■東北本線旧線(黒磯−白河)その2■

2.黒田原−豊原間の廃線跡

 
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1982(S57)まで、大規模な遺構が残っていたという、新大塩橋の桁下を見る。度重なる河川・道路改修により一切の痕跡は失われた。新大塩橋自体も、1998年の水害時落橋こそ免れたが、河床・堤防の復旧により架け替えられた。旧線は、60フィートプレートガーダー2連であったという。
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1982(S57)完成の初代新大塩橋。黒田原からこの橋にむけて旧線は急勾配で下る。途中の切り通しには玉石練り込みの擁壁があるが当時の物かどうか不明。

1991(H3)1.6 提供Nao.S氏
写真奥が黒田原
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大塩橋に続いて2回目の黒川渡河地点。幅員の広い新しい道路橋が架けられていた。水害時には路面近くまで水位があがったことをパネルは伝えている。
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水害前の旧道路橋。橋台、橋脚に旧線のものを利用し、コンクリートの桁を載せていた。旧線時代は30フィートプレートガーダー2連であったという。

1990(H2)8.23 提供Nao.S氏
写真右が黒田原(現存せず
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水害後3〜4ヶ月を経た状況。橋脚・橋台とも試練を耐え抜いていた。写真は、黒田原方の橋台。

1999.1.初旬(現存せず
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想像を絶する力で桁が持っていかれたことを物語っていた。G・H地点も同じような状況だったと記憶するが、ショックが大きくこの2枚のみを辛うじて記録した。

1999.1.初旬(現存せず
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3番目の渡河地点「おいだわらばし」から白河方面を見る。左に緩やかにカーブしてゆく様がいかにも線路跡らしい。
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水害前の旧道路橋。達磨小僧は、この先に4番目の橋台(H地点)があったことを最近知った。

1990(H2)8.23 提供Nao.S氏
写真奥が豊原(白河)方(現存せず
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F地点同様、橋脚・橋台を転用していた。旧線時代は30フィートプレートガーダー2連であったという。

1990(H2)8.23 提供Nao.S氏
写真右が豊原(白河)方(現存せず


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更新    
作成    2005.3.13
写真撮影 各写真に記載(記載のないものは2005.1.22撮影)

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