入院


  


 6月21日(木)手術 夏至&外は雨
3日目


 昨晩睡眠薬もらって寝付きはまあまあの10時半。目が覚めたら廊下が明るい(というかナースステーションの明るさ)ので時計を見る。朝3時30分。結局いつも通り5時間経つと目があいてしまうのかな。その後小刻みにうとうと6時起床。朝の検温。看護婦さんに「がんばってね」と声をかけられる。私の中の昨晩の先生の話、どれだけ引きずっているだろう。
 ちょっとだけ外来のロビーに行きメールチェック。友人と家族から。娘のタイムスタンプがやけに早い4時台、普段どんなにしても起きないのだが母がいなくてきちんとしているというよりはおそらくゲームをするためだろうな。
 9時、点滴。主治医みえる。一応腕で探す、で、針を刺してみるがうまくいかず手の甲を見て、ここなら、と、毎度おなじみの手(血管が細くてでにくいとはいえいつもいつも・・)。手首曲がると落ちにくいから気をつけて、点滴は明日くらいまでですから長くはないですよ、と説明した後でついでのように「次回の時(手術)も使えるくらいしっかりしている血管だ」とは、一言多いというか・・・・。
 Tシャツを着たままカッターシャツ羽織っていたので点滴の前にあわててTシャツを脱いだ。後で手術着に着替えるのにじゃまになることをうっかり忘れていたのだった。
 10時20分浣腸。3分くらい待ってとの言葉に「い〜ち、に〜い、・・・・・」としっかり数えて、さて、と思ったら、吐き気&めまい。思わずナースコール。血圧はかってもらうまでもないけど上が70しかなくて時として起こる貧血による血圧の低下。そのまま顔に血が上ってくるのを感じられるまでじっとしていた。気持ちが悪くてたまらなかったけれど何とかがんばり病室に戻ったが、参った。1時間近く経過していた。


**** ここからは22日に記す ******


 正午、夫がやってくる。昨晩の先生の話(再手術の場合のこと)を伝えどうするか相談する。子どものことが気になるがたとえ後のばしにしてもその間待っているのもあまりいい気分ではなく、嫌なことじゃなくて良くなるためにすることなら早いにこした子とはない、早く現実復帰ということで、手術の日程次第だけれど空いていたらすぐにでも、そうでない場合は一時退院にしようと話す。
 12時半に手術着に着替えて用意したが前の手術が長引いているとのこと、こうして待つ間が嫌だ嫌だ。
 1時30分(やっと)、台に移動、手術室にがらがら。手術室にて手術台に移動。氏名・生年月日・性別・年齢読み上げられ、間違いないですね、との声がかかる。心電図用にペタ、血圧はかるためにぐるぐる腕巻きまき、酸素吸入かけながら「すぐに麻酔が効いてきますよ」の声。
 覚めたときは手術終了して運搬台に移し替えられるところだった。「まだ寝てるかな」の声に「起きてます」と返事をしたが、そこから病室までの記憶なし、病室のベッドに移されたのは覚えている。点滴と酸素吸入。
 尿管に管が通っているのが残尿感と似ていて気持ち悪い。それ以上に寒い。ガタガタガタガタ。電気毛布が暖かい。オットの顔を見てホッ。「もう少ししたら先生と話してくるから」と。手術は1時間40分くらいで戻ってきたよ、と。
 その後先生と話してきて、もしもの時の日程一応決めてきたとのこと。とりあえず今日の1週間後の木曜日28日に予約を入れてが異常がなければキャンセルする。病理検査も急いでもらっているらし。もしものときの外泊・外出の話もでていて、もしかしたら日曜日は家だ。
 夜にもう一度、とオット帰る(というか会社へ)。吐き気がして気分が悪い。吐き気止め点滴に加わる。腰が痛いからと痛み止めの座薬、この座薬は夜寝る前にもう一度お世話になる。のどが締めつけられるような感じがするのは麻酔管をのどに入れたためで、そのためのどが腫れて呼吸がしにくいのでそのための酸素吸入との説明も受け納得。
 それでもだ。事前に他の人の体験談で手術室から出た後は酸素吸入だったというのを知らなければ、パニクるところだった。同じことを夜オットもしみじみと言っていた。「知らないでいたら何事かと心配だった・・・」
 痛み止め、吐き気止めが効いてきてとろとろ。血圧・酸素の流れ・尿の量などチェックに時折看護婦さんがきたような・・・・。気がつくと夜になっていてオットの顔。子どものこととか話しながらもトロトロ。せっかくきてもらっても話もつながらない。手術後会社に直行したと思っていたのだが家によって休養してたとのこと。手術の付き添いにだけきて次の手術の日程までなんていう荒技はきついよね。
 寝る前に再び痛み止め。尿の量が少ないとかで点滴の速度早まる。とろとろうとうと一晩中、時折点滴の点検にくる看護婦さんの気配で目が覚める。

 6月22日(金) 手術後1日
4日目
 3時半に目があいたときの気持ち、入院前よりは高調感あり。6時近くまでトロトロ。6時の検温の時に頼んでラジオをとってもらい聞く。そうこうしているうちに点滴終了。開始から24時間未満で終わってやれやれ。 手術着から普通のネグリジェに着替える。尿管はつけたままだけど・・・。そのときに心音や腸の音も確認していた。食事も今朝からOKということで(絶食はまる1日だけだった)「ゆっくり、まず水分から」との声を添えてもらっての朝食。おかゆ・のり佃煮・鮭・青菜のみそ汁。麦茶を一口一口味わってから、おなか空いていたのもあって全部食べた。
 11時半、尿管はずれ、先生にガーゼを抜いてもらう。 半端じゃないガーゼの量、わお!! 「これで歩いて結構です」と。よかったよかった。^^。
 昼は椅子に座って食べた。焼きそばはちょっとしつこくてあまり食べられなかったけれどベッドで食べるよりは気分いい。気分いいと言えばトイレ。歩いていってキチンとできるというのはいいものだ^^。これも健康のパラメーターの一つ。最初の尿は色と量を見るからというので連絡してから。200ml。ガスもでてOK。コーヒー飲みたくて売店に行って買ってきて飲む。まさかそのせいだけではないだろうが、ムチャトイレが近い。30分刻みに通う感じ。点滴の時に量が少ないって言っていたからその身体に入った分まで排出しようとしているのかな。
 明日抜糸との連絡あり。のどはまだ唾を飲み込むとひっかかる感じだ。


 18:00、主治医先生見えて話。異常あれば木曜日に手術予定入れた。もし手術となったらその前に調べておきたいことがある。泌尿器科の外来で膀胱とかの検査、点滴で造影剤いれて・・・。(うー、なんなんだ、いったい)。木曜の手術の結果は火曜ぐらいには出るのでもし再手術の前に外泊したいならそのときに説明受けて承諾書サインしてから水曜の夕方5時までに戻るということであわただしいけど外泊できる。手術となれば子宮とるのは間違いなく、それ以外の部位をどうするかは状況次第で手術時間もそれによって違ってくる。など。
 火曜から水曜にかけての外泊じゃああわただしいだけかも、要相談、とメモメモ。会社も早々は休めないだろうし子どももいない家に一人でいたところで,あまり変わらないか。


 などとさらっと話を聞き終えたつもりだったのだが、その後すぐに運ばれてきた夕食を食べているうちにだんだん気分が悪くなる。ちょっとむかつく感じ。食べ物のためではなく完全に精神にきている。身体が小刻みに震えている。子宮&その周辺(卵巣など)いうのはそれなりの覚悟だったが、泌尿器関係もチェックとは・・・・・・・。うぅ・・・・。
 18:40頃知人(ネット友)現れる。当病院の薬剤師さん。やはり、か。薬局に来たカルテで名前発見したって、仕事帰り。あっ、ばれてら(^^;)。WINとMacの話とか、会議室のこと、パソのこと、あと病院の話など盛り上がる。気分晴れ晴れ。
 その後オットと娘、一時外泊は火〜水、どうせしなくちゃいけない(手術)なら、引き延ばすより一気になどの話はオットと。娘と、課題のモラトリアム、体調、二者面談、本のことなど。側による娘の頭をなぜなぜしてしまった。今後の治療のことなど横に娘がいるとうまく伝えられない。

 6月23日(土) 手術後2日 
5日目
 AM2:00!!
 ダメ、ぜんぜん眠れない、というか、多分10時半から1時くらいまでは寝ていたんだろうけれど、目が開いちゃった(トイレにも行きたかったけれど)。明かりもつけずにこんな事が書ける位ベッドが明るいっていうのがそもそもの大問題の上に、同室の人が気になる、って、わがままかなあ。ちょっと真剣に部屋変わっていいか(料金かかっても)考えたくなってしまう。安眠(だからって出来るかどうか判らない)と金銭かぁ。相談すること自体わがまま通しちゃうことになるかな、でも、そもそも、部屋が空いてるかそれが問題だったりして〜〜。
 3:00〜3:30位うとうと。
 で、結局もうだめと、4時に(起床時間2時間前だぁ)看護婦さんに断って、世界史の参考書抱え込んでロビーにお出かけ。同室の人の気配もしていたりするので眠れないのは私だけではないと思うんだけど・・・・・、根性なし。
 光と音と空間と。   ダウン。
 6時少し前に「今日は計測だから」と声をかけられた時に、もし部屋が空いているようなら個室か二人部屋に変わりたいとお願いしてしまう。吐き気はもう寝不足からくる以外何ものでもない。
 7時少し前にオットにtel。眠れなかったこと、部屋を一人部屋、だめなら二人部屋でもいいから変えてもらいたいと話したと告げる。昨年オットが六人部屋で1週間何もなく入院したことを思えば(比較されてもだけど)むちゃくちゃいってるようかもしれない。実際、二人部屋、でも、出来たら個室が、と言ったときのtelの向こうの声。でも、でも・・・・・。ちょっと涙目な私。看護婦さんでさえ「これからいろいろ控えている(かもしれない)から、よく眠れた方がいいですよね」と言ってくれているのに・・。金銭の負担はあるけど、それ以上に、空間を他人と共有するという状況についていけないでいる。“病気である”という事実を受け入れる方がまだ楽なくらい。といっても
 初日 ;4時間くらい寝た?
 2日目;手術前日ということで睡眠薬、10時半から3時半まではちゃんと眠れて後はトロトロ。
 3日目;手術後の点滴一晩中あって、だいたいうとうとしていて
 4日目;←これが、さっきまでのことだから〜。
 隣のベッドの方が母と同年輩。ぼけ気味で寝たきり。昼は10数分刻み、夜も1時間とあかずナースコールして、氷枕頻繁に取り替えるよう要求したり(看護婦さんもなだめたり苦労している)夜でも独り言続く。それが耳について離れない。おまけにナースコール、ステーションそばだから響くのなんの、いい加減まいる。もし母が寝込んだら、なんて思うとよけい、神経が休まらないというか・・・・・。午後にはとりあえず移動できるとのことでオットにあれこれいわれようとともかくは安心。


 11:15抜糸
 主治医のもう一人の先生(TA先生;後のことになるが6月一杯でこの病院をやめて他へ移った。実際に接したのは数えるほど)、小柄な髪が肩までとどくてきぱきした感じの女医さん。で、内診台にのって、さあ、というところで「ハサミください」「あっ・・・」という感じてちょっと待たされた。用意を確認できてから呼んでほしいとしみじみ。ハサミもとどいて、再度、パチパチと4回切ったか、それで終了。あっという間だけれど、この初対面(というか、顔をきちっとあわせたわけではない)の先生「終わりました」とだけ。もうひとこと何か言ってほしいと思うのは患者のわがままかなぁ。


12時に二床部屋に移った。ベッドに荷物を載せての引越し、サンダルを忘れそうになったが、それにしても荷物多すぎ? 二床部屋といっても相手いなくて個室状態に近い感じ。窓側にベッド、外の緑がまぶしく、ミニ冷蔵庫もついていればトイレも室内にあり、わがまま言ったけれどこれで眠れる。
 2時の検温の後まず30分そして1時間と熟睡。「エリーゼのために」の音も遠くに。4時に婦長さんが部屋の同意書持ってくる気配で起きる。サインと判。料金は高いかもしれないけれど部屋の差額の支払いに関しては、再手術でなければ数日分として3万円くらいかな、その位ならまあ。長期になるというなら(うぅ)それはそれで保険が、こんなときのための保険、重ねて払っているのだし・・・。生命保険の特約に医療保険にがん保険。悪ければ悪いほどお金は出る、ってそういう問題ではない。けど。でも一人でいる部屋の心の安定感。
 オットと息子夕方病室に。前はロビーでそっと話していたので病室内で柔軟などする息子ののびやかな姿がうれしい。風邪気味のようなので家にある薬の場所を確認して飲むように伝える。
 夜、公衆電話にかじりつき京都オフ只中の友にTel、乱入^^。


 そういえば今日が沖縄返還の日だったはず。ニュースを時折聞くだけで世の中の流れと隔離された感じだ。テレビは嫌いなのでテレビカードも買ってないし、明日こそ頼んで新聞をまとめて持ってきてもらおう。

  6月24日(日) 手術後3日 
5日目
 5時起床。窓の外から鳥の鳴き声。昨晩は10時消灯と友にバタンキュー。一回目が覚めたのが朝の3時(これはいつもの5時間睡眠のパターン)。それからまたしっかり寝なおして7時間ぐっすり眠った。こんなに眠ったのは検査結果が手元に届いたあの5月末の土曜日以来初めてかもしれない。いくら入院前に気持ちもそれなりに眠れるようになったとはいえ、そこは日常生活、家事(特にお弁当つくり)抱えていると、どうしても削るのは睡眠なってしまうから・・・。病院にいると家事もなく、ただただ時間が流れる。その流れの中での安眠。
 「入院は主婦の急速と思って」。何人もの方から言われた言葉、ここに来てやっと実感できる。ありがたい。ベッドから外に夏の匂い。
 2時の検温のときに看護婦さんが明日の検査のための検査着もってくる。明日9:30泌尿器科、尿の通りを調べる、など。朝食は検査終了後、水分も朝からは取らないように・・・。「手術について先生から何か聞いていますか」「火曜日に話があるということで・・・」と返事。でも、担当看護婦のMさんの中では私=再手術あり、なんだろうか。「先生が何も言ってくれないんですよ」と笑いながらいうも、やはり(家に)戻れなかったかと思うと鬱になりそ。でも、まずは話を待つ。その後はその後。心、落ちるだけ落としておいたはずなのに、やはり一人でいるとドキドキしてくる。悲嘆にくれる妻の姿演じたら、オット、まいるだろうなあ、なんて思いながら、ここで自虐的になってどうする。。。
 指示書が枕元にぶら下がる。
 「6/25 DIPの為朝食待ち」


 2時半ごろ家族来院。1時間強、途中で刈ってきたアイスなど食べながら生協の注文の記入と次週の食事献立の打ち合わせ。試験のことなど。赤点とらない程度の他のことでという娘、もうそれは任せた、明日は二者面談とか、思うように生きてくれ。息子は音楽のテストのことなど。注文用紙を囲んでおしゃべり。息子の熱は下がったとか、娘貧血起こしたとか、みんな健康に気をつけてね。子どもと話している間オット、ベッドにひっくりかえってうとうと。疲れているんだ。
 これから買い物して帰るという3人を外来棟の2階まで見送り。引き留めたくなってしまう自分がちょっと情けない。夜もう一度きてくれるようにオットに頼む。まとめてもって持ってきてもらった新聞を読む。
 5時、根性なし。心が揺れてる。椅子の上にある明日着る検査服なんか見てるとちょっと怖くなってきて新聞読んでても気持ちゆれゆれ〜。なんてつぶれていたところへ7Kさん、日直帰りということでゼリー片手に登場。日直帰りということで病院のこと薬局システムのことなど、話していて元気になれる。ありがたい。
 8時20分過ぎ、オット再来。家での子どもの世話やら家事に仕事にと大変なオットにちょっと言葉の甘え。口に初めて出す「辛い。帰れなくなちゃったかも」と。。。。ピト、って、なんか思いっきり泣いてみたら気持ち落ち着くかもしれないけど、それってあんまりだし・・・。
 10時消灯、だけどなんか眠れない。



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