■国鉄大宮工機部岡本工場■

1.沿革

 戦時中、大宮工場の疎開を目的として高崎製紙専用鉄道沿線に岡本
分工場が設置されました。戦後、国鉄の発足に伴い大宮工機部岡本工
場となり、合理化の号令下、余剰となった機関車の留置・解体場所として
利用されたようです。最終的な撤収時期は、明らかでありませんが、参考
文献上からはS26をもって記録が途絶えています。
 また、ネコパブリッシング発行「トワイライトゾーンMANUALW」に「草蒸
す機関車」として掲載されており、最終期の様子を伺い知ることができます。
「草蒸す・・・・」は、作者が軍歌「海ゆかば」の一節を引用したものと考えら
れ、まさに、死屍累々の様相を呈していたのでしょう。
 明治の輸入名機から戦後の急激な情勢変化で余剰になった戦時急造機
まで、多くの機関車がここを終焉の地としたようです。


2.現在の状況

  S29の5万分の1地図から岡本工場は、左図の位置と推定されます。

 最初は、かつて「汽車会社」があった、現在の「いすゞバス製造」の位置と想像していましたが、ハズレでした。
 
 現在は、町立図書館前の道をはさんで
  南側→住宅地(奈坪台)
  北側→鬱蒼とした森
に姿を変えています。

 ちなみに、前出の「トワイライトゾーンMANUALW」に掲載されている写真によると、周辺は見渡す限りの草っぱらであり、特に、北側の現在状態からは、とても同一場所とは思えません。私も、最初は、絶対に違うと信じていました。

北側エリアの現状。
全域このような状況であり、踏破には困難が伴います。樹相はほぼ均一であり、ほぼ同時期に植林されたものと推定されます。
最北部の森の中。写真ではわかりにくいですが、建物の基礎(コンクリート製)が5M×10Mくらいの大きさで残っていました。私の見つけた最大の遺構
上と同じ。
北側エリア中央部、旧地図にも記載されている小径わきのコンクリート構造物
(建物の基礎か?)
上と同じ

3.岡本工場想像図

 前出の「トワイライトゾーンMANUAL」に掲載の図、5万分の1地形図、実際
の調査結果などを総合して想像図を作ってみました。

4.あとがき

 調査中に出会った地元の老人から
「知り合いの高崎製紙専用鉄道の元運転士が、分工場の遺構が残っていると
言っていた。」との情報を得て、懸命に探しましたが発見できたのはわずかな
痕跡でした。岡本工場が、その役割を終えて半世紀。この地は、ここで生涯を
終えた名機たちの鎮魂の森となっていました。



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作成    2002.8.4
写真撮影 2002.4.30

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