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<A地点> 旧那珂川橋梁の黒磯側橋台 状態は良好で、非常にマッシブな印象を受ける。70フィート4連のプレートガーダが架設されたと記録にある。 |
<A地点> 川底に残る黒磯側から2番目の橋脚基部、1番目の橋脚基部も辛うじてその存在が確認できる。手前に見える木材は、しっかり川底に埋まっており、函型ケーソンの残骸ではないかと思われる。 |
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<A地点> 3番目の橋脚基部、こちらも木枠のようなものが残っているのが分かる。 |
<A地点> 白河側橋台 新線と対比すると、新線が「施工基面を高くして」敷設されたことが分かる。古写真では、黒磯駅北側から切り通しで那珂川の河崖へ達していたように見える。 |
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<B地点> 地元で「汽車みち」と呼ばれる旧線転用道路を、現高久駅から見る。工事中、新線と旧線がどのように交差していたのか興味があるところだが、現在これを偲ばせる遺構は残っていない。高久信号場の位置も特定できなかった。 |
<B地点> 上と同じく高久駅からみた旧線の築堤右下に拱渠(アーチカルバート)が見える。 |
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<B地点> 上の拱渠をを観察すると、両側にコンクリートで延長されているが、内部は煉瓦巻きである。建築後120年を経て、しかも上を道路が走っているにも関わらずまったく痛んでいないのは驚きだ。 |
<C地点> 現在線の築堤を突き抜けた向こう側、すなわち東側に残る拱渠。こちらも転用道路を未だに支え続けている。状態は良好で、凝った施工の煉瓦目地なども観察できる。 |
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<D地点> 余笹川橋梁の黒磯側橋台。上部は撤去されているもの、今でも新線の上り線(複線化時線増)橋台の前面を支えている。旧線余笹川橋梁は、40フィート7連だったというが、橋脚の遺構は残っていない。 |
<D地点> 余笹川橋梁の白河側橋台。 |
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更新
作成 2005.3.13
写真撮影 各写真に記載(記載のないものは2005.1.22撮影)
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