M51.気象観測所の環境問題-気象庁が動き出した

著者:近藤純正
地球温暖化など気候変動を監視する観測所のごく近傍の環境が悪化し、正しい観測ができない状態に なってきている。これを改善するには、観測所が設置されている地域住民の理解と協力が必要であり、 さらに、気象庁が気候観測の重要性を認識し観測体制を見直すことが急務である。気候監視で 重要なことは、良好な観測環境が長期に渡って維持されることである。 しかし、気象庁は大きな組織であり、即座に十分な対応を行うことは容易ではない。 このことを広く国民に知らせるために、筆者は市民講座などの活動を続けている。 各地で多くの支援者が現れ、気象庁もようやく動く気配を見せるようになった。

ここに、その経過を記録しておくのは、筆者の活動が道半ばで終わった場合、後に続く有志たちの 参考になるからである。
(完成:2010年7月4日予定)

本ホームページに掲載の内容は著作物であるので、 引用・利用に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを 明記のこと

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工事中 (更新記録)
2010年6月22日:素案
2010年6月25日:加筆修正


     目次
      51.1 はしがき
      51.2 気象庁長官との面談まで
      51.3 観測談話会
      51.4 地球惑星科学連合大会

      51.5 仙台管区気象台長へのお願い
      51.6 室戸市民講座に対する気象台の後方支援
      51.7 入院・手術後の体力回復
      あとがき


51.1 はしがき

地球温暖化など気候変動の実態を把握する監視体制が危うくなっている。それは、主に田舎に設置 されている旧測候所の無人化によるほか、多くの気象庁職員の気候観測に対する基本的な知識の 不足によるところが大きい。 全国に96あった測候所は公務員削減の一環として1996年から始まり、今年2010年度までに 北海道帯広と鹿児島県名瀬の2か所を除きすべて無人化される。無人となった観測所を巡回して みると、観測露場に雑草が生い茂り雨量計に覆いかぶさり、あるいは周辺の樹木の成長によって 観測資料に異常が現れた所がある。

こうした環境悪化を防ぎ気候監視が正しく行えるようにするには、現状を国民世論に訴え、 理解と協力を得ることが重要だと考え、各地で市民講座、大学や研究機関さらに各地気象台でも セミナーを開いてきた。私のこうした活動が各地の住民に理解され、少しずつではあるが、 よい方向に向かっている。このことは、新聞の全国紙でも地方紙でも報道されてきた。

私がわかったことは、何ごとも根気よく説明すれば、必ず理解してくれる人々がいるということだ。 行き詰ったときにも、励ましのことばを掛けてくれる方々や、献身的な協力者も各地に現れた。

気象庁本庁へは2005年12月7日に訪問、続いて2005年12月19日の談話会において気候観測所の再整備 を行うべきことを提案した。2007年9月12日と2009年9月9日にも観測部へ行き観測所の周辺環境の 悪化を止めるべきことを訴えた。観測部では私の訴えを気にしてくれるように なったのだが、具体的な動きは感じられなかった。

通常のことなら、新しい研究成果が出てから20~30年後に実際の気象業務に活かされるようになる が、地球温暖化の監視体制の改善は緊急を要するのである。

観測所の周辺環境の悪化は急速に進んでいるにもかかわらず、気象庁の動きはとても鈍い。 気象庁長官ほか幹部が方針を決め指導性を発揮しなければ、気象庁という組織は動かない。 このことは、地方の気象台を巡回するなかで教えられたことである。

2010年3月になって、気象庁長官に対して私の活動を紹介してくれる方々が現れ、私と長官の面談が 可能となり、気象庁幹部らが参加する観測談話会が開催され、事態は好転に向かうことになる。

続く章の参考のために、最近の主な出来事の一覧を次にまとめた。

2009年
11月14日(土): 青森県深浦町での市民講座、突然中止されたが町議員らに訴える
12月11日(金): 講演のため広島市内を歩行中、激しい腹痛に見舞われる
12月12日(土): 気象予報士会広島支部会講演「温暖化と観測所の環境」を中止して帰宅

2010年
1月4日~19日: 入院し、「巨大のう胞」の水2.5リットルを腹に針を刺して吸引排出
2月15日~16日: 岡山県津山観測所の周辺の桜などの伐採作業が行われる
2月28日(日): 気象予報士会北関東支部の講演会にて観測環境の悪化を訴える
3月3日(水): 読売新聞記者・堀江優美子氏が気象庁長官に近藤の活動を紹介し支援の要請
3月8日(月): 名古屋大学安成哲三教授が気象庁長官に近藤の訴えを聴くよう要請
3月9日(火): 近藤から長官へお願いのメールを送信
3月12日(金): 長官から観測談話会開催についてのメールを受信
3月12日(金): 病院にて腹部の超音波エコー検査により、「巨大のう胞」の再発を発見
3月15日(月): 観測部計画課長から談話会を3月25日に設定したとのメールを受信
3月16日(火): CTによる巨大のう胞の精密検査の結果、4月に外科手術の予定か?
3月22日(休): 腹痛が始まり、緊急に外科手術すべきと判断
3月23日(火): 気象庁へ25日の観測談話会の中止・延期のお願いメールを送信
3月下旬: 外科手術前の諸検査を通院にて実施
4月2日~13日: 入院、7日に外科手術
4月21日(水): 高知地方気象台長へ、手紙にて室戸市で行う市民講座に支援を要請
4月28日(水): 室戸市長へ手紙にて、市民講座の開催を要請
4月29日(祭): 城ケ島まで50kmのハイキング、今後の活動に体力の自信をつける
5月13日(木): 気象庁長官ほか幹部に面談、観測談話会を行う
5月20日(木): 室戸高校長へ手紙にて、室戸市訪問時に面会したい旨を伝える
5月27日(木): 高知地方気象台長に電話、室戸市民講座の気象台との共催は不可能かを問う
5月28日(金): 地球惑星科学連合大会(幕張)の招待講演にて、観測環境の悪化を訴える
6月3日(木): 高知地方気象台長から、台長が6月1日に室戸市を訪問したとのメールを受信
6月9日(水): 仙台管区気象台長に面談、観測談話会にて具体的支援を要請
7月3日(土): 秋田雪の会講演「気候変動と私たちの暮らしー自然の恵みと災害」を行う
7月9日(金): 室戸市長と面談し、室戸岬観測所の環境保全に支援を要請
7月10日(土): 室戸市民講座「気候変動と私たちの暮らしー重要な室戸岬観測所」を行う

51.2 気象庁長官との面談まで

筆者がこの数年間にわたり全国を巡回し、資料解析からわかったことは、気象庁 の約1300か所の気象観測所のうち、20か所ほどが気候観測所として必要である (「K40.基準34地点による日本の温暖化量」の 40.2節「観測所と気温データの補正」、および「K45.気温観測の 補正と正しい地球温暖化量」の45.2節「気温観測の補正」を参照)。

これら気候観測所の周辺環境の悪化を止め、同時に現在良好な観測所については周辺環境を維持 するよう、気象庁長官はじめ幹部が現状を認識する必要がある。

筆者の活動を長く取材していただいた読売新聞社会部の堀江優美子記者と、大学のセミナーに 参加して認識を新たにされた名古屋大学の安成哲三教授の二人が、それぞれ気象庁長官に対して 「近藤の考えを聴いてあげてください」ということを伝えた。

読売新聞社会部の堀江優美子記者:
堀江記者は岡山県津山における第2回目の市民講座を取材し(2009年5月23日)、引き続き、 青森県深浦において計画された市民講座(2009年11月14日)と深浦観測所を取材していただいた。 ただし、深浦の市民講座は、直前にキャンセルされたが筆者と堀江記者は現地を訪問した。

筆者は市民講座で深浦町の住民に気候観測の重要性と観測所の周辺環境の改善を訴えることが できなくなった代わりに、町会議員ほか町の有力者に伝えることができた。 これは、筆者と堀江記者が11月13日に深浦町役場で落ち合い、打ち合わせしているとき、偶然、 通りかかった工藤安昭先生(学校の先生を引退されて現在はボランテアガイド)にお会いし、 初対面の私を3日間も自家用車で南北に長い深浦町を案内してくださったことによる。

その詳細は、 「M47.気象観測所の周辺環境を守る-深浦1」の47.4節「 環境整備が進む」に掲載されている。

堀江優美子記者はイギリス留学のために、2月末に退社の挨拶状を気象庁長官に送った。 また筆者にも挨拶状がきたので、その後の津山観測所の環境が改善されていることを堀江記者に 報告した。

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堀江記者に送ったメール


堀江記者は3月3日までに気象庁長官に、筆者の活動が良い方向に向かうよう、お願いのメール を送ってくださったらしい。

名古屋大学の安成哲三教授:
昨年の2009年4月28日、名古屋大学で甲斐憲次教授が開催してくれた講演会「温暖化の監視が危うい」 に安成哲三教授も参加された。安成教授は気象庁の気候懇談会の委員をされている。気候懇談会は 気象庁長官ほか幹部などが参加して年に2回開催されている。

2010年3月8日に気象庁にて気候懇談会が開催された。その日、安成教授は直接桜井邦雄長官に対して、 筆者・近藤純正の考えを聞く機会を作ってくださるようお願いしてくださった。 そして筆者に対して直接長官宛てのメールでお願いしてはどうか、という連絡があった。

そこで私は、(1)気象庁で談話会を開催してほしいこと、(2)気候観測所の環境整備には 大きな予算を必要としないこと、(3)気象庁職員を教育したいこと、について長官に宛ててメール を送った。

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気象庁長官に送ったメール


3月12日に桜井邦雄長官から連絡があり、気象庁で観測談話会を開催していただけることになり、 具体的な日時は観測部の藤村弘志計画課長が関係者と調整されることになった。

3月15日に計画課長から連絡があり、観測談話会が3月25日の13時30分~15時に行われることになった。

筆者の病気に関して:
3月12日の腹部の超音波エコー検査によって巨大のう胞の再発が見つかり、 その確認のために、腹部を走査するCT検査(コンピュータ断層撮影)の予定を1カ月早めて 3月16日に行ない、25日の談話会を控えて静かに過ごしていた。

予想もしていなかったことだが、談話会の3日前の3月22日(休日)になって腹痛が始まり、 緊急に外科手術すべきと判断した。翌23日に藤村計画課長に、25日の談話会は中止・延期していただく お願いのメールを送った。気象庁とは別に予定されていた東京での2つの講演会(3月26日と3月28日) も中止させていただいた。

年度が変わり、桜井長官に私の病気が快復したことを知らせると、藤村弘志計画課長は仙台管区 気象台長へ転勤され、後任は川津拓幸計画課長となり、改めて観測談話会は5月13日(木)の 13時30分から開催となった。

51.3 観測談話会

5月13日の観測談話会に先立ち、川津計画課長の案内で桜井邦雄長官、羽鳥光彦予報部長、 加納裕二観測部長にご挨拶し、筆者の活動にご支援たまわりたいことをお願いした。

予報部会議室で開かれた観測談話会では、次のスライド(挨拶)から始めた。

3-1 挨拶
 「最近、測候所の無人化にともなって、観測環境が悪化しています。この悪化はどうしても くい止めなければ、取り返しのつかないことになってしまいます。気象庁では、人員削減と 予算削減により、観測環境の悪化をあきらめている方もいらっしゃると思います。

しかし、予算削減を理由に、観測環境の悪化を見逃すことはできません。なぜなら、 日本が貧しい時代でも先輩たちは、命がけで質の高いデータを蓄積してきましたし、また今日、 地球温暖化が世界中の大きな問題となり、気候の将来予測のためにも、現状を正しく監視 していかなければなりません。

大きな予算は使わなくても、住民の理解と協力が得られれば、観測環境を守ることは可能です。 私は、このことを世論に訴えるために、各地で市民講座や、大学・研究所・地方気象台でセミナー を開いてまいりました。

きょうは、市民講座やセミナーと、ほとんど同じ内容で話します。この話を皆様に聴いていただいて、 観測環境を守る私の活動に対して、温かいご支援をたまわりたいと思っていますので、どうかよろ しくお願いします。」

続いて観測所の周辺環境が悪化している例として深浦と津山を取り上げた。

3-2 深浦観測所
深浦には4回訪問し、町役場にお願いして周辺環境はかなり改善されたが、あと一歩のところで 中断していることを説明した。4回目の訪問となった2009年11月14日(土)には市民講座を開催 する予定であったが、筆者が訪問する直前になって中止させられた。それでも筆者は町会議員 や知識人に訴えるために訪問してみると、中止のほんとうの理由は「気象台の悪口をいう 講演会に役場の施設は使わせることはできない」であった。

気象台の悪口というのは正しくない。観測所の周辺に成長した樹木が気象観測の邪魔になって いることを気象台職員は理解できないが、住民に説明すれば納得してもらえるはずなので、 とにかく講演会を開いていただきたかったのである。

深浦からの帰途、青森地方気象台に寄り、堤之智台長に深浦観測所の周辺環境の現状を報告し、 未整備の部分として:
(1)松の乱雑に伸びた枝の剪定、
(2)露場南東側のイチョウ1本の伐採、
(3)残りの笹薮(ヤダケ)をいったん刈り取り、今後数年毎に刈り取る、
が残っていることを報告した。

さらに堤台長に対して、深浦町役場へ電話でよいので、「観測環境がよくなれば気象台として ありがたい」という内容の連絡をしていただきたいとお願いした。

後日、深浦町に尋ねると、青森地方気象台からは連絡はきていないという。そのため、町議会でも 観測所の周辺環境の整備問題が取り上げたが、行政側から「気象台から連絡がない」という 回答によって、筆者の活動はご破算になってしまった。

堤台長は筆者に対して、「近藤先生の足を引っ張るつもりはありません!」と明言していたが、 実際には筆者の足を引っ張り、邪魔をしたことになる。台長ご自身の判断、たとえば、深浦観測所の 周辺環境が悪化していても天気予報には関係ないことから深浦町へ電話しなかったのであろう。 堤台長には気候監視の重要性がまだ理解できていないようだ。

3-3 津山観測所
住民たちが40年ほど前に植樹した約200本の桜が成長し、そのうち観測所のまわりの20本ほど が観測に邪魔するようになった。年平均風速は33%減少し、強風日数は年間51日から2日ほどに 減少し、地域の防災上からも問題である。

津山観測所でも深浦と同様に、岡山地方気象台に実際の資料を示しても樹木の成長が観測値に 影響していることが理解できない。樹木の上端が風速計高度の直下1~2mの高さまで成長して いても、樹木は風速計より低いので観測に影響しないと信じている。

このことは一般住民なら防風林の原理から理解できるので、津山では2回の市民講座を開催したり、 町内会役員を訪ねて説明を続けた。第1回目の市民講座に参加された元高校教諭の酒本孝之先生が 地元新聞に投書してくださり、広く市民がこの問題を知ることとなった。また第2回目の市民講座に 参加された市会議員・秋久憲司氏がこの問題を市長に紹介してくださった。

桜など21本の伐採費用は実際には50~100万円は掛ると見込まれたが、電力会社とその関連会社は 私が個人負担することを知り、筆者の負担を11万円でよいとしてくださった。これは会社の社会 貢献と考えられたようである。このように、津山では多くの市民から温かいご支援を いただいた。

住民に説明すれば、気候監視の重要性が理解され、みんなで観測所は大事にしてくれる。

津山の詳細は「M49.気象観測所の周辺環境を守る-津山2」に 掲載されている。

それでも桜の伐採は難しい問題を含んでいる。住民の観桜の楽しみと気候監視のいずれも重要である。 しかし桜よりも気候監視を選んでいただいた住民に感謝したい。日本人がもっとも愛する桜を伐採 する代わりに、余剰地として売り出し中の旧庁舎と宿舎跡地の1600平方メートルを津山市が買い 取り住民の憩いの場として活用してもらいたいと考え、私は津山市へ「ふるさと納税」として 500万円を寄付した。

このふるさと納税に対して桑山博之市長からの感謝状の贈呈式が2月15日に行われた。私が敷地を 寄付しても、今後は津山市が管理費を負担することになる。 気候観測所の周辺環境を維持して頂くことになるので、筆者はその式典で、津山市長と市民に対する 「お礼の言葉」を読み上げた。

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津山市へのお礼の言葉


3-4 その他
この談話会では、ほかに観測資料の補正の方法、今回はじめて明らかにした日本の地球温暖化の 実態、火山の大規模噴火と異常気象の関係、都市化による気温上昇(熱汚染)の経年変化などを 話題とした。

観測談話会の終了後、関係者が観測部長室に集まり意見交換した。前もって、4月20日付けで気象庁 長官宛てに提出してあった、今後の私に対する具体的な支援を尋ねたが明確な回答は得られなかった。

反響:
後日、津山市からの情報によれば、この5月13日の観測談話会に参加された気象庁職員の 隈部良司氏が個人の立場で6月12日に津山市にメールを送り、津山観測所の隣に整備される 予定の公園に記念碑を作ることを提案している。

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隈部氏が津山市へ送ったメール


51.4 地球惑星科学連合大会

2010年5月23日~28日に幕張の国際会議場にて地球惑星科学連合大会が開かれ、最終日の 「宇宙気候学の進展」のセッションに招待講演として、「気温観測の補正と正しい地球温暖化量」 を発表し、多分野の方たちに地球温暖化観測の現状を訴えた。

この日、国際会議場の通路で偶然、名古屋大学の安成哲三教授にお会いでき、気象庁での観測談話会 の結果を簡単に伝えたが、詳しく話せなかったので、その翌日のメールにて気象庁の私に対する 具体的な支援がまだ見えないことを報告した。

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安成教授に送ったメール


反響:
5月28日の地球惑星科学連合大会における講演は、予想外に盛況であり、私を支援してくださる 方も現れた。

参加者からの激励:
「近藤先生の講演での指摘は、担当の気象台、関係者には耳が痛いかも 知れませんが、地球規模でこれが関わっていることを示していく中で、保身のためのけちくさい 抵抗は遅からず蹴散らかされると信じます。」

この講演において、北海道の網走地方気象台も重要な気候観測所であることを示したこと から、北見工業大学の亀田貴雄准教授が網走市や北見市の市民にそのことを知ってもらうことが 重要だと考え、網走地方気象台長宛てに気象台と大学が共催で市民講座を開催してはどうかいう 書状を送った(2010年6月15日)。

クリックして次の(06) 「亀田准教授が網走地方気象台長に送った手紙」を参照し、プラウザの「戻る」を 押してもどってください。
亀田准教授が網走地方気象台長に送った手紙


51.5 仙台管区気象台長へのお願い

当初、3月の観測談話会の日時等を設定していただき、筆者の急病で中止・延期していた だいた前の計画課長・藤村弘志氏は4月から仙台管区気象台長に転勤された。当時の部下の観測 ネットワーク調整官・大島広美氏が同じく4月から青森地方気象台長に転勤された。

筆者は、藤村弘志管区台長に頼めば、中断されている青森県深浦観測所周辺環境の問題が進展 するように思い、5月17日のメールにて(1)仙台管区気象台にお願いのために訪問したいこと、 そのお願いは(2)深浦町や岩手県宮古市で開催する市民講座に気象台から具体的な支援をいた だきたいことを伝えた。

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仙台管区気象台長に送ったメール


その後、藤村弘志管区台長から連絡があり、6月9日(水)13時30分から観測談話会 (気象庁本庁で5月13日に行った談話会と同じ内容)を開催し、つづいて筆者のお願いを聞いて いただく懇談会が決まった。

6月9日の観測談話会と懇談会のあと、藤村管区台長はその日のうちに青森地方気象台長・大島広美 氏と盛岡地方気象台長・日野修氏と相談された。各台長は市民講座の開催についてそれぞれ深浦町と 宮古市に働きかけていただくことになった。

この働きかけにおいて、深浦町との交渉は難しい問題を含んでいる。つまり、青森地方気象台は この3月まで(前・堤台長の時代)、深浦町に「観測所の環境は現状のままでよい」と説明してきた ことに対して、今度は「気候監視が重要となり周辺環境をより一層よくしたい」と 説明しなければならなくなった点である。

以前と事情が変わったことを説明して町役場に納得してもらいたい。これには観測業務を長年担当し、 観測環境の重要性と課題について熟知されている青森地方気象台の大島台長に期待していたい。

仙台から帰宅した翌日の6月10日、私は藤村管区台長宛てのお礼のメールにて、気象庁が東北地方 において、はじめて私を本格的に支援してくださることになれば、日本の気候観測所の周辺環境が、 一気に整備される方向になると思っていることを伝えた。

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仙台管区気象台長に送ったお礼のメール


51.6 室戸市民講座に対する気象台の後方支援

筆者が全国の気象観測所を巡回した結果、旧室戸岬測候所(無人化後、室戸岬特別地域気象 観測所)は周辺に住宅などはなく環境に恵まれ、気候観測所としては日本の数少ない観測所の一つ であることがわかった。

室戸岬観測所の写真と説明は、「写真の記録」の 「53.高知と室戸岬の観測所」に掲載されている。

環境に恵まれた室戸岬に重要な観測所であることを地元・室戸市民に知っていただくために 市民講座「気候講演会」を行いたいことを室戸市長・小松幹待氏に宛てて手紙を出した (2010年4月28日)。

小松市長はこの講演会開催に賛同されて、担当する教育委員会生涯学習課(柳川明彦課長)が 具体案を作成してくださることになった。担当者の柳原里恵氏と筆者の打ち合わせにより、 7月10日(土)の午後、室戸市保健福祉センターやすらぎ「きらきらひろば」にて市民講座 「気候変動と私たちの暮らし―重要な室戸岬観測所」を開催することになった。

これまでの筆者の啓もう活動は、気象庁本来の仕事でありながら、岡山県津山や青森県深浦で 経験したように気象台からの応援がなく、多くの困難をともなってきた。日本の気候観測体制を 緊急に立て直すには、気象庁がこの活動に積極的になっていただく必要がある。

その目的で5月13日に観測談話会を開催していただき、気象庁に対して支援を要請した。 気象庁観測部計画課長・川津拓幸氏から具体的な支援を聞くことができなかったので、 室戸市民講座に際して高知地方気象台が後援の形で入ってもらえないか、これが不可能ならば 気象台から室戸市へ電話でもよいので、「観測環境の維持の観点から市民講座の意義を伝えて いただきたい」とお願いした(5月19日)。

計画課長からの返事では(5月24日)、市民講座は市の独自の計画であるので後援はできないが、 電話等による支援は可能とのことである。そこで筆者は、計画課長・川津拓幸氏と高知地方気象 台長・渡辺志伸氏に宛てて次のメールを送った(5月24日)。

高知地方気象台長から室戸市に対して、電話でよいので、「近藤の市民講座は、気象観測の重要性 について市民の理解を深めることを目的としており、気象庁としても観測環境の維持の観点から 有益である」ことをお伝えください。そうしてくだされば、私の講演がより一層意味をもつこと になります。気象庁という狭い枠にとらわれず、国民のための観測であるという観点からの言葉 も添えていただきたくお願いします。それは、ひいては、日本の気象観測の充実につながるものと 私は信じています。

その後(6月3日)、高知地方気象台長・渡辺志伸氏から、室戸市民講座に対して後方支援して くださるというメールがきた。

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高知地方気象台長から後方支援のメール


高知地方気象台が、室戸市民講座を共催(後援)することは難しかったが、渡辺志伸台長が管区台長 表彰状伝達のために室戸市役所を訪問した際に、筆者の話題にも及んだ。これは気象庁による筆者の 講演活動に対する最初の具体的な後方支援となる。

51.7 入院・手術後の体力回復

腎臓や肝臓に水たまり(のう胞)を持っている者は三人に一人の割合だと聞く。しかし普通は 小さく悪さもしないので、そのままに過ごしてよいが、私の肝臓には「巨大のう胞」ができており、 外科手術すべきと告げられていた。

筆者は1988年に急性心筋梗塞で心臓の外科手術をしており、それ以来、心臓の投薬治療を続けて いる。他の医者に相談すると、今のところ自覚症状がなく、現在の投薬を中断して全身麻酔で 手術するのは危険も伴うので、現状のままで過ごせるかも知れないし、腹痛などの症状が現れるまで は待つのがよいとも言われていた。

内科的治療:
それから約2年弱が経過し、2009年12月になると、夜間就寝時に微弱な腹痛が気になるようになり、 いよいよ治療の時がきたと悟った。のう胞が普通の大きさなら、内科的に腹に針を刺してのう胞の 水を抜く治療もあると聞いていたので、その方法で治療していただきたいと申し出たが、巨大なので、 内科的治療は難しいと言われたが、懇願したところ、消化器科の先生が引き受けてくれた。

微弱な腹痛は、1~2日間休息していると止まったので、以前から予定していた講演のために 広島に出張した。市内を歩いていると強い腹痛に見舞われた。ホテルで一泊して翌日の講演会場に 出かけて事情を説明し、講演中止のお願いをして新幹線で帰宅した。

私は素人なりに、腹から針を刺して水を抜くのは簡単だと思っていたのだが、具体的には、腹部の 皮膚―肝臓―のう胞へ直径3mmのカテーテルを通すことになる。肝臓には血管が集まっているので、 治療中に内部出血する可能性もある。腹痛が激しくならぬように、年末から正月にかけては静かに 過ごした。

年が明けて2010年1月4日~19日に入院し、水2.5リットルを吸引排出した。水を吸引排出する にしたがって、腹の中央近くに押しやられていた肝臓が正常な位置、つまり右腹に移動し、 皮膚―肝臓―のう胞へ通した針が大きく曲がった。運悪く、内部出血を起こした。出血はようやく 止まり、水400ミリリットルを残したまま治療を終えた。今後、のう胞の大きさがそのままで 経過するかどうかについて、当面は3か月後に検査してみることになった。

この1月の治療に際しては、主治医は休日でも毎日のように病室に来られ、可搬型の超音波エコー 撮影装置を運んできて腹部を観察し、同時に採血の分析結果から出血の状態を慎重に診断、 万全を期した治療を続けてくれた。治療前には、のう胞が巨大で内科的治療は難しいと 言われていたが、実際に治療してみて難しさがよくわかった。私は多くの人々に支えられていることに 感謝した。もし今後、のう胞が再び肥大化するのであれば、次回は外科手術になると覚悟した。

予定されていた岡山県津山観測所の周辺の桜など21本の伐採作業があるため2月14~17日に津山市 へ出かけることができた。こうして筆者の活動が再開された。

3月になって、25日に気象庁で観測談話会を開催していただけることが決まった。

1月の退院時に予定されていた治療後の経過検査(腹部の超音波エコー検査)を3月12日に行った 結果、意外にも「巨大のう胞」の再発が発見され、私はとても驚いた。16日には腹部を走査する CT(コンピュータ断層撮影)による精密検査でも確認され、4月に外科手術が予定された。

外科手術:
観測談話会の3日前になり、腹痛が始まった。私は、4月の予定を早めて緊急に外科手術をすべきと 判断し、翌日の23日に気象庁へ連絡して談話会を中止・延期していただいた。 この談話会とは別に予定されていた講演会(3月26日と3月28)も中止させてもらった。

外科手術の前に行うべき諸検査を通院にて行い、4月2日~13日に入院した。4月7日の外科手術が 行われる際、心臓疾患に必要な投薬を1週間前から中止しているゆえに、今回の手術では生きて 蘇ることはないかも知れないと思いつつ全身麻酔が効いてきた。

医者から「近藤さん!近藤さん!」と呼びかけられる声に、一瞬の楽しい夢から覚め、 蘇った幸運を喜んだ。 手術の2日後から歩けるようになった。手術時の傷の痛みも残っていたが、「歩けば快復が早い」 と勧められた。回復後には観測所の周辺環境の整備問題で働かねばならぬと、毎日病院の長い廊下 で歩行運動を行い、4月13日に自宅まで歩いて退院した。

退院後は少しずつ歩く距離をのばし、5km、10km、25kmのハイキングができるように なった。2001年に神奈川県平塚の自宅から三浦半島先端の城ケ島まで50kmの距離を13時間 かけて歩いたことがある。この長距離を再び歩けるかどうか、4月29日(祭日)の朝3時30分に 自宅を出発し城ケ島へ16時30分に着くことができた。前回と同じ13時間が掛った。 (「小さな旅」の「6.城ヶ島への行程表」を参照)

こうして私の持久力が確認でき、今後も活動を続けなければならない。

私たちの先輩たちは命がけで100年余の気候観測データを蓄積してきた。時代による測器・観測法の 変更や観測所の移転があり、これを正しく補正・解析できる者の人数は限られており非常に 難しい。それに加えて、気候観測所の周辺環境が急速に悪化しており、その影響を補正することは 不可能となり、気候変動の実態把握ができなくなる。これは筆者の経験から得た結論である。

観測所の周辺環境の整備・維持は、緊急に取り組まなければならない。そして気候監視の重要な ことは、環境保全が長期に渡って成されなければならない。


あとがき

謝辞:
隈部良司さん、亀田貴雄さん、高知地方気象台長(渡辺志伸さん)のメール文または手紙文を引用 させていただきました。また原稿の下書きの段階では、数名の方から有益なコメントを頂戴しました。



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