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<H地点> 4番目の渡河地点。黒田原側の河岸から豊原(白河)方を見る。旧線は、向こう側の砂利道に沿っていたと思われる。以前は、あぜ道だったが河川改修の工事道路に整備された。旧線の目印だった火の見やぐらも少し北へ移動した。 |
<H地点> この場所は、道路に転用されず橋台が一対で原型のまま残っていた。 1991(H3)1.6 提供Nao.S氏 豊原(白河)方の橋台 |
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<H地点> 旧線は50フィートプレートガーダー1連であったという。 1991(H3)1.6 提供Nao.S氏 手前が黒田原方の橋台 |
<H地点> この橋台は、河川改修により撤去されたがすぐ近くに小さな公園が作られ、写真のように経緯を記録したプレートと、撤去した橋台をカットして小型化したモニュメントが作られた。 |
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<H地点> 大災害であったにも関わらず、このようなモニュメントが残されたことに感謝したい。 |
<I地点> 第五(最後)の渡河地点に架けられた新道路橋。河岸も全面的に改修された。 |
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<I地点> 水害前の旧道路橋。旧線時代は30フィートプレートガーダー2連であったという。 1990(H2)8.23 提供Nao.S氏 写真右が黒田原(現存せず) |
<I地点> 構造は、F・G地点と同じ。ただし、橋脚は旧橋脚をコンクリートで補強したような形状に変わっていた。 1990(H2)8.23 提供Nao.S氏 写真右が黒田原(現存せず) |
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<J地点> 黒川本流から外れていたことで撤去を免れ、今も道路を支えている溝渠の橋台。 この先、現在線黒川橋梁をくぐって、急な逆S字で勾配を上り新線と交差して白坂へいたる。工事中この交差がどのように行われていたか興味が持たれる。(切替時の新線は現在の下り線、因みに黒川橋梁は上り線が切替時の新線) |
![]() 白坂−白河間の遺構調査は行っていない。 |
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<現在の白河駅> 大正10年の竣工といわれる駅舎。新線工事に伴い線路が高くなり、地下道でホームへ出る構造だ。旧線白河駅は、120メートル福島よりにあったという。 |
<K地点> 黒磯-白河間と同時期に、泉崎までの区間が改修されている。写真は、阿武隈川橋梁手前の避溢橋のものと思われる旧線橋台。石造りで、栃木県内の遺構とは趣が異なる。この先も、遺構があるらしいが、とちレビの守備範囲を超えるのでレポートはここまでとする。 |
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更新
作成 2005.3.13
写真撮影 各写真に記載(記載のないものは2005.1.22撮影)
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