
お蔭様でなんかスッキリしました。いやお見事な読解です。

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TIME : 2003/05/30(Fri) 21:18:18
NAME : sion
TITLE: 忘れては…

氷上さん、まだ見てくれてるかな?
「忘れては」って「誰が?」「何を?」私も初め分からなくて、注釈や解説の本を何冊も見て、やっと自分なりに納得できる解釈に辿り着きました。むずかしい歌よね、ほんと。レポートがんばってね(^^)

Nakedさんの「二つの倒置」は思いも寄りませんでした。確かにこれだとスッキリと歌意が解けるような…。私は「うちなげかるる」は溜め息を吐く意味の自動詞と思っていたので、「何かを歎く」とかは考えなかったのです。でも「月日を歎く」という言い方はありますものね。う〜ん、これまた納得です。

水垣さん、おほめいただき恐縮です。「ては」の後に、思い込みで色んなこと挟んじゃってまーす(笑)。

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TIME : 2003/05/31(Sat) 20:53:48
NAME : 氷上
TITLE: なるほど〜!!

みなさんの素晴らしい解釈にただただ驚きました!
もうほんと「なるほど〜・・・」って感じで感心するばかりです。 

>sionさん
ほんとうにご協力ありがとうございました(^^)
今回のレポート作成でさらに和歌が好きになれました。
今度からは独力でも訳せるようにがんばります!



>Nakedさん
二つの倒置が使われてるとは思いませんでした。
ほんとうにありがとうございます☆
あと「我のみしりて」が「忍ぶ恋だということ」と
訳すのはなぜですか??

>水垣さん
詞書教えてくださってありがとうございました!
解説とかも大変参考になりました(^^)
題詠が「忍ぶ恋」なので、式子内親王は実際には
そんな体験はしてなかったんでしょうか??
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TIME : 2003/06/01(Sun) 01:14:47
NAME : 水垣
TITLE:  

>氷上さん
>題詠が「忍ぶ恋」なので、式子内親王は実際には
>そんな体験はしてなかったんでしょうか??

当時の和歌の作り方としては、まず題を「忍ぶ恋」と決めてから作った、と考えるのが常識です。
恋しい気持が盛り上がって、歌を詠んでみたら結果的に「忍ぶ恋」の歌になった、というのでなく、最初から「忍ぶ恋」の歌を作ろうと意図して、色々工夫を重ねて創作した、ということですね。それが普通の歌の詠み方でした。
でも、だからと言って、作者が似たような思いを「実際に体験したことがない」とは言えないでしょう。
と言うより、これほど読者を感動させる切実な歌を作れるということは、やはり作者に似たような切実な心の経験があったからだと考える方が、自然だろうと思えます。
そういう意味では、題詠だから虚構だからと言って、作者の実際の経験と全く切り離して考えなければならない、ということはないわけです。
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TIME : 2003/06/01(Sun) 03:32:23
NAME : 八重葎
TITLE: 出家者が歌を詠むということ

水垣様 皆様

式子内親王の歌解釈興味深く拝見しました。

ところで各種勅撰集を読んでいて、恋の部立に入ると
とたんに抵抗を覚えて、本をおいてしまうことが
あります。
その原因として題詠等から創作するにしても、
僧侶が恋を歌うのはどういう精神状態からなのか
今ひとつ理解できないからかと思います。
遍照のように昔 俗人時代の経験からならいざしらず、
あそびとして作るにも、精神的な存在として僧侶は
いまほどいい加減なことが許される時代ではなかった
と思うのですが。
現世のくせだから許せ といった人もあり、
山の中だからこそ余計恋しさがつのり素直に歌った
人もあるのかもしれませんが。
それとも当時の僧侶より私の考えが固すぎるということなんでしょうかね。
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TIME : 2003/06/01(Sun) 06:54:42
NAME : hiyokiti
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: 素晴らしいですね

初めて書き込みさせていただきます。
hiyokitiと申します。
このサイトのあまりの素晴らしさに感動し、早速リンクさせていただきました。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

このゲストブックも拝見致し、
殊に式子内親王の歌をめぐる皆様方の見解を伺いまして
こういうやりとりのなされるゲストブックとは
なんと素晴らしいものだろうと感じました。

式子内親王の歌は私も大好きです。
人の心を打ちます。
そして透明感がある。
切実な響きがある。

実際に 苦しい心の揺れを経験しなければ
このような歌は詠えなかったのではないかと思わせるものもあるのではないかと思います。

このゲストブックをこれからも拝見しまして
皆様のご意見を伺い
学ばせていただきたいと存じます。

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TIME : 2003/06/01(Sun) 12:12:23
NAME : 氷上
TITLE:  

>水垣さん
やはりそれなりに作者が体験したからこそ、
あのような歌が詠めるわけですね(^^)
ありがとうございます。
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TIME : 2003/06/01(Sun) 14:44:27
NAME : Naked
TITLE: 我のみしりて…

 忍ぶ恋の二類
@恋の相手に対し「忍ぶ」=秘める → 『我のみしりて』=自分しか知っていない
A世間の人に対して「忍ぶ」=秘める → 『人知れず(こそ)』
 忍ばなければ、「しる」は「あう」だし、make love までいくことなんだから…
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TIME : 2003/06/01(Sun) 15:01:41
NAME : 葉つき みかん
URL : http://www.geocities.co.jp/Milano-Kotto/1676/index.html
TITLE: 僧侶の恋

>八重葎様

はじめまして。
八重葎様の意見を拝読して、少し気づいたことを述べさせていただきます。
私は和歌の鑑賞については初心者で、僧侶の恋歌についても百人一首に載っている数首位しか知らないのですが、平安末期の説話文学を読んでいると、僧侶が女性でなく、稚児に真剣な恋をするという文章がちょくちょく出てきます。
なんだか当時の僧の世界は女犯は駄目でも稚児を愛する事にはタブーがなかったようで、稚児をめぐって僧侶同士が恋の鞘当をしたこともあったようです。

だから、当時の僧侶は稚児を通して擬似恋愛をしていて、それを歌に反映させたとは考えられないでしょうか。

いきなり長文でごめんなさい。
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TIME : 2003/06/01(Sun) 16:45:44
NAME : Naked
TITLE: 僧が恋を歌うのは…

@思いを言葉に託して俗を絶つため(かつてのことどもは忘れ去る)
A山中にあっては、懐かしさを言葉で表わすため(俗に心を揺らすことはない)

 昔は「人は変わるが、言葉は変わらない」世界だったといいますし、気持ちを引きずっているわけではないのでしょう。

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TIME : 2003/06/01(Sun) 22:18:57
NAME : 氷上
TITLE:  

>Nakedさん
わかりましたー☆ありがとうございます!
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TIME : 2003/06/02(Mon) 07:47:28
NAME : 水垣
TITLE: RE:出家者が歌を詠むということ

八重葎様、とても興味深いテーマだと思います。
例えば、歌が上手いと評判の僧侶が歌会に招待され、恋の題で歌を詠む。そういう時の精神状態ですね。
この時とばかり「大っぴらに煩悩に耽れるぞ」と、日頃の修行の憂さを晴らそうなんて魂胆もあったのではないか……いやいや、これは煩悩から逃れられない凡人の想像にすぎませぬ。
葉つきみかんさんのおっしゃるように「稚児を通して擬似恋愛をしていて、それを歌に反映させた」ということもきっとあったでしょうし、Nakedさんのおっしゃる「思いを言葉に託して俗を絶つため」「山中にあっては、懐かしさを言葉で表わすため」ということもあったでしょうね。

それから、「恋」あるいは「恋歌」が今と昔で随分違う受け止められ方をしていた、ということも考慮すべきかと。
一例として、王朝人の心情には無常観が浸透していましたから、恋の歌を詠んでも仏道と通い合うものがある、と思っていたかも知れません。万物は転変して常無し、人の心こそは最もうつろいやすいもの。そんな恋のはかなさを歎く歌は多いですよね。逆に、エロスの喜びを詠んだような和歌は殆どありません。

あと注意しておきたいのは、勅撰集などに歌を載せている僧侶は、「歌僧」と呼ばれる人たちが多いことです。中には、そもそも風流韻事に打ち込みたくて僧になったのではないか、と思えるフシのある人も少なくありません。家格は低いし才覚も無いしで、役人をやっても出世する見込みがない、それならいっそ出家して束縛のない身となり、好きな歌に打ち込んでやろう、といったところでしょうか。

なお、僧侶は題詠でしか男女間の恋の歌を詠まなかったと思います。少なくとも表向きはそういう事になっていたはずです。
題詠以外の恋歌も僅かながらありますが、稚児を恋する歌になります。

   大嘗会の御禊に物見侍りける所に、わらはの侍りけるを見て、
   又の日つかはしける               寛祐法師
あまた見しとよのみそぎのもろ人の君しも物を思はするかな(拾遺集)

   横河の麓なる山寺にこもりゐ侍りける時、いとよろしきわらはの
   侍りければ、よみてつかはしける          仁昭法師
世をいとふはしと思ひし通ひ路にあやなく人を恋ひわたるかな(千載集)

どちらも、見そめた美少年に言い寄った歌です。こういう歌は、本気だったと思うしかありません(笑)。

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TIME : 2003/06/02(Mon) 07:48:27
NAME : 水垣
TITLE: 訪問御礼>hiyokiti様

hiyokiti様、ようこそいらっしゃいました。
リンクして下さったとのこと、ありがとうございます。
こちらこそよろしくお願い申し上げます。

皆様の書き込みのおかげで、私自身大変勉強になっております。
式子内親王は私もとりわけ好きな歌人ですので、その作品につき意見交換が出来て、嬉しい限りでした。
(普段はもう少し軽い話題が多く、それもまた私には有り難いのですが。)
「透明感」と「切実な響き」、まことに式子内親王の歌の特色はこの二点に尽きるような気が致します。
hiyokiti様のご意見も伺う機会があれば幸いに存じます。

今後とも拙サイトをご贔屓にして頂ければ幸甚に存じます。


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TIME : 2003/06/02(Mon) 12:15:05
NAME : 八重葎
TITLE: 西行がわからない

水垣様 Naked様 葉つきみかん様

ご意見ありがとうございます。

なるほど能因は歌僧でしょう。
Sun Burnまでしてしまうんだから。(彼は筋目の出家ではない)
またもろもろの同性愛者もいたでしょう。それも生理的には好みではありませんが、事実でしょう。

しかし西行は、少なくとも真剣に一時は仏道を志したはずではなかったのか。それを普通の歌に紛らわせて、昔の人が恋しいというから、私は混乱します。うたはうた、現在の本心は違うというのでしょうか。それとも今は、昔の愚かしさを客観的にみて作っているのでしょうか。

あと 彼が歌と信仰を一体にした歌論を述べたりするのは
結構なんですが、恋歌は彼の中でどういう位置づけなんでしょうね。。。いずれにしても凡人の私には理解不能です。もっと人生経験を積めということでしょうか。

しかし かなり偶像化されている人を、世例にならって
礼賛するほど素直になれないところもあります。
すいません 長くなって。
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TIME : 2003/06/02(Mon) 20:04:43
NAME : 水垣
TITLE: RE:西行がわからない

一般論として質問されたと思ったので、一般論としてお答えしたのですが、西行個人となれば、話は別です。並の歌僧たちとは同列に語れない、無類の僧侶歌人ですからね。
具体的に作品に即して意見を交換した方が私としてはやりやすいですし、こちらを読んで下さっている方たちにも分かりやすいと思いますので、とりあえず一首例を引いて、私の感想を述べさせて頂きたいと思います。

 弓はりの月にはづれて見しかげのやさしかりしはいつか忘れん

《大意》弦月の光から外れて見たあの人の姿の優美だったことは、いつになったら忘れることだろうか。

静かな、心に染み入るような歌だと思います。
この歌は、山家集恋部の「月」に分類されています。一応、表向きは題詠ですね。「月の光に恋人を偲ぶ」という当時のパターン化された情趣を応用し、と言うかちょっとずらして、「恋鎮め」をしているのではないか、といった印象を受けます。
仏道を真剣に志した以上、西行は恋情を断ち切ったはずです。が、唐突に、意志的に断絶させた感情であればあるほど、心に深く痕を残すでしょうし、追憶はなかなか消し去れるものではないでしょう。
逆に言えば、のちのちまでこういう歌を詠んで自分の恋を鎮めなければならなかったほど、西行の恋情は激しいものだった、ということではないでしょうか。
和歌の一道を思ひ解くに、散乱麁動の心をやめ、寂然閑静の徳あり。又言すくなくして心を含めり。惣持の義あるべし。惣持といふは即ち陀羅尼なり(沙石集)
西行も和歌即真言と考えていました。恋歌にも「散乱麁動の心(乱れて動きやまない心)をやめ、寂然閑静の徳」があることを信じていたはずだと思います。
西行がこういう歌を詠んだという事実に、私は混乱しません。

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TIME : 2003/06/03(Tue) 00:05:13
NAME : Naked
TITLE: そのこだわりが…わからない

 先に書いたように、昔は「人は変わるが、言葉は変わらない」世界だったのです。
 したがって、現代人が考えるように、気持ちを引きずっているわけではないのです。
 「思いを言葉に託す」とは、それほどきっぱりとしたものなのであって、残した歌にそれ以上の解釈を許すものではないと思います。

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TIME : 2003/06/03(Tue) 06:32:12
NAME : hiyokiti
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: おそれいりました

水垣様の西行に関する解釈、誠に染みいりました。
水垣様は和歌を本当に愛しておいでなのですね。

歌の解釈を拝見しましても、
下記の「弓はりの月にはづれて・・・」は 
私自身初めて目にするものだったのですが、初めて目にするとは思われぬほど すっと心に入って参りました。

水垣様の解釈の素晴らしさによるものと思います。

殊に「唐突に、意志的に断絶させた・・・」の箇所は
印象深く思われました。


心が洗われるようでした。

このサイトに出逢うことが出来ましたこと、
心から感謝したいと存じます。

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TIME : 2003/06/03(Tue) 11:20:56
NAME : 紀州の姫
TITLE:  

僧侶(西行も)の恋の歌について興味深く拝読させて頂いております。

>八重葎さま

「僧侶(西行も)が恋の歌を詠む」その事が受け入れられないのは、それを読む側の心の問題ではないでしょうか?

水垣さまの仰る
>「僧侶は題詠でしか恋歌を詠まなかった」

と言われるように、僧侶もこの時は恋歌を詠む事は
おおっぴらに認めてられていたのではありませんか?
それが仮想の世界の事であれ、実体験(男女、同姓、稚児であれ)の気持ちに基づいたものであれ。

水垣さまの
>西行も和歌即真言と考えていました。恋歌にも「散乱麁動の心(乱れて動きやまない心)をやめ、寂然閑静の徳」があることを信じていたはずだと思います。

Nakedさまの仰る
>@思いを言葉に託して俗を絶つ為
 A山中にあっては懐かしさを言葉で表す為

のように、歌の時にだけ心の中を表したのでしょう。
僧侶が心を内を見せる事に、なぜもそんなに拒否反応を起こされるのでしょう?

私などは、僧侶(西行も)の詠む歌の美しさに、我が心が震えるほどに感動を覚えるのですが・・・。

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TIME : 2003/06/03(Tue) 11:54:01
NAME : 八重葎
TITLE: なるほど

水垣様 皆様

出家者はかくあらんという私自身のこだわりが
西行の読み方を狭めていたのかもしれないと
反省しています。ありがとうございました。

あやうく文覚上人になってしまうところでした。
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TIME : 2003/06/03(Tue) 12:20:26
NAME : 八重葎
TITLE:  

もう少し追加させてください。
私が抱く出家者の像は、具体的には道元や明恵上人のような人です。無駄なものが削ぎ落とされてしまった彼らの歌に惹かれます。

しかし水垣様の示された弓張り月の歌をひいてのご文章は
繰り返し読み 味わわねばならぬ貴重なもので、あまたの
西行関連書よりも私にとって重みのあるものでした。

ありがとうございました。
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TIME : 2003/06/04(Wed) 09:21:20
NAME : 水垣
TITLE:  

Naked様、hiyokiti様、紀州の姫様、ありがとうございます。
参考になったり、励みになったり、深く頷いたり。ご意見を大変興味深く、嬉しく拝読しております。

八重葎様、大変面白い問題提議をして頂いたお蔭で、私も時々考えながらも頭で整理できなかったことが、この機会に少しは纏められたような気がしております。こちらこそお礼を申し上げねばなりません。

>私が抱く出家者の像は、具体的には道元や明恵上人のような人です。無駄なものが削ぎ落とされてしまった彼らの歌に惹かれます。

道元や明恵上人の歌には、仏道を生き抜いた高僧ならではの磨き抜かれた言葉、俗塵を洗い落とした澄明な智慧などが感じられますね。そうした歌を基準にすれば、西行の恋歌が不純に見えるのも無理ないのかもしれない、とも思います。

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TIME : 2003/06/04(Wed) 13:09:20
NAME : yuk
TITLE: 質問:定家の「百番自歌合」

こんにちは。最近藤原定家ファンになった者です。たいへん興味深く拝見しております。ありがとうございます。
質問ですが、定家のページで「百番自歌合」にリンクがはってありますが、クリックすると「ない」と言われます。
「百番自歌合」のファイルは存在しないのでしょうか?
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TIME : 2003/06/04(Wed) 20:12:34
NAME : 水垣
TITLE: RE:定家の「百番自歌合」

yuk様、ようこそいらっしゃいました。
定家の「百番自歌合」のファイル、一度アップしたのですが、校正をやり直そうと思って、削除してしまったのです。うっかりリンクを外すのを忘れておりました。
とりあえずアップしておきましたので、よろしければご覧ください(下記URL)。誤りがあるような気がして仕方ないのですが、今週末まで残しておきます。その後再校正して再アップしますので、その時にまた見て頂ければ幸いです。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/0teika100.html

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TIME : 2003/06/05(Thu) 07:30:00
NAME : yuk
TITLE: 「百番自歌合」ありがとうございます

おはようございます。
「百番自歌合」の件、ありがとうございました。
こういうものがネットで読めることをたいへんありがたく思っております。
これからも貴重なものを読ませてください。よろしくお願いいたします。
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TIME : 2003/06/06(Fri) 22:31:00
NAME : 八重葎
TITLE: すがるなく 秋のはぎはら

水垣様 皆様

また古今集を勉強しています。
別れの歌に気になるものがあり、
ご意見たまわりたく記載します。

すがるなく秋のはぎはら 朝たちて旅立つ人を いつとか待たん

すがる(じが蜂)の鳴くのがはっきりと聞こえる
朝の静かな別れ それを心から惜しむこころ。
また別れてしまったら、ふたたびいつ会えるのか
わからない 切実な気持ちが聞こえます。

情趣とは別に、この調べにも他の歌とは異なるもの
を感じます。
五七 五七と切り最後七で終わる形は
古今集では珍しいのではないでしょうか。
通常は三句で切って七七で、叙情性が高まります。

この歌はそうではなく、何か古格な響きがします。
それも魅力です。万葉集ではなく、八代集以降で
このような句切れを持つ歌はありますでしょうか。

また このような点に注目した歌論があればご教授頂きたくお願いします。
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TIME : 2003/06/08(Sun) 00:05:10
NAME : 水垣
TITLE: RE:すがるなく 秋のはぎはら

 すがるなく秋のはぎはら朝たちて旅行く人をいつとかまたむ

古今集巻八離別歌、よみ人しらずの作ですね。
万葉集は五七調、古今集以後は七五調と大雑把に分類されることが多いですが、古今集のよみ人しらず歌には、意外に五七調が多いという印象があります。

 春霞たてるやいづこ。みよしのの吉野の山に、雪はふりつつ
 かすが野はけふはなやきそ。若草のつまもこもれり。我もこもれり
 我が庵はみわの山もと。恋しくはとぶらひきませ。杉たてる門

古今集のよみ人しらず歌には、奈良時代から伝わる古歌が多く混じっているのではないかと見られます。
「すがるなく…」の歌は、上の例ほどはっきりした五七調ではありませんが(「朝たちて」で小休止を入れることも不可能ではないでしょう)、明らかに七五調でもなく、万葉風の重厚なリズムを備えているようです。それと、風景描写が心の暗喩にもなっているらしいところなど、やはり万葉風で「古格」が感じられます。

五七調の歌は、八代集では、「詞花集」に大江匡房の

 白雲とみゆるにしるし。みよし野の吉野の山の、花ざかりかも

それから新古今集でも、源俊頼

 とをちには夕だちすらし。久かたのあまのかぐ山、雲がくれゆく

などが五七調と言ってよいのではないでしょうか。いずれも丈が高く、線の太い叙景歌ですね。

藤原俊成にも、

 世の中よ道こそなけれ。思ひ入る山の奥にも、鹿ぞ鳴くなる(千載集)

調べてみればまだ沢山ありそうな気がします。

もちろん五七調と七五調に関しては論文がたくさんあるでしょうが、古今集以後の五七調ということに限った歌論となると知りません。

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TIME : 2003/06/09(Mon) 12:18:07
NAME : 八重葎
TITLE: よみ人しらず

水垣様

貴重な情報を頂きありがとうございます。
いつもいろいろとお教えいただき深謝致しております。

別に古今集の ”かた”を持つわけではありませんが、
明治以降 万葉に較べあまり評価されていないが
後世への影響の大きさという点で関心をもって
細々と独学しています。

でもやっぱり、簡単で言葉もやさしく素朴な歌に
惹かれてしまうようです。集めてみると皆 読み人しらず
ばかりです。

野辺ちかく家居しせれば 鶯のなくなるこえは朝な朝なきく
白雲にはねうちかわし飛ぶかりの
かずさへ見ゆる秋の夜の月
ひぐらしの鳴く山ざとの夕ぐれは
風よりほかにとふ人もなし
等 です。

貫之ら撰者の技巧は、解説を読んで味わえばなるほどと思います。それが成功して余情を波のようにかもしているものもあります。ただ新風を作ろうという気負いもあったのでしょう、もう少し素直にしてくれないと疲れるな
という気もします。

古今もいろいろあって、一般に技巧・時間の経過を考慮した歌風などといわれますが、ひとくくりにはできないようです。ただ耽美というのは一貫した流れかもしれない
などと生意気なことも考えます。

以上 私見も交えつれづれと書いてしまいました。
お許しください。


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TIME : 2003/06/10(Tue) 07:31:49
NAME : 水垣
TITLE: RE:よみ人しらず

八重葎様、古今集のお話、ありがとうございます。楽しく拝見しました。

>野辺ちかく家居しせれば 鶯のなくなるこえは朝な朝なきく

この歌は、万葉集の歌風に近い感じを受けますね。実際、万葉集巻十(奈良朝の比較的新しい歌を集めた巻です)に、よく似た歌が見つかります。

 あづさゆみ春山近く家をれば つぎて聞くらむ鶯の声
 梅の花咲ける岡辺に家をれば ともしくもあらず鶯の声

しかし、

>白雲にはねうちかはし飛ぶかりの
>             かずさへ見ゆる秋の夜の月
>ひぐらしの鳴く山ざとの夕ぐれは
>             風よりほかにとふ人もなし

この二首になると、やさしい歌ながら、もうすっかり古今集の歌です。
「白雲にはねうちかはし」は決して目に見えたままの描写ではなく、雁の習性というか、飛び方の本質を捕えた、観念的・抽象的な描写でしょうし、「風よりほかにとふ人もなし」というような一ひねりして風景を眺めた表現は、万葉集にはまず見出せません。

現実世界から独立した言葉の世界を創り上げ、そこで存分に遊ぶ喜びにあふれた歌集――それが古今集ではないかと思うのですが、読人しらず歌は、そうした古今集の初心みたいなものをよく保存している、といった印象を受けます。

>ただ耽美というのは一貫した流れかもしれない

それは面白いご意見ですね。私も古今集の歌を読んで「耽美」という言葉を使いたくなる時が多いです。ただ、無常観に裏打ちされた耽美と言いましょうか。単純な享楽主義ではないですね。

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TIME : 2003/06/10(Tue) 12:12:40
NAME : 八重葎
TITLE: 遊び

水垣様

観念・抽象的の意味がはっきりとわかりました。
歌なのに”観念的なのはよくないという。理におちる。”という これも私の先入観ですが、無意識の内に影響されていました。写実第一も一つの流れですが、古今がねらったのは水垣様のおっしゃる、
”現実世界から独立した言葉の世界を創り上げ、そこで存分に遊ぶ”
ということなのでしょう。この遊びを切ってしまうと古今集を読む意味が著しく減ります。まさに喜びにあふれた集ということなのですね。

返す返すもありがとうございました。

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TIME : 2003/06/11(Wed) 00:56:29
NAME : Naked
TITLE: 例えば「俯瞰」と「鳥瞰」

 たった一つの要因ですべてが説明できるほど、物事は単純ではない。だからこそ、私たちは普段からロジックとして「俯瞰」的にものを眺める必要がある。

 同じ意味の言葉に「鳥瞰」がある。鳥のように空からものを眺めたら、私が見ているものはいったいどのように見えるのだろうか。この思いはレトリック感覚につながるものである。

 本来のレトリックとは、ロジックと手を携えて、上手に伝えていくための技術なのだと思います。

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TIME : 2003/06/11(Wed) 12:17:27
NAME : 井蛙
TITLE: ご無沙汰致しました

水垣様
新しい掲示板には初めて投稿いたします。何だか緊張いたします。
たしか去年の残暑の頃、宗尊親王の話題以来でしょうか。愛読する千人万首もあれから鎌倉時代末期を過ぎ、もう南北朝時代も終わろうとしているのですね。
末流の二条家歌人達を追ってみますと、優雅な歌道家の子息達も、南北朝時代になりますとさすがに、戦乱に命を落としたり、夜討をかけられて殺害されたり、大酒飲みで(?)命を縮めたりと、悲惨な末路を辿る人も少なくなく・・・
歌道衰退もきわまり、時代は連歌でしょうか。
しかしそんな時代にも細々と秀歌は紡がれていたのだと、歌の命の力強さを感じることも又事実です。宗良親王・光巌院は申すまでもなく、最後の伊勢斎宮祥子内親王なども切々たるお歌を残しておられたのですね。
とりとめのない感想になりましたがご容赦の程。

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TIME : 2003/06/11(Wed) 22:22:41
NAME : 水垣
TITLE: RE:末流の二条家歌人達

井蛙さん、お久しぶりです。ご投稿ありがとうございます。

>末流の二条家歌人達
最後は嫡流と庶流の間で分裂状態になったり、歌才も先細りになったりで、とうとう二条家断絶に至ってしまうわけですね。ただ、二条家の歌風は頓阿の子孫が受け継いでゆきますし、その後も室町時代の尭孝、戦国時代の幽斎と伝わって、近世まで命脈を保つことになります。
「歌道衰退」は否定できない事実ですが、室町時代には冷泉家の歌風の影響を受けた正徹という大歌人も出てきますし、どうしてどうして、和歌はしぶといです(笑)。今後とも楽しんで頂ければ幸いです。

なお、波江究一さんの意味不明の投稿は削除しました。
誹謗中傷に限らず、無意味な語の羅列、嫌がらせを目的としているとしか思えない投稿なども、予告なしに削除いたします。ご承知置き下さいますよう。

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TIME : 2003/06/12(Thu) 00:46:23
NAME : hiyokiti
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE:  

千人万首のページを拝見させていただきました。
歌人が既に800人になろうとしているのですね。

ひとつひとつ拝見致しましたら
一体どれくらいの時間が必要となるのだろうと
呆然と(笑)致しました。

これからじっくりと時間をかけて
拝見させていただきたいと思います。

このサイトの魅力は 
様々な点で数多くあることと思いますが
やはり 水垣様の文章の美しさにあるのではないかと思います。

このサイトに参りますと
心の底から ほっと致します。



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TIME : 2003/06/12(Thu) 20:29:00
NAME : 水垣
TITLE:  

hiyokiti様、ありがとうございます。

拙サイトに魅力があるとしましたら、それは何より、連綿と伝えられて来た歌人たちの美しい言葉のおかげだと思っております。

千人万首、登録歌人数は800人に近づいたのですが、まだ歌人によって内容に甚だしい不統一や粗密があり、修正には相当の時間がかかると思います。のんびりやってゆくつもりですので、のんびりお付合い頂ければ幸いです。

ところで、hiyokiti様より、当掲示板で少々話題になりました紫草の花の画像を送って下さいました。大変貴重な画像と思います。千人万首の「中古よみ人しらず歌」、

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sirazu.html

の「雑」の部の歌「紫のひともとゆゑに…」の参考写真として使わせて頂きました。皆様にお知らせ申し上げると共に、hiyokiti様にあらためてお礼申し上げます。

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TIME : 2003/06/13(Fri) 11:14:33
NAME : 藤田
TITLE: 拝見御礼

和歌に関する素晴らしい造詣の深さに、
ただただ感動しました。歌を愛するお心がひしひしと
伝わってきます。毎日訪ねては拙い頭に
歌の良さを叩きこんで入ます。
このようなHPを起ち上げて頂き。感謝にたえません。
これからも宜しくお願いします。本日は感謝のお礼のみ
遅らせていただきます。
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TIME : 2003/06/13(Fri) 15:28:35
NAME : 紀州の姫
TITLE: 紫草の花

hiyokiti様の画像を拝見させて頂きました。
そして、「紫の色は心に・・」や「紫のゆかり」を思い出しています。

話は変わりますが、いつぞや明恵上人のお名前がでていましたね。
「京都栂尾高山寺でお茶の普及に努めた」明恵上人は良く知っておりました。が、歌人として明恵上人は知っておりませんでしたので、とても興味を持ちました。

『九めぐり春はむかしにかはりきて面影かすむけふの夕ぐれ』

文覚上人のお名前も出ていましたので、ついこの歌にも
目が止まりました。

「月の歌人」とも呼ばれているのですね。

『くまもなくすめる心のかかやけばわが光とや月おもふらむ』

『あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月』(上人集)

歌人としての明恵上人も覚える事が出来ました。
有り難う御座います。m(__)m
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TIME : 2003/06/13(Fri) 18:59:37
NAME : ゆゆ
TITLE:  

 水垣様、皆様、お久しぶりでーす。
 今年は、えらい早くから繁忙期に突入してしまい、わずかな空き時間を見つけては、こちらへ寛ぎに来ている毎日です。
 紫草の画像、早速拝見しました。生えてる時は全然紫色じゃないんですね!!知らなかった〜!hiyokiti様ありがとうございます。
 定家の百番自歌合も、さらさらと読んだのですが、熟読したいので、再アップされる日を楽しみにしています。
 ちょっと見の印象としては、恋の部に私の好きな歌が入っていなくて、ちょっぴり寂しかったです(笑)。と言っても、私はまだまだ定家の歌を知らないんですが……(詠み過ぎですよ、定家さん!)。

忘れめや花にたちまよふ春霞それかとばかり見えし明ぼの

 この歌は、水無瀬の歌合のページで知って、大好きになりました。初めて読んだ時、絵画のように幻想的な世界が目の前に広がって、ドキドキしましたよ!源氏物語をもとにしているんですね。かっこいいなぁ、定家さん。そして、水垣さんの訳もかなり効きました。
 このサイトは、昔の歌人達と水垣様、皆様の、見事なコラボレーションによって成り立っていますね!大昔と今とをつなぐネットワーク。素敵です!!
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TIME : 2003/06/14(Sat) 23:48:22
NAME : 水垣
TITLE:  

>藤田様
ご訪問とご投稿、まことにありがとうございます。
ただもう好きでやっておりますことで、このように感謝の言葉を頂けるのは、考えてみれば幸せなことだと思います。今後ともご愛顧頂ければ幸いです。
些細なことでも、ご意見など頂けましたら嬉しく存じます。

>紀州の姫様
私は逆に「京都栂尾高山寺でお茶の普及に努めた」明恵上人のことはよく知りませんでした。ちょっと調べてみましたら、明恵上人は茶道史上にも偉大な足跡を残していたのですね。
明恵上人にとって和歌は多分余技にすぎなかったと思うのですが、西行ともまた違った、何とも言えない味わいがあると思います。天真爛漫と言いましょうか、私にはなかなかうまく表現できないのですが。

>ゆゆ様、
お久しぶりです。お忙しい中、ありがとうございます。
定家の百番自歌合は、当然定家の自信作を集めたものなんでしょうが、なんでこの歌が入っていないのかと、私も不審に思うことしばしばです。有名なところでは「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」なんかが外れてますね。自分の評価と他人の評価は得てして食い違うものなのでしょうが。

>このサイトは、昔の歌人達と水垣様、皆様の、見事なコラボレーションによって成り立っていますね!大昔と今とをつなぐネットワーク。素敵です!!

せっかくネットで公表しているわけですから、ネットの特性を活かしたものにしたいと思って作ってきましたが、私の力が足りず……。でも、ゆゆさんのお言葉を頂いて、多少とも思いが実現しているのかなと嬉しい気持になりました。

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TIME : 2003/06/16(Mon) 20:46:23
NAME : ためかぬ
TITLE:  

カルタ美術館の更新が続き、楽しく拝見させていただきました。
昭和に入ると、親しみやすいものになってきました。
特に、付録の二種は、思わず手に入れたいなと思うくらい魅力的です。おまけに弱いんですね。
札以上に、箱に興味がいってしまう私にとって、新聞社のかるたに、箱がついてないのが、惜しく思われてなりませんでした。

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TIME : 2003/06/17(Tue) 22:43:47
NAME : 水垣
TITLE: RE:カルタ美術館

最近新しい物を手に入れて嬉しくなり、立て続けに放出しました。
二つとも、おまけにしては立派なものですよね。新聞社の附録のは、予算が足りなくなってしまったのでしょうか。あれで洒落た箱が付いていれば最高なんですけどね。
附録と言えば、息子が小さかった頃、附録付き雑誌をよく買ってやったものですが、何一つ残っていませんねえ(笑)。
ほかにも紹介したいユニークなカルタが色々あるのですが、著作権上の問題があって公開できないのが残念です。

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TIME : 2003/06/20(Fri) 21:22:11
NAME : 春日
TITLE: はじめまして。

あつかましい質問なのですが…無礼をお許しください。このサイトの解説で元良親王が【大和物語】において「故兵部卿の宮」と「陽成院二のみこ」とされているとありましたが、昨日、日本古典文学全集を読みましたところ、「陽成院二のみこ」は元平親王であり、元良親王は「故兵部卿の宮」と「一の宮」とされていました。
私の資料の間違いでしたら忘れて下さい。
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TIME : 2003/06/20(Fri) 21:59:08
NAME : 水垣
TITLE:  

春日様、はじめまして。
仰るとおり「陽成院の二のみこ」は元平親王以外考えられませんね。何か大きな勘違いをしていたようです。ご指摘ありがとうございました。
訂正してお詫び申し上げます。

誤:『大和物語』に「陽成院の二のみこ」「故兵部卿の宮」などとして風流好色の逸話を残す。
正:『大和物語』に「故兵部卿の宮」として風流好色の逸話を残す。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/motoyosi.html


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TIME : 2003/06/21(Sat) 08:20:44
NAME : hiyokiti
URL : http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokiti35
TITLE: 「昼は咲き夜は恋ひ寝る」

おはようございます。

今日は「和歌雑記」の中にある紀小鹿女郎の歌を拝見いたしました。

「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花
         君のみ見めや戯奴さへに見よ」です。

この歌の解釈を拝見しまして
とても感動いたしました!

彼女は 合歓木の花を自分の身になぞらえて詠いあげたのですね。

和歌の世界とは誠に奥深く
味わい深いものだと実感いたしました。


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TIME : 2003/06/21(Sat) 21:48:34
NAME : 水垣
TITLE: RE:「昼は咲き夜は恋ひ寝る」

hiyokiti様、こんばんは。いつもありがとうございます。
「和歌雑記」の紀小鹿女郎のページは、自分でもいつになく楽しみながら書けたので、その意味で気に入っている文章です。ご感想いただき、大変嬉しく存じます。

「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花
         君のみ見めや戯奴さへに見よ」

家持に対する思いが様々に籠っていて、非常に面白い歌だと思います。私の解釈はちょっと「思い込み」が混ざっているかもしれません。
ちょうど今頃は合歓木の花が咲く季節ですね。先日、近所の家の庭先で咲いているのを見かけました。遠くから見ると、ぼうっと煙ったようで、甘い眠りや夢想に誘われるような花だと思いました。

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TIME : 2003/06/26(Thu) 09:03:53
NAME : 紀州の姫
TITLE: 「和歌雑記」

和歌の事をほとんど知らない私は、ここでの皆様の
お話を元にして色々勉強させて頂いております。
紀小鹿女郎のページも楽しませて頂きました。

世の中の女にしあらば直渡り
      痛足の川を渡りかねめや

響くものがあります。(^_^)

そしてカルタと言えば、小さい頃にいつだってあったのに、あれは何処に行ったんだろう・・・・?
坊主めくりしか記憶にはありませんが・・。(^_^;)
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TIME : 2003/06/27(Fri) 01:23:41
NAME : 水垣
TITLE: RE:「和歌雑記」

紀州の姫様、こんばんは。
紀小鹿女郎についての雑文は、昔のものですから色々不満もあるのですが、私にとっては少々愛着がある文章ですので、読んだと言って下さる方が現れるたび恐悦の思いが致します。

>世の中の女にしあらば直渡り
>      痛足の川を渡りかねめや

この作者の感じ方や考え方は、当時としてはちょっと変わっていたのではないかと私は思うのです。逆に現代人には殆ど違和感がないのではないでしょうか。
ところでこの歌の訓みですが、現在の万葉集のテキストでは、

 世の中の女にしあらば我が渡る痛背(あなせ)の河を渡りかねめや

とするのが普通だろうと思います。私の採用した訓み方は異端の説ですので、その点ご留意頂ければ幸いです。

>そしてカルタと言えば、小さい頃にいつだってあったのに、あれは何処に行ったんだろう・・・・?

蔵の奧深く、埃をかぶっているのでは? 古いカルタが見つかりましたら、ぜひ当方にご一報を(笑)。

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TIME : 2003/06/28(Sat) 09:54:25
NAME : 紀州の姫
TITLE: 続「和歌雑記」

水垣さま
歌の詠みの違いを、有り難う御座いました。
紀小鹿女郎に続き、笠女郎のページも楽しみました。
水垣さまの解釈により、その人なりが目に浮かぶようで、ついつい引き込まれてしまいます。
写真が、またいいですね。
こうなると学生時代に戻って、歴史を文法をもっと
もっと勉強し直したくなってきます。
分野の違う楽しみが増え、嬉しい限りです。

ちょっと蔵(実は押し入れ?)を探しましたが、
すぐには見つかりませんでした。残念!


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TIME : 2003/06/29(Sun) 23:25:26
NAME : 水垣
TITLE: RE:続「和歌雑記」

紀州の姫様、こちらこそいつも有り難うございます。
笠女郎も楽しんで頂けたとのこと、嬉しく存じます。
彼女の歌はたくさん残っていますし、表現の幅が広いので、紀小鹿女郎の場合よりも想像を膨らませやすいところがあると思います。私も色々想像を(しばしば空想を)楽しみつつ書きました。

写真もお褒め頂き嬉しいのですが、画像にマウスポインタを置きますと、「具満タン」とポップアップ表示が出ると思います。WEBページ用の素材集の名です。私のサイトで綺麗な写真を見つけられたら、それは大抵「具満タン」か、または優秀なフリー素材提供者様の作品と思って下さい。(^^ゞ

蔵(謙遜なさって押し入れ?)をひっくり返すのは大変ですね。年末の大掃除の頃に期待をかけておりましょうか……。

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TIME : 2003/06/30(Mon) 21:22:07
NAME : 八重葎
TITLE: 駒とめて

水垣様 皆様

俊成の
駒とめて なお水飼わん 山吹の
花の露そう 井出の玉川
で思い描いていた井出の写真、
歌枕紀行で拝見しました。
こういうところだったのですね。
ありがとうございました。
もうあまり山吹はないようですが。

私の一番なじみのある歌枕は
和歌の浦です。赤人等の歌でも
有名ですが、親戚がこの近辺に住んでおり
お盆のころはよく片男波で海水浴をしたり、
和歌浦(地元では一口に わかうらと言っていました)
の展望台に行ったりして遊んだことを思い出します。
もう20年以上前の話ですが。

玉津嶋という神社が、海食された岩の中に
祀られていたのも覚えています。
こちらの祭神が歌の神とは、後で知りましたが
何かご縁を感じてしまいます。

歌枕は行きたいけれども、行くのが怖いのも本音です。
イメージが破壊されてしまうかもしれないので。
当分HPの紀行だけにしておこうかと思っています。
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7月〜12月やまとうた表紙はるのゆき表紙