伝統ゲーム紹介


投扇興の歴史

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投扇興の歴史

1.江戸時代(発祥)

 歴史に登場するのは安永年間(1770年代)。江戸時代の後半です。 この頃に何冊かの「投扇興の本」が出版されています。
 「投扇例」という名古屋で出された本の序文によれば、安永二年(1773年)の夏、著者である投楽散人其扇が木枕に止まった蝶に向かって戯れに扇を投げたところ、蝶は飛び去り扇が枕の上に乗ったところからこの遊びを思い付いた、ともっともらしく書いてあります。その後に江戸で出された「投扇興図式」という本にもこのことが記されています。これが真実のように言っている人やホームページもあるようですが、あまりにできすぎていて信用しがたいものがあります。こういうものは格好の良い話をこしらえたがるものです。盲信は禁物でしょう。投楽散人某という名前は投扇興から付けられた雅号であることは間違いなく、本名などがはっきりしない以上、架空の人物と言うことも考えられるのです。そして調査の結果「投扇興図式」よりも前に書かれた「投扇興」の本があるばかりか、序文と挿絵を除く内容が全く同じということが判明しました。「投扇興図式」自体がオリジナルではなく、序文だけが加えられたということは、この序文の発明話は架空と言って良いでしょう。

 中国から伝来した投壺(とうこ)という遊びが非常に類似しており、これが元になっているのは間違いないと思われます。投扇興の本が初めて出版される時期の前後に投壺の本がいくつか出版されています。投壺が遊ばれたという資料は非常に少なく、大きく流行はしなかったようですが、少しは実際に遊ばれたようです。投扇興の発案者はこの投壷から投扇興を考えついたのでしょう。
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2.江戸時代(流行と衰退)

 江戸時代には一時期大流行したという記述もありますが、どの程度流行したのかはっきりしたことはわかりません。通して遊ばれていた囲碁や将棋などは「流行」といった記述が無いこと、一般的な事象はほとんど題材となっている浮世絵や川柳に「投扇興」を題材としたものがほとんどないことから、ちょっとしたブームが数度あっただけと考えられます。もちろんブームとブームの間は滅んでいたわけではなく、遊んでいる人は細々といたのでしょう。 <p>  貴族の遊び・公家の遊びと思っている人も多いようですが、文献で見る限り、町人の遊びであったようです。身分の高い人が行ったという文献もありますが、庶民の間で流行っていたものを試してみた程度というのが正しいのではないでしょうか。芸者の遊びと思っている人も多く、また、遊郭で遊ばれている場面が登場する小説・戯曲などもありますが、それは遊郭「でも」行われていたのであって、江戸時代は決して遊郭の遊び・遊女の遊びではありませんでした。

 家庭で遊んだ人もいたようですし、町々に遊ぶところがあったという記述も残っています。現在のゲームセンターのように、金を取って人々に投扇興をさせる店があったようです。娯楽の少ない時代ですから、こういうものはすぐに賭博になりました。このため、幕府より禁令が出されてしまいました。そのため衰退したようですが、明治時代以降まで生き残ったので、絶滅するほど禁止された訳ではなかったようです。もっと幾度と無く禁令が出された「かるた」や「双六(盤双六)」も明治まで生き残ったのですから当然でしょう。禁令の後も、投扇興の本や点式図(役と点数を書いた紙)が出版されています。また遊ばれたのを記載する様子を描いた文献もあります。幕府はあくまで賭博行為を禁じたのであって、投扇興という遊びを禁じたわけではありませんでした。資料からは、三度ほどの流行の時期があったと推察されます。その流行も規模としては囲碁・将棋・かるたに比べれば小さいものだったと思われます。

3.明治・大正時代

 明治の風俗を記した書物によれば、東京・京都・大阪に1、2軒投扇興を行わせる場所があったようで、「良く遊ばれている」とは言えず、むしろほとんど絶滅に近い状態にあったと思われます。ただ扇店が専門の道具を販売するなど、途絶えてはいなかったようです。子供の遊びのアンケートでは、明治大正の時代は女の子の遊びとして揚げられています。西條八十なども遊び、吉川英治や谷崎潤一郎の小説にも登場します。明治中期以降は徐々に人気が盛り返し、京都の扇店・宮脇売扇庵では新たに投扇興セットを売り出しました。

4.昭和・平成時代

 生活の洋風化に伴い、畳の遊びというのは一般的でなくなっていきます。従って、特別な環境の人々に遊ばれるということになります。例えば、旧家・梨園・花柳界ということになります。貴族の遊びだ、芸者の遊びだと思っていらっしゃる方も多いようですが、その部分のみを捉えれば確かに誤りではありません。

 高度成長期も一段落し、懐古趣味や世俗と変わったものを求める中で和風を面白がる傾向が出現しました。そのような中で、投扇興が見つけ出され、いくつかの地域・団体で実施されるようになりました。現在は、マスコミに登場することも多くなり、それがまた広まりを助けているようです。

 ただ昨今は、投扇興を華道や茶道のような芸事として宣伝し、家元制度を作ったり、段級位制度を作ったり、高額な会費や免状代を徴収したり、高額な道具を売り付ける団体も出現しているようです。簡素な道具でどこでも遊べるのが投扇興の魅力です。妙な宣伝に迷わされないようにしましょう。


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