■高崎製紙専用鉄道■

1.沿革

東北本線岡本駅から栃木県河内郡河内町内を通り約4km先の高崎製紙日光工場を結ぶ鉄道でした。記録によると、
   ■開設  T11.12.23  
   ■廃止  S59.1

とあり、約60年の歴史を刻んだことになります。現在は、路線の大半が遊歩道「ふれあい通り」として整備され、往事の雰囲気を今にとどめています。

 

2.廃線跡の現状

ふれあい通りを記した地図 遊歩道の地図。
赤い線がふれあい通り。
正確に当時の線路をトレースして
いる。
よく整備された遊歩道。
散歩をしても気持ちがいい。
大半こんな雰囲気で、
遺構などはありません。
遊歩道の状況
終点付近の状況 やがて終点の高崎製紙日光工場が
見えてきます。同社は今でも盛業中。
現在の正しい社名。
旧社名として、
・高崎製紙
・高崎板紙
・日光製紙
などの記述がみられます。
高崎三興の看板

廃線探索」というHPにも現状がよくレポートされています。

3.運行状況など

(1)ここを走った機関車については「こちら」
(2)高崎製紙80年史によると
「最盛期には製品・原料を含め20種類の貨車で1日5往復、年間361日働いた」  とあります。
 また、蒸気機関車時代には公共交通機関の役割も果たし、緩急車と称して貨車に旅客も乗せていたようです。(無賃だったとのこと)

4.利用者その1(汽車会社→川崎重工)

 開設時期は判明していませんが、岡本駅から約1kmの付近に汽車製造株式会社が工場を設置しました。主に、貨車の製造を行っていたようです。
 旧地図によると関連の側線なども、かなりの規模に達していたようです。

1972年 
 汽車会社は川崎重工業株式会社に吸収され、同社宇都宮工場となりました。
この時代、EF641000代の車体製造が行われ、仮台車をはいた車体がこの鉄道を利用して出荷されたとのことです。

1986年 
 アイ・ケイ・コーチ株式会社(いすゞ自動車株式会社・川崎重工株式会社共      同出資)が設立され岐阜からこの地へ工場移転が行われました。
(バス製造工場へ転身)
これと前後して鉄道車両製造に終止符が打たれたものと思われます。

1995年
 いすゞバス製造株式会社に社名変更を行い現在に至っています。
同社は現在も盛業であり、「ふれあいの道」からも「GALA」などの製造の様子をわずかながら望見する事ができます。(バスマニア垂涎)

5.利用者その2(国鉄大宮工機部岡本工場)

 ネコパブリッシングより発行されている
 「トワイライトゾーンMANUALW」で「草蒸す機関車」
として紹介されているように、岡本駅から約2Km付近に国鉄の工場が存在しました。(同書では大宮工場岡本分工場と記載)

岡本工場の沿革・現状などは「こちら」

 戦後、休車となった機関車が大量にこの地へ運び込まれ、ここを終焉の地としたものも少なくなかったようです。この線路上を、往年の名機たちが最後の旅をしたのかと思うと感慨深いものがあります。

6.あとがき

 本鉄道は、歴史も長く河内町の発展に欠かせないものだったと思います。
いま、「ふれあいの道」としてそのことが顕彰されており、「幸せな廃線跡」といえるでしょう。沿線には、今でも三和テッキなど鉄道関連の会社があります。
 当時利用者だった企業の敷地内には、今でも貨物積み込み施設などが残っているかもしれません・・・。



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作成    2002.8.4
写真撮影 2001.6.16

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