Alternative Views》 2002年2月2日、2月3日、3月3日

クワクチヤウWatanabe明朝プロジェクトの挫折もしくは潜行

はじめる前に

“JIS漢字”の規格である JIS X 0208:1997 及び JIS X 0213:2000 が定める漢字の“包摂”に関して、《旧字新字“包摂”されているので、例えば「羽」の旧字はJIS漢字では出力できない》といった類の誤解を記した雑誌記事等が見受けられます。実際の規格内容は《いわゆる旧字いわゆる新字両方とも同じ符号で示すよう“包摂”されているので、JIS漢字の符号では両者の区別ができない(より正確には、いわゆる旧字といわゆる新字の関係を含め、異体関係にあると思われる文字でも点画の差が小さいものは同じ符号で示すよう“包摂”されている)。たいていのフォントベンダはそうした符号の図形文字をいわゆる新字で実装しているので、当該符号を人間可読化する際にはいわゆる新字でしか出力できない場合が多い。》と言っておくのが妥当であるようなものなので、“JIS漢字フォント”の制作にあたって、“いわゆる旧字といわゆる新字が同一符号に包摂されている字体をいわゆる旧字で実装する”という方針をとることも可能です。実際、商用フォントの中には文字鏡契冲のように“正字/旧字といわゆる新字が同一符号に包摂されている字体”を正字/旧字で実装したものもあります。

以下には、PNGフォーマットの画像ファイルを表示していただくことを前提に、漢字の字体もしくは字形についての話題を記します。

はじめに

世の中には、青空文庫など、公有テキストの電子化と配布を行なっているウェブサイトが幾つかあり、電子化された公有テキストの中には“旧字旧仮名”で符号化されているプレインテキストもあります。“旧字旧仮名”で符号化したテキストが存在するとはいえ、今のところ、《“いわゆる旧字といわゆる新字が同一符号に包摂されている字をいわゆる旧字で実装したJIS漢字フォント”が非常に希であるため、包摂された字体はたいていの場合いわゆる新字でしか人間可読化できない》という状況にあります。私は、この状況を嘆いているだけではつまらないので、旧字JIS漢字明朝体フォント作成に乗り出してみよう考えました。

さて、旧字体に傾斜してJIS X 0213:2000の実装を行なう際に、幾つかの方針が考えられます。例えば、康煕字典の字形を盲信するとか、諸橋大漢和に追随するといった方針や、大正年間(あるいは昭和初期)の明朝体活字として実際に見られた字形を再現しようという方針などです。こうした方針のうち、日本の明朝体の歴史には見られない――少なくとも『明朝体活字字形一覧 ―1820年〜1946年―』(文化庁文化部国語課、1999年、ISBN4-17-414500-8)には見えない――4画の草冠を実装してよいものか? といった観点や、国字には全く役立たないといった理由から、康煕字典に基づくことはやめた方が良さそうです。また、諸橋大漢和の正字を基本に据えた旧字JIS漢字明朝体フォントを作るのは、石井茂吉氏逝去後50年を経て石井書体が公有化したと信じられる時期を待ち、“石井明朝体の復刻ないし翻刻”を通じて実現する方が面白そうです。

そのようなわけで、ここではまず、“日本の明朝体活字として実際に見られた字形”を旧字体と定義し解説を加えている『旧字旧かな入門』(府川充男・小池和夫、2001年、ISBN4-7601-1997-3)を基にしつつ、《旧字体としてどのような字形を実装するか》、《どの旧字体の字形を実装するか》といったことを考えていくことにしてみます。

新旧字体の対照と検討

『旧字旧かな入門』に基づいて、JIS規格が包摂している新旧字体の対照表を作成し、新旧字体が異なり得るものを見渡していくと共に、同書が注意を促していたり解説を付しているものを中心に『明朝体活字字形一覧』等に基づく再検討をしてみようと思います。まずは、検討対象字のうちア行のものから幾つかピックアップしてみます。表中の例示字形には、すべて拡張Watanabe明朝とクワクチヤウWatanabe明朝study(未公開)を用いています。

【ア】

符号新字旧字a旧字b旧字cYour Font検討
1-16-23 扱(新) 扱(旧) 扱(旧) 扱(旧)

『旧字旧かな入門』には、「扱の旁、及は、漢和辞典では又の部の二画に置かれます。そのため中央をつなげて四画になるようにした活字も作られました。しかし、楷書は昔から三画で書きますし、康熙字典でも新字体と同じ形です。したがって無理に旧字体を作字する必要はありません。」との解説があります。確かに『人文学と情報処理 No.26』所収の小宮山博史「書体設計とJIS包摂規準」を見ると、“及”に関連する包摂規準(連番144)について『明朝体活字字形一覧』を当たると (1) 三画のものと四画のものの両方の明朝体活字が昔から存在すること、(2) 「及」以外の、「及」を部分字体として含む字体については三画の方が優勢であること、の2点が確認されそうです。

念のため「及」を部分字体として含み第1水準・第2水準漢字にある漢字(吸、汲、扱、級、岌、笈)のうち、「書体設計とJIS包摂規準」の調査対象外である「扱」と「岌」について確認すると、「岌」は三画12・四画5で、「扱」は三画9・四画14でした。さて、部分字体として出現する「及」は三画で統一するのが良いでしょうか、「扱」だけは四画の及に作る方が良いでしょうか。

また、『明朝体活字字形一覧』を眺めた限りでは、四画の及に作られている「扱」には旧字a(築地五号1894、製文初号1903、築地三号1912、築地五号1913、築地三号1935)、旧字b(築地四号1913、博文四号1913、宝文四号年代不明)、旧字c(英華書院1860、宝文一号1916、秀英一号1926、民友35ポ1934、朝日漢字1946)の三種が見えますが、旧字aの形以外は1-16-23の字形として不適当でしょうか。年代が新しい活字であるためか、私には旧字c群の字形が整っているように感じられ、気に入っているのですが……。

1-16-37 暗(新) 暗(旧)

『旧字旧かな入門』では、《旧字体の字形にばらつきがあり、新字体と同じものが多数ある》ことが示されています。

『明朝体活字字形一覧』で確認した限りでは、道光版康熙字典1831が横棒、修訂版大漢和1986が縦棒で、他は横棒14・縦棒9でした。多数派を採るなら、横棒に作るのがいいかもしれません。

【イ】

符号新字旧字a旧字b旧字cYour Font検討
1-16-67 違(新) 違(旧) 違(旧) 違(旧)

『旧字旧かな入門』には、次のような注釈があります。

偉、囲の旧字体、緯、違に共通する韋の下部、ヰの形をよく見てください。漢和辞典ではこの部分を三画に数えていますが、楷書では常用漢字と同じ形で四画に書きます。活字では三種類あることがわかります。これはデザインの違いで、どれが正しいというものではありません。

『明朝体活字字形一覧』で違の字を眺めた限りでは、修訂版大漢和1986(旧字c)と同じ形は見えず、『旧字旧かな入門』と同様のパターンである旧字aのパターンが17、旧字bのパターンが5、旧字bの縦棒が上の横画から離れているものが1(米長老会1844)見えます。多数派を採るなら、違の字は旧字aのパターンで作るのがいいかもしれません。

1-16-68 遺(新) 遺(旧) 遺(旧)

『明朝体活字字形一覧』で確認した限りでは、米長老会1844が、修訂版大漢和1986と同じく貝の横棒をウロコで止めています(旧字b)。道光版康熙字典1831と築地五号1913が、かすれているのか横棒を途中で止めているのか明快でない他は、すべて旧字aの形に作られています。多数派を採るなら、旧字aのパターンで作るのがいいかもしれません。

1-16-79 逸(新) 逸(旧) 逸(旧) 逸(旧)

『旧字旧かな入門』は、さりげなく第1水準漢字である“新字”の逸と第3水準漢字である“旧字”の逸とを対照していますが、“涙の許容字体”同様、旧字フォント実装の際には慎重な注意が必要です。JIS X 0213:2000 に正しく従うならば、1面92区57点は JIS X 0213:2000 が言うところの「人名許容・康煕別掲」字体のみを表し、それ以外の旧字体は1面16区79点で表されるのです。

念のため『明朝体活字字形一覧』を眺めてみた限りでは、1-92-57の形に作られるもの(道光版康熙字典1831や修訂版大漢和を含む19点)の他、1-16-79の旧字a欄のパターン(国文五号1887、国文四号1887、製文二号1906)と、旧字bのパターン(美華書館1873)、旧字cのパターン(英華書院1860)、そして例示字形は作っていませんが《1-95-27の旁の上部が「ク」ではなく「刀」になっているパターン(五車韻府1820)》が見えます。

「涙」とは違って「逸」の旧字体は「人名許容・康煕別掲」の字形が主流のようですから、無理に《「人名許容・康煕別掲」ではない旧字》を実装しようと考えなくとも良さそうですね。

1-92-57 涙(人名許容・康煕別掲)

【ウ】

符号新字旧字a旧字b旧字cYour Font検討
1-17-09 羽(新) 羽(旧) 羽(旧) 羽(旧)

『明朝体活字字形一覧』で確認した限りでは、すべて《左払いの二段重ね》には違いありませんけれど、接触の位置や接触具合に様々なパターンがあるようです。その中で、『旧字旧かな入門』の例示字形のパターン(旧字b:美華書館1873、国文五号1887、国文四号1887、大阪三号年代不明)や、修訂版大漢和1986のパターン(旧字c:築地五号1894、築地五号1913)ではなく、旧字aに示したパターンが9点で最多でした(この他にもデザインのバリエーションがあります)。多数派を採るなら、旧字aのパターンで作るのがいいかもしれません。

【エ】

符号新字旧字a旧字b旧字cYour Font検討
1-17-42 永(新) 永(旧)

『旧字旧かな入門』には、「永の一画目を横にする形もデザイン差の部類で、あまり多くはありません。そのため、泳、詠には掲出していませんが、「森永」のロゴは今でもよく目にしますので、これだけを掲げてみました。」との注釈があります。『明朝体活字字形一覧』で永の字を眺めた限り、永の一画目を横にする形は、五車韻府1820、英華書院1860、大阪三号年代不明の3点だけのようですから、多数派を採るなら、新字の欄に掲げた形のままでいいでしょう。

ちなみに、第1水準・第2水準漢字で「永」を部分字体に含むものには昶咏怺泳脉詠漾樣があり、規格票の例示字形では昶が横棒で、他は点に作っています(ただし漾は78JISから83JISまで横に作っていました)。

『明朝体活字字形一覧』を眺めると、昶の字はすべて横になっています。咏は横8・点7、怺は横2(国文五号1887、国文四号1887)・点10、泳は横3(英華書院1860、国文四号1887、大阪三号年代不明)・点18、脉は横11・点5、詠は横8・点12、漾はすべて横(修訂版大漢和のみ点)、樣はすべて点、という具合に見えます。かつて漾の規格票例示字形が横に作られていたのは、伝統字形を継承していたからだと考えられます。

ともあれ、各々の字について多数派を採ると、部分字体としての永のデザインがばらばらになってしまいそうですね。

1-17-72 沿(新) 沿(旧) 沿

『旧字旧かな入門』には、「沿、鉛の旁は、新字体が康熙字典体です。しかし、昔の活字はほとんどすべて左の形(引用者注:“几”に作ってある方)でした。」との解説があります。

『明朝体活字字形一覧』で確認した限り、沿は、米長老会1844が“八”に作っている以外、道光版康熙字典1831と修訂版大漢和1986を含むすべてが“几”に作っています。鉛は、道光版康熙字典1831と修訂版大漢和1986を含む20点が“八”に作っており、“几”は5点(五車韻府1820、英華書院1860、築地四号1913、博文四号1914、宝文四号年代不明)のみです。

他の版の康熙字典や他の大型漢和辞典なども参照した上で、沿と鉛で旁を変えるか揃えるかを考える必要がありそうな気がします。可能ならばポイント活字の総数見本帳をも参照したいところです。

なお、第1・第2水準には他に「船」が同じ旁になっており、第3水準漢字には木偏のものがあります(1面85区59点)。1-85-59は『明朝体活字字形一覧』で見つけられなかったので“実際に使われていた活字”との比較はできませんでしたが、JIS X 0213:2000 の規格票に示されている康熙字典内府本の字形は“八”に作られています。また、「船」について『明朝体活字字形一覧』を当たると、道光版康熙字典1831と修訂版大漢和1986を含む11点が“八”、他の14が“几”でした。

少なくとも、『明朝体活字字形一覧』に現れる範囲では、「沿」1字しか「ほとんどすべて“几”」とは言えそうにありません。

また敢えて蛇足の注を記しておきますが、この旁について JIS X 0208:1997 は“八”の形と“几”の形を包摂していませんから、“几”のパターンを実装するならば JIS X 0213:2000 に適合するフォントとして作成する必要があります。

挫折もしくは潜行

いわゆる新字体と違って、いわゆる旧字体は“新字体でないもの”と定義する他ないようなものであるため、《調査検討の上多数派を採る》か、《諸橋大漢和主義》で行ってみるか、《ああどうせ築地五号の模倣だよ文句あるか》といった作り方をせざるを得ないように思われます。

部分字体として出現する「永」の扱いや、沿・鉛の旁の扱いなど、《調査検討の上多数派を採る》ことの難しさを垣間見ることが出来た私は、仮称クワクチヤウWatanabe明朝プロジェクトを休止することにしました。

拡張Watanabe明朝が第4水準漢字を実装し終えた頃に時間を作れれば、仮称クワクチヤウWatanabe明朝プロジェクトに再挑戦するかもしれません。

あなたは、どんな正字/旧字フォントを欲しいとお思いですか?


内田明
email: uchida@happy.email.ne.jp
PGP public key: http://www.asahi-net.or.jp/%7Esd5a-ucd/PGP.html